朗々たる祈り!
真心の励まし!
我らの声が地域に
社会の希望を拡大!
「声仏事を為す」だ。
諸法実相抄 P1360
『釈迦仏多宝仏十方の諸仏菩薩虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり』
◇希望の明日へ
近年、国家を基軸にして地球をとらえるのではなく、国境を超えた人類共同体としての意思をまとめ、地球が生き残るための方策を考えることが、国連の重要な役割となっている。この場合、利害が複雑にからんだ主権国家だけに任せておいては問題の解決はなかなか困難である。そこで、何よりも今日要請されるのは"国家の顔"よりも"人間の顔"−−すなわち、国連が真実"人類の議会"をめざすならば、従来、あまりにも目立ちすぎた"国家の顔"ではなく"人間の顔"をもてるよう努力をしてこそ、よりよい機能を発揮することができるであろう。
平1・1・26
☆世界広布新時代第8回の各部代表者会議が24日、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で行われた。
これには、池田名誉会長がメッセージを贈り、"創価女性月間"の今月、全国・全世界で輝く婦人部・女子部の目覚ましい大前進をねぎらい、「おめでとう! ありがとう!」と心から讃えた。
続いて、「究極の信念とは何か。それは実行することにある。行動から変化が起きる。価値が生まれる。結果が出る。なかんずく、リーダーの皆さんの勇気ある実践こそが、大法弘通の道を開いていくのだ」と訴えた。
ここで、『賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)なり」「此(こ)の八風にをかされぬ人をば天はまほらせ給うなり』(P1151、「四条金吾殿御返事」)を拝読。
「この御聖訓の通り、いかなる毀誉褒貶などの八風にも、微動だにせず、広宣流布の大誓願をまっしぐらに貫き通しているゆえに、創価の大城は、梵天帝釈からも厳然と護られてきたのである。我らは永遠に、嵐に揺るがぬ富士の如く、不動の師弟の一念で、祈り切り、戦い抜いていくのだ」と力を込めた。
そして「どんな難所があろうとも、『隨縁真如の智』と『異体同心の団結』で悠然と突破していただきたい。全部、万年の未来のための勉強であり、訓練である」と強調。
「ともあれ、日蓮大聖人は、ありとあらゆる次元において、壮大なスケールで、『一閻浮提第一』の道を示してくださっている。なればこそ、創価の青年は小さな境涯にとどまってはならない。宇宙大の妙法を唱え弘めながら、希望に燃えて、世界一の人材群が躍り出る青年城を、断固と築き上げていただきたい」と念願した。
さらに、今月30日に晴れの結成記念日を迎える、男女学生部の成長と活躍を、嬉しく頼もしく見つめている真情を述べた。
最後に「さあ、『青年の月』7月だ。原田会長を中心に、皆で、一段と励まし合い、支え合って、気持ちのいい、爽快な戦いをしよう! お元気で!」と全同志に呼び掛け、メッセージを結んだ。
2014年6月29日日曜日
2014.06.28 わが友に贈る
「真剣な言葉」が
人の心を動かす。
「真剣な行動」に
皆の信頼が集まる。
自らが先頭に立て!
御義口伝巻上 P737
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云』
◇希望の明日へ
世界のほとんどの国を網羅した国連のような国際平和組織が、戦後四十年余の長きにわたって、ともかくも存続し続けてきたという"時間の要素"を、私は、まず評価したい。どんなに意見が対立しようと、討議を交わす場であり「人類の議会」として国連が存在すること自体の意義の大きさは計り知れない。世界の民衆に、想像以上に安堵を与えてきたはずである。
昭61・1・26
人の心を動かす。
「真剣な行動」に
皆の信頼が集まる。
自らが先頭に立て!
御義口伝巻上 P737
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云』
◇希望の明日へ
世界のほとんどの国を網羅した国連のような国際平和組織が、戦後四十年余の長きにわたって、ともかくも存続し続けてきたという"時間の要素"を、私は、まず評価したい。どんなに意見が対立しようと、討議を交わす場であり「人類の議会」として国連が存在すること自体の意義の大きさは計り知れない。世界の民衆に、想像以上に安堵を与えてきたはずである。
昭61・1・26
2014.06.27 わが友に贈る
広布の城を輝かせる
「守る会」に感謝!
屋外での帽子着用や
水分・塩分補給など
暑さ対策も賢明に!
可延定業書 P986
『きわめてまけじたましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり』
◇希望の明日へ
"民衆の幸福"こそが国家の根本の目的である。その根本を見失い、転倒させてしまうところに、さまざまな悲劇が生まれる。しかし、たとえ一時は困難に直面しても、民衆という原点に立ち返り、忍耐強く進んでいくならば、時とともに必ず道は開けていくのである。
平3・12・19
「守る会」に感謝!
屋外での帽子着用や
水分・塩分補給など
暑さ対策も賢明に!
可延定業書 P986
『きわめてまけじたましの人にて我がかたの事をば大事と申す人なり』
◇希望の明日へ
"民衆の幸福"こそが国家の根本の目的である。その根本を見失い、転倒させてしまうところに、さまざまな悲劇が生まれる。しかし、たとえ一時は困難に直面しても、民衆という原点に立ち返り、忍耐強く進んでいくならば、時とともに必ず道は開けていくのである。
平3・12・19
2014年6月26日木曜日
2014.06.26 わが友に贈る
人間外交の真髄は
誠実と迅速にあり。
打てば響く反応から
信頼の絆は生まれる。
振る舞いで勝ち光れ!
食物三徳御書 P1598
『食には三の徳あり、一には命をつぎ二にはいろをまし三には力をそう』
◇希望の明日へ
日本と韓国、日本と中国といった、"国家対国家"の見方ではなく、"世界の民衆と国家の権力"という視座も大切になってくるであろう。国家主義と人間主義、民衆主義は、どうしても相いれない。特に真の仏法者は、どこまでも民衆の側に立つ。牧口先生、戸田先生も、そのために国家権力に弾圧された。その心を継いで、"世界の民衆の連帯"を築き続けているのである。
平4・10・7
☆「なぜ信心をするか」 戸田先生の指導より
信仰というものは、修養のためとか、あるいは、気休めとかというために、するのではない。
信仰して、利益、すなわち、生活上のしあわせがなければ、やっても無駄です。
日本の国の人々がみんな困っている。
その困っている時に功徳があるから広まっていくのです。
理屈や学問で広まるのではないのです。
御利益で広まるのです。
それならどうすればいいかというと、今度は今生において、布施をし、善根を積んで、来世においてしあわせに生まれてくると、こういうふうになっている。
これが、今、仏法を信じない人は、皆、このいき方をしなければならないことになっているが、だれも善根を積む者がいないから、来世はますますひどくなるにきまっているのです。
大聖人様が、これでは、かわいそうだと、おもし召しあそばれたのです。
そこに日蓮大聖人様の仏法と、釈迦の仏法との、根本的相違があるのです。
これをわかるのは日蓮正宗だけなのです。
そこで大聖人様は、末法の衆生をかわいそうに思われて、どうなさったかといいますに、これはいかん、末法の衆生には過去世にりっぱな行いがないと。
それであるから、これを捨てておいたならば、その貧乏、あるいは病気あるいは、いろいろの不幸をそのまま背負って死ななければならない。
それでは、かわいそうだ・・・、そうおっしゃった。
この大御本尊様を受持すれば、過去世においてつくらなかった、原因をくださるという約束がある。
即座に下さるのですよ、原因を。
あとは自分の信心と、折伏によって、結果を勝ち取らなければいけない。
御本尊様のことを、縷々御説明くださっている観心本尊抄という御書のなかに「この五字を受持すれば、釈尊の因行果徳の二法を譲り与え給う」という約束がある。
この五字とは、お曼荼羅のことであります。
御本尊様のことであります。
ただ、この御本尊様は、富士大石寺しかないのです。
ほかの寺々で、どんなにうまいことを言っても、絶対に富士大石寺の御本尊様しか、功徳がないということは、この御書において明らかなのです。
ですから、あなた方が、この御本尊様を受持して、ちゃんと信心をりっぱにしまして、折伏を行じておれば、必ず、必ず、しあわせになることを、私は誓っておく。
安心して、折伏をしなさい。
功徳は必ず出ます。すなおな信心をしなさい。
必ず功徳がでます。
また、あなた方が、しあわせになるために熱心に折伏をし、信心をしていれば、
しぜんに広宣流布の時がきます。
しかし、広宣流布は、一日も早くしなければならんと、私は思っております。
仏天の加護を、国家のために、仏天の加護を願おうとするならば、一国謗法であっては、仏天の加護は無いのです。
ですから、一国謗法の罪をのがれるために、一日も早く、広宣流布をしなければならない。
さあ、そうなると、迷う人があるかもしれない。
ほかでもやっていいのではないかと。だが、ほかでは絶対だめなのです。これだけは、絶対、日蓮正宗でなけらばだめなのです。
広宣流布の暁には、大聖人様が御存生中に、広宣流布ができたならば紫宸殿へかざって、時の天皇に拝ませなさいと、予言をなさっておつくりになった、紫宸殿御本尊という御本尊様があるのです。
だから、身延には広宣流布する資格がないということが、はじめからわかっている。
ましてや、このごろできたてのニセ日蓮宗などはあるわけがない。
この、紫宸殿御本尊のある寺こそ、広宣流布をする寺なのです。
それが、この紫宸殿御本尊というのは、七百年も近く、富士大石寺に、厳然として奉持し奉っているのです。
この一事をもっても、われわれ日蓮正宗の者は、広宣流布をしなければならない責任があるということになっているのです。
だから、広宣流布だなどと、マネをしだした時に、この一事をもって、きゅっと押さえてやらなければいけない。
まあ、これだけで、あとは、あなた方が、しっかりと信心をして、功徳を受けますように。
昭和30年8月23日 蒲田支部函館地区総会
誠実と迅速にあり。
打てば響く反応から
信頼の絆は生まれる。
振る舞いで勝ち光れ!
食物三徳御書 P1598
『食には三の徳あり、一には命をつぎ二にはいろをまし三には力をそう』
◇希望の明日へ
日本と韓国、日本と中国といった、"国家対国家"の見方ではなく、"世界の民衆と国家の権力"という視座も大切になってくるであろう。国家主義と人間主義、民衆主義は、どうしても相いれない。特に真の仏法者は、どこまでも民衆の側に立つ。牧口先生、戸田先生も、そのために国家権力に弾圧された。その心を継いで、"世界の民衆の連帯"を築き続けているのである。
平4・10・7
☆「なぜ信心をするか」 戸田先生の指導より
信仰というものは、修養のためとか、あるいは、気休めとかというために、するのではない。
信仰して、利益、すなわち、生活上のしあわせがなければ、やっても無駄です。
日本の国の人々がみんな困っている。
その困っている時に功徳があるから広まっていくのです。
理屈や学問で広まるのではないのです。
御利益で広まるのです。
それならどうすればいいかというと、今度は今生において、布施をし、善根を積んで、来世においてしあわせに生まれてくると、こういうふうになっている。
これが、今、仏法を信じない人は、皆、このいき方をしなければならないことになっているが、だれも善根を積む者がいないから、来世はますますひどくなるにきまっているのです。
大聖人様が、これでは、かわいそうだと、おもし召しあそばれたのです。
そこに日蓮大聖人様の仏法と、釈迦の仏法との、根本的相違があるのです。
これをわかるのは日蓮正宗だけなのです。
そこで大聖人様は、末法の衆生をかわいそうに思われて、どうなさったかといいますに、これはいかん、末法の衆生には過去世にりっぱな行いがないと。
それであるから、これを捨てておいたならば、その貧乏、あるいは病気あるいは、いろいろの不幸をそのまま背負って死ななければならない。
それでは、かわいそうだ・・・、そうおっしゃった。
この大御本尊様を受持すれば、過去世においてつくらなかった、原因をくださるという約束がある。
即座に下さるのですよ、原因を。
あとは自分の信心と、折伏によって、結果を勝ち取らなければいけない。
御本尊様のことを、縷々御説明くださっている観心本尊抄という御書のなかに「この五字を受持すれば、釈尊の因行果徳の二法を譲り与え給う」という約束がある。
この五字とは、お曼荼羅のことであります。
御本尊様のことであります。
ただ、この御本尊様は、富士大石寺しかないのです。
ほかの寺々で、どんなにうまいことを言っても、絶対に富士大石寺の御本尊様しか、功徳がないということは、この御書において明らかなのです。
ですから、あなた方が、この御本尊様を受持して、ちゃんと信心をりっぱにしまして、折伏を行じておれば、必ず、必ず、しあわせになることを、私は誓っておく。
安心して、折伏をしなさい。
功徳は必ず出ます。すなおな信心をしなさい。
必ず功徳がでます。
また、あなた方が、しあわせになるために熱心に折伏をし、信心をしていれば、
しぜんに広宣流布の時がきます。
しかし、広宣流布は、一日も早くしなければならんと、私は思っております。
仏天の加護を、国家のために、仏天の加護を願おうとするならば、一国謗法であっては、仏天の加護は無いのです。
ですから、一国謗法の罪をのがれるために、一日も早く、広宣流布をしなければならない。
さあ、そうなると、迷う人があるかもしれない。
ほかでもやっていいのではないかと。だが、ほかでは絶対だめなのです。これだけは、絶対、日蓮正宗でなけらばだめなのです。
広宣流布の暁には、大聖人様が御存生中に、広宣流布ができたならば紫宸殿へかざって、時の天皇に拝ませなさいと、予言をなさっておつくりになった、紫宸殿御本尊という御本尊様があるのです。
だから、身延には広宣流布する資格がないということが、はじめからわかっている。
ましてや、このごろできたてのニセ日蓮宗などはあるわけがない。
この、紫宸殿御本尊のある寺こそ、広宣流布をする寺なのです。
それが、この紫宸殿御本尊というのは、七百年も近く、富士大石寺に、厳然として奉持し奉っているのです。
この一事をもっても、われわれ日蓮正宗の者は、広宣流布をしなければならない責任があるということになっているのです。
だから、広宣流布だなどと、マネをしだした時に、この一事をもって、きゅっと押さえてやらなければいけない。
まあ、これだけで、あとは、あなた方が、しっかりと信心をして、功徳を受けますように。
昭和30年8月23日 蒲田支部函館地区総会
2014年6月25日水曜日
2014.06.25 わが友に贈る
女性は無事故第一で!
夜は暗い道を避け
早め早めの帰宅を!
油断は大敵だ。
声を掛け合って進め!
日女御前御返事 P1243
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉る』
◇希望の明日へ
国家と国家との確執の宿痾を癒し
確固たる友好の礎を築きゆくのは
より広く より探き
民衆と民衆との心の連帯だ
そこにこそ
新たなる世紀の扉は
豁然と開かれゆくにちがいない
平3・4・22
◎日本、頑張ったね(^^♪
夜は暗い道を避け
早め早めの帰宅を!
油断は大敵だ。
声を掛け合って進め!
日女御前御返事 P1243
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉る』
◇希望の明日へ
国家と国家との確執の宿痾を癒し
確固たる友好の礎を築きゆくのは
より広く より探き
民衆と民衆との心の連帯だ
そこにこそ
新たなる世紀の扉は
豁然と開かれゆくにちがいない
平3・4・22
◎日本、頑張ったね(^^♪
2014年6月24日火曜日
2014.06.24 わが友に贈る
日々の訪問激励など
地道な活動の中にこそ
福徳の大輪は咲き薫る。
「陰徳あれば陽報あり」
愚直な信心の人たれ!
上野殿御返事 P1561
『とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ』
◇希望の明日へ
確かに国家権力そのものが、戦争などをはじめとする、「人類への悪」「人間と生命への悪」を生み出してきた。権力は、本来、人間の尊厳に奉仕するための手段にほかならない。にもかかわらず、それを目的としてしまったところに、人間の悲劇の歴史が刻まれてきたのである。この国家悪をどう克服するか。ここに、人類の長年の課題がある。そして、相互依存を強める現代の世界にとって、ますます焦点の課題になってきたといえる。
平2・10・5
☆名誉会長と共に 新時代を開く 第23回 最高峰の哲学に生きよ
時代は、世界は、揺るぎない精神の柱を求めている。
今こそ、大確信をもって、妙法の素晴らしさを語るのだ。それが折伏である。
折伏は最高の仏の仕事である。ゆえに、苦しんでやるのではなく、楽しく悠々と仏縁を結んでいくのだ。
戸田先生は言われた。
「初めから立派過ぎたのでは人々の中に入っていけないから、われわれは仏法を弘めるためにわざわざ凡夫の姿をとって生まれてきたんだよ」と。
苦労しているから、人に寄り添える。悲哀に負けないから、嘆きの友を励ませる。
悩める人を幸福にするために、自らが悩みを乗り越え、勝利の実証を!──これが広布に生きる師弟の誓願である。
われ、地涌の菩薩なり!──この偉大なる使命を自覚した人は強い。何も恐れない。
大変な時こそ御書を拝するのだ。一切は御書に明鏡のごとく示されている。
何のための一生か。幸福とは何か。どうしたら、強い自分になれるか。
人生の根本命題に、文証・理証・現証から、一つ一つ明快に答えてくれるのが、最高峰の仏法の生命哲学である。
御義口伝には『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(P788)と説かれる。
自身が本来、尊極の仏の当体なのだ。妙法を唱え広めゆく生命には「歓喜の中の大歓喜」が躍動する。
人類よ、自らの尊厳に目覚めよ!──そう仏法は教える。
仏法の光が、人間を高め、民衆を結び、世界を照らす時、崩れぬ平和が生まれる。
「行学の二道」が、試練を勝ち越える力となる。限りなき精神の宝庫の扉を開く。
わが心に、希望輝く大哲学の柱を打ち立てるのだ。
地道な活動の中にこそ
福徳の大輪は咲き薫る。
「陰徳あれば陽報あり」
愚直な信心の人たれ!
上野殿御返事 P1561
『とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ』
◇希望の明日へ
確かに国家権力そのものが、戦争などをはじめとする、「人類への悪」「人間と生命への悪」を生み出してきた。権力は、本来、人間の尊厳に奉仕するための手段にほかならない。にもかかわらず、それを目的としてしまったところに、人間の悲劇の歴史が刻まれてきたのである。この国家悪をどう克服するか。ここに、人類の長年の課題がある。そして、相互依存を強める現代の世界にとって、ますます焦点の課題になってきたといえる。
平2・10・5
☆名誉会長と共に 新時代を開く 第23回 最高峰の哲学に生きよ
時代は、世界は、揺るぎない精神の柱を求めている。
今こそ、大確信をもって、妙法の素晴らしさを語るのだ。それが折伏である。
折伏は最高の仏の仕事である。ゆえに、苦しんでやるのではなく、楽しく悠々と仏縁を結んでいくのだ。
戸田先生は言われた。
「初めから立派過ぎたのでは人々の中に入っていけないから、われわれは仏法を弘めるためにわざわざ凡夫の姿をとって生まれてきたんだよ」と。
苦労しているから、人に寄り添える。悲哀に負けないから、嘆きの友を励ませる。
悩める人を幸福にするために、自らが悩みを乗り越え、勝利の実証を!──これが広布に生きる師弟の誓願である。
われ、地涌の菩薩なり!──この偉大なる使命を自覚した人は強い。何も恐れない。
大変な時こそ御書を拝するのだ。一切は御書に明鏡のごとく示されている。
何のための一生か。幸福とは何か。どうしたら、強い自分になれるか。
人生の根本命題に、文証・理証・現証から、一つ一つ明快に答えてくれるのが、最高峰の仏法の生命哲学である。
御義口伝には『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(P788)と説かれる。
自身が本来、尊極の仏の当体なのだ。妙法を唱え広めゆく生命には「歓喜の中の大歓喜」が躍動する。
人類よ、自らの尊厳に目覚めよ!──そう仏法は教える。
仏法の光が、人間を高め、民衆を結び、世界を照らす時、崩れぬ平和が生まれる。
「行学の二道」が、試練を勝ち越える力となる。限りなき精神の宝庫の扉を開く。
わが心に、希望輝く大哲学の柱を打ち立てるのだ。
2014年6月23日月曜日
2014.06.23 わが友に贈る
◇今週のことば
苦労は即「充実」
忍耐は即「栄光」
青年よ 負けるな!
友情と感動のドラマを
思う存分に綴れ!
2014年06月23日
華果成就御書 P900
『よき弟子をもつときんば師弟仏果にいたりあしき弟子をたくはひぬれば師弟地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず』
◇希望の明日へ
ボーダーレス時代にあっては、新たな"知"のあり方が求められている。知識のみが独り歩きして、核時代や地球規模の環境破壊を招き寄せてしまった旧来の"知"ではなく、世界の平和や民衆の幸福に奉仕し、国益よりも、むしろ人類益にこそ奉仕しゆく全体知、総合知をめざすべきであろう。
平2・8・23
☆「仏法は勝負である」 本部幹部会 S28.12.21
わたくしは、毎月諸君らの確信を聞くたびに、悲しい気がする。
というのは、折伏をするのが、まるで数字の計算のようであるからだ。
どこそこが勝った、やれ負けたと相撲か、野球でも見るような気持ちで来る人が、この中にいるんです。しかし、折伏は遊戯のようにやっても功徳がある。相撲を見て、自分のひいきが負ければ悲しいし、入場料を損する。ここは、ただで見られる。
仏法は勝負で、国法は正邪、世法は評判である。
この三つがわからぬと戸田の哲学がわからない。
やみの米を運ぶことが、良いか悪いかと聞かれる。病に病んでいる夫を持ち、子を持っているならば、どうするのだ。どしどし、やみ米を運びなさいという。
国家できめた国法では悪いが、仏法では悪くない。国民の生活を維持できないのは、国の政治が悪いのではないか。つかまらないようにやるのが仏法だ。
国法と仏法とけんかして、仏法は必ず勝つ。戸田は悪人であると評判しても、罰することは出来まい。
罰せられるようなことをしないわたくしは、こんど謗法しました。いままで謗法しないと思うた。しかし謗法はよくやるが、わからぬのだ。
わたくしは、病気で気持ちが悪いときがあった。声がでなくなり、のどがつまり、息ができぬ。その原因は、本部ができて、嬉しくてたまらなかった。さぞかし、静かであろうと思ったら、毎日題目でわんわんであり、うるさいと思った。とたんに謗法でこのとおりになっていた。
ただ題目をとなえれば良い。うんとあげなさい。
もうひとつ、謗法しては悪いから言うとくそれは子どもがきていろいろこわす。
どんどんきてこわしている。これを、こわされる方も謗法であれば、こわす方も謗法である。
ゆえに、いま懺悔している。ほんとうに懺悔しているのは、御本尊様に向かう以外にない。
いまぼくが三百円盗んだとする。懺悔できない。言ったらいけない。キリストと違う。
これを「まさに懺悔せんと欲せば端座して実相を想え。衆罪は霜露の如し。慧日良く之を消除す」といわれている。
これがほんとうの懺悔といわれる。題目を唱えれば良い。こんどの病気は懺悔してなおった。きょう、支部長がほらを吹いたから、きみたちもほらを吹くのだ。仏法ではほらの貝を法羅という。
本年十八万というが、そんなにやらなくてもよい。八万で結構だ。十五万できれば広宣流布できることを知っている。いくらやっても、学問教育がなかったら、なにごともできぬ。虱の集団である。
来年二十五万世帯になったら、手に負えない。わたくしが教学を立てなければつぶれる。会長の願いは、十八万やらなくてもよいから、八万やってもらいたい。
苦労は即「充実」
忍耐は即「栄光」
青年よ 負けるな!
友情と感動のドラマを
思う存分に綴れ!
2014年06月23日
華果成就御書 P900
『よき弟子をもつときんば師弟仏果にいたりあしき弟子をたくはひぬれば師弟地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず』
◇希望の明日へ
ボーダーレス時代にあっては、新たな"知"のあり方が求められている。知識のみが独り歩きして、核時代や地球規模の環境破壊を招き寄せてしまった旧来の"知"ではなく、世界の平和や民衆の幸福に奉仕し、国益よりも、むしろ人類益にこそ奉仕しゆく全体知、総合知をめざすべきであろう。
平2・8・23
☆「仏法は勝負である」 本部幹部会 S28.12.21
わたくしは、毎月諸君らの確信を聞くたびに、悲しい気がする。
というのは、折伏をするのが、まるで数字の計算のようであるからだ。
どこそこが勝った、やれ負けたと相撲か、野球でも見るような気持ちで来る人が、この中にいるんです。しかし、折伏は遊戯のようにやっても功徳がある。相撲を見て、自分のひいきが負ければ悲しいし、入場料を損する。ここは、ただで見られる。
仏法は勝負で、国法は正邪、世法は評判である。
この三つがわからぬと戸田の哲学がわからない。
やみの米を運ぶことが、良いか悪いかと聞かれる。病に病んでいる夫を持ち、子を持っているならば、どうするのだ。どしどし、やみ米を運びなさいという。
国家できめた国法では悪いが、仏法では悪くない。国民の生活を維持できないのは、国の政治が悪いのではないか。つかまらないようにやるのが仏法だ。
国法と仏法とけんかして、仏法は必ず勝つ。戸田は悪人であると評判しても、罰することは出来まい。
罰せられるようなことをしないわたくしは、こんど謗法しました。いままで謗法しないと思うた。しかし謗法はよくやるが、わからぬのだ。
わたくしは、病気で気持ちが悪いときがあった。声がでなくなり、のどがつまり、息ができぬ。その原因は、本部ができて、嬉しくてたまらなかった。さぞかし、静かであろうと思ったら、毎日題目でわんわんであり、うるさいと思った。とたんに謗法でこのとおりになっていた。
ただ題目をとなえれば良い。うんとあげなさい。
もうひとつ、謗法しては悪いから言うとくそれは子どもがきていろいろこわす。
どんどんきてこわしている。これを、こわされる方も謗法であれば、こわす方も謗法である。
ゆえに、いま懺悔している。ほんとうに懺悔しているのは、御本尊様に向かう以外にない。
いまぼくが三百円盗んだとする。懺悔できない。言ったらいけない。キリストと違う。
これを「まさに懺悔せんと欲せば端座して実相を想え。衆罪は霜露の如し。慧日良く之を消除す」といわれている。
これがほんとうの懺悔といわれる。題目を唱えれば良い。こんどの病気は懺悔してなおった。きょう、支部長がほらを吹いたから、きみたちもほらを吹くのだ。仏法ではほらの貝を法羅という。
本年十八万というが、そんなにやらなくてもよい。八万で結構だ。十五万できれば広宣流布できることを知っている。いくらやっても、学問教育がなかったら、なにごともできぬ。虱の集団である。
来年二十五万世帯になったら、手に負えない。わたくしが教学を立てなければつぶれる。会長の願いは、十八万やらなくてもよいから、八万やってもらいたい。
2014.06.22 わが友に贈る
妙法を語る人にも
聞く人にも
偉大な功徳が!
大確信の祈りで
下種仏法の実践を!
佐渡御書 P956
『此文は富木殿のかた三郎左衛門殿大蔵たうのつじ十郎入道殿等さじきの尼御前一一に見させ給べき人人の御中へなり、京鎌倉に軍に死る人人を書付てたび候へ』
◇希望の明日へ
東西の冷戦状態に終止符が打たれた今、もはや仮想敵国は存在しなくなったという意味で、エネミーレス(敵・敵性対象の消滅)という言葉がしきりに使われるようになった。しかし、核兵器という最大の脅威は依然として残っており、地球環境の破壊や貧困といった問題から派生するさまざまな人道上の脅威は、少しも軽減されていない。まさに国益にとらわれず人類益というグローバルな視座から、解決の方途を求めねばならない正念場の時を迎えている。
平2・8・20
☆大白蓮華巻頭言昭和31年2月号 「自らの命に生きよ」
人々の生活を見るときに、失敗の責任が、自分には無くて他人にあるようにいう人がある。十界互具、一念三千を説く大仏法を信ずるわれわれは、日常の生活の責任が、ことごとく自分にあるということを知らなくてはならない。
貧乏して悩むのも、事業に失敗して苦しむのも、夫婦喧嘩をして悲哀を味合うのも、それは皆自己自身の生活である。
すなわち、自己自身の生命現象の発露である。
かく考えるならば、いっさいの人生生活は、自己の生命の変化である。
ゆえに、よりよく変化して、絶えず幸福をつかんでいくことが大事ではないか。
されば、自己自身に生きよ・・いや、自己自身に生きる以外にはないのだ、ということを知らなければならない。
あの人が、こうしてくれればよいのだとか、この世の中がこうであればしあわせなのだといって、他人に生き、対境に生きるということは間違いではないか。
しかし、人間の力というものは弱いものである。
自己自身に生きていると、いかに力んでみても、他人に支配され、対境に支配されやすいものである。
されば、いかに観念的に、自己自身、自ら生きていると力んでみても、それで、幸福であると言えない場合が多い。そこで、自己自身の生命が、もっとも強く、もっとも輝かしく、もっとも幸福であるためには、十界互具、一念三千の仏法に生きる以外はないと、吾人は信ずるものである。
これこそ、七百年前に、日蓮大聖人が、大宇宙に呼号なされた大哲理である。
われらを、幼稚なる者と呼んで、一念三千の珠を授けて、幸福境涯を獲得せしめるとおおせられたのは、このゆえで、その一念三千の珠とは、弘安二年十月十二日ご図顕の大御本尊であらせられる。
されば、末代幼稚の輩は、この大御本尊を信じまいらせて、強くりっぱに自己自身に生きようではないか。
聞く人にも
偉大な功徳が!
大確信の祈りで
下種仏法の実践を!
佐渡御書 P956
『此文は富木殿のかた三郎左衛門殿大蔵たうのつじ十郎入道殿等さじきの尼御前一一に見させ給べき人人の御中へなり、京鎌倉に軍に死る人人を書付てたび候へ』
◇希望の明日へ
東西の冷戦状態に終止符が打たれた今、もはや仮想敵国は存在しなくなったという意味で、エネミーレス(敵・敵性対象の消滅)という言葉がしきりに使われるようになった。しかし、核兵器という最大の脅威は依然として残っており、地球環境の破壊や貧困といった問題から派生するさまざまな人道上の脅威は、少しも軽減されていない。まさに国益にとらわれず人類益というグローバルな視座から、解決の方途を求めねばならない正念場の時を迎えている。
平2・8・20
☆大白蓮華巻頭言昭和31年2月号 「自らの命に生きよ」
人々の生活を見るときに、失敗の責任が、自分には無くて他人にあるようにいう人がある。十界互具、一念三千を説く大仏法を信ずるわれわれは、日常の生活の責任が、ことごとく自分にあるということを知らなくてはならない。
貧乏して悩むのも、事業に失敗して苦しむのも、夫婦喧嘩をして悲哀を味合うのも、それは皆自己自身の生活である。
すなわち、自己自身の生命現象の発露である。
かく考えるならば、いっさいの人生生活は、自己の生命の変化である。
ゆえに、よりよく変化して、絶えず幸福をつかんでいくことが大事ではないか。
されば、自己自身に生きよ・・いや、自己自身に生きる以外にはないのだ、ということを知らなければならない。
あの人が、こうしてくれればよいのだとか、この世の中がこうであればしあわせなのだといって、他人に生き、対境に生きるということは間違いではないか。
しかし、人間の力というものは弱いものである。
自己自身に生きていると、いかに力んでみても、他人に支配され、対境に支配されやすいものである。
されば、いかに観念的に、自己自身、自ら生きていると力んでみても、それで、幸福であると言えない場合が多い。そこで、自己自身の生命が、もっとも強く、もっとも輝かしく、もっとも幸福であるためには、十界互具、一念三千の仏法に生きる以外はないと、吾人は信ずるものである。
これこそ、七百年前に、日蓮大聖人が、大宇宙に呼号なされた大哲理である。
われらを、幼稚なる者と呼んで、一念三千の珠を授けて、幸福境涯を獲得せしめるとおおせられたのは、このゆえで、その一念三千の珠とは、弘安二年十月十二日ご図顕の大御本尊であらせられる。
されば、末代幼稚の輩は、この大御本尊を信じまいらせて、強くりっぱに自己自身に生きようではないか。
2014.06.21 わが友に贈る
未入会のご家族に
最大の感謝と配慮を!
温かな理解と協力で
広宣流布は前進。
幸福の大道を共に!
春初御消息 P1585
『過去の仏は凡夫にておはしまし候いし時五濁乱漫の世にかかる飢えたる法華経の行者をやしなひて仏にはならせ給うぞとみえて候へば法華経まことならば此の功徳によりて過去の慈父は成仏疑なし』
◇希望の明日へ
今日、核兵器という一般の人の手の届かないものによって、地球の運命が左右されようとしている。こうした異常な事態に対して、人間はただ手をこまねいて傍観しているわけにはいかない。まさに人類一人一人が世界市民として連帯し、この狂気の事態を正常な状態に戻さねばならない。
平3・6・27
☆勝利の人間学 第54回 先駆の使命の学生部
◇力ある人間指導者に
夕張事件、大阪事件——「三類の強敵」が競い起こる中、わが学生部は誕生した。
恩師・戸田城聖先生は、「ただ嬉しいという言葉以外にない」と喜ばれた。
正義の力ある人間指導者よ、踊り出でよ!
権力の魔性と戦う矢面にあって、私は北海天地から祈りを込めてメッセージを送った。
日蓮大聖人は、『智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』(P1466、「減劫御書」)と仰せである。
男女学生部の皆さんは、どこまでも民衆を守り抜き、社会に勝利の旗を打ち立てる英知と勇気のリーダーに成長していただきたい。
◇苦労と挑戦の日々を
苦労即鍛錬である。悩みを恐れず、労苦をいとわず、黄金の青春の劇を創造するのだ。その中でこそ、心も頭も体も鍛え上げられる。全てが自分のかけがえのない財産となる。
挑戦即勝利である。あえて高い目標に挑むのだ。自らの無限の可能性を開拓するのだ。
祈って、動いて、戦い抜いて、失敗してもなお挑戦し続けた人が、最後は必ず勝つ。
私も働きながら夜学で学んだ。師匠の事業を支える悪戦苦闘の渦中も、研鑽を止めなかった。大変だったからこそ、今の私がある。
『鉄は炎打てば剣となる』(P958、「佐渡御書」)との御聖訓を、若き宝剣の皆さんに贈りたい。
◇大目的を胸に学び抜け
牧口常三郎先生は、軍部政府の弾圧によって投獄された独房で「青年時代からあこがれて居た本が読めるので、却つて幸ひである」(獄中書簡)と悠然と学ばれていた。
学ぶことは、人間の最高の権利である。
人は学び続ける限り、行き詰まらない。幸福勝利の軌道を向上していける。
ゆえに君よ、貴女よ、今日も学びゆけ!
我ら創価の人間革命の運動は、100年先、200年先の人類が進む平和の大道を開いているのである。その偉大な大目的に向かって、「先駆」の誇りに燃え、学び勝ちゆけ!
最大の感謝と配慮を!
温かな理解と協力で
広宣流布は前進。
幸福の大道を共に!
春初御消息 P1585
『過去の仏は凡夫にておはしまし候いし時五濁乱漫の世にかかる飢えたる法華経の行者をやしなひて仏にはならせ給うぞとみえて候へば法華経まことならば此の功徳によりて過去の慈父は成仏疑なし』
◇希望の明日へ
今日、核兵器という一般の人の手の届かないものによって、地球の運命が左右されようとしている。こうした異常な事態に対して、人間はただ手をこまねいて傍観しているわけにはいかない。まさに人類一人一人が世界市民として連帯し、この狂気の事態を正常な状態に戻さねばならない。
平3・6・27
☆勝利の人間学 第54回 先駆の使命の学生部
◇力ある人間指導者に
夕張事件、大阪事件——「三類の強敵」が競い起こる中、わが学生部は誕生した。
恩師・戸田城聖先生は、「ただ嬉しいという言葉以外にない」と喜ばれた。
正義の力ある人間指導者よ、踊り出でよ!
権力の魔性と戦う矢面にあって、私は北海天地から祈りを込めてメッセージを送った。
日蓮大聖人は、『智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』(P1466、「減劫御書」)と仰せである。
男女学生部の皆さんは、どこまでも民衆を守り抜き、社会に勝利の旗を打ち立てる英知と勇気のリーダーに成長していただきたい。
◇苦労と挑戦の日々を
苦労即鍛錬である。悩みを恐れず、労苦をいとわず、黄金の青春の劇を創造するのだ。その中でこそ、心も頭も体も鍛え上げられる。全てが自分のかけがえのない財産となる。
挑戦即勝利である。あえて高い目標に挑むのだ。自らの無限の可能性を開拓するのだ。
祈って、動いて、戦い抜いて、失敗してもなお挑戦し続けた人が、最後は必ず勝つ。
私も働きながら夜学で学んだ。師匠の事業を支える悪戦苦闘の渦中も、研鑽を止めなかった。大変だったからこそ、今の私がある。
『鉄は炎打てば剣となる』(P958、「佐渡御書」)との御聖訓を、若き宝剣の皆さんに贈りたい。
◇大目的を胸に学び抜け
牧口常三郎先生は、軍部政府の弾圧によって投獄された独房で「青年時代からあこがれて居た本が読めるので、却つて幸ひである」(獄中書簡)と悠然と学ばれていた。
学ぶことは、人間の最高の権利である。
人は学び続ける限り、行き詰まらない。幸福勝利の軌道を向上していける。
ゆえに君よ、貴女よ、今日も学びゆけ!
我ら創価の人間革命の運動は、100年先、200年先の人類が進む平和の大道を開いているのである。その偉大な大目的に向かって、「先駆」の誇りに燃え、学び勝ちゆけ!
2014年6月20日金曜日
2014.06.20 わが友に贈る
多忙な日々の中で
地域貢献に励む友を
最大に讃えよう!
仏法即社会の実践が
信頼の輪を広げる。
四条金吾殿御消息 P1114
『法師品に云く「則遣変化人為之作衛護」疑あるべからず、安楽行品に云く「刀杖不加」普門品に云く「刀尋段段壊」此等の経文よも虚事にては候はじ』
◇希望の明日へ
世界は今、対話と協調の新しい時代に突入しつつある。こうした平和への流れを、より確かなものとして定着させ、本格的な軍縮を実現するための第一歩として、創価学会は核実験の即時全面禁止を要請している。
平2・5・7
☆2006年3月度本幹で紹介された先生のスピーチ
広宣流布の大回転にあっても、新しい人材が爆発的に誕生すべきである。スターバストを例にしながら言及。今こそ勇気と戦闘力と学会精神を爆発的に爆発させていく時である。
その戦いの根本は何か。自分自身の人間革命である。組織をどう動かすかではない。自分を革命することだ。自分が生まれ変わっていくことだ。
一番地道な人が一番偉大です。大聖人の仏法は、逆境にある人が必ず幸せになる宗教である。信心で苦難に立ち向かえば、すごい仏の力が出る。その人こそ本当にみなを励ますことができ、悩める人の味方になることができるのだとの、戸田先生の指導を紹介された。
☆御書講義の心構えについて
1.熟読すること
2.明快に解釈すること
3.理論的であること
4.必ず体験を通し幅広く講義すること
地域貢献に励む友を
最大に讃えよう!
仏法即社会の実践が
信頼の輪を広げる。
四条金吾殿御消息 P1114
『法師品に云く「則遣変化人為之作衛護」疑あるべからず、安楽行品に云く「刀杖不加」普門品に云く「刀尋段段壊」此等の経文よも虚事にては候はじ』
◇希望の明日へ
世界は今、対話と協調の新しい時代に突入しつつある。こうした平和への流れを、より確かなものとして定着させ、本格的な軍縮を実現するための第一歩として、創価学会は核実験の即時全面禁止を要請している。
平2・5・7
☆2006年3月度本幹で紹介された先生のスピーチ
広宣流布の大回転にあっても、新しい人材が爆発的に誕生すべきである。スターバストを例にしながら言及。今こそ勇気と戦闘力と学会精神を爆発的に爆発させていく時である。
その戦いの根本は何か。自分自身の人間革命である。組織をどう動かすかではない。自分を革命することだ。自分が生まれ変わっていくことだ。
一番地道な人が一番偉大です。大聖人の仏法は、逆境にある人が必ず幸せになる宗教である。信心で苦難に立ち向かえば、すごい仏の力が出る。その人こそ本当にみなを励ますことができ、悩める人の味方になることができるのだとの、戸田先生の指導を紹介された。
☆御書講義の心構えについて
1.熟読すること
2.明快に解釈すること
3.理論的であること
4.必ず体験を通し幅広く講義すること
2014年6月19日木曜日
2014.06.19 わが友に贈る
新時代を先駆する
俊英の学生部よ!
師弟の精神を胸に
勇気光る対話で
拡大の黄金の歴史を!
法華初心成仏抄 P553
『なにしにか仏は強いて法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべしと説き我不愛身命とは仰せらるべきや、よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり』
◇希望の明日へ
核兵器が、なぜ"絶対悪"であるのか−−それは、核兵器が、通常兵器の延長線上では考えられない、否、考えてはならない、いわば、運命的兵器だからである。黙示録的兵器といってもよい。それは、通常兵器に対するのとは異なった対応と、思考様式をわれわれに要請している。
昭61・1・26
☆今日の発心 2014.06.15
『我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』富木殿御書(P970)
◇通解
わが一門の者は夜は眠りを断ち、昼は暇なくこのことを思案しなさい。一生空しく過ごして万歳に悔いることがあってはならない。
【わが地域に対話の大旋風を】
寸暇を惜しんで仏法を学び、邪法を破折するなど、悔いない一生を送るよう教えられています。
1994年(平成6年)、転勤のため、福岡から千葉へ転居。仕事は多忙を極め、学会活動との両立に悩みました。
男子部の先輩から「できないことを嘆くより、今できる最大の戦いに挑戦しよう」と励まされ、反省。その日から、仏法対話や男子部メンバーの激励について目標を定め、挑戦を開始しました。大変でしたが、数々の感動的な思い出を刻むことができました。
2001年9月に東京牧口記念会館で行われた第1回「千葉青年部総会」で渾身の指導をしてくださった池田先生の姿は、生涯忘れることができません。「平和を願うならば、平和の準備をせよ! すなわち、断固として広宣流布せよ!」との師子吼に、いかなる困難に直面しても、先生と共に、広布へ前進しようと決意しました。
来月に開催される「第1総千葉創価青年平和大会」に向け、勢いよく進む青年部と共に、勇気凜々と対話の大旋風を起こし、師弟勝利の新たな金字塔を築きます。
千葉・佐倉総県長 陣ノ内善信
◎あの時、参加したメンバーには、胸にこみ上げてくるシーンですね(^^♪
俊英の学生部よ!
師弟の精神を胸に
勇気光る対話で
拡大の黄金の歴史を!
法華初心成仏抄 P553
『なにしにか仏は強いて法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべしと説き我不愛身命とは仰せらるべきや、よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり』
◇希望の明日へ
核兵器が、なぜ"絶対悪"であるのか−−それは、核兵器が、通常兵器の延長線上では考えられない、否、考えてはならない、いわば、運命的兵器だからである。黙示録的兵器といってもよい。それは、通常兵器に対するのとは異なった対応と、思考様式をわれわれに要請している。
昭61・1・26
☆今日の発心 2014.06.15
『我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』富木殿御書(P970)
◇通解
わが一門の者は夜は眠りを断ち、昼は暇なくこのことを思案しなさい。一生空しく過ごして万歳に悔いることがあってはならない。
【わが地域に対話の大旋風を】
寸暇を惜しんで仏法を学び、邪法を破折するなど、悔いない一生を送るよう教えられています。
1994年(平成6年)、転勤のため、福岡から千葉へ転居。仕事は多忙を極め、学会活動との両立に悩みました。
男子部の先輩から「できないことを嘆くより、今できる最大の戦いに挑戦しよう」と励まされ、反省。その日から、仏法対話や男子部メンバーの激励について目標を定め、挑戦を開始しました。大変でしたが、数々の感動的な思い出を刻むことができました。
2001年9月に東京牧口記念会館で行われた第1回「千葉青年部総会」で渾身の指導をしてくださった池田先生の姿は、生涯忘れることができません。「平和を願うならば、平和の準備をせよ! すなわち、断固として広宣流布せよ!」との師子吼に、いかなる困難に直面しても、先生と共に、広布へ前進しようと決意しました。
来月に開催される「第1総千葉創価青年平和大会」に向け、勢いよく進む青年部と共に、勇気凜々と対話の大旋風を起こし、師弟勝利の新たな金字塔を築きます。
千葉・佐倉総県長 陣ノ内善信
◎あの時、参加したメンバーには、胸にこみ上げてくるシーンですね(^^♪
2014年6月18日水曜日
2014.06.18 わが友に贈る
勇気の人は明るい。
信念の人は朗らか。
さあ今日も
誓願の題目から出発!
周囲に活力送る日々を。
諸法実相抄 P1359
『たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞかたにかけせなかにをふべきぞ大善根の者にてあるぞ』
◇希望の明日へ
ごく普通の一般市民が担う反核・反戦の運動の高揚と国境を超えた広がりは、新しい民衆の時代の胎動を感じさせるものである。核兵器の廃絶を求め、飢餓や貧困を地上から追放しようとする平和、人権、環境保護のための民衆の運動が、政府や国際機構と並んで強力な組織体として活発に活動していることの意義は、いくら強調してもしすぎることはない。
昭61・1・26
☆名誉会長と共に 新時代を開く 第22回 あの人を人材に!幸福に!
◇時代を動かすのは青年だ。
今、日本の各地で、男子部が大いなる弘教のうねりを起こしている。女子部も、婦人部の温かい励ましのもと、楽しく、にぎやかにスクラムを広げている。先駆の学生部も凛々しい。創価家族に育まれ、大勢の未来部が、青年大会に集っている。
うれしい限りだ。わが愛する後継の友の健康・無事故・大成長を、私は毎日、一生懸命、祈っている。
あの人を人材に!
この人も幸福に!
強き祈りと大誠実ありて、人は動く。友が奮い立つ。
深き誓願で同志と結ばれれば、何倍もの力が出る。そこから新たな歴史が始まる。
戸田先生は語られた。
「広宣流布は長い。一生の戦いである。いな、永遠の戦いである。たとえ苦闘の嵐があっても、君たちよ、断じて負けるな!」
広宣流布の大願があるゆえに、我らは断じて負けない。
我らの生命には、偉大なる勇気と希望の太陽がある。この太陽を、共々に励まし合い、限りなく輝き光らせていくのだ。
信心こそ勝利である。信心こそ栄光である。信心こそ永遠の凱歌である。
日蓮大聖人は、病と闘う弟子に「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」『而して法華経にあわせ給いぬ一日もいきてをはせば功徳つもるべし』(P986)と信仰の真髄を教えておられる。
何があろうと、恐れることはない。いざという時こそ、もう一歩、強盛なる執念で、題目を唱え抜いていくことだ。
大事なのは、勇猛精進の祈りだ。師子奮迅の戦いだ。異体同心の前進である。
君よ、貴女よ、わが青春を、悔いなき勝利の劇で飾れ!勝って勝って勝ち抜いて飾れ!
信念の人は朗らか。
さあ今日も
誓願の題目から出発!
周囲に活力送る日々を。
諸法実相抄 P1359
『たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞかたにかけせなかにをふべきぞ大善根の者にてあるぞ』
◇希望の明日へ
ごく普通の一般市民が担う反核・反戦の運動の高揚と国境を超えた広がりは、新しい民衆の時代の胎動を感じさせるものである。核兵器の廃絶を求め、飢餓や貧困を地上から追放しようとする平和、人権、環境保護のための民衆の運動が、政府や国際機構と並んで強力な組織体として活発に活動していることの意義は、いくら強調してもしすぎることはない。
昭61・1・26
☆名誉会長と共に 新時代を開く 第22回 あの人を人材に!幸福に!
◇時代を動かすのは青年だ。
今、日本の各地で、男子部が大いなる弘教のうねりを起こしている。女子部も、婦人部の温かい励ましのもと、楽しく、にぎやかにスクラムを広げている。先駆の学生部も凛々しい。創価家族に育まれ、大勢の未来部が、青年大会に集っている。
うれしい限りだ。わが愛する後継の友の健康・無事故・大成長を、私は毎日、一生懸命、祈っている。
あの人を人材に!
この人も幸福に!
強き祈りと大誠実ありて、人は動く。友が奮い立つ。
深き誓願で同志と結ばれれば、何倍もの力が出る。そこから新たな歴史が始まる。
戸田先生は語られた。
「広宣流布は長い。一生の戦いである。いな、永遠の戦いである。たとえ苦闘の嵐があっても、君たちよ、断じて負けるな!」
広宣流布の大願があるゆえに、我らは断じて負けない。
我らの生命には、偉大なる勇気と希望の太陽がある。この太陽を、共々に励まし合い、限りなく輝き光らせていくのだ。
信心こそ勝利である。信心こそ栄光である。信心こそ永遠の凱歌である。
日蓮大聖人は、病と闘う弟子に「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」『而して法華経にあわせ給いぬ一日もいきてをはせば功徳つもるべし』(P986)と信仰の真髄を教えておられる。
何があろうと、恐れることはない。いざという時こそ、もう一歩、強盛なる執念で、題目を唱え抜いていくことだ。
大事なのは、勇猛精進の祈りだ。師子奮迅の戦いだ。異体同心の前進である。
君よ、貴女よ、わが青春を、悔いなき勝利の劇で飾れ!勝って勝って勝ち抜いて飾れ!
2014年6月17日火曜日
2014.06.17 わが友に贈る
若き友の成長こそ
未来の希望なり!
壮年部と婦人部の
祈りと励ましで
人材の流れを大河に!
新池殿御消息 P1437
『諸経は随他意なり仏一切衆生の心に随ひ給ふ故に、法華経は随自意なり一切衆生を仏の心に随へたり、諸経は仏説なれども是を信ずれば衆生の心にて永く仏にならず、法華経は仏説なり仏智なり一字一点も是を深く信ずれば我が身即仏となる』
◇希望の明日へ
核兵器やそのシステムが、人間の手で作り上げられたものであるかぎり、人間の手によって、それを縮小し廃絶することができないはずはない。もし手をこまねいているとすれば、創価学会は後世から、夢を迫ってばかりいた"無気力者″との汚名を着せられてしまうであろう。それどころか、その後世の存在すら危うくしかねないのが、現在の核兵器による"全体的破滅″の脅威である。
昭60・1・26
☆光の言葉 幸福の曲 意気に燃えてこそ「壮年」
壮年の「壮」の字には、
「勢いが盛ん」
「意気に燃えている」
等の意味があり、
ほかにも「元気づける」
という意がある。
自分だけでなく、
周囲を励ます力を持つのが、
「壮年」とはいえまいか。
青年にあれこれ言うのではなく、
率先して模範の姿を示していこう。
大事なのは「今」である。
壮年が立ち上がるのだ。
仏法は勝負だ。
断じて勝たねばならない。
その偉大な父の背に、
青年が陸続と続くのだ。
人間同士の交流が希薄な現代だ。
だからこそ今は、
いぶし銀のように
"黙して語らず"よりも、
気さくな「おじさん」の
励ましの一言の方が、
金の光を放つ。
壮年は皆、
それぞれ風雪に鍛えられた
顔を持っている。
だが、そこに醸し出される威厳と
"威張る"ことは違う。
気難しくなったり
気取ったりせず、
周囲に心を配り、声を掛け、
何か手を差し伸べていくことだ。
ご主人が朗らかで、
毎日愉快な気持ちであれば、
家族も楽しく安心する。
笑顔と思いやりの一言があれば、
奥様の方でも態度は変わる。
お互いに、
温かな笑顔で朗らかに、
毎日を生きていただきたい。
カーネーションが彩る「母の日」に比べると地味であるが、今日6月15日は「父の日」である。
全国で今、婦人部の希望総会が真っ盛り、だが、多忙な中でも、わずかの時間でいい。社会と地域で踏ん張る壮年陣に、家族と同志から、ねぎらいの言葉を掛けたい。
未来の希望なり!
壮年部と婦人部の
祈りと励ましで
人材の流れを大河に!
新池殿御消息 P1437
『諸経は随他意なり仏一切衆生の心に随ひ給ふ故に、法華経は随自意なり一切衆生を仏の心に随へたり、諸経は仏説なれども是を信ずれば衆生の心にて永く仏にならず、法華経は仏説なり仏智なり一字一点も是を深く信ずれば我が身即仏となる』
◇希望の明日へ
核兵器やそのシステムが、人間の手で作り上げられたものであるかぎり、人間の手によって、それを縮小し廃絶することができないはずはない。もし手をこまねいているとすれば、創価学会は後世から、夢を迫ってばかりいた"無気力者″との汚名を着せられてしまうであろう。それどころか、その後世の存在すら危うくしかねないのが、現在の核兵器による"全体的破滅″の脅威である。
昭60・1・26
☆光の言葉 幸福の曲 意気に燃えてこそ「壮年」
壮年の「壮」の字には、
「勢いが盛ん」
「意気に燃えている」
等の意味があり、
ほかにも「元気づける」
という意がある。
自分だけでなく、
周囲を励ます力を持つのが、
「壮年」とはいえまいか。
青年にあれこれ言うのではなく、
率先して模範の姿を示していこう。
大事なのは「今」である。
壮年が立ち上がるのだ。
仏法は勝負だ。
断じて勝たねばならない。
その偉大な父の背に、
青年が陸続と続くのだ。
人間同士の交流が希薄な現代だ。
だからこそ今は、
いぶし銀のように
"黙して語らず"よりも、
気さくな「おじさん」の
励ましの一言の方が、
金の光を放つ。
壮年は皆、
それぞれ風雪に鍛えられた
顔を持っている。
だが、そこに醸し出される威厳と
"威張る"ことは違う。
気難しくなったり
気取ったりせず、
周囲に心を配り、声を掛け、
何か手を差し伸べていくことだ。
ご主人が朗らかで、
毎日愉快な気持ちであれば、
家族も楽しく安心する。
笑顔と思いやりの一言があれば、
奥様の方でも態度は変わる。
お互いに、
温かな笑顔で朗らかに、
毎日を生きていただきたい。
カーネーションが彩る「母の日」に比べると地味であるが、今日6月15日は「父の日」である。
全国で今、婦人部の希望総会が真っ盛り、だが、多忙な中でも、わずかの時間でいい。社会と地域で踏ん張る壮年陣に、家族と同志から、ねぎらいの言葉を掛けたい。
2014年6月16日月曜日
2014.06.16 わが友に贈る
◇今週のことば
勇者は最前線に光る。
リーダー率先こそ
広布拡大の鉄則だ。
今日も誉れの同志と
尊き使命の現場を走れ!
2014年06月16日
阿仏房御書 P1304
『多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり』
◇希望の明日へ
大聖人の仏法は「立正安国」の大法である。妙法を唱える人が増えれば、その国、その社会は、根本的に、繁栄へのリズムに乗っていく。これほどの永遠的な民衆への貢献はない。
平6・4・16
☆わが町わが誇り 千葉 松戸総県 宝の人生を共に生き抜け
東京の葛飾・柴又から、江戸川を越えると千葉・松戸の矢切。「矢切の渡し」の船が、今も往来している。
松戸広布の草創期、学会の同志も、弘教や訪問激励に、この渡し船を利用したという。
松戸市は、人口48万の千葉県第3の都市。柏市などと、県北西部に一大都市圏を形成している。
ある地域の第2、第3の規模の組織を、強い「心臓部」「電源地」に育て、中心地を刺激することによって、地域全体の広布の勢いを増していく——これが池田名誉会長の"将軍学"の一つ。
神奈川であれば川崎、大阪であれば堺、兵庫であれば尼崎である。
千葉において、名誉会長が「心臓部」と呼んだのが松戸総県であった。
「松戸、市川、柏は千葉の心臓部、大きく言うならば日本の心臓部ともなっていただきたい」
1982年(昭和57年)6月9日、松戸会館を訪れ、3圏合同の勤行会で励ました。これが、松戸の永遠の指針となった。
市川市内の功労者宅を訪れた後、同日午後、松戸初訪問を果たした名誉会長。
勤行会だけでなく、その前後にも、3圏の中心者と懇談し、功労者や運営役員らを激励する手を休めることはなかった。
当日、男子部の役員として参加した木下茂太郎さん(副総県長)。
激励を終え、玄関に向かう名誉会長に駆け寄り、「ありがとうございました!」。感謝を伝えたいという、いちずな思いからの行動だった。
名誉会長は「優しくね」といって、手を差し出した。
「"優しく握手しよう"という意味だと思いました。お疲れのはずなのに、一青年のぶしつけな行動に、真心で応えてくださった。先生の手の温もり、やわらかさは忘れられません」と木下さん。
自宅は、同会館と目と鼻の先にあり、「近隣を大切に」との思いは、人一倍強い。
父の代から町会で活動し、現在は副会長。「友好を重ねてきたからでしょう。今では『夜に会館の明かりを見るとホッとする』といってくれる人もいるんです」と喜ぶ。
同じく役員として参加した熊谷敬さん(副第3総千葉長)。
長年、中華料理店や、企業の社員食堂を営んできた経験などを生かし、仕事を退いた今は、地域の行事で、豚汁作りや出店の調理を買って出る。
学会においては圏長、県長等を歴任。名誉会長から数々の激励を受けてきた感謝は尽きない。
地域の友人、同志の垣根なく、一人一人を訪ねて、声を掛け、励ます日々。「地域のため、できることは、やらせてもらおうと思っています!」
さらに、千種恵美子さん(婦人部主事)、高山安雄さん(県主事)、斎藤輝子さん(県婦人部主事)ら、当時参加した友が、今も元気で広布の最前線へ。
「長寿であってください。妙法とともに、広布とともに、学会と共に生き抜いてください」
——あの日の励ましを胸に、訪問激励、地域友好に歩いている。
「青年の鍛錬が必要です」。これも21世紀を展望しつつ、松戸で示された指針の一つだった。
総県青年部では今、第3総千葉の創価青年大会(7月)へ向けて、拡大の勢いが増している。
大会で、ダンスに出演する岡田卓也さん(地区副リーダー)は入会して6年。両親と共に梨園を営む。
松戸は「20世紀梨」が生まれた地で、梨にちなんだ地名も多い。岡田さんの所属する支部も「梨香台支部」だ。
東京で一度は就職したが、岡田さんで6代目になる家業を継ぐと決め、3年前に松戸に戻った。
後継者不足で、廃業する梨園も多い中、直売の常連客を大切にしながら、新しい栽培技術の習得にも意欲的。今年から農協青年部や消防団の活動を始めた。
売り上げを大きく伸ばした昨年には、弘教も達成。「自分が、松戸の梨の伝統を受け継いでいきたい」と意気込む。
君もまた
私も三世の
同志かな
共に宝の
人生生きなむ
名誉会長が、松戸の友に贈った励ましの歌であ。老いも若きも、師と共に、松戸広布新時代へ——友は今、6・9の「松戸の日」記念月間を喜び進んでいる。
勇者は最前線に光る。
リーダー率先こそ
広布拡大の鉄則だ。
今日も誉れの同志と
尊き使命の現場を走れ!
2014年06月16日
阿仏房御書 P1304
『多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり』
◇希望の明日へ
大聖人の仏法は「立正安国」の大法である。妙法を唱える人が増えれば、その国、その社会は、根本的に、繁栄へのリズムに乗っていく。これほどの永遠的な民衆への貢献はない。
平6・4・16
☆わが町わが誇り 千葉 松戸総県 宝の人生を共に生き抜け
東京の葛飾・柴又から、江戸川を越えると千葉・松戸の矢切。「矢切の渡し」の船が、今も往来している。
松戸広布の草創期、学会の同志も、弘教や訪問激励に、この渡し船を利用したという。
松戸市は、人口48万の千葉県第3の都市。柏市などと、県北西部に一大都市圏を形成している。
ある地域の第2、第3の規模の組織を、強い「心臓部」「電源地」に育て、中心地を刺激することによって、地域全体の広布の勢いを増していく——これが池田名誉会長の"将軍学"の一つ。
神奈川であれば川崎、大阪であれば堺、兵庫であれば尼崎である。
千葉において、名誉会長が「心臓部」と呼んだのが松戸総県であった。
「松戸、市川、柏は千葉の心臓部、大きく言うならば日本の心臓部ともなっていただきたい」
1982年(昭和57年)6月9日、松戸会館を訪れ、3圏合同の勤行会で励ました。これが、松戸の永遠の指針となった。
市川市内の功労者宅を訪れた後、同日午後、松戸初訪問を果たした名誉会長。
勤行会だけでなく、その前後にも、3圏の中心者と懇談し、功労者や運営役員らを激励する手を休めることはなかった。
当日、男子部の役員として参加した木下茂太郎さん(副総県長)。
激励を終え、玄関に向かう名誉会長に駆け寄り、「ありがとうございました!」。感謝を伝えたいという、いちずな思いからの行動だった。
名誉会長は「優しくね」といって、手を差し出した。
「"優しく握手しよう"という意味だと思いました。お疲れのはずなのに、一青年のぶしつけな行動に、真心で応えてくださった。先生の手の温もり、やわらかさは忘れられません」と木下さん。
自宅は、同会館と目と鼻の先にあり、「近隣を大切に」との思いは、人一倍強い。
父の代から町会で活動し、現在は副会長。「友好を重ねてきたからでしょう。今では『夜に会館の明かりを見るとホッとする』といってくれる人もいるんです」と喜ぶ。
同じく役員として参加した熊谷敬さん(副第3総千葉長)。
長年、中華料理店や、企業の社員食堂を営んできた経験などを生かし、仕事を退いた今は、地域の行事で、豚汁作りや出店の調理を買って出る。
学会においては圏長、県長等を歴任。名誉会長から数々の激励を受けてきた感謝は尽きない。
地域の友人、同志の垣根なく、一人一人を訪ねて、声を掛け、励ます日々。「地域のため、できることは、やらせてもらおうと思っています!」
さらに、千種恵美子さん(婦人部主事)、高山安雄さん(県主事)、斎藤輝子さん(県婦人部主事)ら、当時参加した友が、今も元気で広布の最前線へ。
「長寿であってください。妙法とともに、広布とともに、学会と共に生き抜いてください」
——あの日の励ましを胸に、訪問激励、地域友好に歩いている。
「青年の鍛錬が必要です」。これも21世紀を展望しつつ、松戸で示された指針の一つだった。
総県青年部では今、第3総千葉の創価青年大会(7月)へ向けて、拡大の勢いが増している。
大会で、ダンスに出演する岡田卓也さん(地区副リーダー)は入会して6年。両親と共に梨園を営む。
松戸は「20世紀梨」が生まれた地で、梨にちなんだ地名も多い。岡田さんの所属する支部も「梨香台支部」だ。
東京で一度は就職したが、岡田さんで6代目になる家業を継ぐと決め、3年前に松戸に戻った。
後継者不足で、廃業する梨園も多い中、直売の常連客を大切にしながら、新しい栽培技術の習得にも意欲的。今年から農協青年部や消防団の活動を始めた。
売り上げを大きく伸ばした昨年には、弘教も達成。「自分が、松戸の梨の伝統を受け継いでいきたい」と意気込む。
君もまた
私も三世の
同志かな
共に宝の
人生生きなむ
名誉会長が、松戸の友に贈った励ましの歌であ。老いも若きも、師と共に、松戸広布新時代へ——友は今、6・9の「松戸の日」記念月間を喜び進んでいる。
2014.06.15 わが友に贈る
創価家族を守り
支える壮年部の皆様
いつもありがとう!
人知れぬ労苦と奮闘を
諸天・諸仏も賛嘆!
種種御振舞御 P911
『さりし程に念仏者持斎真言師等自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎尼ごぜんたちにとりつきて種種にかまへ申す』
◇希望の明日へ
弱き善は、つねに、強き悪に敗れてきた。残酷なようだが、これが歴史の実相である。この宿命を転換してこそ恒久的な平和がある。そのためには"強き善″"悪とは徹底して戦い、勝つ善″の勢力と連帯を広げていく以外にない。
平4・4・10
☆サッカーワールドカップ開幕へのメッセージ
貴・ブラジル連邦共和国で、64年ぶりに行われる待望のFIFAワールドカップの開幕に際し、ジルマ・ルセフ大統領はじめブラジル国民の皆様方、そしてサッカーを共にこよなく愛する全世界の皆様方へ、心からの祝福とエールを送らせていただきます。
「ブラジルの心」と「サッカーの心」は、幾重にも強く美しく響き合っております。
これは、1958年(昭和33年)にブラジルがスウェーデン大会で初優勝を果たした2年後に、憧れの貴国を初訪問して以来の私のいつわらざる実感であります。
その意味において、今回の歴史的なブラジル大会から、21世紀の世界へ赫々たる希望の光が広がりゆくことを、私は深く確信してやみません。
その希望の光の第一は、地球を結ぶ開かれた友情の力です。
貴国の文豪ジョゼ・リンス・ド・ヘゴは、「サッカーは、カーニバルのように友情を結ぶ力である」と語りました。
あらゆる民族や人種や宗教の差異を超えて、人間と人間を結び合い、心と心を高め合う——この一点において、「人種デモクラシーの大国」ブラジルの文化と、サッカーの文化は、共に何と力強い「平和の文化」の模範を、人類に示してくれていることでしょうか。
いまだ分断に苦しむ国際社会を照らす、かけがえのない平和と共生への希望の光が、ここにあります。
第二の希望の光は、人間の尊厳を謳い上げる信念の絆です。
本年3月、貴・ブラジルの代表チームは、南アフリカとの親善試合に、故ネルソン・マンデラ元大統領へ哀悼を捧げる腕章をつけて臨まれました。
その光景に、私は元大統領と出会いを重ねた一人として、熱い感動を禁じ得ませんでした。
思えば、マンデラ元大統領が、反アパルトヘイト(人種隔離)の獄中闘争を貫き通された、あの過酷なロベン島の刑務所にあっても、サッカーは「魂の自由と解放」、そして「人間の尊厳」の象徴としてプレーされ、それはやがて「虹の国」建設の大いなる力ともなっていきました。
貴国そして世界のサッカー・ファミリーは、断固たる信念の絆でいかなる差別や暴力にも屈することなく、人間の尊厳を誇り高く守り抜いておられます。私も最大の敬意を込めて、連帯の心を表したいのであります。
そして、第三の希望の光は、試練に怯まず未来のゴールへ挑みゆく勇気です。
サッカーは、どんな逆境も恐れず、最後まで諦めず、皆で力を合わせて、勝利へ挑戦し抜く勇気に満ちあふれております。
そして、その最高峰の祭典であるワールドカップそれ自体も、幾多の困難を勇敢に忍耐強く勝ち越えて、地球家族を一つに結合し、人類の生命を躍動させゆく大事業でありましょう。
ここで繰り広げられる熱戦の一つ一つが、未来を担う全世界の若人の心へ、限りない勇気と夢を贈る宝なのであります。
さあ、友情の心に満ちたブラジルの天地で、世界の人々が待ちに待った感動のドラマが、いよいよ始まります。
希望の大国ブラジルで開催される、このたびの希望の祭典が、人類の連帯を深め、平和という地球文明の栄光のゴールへ新たな前進を開始しゆく出発となることを、心よりお祈り申し上げ、私のメッセージとさせていただきます。
パラベンス、ブラジル!(ブラジルの皆さん、おめでとう!)
アバンチ、ブラジル!(ブラジル、前進を!)
フィールドにボールが転がると、全世界を魅了する祭典が始まる!
支える壮年部の皆様
いつもありがとう!
人知れぬ労苦と奮闘を
諸天・諸仏も賛嘆!
種種御振舞御 P911
『さりし程に念仏者持斎真言師等自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎尼ごぜんたちにとりつきて種種にかまへ申す』
◇希望の明日へ
弱き善は、つねに、強き悪に敗れてきた。残酷なようだが、これが歴史の実相である。この宿命を転換してこそ恒久的な平和がある。そのためには"強き善″"悪とは徹底して戦い、勝つ善″の勢力と連帯を広げていく以外にない。
平4・4・10
☆サッカーワールドカップ開幕へのメッセージ
貴・ブラジル連邦共和国で、64年ぶりに行われる待望のFIFAワールドカップの開幕に際し、ジルマ・ルセフ大統領はじめブラジル国民の皆様方、そしてサッカーを共にこよなく愛する全世界の皆様方へ、心からの祝福とエールを送らせていただきます。
「ブラジルの心」と「サッカーの心」は、幾重にも強く美しく響き合っております。
これは、1958年(昭和33年)にブラジルがスウェーデン大会で初優勝を果たした2年後に、憧れの貴国を初訪問して以来の私のいつわらざる実感であります。
その意味において、今回の歴史的なブラジル大会から、21世紀の世界へ赫々たる希望の光が広がりゆくことを、私は深く確信してやみません。
その希望の光の第一は、地球を結ぶ開かれた友情の力です。
貴国の文豪ジョゼ・リンス・ド・ヘゴは、「サッカーは、カーニバルのように友情を結ぶ力である」と語りました。
あらゆる民族や人種や宗教の差異を超えて、人間と人間を結び合い、心と心を高め合う——この一点において、「人種デモクラシーの大国」ブラジルの文化と、サッカーの文化は、共に何と力強い「平和の文化」の模範を、人類に示してくれていることでしょうか。
いまだ分断に苦しむ国際社会を照らす、かけがえのない平和と共生への希望の光が、ここにあります。
第二の希望の光は、人間の尊厳を謳い上げる信念の絆です。
本年3月、貴・ブラジルの代表チームは、南アフリカとの親善試合に、故ネルソン・マンデラ元大統領へ哀悼を捧げる腕章をつけて臨まれました。
その光景に、私は元大統領と出会いを重ねた一人として、熱い感動を禁じ得ませんでした。
思えば、マンデラ元大統領が、反アパルトヘイト(人種隔離)の獄中闘争を貫き通された、あの過酷なロベン島の刑務所にあっても、サッカーは「魂の自由と解放」、そして「人間の尊厳」の象徴としてプレーされ、それはやがて「虹の国」建設の大いなる力ともなっていきました。
貴国そして世界のサッカー・ファミリーは、断固たる信念の絆でいかなる差別や暴力にも屈することなく、人間の尊厳を誇り高く守り抜いておられます。私も最大の敬意を込めて、連帯の心を表したいのであります。
そして、第三の希望の光は、試練に怯まず未来のゴールへ挑みゆく勇気です。
サッカーは、どんな逆境も恐れず、最後まで諦めず、皆で力を合わせて、勝利へ挑戦し抜く勇気に満ちあふれております。
そして、その最高峰の祭典であるワールドカップそれ自体も、幾多の困難を勇敢に忍耐強く勝ち越えて、地球家族を一つに結合し、人類の生命を躍動させゆく大事業でありましょう。
ここで繰り広げられる熱戦の一つ一つが、未来を担う全世界の若人の心へ、限りない勇気と夢を贈る宝なのであります。
さあ、友情の心に満ちたブラジルの天地で、世界の人々が待ちに待った感動のドラマが、いよいよ始まります。
希望の大国ブラジルで開催される、このたびの希望の祭典が、人類の連帯を深め、平和という地球文明の栄光のゴールへ新たな前進を開始しゆく出発となることを、心よりお祈り申し上げ、私のメッセージとさせていただきます。
パラベンス、ブラジル!(ブラジルの皆さん、おめでとう!)
アバンチ、ブラジル!(ブラジル、前進を!)
フィールドにボールが転がると、全世界を魅了する祭典が始まる!
2014.06.14 わが友に贈る
弘教・拡大への
勇気の挑戦を
互いに讃え合おう!
そこに歓喜と新たな
前進の波動が広がる!
富木殿御書 P969
『夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く』
◇希望の明日へ
いずこの国にあっても、もっとも弱い人がもっとも悲惨な目にあうのが戦争である。ゆえに絶対、平和主義でいかねばならない。
平3・6・1
☆高等部結成50周年記念大会へのメッセージ
「世界広布新時代」の先頭をさっそうと進みゆく「正義の走者」の皆さん!
栄光輝く高等部結成50周年の集い、誠におめでとう!
日蓮大聖人は、若き南条時光の成長を深く喜ばれ、『青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たい』(P1554、通解、「上野殿御返事」)と仰せになられました。
すなわち後継の弟子は、父母よりも、師匠よりも、さらに立派に成長していくのだという『従藍而青』の原理です。
私が、恩師・戸田城聖先生の後を継いで第三代会長に就任して最初に結成したのは、他でもない、誉れ高き高等部です。私は、わが高等部の『従藍而青』の成長こそを何よりの楽しみとし、張り合いとして、いかなる迫害にも耐え抜き、世界広宣流布の道を切り開いてきました。高等部こそが、私の最大の誇りであり、未来の無限の希望なのであります。
高等部が誕生した1964年(昭和39年)、アメリカでは人権の闘士キング博士や人道の母パークスさんたちの長き信念の戦いが実り、人種差別を撤廃する「公民権法」という法律が勝ち取られました。この運動が勝利した大きな原動力はどこにあったか。
私はキング博士の盟友である歴史学者のハーディング博士と語り合いました。
それは、青年の歌の力です。「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)」と歌い上げた青年たちが、苦難にも負けず、人間の自由と平等の夢をかなえていったのです。
そして、今この時、世界の友とスクラムを組んで「正義の走者」の歌を高らかに歌いゆく皆さんが、必ずや広宣流布という人類の幸福と永遠の平和の壮大なる夢を実現してくれることを、私は大確信しております。
わが不二の愛弟子である君たち、貴女(あなた)たちよ! 次の新たな50年を断じて頼みます。何があっても、題目の師子吼を忘れず、強く朗らかに、学び、鍛え、負けじ魂で、前へ前へ、走り抜いていってください。
大切な大切な皆さんの使命の力走を祈ります。勝利を待っています。
高等部、万歳!
明るく、勉学第一、健康第一、親孝行第一であれ!
勇気の挑戦を
互いに讃え合おう!
そこに歓喜と新たな
前進の波動が広がる!
富木殿御書 P969
『夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く』
◇希望の明日へ
いずこの国にあっても、もっとも弱い人がもっとも悲惨な目にあうのが戦争である。ゆえに絶対、平和主義でいかねばならない。
平3・6・1
☆高等部結成50周年記念大会へのメッセージ
「世界広布新時代」の先頭をさっそうと進みゆく「正義の走者」の皆さん!
栄光輝く高等部結成50周年の集い、誠におめでとう!
日蓮大聖人は、若き南条時光の成長を深く喜ばれ、『青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たい』(P1554、通解、「上野殿御返事」)と仰せになられました。
すなわち後継の弟子は、父母よりも、師匠よりも、さらに立派に成長していくのだという『従藍而青』の原理です。
私が、恩師・戸田城聖先生の後を継いで第三代会長に就任して最初に結成したのは、他でもない、誉れ高き高等部です。私は、わが高等部の『従藍而青』の成長こそを何よりの楽しみとし、張り合いとして、いかなる迫害にも耐え抜き、世界広宣流布の道を切り開いてきました。高等部こそが、私の最大の誇りであり、未来の無限の希望なのであります。
高等部が誕生した1964年(昭和39年)、アメリカでは人権の闘士キング博士や人道の母パークスさんたちの長き信念の戦いが実り、人種差別を撤廃する「公民権法」という法律が勝ち取られました。この運動が勝利した大きな原動力はどこにあったか。
私はキング博士の盟友である歴史学者のハーディング博士と語り合いました。
それは、青年の歌の力です。「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは必ず勝利する)」と歌い上げた青年たちが、苦難にも負けず、人間の自由と平等の夢をかなえていったのです。
そして、今この時、世界の友とスクラムを組んで「正義の走者」の歌を高らかに歌いゆく皆さんが、必ずや広宣流布という人類の幸福と永遠の平和の壮大なる夢を実現してくれることを、私は大確信しております。
わが不二の愛弟子である君たち、貴女(あなた)たちよ! 次の新たな50年を断じて頼みます。何があっても、題目の師子吼を忘れず、強く朗らかに、学び、鍛え、負けじ魂で、前へ前へ、走り抜いていってください。
大切な大切な皆さんの使命の力走を祈ります。勝利を待っています。
高等部、万歳!
明るく、勉学第一、健康第一、親孝行第一であれ!
2014年6月13日金曜日
2014.06.13 わが友に贈る
未来部員と一緒に
会合へ参加を!
共に感動し
共に学ぶなかに
信心の継承がある。
南条兵衛七郎殿御書 P1494
『たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども君の敵をしりながら奏もせず私にもあだまずば奉公皆うせて還つてとがに行はれんが如し』
◇希望の明日へ
今こそ真の平和へと立ち、行動すべきときである。たしかに、平和への兆候はある。しかし、戦争がないことがイコール平和ではない。平和の内実は、あえていえば人権の実現であろう。その意味では、まだまだ平和にはほど遠い。いわんや深刻な環境汚染があり、また次の局部的戦争への危険が消えたわけではない。ゆえに平和への行動をしないのは、自分たちの未来に対する無責任に通じてしまう。平和を勝ち取る努力、育てる努力の放棄は、自身の人間性の放棄にも等しい。
平3・4・15
会合へ参加を!
共に感動し
共に学ぶなかに
信心の継承がある。
南条兵衛七郎殿御書 P1494
『たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども君の敵をしりながら奏もせず私にもあだまずば奉公皆うせて還つてとがに行はれんが如し』
◇希望の明日へ
今こそ真の平和へと立ち、行動すべきときである。たしかに、平和への兆候はある。しかし、戦争がないことがイコール平和ではない。平和の内実は、あえていえば人権の実現であろう。その意味では、まだまだ平和にはほど遠い。いわんや深刻な環境汚染があり、また次の局部的戦争への危険が消えたわけではない。ゆえに平和への行動をしないのは、自分たちの未来に対する無責任に通じてしまう。平和を勝ち取る努力、育てる努力の放棄は、自身の人間性の放棄にも等しい。
平3・4・15
2014年6月12日木曜日
2014.06.12 わが友に贈る
一人が信心に立てば
家族も幸福の道に。
君よ一家を照らす
希望の太陽たれ!
和楽の柱と光れ!
椎地四郎殿御書 P1448
『此の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし』
◇希望の明日へ
民衆の魂の声こそが平和への根源の力である。生きた大波であり、怒涛である。
平2・10・24
☆世界広布新時代第6回本部幹部会へのメッセージ
明るい明るい、希望輝く創価女性大会、誠に誠におめでとうございます!
母たち、女性たちの幸福を、何より願われた日蓮大聖人も、釈尊も、さらに牧口・戸田両先生も、どれほど喜んでおられることでしょうか。
崇高なる「求道」の心で勇み集われた、世界21カ国・地域のリーダーの皆さん方、はるばると、本当にようこそ、お越しくださいました。
アメリカの皆さん、アルゼンチンの皆さん、欧州各国の皆さん、台湾の皆さん、南アジア婦人部の皆さん、そして韓国の皆さん、本当に本当にご苦労さまでございます。
婦人部と女子部を中心として、世界の創価家族の楽しく賑やかな集いとなり、私も妻も、こんな嬉しいことはありません。
はじめに、本日のお祝いの和歌を贈らせていただきます。
まず一首──
陰徳の
母は断固と
勝ちにけり
女性の世紀に
陽報いやまし
次に──
凜として
華陽の青春
幸光り
世界の空へ
希望の虹を
きょうは、皆さんと一緒に、あらためて深く拝読したい御聖訓があります。
それは、日蓮大聖人が「日女御前」、いうなれば"太陽の女性"と讃えられた女性門下への一節です。創価の"太陽の女性"たちへの御金言と、私は拝してきました。
すなわち、『此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり』(P1244、「日女御前御返事」)と。
「御本尊」つまり根本として尊敬すべき当体は、自分自身を離れて、どこか特別な場所にあるのではない。
妙法を信受して題目を唱え、広宣流布に励みゆく、ありのままの私たちの「胸中の肉団」に、おわします。
これこそ、最も清らかで何ものにも汚されず、最も尊貴で何ものにも壊されない「元初の心の都」なのです。
これまでの「人間観」「宗教観」を根底から革命する究極の生命尊厳の大哲理を、大聖人は、かくも明快に女性に示してくださいました。
そして、『此の御本尊も只信心の二字にをさまれり』(P同)と仰せであります。
「信心の二字」に生き抜く一人の女性の胸中から、無量の宝の光は放たれ、末法の闇を晴らします。
まさしく、わが学会の婦人部・女子部の皆さん方の強く正しく美しき「信心」があればこそ、御本尊の功徳力は、あますところなく現れて、今、一閻浮提を包んでいるのです。
私と妻の忘れ得ぬ宝友である南米の広布の母は、夫の工場の倒産や家庭不和、命に及ぶ大病の中、妙法に巡りあい、一つ一つ変毒為薬し、宿命転換していきました。
一人また一人と信心の大歓喜を語り伝え、個人で750世帯、ご一家で1000世帯を超える折伏を成し遂げて、悲しみの涙を幸せの涙に転じゆく今世の人間革命の劇を見事に飾られたのです。
この母は語られていました。
「人には御本尊と同じ生命があります。時間がたてば求める時が必ず来る。だから大切なのは妙法の種をまくこと。そして友人であり続けることです」「幸せになるために、一番必要なのは勇気です」と。
「現代の奇跡」と讃嘆される世界広宣流布の伸展。これこそ、まぎれもなく、日蓮大聖人に直結する創価の女性の「信心の勝利なり」「勇気の勝利なり」と、ここに晴れ晴れと大宣言したいと思いますが、皆さん、いかがでしょうか。
「人間不在」また「女性不在」さらに「生命不在」の宗教やイデオロギーに裏切られ続けてきた人類は、信ずるに足る真の希望の哲学を渇仰しています。
私たちは、伸びゆく青年と共に、いよいよ生き生きと、大仏法を求め、学び、声を惜しまず語り抜きながら、一人でも多くの友の心に「生命歓喜の都」を、「幸福勝利の都」を、そして「永遠平和の都」を開き、輝かせていこうではありませんか!
私も、おかげさまで、ますます元気に、全世界の同志と、日々、心の語らいを進める思いで、執筆を重ねております。
小説『新・人間革命』も、今の「激闘」の章に続いて、まもなく、新たな章に入ります。
章のタイトルは「求道」。1978年(昭和53年)5月、東北の宮城・福島訪問、さらに6月の北海道訪問の黄金の歴史を綴っていきます。
けなげな婦人部・女子部の尊き「求道」の心を鑑(かがみ)として、我ら創価家族は、どこまでも仲良く朗らかに、世界広布の誓いの旅を勝ち進みましょう!
終わりに──
太陽の
生命なれば
恐れなし
平和のスクラム
地球を照らせや
と贈ります。
偉大なる創価女性学会、万歳! 全同志に健康と福徳よ、咲き薫れ! と申し上げて、私と妻のメッセージとさせていただきます。
家族も幸福の道に。
君よ一家を照らす
希望の太陽たれ!
和楽の柱と光れ!
椎地四郎殿御書 P1448
『此の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし』
◇希望の明日へ
民衆の魂の声こそが平和への根源の力である。生きた大波であり、怒涛である。
平2・10・24
☆世界広布新時代第6回本部幹部会へのメッセージ
明るい明るい、希望輝く創価女性大会、誠に誠におめでとうございます!
母たち、女性たちの幸福を、何より願われた日蓮大聖人も、釈尊も、さらに牧口・戸田両先生も、どれほど喜んでおられることでしょうか。
崇高なる「求道」の心で勇み集われた、世界21カ国・地域のリーダーの皆さん方、はるばると、本当にようこそ、お越しくださいました。
アメリカの皆さん、アルゼンチンの皆さん、欧州各国の皆さん、台湾の皆さん、南アジア婦人部の皆さん、そして韓国の皆さん、本当に本当にご苦労さまでございます。
婦人部と女子部を中心として、世界の創価家族の楽しく賑やかな集いとなり、私も妻も、こんな嬉しいことはありません。
はじめに、本日のお祝いの和歌を贈らせていただきます。
まず一首──
陰徳の
母は断固と
勝ちにけり
女性の世紀に
陽報いやまし
次に──
凜として
華陽の青春
幸光り
世界の空へ
希望の虹を
きょうは、皆さんと一緒に、あらためて深く拝読したい御聖訓があります。
それは、日蓮大聖人が「日女御前」、いうなれば"太陽の女性"と讃えられた女性門下への一節です。創価の"太陽の女性"たちへの御金言と、私は拝してきました。
すなわち、『此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり』(P1244、「日女御前御返事」)と。
「御本尊」つまり根本として尊敬すべき当体は、自分自身を離れて、どこか特別な場所にあるのではない。
妙法を信受して題目を唱え、広宣流布に励みゆく、ありのままの私たちの「胸中の肉団」に、おわします。
これこそ、最も清らかで何ものにも汚されず、最も尊貴で何ものにも壊されない「元初の心の都」なのです。
これまでの「人間観」「宗教観」を根底から革命する究極の生命尊厳の大哲理を、大聖人は、かくも明快に女性に示してくださいました。
そして、『此の御本尊も只信心の二字にをさまれり』(P同)と仰せであります。
「信心の二字」に生き抜く一人の女性の胸中から、無量の宝の光は放たれ、末法の闇を晴らします。
まさしく、わが学会の婦人部・女子部の皆さん方の強く正しく美しき「信心」があればこそ、御本尊の功徳力は、あますところなく現れて、今、一閻浮提を包んでいるのです。
私と妻の忘れ得ぬ宝友である南米の広布の母は、夫の工場の倒産や家庭不和、命に及ぶ大病の中、妙法に巡りあい、一つ一つ変毒為薬し、宿命転換していきました。
一人また一人と信心の大歓喜を語り伝え、個人で750世帯、ご一家で1000世帯を超える折伏を成し遂げて、悲しみの涙を幸せの涙に転じゆく今世の人間革命の劇を見事に飾られたのです。
この母は語られていました。
「人には御本尊と同じ生命があります。時間がたてば求める時が必ず来る。だから大切なのは妙法の種をまくこと。そして友人であり続けることです」「幸せになるために、一番必要なのは勇気です」と。
「現代の奇跡」と讃嘆される世界広宣流布の伸展。これこそ、まぎれもなく、日蓮大聖人に直結する創価の女性の「信心の勝利なり」「勇気の勝利なり」と、ここに晴れ晴れと大宣言したいと思いますが、皆さん、いかがでしょうか。
「人間不在」また「女性不在」さらに「生命不在」の宗教やイデオロギーに裏切られ続けてきた人類は、信ずるに足る真の希望の哲学を渇仰しています。
私たちは、伸びゆく青年と共に、いよいよ生き生きと、大仏法を求め、学び、声を惜しまず語り抜きながら、一人でも多くの友の心に「生命歓喜の都」を、「幸福勝利の都」を、そして「永遠平和の都」を開き、輝かせていこうではありませんか!
私も、おかげさまで、ますます元気に、全世界の同志と、日々、心の語らいを進める思いで、執筆を重ねております。
小説『新・人間革命』も、今の「激闘」の章に続いて、まもなく、新たな章に入ります。
章のタイトルは「求道」。1978年(昭和53年)5月、東北の宮城・福島訪問、さらに6月の北海道訪問の黄金の歴史を綴っていきます。
けなげな婦人部・女子部の尊き「求道」の心を鑑(かがみ)として、我ら創価家族は、どこまでも仲良く朗らかに、世界広布の誓いの旅を勝ち進みましょう!
終わりに──
太陽の
生命なれば
恐れなし
平和のスクラム
地球を照らせや
と贈ります。
偉大なる創価女性学会、万歳! 全同志に健康と福徳よ、咲き薫れ! と申し上げて、私と妻のメッセージとさせていただきます。
2014年6月11日水曜日
2014.06.11 わが友に贈る
偉大なる「志」が
偉大なる人生を創る。
同じ一生ならば
広布の大願に生きよ!
悔いなき歴史を刻め!
呵責謗法滅罪抄 P1132
『何なる世の乱れにも各各をば法華経十羅刹助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』
◇希望の明日へ
隣国と深い友好をもたないことは、足元に大地がないようなものである。それでは空中を歩くようなもので、永久の友好、平和は望めない。そこで大事なのは行動である。観念のうえで平和を論ずる人は多い。しかし、平和を論ずるなら、行動しなくてはならない。困難があっても、どのように、友好と平和をもたらすか。困難を克服するために努力することが人間にとっての根本条件である。
平2・7・31
偉大なる人生を創る。
同じ一生ならば
広布の大願に生きよ!
悔いなき歴史を刻め!
呵責謗法滅罪抄 P1132
『何なる世の乱れにも各各をば法華経十羅刹助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』
◇希望の明日へ
隣国と深い友好をもたないことは、足元に大地がないようなものである。それでは空中を歩くようなもので、永久の友好、平和は望めない。そこで大事なのは行動である。観念のうえで平和を論ずる人は多い。しかし、平和を論ずるなら、行動しなくてはならない。困難があっても、どのように、友好と平和をもたらすか。困難を克服するために努力することが人間にとっての根本条件である。
平2・7・31
2014年6月10日火曜日
2014.06.10 わが友に贈る
励ましの要諦は
「話す」より「聴く」。
まず「理解する」。
前進への勇気と力は
温かな共感から!
種種御振舞御書 P917
『今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』
◇希望の明日へ
平和の根本は人間である。人間同士の信頼である。そして、確かな信頼関係を築くには、互いに、一個の人間として、人格としての、相手への尊敬がなければならない。権威や駆け引きだけでは、信頼を生むことは不可能である。そんな簡単なものではない。簡単に考えているのは、社会を、世界を知らないからである。ゆえに、人間としての裸の自分を立派に建設していくことが、平和の基本となっていく。
平2・7・14
☆随筆 民衆凱歌の大行進No.6 希望の太陽・婦人部万歳!
母たちの
心の種から
幸 爛漫
6月10日の「婦人部の日」を記念し、今、地域に開かれた「希望総会」が、日本列島の各地で楽しく、にぎやかに行われている。
折から、二十四節気の「芒種」の季節を迎えた。「芒種」とは"穀物の種を蒔く"意味である。
幸福の種、希望の種、平和の種を、一人でも多くの友に蒔いていこうと、朗らかに対話する婦人部の月にふさわしい。
6・4「世界池田華陽会の日」を爽やかに迎えた女子部と合同の記念月間も、本当におめでとう!
「あなたが、自分自身と未来に対し、希望をいだき続けるならば、きっと、世界をもっと住みやすい場所にすることができるはずです」とは、私たちが敬愛するアメリカの「公民権運動の母」ローザ・パークスさんの信念の言葉である。
その通りに、いかなる試練にあっても、希望の光を自身の胸中から放ちながら、家庭を、地域を、社会を、未来を明るく照らしているのが、わが創価の女性たちである。
わが師・戸田城聖先生は、よく言われた。
「二人でも三人でもいれば、御本尊の話、学会の話をして、みな、感激に満ちて帰っていく。そこから、いまの組織が発祥し、できあがっていったのである」
広宣流布は、少人数の小さな集いから始まる。婦人部の「希望総会」こそ世界広布新時代の最重要の最前線なのである。
皆、それぞれに人知れぬ悩みとの戦いがある。
日蓮大聖人は、『松栄れば柏悦ぶ 芝かるれば蘭なく 情無き草木すら友の喜び友の歎き一つなり』(P934、「光日上人御返事」)と仰せになられた。
友の喜びを我が喜びとし、友の歎きを我が歎きとする──共に泣き、共に笑う、最も麗しく、最も強き生命の共生の絆こそ、信心の世界であり、創価の集いである。ここにこそ、苦悩を希望へ転換しゆく、生命の安全地帯があるのだ。
いかに小さな単位であれ、一つの会合を開くには、多大な労苦を要する。
けれども、希望を胸に灯して、帰路に就く友の笑顔こそ、何よりの報いであり、誇りであろう。友の幸せを強盛に祈り、智慧を出し、心を尽くして、誠実に動いた功徳は計り知れない。
『一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』(P1143、「四条金吾殿御返事」)
これが御本仏の御断言であられる。
題目は、究極の希望だ。題目を唱え、弘めゆく、創価の女性の生命こそ、希望の当体なのである。
女子部時代に関西の白樺グループ(看護者の集い)で戦い、今はアメリカで夫と共に社会貢献の日々を送る女性から、貴重な発心の原点を伺った。
それは、人生の大きな壁に直面し、信心の確信も揺らいでいた時のことであったという。
ある夜、看護師として病室を巡っていた際、一人の重篤な老婦人が呂律の回らない口で、一生懸命、語りかけてきた。「しんじん」「なんみょうほうれんげきょう」……。
「えっ?」。驚いて聞き返すと、「うちはこんな体になってしもうたから、私の代わりにあんたに南無妙法蓮華経あげてほしいねん」と言うのである。
老婦人は多くの病気を併発し、認知症も患われていた。だが不思議にも、学会員と告げたこともないのに、彼女に"題目を"と語ったのだ。まるで彼女の悩みを鋭く感じ取ったかのように──。この老いたる庶民の母との約束が彼女の蘇生への力となった。
「御義口伝」には、たとえ一句でも妙法に結縁すれば、その功徳は億劫にも失われることはない。仏の生命という最極の宝珠を研き顕していくことができる、と説かれる(P793、趣意)。
誰人も避け得ぬ病や老いの現実にあっても、自他共に必ず生命の宝珠を輝かせていける。これが、妙法に巡りあえた宿福深厚の人生である。
『生も歓喜、死も歓喜』という永遠の希望の力が、自行化他の題目を行ずる創価の信心にはあるのだ。
本年9月に発足40周年を刻む「ヤング・ミセス」の健気な奮闘も、妻がいつも嬉しそうに伝えてくれる。
皆、日々、家計のやりくり、家族の世話、子育て、地域友好など、目の回るような忙しい毎日であろう。しかし、それはまた、家族を、眷属を幸福の軌道へと導く、強く賢き女性に成長していく修行でもあるのだ。
6月6日は牧口常三郎先生のお誕生日である。
思えば、先生が獄中で最も頼りにされたのが、幼子を抱えた若きお嫁さんであった。先生は手紙の中で、常に孫のことを気遣われるとともに、何度も「留守を頼む」「身体を大切に」、そして「信仰が第一です」と励まし続けられたのである。
ともあれ、名作『赤毛のアン』で有名な作家モンゴメリーは訴えている。
「困難を笑いの種にし、それを乗りこえよ」
信心で乗り越えられない苦難など、断じてない。困難が大きいほど深い信心に立ち、"先駆の太陽"として、常に笑顔で皆を照らしゆくヤング・ミセスに贈りたい言葉だ。
未入会の家族を抱えた人もいる。だが、焦る必要はまったくない。幸福になるための信仰である。
灯台が一つあれば、皆を正しく導いていける。ゆえに互いを尊重し、理解し、大きな心で包み込んでいくのだ。明るく、聡明に、仲の良い、笑顔輝く和楽の家庭をつくるために、忍耐強く努力していくことだ。
私が東北の友と心肝に染めてきた御金言に、『大悪は大善の来るべき瑞相なり』(P1467、「減劫御書」)とある。
苦難の烈風の中でこそ、金剛不壊の「心の財」は、厳然と輝き現れる。
私がよく知る仙台市の母も、宿命に挑む2人の息子に、「幸せは自分で開け!」と教えてきた。
進行性の筋ジストロフィーという難病と闘う息子たちである。人生を暗く覆い尽くすような絶望の中で、一歩も退かず、親子は懸命に祈った。
頻繁に吐き気に襲われ、背中を丸めて苦悶する我が子……。その背を、母は小さな手で夜通しさすった。ただただ祈りを込めてさすり続けた。
母の祈りに、息子たちも応えようと闘った。負けなかった。母の笑顔が見たい!——と、苦しみの涙を感謝の涙に変えていった。やがて息子たちは、命の種火を熱く燃え上がらせて、大いなる創造の光を発揮する。
今、兄は花の絵を描く「パソコン画家」として、弟は希望の詩を紡ぐ「五行歌人」として、堂々と活躍されている。
「幸せは自分で開け!」と言い切れる母の強さ。その奥には、そうさせてみせるという母の断固たる一念が漲っていたに違いない。
母の手の10本の指は、2人の息子の介護で全部曲がった。家族を支え、幾重にもシワを刻んだ手だ。その仏の慈悲の手を、私は、最大の尊敬の心で包んで差し上げたい。
今年は「白ゆり長」「副白ゆり長」が誕生して10年となる。それ以前は正副のブロック担当員であったが、もう何十年も「白ゆり長」と呼んできた気がするのは、私だけではないだろう。それほど、勇気凜々と、美事に活躍してこられた。
広宣流布の"第一線"のブロックが、意気揚々と戦いを起こすことほど、強いものはない。
皆様が白ゆりのように「希望」を薫らせ、地域の「太陽」として輝いていけばいくほど、創価の前途は明々と広がる。
歌人・与謝野晶子も言うように、「創造は過去と現在とを材料としながら新しい未来を発明する能力」である。
地域ごとに状況は様々であろうが、御書には『我等が居住の山谷礦野皆皆常寂光の宝処なり』(P734、「御義口伝」)と仰せだ。ゆえに誇り高く、"わがブロックに人材の黄金の城を!"と、真剣に祈り、粘り強く行動していくことだ。必ず道は開ける。
その歓喜の波動の中で、一人また一人と青年部・未来部を励まし、育てていただきたい。後継の友の成長こそ創価の未来の希望であり、新時代の夜明けであるからだ。
「太陽万歳と叫ぼう。かくも美しい光をわれわれに与えてくれるのは太陽なのだ」と、フランスの巨匠セザンヌは言った。
我らも、声高らかに叫び、讃えたい。
"地域の幸福と平和の責任者"である白ゆり長、副白ゆり長、そして総白ゆり長の皆様、万歳!
「創価の太陽」「励ましの太陽」、さらに「希望の太陽」と世界に輝き渡る婦人部、万歳、万々歳!
今日も、愉快に晴れやかに、題目第一で満々たる生命力を! 日々、楽しく勇敢に、真心の対話で和楽と安穏の門を開きゆかれることを!
白ゆりの
清き祈りの
希望道
「話す」より「聴く」。
まず「理解する」。
前進への勇気と力は
温かな共感から!
種種御振舞御書 P917
『今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』
◇希望の明日へ
平和の根本は人間である。人間同士の信頼である。そして、確かな信頼関係を築くには、互いに、一個の人間として、人格としての、相手への尊敬がなければならない。権威や駆け引きだけでは、信頼を生むことは不可能である。そんな簡単なものではない。簡単に考えているのは、社会を、世界を知らないからである。ゆえに、人間としての裸の自分を立派に建設していくことが、平和の基本となっていく。
平2・7・14
☆随筆 民衆凱歌の大行進No.6 希望の太陽・婦人部万歳!
母たちの
心の種から
幸 爛漫
6月10日の「婦人部の日」を記念し、今、地域に開かれた「希望総会」が、日本列島の各地で楽しく、にぎやかに行われている。
折から、二十四節気の「芒種」の季節を迎えた。「芒種」とは"穀物の種を蒔く"意味である。
幸福の種、希望の種、平和の種を、一人でも多くの友に蒔いていこうと、朗らかに対話する婦人部の月にふさわしい。
6・4「世界池田華陽会の日」を爽やかに迎えた女子部と合同の記念月間も、本当におめでとう!
「あなたが、自分自身と未来に対し、希望をいだき続けるならば、きっと、世界をもっと住みやすい場所にすることができるはずです」とは、私たちが敬愛するアメリカの「公民権運動の母」ローザ・パークスさんの信念の言葉である。
その通りに、いかなる試練にあっても、希望の光を自身の胸中から放ちながら、家庭を、地域を、社会を、未来を明るく照らしているのが、わが創価の女性たちである。
わが師・戸田城聖先生は、よく言われた。
「二人でも三人でもいれば、御本尊の話、学会の話をして、みな、感激に満ちて帰っていく。そこから、いまの組織が発祥し、できあがっていったのである」
広宣流布は、少人数の小さな集いから始まる。婦人部の「希望総会」こそ世界広布新時代の最重要の最前線なのである。
皆、それぞれに人知れぬ悩みとの戦いがある。
日蓮大聖人は、『松栄れば柏悦ぶ 芝かるれば蘭なく 情無き草木すら友の喜び友の歎き一つなり』(P934、「光日上人御返事」)と仰せになられた。
友の喜びを我が喜びとし、友の歎きを我が歎きとする──共に泣き、共に笑う、最も麗しく、最も強き生命の共生の絆こそ、信心の世界であり、創価の集いである。ここにこそ、苦悩を希望へ転換しゆく、生命の安全地帯があるのだ。
いかに小さな単位であれ、一つの会合を開くには、多大な労苦を要する。
けれども、希望を胸に灯して、帰路に就く友の笑顔こそ、何よりの報いであり、誇りであろう。友の幸せを強盛に祈り、智慧を出し、心を尽くして、誠実に動いた功徳は計り知れない。
『一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』(P1143、「四条金吾殿御返事」)
これが御本仏の御断言であられる。
題目は、究極の希望だ。題目を唱え、弘めゆく、創価の女性の生命こそ、希望の当体なのである。
女子部時代に関西の白樺グループ(看護者の集い)で戦い、今はアメリカで夫と共に社会貢献の日々を送る女性から、貴重な発心の原点を伺った。
それは、人生の大きな壁に直面し、信心の確信も揺らいでいた時のことであったという。
ある夜、看護師として病室を巡っていた際、一人の重篤な老婦人が呂律の回らない口で、一生懸命、語りかけてきた。「しんじん」「なんみょうほうれんげきょう」……。
「えっ?」。驚いて聞き返すと、「うちはこんな体になってしもうたから、私の代わりにあんたに南無妙法蓮華経あげてほしいねん」と言うのである。
老婦人は多くの病気を併発し、認知症も患われていた。だが不思議にも、学会員と告げたこともないのに、彼女に"題目を"と語ったのだ。まるで彼女の悩みを鋭く感じ取ったかのように──。この老いたる庶民の母との約束が彼女の蘇生への力となった。
「御義口伝」には、たとえ一句でも妙法に結縁すれば、その功徳は億劫にも失われることはない。仏の生命という最極の宝珠を研き顕していくことができる、と説かれる(P793、趣意)。
誰人も避け得ぬ病や老いの現実にあっても、自他共に必ず生命の宝珠を輝かせていける。これが、妙法に巡りあえた宿福深厚の人生である。
『生も歓喜、死も歓喜』という永遠の希望の力が、自行化他の題目を行ずる創価の信心にはあるのだ。
本年9月に発足40周年を刻む「ヤング・ミセス」の健気な奮闘も、妻がいつも嬉しそうに伝えてくれる。
皆、日々、家計のやりくり、家族の世話、子育て、地域友好など、目の回るような忙しい毎日であろう。しかし、それはまた、家族を、眷属を幸福の軌道へと導く、強く賢き女性に成長していく修行でもあるのだ。
6月6日は牧口常三郎先生のお誕生日である。
思えば、先生が獄中で最も頼りにされたのが、幼子を抱えた若きお嫁さんであった。先生は手紙の中で、常に孫のことを気遣われるとともに、何度も「留守を頼む」「身体を大切に」、そして「信仰が第一です」と励まし続けられたのである。
ともあれ、名作『赤毛のアン』で有名な作家モンゴメリーは訴えている。
「困難を笑いの種にし、それを乗りこえよ」
信心で乗り越えられない苦難など、断じてない。困難が大きいほど深い信心に立ち、"先駆の太陽"として、常に笑顔で皆を照らしゆくヤング・ミセスに贈りたい言葉だ。
未入会の家族を抱えた人もいる。だが、焦る必要はまったくない。幸福になるための信仰である。
灯台が一つあれば、皆を正しく導いていける。ゆえに互いを尊重し、理解し、大きな心で包み込んでいくのだ。明るく、聡明に、仲の良い、笑顔輝く和楽の家庭をつくるために、忍耐強く努力していくことだ。
私が東北の友と心肝に染めてきた御金言に、『大悪は大善の来るべき瑞相なり』(P1467、「減劫御書」)とある。
苦難の烈風の中でこそ、金剛不壊の「心の財」は、厳然と輝き現れる。
私がよく知る仙台市の母も、宿命に挑む2人の息子に、「幸せは自分で開け!」と教えてきた。
進行性の筋ジストロフィーという難病と闘う息子たちである。人生を暗く覆い尽くすような絶望の中で、一歩も退かず、親子は懸命に祈った。
頻繁に吐き気に襲われ、背中を丸めて苦悶する我が子……。その背を、母は小さな手で夜通しさすった。ただただ祈りを込めてさすり続けた。
母の祈りに、息子たちも応えようと闘った。負けなかった。母の笑顔が見たい!——と、苦しみの涙を感謝の涙に変えていった。やがて息子たちは、命の種火を熱く燃え上がらせて、大いなる創造の光を発揮する。
今、兄は花の絵を描く「パソコン画家」として、弟は希望の詩を紡ぐ「五行歌人」として、堂々と活躍されている。
「幸せは自分で開け!」と言い切れる母の強さ。その奥には、そうさせてみせるという母の断固たる一念が漲っていたに違いない。
母の手の10本の指は、2人の息子の介護で全部曲がった。家族を支え、幾重にもシワを刻んだ手だ。その仏の慈悲の手を、私は、最大の尊敬の心で包んで差し上げたい。
今年は「白ゆり長」「副白ゆり長」が誕生して10年となる。それ以前は正副のブロック担当員であったが、もう何十年も「白ゆり長」と呼んできた気がするのは、私だけではないだろう。それほど、勇気凜々と、美事に活躍してこられた。
広宣流布の"第一線"のブロックが、意気揚々と戦いを起こすことほど、強いものはない。
皆様が白ゆりのように「希望」を薫らせ、地域の「太陽」として輝いていけばいくほど、創価の前途は明々と広がる。
歌人・与謝野晶子も言うように、「創造は過去と現在とを材料としながら新しい未来を発明する能力」である。
地域ごとに状況は様々であろうが、御書には『我等が居住の山谷礦野皆皆常寂光の宝処なり』(P734、「御義口伝」)と仰せだ。ゆえに誇り高く、"わがブロックに人材の黄金の城を!"と、真剣に祈り、粘り強く行動していくことだ。必ず道は開ける。
その歓喜の波動の中で、一人また一人と青年部・未来部を励まし、育てていただきたい。後継の友の成長こそ創価の未来の希望であり、新時代の夜明けであるからだ。
「太陽万歳と叫ぼう。かくも美しい光をわれわれに与えてくれるのは太陽なのだ」と、フランスの巨匠セザンヌは言った。
我らも、声高らかに叫び、讃えたい。
"地域の幸福と平和の責任者"である白ゆり長、副白ゆり長、そして総白ゆり長の皆様、万歳!
「創価の太陽」「励ましの太陽」、さらに「希望の太陽」と世界に輝き渡る婦人部、万歳、万々歳!
今日も、愉快に晴れやかに、題目第一で満々たる生命力を! 日々、楽しく勇敢に、真心の対話で和楽と安穏の門を開きゆかれることを!
白ゆりの
清き祈りの
希望道
2014年6月9日月曜日
2014.06.09 わが友に贈る
新聞休刊日
妙心尼御前御返事 P1480
『このやまひは仏の御はからひかそのゆへは浄名経涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり』
◇希望の明日へ
いつの時代でも、独裁者、権威者は怖い。学会も、戦時中に軍部から大きな弾圧をうけた。牧口初代会長は獄死、戸田第二代会長は二年間を獄中で送った。戦争に反対して投獄された人は信頼できると考え、戸田第二代会長に師事したのである。以来、仏法を基調に、戦争への力と戦いつつ、平和の道を走り続けてきているのである。
平2・4・8
☆勝利の人間学 第53回 世界に広がる華陽のスクラム
◇賢く聡明に使命の道を
女子部は「学会の宝」である。「広布の門」である。女子部員が一人いれば、周囲の皆がパッと明るくなる。希望が大きく開かれる。
女子部の皆さん方が一人も残らず、絶対に幸福になること。これが私の祈りである。
皆、自分を大事にしていただきたい。価値的に行動し、夜は帰宅が遅くならないよう、無事故で健康第一の前進をお願いします。
ともあれ、「聡明」であることが「幸福」の条件である。悪縁に振り回されることなく、賢く毅然と、尊き使命の道を歩み抜くのだ。
◇自分らしく あなたらしく
「御義口伝」には、『自身の内なる妙法を悟って、自身の宮殿に入るのである。南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自身の宮殿に入っていくのである』(P787、通解)と仰せである。
広宣流布に生きゆく皆さん自身の心に、幸福の大宮殿が晴れ晴れと広がっている。
人と比べて落ち込む必要など全くない。心ない悪口を言われようと、一喜一憂せず、自分らしく凛として生きることだ。
「桜梅桃李」ゆえに、人は人、自分は自分である。どこまでも信心で、わが生命を磨き、あなたらしく輝きを放っていくことだ。
◇仲良きところに幸福がある
戸田先生は、女子部の友に語られた。
「鎖の輪は、一つ一つガッチリと組み合って、切れることがない。人間も同じだ。心強き一人ひとりが、固く手を結べば、広宣流布は必ず進む。人と人との輪を作りなさい」と。
一人は気ままなようで、わびしい。境涯も深まらないし、可能性も閉ざされてしまう。
人を幸福にする人が、幸福である。
人を喜ばせゆく人が、喜びに包まれる。
だからこそ、伸び伸びと心を開いて、善き友人、善き同志、善き先輩に触れ、深き友情のスクラムを築いていこう!
華陽姉妹の皆さんは、お父さん、お母さんを大切に! 友と友との仲良き人華の花園を、地域へ職場へ、社会へ世界へと、朗らかに咲き薫らせていっていただきたい。
妙心尼御前御返事 P1480
『このやまひは仏の御はからひかそのゆへは浄名経涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり』
◇希望の明日へ
いつの時代でも、独裁者、権威者は怖い。学会も、戦時中に軍部から大きな弾圧をうけた。牧口初代会長は獄死、戸田第二代会長は二年間を獄中で送った。戦争に反対して投獄された人は信頼できると考え、戸田第二代会長に師事したのである。以来、仏法を基調に、戦争への力と戦いつつ、平和の道を走り続けてきているのである。
平2・4・8
☆勝利の人間学 第53回 世界に広がる華陽のスクラム
◇賢く聡明に使命の道を
女子部は「学会の宝」である。「広布の門」である。女子部員が一人いれば、周囲の皆がパッと明るくなる。希望が大きく開かれる。
女子部の皆さん方が一人も残らず、絶対に幸福になること。これが私の祈りである。
皆、自分を大事にしていただきたい。価値的に行動し、夜は帰宅が遅くならないよう、無事故で健康第一の前進をお願いします。
ともあれ、「聡明」であることが「幸福」の条件である。悪縁に振り回されることなく、賢く毅然と、尊き使命の道を歩み抜くのだ。
◇自分らしく あなたらしく
「御義口伝」には、『自身の内なる妙法を悟って、自身の宮殿に入るのである。南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自身の宮殿に入っていくのである』(P787、通解)と仰せである。
広宣流布に生きゆく皆さん自身の心に、幸福の大宮殿が晴れ晴れと広がっている。
人と比べて落ち込む必要など全くない。心ない悪口を言われようと、一喜一憂せず、自分らしく凛として生きることだ。
「桜梅桃李」ゆえに、人は人、自分は自分である。どこまでも信心で、わが生命を磨き、あなたらしく輝きを放っていくことだ。
◇仲良きところに幸福がある
戸田先生は、女子部の友に語られた。
「鎖の輪は、一つ一つガッチリと組み合って、切れることがない。人間も同じだ。心強き一人ひとりが、固く手を結べば、広宣流布は必ず進む。人と人との輪を作りなさい」と。
一人は気ままなようで、わびしい。境涯も深まらないし、可能性も閉ざされてしまう。
人を幸福にする人が、幸福である。
人を喜ばせゆく人が、喜びに包まれる。
だからこそ、伸び伸びと心を開いて、善き友人、善き同志、善き先輩に触れ、深き友情のスクラムを築いていこう!
華陽姉妹の皆さんは、お父さん、お母さんを大切に! 友と友との仲良き人華の花園を、地域へ職場へ、社会へ世界へと、朗らかに咲き薫らせていっていただきたい。
2014年6月8日日曜日
2014.06.08 わが友に贈る
◇今週のことば
求道の心で若々しく
婦人は女子部と共に!
壮年は男子部と共に!
創価家族の励ましで
わが地域の青年勝利を!
2014年06月08日
松野殿御返事 P1381
『末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説かせ給いて候なり、文の意は末世の僧比丘尼は名聞名利に著し上には袈裟衣を著たれば形は僧比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて我が出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致す、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事譬えば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来るを見ていがみほへ食合が如くなるべしと云う心なり、是くの如きの僧尼は皆皆悪道に堕すべきなり』
◇希望の明日へ
平和に関して多次元のアプローチが、絶対に必要である。人間自身が、一面的な存在ではない。当然、社会も時代も人類も、多面的であり、複雑で奥行きをもった変化を続ける。ゆえに、世界の平和への挑戦も、偏ったものであってはならない。包括的な知恵と、現実の動きに即した行動・運動が不可欠である。これが仏法の精神である。
平2・3・11
☆名誉会長と共に新時代を開く 第21回 生き生きと! 戦う人は美しい
流れている川は美しい。
戦っている心は美しい。
心の美しい人に、豊かな福徳は輝く。心を磨き、信心を深めゆく婦人部・女子部のスクラムほど神々しいものはない。
有名な御聖訓には『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事あるべからず』(P1351、「祈祷抄」)と仰せです。誓願の祈りに勝るものはありません。どんな行き詰まりも絶対に打開できるのです。
自分らしく、強く生きるのです。強く生き切った人が幸福です。皆も幸福にしていける。どんな姿であっても、人のために祈り、語り、心を尽くす。その人はすでに菩薩であり、仏です。大事なのは、信心そして行動なのです。
日寛上人は明言されました。『我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり』(当体義抄文段)
広宣流布の大精神で進めば、偉大な仏の生命力が湧現する。これが究極の法理です。何があっても、自身が妙法の当体なりとの大確信で、苦しみも楽しみに変え、全てを変毒為薬しながら、はつらつと、勝ち進んでください。
あの人も、この人も、明るく仲良く包み、一人一人が大功徳を山のように積んでいってください。そこに自分自身の、そして一家眷属の「幸福の門」が開かれ、広宣流布の新たな「人材の門」が広がっていくからです。
私も、皆さん方に一生懸命、題目を送り続けていきます。
どうか、お体を大切に!
人生は楽しく! 生活は生き生きと聡明に!
胸中に希望の太陽を昇らせながら、喜び光る日々であられんことを!
求道の心で若々しく
婦人は女子部と共に!
壮年は男子部と共に!
創価家族の励ましで
わが地域の青年勝利を!
2014年06月08日
松野殿御返事 P1381
『末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説かせ給いて候なり、文の意は末世の僧比丘尼は名聞名利に著し上には袈裟衣を著たれば形は僧比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて我が出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致す、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事譬えば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来るを見ていがみほへ食合が如くなるべしと云う心なり、是くの如きの僧尼は皆皆悪道に堕すべきなり』
◇希望の明日へ
平和に関して多次元のアプローチが、絶対に必要である。人間自身が、一面的な存在ではない。当然、社会も時代も人類も、多面的であり、複雑で奥行きをもった変化を続ける。ゆえに、世界の平和への挑戦も、偏ったものであってはならない。包括的な知恵と、現実の動きに即した行動・運動が不可欠である。これが仏法の精神である。
平2・3・11
☆名誉会長と共に新時代を開く 第21回 生き生きと! 戦う人は美しい
流れている川は美しい。
戦っている心は美しい。
心の美しい人に、豊かな福徳は輝く。心を磨き、信心を深めゆく婦人部・女子部のスクラムほど神々しいものはない。
有名な御聖訓には『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事あるべからず』(P1351、「祈祷抄」)と仰せです。誓願の祈りに勝るものはありません。どんな行き詰まりも絶対に打開できるのです。
自分らしく、強く生きるのです。強く生き切った人が幸福です。皆も幸福にしていける。どんな姿であっても、人のために祈り、語り、心を尽くす。その人はすでに菩薩であり、仏です。大事なのは、信心そして行動なのです。
日寛上人は明言されました。『我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり』(当体義抄文段)
広宣流布の大精神で進めば、偉大な仏の生命力が湧現する。これが究極の法理です。何があっても、自身が妙法の当体なりとの大確信で、苦しみも楽しみに変え、全てを変毒為薬しながら、はつらつと、勝ち進んでください。
あの人も、この人も、明るく仲良く包み、一人一人が大功徳を山のように積んでいってください。そこに自分自身の、そして一家眷属の「幸福の門」が開かれ、広宣流布の新たな「人材の門」が広がっていくからです。
私も、皆さん方に一生懸命、題目を送り続けていきます。
どうか、お体を大切に!
人生は楽しく! 生活は生き生きと聡明に!
胸中に希望の太陽を昇らせながら、喜び光る日々であられんことを!
2014.06.07 わが友に贈る
苦難の時には
「挑戦の唱題」!
順風の時にも
「感謝の唱題」を!
たゆまぬ信心を貫け!
陰徳陽報御書 P1178
『わどのの正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじやうにしてすれんをすすればかかるりしやうにもあづからせ給うぞかし此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ』
◇希望の明日へ
平和のための協力は、政治、経済、文化、教育といった次元で当然、必要と思うが、その一方で、宗教が、いかに自律の人間を数多く輩出し得るか−−それは平和構築へ資するところ極めて大である。
平2・1・26
☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第3回 ブラジルの花
幾多の苦難を乗り越え、人のために戦い続けたアタイデ総裁は、何ものにも揺るがぬ巌のような、信念の方でした。それとともに、破顔一笑、笑顔が素敵な方でもありました。青年と語り合うことをこよなく愛した総裁の一言一言は、強き楽観主義に貫かれ、ユーモアにあふれていたのです。
アタイデ総裁は、「どんな悪状況でも、未来を信ずることだ」と常に語っていました。
あまりにも大きな困難を前にして、未来なんか信じられない、という時があるかもしれない。
しかし、絶対にあきらめてはいけない。そんな時こそ、題目を唱えて、自分で自分を励ますのです。自分にしかない使命を信じ、未来を信じ抜くのです。
その人が苦悩の暗雲を吹き払い、心に太陽を燦々と輝かせ、周囲を照らすことができる。その君たち、あなたたちの「信じる力」が、全人類の希望の光となるのです。
ブラジルの作家で、文学アカデミーの会員でもある巨匠パウロ・コエーリョは言います。
「一つだけ忘れないで欲しい。あなた方はみんな、自分で思っているよりも、ずっとすばらしいということを」
たとえ、君たちが自分自身を信じられなくとも、私は君たちを信じています。皆さんには、お父さん、お母さん、そして創価家族の同志が、ついています。だから、あせらず、堂々と、悩みを笑い飛ばしながら、進んでいこう!
私がブラジルを初めて訪れたのは1960年10月。初の海外への平和旅の折でした。2回目は、66年。74年にも訪れようとしましたが、当時、ブラジルは軍事政権下であったため、入国のビザ(査証)が発給されず、断念せざるをえませんでした。
ブラジルSGIの草創の友は、事実無根の誹謗や中傷の嵐の中、歯を食いしばり、社会に貢献し、一人また一人、信頼と幸福の連帯を広げてきました。
「ムイト・マイス・ダイモク!(もっと題目を!)」を合言葉に、日本の約23倍という大地のすみずみにまで、妙法という平和と幸福の種子を蒔いていきました。
84年、ついに18年ぶりの訪問が実現しました。「ブラジル大文化祭」の会場で轟いた、「ピケ! ピケ!」との2万人の王者の勝ちどきは、今も私の耳の奥から離れることはありません。
私は、「戸田城聖先生とともに」との思いで、毎回、この国を訪れました。4度目の訪問は、93年2月から3月にかけてです。
戸田先生の生誕目にあたる2月11日には、リオの地で、小説『人間革命』の全12巻完結の「あとがき」を次のように記しました。
「私のなすべきことは、恩師に代わって、『世界の平和』と『人類の幸福』のために戦い、生き抜き、この世の使命を果たしゆくことと思っている。それが、弟子としての報恩の道であり、先生が開き示された人間革命の道であるからだ」
師弟の誓願に生き抜く時、いかなる烈風も恐れずに、朗らかに前進する勇気が、心の底から湧き上がってきます。
その精神を今、王者ブラジルの若き友が受け継いでくれていることを、私は何よりもうれしく思います。
ブラジルのベリッシモという作家は、「世界は広い。僕たちが見るべき、やるべき価値のあるものが世界には、溢れ返っているんだよ」と呼びかけました。
その通りです。
皆さんは、心広々と世界から学びに学び、語学の力も楽しく身につけていってください。そして、ブラジルをはじめ、世界に友情の花を咲かせ、平和のスクラムを広げていただきたいのです。
この地球という星を、真実の友人が、たくさんいる、皆さんの「ふるさと」として!
「挑戦の唱題」!
順風の時にも
「感謝の唱題」を!
たゆまぬ信心を貫け!
陰徳陽報御書 P1178
『わどのの正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじやうにしてすれんをすすればかかるりしやうにもあづからせ給うぞかし此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ』
◇希望の明日へ
平和のための協力は、政治、経済、文化、教育といった次元で当然、必要と思うが、その一方で、宗教が、いかに自律の人間を数多く輩出し得るか−−それは平和構築へ資するところ極めて大である。
平2・1・26
☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第3回 ブラジルの花
幾多の苦難を乗り越え、人のために戦い続けたアタイデ総裁は、何ものにも揺るがぬ巌のような、信念の方でした。それとともに、破顔一笑、笑顔が素敵な方でもありました。青年と語り合うことをこよなく愛した総裁の一言一言は、強き楽観主義に貫かれ、ユーモアにあふれていたのです。
アタイデ総裁は、「どんな悪状況でも、未来を信ずることだ」と常に語っていました。
あまりにも大きな困難を前にして、未来なんか信じられない、という時があるかもしれない。
しかし、絶対にあきらめてはいけない。そんな時こそ、題目を唱えて、自分で自分を励ますのです。自分にしかない使命を信じ、未来を信じ抜くのです。
その人が苦悩の暗雲を吹き払い、心に太陽を燦々と輝かせ、周囲を照らすことができる。その君たち、あなたたちの「信じる力」が、全人類の希望の光となるのです。
ブラジルの作家で、文学アカデミーの会員でもある巨匠パウロ・コエーリョは言います。
「一つだけ忘れないで欲しい。あなた方はみんな、自分で思っているよりも、ずっとすばらしいということを」
たとえ、君たちが自分自身を信じられなくとも、私は君たちを信じています。皆さんには、お父さん、お母さん、そして創価家族の同志が、ついています。だから、あせらず、堂々と、悩みを笑い飛ばしながら、進んでいこう!
私がブラジルを初めて訪れたのは1960年10月。初の海外への平和旅の折でした。2回目は、66年。74年にも訪れようとしましたが、当時、ブラジルは軍事政権下であったため、入国のビザ(査証)が発給されず、断念せざるをえませんでした。
ブラジルSGIの草創の友は、事実無根の誹謗や中傷の嵐の中、歯を食いしばり、社会に貢献し、一人また一人、信頼と幸福の連帯を広げてきました。
「ムイト・マイス・ダイモク!(もっと題目を!)」を合言葉に、日本の約23倍という大地のすみずみにまで、妙法という平和と幸福の種子を蒔いていきました。
84年、ついに18年ぶりの訪問が実現しました。「ブラジル大文化祭」の会場で轟いた、「ピケ! ピケ!」との2万人の王者の勝ちどきは、今も私の耳の奥から離れることはありません。
私は、「戸田城聖先生とともに」との思いで、毎回、この国を訪れました。4度目の訪問は、93年2月から3月にかけてです。
戸田先生の生誕目にあたる2月11日には、リオの地で、小説『人間革命』の全12巻完結の「あとがき」を次のように記しました。
「私のなすべきことは、恩師に代わって、『世界の平和』と『人類の幸福』のために戦い、生き抜き、この世の使命を果たしゆくことと思っている。それが、弟子としての報恩の道であり、先生が開き示された人間革命の道であるからだ」
師弟の誓願に生き抜く時、いかなる烈風も恐れずに、朗らかに前進する勇気が、心の底から湧き上がってきます。
その精神を今、王者ブラジルの若き友が受け継いでくれていることを、私は何よりもうれしく思います。
ブラジルのベリッシモという作家は、「世界は広い。僕たちが見るべき、やるべき価値のあるものが世界には、溢れ返っているんだよ」と呼びかけました。
その通りです。
皆さんは、心広々と世界から学びに学び、語学の力も楽しく身につけていってください。そして、ブラジルをはじめ、世界に友情の花を咲かせ、平和のスクラムを広げていただきたいのです。
この地球という星を、真実の友人が、たくさんいる、皆さんの「ふるさと」として!
2014.06.06 わが友に贈る
大雨、土砂崩れ、
突風等の自然災害に
厳重警戒せよ!
配達員の皆様はじめ
全同志の無事故を祈る!
転重軽受法門 P1000
『修利槃特と申すは兄弟二人なり、一人もありしかばすりはんどくと申すなり、各各三人は又かくのごとし一人も来らせ給へば三人と存じ候なり』
◇希望の明日へ
平和運動は、これまで、ともすると、"一部の人々のもの"と、見られがちであった。しかし、平和といっても、決して日常を離れたところにあるものではない。現実の生活のなかに、また一人一人の生命と人生に、どう根本的な平和の種子を植え、育てていくか。ここに、永続的な平和への堅実な前進があり、創価学会の活動の眼目がある。
平1・10・24
☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第3回 ブラジルの花
日蓮大聖人の御名前には、「日」という太陽と「蓮」という蓮華の花が入っています。
太陽は最も明るい存在であり、蓮華は最も清らかな存在です。
この日蓮仏法の真髄である題目を唱えていくならば、わが生命を太陽のように明るく輝かせ、蓮華のように清らかに咲き誇らせていけるのです。
皆さんは「勝つため」に生まれてきました。唱題は、どんなに苦しいことがあっでも、今日という日を生き抜き、勝ち切っていく原動力です。
私は、試練と戦うブラジルの友と語り合いました。
「自分が強くなる以外にない。自分が大木になれば、どんな大風も平気である。むしろ楽しんでいける」
「目には見えないが、木は毎日、生長している。私どもの唱題も、目には見えないが毎日、自分自身を福運の大木へと育てている」と。
題目は『歓喜の中の大歓喜』(P788、「御義口伝」)です。その歓喜が、自身の生命を、大きく、また太く立派な大樹に成長させていくのです。その伸びゆく命には、あきらめや敗北はありません。どこまでも朗らかに、明るく悠々と、人生を勝ち進んでいける。
朗らかな人が、最後に勝利する人なのです。
私が敬愛してやまぬ大先輩に、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁がいます。新聞記者として正義のペンを振るい、独裁政権から投獄・国外追放される迫害にも屈しなかった言論の闘士です。
さらに、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と謳った国連の「世界人権宣言」の起草にもブラジル代表として尽力し、世界から仰がれた生命尊厳の賢者でした。
総裁とお会いしたのは1993年2月、リオデジャネイロでのことでした。94歳というご高齢にもかかわらず、わざわざ私を空港まで迎えにきてくださいました。
出会った瞬間、「力を合わせて、人類の歴史を変えていきましょう!」と語り合ったことが、今でも鮮やかに蘇ります。
総裁は、親孝行の人生を歩んでこられた人です。
「人権」といっても、「人間」を大切にすることから始まります。その出発は親孝行なのです。
総裁は振り返られていました。
「母は陽気で笑いを絶やさない人でした」「母をたくましくしたのは、12人の子どもたちをはじめ、その倍以上の数の孫や、見知らぬ他人の子どもたちを育て、生きる喜びを与えることを、自分の最大の喜びとし続けてきたからだと思う」と。
地域の人たちに尽くし、幸福の花束を贈る、皆さんのお母さん方と二重写しに思えてなりません。
生きる喜びを与えることを、自分の喜びにしていける人は幸福です。その人には、本当の朗らかさ、明るさ、そして強さがあります。
突風等の自然災害に
厳重警戒せよ!
配達員の皆様はじめ
全同志の無事故を祈る!
転重軽受法門 P1000
『修利槃特と申すは兄弟二人なり、一人もありしかばすりはんどくと申すなり、各各三人は又かくのごとし一人も来らせ給へば三人と存じ候なり』
◇希望の明日へ
平和運動は、これまで、ともすると、"一部の人々のもの"と、見られがちであった。しかし、平和といっても、決して日常を離れたところにあるものではない。現実の生活のなかに、また一人一人の生命と人生に、どう根本的な平和の種子を植え、育てていくか。ここに、永続的な平和への堅実な前進があり、創価学会の活動の眼目がある。
平1・10・24
☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第3回 ブラジルの花
日蓮大聖人の御名前には、「日」という太陽と「蓮」という蓮華の花が入っています。
太陽は最も明るい存在であり、蓮華は最も清らかな存在です。
この日蓮仏法の真髄である題目を唱えていくならば、わが生命を太陽のように明るく輝かせ、蓮華のように清らかに咲き誇らせていけるのです。
皆さんは「勝つため」に生まれてきました。唱題は、どんなに苦しいことがあっでも、今日という日を生き抜き、勝ち切っていく原動力です。
私は、試練と戦うブラジルの友と語り合いました。
「自分が強くなる以外にない。自分が大木になれば、どんな大風も平気である。むしろ楽しんでいける」
「目には見えないが、木は毎日、生長している。私どもの唱題も、目には見えないが毎日、自分自身を福運の大木へと育てている」と。
題目は『歓喜の中の大歓喜』(P788、「御義口伝」)です。その歓喜が、自身の生命を、大きく、また太く立派な大樹に成長させていくのです。その伸びゆく命には、あきらめや敗北はありません。どこまでも朗らかに、明るく悠々と、人生を勝ち進んでいける。
朗らかな人が、最後に勝利する人なのです。
私が敬愛してやまぬ大先輩に、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁がいます。新聞記者として正義のペンを振るい、独裁政権から投獄・国外追放される迫害にも屈しなかった言論の闘士です。
さらに、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と謳った国連の「世界人権宣言」の起草にもブラジル代表として尽力し、世界から仰がれた生命尊厳の賢者でした。
総裁とお会いしたのは1993年2月、リオデジャネイロでのことでした。94歳というご高齢にもかかわらず、わざわざ私を空港まで迎えにきてくださいました。
出会った瞬間、「力を合わせて、人類の歴史を変えていきましょう!」と語り合ったことが、今でも鮮やかに蘇ります。
総裁は、親孝行の人生を歩んでこられた人です。
「人権」といっても、「人間」を大切にすることから始まります。その出発は親孝行なのです。
総裁は振り返られていました。
「母は陽気で笑いを絶やさない人でした」「母をたくましくしたのは、12人の子どもたちをはじめ、その倍以上の数の孫や、見知らぬ他人の子どもたちを育て、生きる喜びを与えることを、自分の最大の喜びとし続けてきたからだと思う」と。
地域の人たちに尽くし、幸福の花束を贈る、皆さんのお母さん方と二重写しに思えてなりません。
生きる喜びを与えることを、自分の喜びにしていける人は幸福です。その人には、本当の朗らかさ、明るさ、そして強さがあります。
2014.06.05 わが友に贈る
目標への真剣さは
祈りの姿勢に表れる。
きょうも朗々たる
誓願の題目で
諸天を揺り動かせ!
生死一大事血脈抄 P1337
『金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず鉄は水火共に堪えず賢人は金の如く愚人は鉄の如し貴辺豈真金に非ずや法華経の金を持つ故か』
◇希望の明日へ
仏法では十界といって、どんな人間の生命にも十通りの生命境界があることを説いている。戦争に巻き込まれた人間の生命状態は、このうちもっとも低い 「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」の三悪道・四悪趣に覆われたもので、本能と欲望に、支配されるままの状態といえる。そうした状態の、人間の思慮や行動は、愚かで野蛮なものを免れないのは道理である。ゆえに、仏法の視点からいえば、個々の人間の"心の中に平和"をいかに築き上げるか、それこそが世界の平和建設への源泉となるのである。仏法の思想こそ"心の救済″すなわち"心の平和″の構築という、真の平和主義の哲理だと考えている。
平1・10・11
☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第3回 ブラジルの花
「真実の友人がいれば、そこがふるさとである」
これは、私の大切な友で、ブラジルを代表する音楽家のビエイラさんと分かち合う信条です。
ですから私には、「真実の友人」がいる日本中、世界中に「ふるさと」があると思っています。
中でも、底抜けに朗らかな友人たちがいるブラジルは、大好きな大好きな「ふるさと」なのです。
青空には、真白き大雲が悠然とほほ笑み、緑の大地は、どこまでも雄大に広がっていました。花も木々も、そよ風と語らい、鳥も蝶も、喜び舞っていました。
1993年2月、私はブラジルSGI自然文化センターを訪れました。ブラジル最大の都市サンパウロ近郊でも、とりわけ景観が美しいといわれる森林地帯です。
センター内には、蓮華やヒマワリ、コスモスなど20種類以上の色とりどりの花々が咲き香っていました。メンバーの真心の作業で育てられたものです。
環境と人間の調和を目指して。ブラジルSGIが研究拠点を設置しているアマゾンの珍魚や、大西洋、カリブ海の30数種の魚も泳いでいました。
私は時間を見つけては、青年たちと、この花と緑の楽園を散策し、語り合いました。
まばゆいばかりの陽光に包まれ、ひときわ鮮やかに輝く一角がありました。紫とピンク色の花が美しいクワレズメイラの庭です。
クワレズメイラは、ノボタン(野牡丹)科の花樹で、南米原産とされています。サンパウロの街を歩くと、あちこちに植えられていて、緑の葉の間から天に向かって、生命を爆発させるかのように開花します。
英語では「紫の栄光の木」ともいわれる、この花の如く、わがブラジルの友は、幾多の嵐にも負けず、強く明るく晴れ晴れと、栄光の人生を歩んできました。
誰が見ていようといまいと、花は自分らしく思い切り、生命の讃歌を謳い上げます。ゆえに、花は周りに人を呼び、皆の笑顔をほころばせてくれます。
同じように、朗らかな人は、周囲を笑顔にします。自然のうちに、快活さを伝え、挑戦の息吹を広げていくのです。
朗らかな人には、かなわない。どんな苦難も、どんな障害も──。
ブラジルには、「歌う者は、自分の不運を追い払う」という、ことわざがあります。
誰だって、つらいことや悲しいことがある。だからこそ歌を歌って、陽気に笑い飛ばしていくのだ。希望がなければ、自分でつくればよいのだ──そんなブラジルの友の心意気が感じられる言葉です。
ブラジルは、「未来の大国」といわれてきた南米最大の国です。
その広大な国土と大自然、異なる多彩な人種の融合が織りなす世界に、多くの人々が魅了されてきました。私も、ブラジルの人々の優しさと強靭な楽観主義を、こよなく愛する一人です。
間もなくサッカーのワールドカップも、ブラジルで開催されます。サッカー王国・ブラジルは、ボール一つで、どんな人とも友達になれるフレンドリーな国柄です。
また、大勢の人が仮装し、サンバのリズムに合わせて踊り、行進するリオデジャネイロのカーニバルも有名です。
1993年2月、リオの文化会館を訪れた時、ブラジルの友と共に「創価文化カーニバル」を開き、サンバの楽器を手に声援を送ったことも懐かしい。
御書には、『大悪が起これは必ず大善がくる』『あなた方は何を嘆かれることがあろうか。迦葉尊者でなくとも(喜んで)舞でも舞うべきところである。舎利弗でなくとも、立って踊るべきところである。上行菩薩が大地から涌出された時には、踊りながら出られたではないか』(P1300、通解、「大悪大善御書」)とあります。
仏法の眼から見れば、困難があるということは、必ず勝利できるという瑞相なのです。
だからこそ、大変であればあるほど、大きく変わるチャンスだと、力強く舞を舞うように喜び勇んで立ち向かっていく。これが、私たちの信心です。勇気ある信心が、最大のピンチを最大のチャンスに変えるのです。
祈りの姿勢に表れる。
きょうも朗々たる
誓願の題目で
諸天を揺り動かせ!
生死一大事血脈抄 P1337
『金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず鉄は水火共に堪えず賢人は金の如く愚人は鉄の如し貴辺豈真金に非ずや法華経の金を持つ故か』
◇希望の明日へ
仏法では十界といって、どんな人間の生命にも十通りの生命境界があることを説いている。戦争に巻き込まれた人間の生命状態は、このうちもっとも低い 「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」の三悪道・四悪趣に覆われたもので、本能と欲望に、支配されるままの状態といえる。そうした状態の、人間の思慮や行動は、愚かで野蛮なものを免れないのは道理である。ゆえに、仏法の視点からいえば、個々の人間の"心の中に平和"をいかに築き上げるか、それこそが世界の平和建設への源泉となるのである。仏法の思想こそ"心の救済″すなわち"心の平和″の構築という、真の平和主義の哲理だと考えている。
平1・10・11
☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第3回 ブラジルの花
「真実の友人がいれば、そこがふるさとである」
これは、私の大切な友で、ブラジルを代表する音楽家のビエイラさんと分かち合う信条です。
ですから私には、「真実の友人」がいる日本中、世界中に「ふるさと」があると思っています。
中でも、底抜けに朗らかな友人たちがいるブラジルは、大好きな大好きな「ふるさと」なのです。
青空には、真白き大雲が悠然とほほ笑み、緑の大地は、どこまでも雄大に広がっていました。花も木々も、そよ風と語らい、鳥も蝶も、喜び舞っていました。
1993年2月、私はブラジルSGI自然文化センターを訪れました。ブラジル最大の都市サンパウロ近郊でも、とりわけ景観が美しいといわれる森林地帯です。
センター内には、蓮華やヒマワリ、コスモスなど20種類以上の色とりどりの花々が咲き香っていました。メンバーの真心の作業で育てられたものです。
環境と人間の調和を目指して。ブラジルSGIが研究拠点を設置しているアマゾンの珍魚や、大西洋、カリブ海の30数種の魚も泳いでいました。
私は時間を見つけては、青年たちと、この花と緑の楽園を散策し、語り合いました。
まばゆいばかりの陽光に包まれ、ひときわ鮮やかに輝く一角がありました。紫とピンク色の花が美しいクワレズメイラの庭です。
クワレズメイラは、ノボタン(野牡丹)科の花樹で、南米原産とされています。サンパウロの街を歩くと、あちこちに植えられていて、緑の葉の間から天に向かって、生命を爆発させるかのように開花します。
英語では「紫の栄光の木」ともいわれる、この花の如く、わがブラジルの友は、幾多の嵐にも負けず、強く明るく晴れ晴れと、栄光の人生を歩んできました。
誰が見ていようといまいと、花は自分らしく思い切り、生命の讃歌を謳い上げます。ゆえに、花は周りに人を呼び、皆の笑顔をほころばせてくれます。
同じように、朗らかな人は、周囲を笑顔にします。自然のうちに、快活さを伝え、挑戦の息吹を広げていくのです。
朗らかな人には、かなわない。どんな苦難も、どんな障害も──。
ブラジルには、「歌う者は、自分の不運を追い払う」という、ことわざがあります。
誰だって、つらいことや悲しいことがある。だからこそ歌を歌って、陽気に笑い飛ばしていくのだ。希望がなければ、自分でつくればよいのだ──そんなブラジルの友の心意気が感じられる言葉です。
ブラジルは、「未来の大国」といわれてきた南米最大の国です。
その広大な国土と大自然、異なる多彩な人種の融合が織りなす世界に、多くの人々が魅了されてきました。私も、ブラジルの人々の優しさと強靭な楽観主義を、こよなく愛する一人です。
間もなくサッカーのワールドカップも、ブラジルで開催されます。サッカー王国・ブラジルは、ボール一つで、どんな人とも友達になれるフレンドリーな国柄です。
また、大勢の人が仮装し、サンバのリズムに合わせて踊り、行進するリオデジャネイロのカーニバルも有名です。
1993年2月、リオの文化会館を訪れた時、ブラジルの友と共に「創価文化カーニバル」を開き、サンバの楽器を手に声援を送ったことも懐かしい。
御書には、『大悪が起これは必ず大善がくる』『あなた方は何を嘆かれることがあろうか。迦葉尊者でなくとも(喜んで)舞でも舞うべきところである。舎利弗でなくとも、立って踊るべきところである。上行菩薩が大地から涌出された時には、踊りながら出られたではないか』(P1300、通解、「大悪大善御書」)とあります。
仏法の眼から見れば、困難があるということは、必ず勝利できるという瑞相なのです。
だからこそ、大変であればあるほど、大きく変わるチャンスだと、力強く舞を舞うように喜び勇んで立ち向かっていく。これが、私たちの信心です。勇気ある信心が、最大のピンチを最大のチャンスに変えるのです。
2014年6月4日水曜日
2014.06.04 わが友に贈る
季節の変わり目。
気温の激しい変化で
体調を崩さぬよう
賢明な対処を!
健康が勝利の土台だ。
新池御書 P1439
『うれしきかな末法流布に生れあへる我等かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人』
◇希望の明日へ
平和のためには当然、政治家同士の話し合いが重要である。しかし、同時に草の根の文化、教育交流こそ、現代にあっては良質の安全保障になるということを確認したい。民衆同士の連帯を欠いた平和の取り決めがどんなに脆いものであったかは、歴史のよく示すところである。
平1・1・26
気温の激しい変化で
体調を崩さぬよう
賢明な対処を!
健康が勝利の土台だ。
新池御書 P1439
『うれしきかな末法流布に生れあへる我等かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人』
◇希望の明日へ
平和のためには当然、政治家同士の話し合いが重要である。しかし、同時に草の根の文化、教育交流こそ、現代にあっては良質の安全保障になるということを確認したい。民衆同士の連帯を欠いた平和の取り決めがどんなに脆いものであったかは、歴史のよく示すところである。
平1・1・26
2014年6月3日火曜日
2014.06.03 わが友に贈る
聖教の拡大は
平和と幸福の拡大。
尊き言論戦に先駆する
新聞長の皆様に感謝!
福徳の栄冠は燦然!
御義口伝巻上 P750
『末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』
◇希望の明日へ
仏法者として、怒りや憎悪、エゴイズムによる分断の心等の殺害への衝動に、真正面から挑戦していかなくてはならない。それらをことごとく慈悲と智慧に輝く崇高な魂へと転じ、昇華していく"生命の戦い″こそ、すべての平和連動の基盤に位置づけられるべきである。
昭63・12・6
☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜 第3回 大学の創立者福沢諭吉
みなさんは、本当に「偉い人」とは、どんな人だと思いますか?
世の中では、いまだに有名人や人気のある人、お金持ちや位のある人などが「偉い人」として注目されています。
でも、本当にそうでしょうか?
すでに、140年以上も前に、福沢諭吉という大教育者は、「偉い人」とは「学ぶ人(学問をする人)」であると宣言しました。
今回は、この福沢諭吉と語り合うような思いで、人間の「偉さ」と「学ぶ」ことの意義をいっしよに考えていきましょう!
福沢諭吉の名前を初めて聞いたという人も、その顔はどこかで見たことがあるかもしれません。今の一万円札に描かれている人物です。
日本を代表する私立大学である慶応大学を創立しました。
この慶応大学の病院は、東京の信濃町にあり、創価学会の総本部のご近所になります。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」
これは、日本が江戸時代から明治時代へと変わった直後に、福沢諭吉が書いた『学問のすすめ』の始まりの言葉です。この本は、当時、日本中の十人に一人が読んだともいわれ、小学校の教科書としても使われました。
なぜ、諭告はこのようなことを書き、それが、どうして、多くの人の心をつかんだのでしょうか?
それまでの江戸時代には、「士農工商」という身分制度があり、身分の上下が決められていました。生まれた時から家の階級にしばられ、差別されていたのです。
明治になって、みんなが平等に生きていく時代が始まりました。しかし、人の心はなかなか変わりません。
そのなかで、諭告は『学問のすすめ』を通して、みんなに、はげましを送っていったのです。
この本は、今まで"学問"したことのない人でも読めるよう、やさしい言葉で書かれており、多くの人が学び始めるきっかけとなりました。
どんな人でも勉強すれば偉くなって、人々の幸福のため、社会の発展のため、つくしていける。福沢諭吉は、そういう時代を願って、教育に力を注いでいったのです。
みんなに学問をすすめるくらいだから、きっと諭告は子どものころから勉強が大好きで、頭がよかったんだろうな、と思う人がいるかもしれません。
でも、じつは、諭吉少年は、勉強が大きらいだったんです。
福沢諭吉は、1835年、5人きょうだいの末っ子として、お父さんの仕事先だった大阪で生まれました。
お父さんは九州の中津藩(今の大分県)に仕える武士でした。まじめで、学問が好きで、すぐれた人でしたが、階級が低かったので地位が上がらず、家は貧しかった。そのうえ、諭告が1歳の時、お父さんが病気で亡くなり、一家は中津へ帰ることになりました。
しかし、言葉づかいなども違って、引っ越し先でのくらしになじめません。友だちができず、木登りや水泳も苦手でした。手先が器用で家の手伝いをよくしましたが、本を読むのは大きらいでした。
そんな諭吉少年にお母さんは、お父さんが亡くなる前に「勉強して立派になってほしい」と願っていたことを聞かせたこともありました。
ようやく学校に通うようになったのは14歳ごろ、今でいう中学生のころです。まわりは自分より年下の子たちばかり。しかし、諭告は、負けじ魂を燃やして、むちゅうで勉強しました。やってみるとおもしろくなり、みんながとちゅうで投げ出してしまう、15巻もある中国の歴史の本を、11回も読み返したといいます。
このねばり強さで、みんなに追いつくだけでなく、だれにも負けない力をつけていったのです。
勉強は苦手だなあ、好きな科目がないなあと思っている人も、心を決めてまず一つ、じっくり挑戦してみると、必ずわかるようになります。そうすれば、がんばることが楽しくなる。
創価教育の父である牧口常三郎先生は、よく「学は光」と語られました。みんなの「学ぼう!」という心が、のぼりゆく太陽のように光を放っていくのです。
江戸時代の日本が交流していた西洋の国は、オランダだけでした。そのため、福沢諭吉は19歳で長崎へ行ってオランダ語を学び、西洋の学問をどんどん吸収していきました。
その後、大阪の緒方洪庵という有名な学者のもと、「適塾」で猛勉強しました。そこには、日本中から最新の学問を求める青年が集まり、みんな時間をおしんで学びぬいたのです。
そうして力をつけ、23歳で江戸(現在の東京)へ出て、オランダ語の塾を開きました。
諭吉は、ある日、外国との貿易が少しずつ始まった横浜に行きました。ところが、出会った外国人に話しかけても言葉が通じない。店にかかる外国語のかんばんも読めない。
それもそのはず、見るもの聞くもの、オランダ語ではなく、英語であふれていたのです。すでに時代は変わり、今まで勉強してきたことが役に立たない。大きな大きなショツクでした。
けれども、くよくよと落ちこんでいる諭吉青年ではありませんでした。
"こんどは英語の勉強だ"——横浜から帰った翌日から、さっそく英語を学び始めたのです。
大変な時に負けない。カベにぶつかつたら、もっと力を出して乗りこえる。この勇気の心にこそ、希望の虹はかがやきます。
そうして勉強していくと、諭吉は、英語がオランダ語に似ていることに気づき、語学の力をみがきました。
「苦労して学んだことは、むだにはならない。必ず役に立つ」と、私の師匠である戸田城聖先生も言われていました。
その後、諭吉は、江戸幕府の使節団として、アメリカやヨーロッパヘ行き、進んだ文化を学びに学びました。そして、みがき、きたえた英知の力をはっきして、時代を動かしていったのです。
1868年、江戸時代が終わり、明治時代になった年のこと。新しい政府の軍隊と、反対する人たちとの間の戦いが始まりました。
この時、福沢諭吉は、自らが創立した慶応義塾(現在の慶応大学)で、経済学の授業をしていました。
ドカーン、ドドドーン!
遠くのほうで、大砲の音がひびきました。しかし諭吉は、まったく動ずることなく、授業を続けました。心には、ゆるぎない信念が燃えていました。
「ペンは剣よりも強し」
学問の力は、武器の力よりも強い。新しい時代を開く力は、断じて学問であり、教育である、と。
慶応大学の図書館のステンドグラスには、今でも、この言葉がラテン語で残されています。
勉強する人が、偉い人です。
努力する人が、勝利者です。
その人には、だれもかなわない。
みなさんのお父さんやお母さんも、創価学会という「学ぶ会」で、みんなを幸福にし、世界を平和にしていく生命の大哲学を学び、実践しています。世界一偉い人だと、私は誇りに思っています。
みなさんは、その後継者です。
勉強は、いつでも、どこでも始められます。だれからでも、何からでも学ぶことができます。学んだことは、すべていかしていくことができます。
「学」は、栄光と勝利の道です。
さあ、きょうから、今から、偉人な学びの道を歩み始めよう!
一歩また一歩、一日また一日、朗らかな負けじ魂で!
平和と幸福の拡大。
尊き言論戦に先駆する
新聞長の皆様に感謝!
福徳の栄冠は燦然!
御義口伝巻上 P750
『末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』
◇希望の明日へ
仏法者として、怒りや憎悪、エゴイズムによる分断の心等の殺害への衝動に、真正面から挑戦していかなくてはならない。それらをことごとく慈悲と智慧に輝く崇高な魂へと転じ、昇華していく"生命の戦い″こそ、すべての平和連動の基盤に位置づけられるべきである。
昭63・12・6
☆希望の虹〜世界の偉人を語る〜 第3回 大学の創立者福沢諭吉
みなさんは、本当に「偉い人」とは、どんな人だと思いますか?
世の中では、いまだに有名人や人気のある人、お金持ちや位のある人などが「偉い人」として注目されています。
でも、本当にそうでしょうか?
すでに、140年以上も前に、福沢諭吉という大教育者は、「偉い人」とは「学ぶ人(学問をする人)」であると宣言しました。
今回は、この福沢諭吉と語り合うような思いで、人間の「偉さ」と「学ぶ」ことの意義をいっしよに考えていきましょう!
福沢諭吉の名前を初めて聞いたという人も、その顔はどこかで見たことがあるかもしれません。今の一万円札に描かれている人物です。
日本を代表する私立大学である慶応大学を創立しました。
この慶応大学の病院は、東京の信濃町にあり、創価学会の総本部のご近所になります。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」
これは、日本が江戸時代から明治時代へと変わった直後に、福沢諭吉が書いた『学問のすすめ』の始まりの言葉です。この本は、当時、日本中の十人に一人が読んだともいわれ、小学校の教科書としても使われました。
なぜ、諭告はこのようなことを書き、それが、どうして、多くの人の心をつかんだのでしょうか?
それまでの江戸時代には、「士農工商」という身分制度があり、身分の上下が決められていました。生まれた時から家の階級にしばられ、差別されていたのです。
明治になって、みんなが平等に生きていく時代が始まりました。しかし、人の心はなかなか変わりません。
そのなかで、諭告は『学問のすすめ』を通して、みんなに、はげましを送っていったのです。
この本は、今まで"学問"したことのない人でも読めるよう、やさしい言葉で書かれており、多くの人が学び始めるきっかけとなりました。
どんな人でも勉強すれば偉くなって、人々の幸福のため、社会の発展のため、つくしていける。福沢諭吉は、そういう時代を願って、教育に力を注いでいったのです。
みんなに学問をすすめるくらいだから、きっと諭告は子どものころから勉強が大好きで、頭がよかったんだろうな、と思う人がいるかもしれません。
でも、じつは、諭吉少年は、勉強が大きらいだったんです。
福沢諭吉は、1835年、5人きょうだいの末っ子として、お父さんの仕事先だった大阪で生まれました。
お父さんは九州の中津藩(今の大分県)に仕える武士でした。まじめで、学問が好きで、すぐれた人でしたが、階級が低かったので地位が上がらず、家は貧しかった。そのうえ、諭告が1歳の時、お父さんが病気で亡くなり、一家は中津へ帰ることになりました。
しかし、言葉づかいなども違って、引っ越し先でのくらしになじめません。友だちができず、木登りや水泳も苦手でした。手先が器用で家の手伝いをよくしましたが、本を読むのは大きらいでした。
そんな諭吉少年にお母さんは、お父さんが亡くなる前に「勉強して立派になってほしい」と願っていたことを聞かせたこともありました。
ようやく学校に通うようになったのは14歳ごろ、今でいう中学生のころです。まわりは自分より年下の子たちばかり。しかし、諭告は、負けじ魂を燃やして、むちゅうで勉強しました。やってみるとおもしろくなり、みんながとちゅうで投げ出してしまう、15巻もある中国の歴史の本を、11回も読み返したといいます。
このねばり強さで、みんなに追いつくだけでなく、だれにも負けない力をつけていったのです。
勉強は苦手だなあ、好きな科目がないなあと思っている人も、心を決めてまず一つ、じっくり挑戦してみると、必ずわかるようになります。そうすれば、がんばることが楽しくなる。
創価教育の父である牧口常三郎先生は、よく「学は光」と語られました。みんなの「学ぼう!」という心が、のぼりゆく太陽のように光を放っていくのです。
江戸時代の日本が交流していた西洋の国は、オランダだけでした。そのため、福沢諭吉は19歳で長崎へ行ってオランダ語を学び、西洋の学問をどんどん吸収していきました。
その後、大阪の緒方洪庵という有名な学者のもと、「適塾」で猛勉強しました。そこには、日本中から最新の学問を求める青年が集まり、みんな時間をおしんで学びぬいたのです。
そうして力をつけ、23歳で江戸(現在の東京)へ出て、オランダ語の塾を開きました。
諭吉は、ある日、外国との貿易が少しずつ始まった横浜に行きました。ところが、出会った外国人に話しかけても言葉が通じない。店にかかる外国語のかんばんも読めない。
それもそのはず、見るもの聞くもの、オランダ語ではなく、英語であふれていたのです。すでに時代は変わり、今まで勉強してきたことが役に立たない。大きな大きなショツクでした。
けれども、くよくよと落ちこんでいる諭吉青年ではありませんでした。
"こんどは英語の勉強だ"——横浜から帰った翌日から、さっそく英語を学び始めたのです。
大変な時に負けない。カベにぶつかつたら、もっと力を出して乗りこえる。この勇気の心にこそ、希望の虹はかがやきます。
そうして勉強していくと、諭吉は、英語がオランダ語に似ていることに気づき、語学の力をみがきました。
「苦労して学んだことは、むだにはならない。必ず役に立つ」と、私の師匠である戸田城聖先生も言われていました。
その後、諭吉は、江戸幕府の使節団として、アメリカやヨーロッパヘ行き、進んだ文化を学びに学びました。そして、みがき、きたえた英知の力をはっきして、時代を動かしていったのです。
1868年、江戸時代が終わり、明治時代になった年のこと。新しい政府の軍隊と、反対する人たちとの間の戦いが始まりました。
この時、福沢諭吉は、自らが創立した慶応義塾(現在の慶応大学)で、経済学の授業をしていました。
ドカーン、ドドドーン!
遠くのほうで、大砲の音がひびきました。しかし諭吉は、まったく動ずることなく、授業を続けました。心には、ゆるぎない信念が燃えていました。
「ペンは剣よりも強し」
学問の力は、武器の力よりも強い。新しい時代を開く力は、断じて学問であり、教育である、と。
慶応大学の図書館のステンドグラスには、今でも、この言葉がラテン語で残されています。
勉強する人が、偉い人です。
努力する人が、勝利者です。
その人には、だれもかなわない。
みなさんのお父さんやお母さんも、創価学会という「学ぶ会」で、みんなを幸福にし、世界を平和にしていく生命の大哲学を学び、実践しています。世界一偉い人だと、私は誇りに思っています。
みなさんは、その後継者です。
勉強は、いつでも、どこでも始められます。だれからでも、何からでも学ぶことができます。学んだことは、すべていかしていくことができます。
「学」は、栄光と勝利の道です。
さあ、きょうから、今から、偉人な学びの道を歩み始めよう!
一歩また一歩、一日また一日、朗らかな負けじ魂で!
2014年6月2日月曜日
2014.06.02 わが友に贈る
◇今週のことば
さあ、心はずむ女性月間
「白ゆり」と「華陽」の
花のスクラムを満開に!
世界を明るく照らすのは
創価の偉大な女性達だ!
2014年06月02日
御義口伝巻上 P751
『今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり』
◇希望の明日へ
現代の世界的危機や、科学的実証主義の中には、残念ながら人間の倣慢が横たわっているように思える部分がある。人間の倣慢こそ、真理と平和への脅威である。人間は、自己の倣慢との戦いを決して忘れてはならない。
昭63・8・26
◎昨日はとても暑かったですね。そんな中、自転車で神崎大橋(往復100Km)まで行ってきました(^^♪
さあ、心はずむ女性月間
「白ゆり」と「華陽」の
花のスクラムを満開に!
世界を明るく照らすのは
創価の偉大な女性達だ!
2014年06月02日
御義口伝巻上 P751
『今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり』
◇希望の明日へ
現代の世界的危機や、科学的実証主義の中には、残念ながら人間の倣慢が横たわっているように思える部分がある。人間の倣慢こそ、真理と平和への脅威である。人間は、自己の倣慢との戦いを決して忘れてはならない。
昭63・8・26
◎昨日はとても暑かったですね。そんな中、自転車で神崎大橋(往復100Km)まで行ってきました(^^♪
2014.06.01 わが友に贈る
学び続ける人
行動の人には
精神の輝きがある。
求道の心を燃やし
黄金の自分史を綴れ!
四条金吾殿御返事 P1194
『多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし』
◇希望の明日へ
未来を担う青年たちが、民衆のなかに入り、真撃な対話を重ねつつ、人々に奉仕する。そのことによって、自己自身を鍛えるとともに、自己と他者の生命の深奥に非暴力・平和の炎を点火し、燃え上がらせていくことが、人々を混迷の闇に陥れる、暴力という"生命の魔性″を打ち破る光源となるのであろう。
昭63・1・7
☆大白蓮華巻頭言 2014年6月「青春の宝の命を開きゆけ!」
青春は「挑戦の勇気」である。いかなる試練にも勇敢にチャレンジする。そこにこそ、青春の喜びがあり、充実があり、誇りがあると言えまいか。
ゆえに挑戦の人は、何歳になろうと、青春の人だ。
アメリカ・ルネサンスの民衆詩人ホイットマンも青年に「私は納得のいく結果が得られるまで、挑戦し、挑戦し、さらに挑戦する。そして必要ならば、もう一度、一からでも挑戦してみせる」と語った。
我ら創価家族は「広宣流布」という誓いを掲げ、来る日も来る日も、皆で励まし合いながら、不屈の挑戦を続けている。青年はもちろん、壮年も婦人も皆が一体となって、「地湧の青春」を挑み舞いゆく喜びの劇を、明るく賑やかに織り成していきたい。
現実の社会には、青年から伸びやかな自信を奪い、挑戦の意欲を抑えつけようとする障壁が立ちはだかる。しかし、断じて負けてはならない。
人類の未来にとって最もかけがえのない宝、最も頼もしいエネルギーは何か。それは青年の生命だ。
御書の「一念三千法門」には、『十人の人がいて、それぞれの蔵に宝を積んでいる。しかし気づかないまま、みすみす飢えや凍えで死に瀕する。その時、一人の賢人が宝に気づいて、そのことを皆に教えて助けていく』(P413、趣意)という譬喩が説かれる。
その蔵の宝とは、誰人にも具わる最も尊い生命の仏性であり、それに目覚め、皆も目覚めさせていく賢人の行動こそ、仏法の発露である。
一人ひとりの青年が、妙法を唱え、この宝の生命を開いて、自他共に最高最大に光り輝かせていく。ここに、創価の「人間革命」の行進がある。
この大仏法の哲理を、一人でも多くの若人に語り、共々に胸を張り、希望と充実と栄光の人生を開拓していくことだ。そこから、家庭にも、職場にも、地域にも、若々しい創造の活力が漲るからである。
わが師・戸田城聖先生は、悪戦苦闘する健気な同志を抱きかかえて激励された。
「この世には、必ず使命があって生まれてくる」「皆、地涌の菩薩として、広宣流布を誓い願って、生まれてきたんだ。そのことがドンと腹に決まれば、いくらでも福徳を開いていけるんだよ!」と。
草創の四国の母は高知で空襲に遭い、戦後のどん底の苦労の中で入会した。悪口罵詈など笑い飛ばしながら、「挑戦なくして勝利なし」と苦学を重ねて教員となった。人間教育の太陽と輝き、70代の今も青年と共に、青年のためにと対話に励んでいる。
「今どんな姿であっても、人は変われます。私は恐れません。幸福を願い、仏法を求めてやまない、人々の本当の心の声が聞こえてくるからです」と。
気高き多宝の父母たちは、生命の荘厳な宝塔から「常楽我浄」の香風で皆を包まずにはおかないのだ。
わが後継の青年たちよ! 壮大に広がった世界192カ国・地域の誓いの友と手を携えて、人類の生命の至宝を限りなく開いていってくれ給え!
勝ちまくれ
仏の力は
偉大なる
広布に生き抜く
誓いの生命に
行動の人には
精神の輝きがある。
求道の心を燃やし
黄金の自分史を綴れ!
四条金吾殿御返事 P1194
『多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし』
◇希望の明日へ
未来を担う青年たちが、民衆のなかに入り、真撃な対話を重ねつつ、人々に奉仕する。そのことによって、自己自身を鍛えるとともに、自己と他者の生命の深奥に非暴力・平和の炎を点火し、燃え上がらせていくことが、人々を混迷の闇に陥れる、暴力という"生命の魔性″を打ち破る光源となるのであろう。
昭63・1・7
☆大白蓮華巻頭言 2014年6月「青春の宝の命を開きゆけ!」
青春は「挑戦の勇気」である。いかなる試練にも勇敢にチャレンジする。そこにこそ、青春の喜びがあり、充実があり、誇りがあると言えまいか。
ゆえに挑戦の人は、何歳になろうと、青春の人だ。
アメリカ・ルネサンスの民衆詩人ホイットマンも青年に「私は納得のいく結果が得られるまで、挑戦し、挑戦し、さらに挑戦する。そして必要ならば、もう一度、一からでも挑戦してみせる」と語った。
我ら創価家族は「広宣流布」という誓いを掲げ、来る日も来る日も、皆で励まし合いながら、不屈の挑戦を続けている。青年はもちろん、壮年も婦人も皆が一体となって、「地湧の青春」を挑み舞いゆく喜びの劇を、明るく賑やかに織り成していきたい。
現実の社会には、青年から伸びやかな自信を奪い、挑戦の意欲を抑えつけようとする障壁が立ちはだかる。しかし、断じて負けてはならない。
人類の未来にとって最もかけがえのない宝、最も頼もしいエネルギーは何か。それは青年の生命だ。
御書の「一念三千法門」には、『十人の人がいて、それぞれの蔵に宝を積んでいる。しかし気づかないまま、みすみす飢えや凍えで死に瀕する。その時、一人の賢人が宝に気づいて、そのことを皆に教えて助けていく』(P413、趣意)という譬喩が説かれる。
その蔵の宝とは、誰人にも具わる最も尊い生命の仏性であり、それに目覚め、皆も目覚めさせていく賢人の行動こそ、仏法の発露である。
一人ひとりの青年が、妙法を唱え、この宝の生命を開いて、自他共に最高最大に光り輝かせていく。ここに、創価の「人間革命」の行進がある。
この大仏法の哲理を、一人でも多くの若人に語り、共々に胸を張り、希望と充実と栄光の人生を開拓していくことだ。そこから、家庭にも、職場にも、地域にも、若々しい創造の活力が漲るからである。
わが師・戸田城聖先生は、悪戦苦闘する健気な同志を抱きかかえて激励された。
「この世には、必ず使命があって生まれてくる」「皆、地涌の菩薩として、広宣流布を誓い願って、生まれてきたんだ。そのことがドンと腹に決まれば、いくらでも福徳を開いていけるんだよ!」と。
草創の四国の母は高知で空襲に遭い、戦後のどん底の苦労の中で入会した。悪口罵詈など笑い飛ばしながら、「挑戦なくして勝利なし」と苦学を重ねて教員となった。人間教育の太陽と輝き、70代の今も青年と共に、青年のためにと対話に励んでいる。
「今どんな姿であっても、人は変われます。私は恐れません。幸福を願い、仏法を求めてやまない、人々の本当の心の声が聞こえてくるからです」と。
気高き多宝の父母たちは、生命の荘厳な宝塔から「常楽我浄」の香風で皆を包まずにはおかないのだ。
わが後継の青年たちよ! 壮大に広がった世界192カ国・地域の誓いの友と手を携えて、人類の生命の至宝を限りなく開いていってくれ給え!
勝ちまくれ
仏の力は
偉大なる
広布に生き抜く
誓いの生命に
2014.05.31 わが友に贈る
生命を守り育む
女性の力は偉大なり!
婦人部の慈愛の心
笑顔輝く語らいで
平和の文化の潮流を!
『たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をへたる人なれども生死をいで仏にならむとする時にはかならず影の身にそうがごとく雨に雲のあるがごとく三障四魔と申して七の大事出現す』
◇希望の明日へ
SGIの最大の目標は仏法を基調にした世界平和の実現にある。SGIの基本路線は生命の尊厳を根本的に説き明かした日蓮大聖人の仏法に基づき、恒久平和の実現と人間文化・教育の興隆をめざすことである。さらに戦争をはじめとするあらゆる暴力を否定し、人類の幸福と世界の繁栄に尽くしていくことをめざしている。このために核兵器廃絶と世界不戦の実現を大きな目標とし、国連憲章の精神を支持し世界平和維持の努力に協力する路線を進んでいる。
昭61・1・26
女性の力は偉大なり!
婦人部の慈愛の心
笑顔輝く語らいで
平和の文化の潮流を!
『たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をへたる人なれども生死をいで仏にならむとする時にはかならず影の身にそうがごとく雨に雲のあるがごとく三障四魔と申して七の大事出現す』
◇希望の明日へ
SGIの最大の目標は仏法を基調にした世界平和の実現にある。SGIの基本路線は生命の尊厳を根本的に説き明かした日蓮大聖人の仏法に基づき、恒久平和の実現と人間文化・教育の興隆をめざすことである。さらに戦争をはじめとするあらゆる暴力を否定し、人類の幸福と世界の繁栄に尽くしていくことをめざしている。このために核兵器廃絶と世界不戦の実現を大きな目標とし、国連憲章の精神を支持し世界平和維持の努力に協力する路線を進んでいる。
昭61・1・26
2014年5月30日金曜日
2014.05.30 わが友に贈る
会合や打ち合わせは
終了時間の厳守を!
リーダーの話は
要点を絞って明確に。
万全の準備で臨め!
上野殿御返事 P1540
『あはれ法華経のよきかたきよ、優曇華か盲亀の浮木かとおぼしめしてしたたかに御返事あるべし』
◇希望の明日へ
戦争のない世界を築くも築かないも人間しだいである。それを不可能と諦めてしまうか、あくまでもその難行に挑戦していくか、ここに二十一世紀の命運がかかっている。考古学者の説くところによると、人間の歴史四百万年の中で、集団同士がぶつかりあう戦争の歴史は一万年にも満たないのである。したがって戦争のない人間社会の実現は決して不可能ではないという確信がわくであろう。
平6・1・26
☆世界広布新時代第7回各部代表者会議へのメッセージ
本年は、創価の父・牧口常三郎初代会長の法難(1944年11月18日に巣鴨の東京拘置所で獄死)から70年——。間もなく、生誕の日である6月6日を迎える。
名誉会長は、牧口会長の崇高な「死身弘法」の生涯を偲びつつ、世界五大陸の大学・学術機関から授与された350の「名誉学術称号」を、この偉大な殉教の先師へ、一番苦楽を分かち合ってきた創価の友と共に、ここに謹んで捧げたいと語った。さらに、全ては不二の同志に譲り託す栄誉であり、それぞれの国の同志が未来永遠に守られ、栄えゆくための証しであるとの真情を述べた。
続いて『現在に眼前の証拠あらんずる人・此の経を説かん時は信ずる人もありやせん』(P1045、「法蓮抄」)の一節を拝し、次のように力説。
「ともあれ、勝つしかない。一つ一つ勝利の現証を示していく以外、広布の道は開けない。勝たなければ、同志も励ませない。学会を守ることもできない。この決心、この祈り、この執念で、私は戦い勝ってきました。あとに続くのは、私が薫陶してきた直弟子の君たちである」
「現実には、皆、宿命との戦いもある。病気や子育て、家族の介護、人間関係等々、言うに言われぬ苦労も尽きないであろう。
しかし、戸田先生は言われた。『自分が悩み苦しみながら、それでも民衆の中に飛び込んで、皆を励まし救っていく。だから仏になれる。だから家族も眷属も大功徳に包まれるんだよ』と。
リーダーが試練と戦っているからこそ、学会は悩める友の味方になれる。ゆえに、何があっても臆さず、一切を御本尊に任せて題目を唱え、希望に終えて悠然と勝ち越えていただきたい」と強く望んだ。
終了時間の厳守を!
リーダーの話は
要点を絞って明確に。
万全の準備で臨め!
上野殿御返事 P1540
『あはれ法華経のよきかたきよ、優曇華か盲亀の浮木かとおぼしめしてしたたかに御返事あるべし』
◇希望の明日へ
戦争のない世界を築くも築かないも人間しだいである。それを不可能と諦めてしまうか、あくまでもその難行に挑戦していくか、ここに二十一世紀の命運がかかっている。考古学者の説くところによると、人間の歴史四百万年の中で、集団同士がぶつかりあう戦争の歴史は一万年にも満たないのである。したがって戦争のない人間社会の実現は決して不可能ではないという確信がわくであろう。
平6・1・26
☆世界広布新時代第7回各部代表者会議へのメッセージ
本年は、創価の父・牧口常三郎初代会長の法難(1944年11月18日に巣鴨の東京拘置所で獄死)から70年——。間もなく、生誕の日である6月6日を迎える。
名誉会長は、牧口会長の崇高な「死身弘法」の生涯を偲びつつ、世界五大陸の大学・学術機関から授与された350の「名誉学術称号」を、この偉大な殉教の先師へ、一番苦楽を分かち合ってきた創価の友と共に、ここに謹んで捧げたいと語った。さらに、全ては不二の同志に譲り託す栄誉であり、それぞれの国の同志が未来永遠に守られ、栄えゆくための証しであるとの真情を述べた。
続いて『現在に眼前の証拠あらんずる人・此の経を説かん時は信ずる人もありやせん』(P1045、「法蓮抄」)の一節を拝し、次のように力説。
「ともあれ、勝つしかない。一つ一つ勝利の現証を示していく以外、広布の道は開けない。勝たなければ、同志も励ませない。学会を守ることもできない。この決心、この祈り、この執念で、私は戦い勝ってきました。あとに続くのは、私が薫陶してきた直弟子の君たちである」
「現実には、皆、宿命との戦いもある。病気や子育て、家族の介護、人間関係等々、言うに言われぬ苦労も尽きないであろう。
しかし、戸田先生は言われた。『自分が悩み苦しみながら、それでも民衆の中に飛び込んで、皆を励まし救っていく。だから仏になれる。だから家族も眷属も大功徳に包まれるんだよ』と。
リーダーが試練と戦っているからこそ、学会は悩める友の味方になれる。ゆえに、何があっても臆さず、一切を御本尊に任せて題目を唱え、希望に終えて悠然と勝ち越えていただきたい」と強く望んだ。
2014年5月29日木曜日
2014.05.29 わが友に贈る
「心の固きに仮りて
神の守り則ち強し」
強盛な信心に立つ人を
諸天は厳然と守る!
断じて健康・無事故で。
御義口伝巻下 P790
『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』
◇希望の明日へ
世界的に見るならば、今なお「戦争はまだ、続いて」いる。それでは、文明社会ではない。"畜生道の地球"である。これを革命するために、学会は戦っている。
平5・7・15
☆アメリカ創価大学第10回卒業式へのメッセージ
一、人類の宝であり、21世紀の希望である、わがアメリカ創価大学10期生の皆さん! 晴れのご卒業、誠におめでとう!
送り出してくださったご家族、励ましてくださったご友人の方にも、心からのお祝いを申し上げます。
さらに、常日頃より大学を見守り、支えてくださっているご来賓の先生方、また、学生を温かく激励し薫陶してくださった教員と職員の方々に、心からの感謝を申し上げます。
光栄にも、本日の式典では、世界最高峰の経済学者・哲学者であり、私たちの敬愛してやまないアマルティア・セン博士が、祝福の記念講演を行ってくださいます。
信念の大知性の啓発が、若きリーダーの前途にとって、どれほど、かけがえのない励ましとなることでしょうか。厚く厚く御礼申し上げます。
一、今、私のまぶたには、誉れも高き栄光の10期生として、アリソビエホの丘から勇躍と旅立ちゆく、晴れがましい皆さん方の英姿が鮮明に映じております。皆、本当によく学び抜き、鍛え抜いてくれました。
10期生の皆さんは、先輩たちの良き伝統を立派に継承し、深化させながら、アメリカ創価大学が万代まで勝ち栄えゆく盤石なる大発展の礎を見事に創り上げてくれました。
私は、開拓の誇りに満ちた皆さん方の一人一人と固い固い握手を交わしながら、その努力と功労を労(ねぎら)い、最大に讃えたいのであります。
ありがとう! 本当にありがとう!
一、きょうは、皆さん方が挑みゆく十年、二十年、さらには百年先へと心を広げ、共々に語り合うような思いで、3点にわたり祝福のメッセージを送ります。
第一に申し上げたいことは、「誓いは光なり。新たな未来を照らし出せ!」ということです。
文学にせよ、絵画にせよ、音楽にせよ、偉大な芸術作品には、それぞれに偉大な主題があります。
偉大な人生にも偉大な主題があります。
皆さんが、この創価の学舎で心に刻んだ青春の誓いは、偉大な使命の人生を貫く主題であるといっても、決して過言ではないでしょう。
青春の誓いは、波瀾万丈の人生航路にあって、確固たる羅針盤となり、進むべき針路を厳然と指し示すとともに、混迷の闇を打ち破る光明となるものであります。
アマルティア・セン博士は、若き日に、愛する故郷ベンガルを襲った大飢饉の惨状を目の当たりにしたことが、救世の経済学者として歩みゆかれる原点になったと伺っております。
人間が人間として、人間らしく幸福に、尊厳に生きることができる社会を、何としても築いていかねばならない──人生を賭して、貧困をはじめ「人間の安全保障」の先駆的研究などに、一貫して取り組まれてきたセン博士の胸中には、その烈々たる大情熱が常に燃え盛っているに違いありません。
皆さんも、眼前の課題に一つ一つ粘り強く取り組み、臆さず、焦らず、惑わず、力をつけながら、遠大な理想を追求し抜いていってください。
そのたゆまぬ不屈の挑戦こそが、人類史の新たな地平を照らし出していくからであります。
一、第二に、「生命は無限なり。自他共に希望の力を解き放て!」と申し上げたい。
非暴力の大英雄ガンジー翁に「マハトマ」(偉大なる魂)との尊称を贈った詩聖タゴールは、セン博士に「永遠に生きる者」との意義を持つ「アマルティア」の名を授けられました。
その絶大なる期待に応え抜いてこられたセン博士の探究と貢献の足跡は、まさに永遠なる光彩を放っております。
大教育者であったタゴールは、「人間の最大の力は自分の内にある」(蛯原徳夫訳「真理の呼び声」『タゴール著作集第8巻』所収、第三文明社)と断言されました。心から賛同します。
なかんずく、青年の生命に秘められた可能性は無限であります。皆、自分が思っている以上の十倍も、百倍も、いな、仏典に記される表現でいうならば百千万億倍もの生命の力を備えているのであります。
その力を開いていく要諦は、どこにあるか。
タゴールの慧眼は鋭く洞察していました。
「完全な善に生きることは、自分の生命を限りなく実現していくことにほかならない」(美田稔訳「サーダナ」前掲書所収)と。
生命尊厳の哲理に立脚して、民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、世界の平和のため、善の行動に徹していく。それは、立ちはだかる試練や苦難との戦いの連続であります。
しかし、その激闘の中にこそ、真の「人間革命」があり、一切を勝ち開いていく価値創造の力、すなわち「創価」という生命の希望の力が自他共に尽きることなく解き放たれていく。この信条を、私は後継の皆さんに託しておきたいのであります。
一、そして第三に、「友情は宝なり。勇敢なる世界市民の平和の連帯を広げゆけ!」と申し上げたい。
思えば、タゴールが、自ら創設した学園を発展させ、セン博士の母校であるタゴール国際大学(ヴィシュヴァ・バーラティ大学)の創立を構想されたのは、ここ南カリフォルニアの地でした。
詩聖は、陽光輝くオレンジの果樹園で思索しながら、民族や国家の違いを超えて人類を結びゆく、新たな学府を創立したい──そう決意して、帰国後、大学の建設に着手されたのであります。それは、わがアメリカ創価大学の建学の精神とも、深く強く響き合っております。
若き世界市民が、教育という普遍の広場で、いかなる差異の壁も超えて、闊達な友情を結び合うことこそ、人間を不幸に陥れる、あらゆる悪と戦い、人類の悲願である平和を構築していく"非暴力の武器"であります。
私は、このアメリカ創価大学の開設に尽力してくださった「人権の母」ローザ・パークスさんとの友情を思い起こします。パークスさんは、一生涯、交友を大切にされた方です。
パークスさんの公民権運動の戦いが、歴史を変える力となった陰にも、その豊かな幅広い友人のネットワークがあったと指摘されております。
ともあれ、この世界のいずこにも負けない、麗しく開かれた友情のキャンパスから躍り出る皆さんは、行くところ向かうところ、信頼と誠実の対話を交わしながら、明るく賢く朗らかに、勇敢なる世界市民の連帯を広げていただきたいのであります。
私は、大切な大切な皆さんが世界の晴れ舞台で、思う存分に舞いゆく未来を最大の楽しみとし、生き甲斐としつつ、見守り続けてまいります。
一、最後に、もう一人の「人権の母」エレノア・ルーズベルトの言葉を贈り、お祝いのメッセージとさせていただきます。
「我々は現在の危機にあたって、自らに向き合う勇気を持たなければなりません」「人類に善なる価値をもたらすために、自らが持てるあらゆる知識を駆使し、力を合わせていかなければなりません。
そのように行動した時、私たちには恐れるものなど、何もないのです」
栄光の10期生、万歳!
喜びあふれる誉れのご家族、万歳!
愛する皆さんに、健康あれ! 幸福あれ! 勝利あれ!
どうか、お元気で!
神の守り則ち強し」
強盛な信心に立つ人を
諸天は厳然と守る!
断じて健康・無事故で。
御義口伝巻下 P790
『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』
◇希望の明日へ
世界的に見るならば、今なお「戦争はまだ、続いて」いる。それでは、文明社会ではない。"畜生道の地球"である。これを革命するために、学会は戦っている。
平5・7・15
☆アメリカ創価大学第10回卒業式へのメッセージ
一、人類の宝であり、21世紀の希望である、わがアメリカ創価大学10期生の皆さん! 晴れのご卒業、誠におめでとう!
送り出してくださったご家族、励ましてくださったご友人の方にも、心からのお祝いを申し上げます。
さらに、常日頃より大学を見守り、支えてくださっているご来賓の先生方、また、学生を温かく激励し薫陶してくださった教員と職員の方々に、心からの感謝を申し上げます。
光栄にも、本日の式典では、世界最高峰の経済学者・哲学者であり、私たちの敬愛してやまないアマルティア・セン博士が、祝福の記念講演を行ってくださいます。
信念の大知性の啓発が、若きリーダーの前途にとって、どれほど、かけがえのない励ましとなることでしょうか。厚く厚く御礼申し上げます。
一、今、私のまぶたには、誉れも高き栄光の10期生として、アリソビエホの丘から勇躍と旅立ちゆく、晴れがましい皆さん方の英姿が鮮明に映じております。皆、本当によく学び抜き、鍛え抜いてくれました。
10期生の皆さんは、先輩たちの良き伝統を立派に継承し、深化させながら、アメリカ創価大学が万代まで勝ち栄えゆく盤石なる大発展の礎を見事に創り上げてくれました。
私は、開拓の誇りに満ちた皆さん方の一人一人と固い固い握手を交わしながら、その努力と功労を労(ねぎら)い、最大に讃えたいのであります。
ありがとう! 本当にありがとう!
一、きょうは、皆さん方が挑みゆく十年、二十年、さらには百年先へと心を広げ、共々に語り合うような思いで、3点にわたり祝福のメッセージを送ります。
第一に申し上げたいことは、「誓いは光なり。新たな未来を照らし出せ!」ということです。
文学にせよ、絵画にせよ、音楽にせよ、偉大な芸術作品には、それぞれに偉大な主題があります。
偉大な人生にも偉大な主題があります。
皆さんが、この創価の学舎で心に刻んだ青春の誓いは、偉大な使命の人生を貫く主題であるといっても、決して過言ではないでしょう。
青春の誓いは、波瀾万丈の人生航路にあって、確固たる羅針盤となり、進むべき針路を厳然と指し示すとともに、混迷の闇を打ち破る光明となるものであります。
アマルティア・セン博士は、若き日に、愛する故郷ベンガルを襲った大飢饉の惨状を目の当たりにしたことが、救世の経済学者として歩みゆかれる原点になったと伺っております。
人間が人間として、人間らしく幸福に、尊厳に生きることができる社会を、何としても築いていかねばならない──人生を賭して、貧困をはじめ「人間の安全保障」の先駆的研究などに、一貫して取り組まれてきたセン博士の胸中には、その烈々たる大情熱が常に燃え盛っているに違いありません。
皆さんも、眼前の課題に一つ一つ粘り強く取り組み、臆さず、焦らず、惑わず、力をつけながら、遠大な理想を追求し抜いていってください。
そのたゆまぬ不屈の挑戦こそが、人類史の新たな地平を照らし出していくからであります。
一、第二に、「生命は無限なり。自他共に希望の力を解き放て!」と申し上げたい。
非暴力の大英雄ガンジー翁に「マハトマ」(偉大なる魂)との尊称を贈った詩聖タゴールは、セン博士に「永遠に生きる者」との意義を持つ「アマルティア」の名を授けられました。
その絶大なる期待に応え抜いてこられたセン博士の探究と貢献の足跡は、まさに永遠なる光彩を放っております。
大教育者であったタゴールは、「人間の最大の力は自分の内にある」(蛯原徳夫訳「真理の呼び声」『タゴール著作集第8巻』所収、第三文明社)と断言されました。心から賛同します。
なかんずく、青年の生命に秘められた可能性は無限であります。皆、自分が思っている以上の十倍も、百倍も、いな、仏典に記される表現でいうならば百千万億倍もの生命の力を備えているのであります。
その力を開いていく要諦は、どこにあるか。
タゴールの慧眼は鋭く洞察していました。
「完全な善に生きることは、自分の生命を限りなく実現していくことにほかならない」(美田稔訳「サーダナ」前掲書所収)と。
生命尊厳の哲理に立脚して、民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、世界の平和のため、善の行動に徹していく。それは、立ちはだかる試練や苦難との戦いの連続であります。
しかし、その激闘の中にこそ、真の「人間革命」があり、一切を勝ち開いていく価値創造の力、すなわち「創価」という生命の希望の力が自他共に尽きることなく解き放たれていく。この信条を、私は後継の皆さんに託しておきたいのであります。
一、そして第三に、「友情は宝なり。勇敢なる世界市民の平和の連帯を広げゆけ!」と申し上げたい。
思えば、タゴールが、自ら創設した学園を発展させ、セン博士の母校であるタゴール国際大学(ヴィシュヴァ・バーラティ大学)の創立を構想されたのは、ここ南カリフォルニアの地でした。
詩聖は、陽光輝くオレンジの果樹園で思索しながら、民族や国家の違いを超えて人類を結びゆく、新たな学府を創立したい──そう決意して、帰国後、大学の建設に着手されたのであります。それは、わがアメリカ創価大学の建学の精神とも、深く強く響き合っております。
若き世界市民が、教育という普遍の広場で、いかなる差異の壁も超えて、闊達な友情を結び合うことこそ、人間を不幸に陥れる、あらゆる悪と戦い、人類の悲願である平和を構築していく"非暴力の武器"であります。
私は、このアメリカ創価大学の開設に尽力してくださった「人権の母」ローザ・パークスさんとの友情を思い起こします。パークスさんは、一生涯、交友を大切にされた方です。
パークスさんの公民権運動の戦いが、歴史を変える力となった陰にも、その豊かな幅広い友人のネットワークがあったと指摘されております。
ともあれ、この世界のいずこにも負けない、麗しく開かれた友情のキャンパスから躍り出る皆さんは、行くところ向かうところ、信頼と誠実の対話を交わしながら、明るく賢く朗らかに、勇敢なる世界市民の連帯を広げていただきたいのであります。
私は、大切な大切な皆さんが世界の晴れ舞台で、思う存分に舞いゆく未来を最大の楽しみとし、生き甲斐としつつ、見守り続けてまいります。
一、最後に、もう一人の「人権の母」エレノア・ルーズベルトの言葉を贈り、お祝いのメッセージとさせていただきます。
「我々は現在の危機にあたって、自らに向き合う勇気を持たなければなりません」「人類に善なる価値をもたらすために、自らが持てるあらゆる知識を駆使し、力を合わせていかなければなりません。
そのように行動した時、私たちには恐れるものなど、何もないのです」
栄光の10期生、万歳!
喜びあふれる誉れのご家族、万歳!
愛する皆さんに、健康あれ! 幸福あれ! 勝利あれ!
どうか、お元気で!
2014年5月28日水曜日
2014.05.28 わが友に贈る
偉大な使命に生きる
副役職者の奮闘こそ
広宣流布の力なり!
わが誉れの地域に
人材の連帯を築け!
四条金吾殿御返事 P1186
『李広将軍と申せしつはものは虎に母を食れて虎に似たる石を射しかば其の矢羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし、後には石虎将軍と申しき』
◇希望の明日へ
戦争は絶対に起こしてはならない。無数の民衆が苦しむ。戦争が起こる前にこそ、平和の宗教、生命の尊厳の思想が広まらねばならない。その基盤のうえに、新しい人類の共同体がつくられるべきである。
平4・2・21
副役職者の奮闘こそ
広宣流布の力なり!
わが誉れの地域に
人材の連帯を築け!
四条金吾殿御返事 P1186
『李広将軍と申せしつはものは虎に母を食れて虎に似たる石を射しかば其の矢羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし、後には石虎将軍と申しき』
◇希望の明日へ
戦争は絶対に起こしてはならない。無数の民衆が苦しむ。戦争が起こる前にこそ、平和の宗教、生命の尊厳の思想が広まらねばならない。その基盤のうえに、新しい人類の共同体がつくられるべきである。
平4・2・21
2014年5月27日火曜日
2014.05.27 わが友に贈る
地域で 職場で
清々しい挨拶から
一日のスタートを!
生命力あふれる姿で
信頼の光を広げよう!
乙御前御消息 P1220
『妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし』
◇希望の明日へ
地震を阻止しようとしても、人間の理性の力は及ばない。しかし、人間自身に端を発する問題は、人間の理性の力によってつねに阻止しうる。迫りくる、いかなる戦争の脅威をも、人間自身の手で阻止できるのである。
平3・1・15
☆名誉会長と共に新時代を開く 第20回 粘り強く勝利の根を張れ
明るく朗らかな、希望あふれる未来部の皆さん!
野には、あちらこちらで、タンポポが黄色い花を咲かせ、白い綿毛をパラシュートのように軽やかに飛ばしていきます。
私が少年時代から大好きな詩に、「踏まれても 踏まれても なお咲く タンポポの笑顔かな」とあります。
このたくましいタンポポの"元気の秘密"は、どこにあるのでしょうか?
それは、大地の中に伸びる長い「根っこ」にあります。
目に見えない土の中でガッチリと根を張っていくから、強いのです。
日蓮大聖人は、『陰徳あれば陽報あり』(P1178、「陰徳陽報御書」)と記されております。
分かりやすくいえば、人が見ていないところで「善い行い」をすれば、それが根っことなって素晴らしい花を咲かせるように、必ず「善い報い」を受けていくことができるという法則です。
未来部の皆さんが、今、地道に粘り強く、努力を重ねていくことは、一番大事な根っこを伸ばしているのです。広宣流布のための会合に出ることも、偉大な福運に変わります。
どうか、さまざまな悩みや苦しみがあっても、題目を朗々と唱え、「よし、壁を破ろう!」と勇気を出して、思い切りチャレンジしていってください。
わが後継の皆さんには、乗り越えられない試練など絶対にないことを、私は断言しておきます。
さあ、元気はつらつと学び、グングン成長して、人類の未来に、幸福の花を、勝利の花を、平和の花を咲かせていこう!
皆さんの健康を祈り、題目を送ります。親孝行を頼みます!
清々しい挨拶から
一日のスタートを!
生命力あふれる姿で
信頼の光を広げよう!
乙御前御消息 P1220
『妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし』
◇希望の明日へ
地震を阻止しようとしても、人間の理性の力は及ばない。しかし、人間自身に端を発する問題は、人間の理性の力によってつねに阻止しうる。迫りくる、いかなる戦争の脅威をも、人間自身の手で阻止できるのである。
平3・1・15
☆名誉会長と共に新時代を開く 第20回 粘り強く勝利の根を張れ
明るく朗らかな、希望あふれる未来部の皆さん!
野には、あちらこちらで、タンポポが黄色い花を咲かせ、白い綿毛をパラシュートのように軽やかに飛ばしていきます。
私が少年時代から大好きな詩に、「踏まれても 踏まれても なお咲く タンポポの笑顔かな」とあります。
このたくましいタンポポの"元気の秘密"は、どこにあるのでしょうか?
それは、大地の中に伸びる長い「根っこ」にあります。
目に見えない土の中でガッチリと根を張っていくから、強いのです。
日蓮大聖人は、『陰徳あれば陽報あり』(P1178、「陰徳陽報御書」)と記されております。
分かりやすくいえば、人が見ていないところで「善い行い」をすれば、それが根っことなって素晴らしい花を咲かせるように、必ず「善い報い」を受けていくことができるという法則です。
未来部の皆さんが、今、地道に粘り強く、努力を重ねていくことは、一番大事な根っこを伸ばしているのです。広宣流布のための会合に出ることも、偉大な福運に変わります。
どうか、さまざまな悩みや苦しみがあっても、題目を朗々と唱え、「よし、壁を破ろう!」と勇気を出して、思い切りチャレンジしていってください。
わが後継の皆さんには、乗り越えられない試練など絶対にないことを、私は断言しておきます。
さあ、元気はつらつと学び、グングン成長して、人類の未来に、幸福の花を、勝利の花を、平和の花を咲かせていこう!
皆さんの健康を祈り、題目を送ります。親孝行を頼みます!
2014年5月26日月曜日
2014.05.26 わが友に贈る
◇今週のことば
新会員は希望の宝なり。
皆で心から大切に。
フレッシュな息吹で
共に祈り 共に行動を!
共々に人間革命の劇を!
2014年05月26日
崇峻天皇御書 P1173
『中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけりよかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ』
◇希望の明日へ
日本には、戦前、韓半島や中国、東南アジアで、暴虐のかぎりを尽くしてきた歴史がある。日本が犯した過ちについて、戸田先生から幾度となく話をうかがった。とともに、少年のころ、父や長兄からも繰り返し聞かされたものである。そのころ、私は小学生。五年生ぐらいだったろうか。だが、二人の戦争への怒り、日本の侵略への憤りを、少年の魂に深く刻んだ。仏法者として、今日まで世界の平和へと駆けてきた私の行動の原点は、当然、戸田先生である。恩師に学んだ平和観と世界観が根本にある。とともに、父と長兄の、こうした平和への願いが大きなバネとなってきたことは、間違いない。
平2・9・30
☆勝利の人間学 第52回 平和と正義の若き連帯を
◇周囲に希望を送る存在に
互いに尊敬し、成長を競い合って、健闘を讃えていくのが、我ら創価のスクラムである。
妬んだり、責め立て合ったりするような陰湿な世界は、まったく無縁なのである。
大変であればあるほど、温かな励ましの言葉、勇気の出る言葉をかけていくのだ。
日蓮大聖人は、『人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし』(P1598、「食物三徳御書」)と仰せである。
友を元気にすれば、自分も元気になる。皆に希望を送れば、共々に希望の明るい未来が開かれる。どこまでも仲良く朗らかに、平和と正義の青年の連帯を広げていただきたい。
◇新たな広布の開拓闘争を
青年の心の力は無限である。それを解き放っていくカギが、「一念三千」の法理である。
わが師・戸田城聖先生は言われた。
「信心を、一言でいうならば、『心』を決めることである。同じ決めるのであれば、『勝つ!』と決めなさい」と。
断じて勝ってみせると決める。真剣に祈る。そして勇敢に行動する。やり切ったことが、すべて永遠の財産となる。
「決めて」「祈って」「行動する」──この勝利のリズムで、新たな広布の開拓闘争を勝ちまくれ!
◇若き熱と力が新時代を創る
「新しき世紀をつくるものは、青年の熱と力である」と恩師は叫ばれた。
この師子吼を、私は自分への呼びかけと受け止めた。「君の熱と力で時代を変えよ」と。
今また、新時代を創るのは青年しかない。それは青年に託された特権なのだ。
ゆえに、君たちよ! 何の遠慮もいらない。決然と挑むのだ。大胆に進むのだ。理想も高く、情熱を燃やし、不屈の魂で挑戦するのだ。
いよいよ「創価青年大会」が始まった。
やるからには、「これだけ成功させた」という自身の最高の勝利の歴史を創ろう! 君たちの勇戦で、万年に輝く「青年学会」を築いてくれ給え! 歌声も高らかに!
新会員は希望の宝なり。
皆で心から大切に。
フレッシュな息吹で
共に祈り 共に行動を!
共々に人間革命の劇を!
2014年05月26日
崇峻天皇御書 P1173
『中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけりよかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ』
◇希望の明日へ
日本には、戦前、韓半島や中国、東南アジアで、暴虐のかぎりを尽くしてきた歴史がある。日本が犯した過ちについて、戸田先生から幾度となく話をうかがった。とともに、少年のころ、父や長兄からも繰り返し聞かされたものである。そのころ、私は小学生。五年生ぐらいだったろうか。だが、二人の戦争への怒り、日本の侵略への憤りを、少年の魂に深く刻んだ。仏法者として、今日まで世界の平和へと駆けてきた私の行動の原点は、当然、戸田先生である。恩師に学んだ平和観と世界観が根本にある。とともに、父と長兄の、こうした平和への願いが大きなバネとなってきたことは、間違いない。
平2・9・30
☆勝利の人間学 第52回 平和と正義の若き連帯を
◇周囲に希望を送る存在に
互いに尊敬し、成長を競い合って、健闘を讃えていくのが、我ら創価のスクラムである。
妬んだり、責め立て合ったりするような陰湿な世界は、まったく無縁なのである。
大変であればあるほど、温かな励ましの言葉、勇気の出る言葉をかけていくのだ。
日蓮大聖人は、『人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし』(P1598、「食物三徳御書」)と仰せである。
友を元気にすれば、自分も元気になる。皆に希望を送れば、共々に希望の明るい未来が開かれる。どこまでも仲良く朗らかに、平和と正義の青年の連帯を広げていただきたい。
◇新たな広布の開拓闘争を
青年の心の力は無限である。それを解き放っていくカギが、「一念三千」の法理である。
わが師・戸田城聖先生は言われた。
「信心を、一言でいうならば、『心』を決めることである。同じ決めるのであれば、『勝つ!』と決めなさい」と。
断じて勝ってみせると決める。真剣に祈る。そして勇敢に行動する。やり切ったことが、すべて永遠の財産となる。
「決めて」「祈って」「行動する」──この勝利のリズムで、新たな広布の開拓闘争を勝ちまくれ!
◇若き熱と力が新時代を創る
「新しき世紀をつくるものは、青年の熱と力である」と恩師は叫ばれた。
この師子吼を、私は自分への呼びかけと受け止めた。「君の熱と力で時代を変えよ」と。
今また、新時代を創るのは青年しかない。それは青年に託された特権なのだ。
ゆえに、君たちよ! 何の遠慮もいらない。決然と挑むのだ。大胆に進むのだ。理想も高く、情熱を燃やし、不屈の魂で挑戦するのだ。
いよいよ「創価青年大会」が始まった。
やるからには、「これだけ成功させた」という自身の最高の勝利の歴史を創ろう! 君たちの勇戦で、万年に輝く「青年学会」を築いてくれ給え! 歌声も高らかに!
2014年5月25日日曜日
2014.05.25 わが友に贈る
偉大な建設は
挑戦から生まれる。
未来を担う友よ
失敗を恐れるな!
大胆に打って出よ!
松野殿御返事 P1382
『忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり』
◇希望の明日へ
元来、戦争でもっとも犠牲を強いられるのは、つねに民衆である。決して国家の中枢にある権力者ではない。権力者は時代をたくみに泳ぎ、必ず保身をはかっていく。その構図を、ひときわ鮮烈に感じさせるのが、かの沖縄戦である。その犠牲は女性や幼い子どもにまで及んでいる。それに対し、国を戦争に導き、国民に戦闘を命じていた権力者は、どうであったか。はるか後方にあって命を永らえたのみならず、戦後も権力の座にとどまり、富や名声を享受した者は、少なくない。なんたる矛盾、なんたる非合理であろうか。権力の恐ろしさ、戦争の恐ろしさ、そして人間の恐ろしさを痛感してならない。
昭63・3・23
☆名誉会長と共に新時代を開く 第19回 生命の鍛錬を! 幸福の礎を
列島各地で創価青年大会への取り組みが素晴らしい。
青年が皆、元気でうれしい。青年が大成長している。皆で応援していきたい。
婦人部・壮年部も一体となって、若き友を、わが子のように、弟・妹のように温かく励ましてくださっている。
大会を支えてくださる全ての皆様方のご健康と無事故、大会の大成功を心から祈りたい。
戸田先生は喝破された。
「もはや、日本の国も、世界も、青年の嵐の如き絶賛の支持がなければ、何もできない時代が来た」と。
未来を託すのは青年だ。共に何かをつくり上げていく中で、心が通う。人は育つ。
人材育成といっても、特別なことではない。会合の行き帰りも、悩みや夢を語り合う機会となろう。
"後輩を自分以上の人材に""必ず偉大な使命がある"──その信念と祈りが、相手の生命に響くのだ。
誰人であれ、試練のない人生などありえない。病や経済苦、人間関係で行き詰まることもある。それらを乗り越えるには、生命の鍛錬が必要だ。
青年大会を通し、自らの壁を破る中で揺るぎない信心の確信をつかんでいける。一生の幸福の礎が築かれる。
信心で勝った皆さんの姿自体が、人間革命の劇であり、学会の真実を雄弁に伝えていく。
現代社会にあって、人間の豊かなつながりが、いかに大事か。
仏法では、共同体を栄えさせるための徳目を説いている(四摂事)。
それを、分かりやすく言えば──
人に何かを与え、励ましや哲学を贈り、不安や恐怖などを取り除くこと。思いやりのある言葉をかけること。他者のために行動すること。人々の中に入って、上も下もなく平等に、一緒に行動することだ。
大いに友情を広げ、宝の思いでをつくってもらいたい。世界中の誓いの青年と共に!
◎クリーンデー、友好を深める戦い、お疲れ様でした(^^♪
挑戦から生まれる。
未来を担う友よ
失敗を恐れるな!
大胆に打って出よ!
松野殿御返事 P1382
『忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり』
◇希望の明日へ
元来、戦争でもっとも犠牲を強いられるのは、つねに民衆である。決して国家の中枢にある権力者ではない。権力者は時代をたくみに泳ぎ、必ず保身をはかっていく。その構図を、ひときわ鮮烈に感じさせるのが、かの沖縄戦である。その犠牲は女性や幼い子どもにまで及んでいる。それに対し、国を戦争に導き、国民に戦闘を命じていた権力者は、どうであったか。はるか後方にあって命を永らえたのみならず、戦後も権力の座にとどまり、富や名声を享受した者は、少なくない。なんたる矛盾、なんたる非合理であろうか。権力の恐ろしさ、戦争の恐ろしさ、そして人間の恐ろしさを痛感してならない。
昭63・3・23
☆名誉会長と共に新時代を開く 第19回 生命の鍛錬を! 幸福の礎を
列島各地で創価青年大会への取り組みが素晴らしい。
青年が皆、元気でうれしい。青年が大成長している。皆で応援していきたい。
婦人部・壮年部も一体となって、若き友を、わが子のように、弟・妹のように温かく励ましてくださっている。
大会を支えてくださる全ての皆様方のご健康と無事故、大会の大成功を心から祈りたい。
戸田先生は喝破された。
「もはや、日本の国も、世界も、青年の嵐の如き絶賛の支持がなければ、何もできない時代が来た」と。
未来を託すのは青年だ。共に何かをつくり上げていく中で、心が通う。人は育つ。
人材育成といっても、特別なことではない。会合の行き帰りも、悩みや夢を語り合う機会となろう。
"後輩を自分以上の人材に""必ず偉大な使命がある"──その信念と祈りが、相手の生命に響くのだ。
誰人であれ、試練のない人生などありえない。病や経済苦、人間関係で行き詰まることもある。それらを乗り越えるには、生命の鍛錬が必要だ。
青年大会を通し、自らの壁を破る中で揺るぎない信心の確信をつかんでいける。一生の幸福の礎が築かれる。
信心で勝った皆さんの姿自体が、人間革命の劇であり、学会の真実を雄弁に伝えていく。
現代社会にあって、人間の豊かなつながりが、いかに大事か。
仏法では、共同体を栄えさせるための徳目を説いている(四摂事)。
それを、分かりやすく言えば──
人に何かを与え、励ましや哲学を贈り、不安や恐怖などを取り除くこと。思いやりのある言葉をかけること。他者のために行動すること。人々の中に入って、上も下もなく平等に、一緒に行動することだ。
大いに友情を広げ、宝の思いでをつくってもらいたい。世界中の誓いの青年と共に!
◎クリーンデー、友好を深める戦い、お疲れ様でした(^^♪
2014.05.24 わが友に贈る
歌声あるところ
希望の前進あり!
「誓いの青年よ」を
高らかに歌いながら
創価の新時代の勝利を!
御義口伝巻下 P781
『法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり』
◇希望の明日へ
元来、戦争でもっとも犠牲を強いられるのは、つねに民衆である。決して国家の中枢にある権力者ではない。権力者は時代をたくみに泳ぎ、必ず保身をはかっていく。その構図を、ひときわ鮮烈に感じさせるのが、かの沖縄戦である。その犠牲は女性や幼い子どもにまで及んでいる。それに対し、国を戦争に導き、国民に戦闘を命じていた権力者は、どうであったか。はるか後方にあって命を永らえたのみならず、戦後も権力の座にとどまり、富や名声を享受した者は、少なくない。なんたる矛盾、なんたる非合理であろうか。権力の恐ろしさ、戦争の恐ろしさ、そして人間の恐ろしさを痛感してならない。
昭63・3・23
☆「生命の光 母の歌」 最終章 未来へ喜びの交響曲を(下)
池田SGI会長 ゲーテは高らかに歌いました。
「大いなる誠実な努力も
ただ たゆまずしずかに続けられるうちに
年がくれ 年があけ
いつの日か晴れやかに日の目を見る
芸術も同じだ また学問も
しずかに まじめに はぐくまれ
ついには永遠に模範的なものが
すべての者の財産となる」(内藤道雄訳「敬愛するフランクフルトの18人の友に」、『ゲーテ全集2』)──と。
わが創価の同志の中にも、音楽をはじめ、芸術の分野で奮闘する友が多くいます。日々、たゆまず努力を重ね、使命の花を爛漫と咲かせています。信仰によって自身を向上させながら、心を鍛え、技を磨き、創造の道を歩んでいます。
博士は芸術家として、常にどういうことを心掛けてこられたのでしょうか。
サイフェルト博士 芸術家は、それぞれが違った個性を持っています。
真の芸術家は、内面においても、それが画家であろうと、演奏家であろうと、何であろうと、自分に与えられた才能を、きちんと認識しているということでしょうか。そして、それは自身の芸術と真摯に向き合い、人間としても、他の人に何かを伝えていくという責任と結びついているのです。そのためには、どれだけ自分を開くことができるかも問われてきます。
私について言えば、「声」ということになります。
声は他の人と交換できないものです。技術や技量によって、人に何かを与えたり、贈ったりすることができます。それは全て心から発せられるものであり、他の人に笑顔や喜びを届け、感動を与えることが可能なのです。
本当に素晴らしいことだと思いませんか? 不思議ですね。なぜなら、それができるのは天与のものなのですから。
だから私は、コンサートの前には、自らが感じ取ったことを他の人にも伝えられるよう、力を与えてください、と祈るのです。
池田 よく分かります。
仏法の最高の経典である「法華経」には、苦悩渦巻く娑婆世界で"天の音楽"を奏でながら、人々に限りない希望と勇気を贈る「妙音菩薩」が登場します。
芸術家の使命は計り知れません。民音(民主音楽協会)の音楽事業は、世界の芸術家と手を携えて、平和と文化の交流の舞台を民衆の大地に広げ、人類の心を結んできました。
サイフェルト 私も、東欧の国境が鉄のカーテンで隔てられていた難しい状況下で、文化の交流に取り組みました。とても難しい時代でした。妥協を迫られたことも多々ありました。
ただ、交流やプロジェクト、または私のアイデアに賛同して協力してくださる方々は、いつもいました。共産主義体制における著名人の中にも、人間性を失わずにいた人たちがいましたので、その方々とは本当に素晴らしい文化的なプロジェクトを実施することができました。
しかし、私たちの支援者は、それぞれ本国の共産圏陣営で重要な地位に就いており、かなり危ない橋を渡りながら援助してくださっていたことも確かです。その方々の協力の下、大勢の芸術家、とりわけ、体制派に属さない芸術家を数年にわたって招聘することができたのです。
池田 冷戦下の厳しい状況が続く中で、今では想像もつかない困難があったことでしょう。
そうした中でも、イデオロギーや体制の違いを超え、同じ平和を願う人間として、文化の交流、芸術の交流を行ってきたこと自体が、一条の光明だったのではないでしょうか。
サイフェルト ええ。もちろん、そこには、研ぎ澄まされた感覚で、絶妙な駆け引きが必要とされました。お互い、それまでに築き上げてきた信頼の基盤があったからこそ、実現したのです。
いかなる協力・提携関係においても、一番大切なのは、それが相互の信頼や尊敬の上に成り立っていることなのです。
彼らとの数十年にわたるお付き合いの中で、心に残る出会いが数多くありました。そこで知り合った芸術家は"またここにお招きしたい、もう一度ここで何かしていただきたい"と思う方々ばかりでした。
彼らの一番の功績は、何といっても人々に希望を与えたことです。それはあたかも、いつもは閉ざされた世界にあって、窓が開いているかのようでした。
池田 貴重な歴史の証言です。
迂遠のようでも、国や立場を超えた人間交流、市民交流こそが平和の基盤となり、共生の未来への潮流を生み出します。これは、私自身が各地で交流を重ねる中で実感してきたことでもあります。
初めてソ連を訪問した折(1974年)、モスクワの宿舎のホテルで「鍵番」をされていた無口なご婦人との出会いを思い起こします。お会いするごとに妻の方からあいさつの声を掛けて、親しくなりました。
「私たちの訪問は平和のためです」と語ると、彼女はポツリと言いました。
「私の夫も戦争で死んだのです」と。平和を願う心が響き合う語らいとなりました。
いずこの国であっても、人間には「生老病死」の現実があります。病気の苦しみ、生活の苦労、愛する家族との死別──人間に光を当ててみれば、誰しも何らかの苦悩があるものです。その次元に立って心を開けば、必ず理解し合えます。そして対話を重ねていけば、変化が生まれます。
対話はあらゆる差異を超えて、相互理解と友情の橋を架ける──これが私の揺るがぬ確信です。
サイフェルト 本当にそう思います。私自身も、とても大切にしてきた点ですし、常に橋を架ける役割に徹してきました。橋は"架け過ぎる"ということはありませんから。
あらためて、民音の公演で訪れた日本では、素敵な経験をすることができました。聴衆も素晴らしかったです。日本の皆さんは本当にいい人たちです。
日本とヨーロッパ、オーストリアでは、人との付き合い方が全然違います。ヨーロッパでは、どちらかというと、誰かが近寄ってくるのを待っていて、仲良くなるのに時間がかかります。日本ではすぐに親しくなることができ、よく一緒に笑ったりもしました。
池田 民音について過分なお言葉をいただきましたが、民音の半世紀にわたる音楽文化運動は、一流のアーティストや識者の協力はもとより、日本各地の推進委員の方々をはじめ、多くの真心の庶民による崇高にして真剣な支援によって進められています。創立者として、感謝は尽きません。
サイフェルト それは素晴らしいことです。
「橋を架ける」ことについて、ゴットフリート・ベンの素敵な詩がありますね。"人生というものは、流れる川に橋を架けることである"
川は常に流れては涸れ、また新たに流れを作る。そこに橋を架け続けるのだ、すなわちどんな変化があっても、前途を開く努力を続けていくのだ、と。これは私にとっての処世訓といっても過言ではありません。
池田 感銘しました。
音楽は、いかなる困難な壁をも超え、世界を結ぶ──それが私たちの体験であり、実感です。決意であり、信念です。
今、私の胸には、貴国の大詩人リルケの叫びが響いております。
「光のきらめきのなかで 生き 創れ」
「立て 身を伸ばせ 光へ向って!」(田代崇人訳「光へ向って」、『リルケ全集第1巻詩集I』)
闇が深ければ深いほど、暁は近い。不安や絶望が深まるほど、平和と幸福への願望は強まります。
その時に、人々を結合させ、希望の光源となる文化の役割が、いかに大きいか。
これでいったん、対談は終わりますが、私たちの平和への戦いは続きます。
これからも、未来へ向かって、"生命の讃歌""喜びの交響曲"を奏でゆくような楽しい対話を繰り広げていきましょう!
サイフェルト博士ご一家のますますのご健勝とご活躍を、妻と共に心より祈っております。
長い間、本当にありがとうございました。
◎きょうから希望の明日へは「戦争」です
希望の前進あり!
「誓いの青年よ」を
高らかに歌いながら
創価の新時代の勝利を!
御義口伝巻下 P781
『法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり』
◇希望の明日へ
元来、戦争でもっとも犠牲を強いられるのは、つねに民衆である。決して国家の中枢にある権力者ではない。権力者は時代をたくみに泳ぎ、必ず保身をはかっていく。その構図を、ひときわ鮮烈に感じさせるのが、かの沖縄戦である。その犠牲は女性や幼い子どもにまで及んでいる。それに対し、国を戦争に導き、国民に戦闘を命じていた権力者は、どうであったか。はるか後方にあって命を永らえたのみならず、戦後も権力の座にとどまり、富や名声を享受した者は、少なくない。なんたる矛盾、なんたる非合理であろうか。権力の恐ろしさ、戦争の恐ろしさ、そして人間の恐ろしさを痛感してならない。
昭63・3・23
☆「生命の光 母の歌」 最終章 未来へ喜びの交響曲を(下)
池田SGI会長 ゲーテは高らかに歌いました。
「大いなる誠実な努力も
ただ たゆまずしずかに続けられるうちに
年がくれ 年があけ
いつの日か晴れやかに日の目を見る
芸術も同じだ また学問も
しずかに まじめに はぐくまれ
ついには永遠に模範的なものが
すべての者の財産となる」(内藤道雄訳「敬愛するフランクフルトの18人の友に」、『ゲーテ全集2』)──と。
わが創価の同志の中にも、音楽をはじめ、芸術の分野で奮闘する友が多くいます。日々、たゆまず努力を重ね、使命の花を爛漫と咲かせています。信仰によって自身を向上させながら、心を鍛え、技を磨き、創造の道を歩んでいます。
博士は芸術家として、常にどういうことを心掛けてこられたのでしょうか。
サイフェルト博士 芸術家は、それぞれが違った個性を持っています。
真の芸術家は、内面においても、それが画家であろうと、演奏家であろうと、何であろうと、自分に与えられた才能を、きちんと認識しているということでしょうか。そして、それは自身の芸術と真摯に向き合い、人間としても、他の人に何かを伝えていくという責任と結びついているのです。そのためには、どれだけ自分を開くことができるかも問われてきます。
私について言えば、「声」ということになります。
声は他の人と交換できないものです。技術や技量によって、人に何かを与えたり、贈ったりすることができます。それは全て心から発せられるものであり、他の人に笑顔や喜びを届け、感動を与えることが可能なのです。
本当に素晴らしいことだと思いませんか? 不思議ですね。なぜなら、それができるのは天与のものなのですから。
だから私は、コンサートの前には、自らが感じ取ったことを他の人にも伝えられるよう、力を与えてください、と祈るのです。
池田 よく分かります。
仏法の最高の経典である「法華経」には、苦悩渦巻く娑婆世界で"天の音楽"を奏でながら、人々に限りない希望と勇気を贈る「妙音菩薩」が登場します。
芸術家の使命は計り知れません。民音(民主音楽協会)の音楽事業は、世界の芸術家と手を携えて、平和と文化の交流の舞台を民衆の大地に広げ、人類の心を結んできました。
サイフェルト 私も、東欧の国境が鉄のカーテンで隔てられていた難しい状況下で、文化の交流に取り組みました。とても難しい時代でした。妥協を迫られたことも多々ありました。
ただ、交流やプロジェクト、または私のアイデアに賛同して協力してくださる方々は、いつもいました。共産主義体制における著名人の中にも、人間性を失わずにいた人たちがいましたので、その方々とは本当に素晴らしい文化的なプロジェクトを実施することができました。
しかし、私たちの支援者は、それぞれ本国の共産圏陣営で重要な地位に就いており、かなり危ない橋を渡りながら援助してくださっていたことも確かです。その方々の協力の下、大勢の芸術家、とりわけ、体制派に属さない芸術家を数年にわたって招聘することができたのです。
池田 冷戦下の厳しい状況が続く中で、今では想像もつかない困難があったことでしょう。
そうした中でも、イデオロギーや体制の違いを超え、同じ平和を願う人間として、文化の交流、芸術の交流を行ってきたこと自体が、一条の光明だったのではないでしょうか。
サイフェルト ええ。もちろん、そこには、研ぎ澄まされた感覚で、絶妙な駆け引きが必要とされました。お互い、それまでに築き上げてきた信頼の基盤があったからこそ、実現したのです。
いかなる協力・提携関係においても、一番大切なのは、それが相互の信頼や尊敬の上に成り立っていることなのです。
彼らとの数十年にわたるお付き合いの中で、心に残る出会いが数多くありました。そこで知り合った芸術家は"またここにお招きしたい、もう一度ここで何かしていただきたい"と思う方々ばかりでした。
彼らの一番の功績は、何といっても人々に希望を与えたことです。それはあたかも、いつもは閉ざされた世界にあって、窓が開いているかのようでした。
池田 貴重な歴史の証言です。
迂遠のようでも、国や立場を超えた人間交流、市民交流こそが平和の基盤となり、共生の未来への潮流を生み出します。これは、私自身が各地で交流を重ねる中で実感してきたことでもあります。
初めてソ連を訪問した折(1974年)、モスクワの宿舎のホテルで「鍵番」をされていた無口なご婦人との出会いを思い起こします。お会いするごとに妻の方からあいさつの声を掛けて、親しくなりました。
「私たちの訪問は平和のためです」と語ると、彼女はポツリと言いました。
「私の夫も戦争で死んだのです」と。平和を願う心が響き合う語らいとなりました。
いずこの国であっても、人間には「生老病死」の現実があります。病気の苦しみ、生活の苦労、愛する家族との死別──人間に光を当ててみれば、誰しも何らかの苦悩があるものです。その次元に立って心を開けば、必ず理解し合えます。そして対話を重ねていけば、変化が生まれます。
対話はあらゆる差異を超えて、相互理解と友情の橋を架ける──これが私の揺るがぬ確信です。
サイフェルト 本当にそう思います。私自身も、とても大切にしてきた点ですし、常に橋を架ける役割に徹してきました。橋は"架け過ぎる"ということはありませんから。
あらためて、民音の公演で訪れた日本では、素敵な経験をすることができました。聴衆も素晴らしかったです。日本の皆さんは本当にいい人たちです。
日本とヨーロッパ、オーストリアでは、人との付き合い方が全然違います。ヨーロッパでは、どちらかというと、誰かが近寄ってくるのを待っていて、仲良くなるのに時間がかかります。日本ではすぐに親しくなることができ、よく一緒に笑ったりもしました。
池田 民音について過分なお言葉をいただきましたが、民音の半世紀にわたる音楽文化運動は、一流のアーティストや識者の協力はもとより、日本各地の推進委員の方々をはじめ、多くの真心の庶民による崇高にして真剣な支援によって進められています。創立者として、感謝は尽きません。
サイフェルト それは素晴らしいことです。
「橋を架ける」ことについて、ゴットフリート・ベンの素敵な詩がありますね。"人生というものは、流れる川に橋を架けることである"
川は常に流れては涸れ、また新たに流れを作る。そこに橋を架け続けるのだ、すなわちどんな変化があっても、前途を開く努力を続けていくのだ、と。これは私にとっての処世訓といっても過言ではありません。
池田 感銘しました。
音楽は、いかなる困難な壁をも超え、世界を結ぶ──それが私たちの体験であり、実感です。決意であり、信念です。
今、私の胸には、貴国の大詩人リルケの叫びが響いております。
「光のきらめきのなかで 生き 創れ」
「立て 身を伸ばせ 光へ向って!」(田代崇人訳「光へ向って」、『リルケ全集第1巻詩集I』)
闇が深ければ深いほど、暁は近い。不安や絶望が深まるほど、平和と幸福への願望は強まります。
その時に、人々を結合させ、希望の光源となる文化の役割が、いかに大きいか。
これでいったん、対談は終わりますが、私たちの平和への戦いは続きます。
これからも、未来へ向かって、"生命の讃歌""喜びの交響曲"を奏でゆくような楽しい対話を繰り広げていきましょう!
サイフェルト博士ご一家のますますのご健勝とご活躍を、妻と共に心より祈っております。
長い間、本当にありがとうございました。
◎きょうから希望の明日へは「戦争」です
2014年5月23日金曜日
2014.05.23 わが友に贈る
会場提供の皆様に
心からの御礼を!
近隣への配慮も大切に。
地域の宝城ありて
広布は朗らかに前進!
弥三郎殿御返事 P1451
『名を揚るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、釈迦多宝十方の仏来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし』
◇希望の明日へ
青春に一書を持てる人は幸せである。悪い書物は悪友と同じように、自分を堕落させていく。良き"一書"は、すばらしき親友と同じく、生涯にわたって自分を高めてくれる。
平4・11・1
☆生命の光 母の歌」 最終章 未来へ喜びの交響曲を(中)
サイフェルト博士 今日、近代的な技術により、若い人たちにとってネットワークを築いたり、世界的なスケールでコンタクトを取り合ったり、情報を共有し合ったり、新しいことを知り、それに取り組んだりすることが、20年、30年前に比べて簡単にできるようになりました。
差異というものは、いつの時代でもありますし、あって当然です。各人が、自身のアイデンティティーと文化的価値を持ち続けながら、隣人(他者)とその文化的環境を理解、尊敬し、違いを尊重しながら、共通項を見いだし、"共存"する努力をしていくことが要請されています。
池田SGI会長 自分たちの文化を大切にしながら、相手の異なる個性や文化を認め、尊重し、良い面を学び合い、吸収し合っていくことは、グローバル社会を生きる私たちが心すべき要諦ですね。
閉鎖的では、硬直化し、独善的になりかねない。"開かれた心"で交流してこそ、自身の可能性の新たな発見もあるのではないでしょうか。
これからの青年のために、視野を広げ、心の世界を大きくする機会を、一段と増やしていきたいものですね。
サイフェルト そう思います。私には義理の娘がいます。彼女は上海出身の中国人ですが、私たちの間には、日常の些細なこと、意識しないところでも、まだまだ文化的な違いがたくさんあることに気づかされます。
しかし、だからこそ、正面から向き合うことが大事なのだと思います。つまり、ばかにされたと感じるような時も、いじけるのではなく、文化の違いから生じる差異をすぐに理解できずに異論がある場合には、オープンに意見を述べ合うことが重要です。
そうした意味において、若いうちに自国以外の文化についても、知っていくことが非常に重要になってきます。外国語の習得も、自身の視野を広めることになると言われますね。専門分野の領域を超えた学生間の交流を、より推進していくことが望まれます。
かつて、息子が日本へ学びに行く機会がありました。それは当時、高校修了資格試験を終えたばかりの彼にとって、その後の将来を左右するほど、大変貴重な体験になったのです。
文化は、人間を人間たらしめるものです。そして文化的な教育は、これで十分施したということはできません。ここで言う「文化」とは、了見の狭い、偏狭な意味合いの「民族の文化」ではなく、「世界市民としての文化」です。
池田 深く共感します。創価教育が志向してきた大きな焦点です。今年の「SGIの日」記念提言でも、「青年」と共に「世界市民教育の推進」を国連の国際共通目標とするよう、提唱しました。これは時代の流れではないでしょうか。
アメリカ創価大学で進めている多様性を重んじた教育について、昨年行われた、ある雑誌の調査では、アメリカに約250校あるリベラルアーツ(一般教養)大学の中で、米国外からの留学生の割合で1位、人種の多様性(留学生を含まない)で5位、在学中に米国外への留学を経験する比率が100%で1位であると評価されました。
日本の創価大学でも現在、47カ国・地域の148大学と学術協定を結ぶなど、世界市民教育に力を注いでいます。
この4月には、待望の「国際教養学部」を開設しました。幅広い教養と専門性、高度な英語運用・コミュニケーション能力を備えた「グローバル人材」を育成するのが目的です。
創価大学からは、貴国のクラーゲンフルト大学にも多くの留学生を送り出すことができました。同大学評議会の一員であられたご主人のウンカルト博士が、両大学の交流に尽力してくださったご高恩は、一生忘れません。
サイフェルト ありがとうございます。夫が、かなり関わった事業です。今も喜んでいるでしょう。
平和のため、未来のために、私たちは、どこまでも沈黙してはいけません。いくつになっても、言わなければならない時は、発言しなければなりません。そしてそういう時、私はいつも創価の皆さまから力をいただいているのです。
人の一生は本当に短すぎると思います。年を重ねれば重ねるほど、自身の残された時間を過ごすのに、より慎重になっていくものです。だからこそ、たとえ社会の第一線を退いた世代でも、「自分の人生はまだまだこれからだ」と決意し、前向きに生きていくことが大切です。私も、自身の文化的な人間形成ということを、四六時中、念頭に置きながら、学び続けています。
若い世代に継承することだけでなく、自分自身が、スポンジが水を吸収するように成長し続けていく。そして語っていくことが大切だと思っています。
池田 同感です。共に対談集を発刊した、平和学者エリース・ボールディング博士が、私に言われていた言葉を思い出します。
それは──今日という日は、満100歳の人たちが100年前に生まれた日であり、また100年後に満100歳となる赤子が生まれている日でもある。
私たちは、「200年」の範囲に生きる人々と共に、皆で「より大きな共同体の一部」をなしている。
「私たちはこの一生の中で、若者から年配者にいたるまでの、何と多くのパートナーに接することでしょう」──と。
ボールディング博士は、大変な闘病の中、亡くなる最期まで平和への志に生き抜かれました。お見舞いに訪れた次代の女性リーダーには、このように語り残されたと伺いました。「平和の文化は、放っておいては実現しません。自分かつくらなければ。一緒にやるのです」「歩みを止めないで! 自身がやっていることに喜びを持って!」と。
サイフェルト 感動しました。心から共感します。
思い出したことが一つあります。面白い物語です。
──あるところに、2人の駆け出しの聖職者がいました。
彼らは、生命がいつから始まるのか、つまり生殖の段階なのか、出生時なのか、議論していました。
そばのベンチに老婦人が座っていました。聖職者たちは「彼女なら知っているだろう。聞いてみよう」と言って質問します。
「私たちは、人生が一体いつ始まるのかと思案しているところなのですが、あなたはどのようにお考えになりますか」
老婦人の答えはこうでした。「そりゃあ、子どもが成長して巣立っていって、夫と飼い犬が亡くなった時さ」と──(笑い)。
そう、その老婦人は、まさにその時点から自分の人生について考え、そして彼女自身の人生を"生きる"時間を得たのです。
池田 難しい哲学の言葉は使わなくても、現実の大地に根を張ってたくましく朗らかに生き抜いてきたおばあちゃんにはかなわない。どこの国でも、母は偉大です。
日蓮大聖人が、門下の女性に「年は・わかうなり福はかさなり候べし」(P1135、「四条金吾殿女房御返事」)と激励されたお手紙もあります。
正しい信仰を貫き、行動していけば、年齢を重ねるごとに、いよいよ若々しく、福徳が増していく、と教られています。誰もがそうした人生を歩んでいきたいと心の奥深くで願っているのではないでしょうか。
今日のSGIを築いてこられた多くのお母さんたちは、年配になっても、若々しい心で、人々のため、社会のために、尽くしてくれています。
サイフェルト 私はSGIの婦人部の方々から、たくさんの精神の宝をいただきました。多くの力をいただきました。このことを、感謝の思いを込めて言わせていただきたいのです。感謝することは、何かをお願いすることより非常に大切なことです。
東京の信濃町に、素晴らしい、新しい建物──「広宣流布大誓堂」が落成したとも伺いました。
あらためて、おめでとうございます!
日本に行くと、いつも本当に温かい世界に触れて、幸せを感じます。ぜひまた創価学園や創価世界女性会館などを訪問したいと、強く願っています。
池田 オーストリアのSGIの婦人部の皆さんも、博士のような偉大なリーダーからさまざまに学ぶ機会をいただき、心から感謝し、喜んでいます。
日本の各地の女性リーダーも、博士との出会いの思い出を今も懐かしく大切にしています。
サイフェルト ありがとうございます。
私は「奇跡を信じないものは現実主義者ではない」という言葉を座右の銘にしています。偏狭で近視眼的になった学者や、自分の考えのみによって全てのことを判断してしまうような人たちが、これに該当します。本当に気の毒です。都会から離れた地域にいる農家の女性のほうが、はるかに精神的に富んでいます。
例えば、乳母車にいる子どもの手から人形が滑り落ちてしまって泣いていたら、(その悲しみに同苦して)空の星が震えている──そんな捉え方ができるのです。
"重大な"政治的出来事や経済的動向などより、人生に起こる些細で劇的な出来事こそが、実は世界をも揺り動かしているということを感じて、最も重要視していくべきと思うのです。
池田 豊かな感性が伝わってくるようです。「アフリカの環境の母」と讃えられたワンガリ・マータイ博士とお会いした際、印象的な話をされていました(2005年2月)。
博士が幼き日、母に「どうして空は落ちてこないの」と聞いたところ、「周囲の山々にいる大きな水牛の大きな角が空を支えているから」と答えてくれ、とても安心できたそうです。自然がどれだけ人間を守っているか、そのありがたみが子ども心に鮮やかに刻まれていった。それが後に、あの4,000万本もの植樹運動に結実しゆく揺籃となっていったわけです。
小さいことのようで、それがその人の心の奥底を動かし、人生を方向づけていく出来事があるものです。それは、いわゆる哲学や科学や政治、経済などの次元だけでは捉えきれない人生の実像です。
恩師は、よく言われていました。
「いかに優れた思想、哲学でも、たった一人の人間を救うことさえ容易ではない。できたとしても、せいぜい気休めの慰めぐらいのことではないか。ましてや、一国を根底からまるまる見事に救ったことなどない」──と。
だからこそ、一人の人間生命の尊厳性と可能性を信じ抜き、その人間革命を目指すことから全てを出発する創価の運動の深い意義もあり、平和・文化・教育の活動へ展開する必然的要請もあると思っております。
心からの御礼を!
近隣への配慮も大切に。
地域の宝城ありて
広布は朗らかに前進!
弥三郎殿御返事 P1451
『名を揚るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、釈迦多宝十方の仏来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし』
◇希望の明日へ
青春に一書を持てる人は幸せである。悪い書物は悪友と同じように、自分を堕落させていく。良き"一書"は、すばらしき親友と同じく、生涯にわたって自分を高めてくれる。
平4・11・1
☆生命の光 母の歌」 最終章 未来へ喜びの交響曲を(中)
サイフェルト博士 今日、近代的な技術により、若い人たちにとってネットワークを築いたり、世界的なスケールでコンタクトを取り合ったり、情報を共有し合ったり、新しいことを知り、それに取り組んだりすることが、20年、30年前に比べて簡単にできるようになりました。
差異というものは、いつの時代でもありますし、あって当然です。各人が、自身のアイデンティティーと文化的価値を持ち続けながら、隣人(他者)とその文化的環境を理解、尊敬し、違いを尊重しながら、共通項を見いだし、"共存"する努力をしていくことが要請されています。
池田SGI会長 自分たちの文化を大切にしながら、相手の異なる個性や文化を認め、尊重し、良い面を学び合い、吸収し合っていくことは、グローバル社会を生きる私たちが心すべき要諦ですね。
閉鎖的では、硬直化し、独善的になりかねない。"開かれた心"で交流してこそ、自身の可能性の新たな発見もあるのではないでしょうか。
これからの青年のために、視野を広げ、心の世界を大きくする機会を、一段と増やしていきたいものですね。
サイフェルト そう思います。私には義理の娘がいます。彼女は上海出身の中国人ですが、私たちの間には、日常の些細なこと、意識しないところでも、まだまだ文化的な違いがたくさんあることに気づかされます。
しかし、だからこそ、正面から向き合うことが大事なのだと思います。つまり、ばかにされたと感じるような時も、いじけるのではなく、文化の違いから生じる差異をすぐに理解できずに異論がある場合には、オープンに意見を述べ合うことが重要です。
そうした意味において、若いうちに自国以外の文化についても、知っていくことが非常に重要になってきます。外国語の習得も、自身の視野を広めることになると言われますね。専門分野の領域を超えた学生間の交流を、より推進していくことが望まれます。
かつて、息子が日本へ学びに行く機会がありました。それは当時、高校修了資格試験を終えたばかりの彼にとって、その後の将来を左右するほど、大変貴重な体験になったのです。
文化は、人間を人間たらしめるものです。そして文化的な教育は、これで十分施したということはできません。ここで言う「文化」とは、了見の狭い、偏狭な意味合いの「民族の文化」ではなく、「世界市民としての文化」です。
池田 深く共感します。創価教育が志向してきた大きな焦点です。今年の「SGIの日」記念提言でも、「青年」と共に「世界市民教育の推進」を国連の国際共通目標とするよう、提唱しました。これは時代の流れではないでしょうか。
アメリカ創価大学で進めている多様性を重んじた教育について、昨年行われた、ある雑誌の調査では、アメリカに約250校あるリベラルアーツ(一般教養)大学の中で、米国外からの留学生の割合で1位、人種の多様性(留学生を含まない)で5位、在学中に米国外への留学を経験する比率が100%で1位であると評価されました。
日本の創価大学でも現在、47カ国・地域の148大学と学術協定を結ぶなど、世界市民教育に力を注いでいます。
この4月には、待望の「国際教養学部」を開設しました。幅広い教養と専門性、高度な英語運用・コミュニケーション能力を備えた「グローバル人材」を育成するのが目的です。
創価大学からは、貴国のクラーゲンフルト大学にも多くの留学生を送り出すことができました。同大学評議会の一員であられたご主人のウンカルト博士が、両大学の交流に尽力してくださったご高恩は、一生忘れません。
サイフェルト ありがとうございます。夫が、かなり関わった事業です。今も喜んでいるでしょう。
平和のため、未来のために、私たちは、どこまでも沈黙してはいけません。いくつになっても、言わなければならない時は、発言しなければなりません。そしてそういう時、私はいつも創価の皆さまから力をいただいているのです。
人の一生は本当に短すぎると思います。年を重ねれば重ねるほど、自身の残された時間を過ごすのに、より慎重になっていくものです。だからこそ、たとえ社会の第一線を退いた世代でも、「自分の人生はまだまだこれからだ」と決意し、前向きに生きていくことが大切です。私も、自身の文化的な人間形成ということを、四六時中、念頭に置きながら、学び続けています。
若い世代に継承することだけでなく、自分自身が、スポンジが水を吸収するように成長し続けていく。そして語っていくことが大切だと思っています。
池田 同感です。共に対談集を発刊した、平和学者エリース・ボールディング博士が、私に言われていた言葉を思い出します。
それは──今日という日は、満100歳の人たちが100年前に生まれた日であり、また100年後に満100歳となる赤子が生まれている日でもある。
私たちは、「200年」の範囲に生きる人々と共に、皆で「より大きな共同体の一部」をなしている。
「私たちはこの一生の中で、若者から年配者にいたるまでの、何と多くのパートナーに接することでしょう」──と。
ボールディング博士は、大変な闘病の中、亡くなる最期まで平和への志に生き抜かれました。お見舞いに訪れた次代の女性リーダーには、このように語り残されたと伺いました。「平和の文化は、放っておいては実現しません。自分かつくらなければ。一緒にやるのです」「歩みを止めないで! 自身がやっていることに喜びを持って!」と。
サイフェルト 感動しました。心から共感します。
思い出したことが一つあります。面白い物語です。
──あるところに、2人の駆け出しの聖職者がいました。
彼らは、生命がいつから始まるのか、つまり生殖の段階なのか、出生時なのか、議論していました。
そばのベンチに老婦人が座っていました。聖職者たちは「彼女なら知っているだろう。聞いてみよう」と言って質問します。
「私たちは、人生が一体いつ始まるのかと思案しているところなのですが、あなたはどのようにお考えになりますか」
老婦人の答えはこうでした。「そりゃあ、子どもが成長して巣立っていって、夫と飼い犬が亡くなった時さ」と──(笑い)。
そう、その老婦人は、まさにその時点から自分の人生について考え、そして彼女自身の人生を"生きる"時間を得たのです。
池田 難しい哲学の言葉は使わなくても、現実の大地に根を張ってたくましく朗らかに生き抜いてきたおばあちゃんにはかなわない。どこの国でも、母は偉大です。
日蓮大聖人が、門下の女性に「年は・わかうなり福はかさなり候べし」(P1135、「四条金吾殿女房御返事」)と激励されたお手紙もあります。
正しい信仰を貫き、行動していけば、年齢を重ねるごとに、いよいよ若々しく、福徳が増していく、と教られています。誰もがそうした人生を歩んでいきたいと心の奥深くで願っているのではないでしょうか。
今日のSGIを築いてこられた多くのお母さんたちは、年配になっても、若々しい心で、人々のため、社会のために、尽くしてくれています。
サイフェルト 私はSGIの婦人部の方々から、たくさんの精神の宝をいただきました。多くの力をいただきました。このことを、感謝の思いを込めて言わせていただきたいのです。感謝することは、何かをお願いすることより非常に大切なことです。
東京の信濃町に、素晴らしい、新しい建物──「広宣流布大誓堂」が落成したとも伺いました。
あらためて、おめでとうございます!
日本に行くと、いつも本当に温かい世界に触れて、幸せを感じます。ぜひまた創価学園や創価世界女性会館などを訪問したいと、強く願っています。
池田 オーストリアのSGIの婦人部の皆さんも、博士のような偉大なリーダーからさまざまに学ぶ機会をいただき、心から感謝し、喜んでいます。
日本の各地の女性リーダーも、博士との出会いの思い出を今も懐かしく大切にしています。
サイフェルト ありがとうございます。
私は「奇跡を信じないものは現実主義者ではない」という言葉を座右の銘にしています。偏狭で近視眼的になった学者や、自分の考えのみによって全てのことを判断してしまうような人たちが、これに該当します。本当に気の毒です。都会から離れた地域にいる農家の女性のほうが、はるかに精神的に富んでいます。
例えば、乳母車にいる子どもの手から人形が滑り落ちてしまって泣いていたら、(その悲しみに同苦して)空の星が震えている──そんな捉え方ができるのです。
"重大な"政治的出来事や経済的動向などより、人生に起こる些細で劇的な出来事こそが、実は世界をも揺り動かしているということを感じて、最も重要視していくべきと思うのです。
池田 豊かな感性が伝わってくるようです。「アフリカの環境の母」と讃えられたワンガリ・マータイ博士とお会いした際、印象的な話をされていました(2005年2月)。
博士が幼き日、母に「どうして空は落ちてこないの」と聞いたところ、「周囲の山々にいる大きな水牛の大きな角が空を支えているから」と答えてくれ、とても安心できたそうです。自然がどれだけ人間を守っているか、そのありがたみが子ども心に鮮やかに刻まれていった。それが後に、あの4,000万本もの植樹運動に結実しゆく揺籃となっていったわけです。
小さいことのようで、それがその人の心の奥底を動かし、人生を方向づけていく出来事があるものです。それは、いわゆる哲学や科学や政治、経済などの次元だけでは捉えきれない人生の実像です。
恩師は、よく言われていました。
「いかに優れた思想、哲学でも、たった一人の人間を救うことさえ容易ではない。できたとしても、せいぜい気休めの慰めぐらいのことではないか。ましてや、一国を根底からまるまる見事に救ったことなどない」──と。
だからこそ、一人の人間生命の尊厳性と可能性を信じ抜き、その人間革命を目指すことから全てを出発する創価の運動の深い意義もあり、平和・文化・教育の活動へ展開する必然的要請もあると思っております。
2014年5月22日木曜日
2014.05.22 わが友に贈る
人を育てるには
会って語ることだ。
共に行動することだ。
自分が戦うことだ。
励ましのリーダーたれ!
檀越某御返事 P1295
『雪山童子の跡ををひ不軽菩薩の身になり候はん、いたづらにやくびやうにやをかされ候はんずらむ、をいじににや死に候はんずらむあらあさましあさまし、願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度生死をはなれ候わばや』
◇希望の明日へ
日興上人の仰せに「本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し」(P1613)−−(インドの釈尊の言葉が中国語や日本語に翻訳されたように)大聖人が使われた日本の尊い言葉についても、広宣流布の時には、仮名を用いて書かれた御書を訳して、インドへも、中国へも流布していくべきである−−と。この仰せ通り、御書を正しく翻訳し、世界中に流布しているのは、創価学会だけである。
平3・11・30
会って語ることだ。
共に行動することだ。
自分が戦うことだ。
励ましのリーダーたれ!
檀越某御返事 P1295
『雪山童子の跡ををひ不軽菩薩の身になり候はん、いたづらにやくびやうにやをかされ候はんずらむ、をいじににや死に候はんずらむあらあさましあさまし、願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度生死をはなれ候わばや』
◇希望の明日へ
日興上人の仰せに「本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し」(P1613)−−(インドの釈尊の言葉が中国語や日本語に翻訳されたように)大聖人が使われた日本の尊い言葉についても、広宣流布の時には、仮名を用いて書かれた御書を訳して、インドへも、中国へも流布していくべきである−−と。この仰せ通り、御書を正しく翻訳し、世界中に流布しているのは、創価学会だけである。
平3・11・30
2014年5月21日水曜日
2014.05.21 わが友に贈る
自分らしく
輝くための信仰だ。
祈り、行動する中で
わが心を磨きゆけ!
栄光の劇の主役たれ!
御義口伝巻上 P716
『我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり』
◇希望の明日へ
文学のなかには、政治がある。社会がある。苦悩があり、希望への歌があり、心の宇宙がある。人間の実相を照らさんとする魂の光がある。ゆえに恩師戸田先生は、つねに青年に「世界の大文学を読め」と厳しかった。逝去の寸前まで「大作。今、何を読んでいるのか」と問われた。今、青年たちに同じ期待を寄せている。
平2・7・31
☆「生命(いのち)の光 母の歌」 最終章 未来へ喜びの交響曲を(上)
サイフェルト博士 この語らいに、読者の皆さんから寄せられた、たくさんの反響を伺いました。本当にうれしいです!
以前に池田会長が紹介された、目の見えないご両親を支える(中学生の)お嬢さんからも手紙を頂戴し、涙する思いで拝見しました。自分もそうでしたから、彼女がどれほど苦労してきたか、よく分かります。そして、ご両親からたくさんの愛情を受けて育ってこられたことも、よく分かります。
彼女のように、人一倍、苦労をしている若者には励ましが必要です。温かく励ましていけばいくほど、その人は大きく人生を開いていくことができるのです。
池田SGI会長 博士はすぐに返事を書かれ、激励してくださいました。その真心とスピードに、博士から手紙を預かったSGIの婦人部のリーダーが深い感銘を受けておりました。
人一倍苦労しているといえば、今の季節、私が心から声援を送りたいのが、新たな職場や学校で奮闘する皆さんです。
ちょうど日本は4月に新年度が始まったばかりで、彼らの凜々(りり)しい挑戦の姿が光っているのです。
私も、大切なフレッシュマンたちに「清々(すがすが)しい挨拶を!」「朝に勝とう!」「愚痴をこぼさず前へ!」の3点の指針を贈ったことがあります。
実はこの時期、日本では「五月病」という言葉を、よく耳にします。新入生や新入社員の中には、新しい環境になじめず、勉強が手につかなくなったり、落ち込んだりしてしまうケースがあるのです。
大学卒業者の場合、昨年の調査では、就職しても3年以内に離職する人が3割を超えました。社会全体で取り組まねばならない課題になっています。
サイフェルト 職場の居心地が悪かったり、合わなかったりということもあるでしょう。しかし本来、働くこと自体が大切なのです。仕事に就くことが難しい場合もあります。
池田 いずこの職場であれ、就職の際に抱(いだ)いていた理想と現実の間に大なり小なりギャップがあります。そこをどう受けとめていくか。これは時代を超え、国を超えて、共通する青年の課題でしょう。
私の恩師・戸田城聖先生は、仕事について悩む青年に信仰の実践の大切さを教えるとともに、先師の牧口常三郎先生が提唱した「美」「利」「善」の価値論を通して、次のように励まされていました。
──職業は、「自分が好き(美の価値)であり、得(利の価値)であり、社会に貢献できる(善の価値である)仕事」に就くのが理想だが、現実はそうはいかない。だからこそ青年らしく、へこたれずに、まず今の職場で、"なくてはならない人"になるよう全力で努力することだ。そうすれば最後には、自分にとって「好きであり、得であり、社会に大きな善をもたらす仕事」に到達できる。途中で重ねた苦労は全部貴重な財産になるよ──と。
誰にも、自分にしかない使命がある。しかし、その使命は「いつか」「誰か」が教えてくれるわけではありません。特に若い時は「学びの時代」「鍛えの時代」と捉えて挑戦していくことです。
もちろん、職場等での理不尽な待遇などに黙って我慢しろという意味ではありません。自分一人で抱えず、しかるべき人に相談していくことが大事です。
スイスの思想家ヒルティは"仕事の上手な仕方"のポイントの一つに、「思いきってやり始めること」を挙げていました。〈草間平作訳『幸福論 第1部』〉
私の体験の上からも、そう思います。
サイフェルト その通りですね。働くことに関連して、私には息子がいるのですが、まだ主人が健在だったころ、大学を無事卒業して喜んでいた息子に「何か私たちが手助けできることはない?」「これから何がしたい?」と聞いたことがあります。すると、「まあ、本当のところ、まずは世界を見て回りたいなあ」なんて言ったのです!(笑い)
当然、そんな考えには同調できませんでした。
池田 ご子息が今、立派に成長され、貴国で社会貢献の職務に就いておられることは、よく伺っております。
サイフェルト 私は常に仕事に責任を持ち、自分の力で人生を切り開くことを第一義に考えてきました。人が何らかの地位を得て、他の人々のために貢献できるということは、本来、神からの恵みであり、天与のたまものなのです。
人は、自分自身に対する責任について免責されるべきではないと思います。なぜなら、それこそが生きる意味そのものだからです。人は張り合いや責任感がなくなると、自分自身の存在自体に疑問を持つようになっていきます。ですから、子どもたちには、より早い時期から人生の厳しさや本来の生きる意義を理解させることが大切だと思います。
それがいかに重要かということは、私自身の経験からも言えます。子どもや青少年を教育するということは、若い人たちに「生死(しょうじ)」や「自身の環境や他者に対して負うべき責任」に関して考えるチャンスを与えるということなのです。
困難は全て、克服するためにあるのです。私自身、さまざまな苦労を重ねてきましたが、自分が今まで歩んだ人生を取り換えようとは思いません。この人生が一番いいと思っています。
池田 自分の人生に悔いはない。一番良かった──そう言い切れることこそ、大勝利の人生の証しでしょう。
かつて対談した日本の実業家・松下幸之助氏(松下電器産業〈現・パナソニック〉創業者)は「若い時の苦労は、買ってでもせにゃ、あきまへんな」と語っておられました。松下氏ご自身が小学校を中退して働き、大変な苦労をして事業を起こし、世界的に発展させていかれた方でした。"経営の神様"と仰がれてきました。
人生は、働き、苦労すること自体に大きな価値がある。たとえ財産があっても、楽をし、遊んでばかりの人生では、退屈で空虚なものになってしまう。それではかえって不幸です。
また、博士のご家族がそうであったように、親は子に、折に触れて、人生の苦難と戦った自身の体験や信念を伝えていくことが大切ですね。それは特に、子どもたちが社会に出るに当たって、何よりの"心の宝"の贈り物となるでしょう。
私の恩師は「艱難汝を玉にす」という言葉がお好きでした。
私は21歳の時から恩師の会社で働きましたが、師はあえて一番大変なところ、一番苦労するところに私を就かせました。後になって、その意味がよく分かりました。本当にありがたい師でした。
サイフェルト 子どもたちには「仕事があることは幸福なのだ」と教えていくべきなのです。
確かに、今日のヨーロッパを見れば、残念ながら、博士号まで取っでも、勤め先の無い学術者があふれかえっており、困難な時代です。
子どもたちが親に対し、自分たちの境遇が親に比べて、ずっと悪いと訴えるケースも増えているようです。"確かに最初は何もないところから始めたかもしれないけれど、今はいい暮らしをしているじゃないか""それに比べて、子ども世代は何不自由ない生活から突然、困難な状況に置かれてしまっている!"とさえ言うのです。
なぜこのような見方をするのか、背景を探る必要があると思われます。
池田 今、若い世代を取り巻く雇用環境は、実に厳しい。
国際労働機関(ILO)によれば、2013年は、世界全体の失業者が初めて2億人を超えて2億200万人(失業率は6%)に達しました。中でも若者の失業率は全体の2倍以上の13%を超え、世界全体で約7450万人の25歳未満の若者が失業中と言います。また、1日に1.25ドル以下で暮らさざるを得ない労働者(ワーキングプア)は、改善されつつあるものの、3億7500万人にものぼると推定されています。
多くの若者が、定職がない、低賃金、劣悪な職場環境、不安定な雇用形態、男女間の待遇の格差などで苦しんでいます。
私は今年の「SGIの日」記念提言でも、国連の新しい国際共通目標として「青年」という分野も含めることを訴えました。
そして、�「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)の確保に各国が全力を挙げること�社会が直面する問題を解決するプロセスに「青年の積極的な参加」を図ること�国境を超えた友情と行動の連帯を育む青年交流を拡大すること──を目標に設定するよう提案しました。
青年が、自分らしく、自らの夢に向かって力を発揮していける社会の基盤をつくらなければなりません。
サイフェルト 素晴らしい提案です。
もう一つ、若者が自分らしく力を発揮するという点で、聖書には「隣人を自分と分け隔てなく愛せよ」とありますが、実のところ自分自身を愛することは非常に難しく、それは多くの人が抱えている問題でもあると思います。
大切なのは、自己の価値を認め、自分を好きになり、少なくとも自らを受け入れることではないでしょうか。そうすることから、希望が生まれます。そうすれば、ちょっとしたことで簡単に傷ついてしまうような脆(もろ)さはなくなると思うです。
私自身、非常にそのことで悩んでは闘ってきました。時には心を強くして、精神的暴力から身を守らなければならないこともありました。その際、同じような考えを持つパートナーが身近にいれば緩和されるでしょうが、独り身だったら少なくとも良き友人が必要です。これは自己の限界を破っていくために通らなければならない道です。私自身もそうでした。
池田 私の恩師は、青年に「自分自身に生きよ」と言われました。
自分の中には尊極なる"仏の生命"がある。幸福の源泉がある。そう説いたのが仏法です。
運命と戦い、人生を切り開いていくのも自分です。そう決めて、自分らしく生き抜く人は、いかなる毀誉褒貶(きよほうへん)にも惑わされません。全ての縁を生かしていくことができます。
今、お話があったように、青春時代は"良き友"の存在が大切です。
仏法でも「"蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)"との交わりで、蓬(よもぎ)のように曲がっていた心が感化を受け、麻のように真っすぐ素直になる」との譬(たと)えが記されています。
良き友との交流を通し、人はより良い人生の道を進むことができる。自分では気づかない自分の長所や強さを発見でき、自他共に輝いて生きていくことができる。良き友人を持った人生は幸福です。
輝くための信仰だ。
祈り、行動する中で
わが心を磨きゆけ!
栄光の劇の主役たれ!
御義口伝巻上 P716
『我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり』
◇希望の明日へ
文学のなかには、政治がある。社会がある。苦悩があり、希望への歌があり、心の宇宙がある。人間の実相を照らさんとする魂の光がある。ゆえに恩師戸田先生は、つねに青年に「世界の大文学を読め」と厳しかった。逝去の寸前まで「大作。今、何を読んでいるのか」と問われた。今、青年たちに同じ期待を寄せている。
平2・7・31
☆「生命(いのち)の光 母の歌」 最終章 未来へ喜びの交響曲を(上)
サイフェルト博士 この語らいに、読者の皆さんから寄せられた、たくさんの反響を伺いました。本当にうれしいです!
以前に池田会長が紹介された、目の見えないご両親を支える(中学生の)お嬢さんからも手紙を頂戴し、涙する思いで拝見しました。自分もそうでしたから、彼女がどれほど苦労してきたか、よく分かります。そして、ご両親からたくさんの愛情を受けて育ってこられたことも、よく分かります。
彼女のように、人一倍、苦労をしている若者には励ましが必要です。温かく励ましていけばいくほど、その人は大きく人生を開いていくことができるのです。
池田SGI会長 博士はすぐに返事を書かれ、激励してくださいました。その真心とスピードに、博士から手紙を預かったSGIの婦人部のリーダーが深い感銘を受けておりました。
人一倍苦労しているといえば、今の季節、私が心から声援を送りたいのが、新たな職場や学校で奮闘する皆さんです。
ちょうど日本は4月に新年度が始まったばかりで、彼らの凜々(りり)しい挑戦の姿が光っているのです。
私も、大切なフレッシュマンたちに「清々(すがすが)しい挨拶を!」「朝に勝とう!」「愚痴をこぼさず前へ!」の3点の指針を贈ったことがあります。
実はこの時期、日本では「五月病」という言葉を、よく耳にします。新入生や新入社員の中には、新しい環境になじめず、勉強が手につかなくなったり、落ち込んだりしてしまうケースがあるのです。
大学卒業者の場合、昨年の調査では、就職しても3年以内に離職する人が3割を超えました。社会全体で取り組まねばならない課題になっています。
サイフェルト 職場の居心地が悪かったり、合わなかったりということもあるでしょう。しかし本来、働くこと自体が大切なのです。仕事に就くことが難しい場合もあります。
池田 いずこの職場であれ、就職の際に抱(いだ)いていた理想と現実の間に大なり小なりギャップがあります。そこをどう受けとめていくか。これは時代を超え、国を超えて、共通する青年の課題でしょう。
私の恩師・戸田城聖先生は、仕事について悩む青年に信仰の実践の大切さを教えるとともに、先師の牧口常三郎先生が提唱した「美」「利」「善」の価値論を通して、次のように励まされていました。
──職業は、「自分が好き(美の価値)であり、得(利の価値)であり、社会に貢献できる(善の価値である)仕事」に就くのが理想だが、現実はそうはいかない。だからこそ青年らしく、へこたれずに、まず今の職場で、"なくてはならない人"になるよう全力で努力することだ。そうすれば最後には、自分にとって「好きであり、得であり、社会に大きな善をもたらす仕事」に到達できる。途中で重ねた苦労は全部貴重な財産になるよ──と。
誰にも、自分にしかない使命がある。しかし、その使命は「いつか」「誰か」が教えてくれるわけではありません。特に若い時は「学びの時代」「鍛えの時代」と捉えて挑戦していくことです。
もちろん、職場等での理不尽な待遇などに黙って我慢しろという意味ではありません。自分一人で抱えず、しかるべき人に相談していくことが大事です。
スイスの思想家ヒルティは"仕事の上手な仕方"のポイントの一つに、「思いきってやり始めること」を挙げていました。〈草間平作訳『幸福論 第1部』〉
私の体験の上からも、そう思います。
サイフェルト その通りですね。働くことに関連して、私には息子がいるのですが、まだ主人が健在だったころ、大学を無事卒業して喜んでいた息子に「何か私たちが手助けできることはない?」「これから何がしたい?」と聞いたことがあります。すると、「まあ、本当のところ、まずは世界を見て回りたいなあ」なんて言ったのです!(笑い)
当然、そんな考えには同調できませんでした。
池田 ご子息が今、立派に成長され、貴国で社会貢献の職務に就いておられることは、よく伺っております。
サイフェルト 私は常に仕事に責任を持ち、自分の力で人生を切り開くことを第一義に考えてきました。人が何らかの地位を得て、他の人々のために貢献できるということは、本来、神からの恵みであり、天与のたまものなのです。
人は、自分自身に対する責任について免責されるべきではないと思います。なぜなら、それこそが生きる意味そのものだからです。人は張り合いや責任感がなくなると、自分自身の存在自体に疑問を持つようになっていきます。ですから、子どもたちには、より早い時期から人生の厳しさや本来の生きる意義を理解させることが大切だと思います。
それがいかに重要かということは、私自身の経験からも言えます。子どもや青少年を教育するということは、若い人たちに「生死(しょうじ)」や「自身の環境や他者に対して負うべき責任」に関して考えるチャンスを与えるということなのです。
困難は全て、克服するためにあるのです。私自身、さまざまな苦労を重ねてきましたが、自分が今まで歩んだ人生を取り換えようとは思いません。この人生が一番いいと思っています。
池田 自分の人生に悔いはない。一番良かった──そう言い切れることこそ、大勝利の人生の証しでしょう。
かつて対談した日本の実業家・松下幸之助氏(松下電器産業〈現・パナソニック〉創業者)は「若い時の苦労は、買ってでもせにゃ、あきまへんな」と語っておられました。松下氏ご自身が小学校を中退して働き、大変な苦労をして事業を起こし、世界的に発展させていかれた方でした。"経営の神様"と仰がれてきました。
人生は、働き、苦労すること自体に大きな価値がある。たとえ財産があっても、楽をし、遊んでばかりの人生では、退屈で空虚なものになってしまう。それではかえって不幸です。
また、博士のご家族がそうであったように、親は子に、折に触れて、人生の苦難と戦った自身の体験や信念を伝えていくことが大切ですね。それは特に、子どもたちが社会に出るに当たって、何よりの"心の宝"の贈り物となるでしょう。
私の恩師は「艱難汝を玉にす」という言葉がお好きでした。
私は21歳の時から恩師の会社で働きましたが、師はあえて一番大変なところ、一番苦労するところに私を就かせました。後になって、その意味がよく分かりました。本当にありがたい師でした。
サイフェルト 子どもたちには「仕事があることは幸福なのだ」と教えていくべきなのです。
確かに、今日のヨーロッパを見れば、残念ながら、博士号まで取っでも、勤め先の無い学術者があふれかえっており、困難な時代です。
子どもたちが親に対し、自分たちの境遇が親に比べて、ずっと悪いと訴えるケースも増えているようです。"確かに最初は何もないところから始めたかもしれないけれど、今はいい暮らしをしているじゃないか""それに比べて、子ども世代は何不自由ない生活から突然、困難な状況に置かれてしまっている!"とさえ言うのです。
なぜこのような見方をするのか、背景を探る必要があると思われます。
池田 今、若い世代を取り巻く雇用環境は、実に厳しい。
国際労働機関(ILO)によれば、2013年は、世界全体の失業者が初めて2億人を超えて2億200万人(失業率は6%)に達しました。中でも若者の失業率は全体の2倍以上の13%を超え、世界全体で約7450万人の25歳未満の若者が失業中と言います。また、1日に1.25ドル以下で暮らさざるを得ない労働者(ワーキングプア)は、改善されつつあるものの、3億7500万人にものぼると推定されています。
多くの若者が、定職がない、低賃金、劣悪な職場環境、不安定な雇用形態、男女間の待遇の格差などで苦しんでいます。
私は今年の「SGIの日」記念提言でも、国連の新しい国際共通目標として「青年」という分野も含めることを訴えました。
そして、�「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)の確保に各国が全力を挙げること�社会が直面する問題を解決するプロセスに「青年の積極的な参加」を図ること�国境を超えた友情と行動の連帯を育む青年交流を拡大すること──を目標に設定するよう提案しました。
青年が、自分らしく、自らの夢に向かって力を発揮していける社会の基盤をつくらなければなりません。
サイフェルト 素晴らしい提案です。
もう一つ、若者が自分らしく力を発揮するという点で、聖書には「隣人を自分と分け隔てなく愛せよ」とありますが、実のところ自分自身を愛することは非常に難しく、それは多くの人が抱えている問題でもあると思います。
大切なのは、自己の価値を認め、自分を好きになり、少なくとも自らを受け入れることではないでしょうか。そうすることから、希望が生まれます。そうすれば、ちょっとしたことで簡単に傷ついてしまうような脆(もろ)さはなくなると思うです。
私自身、非常にそのことで悩んでは闘ってきました。時には心を強くして、精神的暴力から身を守らなければならないこともありました。その際、同じような考えを持つパートナーが身近にいれば緩和されるでしょうが、独り身だったら少なくとも良き友人が必要です。これは自己の限界を破っていくために通らなければならない道です。私自身もそうでした。
池田 私の恩師は、青年に「自分自身に生きよ」と言われました。
自分の中には尊極なる"仏の生命"がある。幸福の源泉がある。そう説いたのが仏法です。
運命と戦い、人生を切り開いていくのも自分です。そう決めて、自分らしく生き抜く人は、いかなる毀誉褒貶(きよほうへん)にも惑わされません。全ての縁を生かしていくことができます。
今、お話があったように、青春時代は"良き友"の存在が大切です。
仏法でも「"蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)"との交わりで、蓬(よもぎ)のように曲がっていた心が感化を受け、麻のように真っすぐ素直になる」との譬(たと)えが記されています。
良き友との交流を通し、人はより良い人生の道を進むことができる。自分では気づかない自分の長所や強さを発見でき、自他共に輝いて生きていくことができる。良き友人を持った人生は幸福です。
2014年5月20日火曜日
2014.05.20 わが友に贈る
「御みやづかいを
法華経とをぼしめせ」
職場は自身を磨く道場。
誠実な振る舞いで
なくてはならない人に!
除病御書 P1298
『但し貴辺此の病を受くるの理或人之を告ぐ予日夜朝暮に法華経に申し上げ朝暮に青天に訴う除病の由今日之を聞く喜悦何事か之に過ぎん、事事見参を期せん』
◇希望の明日へ
書物は、その時代のみならず、未来まで思想を残す。また国境を超え、東洋と西洋、資本主義と共産主義等の違いをも超えて、豊かな"精神の対話"をもたらしていく。特に若き世代に何らかの示唆を与え、地道ではあっても、人類の偉大なる進歩につながっていく。"文化の開花"に貢献する出版の仕事は、本来、あまりにも尊いものである。
平2・4・15
法華経とをぼしめせ」
職場は自身を磨く道場。
誠実な振る舞いで
なくてはならない人に!
除病御書 P1298
『但し貴辺此の病を受くるの理或人之を告ぐ予日夜朝暮に法華経に申し上げ朝暮に青天に訴う除病の由今日之を聞く喜悦何事か之に過ぎん、事事見参を期せん』
◇希望の明日へ
書物は、その時代のみならず、未来まで思想を残す。また国境を超え、東洋と西洋、資本主義と共産主義等の違いをも超えて、豊かな"精神の対話"をもたらしていく。特に若き世代に何らかの示唆を与え、地道ではあっても、人類の偉大なる進歩につながっていく。"文化の開花"に貢献する出版の仕事は、本来、あまりにも尊いものである。
平2・4・15
2014年5月19日月曜日
2014.05.19 わが友に贈る
◇今週のことば
地区部長と婦人部長は
希望と信頼の太陽なり。
「わが地区に来れ」と
喜び光る座談会を!
創価家族の絆で前進だ。
2014年05月19日
御義口伝巻上 P748
『師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法吼とは師弟共に唱うる所の音声なり』
◇希望の明日へ
青年は、良書を求め、読みぬいていただきたい。どこへ行っても、どのような人に対しても、自在に話を展開し、深い感銘を与えるだけの力を培っていただきたい。青春時代の今、やっておかなければ、必ず悔いを残すことになるからだ。
平2・1・21
地区部長と婦人部長は
希望と信頼の太陽なり。
「わが地区に来れ」と
喜び光る座談会を!
創価家族の絆で前進だ。
2014年05月19日
御義口伝巻上 P748
『師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法吼とは師弟共に唱うる所の音声なり』
◇希望の明日へ
青年は、良書を求め、読みぬいていただきたい。どこへ行っても、どのような人に対しても、自在に話を展開し、深い感銘を与えるだけの力を培っていただきたい。青春時代の今、やっておかなければ、必ず悔いを残すことになるからだ。
平2・1・21
2014年5月18日日曜日
2014.05.18 わが友に贈る
会合に集えない
友を大切に!
悩みに耳を傾け
励ましを重ねる中で
希望の連帯は拡大!
生死一大事血脈抄 P1337
『日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す、而るに貴辺日蓮に随順し又難に値い給う事心中思い遣られて痛しく候ぞ』
◇希望の明日へ
読書について一言えば、"読む"ことも「心を耕すクワ」と言える。じつは、本そのものの中に、知恵や幸福があるわけではない。本来、それらは全部、自分の中にある。しかし、読書というクワで、自分の心、頭脳、生命を耕してこそ、それらは芽を出し始める。"文化"すなわち「カルチャー(culture)」の語は、"耕す"すなわち「カルチベイト(cultivate)」からきていることは有名である。自分を耕し、自分を豊かに変えていく。そこに文化の基本がある。あらゆる賢人が読書を勧めている。人生の"実りの秋"に、大きな精神の果実をつけるために、今こそ、あらゆる良書に挑戦してほしい。
平1・10・10
☆名誉会長と共に新時代を開く 第18回 堂々と絶対の安穏の道を
新しい広宣流布の開拓をするのは今だ。皆、本当に頑張っている。なかんずく婦人部の皆様に一段と光を当て、心からの感謝を捧げたい。全ての同志を最大に賞讃したい。
広布の功労は不滅だ。妙法の功徳は無量である。
御聖訓には仰せである。
『国中の人々に、一人から二人へと妙法が広がり、やがて千万億の人が題目を唱えるようになれば、思いもよらぬほどの功徳が、あなたの身に集まることでしょう。その功徳は、あたかも露を集めて大海となり、微塵を積んで須弥山となるようなものです』(P1241、通解、「妙密精進御消息」)
信心一筋に生きる皆様を、諸天が護らないわけがない。
もうすでに、絶対の安穏の軌道に入っているのだ。何があろうと負けないで、堂々と広布へ進む。生老病死の苦しみも、信心を強める糧にする。その姿自体が、偉大な勝利だ。私は、一人一人と握手を交わし、讃え、ねぎらいたい気持ちでいっぱいである。
人生には、つらいことや悲しいこと、絶望の淵に沈むこともあるかもしれない。
無数の尊い命が奪われた戦時中、正義の獄中闘争を貫かれた戸田先生は、ありとあらゆることで苦しんだからこそ、今、大勢の人を励ませるのだ、大衆のリーダーとして、人の心が分かる人間になれたのだと語っておられた。
煩悩即菩提である。妙法は、「煩悩の薪」を焼いて幸福前進の智慧の炎に転じていける究極の大法である。
題目をあげれば、わが年命に太陽が昇る。自分が太陽になれば、全ての闇は消える。亡くなった人も、題目の光りで救っていける。いわんや、生きている人を幸福にできないわけがない。信心は、生き抜く力の源泉である。「変毒為薬」の希望の大道なのである。
友を大切に!
悩みに耳を傾け
励ましを重ねる中で
希望の連帯は拡大!
生死一大事血脈抄 P1337
『日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す、而るに貴辺日蓮に随順し又難に値い給う事心中思い遣られて痛しく候ぞ』
◇希望の明日へ
読書について一言えば、"読む"ことも「心を耕すクワ」と言える。じつは、本そのものの中に、知恵や幸福があるわけではない。本来、それらは全部、自分の中にある。しかし、読書というクワで、自分の心、頭脳、生命を耕してこそ、それらは芽を出し始める。"文化"すなわち「カルチャー(culture)」の語は、"耕す"すなわち「カルチベイト(cultivate)」からきていることは有名である。自分を耕し、自分を豊かに変えていく。そこに文化の基本がある。あらゆる賢人が読書を勧めている。人生の"実りの秋"に、大きな精神の果実をつけるために、今こそ、あらゆる良書に挑戦してほしい。
平1・10・10
☆名誉会長と共に新時代を開く 第18回 堂々と絶対の安穏の道を
新しい広宣流布の開拓をするのは今だ。皆、本当に頑張っている。なかんずく婦人部の皆様に一段と光を当て、心からの感謝を捧げたい。全ての同志を最大に賞讃したい。
広布の功労は不滅だ。妙法の功徳は無量である。
御聖訓には仰せである。
『国中の人々に、一人から二人へと妙法が広がり、やがて千万億の人が題目を唱えるようになれば、思いもよらぬほどの功徳が、あなたの身に集まることでしょう。その功徳は、あたかも露を集めて大海となり、微塵を積んで須弥山となるようなものです』(P1241、通解、「妙密精進御消息」)
信心一筋に生きる皆様を、諸天が護らないわけがない。
もうすでに、絶対の安穏の軌道に入っているのだ。何があろうと負けないで、堂々と広布へ進む。生老病死の苦しみも、信心を強める糧にする。その姿自体が、偉大な勝利だ。私は、一人一人と握手を交わし、讃え、ねぎらいたい気持ちでいっぱいである。
人生には、つらいことや悲しいこと、絶望の淵に沈むこともあるかもしれない。
無数の尊い命が奪われた戦時中、正義の獄中闘争を貫かれた戸田先生は、ありとあらゆることで苦しんだからこそ、今、大勢の人を励ませるのだ、大衆のリーダーとして、人の心が分かる人間になれたのだと語っておられた。
煩悩即菩提である。妙法は、「煩悩の薪」を焼いて幸福前進の智慧の炎に転じていける究極の大法である。
題目をあげれば、わが年命に太陽が昇る。自分が太陽になれば、全ての闇は消える。亡くなった人も、題目の光りで救っていける。いわんや、生きている人を幸福にできないわけがない。信心は、生き抜く力の源泉である。「変毒為薬」の希望の大道なのである。
2014.05.17 わが友に贈る
青年を大事にする。
青年を信頼する。
青年を励ます。
この広布の要諦を
断じて忘れるな!
二乗作仏事 P594
『師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん』
◇希望の明日へ
読書は自分自身の中にある英知を磨くものである。充実した、また、晴ればれとした心の世界を開くものである。ゆえに、いくら、たくさんの知識をもっていても、謙虚に自分の"内なる世界"を見つめない人は、真の読書の人とはいえない。わが"内なる光"を発見するための精神の航海。わが"内なる宇宙"への旅それが読書なのである。
平1・10・10
青年を信頼する。
青年を励ます。
この広布の要諦を
断じて忘れるな!
二乗作仏事 P594
『師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん』
◇希望の明日へ
読書は自分自身の中にある英知を磨くものである。充実した、また、晴ればれとした心の世界を開くものである。ゆえに、いくら、たくさんの知識をもっていても、謙虚に自分の"内なる世界"を見つめない人は、真の読書の人とはいえない。わが"内なる光"を発見するための精神の航海。わが"内なる宇宙"への旅それが読書なのである。
平1・10・10
2014年5月16日金曜日
2014.05.16 わが友に贈る
新入会の同志と共に
御書を拝そう!
たゆまぬ教学の研鑽が
強固な信心をつくる。
挑戦と成長の日々を!
三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』
◇希望の明日へ
若い時代に良書に触れ、その中から「自分の友達だ」「少年時代の親友だ」と呼べる書物や登場人物を見つけることが大事である。胸の中に、そうした"心の友"が生きている人は幸福である。人生が豊かになるし、楽しい。また、いざという時に強いし、人格にも味わいが出てくる。たとえば、優れた外国の本の登場人物と対話を交わし、"友だち"になる。そうすれば、その国の心を深く知った人ともいえる。また世界中の人々に通じる普遍的な人間性を磨いたことにもなる。その人は、単に語学力を鼻にかけただけの倣慢な人になるより、よほど"心の国際人"であるといえる。もちろん語学は絶対に必要である。大事なことは語学を身につけながら、同時に、その国の人の考え方を知り、心を学んでいくことである。
平1・10・10
御書を拝そう!
たゆまぬ教学の研鑽が
強固な信心をつくる。
挑戦と成長の日々を!
三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』
◇希望の明日へ
若い時代に良書に触れ、その中から「自分の友達だ」「少年時代の親友だ」と呼べる書物や登場人物を見つけることが大事である。胸の中に、そうした"心の友"が生きている人は幸福である。人生が豊かになるし、楽しい。また、いざという時に強いし、人格にも味わいが出てくる。たとえば、優れた外国の本の登場人物と対話を交わし、"友だち"になる。そうすれば、その国の心を深く知った人ともいえる。また世界中の人々に通じる普遍的な人間性を磨いたことにもなる。その人は、単に語学力を鼻にかけただけの倣慢な人になるより、よほど"心の国際人"であるといえる。もちろん語学は絶対に必要である。大事なことは語学を身につけながら、同時に、その国の人の考え方を知り、心を学んでいくことである。
平1・10・10
2014.05.15 わが友に贈る
幸福の花は
忍耐の大地に咲く。
「今に見よ!」
負けじ魂を燃やし
何があっても前へ!
開目抄上 P200
『今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ』
◇希望の明日へ
本の読み方については、さまざまな意見がある。例えば、一人の作家を中心に読む。また自分のテーマを決めて読む。さらに、一冊ずつ、きちんと読み重ねる。反対に何冊も同時並行で読む。古典を中心に読む。自分の興味があるものから読む。良書をゆっくり、ていねいに精読する。多くの本を速読する、など。そして、読んだら短くても感想を書いたり、人に語ることを勧める人もいる。そうすれば、内容をより深く自分のものに
することができる。他にも読書の方法については、いろいろな考え方がある。必ずしも"こうでなければならない"というものはない。自分に合った読み方でいいし、自由に伸び伸びと読書の習慣をつけていけばいいのではないか。
平1・10・10
忍耐の大地に咲く。
「今に見よ!」
負けじ魂を燃やし
何があっても前へ!
開目抄上 P200
『今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ』
◇希望の明日へ
本の読み方については、さまざまな意見がある。例えば、一人の作家を中心に読む。また自分のテーマを決めて読む。さらに、一冊ずつ、きちんと読み重ねる。反対に何冊も同時並行で読む。古典を中心に読む。自分の興味があるものから読む。良書をゆっくり、ていねいに精読する。多くの本を速読する、など。そして、読んだら短くても感想を書いたり、人に語ることを勧める人もいる。そうすれば、内容をより深く自分のものに
することができる。他にも読書の方法については、いろいろな考え方がある。必ずしも"こうでなければならない"というものはない。自分に合った読み方でいいし、自由に伸び伸びと読書の習慣をつけていけばいいのではないか。
平1・10・10
2014年5月14日水曜日
2014.05.14 わが友に贈る
受け身の姿勢では
本当の力は出ない。
自分が全責任を担う!
その自覚と決意で
勝利の道を切り開け!
盂蘭盆御書 P1430
『我が身は藤のごとくなれども法華経の松にかかりて妙覚の山にものぼりなん』
◇希望の明日へ
書物は真理と文化の懸け橋である。良質の書物がなければ、人類の英知は人々に伝わらず、貴重な精神遺産も後世に残らない。その意義から出版社は、真理探究と文化向上に貢献する尊い使命を担っている。
平1・4・29
本当の力は出ない。
自分が全責任を担う!
その自覚と決意で
勝利の道を切り開け!
盂蘭盆御書 P1430
『我が身は藤のごとくなれども法華経の松にかかりて妙覚の山にものぼりなん』
◇希望の明日へ
書物は真理と文化の懸け橋である。良質の書物がなければ、人類の英知は人々に伝わらず、貴重な精神遺産も後世に残らない。その意義から出版社は、真理探究と文化向上に貢献する尊い使命を担っている。
平1・4・29
2014年5月13日火曜日
2014.05.13 わが友に贈る
「わが地区を
日本一の人材城に!」
強き祈りこそ発展の力。
皆で心を合わせ
新たな地涌の連帯を!
辧殿尼御前御書 P1224
『第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』
◇希望の明日へ
知識を得るためだけではない、魂を養う読書は生涯の宝である。血肉となった教養には、単なる断片的な知識の集まりはかなわない。
『主婦の友』昭64・1月号
☆忘れ得ぬ旅太陽の心で第26回 ブルガリア
◇未来の生命に文化の光を
バラの花
幸と香れや
母子して
風が爽やかに香る皐月です。
5月には「こどもの日」と「母の日」があります。子の健やかな成長を願う母の慈愛と、母の健康長寿を祈る子の感謝とが温かく響き合う"母子の月"です。
この季節を、百花繚乱の花々が嬉しげに彩ってくれます。なかでも、"花の女王"として、ひときわ優雅な気品をたたえているのが、バラではないでしょうか。
バラは、一輪そこにあるだけで、部屋の佇まいを一変させる不思議な品格を持っています。
かつて私は、草の根の文化運動に奔走する健気な友に、一句を贈ったことがあります。
「牛乳瓶 バラ一本 さしにけり」と。
どんな場所でも、また、たとえ一人きりでも、一輪のバラのように凛と咲き誇って、周囲を明るく照らしていける。そこに真の人格の力があり、文化の力があると讃嘆したかったからです。
東欧のブルガリアは、その名も「バラの国」と称されます。もちろん、国の花もバラです。
私の胸中には、ブルガリアの美しい歓迎の歌が蘇ります。
「今日のこの素晴らしき日に どうぞ 一輪のブルガリアのバラを受け取ってください/そのバラに かぐわしい調べで/この山々を この海を そして私たち皆のことを あなたに語らせてください」と。
ブルガリアでは、世界で消費されるバラの香油(香水の原料)の約7割が生産されていると聞きました。
二つの山脈(バルカンとスレドナ・ゴラ)に囲まれた地域には、じつに約120キロにもわたってバラが栽培されている「バラの谷」が続いています。
この「バラの谷」に、武器を製造する拠点がおかれた時代もありました。しかし今では、とくに5月、6月、世界から人々が集う、香り豊かな"平和の花園"となっています。
それは、バラが武器に勝ち、文化が野蛮に打ち勝った象徴と言ってよいでしょう。
遠くからブルガリアの友が来日する際は、私も友情と平和の心をバラに託して歓迎しています。
ブルガリアと交流の深い広島県の「福山ばら祭」では、私と妻の信頼する青年たちが、凛々しい楽器演奏のパレードで、地域に貢献してくれています。
混迷の
世にも 気高き
バラの花
平和の香りよ
友誼の光よ
私が空路、白銀の雪が残るバルカンの山々を越えて、首都ソフィアに第一歩を印したのは、ブルガリア建国1300年(1981年)の佳節でした。
「美しきわが森よ 青春の香りがする」と民謡で歌われる通りの「森の都」です。彼方に仰ぐヴィトシャ山の連峰は壮麗でした。
到着した当初から、お会いした各界のリーダーの方々が強調されていたことがあります。
それは、ブルガリアは平和を愛する国であり、文化を重んずる国である。軍事の同盟には恒久性はなく、文化の同盟こそ重要なのである、ということです。
国土や軍事力、経済力の大きさよりも、人間の精神の大きさ、豊かさ、美しさ、絆を大切にされていたのです。
聡明な女性リーダーであるリュドミラ・ジフコヴァ文化大臣は毅然と語られました。
——世界は、これ以上、戦争の恐怖のもとで生きるべきではありません。子どもたちが、この世で一番大切な「お母さん」と「自由」という言葉を書けるようになる前に亡くなることがあってはなりません、と。
母と子が笑顔で暮らせる社会こそ、真に平和な世界と言えましょう。
シルクロードの東西を結ぶ「文明の十字路」ブルガリアでは、古代ローマ帝国、東方キリスト教を基盤としたビザンチン帝国、ブルガリア帝国、イスラムを根幹としたオスマン帝国など、激動の攻防の歴史が繰り返されるなかで、人々が苦難を乗り越え、豊饒なる文化を創造してきました。その文化の多彩さは、華やかなブルガリアの民族衣装を思わせます。
首都「ソフィア」の名は「知恵」という意味です。
ブルガリアの知恵は、困難の歴史を生き抜きながら育んできた珠玉の知恵であり、決して行き詰らない知恵でありましょう。
さらに、ソフィア市の紋章には「成長するが老いはしない」と刻まれています。
私は、試練に屈しないブルガリアの大地から、必ずや21世紀を潤す平和と共生の知恵が湧き出ずることを祈りつつ、お招きいただいたソフィア大学で「東西融合の緑野を求めて」と題する講演を行いました。
美しき
生命の歌声
こだまして
平和の夜明けを
心に開けり
ブルガリアが世界に誇る文化に、「合唱」があります。約3,600もの合唱団があり、とりわけ子どもたちの合唱団が多いと伺ったことがあります。
ブルガリアとの交流の折々に、少年少女たちは友好の合唱を披露してくれました。
「ヴィトシャの山から友情の翼をつけて空高く、世界へ飛んでいきましょう」との清らかな天の歌声も忘れられません。
日本の歌「赤とんぼ」「木曽節」「草津節」を見事に歌い上げてくれた真心にも感銘しました。
私がソフィアに続いて訪問した世界最古の町の一つとされる「古城の都」プロブディフでも、地元の少年合唱団が、ブルガリア語と日本語、ロシア語の歌で迎えてくれました。
この国の村々では、たくさんの女性が民謡を愛し、3人以上集まれば、その場で合唱が始まると言われます。
ある時は食卓で賑やかに、ある時は農作業の場で力強く、ある時は赤子の揺籃の傍らで優しく、生活の舞台で歌われ続けてきた民謡は、7万曲にもおよぶというのです。
多彩なブルガリア民謡のなかで、ゆったりとした曲からは、「ヤヴァシ、ヤヴァシ(ゆっくり、ゆっくり)」と一歩また一歩、足元から幸福を築きゆく姿も連想されます。
地声による迫力ある歌も特徴的です。そこには、ブルガリアのシンボルである獅子のごとく、何ものにも負けない勇気の響きを感じます。
声は命。歌は心です。苦しい時も、くよくよしている時も、声高らかに歌えば、生命の奥底から活力が湧き、悩みを吹き飛ばしてくれます。
歌のあるところ、明るい前進の息吹があり、歌のあるところ、豊かな心が満ち溢れます。
約500年にもわたる、外国の残酷な支配に屈しなかったブルガリアの民衆の強さを支えたのも、歌うことであり、合唱であったのです。
そして、ぶつかり合うような異なる音さえ結び、深いハーモニーを創り出す合唱は、平和の象徴です。
私が創立した民主音楽協会では、これまでブルガリアの主要な合唱団・合唱舞踊団を8度、日本に招聘してきました。
ブルガリアの格言に「我らが戸口にも太陽は昇る」とあります。たくましい楽観主義に生きて、人々を照らす太陽は、女性です。
大文豪ヴァーゾフの小説では、戦場から息子が無事に帰ってくるのを待ちわびる母が、連行されていく敵軍の捕虜に心を痛めて差し入れをするという、胸に迫る場面があります。
「いい人たちなのに…かわいそうに、この人たちの母親は…自分の息子たちがどうしてるか知っているだろうか?」と。
戦時中、私の母も、憲兵に連行されていく敵国人の捕虜について、「かわいそうに! かわいそうに! その人のお母さんは、どんなに心配していることだろうね」と語っていたことを思い起こします。
苦難に立ち向かう「不屈の魂」と、他者を大切にする「慈愛の心」こそ、平和の文化の翼と言ってよいでありましょう。
獅子となれ
不屈の魂
皆が生命に
私が共に対談集を発刊した、東欧を代表する芸術史家ジュロヴァ博士のご家族も、「美しき獅子の魂」を持つ方々です。
残虐なファシズムと戦い、父君は何度も死刑宣告を受け、母君は投獄されるところを、妊娠していたために、かろうじて免れました。
戦乱で思うように学べなかった母君は、戦後、多くの子を育てながら、自らも学校に通い、織物工学技術を習得して、子どもたちに素敵な自作の服をプレゼントしてくれました。学び続ける喜び、また、生活を彩る芸術を教えてくれたのです。
父君は、人生の生き方を伝えてくれました。
第一に、試練に対して忍耐強く生きる。
第二に、チャンスの時には、大胆に行動する。
第三に、忍耐の時か、勇敢に行動に打って出る時かを、知恵で見きわめる。
そして常々、父君は「いかなる状況にあっても人間は人間である」と、最も重要な人間性の価値を教えてくれたと言います。
ジュロヴァ博士は、女性が世界で果たすべき使命とは「人間生命が持つ価値と精神性を守りゆくことです」と断言されていました。だからこそ、平和のために積極的に行動する広島の女性たちの姿に驚嘆し、最大に讃えておられたのです。
生命は
清く美しく
人生は
強く逞しく
ブルガリアに「生命の水」という民話があります。
遠い彼方に、飲めば歳をとらず、若返り、丈夫になる「生命の水」が湧き出ている。それを持って帰ってきた者が、王の後継者となると決まった。王の3人の息子が「生命の水」を求めて旅に出た。十字路に来ると"無事に帰れる道""帰れる可能性のある道""帰れない道"があった。末の弟は、妻や婚約者の待つ兄たちに安全な道を譲り、自分は最も困難な"帰れない道"を選んで、道中、生きとし生けるものを救いつつ進んだ。そして結局、「生命の水」を発見し、最終的に善き指導者となったのは、末の弟だった、と。
苦難の道を乗り越えて、生命の尊厳を探究し、他の生命を救い、平和を築いていく。
このブルガリアの偉大な使命の道を、私の友たちも勇敢に進んでいます。私が創立した創価大学からブルガリアに留学し、そのまま第二の祖国と決めて、社会に貢献している友もいます。皆が良き市民として、人のため、地域のために行動し、生き生きと人間共和のスクラムを広げております。
青年詩人ボテフが「分ち合おう」と叫んだごとく、共々に苦労を分かち合いながら!
朗らかに
天まで響けや
大合唱
誓いの道を
喜び悔いなく
日本一の人材城に!」
強き祈りこそ発展の力。
皆で心を合わせ
新たな地涌の連帯を!
辧殿尼御前御書 P1224
『第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』
◇希望の明日へ
知識を得るためだけではない、魂を養う読書は生涯の宝である。血肉となった教養には、単なる断片的な知識の集まりはかなわない。
『主婦の友』昭64・1月号
☆忘れ得ぬ旅太陽の心で第26回 ブルガリア
◇未来の生命に文化の光を
バラの花
幸と香れや
母子して
風が爽やかに香る皐月です。
5月には「こどもの日」と「母の日」があります。子の健やかな成長を願う母の慈愛と、母の健康長寿を祈る子の感謝とが温かく響き合う"母子の月"です。
この季節を、百花繚乱の花々が嬉しげに彩ってくれます。なかでも、"花の女王"として、ひときわ優雅な気品をたたえているのが、バラではないでしょうか。
バラは、一輪そこにあるだけで、部屋の佇まいを一変させる不思議な品格を持っています。
かつて私は、草の根の文化運動に奔走する健気な友に、一句を贈ったことがあります。
「牛乳瓶 バラ一本 さしにけり」と。
どんな場所でも、また、たとえ一人きりでも、一輪のバラのように凛と咲き誇って、周囲を明るく照らしていける。そこに真の人格の力があり、文化の力があると讃嘆したかったからです。
東欧のブルガリアは、その名も「バラの国」と称されます。もちろん、国の花もバラです。
私の胸中には、ブルガリアの美しい歓迎の歌が蘇ります。
「今日のこの素晴らしき日に どうぞ 一輪のブルガリアのバラを受け取ってください/そのバラに かぐわしい調べで/この山々を この海を そして私たち皆のことを あなたに語らせてください」と。
ブルガリアでは、世界で消費されるバラの香油(香水の原料)の約7割が生産されていると聞きました。
二つの山脈(バルカンとスレドナ・ゴラ)に囲まれた地域には、じつに約120キロにもわたってバラが栽培されている「バラの谷」が続いています。
この「バラの谷」に、武器を製造する拠点がおかれた時代もありました。しかし今では、とくに5月、6月、世界から人々が集う、香り豊かな"平和の花園"となっています。
それは、バラが武器に勝ち、文化が野蛮に打ち勝った象徴と言ってよいでしょう。
遠くからブルガリアの友が来日する際は、私も友情と平和の心をバラに託して歓迎しています。
ブルガリアと交流の深い広島県の「福山ばら祭」では、私と妻の信頼する青年たちが、凛々しい楽器演奏のパレードで、地域に貢献してくれています。
混迷の
世にも 気高き
バラの花
平和の香りよ
友誼の光よ
私が空路、白銀の雪が残るバルカンの山々を越えて、首都ソフィアに第一歩を印したのは、ブルガリア建国1300年(1981年)の佳節でした。
「美しきわが森よ 青春の香りがする」と民謡で歌われる通りの「森の都」です。彼方に仰ぐヴィトシャ山の連峰は壮麗でした。
到着した当初から、お会いした各界のリーダーの方々が強調されていたことがあります。
それは、ブルガリアは平和を愛する国であり、文化を重んずる国である。軍事の同盟には恒久性はなく、文化の同盟こそ重要なのである、ということです。
国土や軍事力、経済力の大きさよりも、人間の精神の大きさ、豊かさ、美しさ、絆を大切にされていたのです。
聡明な女性リーダーであるリュドミラ・ジフコヴァ文化大臣は毅然と語られました。
——世界は、これ以上、戦争の恐怖のもとで生きるべきではありません。子どもたちが、この世で一番大切な「お母さん」と「自由」という言葉を書けるようになる前に亡くなることがあってはなりません、と。
母と子が笑顔で暮らせる社会こそ、真に平和な世界と言えましょう。
シルクロードの東西を結ぶ「文明の十字路」ブルガリアでは、古代ローマ帝国、東方キリスト教を基盤としたビザンチン帝国、ブルガリア帝国、イスラムを根幹としたオスマン帝国など、激動の攻防の歴史が繰り返されるなかで、人々が苦難を乗り越え、豊饒なる文化を創造してきました。その文化の多彩さは、華やかなブルガリアの民族衣装を思わせます。
首都「ソフィア」の名は「知恵」という意味です。
ブルガリアの知恵は、困難の歴史を生き抜きながら育んできた珠玉の知恵であり、決して行き詰らない知恵でありましょう。
さらに、ソフィア市の紋章には「成長するが老いはしない」と刻まれています。
私は、試練に屈しないブルガリアの大地から、必ずや21世紀を潤す平和と共生の知恵が湧き出ずることを祈りつつ、お招きいただいたソフィア大学で「東西融合の緑野を求めて」と題する講演を行いました。
美しき
生命の歌声
こだまして
平和の夜明けを
心に開けり
ブルガリアが世界に誇る文化に、「合唱」があります。約3,600もの合唱団があり、とりわけ子どもたちの合唱団が多いと伺ったことがあります。
ブルガリアとの交流の折々に、少年少女たちは友好の合唱を披露してくれました。
「ヴィトシャの山から友情の翼をつけて空高く、世界へ飛んでいきましょう」との清らかな天の歌声も忘れられません。
日本の歌「赤とんぼ」「木曽節」「草津節」を見事に歌い上げてくれた真心にも感銘しました。
私がソフィアに続いて訪問した世界最古の町の一つとされる「古城の都」プロブディフでも、地元の少年合唱団が、ブルガリア語と日本語、ロシア語の歌で迎えてくれました。
この国の村々では、たくさんの女性が民謡を愛し、3人以上集まれば、その場で合唱が始まると言われます。
ある時は食卓で賑やかに、ある時は農作業の場で力強く、ある時は赤子の揺籃の傍らで優しく、生活の舞台で歌われ続けてきた民謡は、7万曲にもおよぶというのです。
多彩なブルガリア民謡のなかで、ゆったりとした曲からは、「ヤヴァシ、ヤヴァシ(ゆっくり、ゆっくり)」と一歩また一歩、足元から幸福を築きゆく姿も連想されます。
地声による迫力ある歌も特徴的です。そこには、ブルガリアのシンボルである獅子のごとく、何ものにも負けない勇気の響きを感じます。
声は命。歌は心です。苦しい時も、くよくよしている時も、声高らかに歌えば、生命の奥底から活力が湧き、悩みを吹き飛ばしてくれます。
歌のあるところ、明るい前進の息吹があり、歌のあるところ、豊かな心が満ち溢れます。
約500年にもわたる、外国の残酷な支配に屈しなかったブルガリアの民衆の強さを支えたのも、歌うことであり、合唱であったのです。
そして、ぶつかり合うような異なる音さえ結び、深いハーモニーを創り出す合唱は、平和の象徴です。
私が創立した民主音楽協会では、これまでブルガリアの主要な合唱団・合唱舞踊団を8度、日本に招聘してきました。
ブルガリアの格言に「我らが戸口にも太陽は昇る」とあります。たくましい楽観主義に生きて、人々を照らす太陽は、女性です。
大文豪ヴァーゾフの小説では、戦場から息子が無事に帰ってくるのを待ちわびる母が、連行されていく敵軍の捕虜に心を痛めて差し入れをするという、胸に迫る場面があります。
「いい人たちなのに…かわいそうに、この人たちの母親は…自分の息子たちがどうしてるか知っているだろうか?」と。
戦時中、私の母も、憲兵に連行されていく敵国人の捕虜について、「かわいそうに! かわいそうに! その人のお母さんは、どんなに心配していることだろうね」と語っていたことを思い起こします。
苦難に立ち向かう「不屈の魂」と、他者を大切にする「慈愛の心」こそ、平和の文化の翼と言ってよいでありましょう。
獅子となれ
不屈の魂
皆が生命に
私が共に対談集を発刊した、東欧を代表する芸術史家ジュロヴァ博士のご家族も、「美しき獅子の魂」を持つ方々です。
残虐なファシズムと戦い、父君は何度も死刑宣告を受け、母君は投獄されるところを、妊娠していたために、かろうじて免れました。
戦乱で思うように学べなかった母君は、戦後、多くの子を育てながら、自らも学校に通い、織物工学技術を習得して、子どもたちに素敵な自作の服をプレゼントしてくれました。学び続ける喜び、また、生活を彩る芸術を教えてくれたのです。
父君は、人生の生き方を伝えてくれました。
第一に、試練に対して忍耐強く生きる。
第二に、チャンスの時には、大胆に行動する。
第三に、忍耐の時か、勇敢に行動に打って出る時かを、知恵で見きわめる。
そして常々、父君は「いかなる状況にあっても人間は人間である」と、最も重要な人間性の価値を教えてくれたと言います。
ジュロヴァ博士は、女性が世界で果たすべき使命とは「人間生命が持つ価値と精神性を守りゆくことです」と断言されていました。だからこそ、平和のために積極的に行動する広島の女性たちの姿に驚嘆し、最大に讃えておられたのです。
生命は
清く美しく
人生は
強く逞しく
ブルガリアに「生命の水」という民話があります。
遠い彼方に、飲めば歳をとらず、若返り、丈夫になる「生命の水」が湧き出ている。それを持って帰ってきた者が、王の後継者となると決まった。王の3人の息子が「生命の水」を求めて旅に出た。十字路に来ると"無事に帰れる道""帰れる可能性のある道""帰れない道"があった。末の弟は、妻や婚約者の待つ兄たちに安全な道を譲り、自分は最も困難な"帰れない道"を選んで、道中、生きとし生けるものを救いつつ進んだ。そして結局、「生命の水」を発見し、最終的に善き指導者となったのは、末の弟だった、と。
苦難の道を乗り越えて、生命の尊厳を探究し、他の生命を救い、平和を築いていく。
このブルガリアの偉大な使命の道を、私の友たちも勇敢に進んでいます。私が創立した創価大学からブルガリアに留学し、そのまま第二の祖国と決めて、社会に貢献している友もいます。皆が良き市民として、人のため、地域のために行動し、生き生きと人間共和のスクラムを広げております。
青年詩人ボテフが「分ち合おう」と叫んだごとく、共々に苦労を分かち合いながら!
朗らかに
天まで響けや
大合唱
誓いの道を
喜び悔いなく
2014年5月12日月曜日
2014.05.12 わが友に贈る
◇今週のことば
続ける。繰り返す——
これが広布を開く王道。
誠実な対話を重ねれば
仏縁は大きく育つ。
信念の語らいを悠々と!
2014年05月12日
御講聞書 P813
『父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏即ち父母の成仏なり』
◇希望の明日へ
良書を読めば、時代を見極め、リードしていく視点を培える。また仏法の視点をもてば読書を通して、十界の諸相をはらむ人生と社会の姿が明確に浮き彫りにされてくる。さらに良書からは、御書に説かれる妙法の法理の一分を随所にくみとることができる。私は若き日より、仏法を根幹に、現実の社会と生活のうえで懸命に戦い、勝ってきた。その激闘のなかで、本を読む力も戸田先生によって培われ、現実への洞察の"眼"も養った。私が折あるごとに数々の名作を紹介するのも、こうした意味からである。
平1・1・21
☆5・9「音楽隊の日」60周年へのメッセージ
師子吼の題目を唱え抜きながら、民衆を励まし、鼓舞する、君たち音楽隊の妙音の響きこそ、創価の師弟の魂が脈動する、わが学会の絶対勝利の音律であります
これからも、音楽隊は、私と一緒に、人間勝利の凱歌を、楽しく勇壮に、世界の果てまで轟かせてくれ給え!
君たちと共に作った新・学会歌 『誓いの青年(きみ)よ』 を高らかに歌い響かせながら、新時代の大行進の先陣を頼む!
【新指針】
一、民衆を励まし鼓舞する妙音の楽雄たれ!
一、平和と文化を担い立つ広布の英雄たれ!
一、社会で世界で勝利する創価の世雄たれ!
続ける。繰り返す——
これが広布を開く王道。
誠実な対話を重ねれば
仏縁は大きく育つ。
信念の語らいを悠々と!
2014年05月12日
御講聞書 P813
『父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏即ち父母の成仏なり』
◇希望の明日へ
良書を読めば、時代を見極め、リードしていく視点を培える。また仏法の視点をもてば読書を通して、十界の諸相をはらむ人生と社会の姿が明確に浮き彫りにされてくる。さらに良書からは、御書に説かれる妙法の法理の一分を随所にくみとることができる。私は若き日より、仏法を根幹に、現実の社会と生活のうえで懸命に戦い、勝ってきた。その激闘のなかで、本を読む力も戸田先生によって培われ、現実への洞察の"眼"も養った。私が折あるごとに数々の名作を紹介するのも、こうした意味からである。
平1・1・21
☆5・9「音楽隊の日」60周年へのメッセージ
師子吼の題目を唱え抜きながら、民衆を励まし、鼓舞する、君たち音楽隊の妙音の響きこそ、創価の師弟の魂が脈動する、わが学会の絶対勝利の音律であります
これからも、音楽隊は、私と一緒に、人間勝利の凱歌を、楽しく勇壮に、世界の果てまで轟かせてくれ給え!
君たちと共に作った新・学会歌 『誓いの青年(きみ)よ』 を高らかに歌い響かせながら、新時代の大行進の先陣を頼む!
【新指針】
一、民衆を励まし鼓舞する妙音の楽雄たれ!
一、平和と文化を担い立つ広布の英雄たれ!
一、社会で世界で勝利する創価の世雄たれ!
2014年5月11日日曜日
2014.05.11 わが友に贈る
断じて師と共に!
強き誓願から
無限の力が湧く!
その心で戦い抜く人に
栄光の人生は輝く!
唱法華題目抄 P1
『かりそめにも法華経を信じて聊も謗を生ぜざらん人は余の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず』
◇希望の明日へ
芸術が、ある程度、"宇宙生命に内在する力を発現させたもの"だとすれば、芸術作品に触れて、歓喜するということは、それを通じて宇宙生命に触れるということでもある。芸術は"宇宙生命に出あう扉"ともなり得るわけである。このように、自己と他者が、芸術を通じて、宇宙の根源のリズムに共感し、感動を共有していくところに、普遍的な人類の心の連帯が可能になると信じる。美に出あうとき、人間は人間に立ち戻る。生命に立ち戻る。立ち戻った人間という平等の次元では、いっさいの"壁"はなくなる。
平4・7・31
☆NZのニュースサイト「スクープ・インデペンデント・ニュース」掲載 SGI会長のインタビュー(下)
──平和構築のために、異なる宗教間の協力は可能だと思われますか。また、どうすれば最も効果的に協力を推進できるとお考えですか。
そうした協力は可能であるし、むしろ、積極的に努力を傾けていかねばならないと思います。私自身、仏法者の一人として、世界平和の構築に向けて人間と人間との心の連帯を育むために、40年以上にわたって、異なる宗教的背景を持つ各国のリーダーや各界の識者の方々との「対話」を重ねてきました。
その経験を踏まえて実感することは、宗教的な教義に関する見解や、信仰の根幹部分を支える思想は違っていても、「平和を求める思い」や「世界が直面する問題への懸念」、また「人類の未来に対する切なる希望」といった面では、同じ人間として共感できる部分が明確に存在しているという点です。
例えば、インドネシアの元大統領で同国最大のイスラム団体の指導者であったワヒド氏は、私との対談で、「青年には、自身の利益だけを考える人ではなく、社会の利益を考える人、世界の平和共存のために行動する人になってもらいたい」(『平和の哲学 寛容の智慧』潮出版社)と切望しておられました。
こうした思いは、信じる宗教は違っても、心ある人々の胸に等しく宿っているものではないでしょうか。
では、どのようにして「宗教間協力」を築いていけばよいのか──。
私は、紛争や環境破壊、貧困や災害といったグローバルな問題について、具体的なテーマを一つ一つ掲げながら、"自分たちは何をなすべきで、どのような智慧や精神を社会に発信していくべきか"について対話を進めて、具体的な活動についても協力を模索したり、意見交換を行っていく──いわば「問題解決志向型」のアプローチが有益ではないかと考えます。
人類史を振り返ると、宗教的な対立が原因となって起こった紛争は少なくありません。
しかし近年、宗教の違いなど関係なく、人々を苦しめるグローバルな脅威が"共通の課題"として深刻さを増す中で、「宗教と精神性は、動機づけ、包摂性、参加および持続可能性にとって強力なプラスの社会・文化的な力であり得る」(『宗教と開発』ジェフリー・ハインズ著、阿曽村邦昭・阿曽村智子訳、麗澤大学出版会)といった、宗教が果たす役割への期待も寄せられるようになってきました。
実際、SGIの代表も参加しましたが、東日本大震災の数カ月後(2011年6月)にジュネーブで開催されたUNHCR(国運難民高等弁務官事務所)とNGO(非政府組織)の年次協議会でも、「保護の強化──信仰を基盤とした団体の役割について」と題する分科会が行われるなど、宗教団体の役割に焦点が当たるようになってきているのです。
その意味から言えば、それぞれの宗教が、「破壊」ではなく「建設」、「分断」ではなく「連帯」を求める"人間の善性"を呼び覚まし、地球的問題群の解決に向けての貢献の行動を重ねて切磋琢磨し、その磨かれた人間精神の発現を通して、さらに協力関係を深めていく──こうした挑戦を、国連を軸に本格的に進めていくべき時代を、私たちは迎えているのではないでしょうか。
この挑戦について考える時、チェコのハベル元大統領が21世紀を展望して述べた、「来たるべき世紀のヨーロッパに課せられている唯一無二の重要課題は、〈最良の自己〉であること、すなわち、その最良の精神的伝統を蘇らせ、それを通じて、新たな形の地球規模の共生の実現に創造的に関わっていくことである」(『ヨーロッパは書く』ウルズラ・ケラーほか編、新本史斉ほか訳、鳥影社・ロゴス企画)との言葉が思い浮かんできます。
ここでいう"ヨーロッパ"という主語を、"それぞれの宗教"に置き換えてみれば、21世紀の世界で宗教が果たすべき役割が、明確な姿を帯びてくるのではないかと、私は考えるのです。
さまざまな団体や機関と同様に、私が創立した三つの研究機関(東洋哲学研究所、戸田記念国際平和研究所、池田国際対話センター)でも、一貫して「宗教間対話」とともに「文明間対話」に意欲的に取り組んできました。
その最大の目的も、宗教や民族や文化といった豊かな多様性を互いに尊重しながら、対話を通じて、それぞれが〈最良の自己〉とは何かを見つめ直し、地球的問題群の解決のために互いの差異の垣根を超えて行動する道を、一緒になって模索することにありました。
現在、国連では、貧困や飢餓などに苦しむ人々の状況を改善するための「ミレニアム開発目標」に続く、2015年以降の新しい国際共通目標の検討が進められています。
この取り組みを、人類史を画する挑戦と位置づけ、新しい国際共通目標の達成を共に目指していく中で、「宗教間対話」、そして「宗教間協力」を軌道に乗せていくべきであると、私は呼び掛けたいのです。
──絶え間なく変化する現代世界において、インターネットや情報技術の役割をどのようにお考えですか。こうした現代社会において、私たち一人一人は、どのように行動していくべきであると思われますか。
今から30年ほど前(1982年)に基本概念が確立し、冷戦終結を機に急速に広まっていった「インターネット」をはじめとする情報通信技術の飛躍的な発展──いわゆる「情報革命」と呼ばれる新しい時代の波は、かの18世紀の「産業革命」に匹敵するインパクトを世界に及ぼしています。
その結果、瞬時にして世界各地で起きた出来事やニュースが伝わるというグローバルな情報伝達が可能になるとともに、冷戦時代には想像もできなかった、自由かつ柔軟なコミュニケーションの場がネット上で形成されるようになり、伝達手段という技術的意味合いにおいては、遠く離れて住む人々の交流を長らく隔ててきた地理的・物理的な制約は、急速に取り払われました。
そして何といっても、「情報革命」の大きな意義は、知識や情報が一部の人やグループに独占されることを防ぎ、民主的に、多くの人々に共有できる道を開いた点にあるといえましょう。
私たちは長い間、新聞やテレビなどのマスメディアが一方的に発信する情報に接してきたわけですが、貴紙のようなインターネット上のニュースサイトが、独自の視点でさまざまな問題を取り上げることの意義は大きく、その取り組みによって、人々が新たな問題に目を向けるようになったり、多様な視点に気づくことができるようになったりしたことは、社会の健全化の基盤となるものです。
私どもSGIも、長年にわたって途上国の視点に立ったニュースを配信してきた国際通信社IPS(インタープレスサービス)と共同で、「核兵器のない世界を目指して」と題するサイトをインターネット上に開設し、記事や論考を発信するプロジェクトを進めてきました。
2年前に行われたリオ+(プラス)20(国連持続可能な開発会議)の公式関連行事として、SGIが教育をテーマに円卓会議を開催した際、IPSのコスタンツォ中南米総局長が「私たちメディアが発信する情報は、読者の意識を高めることができます。報道の力によって、社会的な問題への関与が生まれます。メディアは情報提供によって、教育に携わっていると考えられます」と強調していましたが、貴紙をはじめとするインターネット上のニュースサイトの役割は、今後ますます大きくなっていくと思えてなりません。
もちろん一方で、情報技術の発展がもたらした可能性を悪用する動きもみられ、ネット空間が偏見や憎悪に基づく対立を増幅する温床として利用されたり、恣意的な情報操作やステレオタイプ(紋切り型)的なイメージの吹聴によって世論が巧みに誘導されたりしてしまう危険性も、よく指摘されるところです。その意味からえば、まさに「技術」を善の方向に生かすか、悪用するかは、それを使う「人間」の側にかかっていると言えましょう。
また、ネットで検索すれば、どんな知識もたちどころに閲覧できるようになったのは便利に違いありませんが、そうしたデータの多くは玉石混交であり、場合によってはミスリードを目的にした悪意に基づくものさえあります。
ゆえに、貴国やオーストラリアなどの国々が取り組んでいるような、「メディアリテラシー(情報や知識を主体的・批判的に読み解く力)」を磨くための教育を、世界全体で進めていくことが喫緊の課題であります。
私の師であり、教育者であった、創価学会の戸田城聖第2代会長は、「知識を智慧と錯覚しているのが、現代人の最大の迷妄である」「知識が即智慧ではない。知識は智慧を開く門にはなるが、知識自体が決して智慧ではない」と喝破していましたが、どれだけ情報を集めても、かえって自分の考える力を埋没させたり、悪意の情報に流されてしまえば、本末転倒になってしまう。「知識」へのアクセスがより簡易になり、多くの人々に開かれた時代であればこそ、その「知識」を正しい方向に生かしていく「智慧」を育むことが欠かせないのではないでしょうか。
私は、こうした「智慧」の源泉となるものは、自分の生き方の基盤に"何のため"という目的観を据えることであり、メディアリテラシーの力を磨く努力とともに、そうした確固たる人生の目的観を涵養(かんよう)する「人間教育」に焦点を当てていくことが、一切の基盤になると考えるものです。
──池田SGI会長は以前、牧口初代会長の著作を通し、ニュージーランドについて言及されたことがありますが、「水半球」の中心と位置づけられるニュージーランドの担う役割とは、どのようなものとお考えですか。
創価学会の牧口初代会長は、"国家に奉仕する人間"を育むことが教育の最優先課題とされていた戦前の日本にあって、「子どもたちの幸福」を第一義に掲げた教育者でした。
その一方で地理学にも造詣が深く、20世紀初頭(1903年)に著した『人生地理学』(以下、『牧口常三郎全集第1巻』第三文明社を参照。引用は現代表記に改めた)で、地球の姿を従来のように国境線が引かれた平面図として捉える見方だけでなく、人間の生活に与える影響という面から地球を「陸界」と「水界」に二分して捉える視座を提示し、具体的にロンドンを一方の極とした「陸半球」と、ニュージーランドをもう一方の極にした「水半球」を、それぞれ球体を示す円形の地図として紹介していました。
その上で牧口会長は、海を他の国々との間を隔てる"壁"とみなすのではなく、他の国々との間をつなぐ"道"と捉えて、世界に「平和の道」「友情の道」「調和の道」を開いていく気風を育むことが重要になる、と訴えました。
そうした限りない可能性に満ちた海を中心に構成される「水半球」の中心に、貴国ニュージーランドが位置していることは、現代的な視座からみても、極めて意義深いと、私には思えてなりません。
歴史を振り返れば、第2次世界大戦中、「大西洋」が第1次世界大戦に引き続いて戦場となっただけでなく、ニュージーランドと日本が面する「太平洋」もまた、激しい戦闘が繰り広げられた場所となりました。
こうした歴史の教訓を踏まえて、「水半球」から平和と共生のゾーンを広げるためには、貴国が長い歳月をかけて育んできた「多様性を尊重する文化」に加えて、明確な非核政策に基づいて「南太平洋非核地帯」の成立に尽力した努力のような、悲惨な戦争を二度と起こさない断固たる意志が欠かせません。
また、貴国は、世界でいち早く国政レベルでの女性参政権を実現させるなど、人権保障の確立に力を入れると同時に、社会福祉制度の充実を図ってきたことで知られており、「人権」と「人道」を国家の重要目的に据えていることは、世界の多くの国が後に続くべきモデルとなる存在に他なりません。
牧口会長は、先の『人生地理学』(以下、『牧口常三郎全集第2巻』第三文明社を参照。引用は現代表記に改めた)において、国家間の競争の主軸を、自国の利益を限りなく求めるあまりに他国に多大な犠牲をもたらすことを厭わない「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」から、他国や世界全体への貢献を良い意味で競い合い、その努力を通じて自国の姿をさらに良いものへと磨き上げていく「人道的競争」へと転換しなければならないと訴えていました。
私は、こうした「人道的競争」を21世紀の世界においてリードしていくのが、ニュージーランドであると考えております。
いつまでも、弱肉強食的で冷徹な"ゼロサム・ゲーム(覇権争い)"によって、多くの国の人々が虐げられるような世界の状態を、続けて良いはずがありません。
そうではなく、自他共の平和と幸福を追求する「人道的競争」を通じて、どの国の人々の尊厳も輝く"ウィン・ウィン(共存共栄)"の世界を目指す必要があり、私は、貴国のリーダーシップに日本をはじめとして多くの国が続く形で、こうした新しい地球社会が建設されていくことを、強く願っているのです。
強き誓願から
無限の力が湧く!
その心で戦い抜く人に
栄光の人生は輝く!
唱法華題目抄 P1
『かりそめにも法華経を信じて聊も謗を生ぜざらん人は余の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず』
◇希望の明日へ
芸術が、ある程度、"宇宙生命に内在する力を発現させたもの"だとすれば、芸術作品に触れて、歓喜するということは、それを通じて宇宙生命に触れるということでもある。芸術は"宇宙生命に出あう扉"ともなり得るわけである。このように、自己と他者が、芸術を通じて、宇宙の根源のリズムに共感し、感動を共有していくところに、普遍的な人類の心の連帯が可能になると信じる。美に出あうとき、人間は人間に立ち戻る。生命に立ち戻る。立ち戻った人間という平等の次元では、いっさいの"壁"はなくなる。
平4・7・31
☆NZのニュースサイト「スクープ・インデペンデント・ニュース」掲載 SGI会長のインタビュー(下)
──平和構築のために、異なる宗教間の協力は可能だと思われますか。また、どうすれば最も効果的に協力を推進できるとお考えですか。
そうした協力は可能であるし、むしろ、積極的に努力を傾けていかねばならないと思います。私自身、仏法者の一人として、世界平和の構築に向けて人間と人間との心の連帯を育むために、40年以上にわたって、異なる宗教的背景を持つ各国のリーダーや各界の識者の方々との「対話」を重ねてきました。
その経験を踏まえて実感することは、宗教的な教義に関する見解や、信仰の根幹部分を支える思想は違っていても、「平和を求める思い」や「世界が直面する問題への懸念」、また「人類の未来に対する切なる希望」といった面では、同じ人間として共感できる部分が明確に存在しているという点です。
例えば、インドネシアの元大統領で同国最大のイスラム団体の指導者であったワヒド氏は、私との対談で、「青年には、自身の利益だけを考える人ではなく、社会の利益を考える人、世界の平和共存のために行動する人になってもらいたい」(『平和の哲学 寛容の智慧』潮出版社)と切望しておられました。
こうした思いは、信じる宗教は違っても、心ある人々の胸に等しく宿っているものではないでしょうか。
では、どのようにして「宗教間協力」を築いていけばよいのか──。
私は、紛争や環境破壊、貧困や災害といったグローバルな問題について、具体的なテーマを一つ一つ掲げながら、"自分たちは何をなすべきで、どのような智慧や精神を社会に発信していくべきか"について対話を進めて、具体的な活動についても協力を模索したり、意見交換を行っていく──いわば「問題解決志向型」のアプローチが有益ではないかと考えます。
人類史を振り返ると、宗教的な対立が原因となって起こった紛争は少なくありません。
しかし近年、宗教の違いなど関係なく、人々を苦しめるグローバルな脅威が"共通の課題"として深刻さを増す中で、「宗教と精神性は、動機づけ、包摂性、参加および持続可能性にとって強力なプラスの社会・文化的な力であり得る」(『宗教と開発』ジェフリー・ハインズ著、阿曽村邦昭・阿曽村智子訳、麗澤大学出版会)といった、宗教が果たす役割への期待も寄せられるようになってきました。
実際、SGIの代表も参加しましたが、東日本大震災の数カ月後(2011年6月)にジュネーブで開催されたUNHCR(国運難民高等弁務官事務所)とNGO(非政府組織)の年次協議会でも、「保護の強化──信仰を基盤とした団体の役割について」と題する分科会が行われるなど、宗教団体の役割に焦点が当たるようになってきているのです。
その意味から言えば、それぞれの宗教が、「破壊」ではなく「建設」、「分断」ではなく「連帯」を求める"人間の善性"を呼び覚まし、地球的問題群の解決に向けての貢献の行動を重ねて切磋琢磨し、その磨かれた人間精神の発現を通して、さらに協力関係を深めていく──こうした挑戦を、国連を軸に本格的に進めていくべき時代を、私たちは迎えているのではないでしょうか。
この挑戦について考える時、チェコのハベル元大統領が21世紀を展望して述べた、「来たるべき世紀のヨーロッパに課せられている唯一無二の重要課題は、〈最良の自己〉であること、すなわち、その最良の精神的伝統を蘇らせ、それを通じて、新たな形の地球規模の共生の実現に創造的に関わっていくことである」(『ヨーロッパは書く』ウルズラ・ケラーほか編、新本史斉ほか訳、鳥影社・ロゴス企画)との言葉が思い浮かんできます。
ここでいう"ヨーロッパ"という主語を、"それぞれの宗教"に置き換えてみれば、21世紀の世界で宗教が果たすべき役割が、明確な姿を帯びてくるのではないかと、私は考えるのです。
さまざまな団体や機関と同様に、私が創立した三つの研究機関(東洋哲学研究所、戸田記念国際平和研究所、池田国際対話センター)でも、一貫して「宗教間対話」とともに「文明間対話」に意欲的に取り組んできました。
その最大の目的も、宗教や民族や文化といった豊かな多様性を互いに尊重しながら、対話を通じて、それぞれが〈最良の自己〉とは何かを見つめ直し、地球的問題群の解決のために互いの差異の垣根を超えて行動する道を、一緒になって模索することにありました。
現在、国連では、貧困や飢餓などに苦しむ人々の状況を改善するための「ミレニアム開発目標」に続く、2015年以降の新しい国際共通目標の検討が進められています。
この取り組みを、人類史を画する挑戦と位置づけ、新しい国際共通目標の達成を共に目指していく中で、「宗教間対話」、そして「宗教間協力」を軌道に乗せていくべきであると、私は呼び掛けたいのです。
──絶え間なく変化する現代世界において、インターネットや情報技術の役割をどのようにお考えですか。こうした現代社会において、私たち一人一人は、どのように行動していくべきであると思われますか。
今から30年ほど前(1982年)に基本概念が確立し、冷戦終結を機に急速に広まっていった「インターネット」をはじめとする情報通信技術の飛躍的な発展──いわゆる「情報革命」と呼ばれる新しい時代の波は、かの18世紀の「産業革命」に匹敵するインパクトを世界に及ぼしています。
その結果、瞬時にして世界各地で起きた出来事やニュースが伝わるというグローバルな情報伝達が可能になるとともに、冷戦時代には想像もできなかった、自由かつ柔軟なコミュニケーションの場がネット上で形成されるようになり、伝達手段という技術的意味合いにおいては、遠く離れて住む人々の交流を長らく隔ててきた地理的・物理的な制約は、急速に取り払われました。
そして何といっても、「情報革命」の大きな意義は、知識や情報が一部の人やグループに独占されることを防ぎ、民主的に、多くの人々に共有できる道を開いた点にあるといえましょう。
私たちは長い間、新聞やテレビなどのマスメディアが一方的に発信する情報に接してきたわけですが、貴紙のようなインターネット上のニュースサイトが、独自の視点でさまざまな問題を取り上げることの意義は大きく、その取り組みによって、人々が新たな問題に目を向けるようになったり、多様な視点に気づくことができるようになったりしたことは、社会の健全化の基盤となるものです。
私どもSGIも、長年にわたって途上国の視点に立ったニュースを配信してきた国際通信社IPS(インタープレスサービス)と共同で、「核兵器のない世界を目指して」と題するサイトをインターネット上に開設し、記事や論考を発信するプロジェクトを進めてきました。
2年前に行われたリオ+(プラス)20(国連持続可能な開発会議)の公式関連行事として、SGIが教育をテーマに円卓会議を開催した際、IPSのコスタンツォ中南米総局長が「私たちメディアが発信する情報は、読者の意識を高めることができます。報道の力によって、社会的な問題への関与が生まれます。メディアは情報提供によって、教育に携わっていると考えられます」と強調していましたが、貴紙をはじめとするインターネット上のニュースサイトの役割は、今後ますます大きくなっていくと思えてなりません。
もちろん一方で、情報技術の発展がもたらした可能性を悪用する動きもみられ、ネット空間が偏見や憎悪に基づく対立を増幅する温床として利用されたり、恣意的な情報操作やステレオタイプ(紋切り型)的なイメージの吹聴によって世論が巧みに誘導されたりしてしまう危険性も、よく指摘されるところです。その意味からえば、まさに「技術」を善の方向に生かすか、悪用するかは、それを使う「人間」の側にかかっていると言えましょう。
また、ネットで検索すれば、どんな知識もたちどころに閲覧できるようになったのは便利に違いありませんが、そうしたデータの多くは玉石混交であり、場合によってはミスリードを目的にした悪意に基づくものさえあります。
ゆえに、貴国やオーストラリアなどの国々が取り組んでいるような、「メディアリテラシー(情報や知識を主体的・批判的に読み解く力)」を磨くための教育を、世界全体で進めていくことが喫緊の課題であります。
私の師であり、教育者であった、創価学会の戸田城聖第2代会長は、「知識を智慧と錯覚しているのが、現代人の最大の迷妄である」「知識が即智慧ではない。知識は智慧を開く門にはなるが、知識自体が決して智慧ではない」と喝破していましたが、どれだけ情報を集めても、かえって自分の考える力を埋没させたり、悪意の情報に流されてしまえば、本末転倒になってしまう。「知識」へのアクセスがより簡易になり、多くの人々に開かれた時代であればこそ、その「知識」を正しい方向に生かしていく「智慧」を育むことが欠かせないのではないでしょうか。
私は、こうした「智慧」の源泉となるものは、自分の生き方の基盤に"何のため"という目的観を据えることであり、メディアリテラシーの力を磨く努力とともに、そうした確固たる人生の目的観を涵養(かんよう)する「人間教育」に焦点を当てていくことが、一切の基盤になると考えるものです。
──池田SGI会長は以前、牧口初代会長の著作を通し、ニュージーランドについて言及されたことがありますが、「水半球」の中心と位置づけられるニュージーランドの担う役割とは、どのようなものとお考えですか。
創価学会の牧口初代会長は、"国家に奉仕する人間"を育むことが教育の最優先課題とされていた戦前の日本にあって、「子どもたちの幸福」を第一義に掲げた教育者でした。
その一方で地理学にも造詣が深く、20世紀初頭(1903年)に著した『人生地理学』(以下、『牧口常三郎全集第1巻』第三文明社を参照。引用は現代表記に改めた)で、地球の姿を従来のように国境線が引かれた平面図として捉える見方だけでなく、人間の生活に与える影響という面から地球を「陸界」と「水界」に二分して捉える視座を提示し、具体的にロンドンを一方の極とした「陸半球」と、ニュージーランドをもう一方の極にした「水半球」を、それぞれ球体を示す円形の地図として紹介していました。
その上で牧口会長は、海を他の国々との間を隔てる"壁"とみなすのではなく、他の国々との間をつなぐ"道"と捉えて、世界に「平和の道」「友情の道」「調和の道」を開いていく気風を育むことが重要になる、と訴えました。
そうした限りない可能性に満ちた海を中心に構成される「水半球」の中心に、貴国ニュージーランドが位置していることは、現代的な視座からみても、極めて意義深いと、私には思えてなりません。
歴史を振り返れば、第2次世界大戦中、「大西洋」が第1次世界大戦に引き続いて戦場となっただけでなく、ニュージーランドと日本が面する「太平洋」もまた、激しい戦闘が繰り広げられた場所となりました。
こうした歴史の教訓を踏まえて、「水半球」から平和と共生のゾーンを広げるためには、貴国が長い歳月をかけて育んできた「多様性を尊重する文化」に加えて、明確な非核政策に基づいて「南太平洋非核地帯」の成立に尽力した努力のような、悲惨な戦争を二度と起こさない断固たる意志が欠かせません。
また、貴国は、世界でいち早く国政レベルでの女性参政権を実現させるなど、人権保障の確立に力を入れると同時に、社会福祉制度の充実を図ってきたことで知られており、「人権」と「人道」を国家の重要目的に据えていることは、世界の多くの国が後に続くべきモデルとなる存在に他なりません。
牧口会長は、先の『人生地理学』(以下、『牧口常三郎全集第2巻』第三文明社を参照。引用は現代表記に改めた)において、国家間の競争の主軸を、自国の利益を限りなく求めるあまりに他国に多大な犠牲をもたらすことを厭わない「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」から、他国や世界全体への貢献を良い意味で競い合い、その努力を通じて自国の姿をさらに良いものへと磨き上げていく「人道的競争」へと転換しなければならないと訴えていました。
私は、こうした「人道的競争」を21世紀の世界においてリードしていくのが、ニュージーランドであると考えております。
いつまでも、弱肉強食的で冷徹な"ゼロサム・ゲーム(覇権争い)"によって、多くの国の人々が虐げられるような世界の状態を、続けて良いはずがありません。
そうではなく、自他共の平和と幸福を追求する「人道的競争」を通じて、どの国の人々の尊厳も輝く"ウィン・ウィン(共存共栄)"の世界を目指す必要があり、私は、貴国のリーダーシップに日本をはじめとして多くの国が続く形で、こうした新しい地球社会が建設されていくことを、強く願っているのです。
2014.05.10 わが友に贈る
楽しい所に人は集まる。
皆の真剣な姿に触れて
自分も!と立ち上がる。
豊かな発想で
未来部に励ましの光を!
撰時抄 P292
『正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし』
◇希望の明日へ
人間は、優れた芸術によって、人類と自然と宇宙が一体であることを感じられるようになる。人類が築き上げ、創出してきた、地球上のあらゆる芸術。それは、その時代、その民族や個人を"表現の場"としながら、それぞれの民族や個人が宇宙生命と出あい、触発され、うたいあげた「魂の歌」「生命の軌跡」の結晶である。
平4・7・31
☆NZのニュースサイト「スクープ・インデペンデント・ニュース」掲載 SGI会長のインタビュー(上)
──池田SGI会長は、2013年の「SGIの日」記念提言で「生命の尊厳」について触れておられますが、人間の本能の、どのような側面が平和に貢献し、また、どのような側面が平和を妨げると思われますか。
私は昨年の提言で、国連などで目指すべき世界像として焦点となっている「持続可能な地球社会」を建設するための方途を展望しました。
「生命の尊厳」は、その建設への挑戦を進めるにあたって、精神的基軸に据えるべきものとして提起したものに他なりません。
人間には、「家族との暮らしを大切にしたい」という感情もあれば、「強く力ある存在になりたい」という感情もあります。
一見すれば、前者が穏健的で後者が好戦的な印象がありますが、状況次第ではそれが全く逆転します。
例えば、ある集団と別の集団との対立が深刻化した時、多くの人々を最終的に暴力に駆り立ててしまうのは前者の感情の働きであり、一方で後者の感情は、ガンジーやキング博士のように憎悪や差別の渦に打ち勝つために、自身の内なる生命から "非暴力" という限りない勇気と希望を湧き出す働きともなるからです。
その意味では、人間の何らかの本能そのものが、戦争や暴力を引き起こす本質的な原因ではないと言えましょう。
実際、ユネスコ(国連教育科学文化機関)で採択された声明(1989年の「暴力についてのセビリア声明」)でも、「戦争あるいはその他の暴力行動は、私たち人間の本性のなかに遺伝的にプログラムされている──という言い方は、科学的に正しくありません」と強調されている通りです。
むしろ思想家のオルテガが、現代は「 『風潮』 の時代」であり、思想や政治など「あらゆるものの中に吹き荒れている皮相的な旋風に対して抵抗する人はほとんどいない」( 『大衆の反逆』 神吉敬三訳、筑摩書房)と警告したように、集団心理や暴力的な扇動に人々が押し流されない社会の気風を育むことが、最重要の課題となります。私は、その基盤となるのが「生命の尊厳」から発する"同苦"の精神だと考えるのです。
「愛する家族を大切にしたい」という感情が戦争や暴力の方向に押し流されないようにするには、他の集団の人々も自分と同じく「かけがえのない家族を失いたくない」と切実に願っていることに思いを馳せることが欠かせません。また、「強く力ある存在になりたい」という感情が、他の人々の生命や尊厳を脅かす方向に向かわないようにするには、「他の人々の犠牲や不幸の上に、自分の幸福を追求しない」との自戒を忘れないことが大切になります。
ゆえに私は昨年の提言で、社会で常に顧みられるべき精神性として、「他者と苦楽を共にしようとする意志」「生命の無限の可能性に対する信頼」「多様性を喜び合い、守り抜く誓い」の三つの指標を提起しました。
つまり、ここで「意志」「信頼」「誓い」との言葉を用いたように、社会の悪しき風潮に押し流されず、平和と共生の土塁を堅固に築くためには、「生命の尊厳」に根差した一人一人の揺るがない信念が重要となってくるのであり、その生き方を広げるために、私どもSGIでは、国連の推進する「平和の文化」や「人権文化」の建設に民衆レベルで取り組む活動を続けてきたのです。
──市民社会のエンパワーメント(内発的な力の開花)を目指すSGIの活動に関連して、一人一人の人間が「消極的暴力」の根絶のためにできる役割とはなんでしょうか。また、そのための行動が、社会の「レジリエンス(脅威や問題を乗り越えて社会を立て直す力)」に、どんな影響を与えることができると思われますか。
一般に暴力というと、暴行や殺人から戦争にいたるまで、何らかの力を行使して人々の生命を奪ったり、負傷させたりする行為──すなわち、「物理的暴力」の問題を想起しますが、もう一つの暴力として、その横行を決して見過ごしてはならないのが、直接的に危害を加えないまでも、差別的な言葉や抑圧的な態度などで人々の権利を脅かし、尊厳を傷つける「消極的暴力」です。
この「消極的暴力」は、それ自体、苦しみや痛みを他者に与えるばかりでなく、その横行を放置しておけば、何かのきっかけで社会が混乱した時に、より多くの人が、他の集団を排除するための「物理的暴力」に走ったり、その行為を簡単に容認してしまう状況を招く"温床"ともなりかねません。
近年、多くの国で社会問題になっているヘイト・クライム(憎悪犯罪)とヘイト・スピーチ(憎悪表現)を見ても明らかなように、この二つは、直接的な暴力か否かの区別はあっても、"憎悪に基づいて他者を意図的に傷つける"という点では同根なのです。
その関係を表したのが「憎悪のピラミッド」と呼ばれるもので、社会的分断や紛争は突然起きるのではなく、�先入観による行為�偏見による行為�差別行為�暴力行為�ジェノサイド(大量虐殺)、の5段階で問題がエスカレートし、暴力の渦が強まる中で、取り返しのつかない惨劇が引き起こされるのです。
その意味で重要なのは、「憎悪のピラミッド」の下層──つまり、問題の端緒において、そうした行為を許してはならないと、自らの行動を戒めるのみならず、周囲の人々にも働きかけることだと言えましょう。そこで思い起こされるのは、ガンジーの令孫として「非暴力の精神」の普及に努めるアルン・ガンジー氏が、私との対談で語っていた言葉です。
「 『消極的暴力』 とは、間接的で、自分でも気づかないうちに暴力に加担しているものです。他人に圧力をかける。抑えつける。差別する。強制的に何かをさせる……肉体的でないので、見過ごされてしまいがちです。祖父は、悪の行為を 『見逃す』 ことや、 『見て見ぬ振りをする』 のも、 『暴力』 の一種だと言っていました」
私ども創価学会の牧口常三郎初代会長は、第2次世界大戦中に、日本の軍部権力による思想的弾圧に対して信念の闘争を貫き、獄中で生涯を閉じましたが、その牧口会長も投獄される前年に、同様の警鐘を鳴らしていました。「不善を善と考え、悪と異なると思い、法律に触れさえしなければ不善は構わないと誤解するところに、現代の病根があり、独善主義や偽善主義が横行する所以がある」( 『牧口常三郎全集第10巻』 第三文明社、現代表記に改めた)と。
私どもSGIは、こうした牧口会長の信念の闘争を原点としながら、憎悪と暴力の渦にのみ込まれないよう、常に社会を平和と共存の方向へと向け直す力を高める努力を、民衆レベルで進めてきました。
SGIは、民族や人種の違いを超えて"一対一の対話"を進めることを通し、友情という根を社会に幾重にも深く張ることに日頃から取り組んできましたが、これはレイシズム(人種差別主義)に基づく扇動や、排他的な集団心理に人々が押し流されることを防ぐ、社会の「頑強性」を高めることにつながるものと思います。
政治や経済などで国家間の緊張が高まった時も、民衆レベルでの教育交流や文化交流に一貫して取り組み、対話と相互理解を行うためのチャンネルを断じて閉ざさないように心掛けてきました。
また、国家と国家との友好を深める取り組みは自分の世代だけで終わらせて良いものではなく、世代から世代へ友誼の心を継承し、平和共存のための教訓(知恵)を受け継いでいくことが重要と考え、青年世代の交流の拡大に努めてきました。
苦しんでいる人を支援する挑戦は、SGIに限らず、さまざまなNGOや市民団体が取り組んできたものでもあり、私たちは、志を同じくする団体や人々と協力しながら、引き続き社会の「レジリエンス」を高める民衆の連帯を広げていきたいと思います。
皆の真剣な姿に触れて
自分も!と立ち上がる。
豊かな発想で
未来部に励ましの光を!
撰時抄 P292
『正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし』
◇希望の明日へ
人間は、優れた芸術によって、人類と自然と宇宙が一体であることを感じられるようになる。人類が築き上げ、創出してきた、地球上のあらゆる芸術。それは、その時代、その民族や個人を"表現の場"としながら、それぞれの民族や個人が宇宙生命と出あい、触発され、うたいあげた「魂の歌」「生命の軌跡」の結晶である。
平4・7・31
☆NZのニュースサイト「スクープ・インデペンデント・ニュース」掲載 SGI会長のインタビュー(上)
──池田SGI会長は、2013年の「SGIの日」記念提言で「生命の尊厳」について触れておられますが、人間の本能の、どのような側面が平和に貢献し、また、どのような側面が平和を妨げると思われますか。
私は昨年の提言で、国連などで目指すべき世界像として焦点となっている「持続可能な地球社会」を建設するための方途を展望しました。
「生命の尊厳」は、その建設への挑戦を進めるにあたって、精神的基軸に据えるべきものとして提起したものに他なりません。
人間には、「家族との暮らしを大切にしたい」という感情もあれば、「強く力ある存在になりたい」という感情もあります。
一見すれば、前者が穏健的で後者が好戦的な印象がありますが、状況次第ではそれが全く逆転します。
例えば、ある集団と別の集団との対立が深刻化した時、多くの人々を最終的に暴力に駆り立ててしまうのは前者の感情の働きであり、一方で後者の感情は、ガンジーやキング博士のように憎悪や差別の渦に打ち勝つために、自身の内なる生命から "非暴力" という限りない勇気と希望を湧き出す働きともなるからです。
その意味では、人間の何らかの本能そのものが、戦争や暴力を引き起こす本質的な原因ではないと言えましょう。
実際、ユネスコ(国連教育科学文化機関)で採択された声明(1989年の「暴力についてのセビリア声明」)でも、「戦争あるいはその他の暴力行動は、私たち人間の本性のなかに遺伝的にプログラムされている──という言い方は、科学的に正しくありません」と強調されている通りです。
むしろ思想家のオルテガが、現代は「 『風潮』 の時代」であり、思想や政治など「あらゆるものの中に吹き荒れている皮相的な旋風に対して抵抗する人はほとんどいない」( 『大衆の反逆』 神吉敬三訳、筑摩書房)と警告したように、集団心理や暴力的な扇動に人々が押し流されない社会の気風を育むことが、最重要の課題となります。私は、その基盤となるのが「生命の尊厳」から発する"同苦"の精神だと考えるのです。
「愛する家族を大切にしたい」という感情が戦争や暴力の方向に押し流されないようにするには、他の集団の人々も自分と同じく「かけがえのない家族を失いたくない」と切実に願っていることに思いを馳せることが欠かせません。また、「強く力ある存在になりたい」という感情が、他の人々の生命や尊厳を脅かす方向に向かわないようにするには、「他の人々の犠牲や不幸の上に、自分の幸福を追求しない」との自戒を忘れないことが大切になります。
ゆえに私は昨年の提言で、社会で常に顧みられるべき精神性として、「他者と苦楽を共にしようとする意志」「生命の無限の可能性に対する信頼」「多様性を喜び合い、守り抜く誓い」の三つの指標を提起しました。
つまり、ここで「意志」「信頼」「誓い」との言葉を用いたように、社会の悪しき風潮に押し流されず、平和と共生の土塁を堅固に築くためには、「生命の尊厳」に根差した一人一人の揺るがない信念が重要となってくるのであり、その生き方を広げるために、私どもSGIでは、国連の推進する「平和の文化」や「人権文化」の建設に民衆レベルで取り組む活動を続けてきたのです。
──市民社会のエンパワーメント(内発的な力の開花)を目指すSGIの活動に関連して、一人一人の人間が「消極的暴力」の根絶のためにできる役割とはなんでしょうか。また、そのための行動が、社会の「レジリエンス(脅威や問題を乗り越えて社会を立て直す力)」に、どんな影響を与えることができると思われますか。
一般に暴力というと、暴行や殺人から戦争にいたるまで、何らかの力を行使して人々の生命を奪ったり、負傷させたりする行為──すなわち、「物理的暴力」の問題を想起しますが、もう一つの暴力として、その横行を決して見過ごしてはならないのが、直接的に危害を加えないまでも、差別的な言葉や抑圧的な態度などで人々の権利を脅かし、尊厳を傷つける「消極的暴力」です。
この「消極的暴力」は、それ自体、苦しみや痛みを他者に与えるばかりでなく、その横行を放置しておけば、何かのきっかけで社会が混乱した時に、より多くの人が、他の集団を排除するための「物理的暴力」に走ったり、その行為を簡単に容認してしまう状況を招く"温床"ともなりかねません。
近年、多くの国で社会問題になっているヘイト・クライム(憎悪犯罪)とヘイト・スピーチ(憎悪表現)を見ても明らかなように、この二つは、直接的な暴力か否かの区別はあっても、"憎悪に基づいて他者を意図的に傷つける"という点では同根なのです。
その関係を表したのが「憎悪のピラミッド」と呼ばれるもので、社会的分断や紛争は突然起きるのではなく、�先入観による行為�偏見による行為�差別行為�暴力行為�ジェノサイド(大量虐殺)、の5段階で問題がエスカレートし、暴力の渦が強まる中で、取り返しのつかない惨劇が引き起こされるのです。
その意味で重要なのは、「憎悪のピラミッド」の下層──つまり、問題の端緒において、そうした行為を許してはならないと、自らの行動を戒めるのみならず、周囲の人々にも働きかけることだと言えましょう。そこで思い起こされるのは、ガンジーの令孫として「非暴力の精神」の普及に努めるアルン・ガンジー氏が、私との対談で語っていた言葉です。
「 『消極的暴力』 とは、間接的で、自分でも気づかないうちに暴力に加担しているものです。他人に圧力をかける。抑えつける。差別する。強制的に何かをさせる……肉体的でないので、見過ごされてしまいがちです。祖父は、悪の行為を 『見逃す』 ことや、 『見て見ぬ振りをする』 のも、 『暴力』 の一種だと言っていました」
私ども創価学会の牧口常三郎初代会長は、第2次世界大戦中に、日本の軍部権力による思想的弾圧に対して信念の闘争を貫き、獄中で生涯を閉じましたが、その牧口会長も投獄される前年に、同様の警鐘を鳴らしていました。「不善を善と考え、悪と異なると思い、法律に触れさえしなければ不善は構わないと誤解するところに、現代の病根があり、独善主義や偽善主義が横行する所以がある」( 『牧口常三郎全集第10巻』 第三文明社、現代表記に改めた)と。
私どもSGIは、こうした牧口会長の信念の闘争を原点としながら、憎悪と暴力の渦にのみ込まれないよう、常に社会を平和と共存の方向へと向け直す力を高める努力を、民衆レベルで進めてきました。
SGIは、民族や人種の違いを超えて"一対一の対話"を進めることを通し、友情という根を社会に幾重にも深く張ることに日頃から取り組んできましたが、これはレイシズム(人種差別主義)に基づく扇動や、排他的な集団心理に人々が押し流されることを防ぐ、社会の「頑強性」を高めることにつながるものと思います。
政治や経済などで国家間の緊張が高まった時も、民衆レベルでの教育交流や文化交流に一貫して取り組み、対話と相互理解を行うためのチャンネルを断じて閉ざさないように心掛けてきました。
また、国家と国家との友好を深める取り組みは自分の世代だけで終わらせて良いものではなく、世代から世代へ友誼の心を継承し、平和共存のための教訓(知恵)を受け継いでいくことが重要と考え、青年世代の交流の拡大に努めてきました。
苦しんでいる人を支援する挑戦は、SGIに限らず、さまざまなNGOや市民団体が取り組んできたものでもあり、私たちは、志を同じくする団体や人々と協力しながら、引き続き社会の「レジリエンス」を高める民衆の連帯を広げていきたいと思います。
2014年5月9日金曜日
2014.05.09 わが友に贈る
「仏は文字に依って
衆生を度し給うなり」
広布は聖教と共に!
本紙を支えてくださる
全ての方々に感謝!
松野殿御返事 P1386
『退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならばあら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし金の繩を以つて八の道を界へり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり』
◇希望の明日へ
"利害の時代"から"芸術の時代"への転換−−そのためには、芸術が、"万人に開かれる"ことが必要である。宗教にせよ、科学にせよ、"万人に開かれた"ものであってこそ、大きな価値を生む。限られた特権的な人々の独占物であった時代は、過去のことである。
平4・6・29
☆勝利の人間学第51回 わが地域を「幸福の楽土」に
◇近隣こそ広布の最前線
日蓮大聖人は、信頼する門下に、『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』(P1467、「高橋殿御返事」)と励まされている。
「其の国」とは、どこか──それは、まず自分たちの住む地域から始まる。わが近隣こそ、御本仏から任された広布の最前線である。私も若き日から、自らのアパートをはじめ、地元の方々を大切にしてきた。顔を合わせるたびに声を掛け、心を通わせた。
元気な挨拶一つでも、「いい青年がいるな」「感じのいいお嬢さんだな」と、安心してもらえるものだ。皆さんは、誠実な振る舞いで心を開き、使命の地域に「信頼と希望の絆」を織り成していただきたい。
誠実に聡明に善友の連帯を
大聖人は南条時光に『友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず』(P1527、「上野殿御消息」)と仰せになられた。親しい間柄であっても、遠来の友を迎えるような礼儀と真心で、誠実に接していくことを教えられている。
とともに、『悪知識を捨てて善友に親近せよ』(P1244、「日女御前御返事」)とも戒めておられる。仏法は最高の人間学である。真実の友情を結び、崩れざる連帯を聡明に広げる道である。
◇地区が広宣勝利の起点
広宣流布の前進の鍵は「地区」にある。
一歩また一歩、活力あふれ、人材光る「地区」を築いていく──最も尊い闘争である。
わが後継の青年部も、自身の「地区」から勝利のドラマを創っていくのだ。
仕事が忙しくて、地区の活動に間に合わない時も、参加できない時もあるだろう。
しかし、その場に行けなくても、報告・連絡はできる。智慧を使い、連携を取り合っていく。その呼吸の一致から、波動は生まれる。
力ある人材とは、責任をもつ人のことだ。
君が、貴女が、「わが地区の広布の主役なり。太陽なり」との自覚と誇りをもって、颯爽と、広布の新風を起こしてくれ給え!
衆生を度し給うなり」
広布は聖教と共に!
本紙を支えてくださる
全ての方々に感謝!
松野殿御返事 P1386
『退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならばあら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし金の繩を以つて八の道を界へり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり』
◇希望の明日へ
"利害の時代"から"芸術の時代"への転換−−そのためには、芸術が、"万人に開かれる"ことが必要である。宗教にせよ、科学にせよ、"万人に開かれた"ものであってこそ、大きな価値を生む。限られた特権的な人々の独占物であった時代は、過去のことである。
平4・6・29
☆勝利の人間学第51回 わが地域を「幸福の楽土」に
◇近隣こそ広布の最前線
日蓮大聖人は、信頼する門下に、『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』(P1467、「高橋殿御返事」)と励まされている。
「其の国」とは、どこか──それは、まず自分たちの住む地域から始まる。わが近隣こそ、御本仏から任された広布の最前線である。私も若き日から、自らのアパートをはじめ、地元の方々を大切にしてきた。顔を合わせるたびに声を掛け、心を通わせた。
元気な挨拶一つでも、「いい青年がいるな」「感じのいいお嬢さんだな」と、安心してもらえるものだ。皆さんは、誠実な振る舞いで心を開き、使命の地域に「信頼と希望の絆」を織り成していただきたい。
誠実に聡明に善友の連帯を
大聖人は南条時光に『友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず』(P1527、「上野殿御消息」)と仰せになられた。親しい間柄であっても、遠来の友を迎えるような礼儀と真心で、誠実に接していくことを教えられている。
とともに、『悪知識を捨てて善友に親近せよ』(P1244、「日女御前御返事」)とも戒めておられる。仏法は最高の人間学である。真実の友情を結び、崩れざる連帯を聡明に広げる道である。
◇地区が広宣勝利の起点
広宣流布の前進の鍵は「地区」にある。
一歩また一歩、活力あふれ、人材光る「地区」を築いていく──最も尊い闘争である。
わが後継の青年部も、自身の「地区」から勝利のドラマを創っていくのだ。
仕事が忙しくて、地区の活動に間に合わない時も、参加できない時もあるだろう。
しかし、その場に行けなくても、報告・連絡はできる。智慧を使い、連携を取り合っていく。その呼吸の一致から、波動は生まれる。
力ある人材とは、責任をもつ人のことだ。
君が、貴女が、「わが地区の広布の主役なり。太陽なり」との自覚と誇りをもって、颯爽と、広布の新風を起こしてくれ給え!
2014年5月8日木曜日
2014.05.08 わが友に贈る
「月月・日日に
つより給へ」
さあ新たな前進だ!
わが一念の変革から
一切は始まる!
一生成仏抄 P384
『此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず』
◇希望の明日へ
有名や地位、人気や栄誉だけを求める政治家や芸術家は、幻を追う人生しか、生きられない。幻のごとき、底の浅い芸術しかできるはずがない。芸術は人間の表現である。人格と一体である。自分をつくらず、鍛えず、浅い人生や人格で、立派な芸術を生めるはずはない。
平4・6・20
☆5・5「創価学会後継者の日」記念大会へのメッセージ
きょう5月5日は、広宣流布の未来にとって、一番大切な、一番希望あふれる「後継者の日」です。宝の皆さん方、一人一人に題目を送りながら、私は、全世界の同志と共に、この記念の集いを見つめています。
富士中学生合唱団と富士少年希望少女合唱団の皆さんの素晴らしい歌声も、私の命に響いています。それぞれの人材グループの頼もしい成長の様子も、本日の立派な活動報告の内容も全部、嬉しく伺っています。
担当者の方々も、いつもいつも、本当にありがとうございます。
世界広宣流布のこれからの新時代を、全て託しゆく皆さんに私は、きょう、三つの後継をお願いしたい。
第1に「正義の誇り」です。
わが創価学会は、最も苦しみ悩んでいる庶民の味方となって戦い抜いてきました。広宣流布とは、生命を最高に光り輝かせて、人類の幸福と平和を実現していく正義の中の正義です。皆さんは、その後継者です。
これほど価値ある、これほど偉大な青春は、絶対にありません。どうか、この誇りに胸を張って、今は学びに学んで、力をつけていってください。
第2に「前進の勇気」です。
日蓮大聖人は『月月・日日につより給へ』(P1190、「聖人御難事」)と仰せになられました。
妙法は、人間を不幸にするあらゆる魔性を打ち破って前進する力です。若くして、この力を持った皆さんは、行く手に何が立ちはだかろうとも、題目を唱え、勇気を奮い起こして、前へ前へ突き進んでください。
学会っ子は太陽の子です。師子王の子です。どんなことがあっても、クヨクヨしたりメソメソしたりせず、歌声朗らかに前進していくのです。
第3に「勝利への忍耐」です。
1972年(昭和47年)の5月5日、私は、イギリスの大歴史家トインビー博士と2年越しの対談を開始しました。
博士に青年へのアドバイスを尋ねると、一言、「忍耐強くあれ!」と答えられました。大事なのは、忍耐です。
仏法でも、仏の別名を「能忍」(よく忍ぶ)、すなわち最も忍耐強い人といいます。
人々を幸福にする誓いを果たすため、忍耐強く戦い通して、最後は必ず勝利する。
皆さんのお父さんやお母さん方が、私と共に貫いてきた、この創価の負けじ魂を、皆さんも断じて受け継いでくれ給え!
尊き皆さん全員の健康と成長、勝利と栄光を祈り、ずっと見守り続けていくことを申し上げ、お祝いのメッセージといたします。ご家族にも、くれぐれもよろしくお伝えください。
2014年5月5日
「正義の走者」を歌いつつ
つより給へ」
さあ新たな前進だ!
わが一念の変革から
一切は始まる!
一生成仏抄 P384
『此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず』
◇希望の明日へ
有名や地位、人気や栄誉だけを求める政治家や芸術家は、幻を追う人生しか、生きられない。幻のごとき、底の浅い芸術しかできるはずがない。芸術は人間の表現である。人格と一体である。自分をつくらず、鍛えず、浅い人生や人格で、立派な芸術を生めるはずはない。
平4・6・20
☆5・5「創価学会後継者の日」記念大会へのメッセージ
きょう5月5日は、広宣流布の未来にとって、一番大切な、一番希望あふれる「後継者の日」です。宝の皆さん方、一人一人に題目を送りながら、私は、全世界の同志と共に、この記念の集いを見つめています。
富士中学生合唱団と富士少年希望少女合唱団の皆さんの素晴らしい歌声も、私の命に響いています。それぞれの人材グループの頼もしい成長の様子も、本日の立派な活動報告の内容も全部、嬉しく伺っています。
担当者の方々も、いつもいつも、本当にありがとうございます。
世界広宣流布のこれからの新時代を、全て託しゆく皆さんに私は、きょう、三つの後継をお願いしたい。
第1に「正義の誇り」です。
わが創価学会は、最も苦しみ悩んでいる庶民の味方となって戦い抜いてきました。広宣流布とは、生命を最高に光り輝かせて、人類の幸福と平和を実現していく正義の中の正義です。皆さんは、その後継者です。
これほど価値ある、これほど偉大な青春は、絶対にありません。どうか、この誇りに胸を張って、今は学びに学んで、力をつけていってください。
第2に「前進の勇気」です。
日蓮大聖人は『月月・日日につより給へ』(P1190、「聖人御難事」)と仰せになられました。
妙法は、人間を不幸にするあらゆる魔性を打ち破って前進する力です。若くして、この力を持った皆さんは、行く手に何が立ちはだかろうとも、題目を唱え、勇気を奮い起こして、前へ前へ突き進んでください。
学会っ子は太陽の子です。師子王の子です。どんなことがあっても、クヨクヨしたりメソメソしたりせず、歌声朗らかに前進していくのです。
第3に「勝利への忍耐」です。
1972年(昭和47年)の5月5日、私は、イギリスの大歴史家トインビー博士と2年越しの対談を開始しました。
博士に青年へのアドバイスを尋ねると、一言、「忍耐強くあれ!」と答えられました。大事なのは、忍耐です。
仏法でも、仏の別名を「能忍」(よく忍ぶ)、すなわち最も忍耐強い人といいます。
人々を幸福にする誓いを果たすため、忍耐強く戦い通して、最後は必ず勝利する。
皆さんのお父さんやお母さん方が、私と共に貫いてきた、この創価の負けじ魂を、皆さんも断じて受け継いでくれ給え!
尊き皆さん全員の健康と成長、勝利と栄光を祈り、ずっと見守り続けていくことを申し上げ、お祝いのメッセージといたします。ご家族にも、くれぐれもよろしくお伝えください。
2014年5月5日
「正義の走者」を歌いつつ
2014年5月7日水曜日
2014.05.07 わが友に贈る
新聞休刊日
佐渡御書 P956
『身命に過たる惜き者のなければ是を布施として仏法を習へば必仏となる』
◇希望の明日へ
世界は、写真芸術、写真文化の隆盛へと進んでいる。と同時に、時代も、戦争から平和へ、非人間性から人間性へと動きつつある。また、そうでなければならない。写真の果たす役割も、"戦争の記録"をはじめとする"告発の武器"に加えて、"平和の映像詩"ともいうべき性格へと、今後、大きく開いていくであろう。
平4・3・8
☆名誉会長と共に新時代を開く 第17回 誓願の祈りで 世界の友と
晴れ渡る5月3日から、我ら創価家族は、希望に燃えて新出発した。
この日、私は広宣流布大誓堂で、完成記念署名を御宝前に備え、全同志の健康と幸福と勝利、亡くなられた方々の三世永遠の安穏を祈って勤行・唱題した。そして、新しき広宣流布の大道がいやまして開かれ、後継の人材が全世界に躍り出ることを、深く強く祈念した。
昨年の落成以来、大誓堂には日本全国はもとより、世界70カ国・地域の友が集い、誓願の祈りを捧げた。本当に素晴らしいことである。
創価学会常住の御本尊には、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認めである。慈悲の精神を根底に、正義と真実を師子吼し、平和と幸福の大法を弘通しゆく。ここに全人類の宿命を転換する道がある。いかなる障魔も打ち破り、異体同心の団結で、常楽我浄の功徳あふれる前進を、今再び開始してまいりたい。
広布は破竹の勢いだ。功労の同志も、青年も、皆、本当によく戦ってくれている。
戸田先生は語られた。
「焦らずに信心していくんだよ。信心で、どんなことも必ず幸福の軌道に乗る。祈りとして叶わざるはなく、どんな悩みも解決できる」
そして、この大確信を持って、悩める人に、また、正しき人生を求める人に、信心を教えていこうではないかと呼び掛けられた。
一人の「歓喜の信心」「率先の信心」「勇気の信心」から全てが変わっていく。どうか、あの友も、この友も、朗らかに聡明に包み、励ましながら、新時代の地湧のスクラムを広げ、仏縁と福運の花園を咲き誇らせていただきたい。
佐渡御書 P956
『身命に過たる惜き者のなければ是を布施として仏法を習へば必仏となる』
◇希望の明日へ
世界は、写真芸術、写真文化の隆盛へと進んでいる。と同時に、時代も、戦争から平和へ、非人間性から人間性へと動きつつある。また、そうでなければならない。写真の果たす役割も、"戦争の記録"をはじめとする"告発の武器"に加えて、"平和の映像詩"ともいうべき性格へと、今後、大きく開いていくであろう。
平4・3・8
☆名誉会長と共に新時代を開く 第17回 誓願の祈りで 世界の友と
晴れ渡る5月3日から、我ら創価家族は、希望に燃えて新出発した。
この日、私は広宣流布大誓堂で、完成記念署名を御宝前に備え、全同志の健康と幸福と勝利、亡くなられた方々の三世永遠の安穏を祈って勤行・唱題した。そして、新しき広宣流布の大道がいやまして開かれ、後継の人材が全世界に躍り出ることを、深く強く祈念した。
昨年の落成以来、大誓堂には日本全国はもとより、世界70カ国・地域の友が集い、誓願の祈りを捧げた。本当に素晴らしいことである。
創価学会常住の御本尊には、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認めである。慈悲の精神を根底に、正義と真実を師子吼し、平和と幸福の大法を弘通しゆく。ここに全人類の宿命を転換する道がある。いかなる障魔も打ち破り、異体同心の団結で、常楽我浄の功徳あふれる前進を、今再び開始してまいりたい。
広布は破竹の勢いだ。功労の同志も、青年も、皆、本当によく戦ってくれている。
戸田先生は語られた。
「焦らずに信心していくんだよ。信心で、どんなことも必ず幸福の軌道に乗る。祈りとして叶わざるはなく、どんな悩みも解決できる」
そして、この大確信を持って、悩める人に、また、正しき人生を求める人に、信心を教えていこうではないかと呼び掛けられた。
一人の「歓喜の信心」「率先の信心」「勇気の信心」から全てが変わっていく。どうか、あの友も、この友も、朗らかに聡明に包み、励ましながら、新時代の地湧のスクラムを広げ、仏縁と福運の花園を咲き誇らせていただきたい。
2014年5月6日火曜日
2014.05.06 わが友に贈る
親孝行できる人は
心豊かな人だ。
感謝を言葉にして
父母に伝えよう!
笑顔とともに!
弥源太殿御返事 P1226
『日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへり然るにかかる者の弟子檀那とならせ給う事不思議なり定めて子細候らん相構えて能能御信心候て霊山浄土へまいり給へ』
◇希望の明日へ
芸術は、生命の"聖なる世界"からの光であり、また、そこへ導く門でもある。
平3・6・7
◇大歓喜で「5・3」を迎えた全同志に和歌
満天下
勝利を開けり
師弟の日
世界に たなびく
創価の大旗よ
負けないと
微笑み光る
母の舞
諸天は捧げむ
功徳の万花を
友どちと
誓いの歌を
賑やかに
破竹の行進
青年(きみ)の力で
心豊かな人だ。
感謝を言葉にして
父母に伝えよう!
笑顔とともに!
弥源太殿御返事 P1226
『日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへり然るにかかる者の弟子檀那とならせ給う事不思議なり定めて子細候らん相構えて能能御信心候て霊山浄土へまいり給へ』
◇希望の明日へ
芸術は、生命の"聖なる世界"からの光であり、また、そこへ導く門でもある。
平3・6・7
◇大歓喜で「5・3」を迎えた全同志に和歌
満天下
勝利を開けり
師弟の日
世界に たなびく
創価の大旗よ
負けないと
微笑み光る
母の舞
諸天は捧げむ
功徳の万花を
友どちと
誓いの歌を
賑やかに
破竹の行進
青年(きみ)の力で
2014.05.05 わが友に贈る
陽光輝く5月。
友人との語らいなど
充実の日々を!
仏縁を広げゆく中で
わが生命は磨かれる!
聖愚問答抄下 P500
『此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく善根として動かざる事なし』
◇今週のことば
創価とは従藍而青なり。
わが後継の未来部よ
強く大きく育ちゆけ!
人類の希望の宝を
皆で応援し伸ばそう!
2014年05月05日
◇希望の明日へ
芸術にこそ人間性の象徴がある。平和の響きがある。社会の栄光がある。芸術の心を大切にする国こそ、真に"豊かな国"である。
平3・6・7
☆随筆 民衆凱歌の大行進 第5回「輝かしき五月の三日」
「よろこばしい青春よ きたれ ここに
そして見よ 明けはなれゆく朝を」
英国の詩人ブレイクは歌い上げた。
今、創価の若人が、新たな希望の朝を告げている。なんと輝かしき5月3日であろうか!
先日、ある関西の青年から届いた便りに、「5月3日の誕生花の一つはタンポポです」とあった。
タンポポは、けなげだ。
踏まれても、踏まれても立ち上がる。他の草花が成長する一足前に、春を告げて黄色い花を咲かせる。
そして、一つの花から200もの冠毛をつけた種子を飛ばし、新たな生命を育んでいく。
どんな困難の嵐も乗り越え、あの地でも、この地でも、朗らかに対話の花を爛漫と咲かせる広布の母たちの姿と、重なってならない。
5月3日は「創価学会母の日」である。広布一筋の偉大な婦人部の皆様方に、心から感謝申し上げたい。
共戦の
正義の同志(とも)に
凱歌あり
仏法は、なかんずく法華経は、いったい「誰のため」に説かれたのか──。
740年前の5月に、日蓮大聖人が認められた「法華取要抄」には、明快に記されている。
『滅後衆生の為なり』(P334)、『我等が為なり』(P335)と。
濁悪の世に生きる民衆のために仏法はある。民衆を苦しめる悪とは、どこまでも徹して戦う。ここに、仏法者としての生き方がある。
昭和54年(1979年)の5月3日。
私は、横浜の神奈川文化会館に到着した。会長職を辞した直後である。会館にも、眼前に広がる山下公園にも、多くの同志が連日のように集まってこられた。
この学会員ほど、尊く、美しく、誠実な人びとが、どこにいようか! 私はいかなる立場であれ、会員のために戦い続ける! それが正義であるからだ。
御聖訓の通りに生き抜く人生である。ゆえに法難は当然だ。私は、命より大切な学会を死守するのみだ。
目の前に洋々と広がる海を眺め、世界の広宣流布へ新しき開拓の誓いを込め、私は「共戦」、そして「正義」と書き留めた。
この神奈川文化会館での誓いから35年──。
当時、約90カ国・地域であったSGIは今や192カ国・地域へと大発展を遂げ、若き「共戦」の陣列が澎湃と躍り出ている。これが、何よりの「正義」の「勝利」の証しである。
神奈川では、先月、懐かしい宿縁深き鶴見の天地で、国内最大級の会館となる記念講堂の定礎式が盛大に執り行われた。
わが後継の神奈川青年部の意気軒昂の総会(4月29日)の模様も、頼もしく伺った。
席上、この春、医師としてスタートした女子部員が体験発表を行った。まだ母のお腹にいた時、父をがんで亡くした乙女である。
彼女の母もまた、かつて高等部の時、姉妹して、あの山下公園に駆けつけてくれた学会っ子であった。
夫に先立たれて間もなく、2歳の長男と乳飲み子の長女を抱えて奮闘する若き母を、私の妻は「絶対に幸せになりますよ。絶対に!」と励まし、見守り続けてきた。一つ一つ変毒為薬して、輝く幸福勝利の実証を示されているご一家の晴れ姿が、本当に嬉しい。
ともあれ、苦楽を共にしてきた神奈川家族の希望の笑顔は、私の誇りである。
「全部、自分たちで責任をもって考えよ」
私は恩師から、そのような訓練を受けてきた。
哲学者ベーコンも、「若い人々は判断するより考案することに適し、忠告より実行に適し、決まりきった仕事より新しい企画に適している」と綴っている。
指示を受けてから腰を上げる。与えられたことだけを細々とこなす。それでは前進の力は生まれない。
広宣流布の責任を進んで担い立ち、未来の勝利を開いていく。それが青年だ。
60年前、私は青年部の室長に任命された。広布の飛躍的前進へ、一切の活動の企画・立案を意図したものであったが、恩師は何をすればいいかを明示されることはなかった。
皆がロマンを感じられるようにするにはどうすべきか。時代の動向を見据えて、どう手を打つか。あらゆる角度から、熟慮を重ねた。
就任直後、私は青年部の会合に参加した感想を、日記にこう記した。
「この人、この青年、二十年後、必ず檜舞台に立たせねば──。責務重大なり」
広布の未来は、どこまでいっても人材で決まる。
人材を見つけ、人材を伸ばしていく以外にない。
そして、御書の一節を記した。
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり』(P986、「可延定業書」)と。
一瞬一瞬が勝負だった。
今できることを一歩一歩と着実に進めていった。
任命から1カ月余で青年部は5,000人結集を達成し、半年後には倍増の1万人結集を成し遂げたのである。
昭和33年(1958年)5月3日。私が本部総会で、創立以来の歩みを踏まえ、7年ごとの前進を期す「七つの鐘」という構想を発表したのも、青年部の室長の時代であった。
この「七つの鐘」のリズムの中で、学会は幾多の嵐を越えて発展してきた。
初代会長・牧口常三郎先生の殉教という歴史が刻まれたのは、「七つの鐘」の2番目の時であった。
当時、軍国主義という誤った思想が民衆を狂わし、国は破滅への一途をたどっていた。その中で、牧口先生は、わが命をも顧みず、仏法の正義を掲げて思想の乱れを糺されたのである。
この厳然たる事実が、アジアをはじめ、世界での信頼につながり、今日の学会の揺るがぬ礎になっていることは、言うまでもない。
今、学会は2001年から2050年までを「第2の七つの鐘」と位置づけ、前進を続けている。そして明2015年の「5・3」は、ちょうど2番目の鐘が鳴り終わる節目である。
この時、勇んで躍り出て、人間勝利の鐘を響かせる、地涌の世界市民は誰か。
それは、後継の宝の青年である! わが敬愛する直弟子の君たち、貴女たちである! 成長頼もしい未来部のみんなである!
今、「第2の七つの鐘」の2番目の総仕上げへ、青年部は「SOKAグローバルアクション」と銘打ち、生命尊厳と平和の思想を社会へと発信している。
いよいよ、埼玉・長野、また群馬・三重・沖縄・愛知を先頭に、全国各地で「創価青年大会」が行われる。
どうか諸君は、「我らの熱と力で新たな栄光の歴史を創ってみせる!」と大いに夢とロマンを広げ、思う存分に戦ってもらいたい。
そして、創価の青年らしく堂々と、華陽の乙女らしく清々しく、仏法を語り、地域に正義の旗を打ち立てていくのだ。その挑戦こそが、必ずや「世界広布新時代」に、希望の鐘を打ち鳴らしていくからだ。
60年前の昭和29年(1954年)5月3日。戸田先生は、両国の旧国技館で語られた。
さまざまな悩みを抱えていたとしても、「しっかり信心して、来年のきょうは、功徳をうけた顔で、われもわれもと集まっていただきたい」と。
私も今、同じ心である。
さあ、明年の5月3日へ、勢いよく出発だ!
かのブレイクは叫んだ。
「私は進み続ける そして何ものも私の進路を妨げることはできない」と。
そうだ! 一歩でも半歩でも人間革命し、輝かしき歓喜と功徳の花また花で、わが地域を包みゆこう! 新学会歌「誓いの青年よ」の歌声も高らかに!
誓いたる
勝利の道を
勇み征け
友人との語らいなど
充実の日々を!
仏縁を広げゆく中で
わが生命は磨かれる!
聖愚問答抄下 P500
『此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく善根として動かざる事なし』
◇今週のことば
創価とは従藍而青なり。
わが後継の未来部よ
強く大きく育ちゆけ!
人類の希望の宝を
皆で応援し伸ばそう!
2014年05月05日
◇希望の明日へ
芸術にこそ人間性の象徴がある。平和の響きがある。社会の栄光がある。芸術の心を大切にする国こそ、真に"豊かな国"である。
平3・6・7
☆随筆 民衆凱歌の大行進 第5回「輝かしき五月の三日」
「よろこばしい青春よ きたれ ここに
そして見よ 明けはなれゆく朝を」
英国の詩人ブレイクは歌い上げた。
今、創価の若人が、新たな希望の朝を告げている。なんと輝かしき5月3日であろうか!
先日、ある関西の青年から届いた便りに、「5月3日の誕生花の一つはタンポポです」とあった。
タンポポは、けなげだ。
踏まれても、踏まれても立ち上がる。他の草花が成長する一足前に、春を告げて黄色い花を咲かせる。
そして、一つの花から200もの冠毛をつけた種子を飛ばし、新たな生命を育んでいく。
どんな困難の嵐も乗り越え、あの地でも、この地でも、朗らかに対話の花を爛漫と咲かせる広布の母たちの姿と、重なってならない。
5月3日は「創価学会母の日」である。広布一筋の偉大な婦人部の皆様方に、心から感謝申し上げたい。
共戦の
正義の同志(とも)に
凱歌あり
仏法は、なかんずく法華経は、いったい「誰のため」に説かれたのか──。
740年前の5月に、日蓮大聖人が認められた「法華取要抄」には、明快に記されている。
『滅後衆生の為なり』(P334)、『我等が為なり』(P335)と。
濁悪の世に生きる民衆のために仏法はある。民衆を苦しめる悪とは、どこまでも徹して戦う。ここに、仏法者としての生き方がある。
昭和54年(1979年)の5月3日。
私は、横浜の神奈川文化会館に到着した。会長職を辞した直後である。会館にも、眼前に広がる山下公園にも、多くの同志が連日のように集まってこられた。
この学会員ほど、尊く、美しく、誠実な人びとが、どこにいようか! 私はいかなる立場であれ、会員のために戦い続ける! それが正義であるからだ。
御聖訓の通りに生き抜く人生である。ゆえに法難は当然だ。私は、命より大切な学会を死守するのみだ。
目の前に洋々と広がる海を眺め、世界の広宣流布へ新しき開拓の誓いを込め、私は「共戦」、そして「正義」と書き留めた。
この神奈川文化会館での誓いから35年──。
当時、約90カ国・地域であったSGIは今や192カ国・地域へと大発展を遂げ、若き「共戦」の陣列が澎湃と躍り出ている。これが、何よりの「正義」の「勝利」の証しである。
神奈川では、先月、懐かしい宿縁深き鶴見の天地で、国内最大級の会館となる記念講堂の定礎式が盛大に執り行われた。
わが後継の神奈川青年部の意気軒昂の総会(4月29日)の模様も、頼もしく伺った。
席上、この春、医師としてスタートした女子部員が体験発表を行った。まだ母のお腹にいた時、父をがんで亡くした乙女である。
彼女の母もまた、かつて高等部の時、姉妹して、あの山下公園に駆けつけてくれた学会っ子であった。
夫に先立たれて間もなく、2歳の長男と乳飲み子の長女を抱えて奮闘する若き母を、私の妻は「絶対に幸せになりますよ。絶対に!」と励まし、見守り続けてきた。一つ一つ変毒為薬して、輝く幸福勝利の実証を示されているご一家の晴れ姿が、本当に嬉しい。
ともあれ、苦楽を共にしてきた神奈川家族の希望の笑顔は、私の誇りである。
「全部、自分たちで責任をもって考えよ」
私は恩師から、そのような訓練を受けてきた。
哲学者ベーコンも、「若い人々は判断するより考案することに適し、忠告より実行に適し、決まりきった仕事より新しい企画に適している」と綴っている。
指示を受けてから腰を上げる。与えられたことだけを細々とこなす。それでは前進の力は生まれない。
広宣流布の責任を進んで担い立ち、未来の勝利を開いていく。それが青年だ。
60年前、私は青年部の室長に任命された。広布の飛躍的前進へ、一切の活動の企画・立案を意図したものであったが、恩師は何をすればいいかを明示されることはなかった。
皆がロマンを感じられるようにするにはどうすべきか。時代の動向を見据えて、どう手を打つか。あらゆる角度から、熟慮を重ねた。
就任直後、私は青年部の会合に参加した感想を、日記にこう記した。
「この人、この青年、二十年後、必ず檜舞台に立たせねば──。責務重大なり」
広布の未来は、どこまでいっても人材で決まる。
人材を見つけ、人材を伸ばしていく以外にない。
そして、御書の一節を記した。
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり』(P986、「可延定業書」)と。
一瞬一瞬が勝負だった。
今できることを一歩一歩と着実に進めていった。
任命から1カ月余で青年部は5,000人結集を達成し、半年後には倍増の1万人結集を成し遂げたのである。
昭和33年(1958年)5月3日。私が本部総会で、創立以来の歩みを踏まえ、7年ごとの前進を期す「七つの鐘」という構想を発表したのも、青年部の室長の時代であった。
この「七つの鐘」のリズムの中で、学会は幾多の嵐を越えて発展してきた。
初代会長・牧口常三郎先生の殉教という歴史が刻まれたのは、「七つの鐘」の2番目の時であった。
当時、軍国主義という誤った思想が民衆を狂わし、国は破滅への一途をたどっていた。その中で、牧口先生は、わが命をも顧みず、仏法の正義を掲げて思想の乱れを糺されたのである。
この厳然たる事実が、アジアをはじめ、世界での信頼につながり、今日の学会の揺るがぬ礎になっていることは、言うまでもない。
今、学会は2001年から2050年までを「第2の七つの鐘」と位置づけ、前進を続けている。そして明2015年の「5・3」は、ちょうど2番目の鐘が鳴り終わる節目である。
この時、勇んで躍り出て、人間勝利の鐘を響かせる、地涌の世界市民は誰か。
それは、後継の宝の青年である! わが敬愛する直弟子の君たち、貴女たちである! 成長頼もしい未来部のみんなである!
今、「第2の七つの鐘」の2番目の総仕上げへ、青年部は「SOKAグローバルアクション」と銘打ち、生命尊厳と平和の思想を社会へと発信している。
いよいよ、埼玉・長野、また群馬・三重・沖縄・愛知を先頭に、全国各地で「創価青年大会」が行われる。
どうか諸君は、「我らの熱と力で新たな栄光の歴史を創ってみせる!」と大いに夢とロマンを広げ、思う存分に戦ってもらいたい。
そして、創価の青年らしく堂々と、華陽の乙女らしく清々しく、仏法を語り、地域に正義の旗を打ち立てていくのだ。その挑戦こそが、必ずや「世界広布新時代」に、希望の鐘を打ち鳴らしていくからだ。
60年前の昭和29年(1954年)5月3日。戸田先生は、両国の旧国技館で語られた。
さまざまな悩みを抱えていたとしても、「しっかり信心して、来年のきょうは、功徳をうけた顔で、われもわれもと集まっていただきたい」と。
私も今、同じ心である。
さあ、明年の5月3日へ、勢いよく出発だ!
かのブレイクは叫んだ。
「私は進み続ける そして何ものも私の進路を妨げることはできない」と。
そうだ! 一歩でも半歩でも人間革命し、輝かしき歓喜と功徳の花また花で、わが地域を包みゆこう! 新学会歌「誓いの青年よ」の歌声も高らかに!
誓いたる
勝利の道を
勇み征け
2014年5月4日日曜日
2014.05.04 わが友に贈る
交通事故に注意!
速度超過や運転中の
携帯電話は厳禁。
疲れたら休憩を。
油断を排し魔を破れ!
十法界明因果抄 P435
『二乗は此等の報恩皆欠けたり故に一念も二乗の心を起すは十悪五逆に過ぎたり』
◇希望の明日へ
文化、芸術とは、万人に開かれたものであるべきであろう。一部の限られた人々のものであってはならない。人間なくして芸術は存在しない。芸術は人間のためにある。また芸術は、平和を導くための大いなる"武器"ではないだろうか。文化交流、芸術交流が進めば進むほど、平和への潮流はより大きくなると確信している。
平2・9・6
☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第2回 ニューデリーの虹
虹は、天空が贈ってくれる喜びの笑顔であり、希望の笑顔です。
悠久の大国インドの首都ニューデリーで天が見せてくれた二重の虹も、会心の"笑顔"でした。
西には黄金の夕日が輝き、東には深緑の大地から七彩の虹が光の弓のように湧き立っていました。
この日、私は、インドのラジブ・ガンジー首相の写真展の開幕式に出席しました(1997年10月19日)。
式が始まる直前、この季節のニューデリーにはめずらしく、にわか雨が降り始めました。ほこりっぽい空気が慈雨で清められ、一陣の風が大地を駆け抜けると、あたりはぐっと涼しくなりました。
来賓の方々と、「雨は、きっと喜びの雨でしょう」と語り合ったことが懐かしく思い出されます。
大きな二重の虹を見たのは、式典を終えて、宿舎に戻ったばかりの時でした。壮大なる天空の芸術に、手元のカメラのシャッターを切りました。
実は、この前の日、私は、もう一つの虹に心をはずませていました。インド創価学会の文化祭の最後の演目で、未来部の友が元気いっぱい舞台に躍り出てきた姿に、「希望の虹」を見たのです。
インドの無限の未来が、輝きを放っていました。
七色の虹は、「多様性」や「共存」の象徴ともいわれます。
亡きラジブ首相が撮影した写真には、インドの大地を彩る、その多様性の共存が、鮮やかに映し出されていました。
浜辺で砂遊びをする少女、遊牧民の少年、市場で店を構える商人、じゅうたん織りの職人──一葉ごとに民衆を愛する心があふれていました。まさに虹のように多彩に輝くインドの躍動がありました。そこに写っている誰一人が欠けてもインドではないという、断固たる信念が光っていたのです。
また、牙をむいて威嚇(いかく)するトラ、建設現場での人々の暮らし、演奏会の舞台裏、色とりどりのシルクのパラソル──生活の中で見たもの、触れたものを、飾らず、素直な心で、ラジブ首相はカメラに収めていました。
"格好なんてつけなくていいんだ。ありのままの自分で光っていくんだよ" と、写真は語りかけてくるようでした。
インドには、4000年以上も前から文明が発達し、長い歴史のなかで、多様な民族、そして宗教が存在してきました。
現在、公用語はヒンディー語ですが、インドの紙幣には、17もの言語が印刷されています。 "車で1時間ほど走れば異なる言語が飛び交う" と言われるほど、多言語であり、多民族が共存する国なのです。
みんなの中には、「これだけ 『違うもの』 が一緒になると、うまくやっていけないのでは?」と考える人もいるでしょう。
もちろん、対立もあれば、衝突もあります。それでもインドは、幾千年の歴史の中で、民族や宗教や言語の違いを残しつつ、「精神の統一」を生み出してきました。
インドの広大な大地は、人々に大きな心を育んできたのです。
皆さんのクラスや部活にも、いろいろな人がいるでしょう。育った環境も違えば、性格が合わない人もいる。でも、みなが同じような人ばかりだったら、どうでしょうか。こぢんまりと、まとまっても、おもしろくないでしょう。
むしろ違っていいのです。違うからこそ、触発があり、新たな発見があり、自分にどんな個性があるのかも分かる。いろんな人がいるから学び合えるし、互いに成長できる。大きな心で違いを認め、包み込んでいけばいいのです。
しかし人間は、「違い」ゆえに、人を差別し、分かり合えないと決めつけるクセがあります。
インドの大地で悟りを開いた釈尊は、「私は人の心に見がたき一本の矢が刺さっているのを見た」と説きました。
私は、アメリカの名門ハーバード大学で行った講演で、この「見がたき一本の矢」を、「差異(違い)へのこだわり」であると論じました。
自分の心に突き刺さった「一本の矢」を抜き去り、同じ人間として相手と向き合ってこそ、心と心の間には、美しい「友情の虹」がかかります。
世界の平和とは──この「友情の虹」を、自分から友だちへ、周囲の人々へ、一本また一本とかけていく挑戦の中に輝くのです。
「差異」は、地球を平和で包み、幸福で彩る「彩」へと変えられる。その力が、皆さんの中にあることを、断じて忘れないでください。
「傷つくことを恐れてはいけません。世の中はさまざまな痛みであふれていますが、それらに立ち向かってこそ、強く勇敢になって、偉大なことを成し遂げられる自分になるのです」
これは、ラジブ首相が少年のころ、大好きなお母さんに言われた言葉です。
私がラジブ首相と東京でお会いしたのは、1985年11月。お母さんのインディラ・ガンジー首相が暗殺され、その後を継いで首相に就任して1年後のことでした。
明るい笑顔。毅然(きぜん)とした振る舞い。不屈の信念と誠実さが伝わってきました。会見はこの一度だけでしたが、首相が「青年こそ未来そのものです」と語った声は、今も私の胸に響いています。
ラジブ首相は、もともとパイロットでした。しかし、お母さんの言葉を心に刻み、苦難を恐れず、政治の世界に飛び込んだのです。
ある時、"好きだったパイロットの仕事をやめた気持ちは?"と聞かれた時、こう答えました。
「どんな仕事をしていても、満足するかどうかは自分の手の中にある。一つのことを決定したあと、前のことで後悔することは、良いことではないし、私は後悔はしていない。また、私は後悔する暇もない」
信念に生き抜く人に、後悔はありません。いわんや、偉大な仏法を持った皆さんには、後悔なんて必要がない。仏法は「本因妙」といって、常に「さあ今から!」「これからだ!」と、前へ前へ進んでいく希望の哲学だからです。
青春の力は無限です。失敗も、苦難も、悩みも、全てをわが成長の力に変えていける。
英語で「虹」のことは? そう、「レインボー(Rainbow)」です。
単語を見てみると、そのなかに、「雨(Rain)」が入っています。まさに、「雨が降るから、虹がかかる」のです。
青春の日々だって、同じです。勉強が大変。友だちのことで悩む。部活が思うようにいかない。自分の性格がイヤだ……そうして流した心の涙や、努力の汗は、全てみんなを彩る七色の虹となる。
青春の悩みや労苦は、全て自身を限りなく成長させてくれる"恵みの雨"にできるのです。
そして、虹が輝くためには、太陽の光が必要です。
日蓮大聖人は、『苦と悟り、楽を楽と開いて、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい』(P1143、通解、「四条金吾殿御返事」)と、苦難に立ち向かう弟子を励まされています。
題目を唱えれば、自分の長所も短所も、喜びも悲しみも、苦しみも楽しみも、一切を最善の方向へと生かしていくことができる。
どんな時でも題目を唱える人は、わが心の大空に悠然と太陽を昇らせて、必ず「勝利の虹」をかけることができるのです。
私がインドの大地を初めて踏みしめたのは、1961年2月のことでした。この時、釈尊が悟りを開いたブッダガヤを訪れました。
その後、79年2月の訪問では、40人のインドのメンバーとお会いし、こう申し上げました。
「ガンジス川の悠久の流れも一滴から始まります。と同じく、今はメンバーは少なくとも、自身がその一滴であるとの自覚で、洋々たる未来を信じて前進していきましょう」
友と語り合った4日後の2月11日、恩師・戸田城聖先生の誕生日の夜には満月が出ました。
戸田先生のお写真を側に置き、「月氏の国(インド)」の果てまで幸福の光を広げたいとの師の願いを胸に、インドの友の栄光の未来を、私は強盛に祈りました。
次にインドを訪れたのは92年の2月。日蓮大聖人の御聖誕770周年である16日は満月でした。この日、私はインドの友と質間会を開きました。
一人のメンバーが、遠慮がちに手を挙げて、質問してくれました。
「周りの皆さんは 『雄弁』 や 『知性』 『慈愛』 を目標にがんばっていますが、私にはなかなかできません」
真剣な悩みでした。ゆえに私も真剣に、真心込めて答えました。
「ありのままの自分でよいのです。題目をあげきりながら、自分らしく、伸び伸びと進んでいけばよいのです」
「ありのままの"凡夫"そのもので進んでいく。題目根本に、少しずつでも向上していく。これが正しい姿であり、人間らしい生き方ではないでしょうか」
キラキラとはじけるような友の笑顔を、よく覚えています。
虹は、太陽の光が空気中の水滴に当たり、屈折して分解され、七色に見える現象です。一色に見える光の中に七色があるのです。
私たちもまた、ありのままの自分の中に、色鮮やかな人間の輝きが秘められています。ゆえに、飾らず、誠実に接していけば、その輝きが友の心に映るのです。自分らしく真剣に向上しゆく姿が信頼を広げ、友情を広げるのです。
こうしてインドの広宣流布は、進んでいきました。
ブッダガヤ訪問から今年で53年。インドには、今や、7万人の人間主義の連帯が広がっています。一滴の水は、悠久の大河となって未来へと流れています。
今年の3月、ニューデリー近郊の創価菩提樹園で青年大会が開かれ、未来部、青年部の友らが見事な歌声を披露してくれました。
君たちと同年代の若き友が、口々に、師弟に生きる誇り、仏教発祥の国の広宣流布への誓いを述べていたと伺いました。
この様子を戸田先生がご覧になったら、どれほど喜ばれるだろうか──私の胸は熱くなりました。インド独立の大英雄マハトマ・ガンジーも、あの人なつこい笑顔で見つめておられるでしょう。
マハトマ・ガンジーは、言いました。
「成さねばならないことを何かあっても成すということが、『誓い』 なのです。それが、強さの砦になるのです」
「誓い」は力です。自分の中に秘められた輝きに、強さに、智慧に、何倍もの力を与えてくれます。
世界には、あの地この地に、「誓いに生きる」友がいます。
皆さんが、その友とスクラムを組み、世界に「平和の虹」をかける日を、私は祈り、待っています。
速度超過や運転中の
携帯電話は厳禁。
疲れたら休憩を。
油断を排し魔を破れ!
十法界明因果抄 P435
『二乗は此等の報恩皆欠けたり故に一念も二乗の心を起すは十悪五逆に過ぎたり』
◇希望の明日へ
文化、芸術とは、万人に開かれたものであるべきであろう。一部の限られた人々のものであってはならない。人間なくして芸術は存在しない。芸術は人間のためにある。また芸術は、平和を導くための大いなる"武器"ではないだろうか。文化交流、芸術交流が進めば進むほど、平和への潮流はより大きくなると確信している。
平2・9・6
☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第2回 ニューデリーの虹
虹は、天空が贈ってくれる喜びの笑顔であり、希望の笑顔です。
悠久の大国インドの首都ニューデリーで天が見せてくれた二重の虹も、会心の"笑顔"でした。
西には黄金の夕日が輝き、東には深緑の大地から七彩の虹が光の弓のように湧き立っていました。
この日、私は、インドのラジブ・ガンジー首相の写真展の開幕式に出席しました(1997年10月19日)。
式が始まる直前、この季節のニューデリーにはめずらしく、にわか雨が降り始めました。ほこりっぽい空気が慈雨で清められ、一陣の風が大地を駆け抜けると、あたりはぐっと涼しくなりました。
来賓の方々と、「雨は、きっと喜びの雨でしょう」と語り合ったことが懐かしく思い出されます。
大きな二重の虹を見たのは、式典を終えて、宿舎に戻ったばかりの時でした。壮大なる天空の芸術に、手元のカメラのシャッターを切りました。
実は、この前の日、私は、もう一つの虹に心をはずませていました。インド創価学会の文化祭の最後の演目で、未来部の友が元気いっぱい舞台に躍り出てきた姿に、「希望の虹」を見たのです。
インドの無限の未来が、輝きを放っていました。
七色の虹は、「多様性」や「共存」の象徴ともいわれます。
亡きラジブ首相が撮影した写真には、インドの大地を彩る、その多様性の共存が、鮮やかに映し出されていました。
浜辺で砂遊びをする少女、遊牧民の少年、市場で店を構える商人、じゅうたん織りの職人──一葉ごとに民衆を愛する心があふれていました。まさに虹のように多彩に輝くインドの躍動がありました。そこに写っている誰一人が欠けてもインドではないという、断固たる信念が光っていたのです。
また、牙をむいて威嚇(いかく)するトラ、建設現場での人々の暮らし、演奏会の舞台裏、色とりどりのシルクのパラソル──生活の中で見たもの、触れたものを、飾らず、素直な心で、ラジブ首相はカメラに収めていました。
"格好なんてつけなくていいんだ。ありのままの自分で光っていくんだよ" と、写真は語りかけてくるようでした。
インドには、4000年以上も前から文明が発達し、長い歴史のなかで、多様な民族、そして宗教が存在してきました。
現在、公用語はヒンディー語ですが、インドの紙幣には、17もの言語が印刷されています。 "車で1時間ほど走れば異なる言語が飛び交う" と言われるほど、多言語であり、多民族が共存する国なのです。
みんなの中には、「これだけ 『違うもの』 が一緒になると、うまくやっていけないのでは?」と考える人もいるでしょう。
もちろん、対立もあれば、衝突もあります。それでもインドは、幾千年の歴史の中で、民族や宗教や言語の違いを残しつつ、「精神の統一」を生み出してきました。
インドの広大な大地は、人々に大きな心を育んできたのです。
皆さんのクラスや部活にも、いろいろな人がいるでしょう。育った環境も違えば、性格が合わない人もいる。でも、みなが同じような人ばかりだったら、どうでしょうか。こぢんまりと、まとまっても、おもしろくないでしょう。
むしろ違っていいのです。違うからこそ、触発があり、新たな発見があり、自分にどんな個性があるのかも分かる。いろんな人がいるから学び合えるし、互いに成長できる。大きな心で違いを認め、包み込んでいけばいいのです。
しかし人間は、「違い」ゆえに、人を差別し、分かり合えないと決めつけるクセがあります。
インドの大地で悟りを開いた釈尊は、「私は人の心に見がたき一本の矢が刺さっているのを見た」と説きました。
私は、アメリカの名門ハーバード大学で行った講演で、この「見がたき一本の矢」を、「差異(違い)へのこだわり」であると論じました。
自分の心に突き刺さった「一本の矢」を抜き去り、同じ人間として相手と向き合ってこそ、心と心の間には、美しい「友情の虹」がかかります。
世界の平和とは──この「友情の虹」を、自分から友だちへ、周囲の人々へ、一本また一本とかけていく挑戦の中に輝くのです。
「差異」は、地球を平和で包み、幸福で彩る「彩」へと変えられる。その力が、皆さんの中にあることを、断じて忘れないでください。
「傷つくことを恐れてはいけません。世の中はさまざまな痛みであふれていますが、それらに立ち向かってこそ、強く勇敢になって、偉大なことを成し遂げられる自分になるのです」
これは、ラジブ首相が少年のころ、大好きなお母さんに言われた言葉です。
私がラジブ首相と東京でお会いしたのは、1985年11月。お母さんのインディラ・ガンジー首相が暗殺され、その後を継いで首相に就任して1年後のことでした。
明るい笑顔。毅然(きぜん)とした振る舞い。不屈の信念と誠実さが伝わってきました。会見はこの一度だけでしたが、首相が「青年こそ未来そのものです」と語った声は、今も私の胸に響いています。
ラジブ首相は、もともとパイロットでした。しかし、お母さんの言葉を心に刻み、苦難を恐れず、政治の世界に飛び込んだのです。
ある時、"好きだったパイロットの仕事をやめた気持ちは?"と聞かれた時、こう答えました。
「どんな仕事をしていても、満足するかどうかは自分の手の中にある。一つのことを決定したあと、前のことで後悔することは、良いことではないし、私は後悔はしていない。また、私は後悔する暇もない」
信念に生き抜く人に、後悔はありません。いわんや、偉大な仏法を持った皆さんには、後悔なんて必要がない。仏法は「本因妙」といって、常に「さあ今から!」「これからだ!」と、前へ前へ進んでいく希望の哲学だからです。
青春の力は無限です。失敗も、苦難も、悩みも、全てをわが成長の力に変えていける。
英語で「虹」のことは? そう、「レインボー(Rainbow)」です。
単語を見てみると、そのなかに、「雨(Rain)」が入っています。まさに、「雨が降るから、虹がかかる」のです。
青春の日々だって、同じです。勉強が大変。友だちのことで悩む。部活が思うようにいかない。自分の性格がイヤだ……そうして流した心の涙や、努力の汗は、全てみんなを彩る七色の虹となる。
青春の悩みや労苦は、全て自身を限りなく成長させてくれる"恵みの雨"にできるのです。
そして、虹が輝くためには、太陽の光が必要です。
日蓮大聖人は、『苦と悟り、楽を楽と開いて、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい』(P1143、通解、「四条金吾殿御返事」)と、苦難に立ち向かう弟子を励まされています。
題目を唱えれば、自分の長所も短所も、喜びも悲しみも、苦しみも楽しみも、一切を最善の方向へと生かしていくことができる。
どんな時でも題目を唱える人は、わが心の大空に悠然と太陽を昇らせて、必ず「勝利の虹」をかけることができるのです。
私がインドの大地を初めて踏みしめたのは、1961年2月のことでした。この時、釈尊が悟りを開いたブッダガヤを訪れました。
その後、79年2月の訪問では、40人のインドのメンバーとお会いし、こう申し上げました。
「ガンジス川の悠久の流れも一滴から始まります。と同じく、今はメンバーは少なくとも、自身がその一滴であるとの自覚で、洋々たる未来を信じて前進していきましょう」
友と語り合った4日後の2月11日、恩師・戸田城聖先生の誕生日の夜には満月が出ました。
戸田先生のお写真を側に置き、「月氏の国(インド)」の果てまで幸福の光を広げたいとの師の願いを胸に、インドの友の栄光の未来を、私は強盛に祈りました。
次にインドを訪れたのは92年の2月。日蓮大聖人の御聖誕770周年である16日は満月でした。この日、私はインドの友と質間会を開きました。
一人のメンバーが、遠慮がちに手を挙げて、質問してくれました。
「周りの皆さんは 『雄弁』 や 『知性』 『慈愛』 を目標にがんばっていますが、私にはなかなかできません」
真剣な悩みでした。ゆえに私も真剣に、真心込めて答えました。
「ありのままの自分でよいのです。題目をあげきりながら、自分らしく、伸び伸びと進んでいけばよいのです」
「ありのままの"凡夫"そのもので進んでいく。題目根本に、少しずつでも向上していく。これが正しい姿であり、人間らしい生き方ではないでしょうか」
キラキラとはじけるような友の笑顔を、よく覚えています。
虹は、太陽の光が空気中の水滴に当たり、屈折して分解され、七色に見える現象です。一色に見える光の中に七色があるのです。
私たちもまた、ありのままの自分の中に、色鮮やかな人間の輝きが秘められています。ゆえに、飾らず、誠実に接していけば、その輝きが友の心に映るのです。自分らしく真剣に向上しゆく姿が信頼を広げ、友情を広げるのです。
こうしてインドの広宣流布は、進んでいきました。
ブッダガヤ訪問から今年で53年。インドには、今や、7万人の人間主義の連帯が広がっています。一滴の水は、悠久の大河となって未来へと流れています。
今年の3月、ニューデリー近郊の創価菩提樹園で青年大会が開かれ、未来部、青年部の友らが見事な歌声を披露してくれました。
君たちと同年代の若き友が、口々に、師弟に生きる誇り、仏教発祥の国の広宣流布への誓いを述べていたと伺いました。
この様子を戸田先生がご覧になったら、どれほど喜ばれるだろうか──私の胸は熱くなりました。インド独立の大英雄マハトマ・ガンジーも、あの人なつこい笑顔で見つめておられるでしょう。
マハトマ・ガンジーは、言いました。
「成さねばならないことを何かあっても成すということが、『誓い』 なのです。それが、強さの砦になるのです」
「誓い」は力です。自分の中に秘められた輝きに、強さに、智慧に、何倍もの力を与えてくれます。
世界には、あの地この地に、「誓いに生きる」友がいます。
皆さんが、その友とスクラムを組み、世界に「平和の虹」をかける日を、私は祈り、待っています。
2014年5月3日土曜日
2014.05.03 わが友に贈る
新時代の躍進へ
人材を見つけよう!
人材を育てよう!
わが地域から
平和と希望の大連帯を!
曾谷殿御返事 P1059
『命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候』
◇希望の明日へ
写真はあえて、その傾向性をいえば、"動"の芸術である。切迫感がある。絵画は、より"静"なる芸術といえよう。当然、優劣の問題ではない。ただ現代は"動"の時代であり、その時代性と歩調を合わせつつ、"今"を生きる人間と社会を表現するに当たって、写真は今後、いよいよ、大きな可能性を発揮すると確信している。
平1・11・26
☆希望の虹 〜世界の偉人を語る〜 第2回 看護の母 ナイチンゲール
みなさんは、「さつき晴れ」という言葉を聞いたことがあるでしょう。「さつき」とは、5月のこと。晴れわたった5月の空は、じつにさわやかです。
5月の5日は、わが創価学会の大切な大切な「後継者の日」です。みなさんが「さつき晴れ」の青空のような、かがやく心で、大きく、のびのびと成長していくことが、私の何よりの願いです。
「後継者の日」から一週間後の5月12日は、「国際ナース・デー(看護師の日)」です。これは"看護の母"として尊敬されるフローレンス・ナイチンゲールの誕生日を記念して決められたものです。
創価学会にも、看護の仕事をされている方の「白樺会」「白樺グループ」という集まりがあります。
また創価大学には、新たに「看護学部」ができて、みなさんの先輩たちが、一生けんめいに学んでいます。
こうした方々のお手本となっているのが、ナイチンゲールです。
ナイチンゲールは、今から200年ほど前の1820年、イギリス人の父母のもとに生まれました。
イタリアの花の都フィレンツェで誕生したので、その都の英語名であるフローレンスと名づけられました。
90年の生涯で、人類に、健康と幸福の花をおくり続けた、この偉大な女性のことを、きょうは、いっしょに学んでいきましょう。
みなさんも、かぜをひいたり、ケガをしたりして、看護師さんにお世話になったことがあると思います。大きらいな注射の時も、看護師さんにやさしくはげましてもらって、がまんできた経験はありませんか?
おさないころから体が強くなかった私も、そうでした。
とくに戦争中、肺結核という病気をかかえながら、無理をして鉄工所で働いていた時のことです。
ある日、体が重く苦しくて、たおれてしまいました。
その時、一人の看護師さんが、それはそれは親切に、めんどうを見てくださったのです。「ちゃんとした病院でみてもらいましょう」と、仕事場から病院まで付き添っていただきました。温かいはげましの真心は忘れられません。今でも感謝の題目を送っています。
ナイチンゲールも、かん者さんを安心させ、勇気づける、すばらしい人柄の持ち主でした。
ナイチンゲールの時代の病院は、今からは想像できないくらい、あちこちよごれていて、いやなにおいのする場所でした。病人の世話は、だれもやりたがらない仕事でした。
ナイチンゲールは、そのような時に、自分から進んで看護に取り組みました。そして、看護師という仕事を、だれからも尊敬される仕事に変えていったのです。
どうして、そんなことができたのでしょうか?
「人が喜ぶことをしたら、その人も自分も楽しく元気になれる」という生き方をつらぬいたからではないかと、私は思います。
ナイチンゲールの家は裕福な家庭でした。お母さんはやさしい人で、よく、同じ村のこまっている人に食べ物を届けてあげたり、病気の人のおみまいに行ったりしていたようです。おさないナイチンゲールも、母を見習って、近所にいる病人のお世話をすることがありました。「ぐあいは、いかがですか?」と声をかけ、薬を飲むのを手伝ってあげたのです。
そんなナイチンゲール自身がかぜをひいてしまい、何日も高い熱にうなされた時は、日ごろの彼女の助けに感謝していた、たくさんの人たちが、村じゅうから、おみまいに来てくれたといいます。
こうして、ナイチンゲールは、人のためにつくすことに喜びを感じるようになり、「看護師」を、自分の一生涯の仕事にしようと思い始めました。
しかし、じっさいに彼女が看護の仕事を始めることができたのは、30歳を過ぎてからでした。家族の大反対にあったからです。
そもそも当時は、裕福な家の女性がはたらくこと自体が"よくないこと"とされていました。ましてや、苦労の多い看護の仕事です。「看護師になりたい」と、ナイチンゲールが打ち明けると、お母さんは泣き出し、お父さんだけでなく、お姉さんまで大反対しました。
でも、彼女は決してあきらめませんでした。熱心に本を読み、看護の勉強を続けました。夢に向かって、何年も何年も努力をつみかさねたのです。
だんだん、味方をしてくれる人もふえ、お父さんの応援も勝ち取りました。そして仕事を始めると、それまでの勉強を役だて、みんながおどろくような、看護のゆき届いた最先端の病院づくりをリードしていったのです。
そんななか、イギリスと、ロシアとの間に戦争が始まりました。新聞からは、多くの兵士たちが命を落とし、けがをしていることが伝わってきます。
ナイチンゲールは立ち上がりました。彼女は自分から願い出て、だれも行きたがらない危険な地域の、あれ果てた病院に向かったのです。その深く尊い決意に、これまで反対しながらも見守ってきた、お母さんやお姉さんも心を動かされ、応援してくれるようになりました。
病院は、けがをしたり、病気になったりした兵士であふれていました。薬やベッドも満足にありません。でも、心を強くきたえてきたナイチンゲールは、断じて負けませんでした。寝る間もおしんで看病にあたりました。みんなが寝静まった夜も、ランプをもって病室を回り、苦しんでいる人がいれば、はげましていきました。
心も体も傷ついた兵士たちは、ナイチンゲールが通るのを見るだけで気持ちが休まり、よく眠れたそうです。
人々は、その姿を「ランプをもつ天使」と呼んで、感謝しました。
こうして、「人のために」がんばる看護師さんは、みなから尊敬される仕事になっていったのです。
日蓮大聖人は『人のために明かりをともせば、自分の前も明るくなる』(P1598、意味、「食物三徳御書」)と、言われています。
人が喜ぶことをすれば、自分の心も喜びでいっぱいになります。
みんなのお父さんやお母さん、また近所の学会員のみなさんも、同じ思いで、なやみがある人に会いに行き、話を聞いて一生けんめい、はげましておられます。
自分がなやみで大変であっても、それでも人のために行動します。時には、真心が理解されず、悪口を言われることもあります。でも、あきらめません。みんなで幸せになるために、ますます題目をとなえ、ますます元気になって、また行動していきます。これが、創価の生き方なのです。
その後継者である少年少女部のみなさんも、いつまでも、「人のためにという心」「人を思いやる心」を持ち続けてください。
その心には、「勝利の太陽」がのぼります。心に「勝利の太陽」がかがやけば、自分自身はもちろん、お父さんやお母さん、おじいさんやおばあさん、周りの友だち、さらには世界の人たちまで、明るく照らしていくことができます。
5月の青い空のもと、さあ、元気いっぱい自分の目標に向かって、いっしょに、がんばろうよ!
人材を見つけよう!
人材を育てよう!
わが地域から
平和と希望の大連帯を!
曾谷殿御返事 P1059
『命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候』
◇希望の明日へ
写真はあえて、その傾向性をいえば、"動"の芸術である。切迫感がある。絵画は、より"静"なる芸術といえよう。当然、優劣の問題ではない。ただ現代は"動"の時代であり、その時代性と歩調を合わせつつ、"今"を生きる人間と社会を表現するに当たって、写真は今後、いよいよ、大きな可能性を発揮すると確信している。
平1・11・26
☆希望の虹 〜世界の偉人を語る〜 第2回 看護の母 ナイチンゲール
みなさんは、「さつき晴れ」という言葉を聞いたことがあるでしょう。「さつき」とは、5月のこと。晴れわたった5月の空は、じつにさわやかです。
5月の5日は、わが創価学会の大切な大切な「後継者の日」です。みなさんが「さつき晴れ」の青空のような、かがやく心で、大きく、のびのびと成長していくことが、私の何よりの願いです。
「後継者の日」から一週間後の5月12日は、「国際ナース・デー(看護師の日)」です。これは"看護の母"として尊敬されるフローレンス・ナイチンゲールの誕生日を記念して決められたものです。
創価学会にも、看護の仕事をされている方の「白樺会」「白樺グループ」という集まりがあります。
また創価大学には、新たに「看護学部」ができて、みなさんの先輩たちが、一生けんめいに学んでいます。
こうした方々のお手本となっているのが、ナイチンゲールです。
ナイチンゲールは、今から200年ほど前の1820年、イギリス人の父母のもとに生まれました。
イタリアの花の都フィレンツェで誕生したので、その都の英語名であるフローレンスと名づけられました。
90年の生涯で、人類に、健康と幸福の花をおくり続けた、この偉大な女性のことを、きょうは、いっしょに学んでいきましょう。
みなさんも、かぜをひいたり、ケガをしたりして、看護師さんにお世話になったことがあると思います。大きらいな注射の時も、看護師さんにやさしくはげましてもらって、がまんできた経験はありませんか?
おさないころから体が強くなかった私も、そうでした。
とくに戦争中、肺結核という病気をかかえながら、無理をして鉄工所で働いていた時のことです。
ある日、体が重く苦しくて、たおれてしまいました。
その時、一人の看護師さんが、それはそれは親切に、めんどうを見てくださったのです。「ちゃんとした病院でみてもらいましょう」と、仕事場から病院まで付き添っていただきました。温かいはげましの真心は忘れられません。今でも感謝の題目を送っています。
ナイチンゲールも、かん者さんを安心させ、勇気づける、すばらしい人柄の持ち主でした。
ナイチンゲールの時代の病院は、今からは想像できないくらい、あちこちよごれていて、いやなにおいのする場所でした。病人の世話は、だれもやりたがらない仕事でした。
ナイチンゲールは、そのような時に、自分から進んで看護に取り組みました。そして、看護師という仕事を、だれからも尊敬される仕事に変えていったのです。
どうして、そんなことができたのでしょうか?
「人が喜ぶことをしたら、その人も自分も楽しく元気になれる」という生き方をつらぬいたからではないかと、私は思います。
ナイチンゲールの家は裕福な家庭でした。お母さんはやさしい人で、よく、同じ村のこまっている人に食べ物を届けてあげたり、病気の人のおみまいに行ったりしていたようです。おさないナイチンゲールも、母を見習って、近所にいる病人のお世話をすることがありました。「ぐあいは、いかがですか?」と声をかけ、薬を飲むのを手伝ってあげたのです。
そんなナイチンゲール自身がかぜをひいてしまい、何日も高い熱にうなされた時は、日ごろの彼女の助けに感謝していた、たくさんの人たちが、村じゅうから、おみまいに来てくれたといいます。
こうして、ナイチンゲールは、人のためにつくすことに喜びを感じるようになり、「看護師」を、自分の一生涯の仕事にしようと思い始めました。
しかし、じっさいに彼女が看護の仕事を始めることができたのは、30歳を過ぎてからでした。家族の大反対にあったからです。
そもそも当時は、裕福な家の女性がはたらくこと自体が"よくないこと"とされていました。ましてや、苦労の多い看護の仕事です。「看護師になりたい」と、ナイチンゲールが打ち明けると、お母さんは泣き出し、お父さんだけでなく、お姉さんまで大反対しました。
でも、彼女は決してあきらめませんでした。熱心に本を読み、看護の勉強を続けました。夢に向かって、何年も何年も努力をつみかさねたのです。
だんだん、味方をしてくれる人もふえ、お父さんの応援も勝ち取りました。そして仕事を始めると、それまでの勉強を役だて、みんながおどろくような、看護のゆき届いた最先端の病院づくりをリードしていったのです。
そんななか、イギリスと、ロシアとの間に戦争が始まりました。新聞からは、多くの兵士たちが命を落とし、けがをしていることが伝わってきます。
ナイチンゲールは立ち上がりました。彼女は自分から願い出て、だれも行きたがらない危険な地域の、あれ果てた病院に向かったのです。その深く尊い決意に、これまで反対しながらも見守ってきた、お母さんやお姉さんも心を動かされ、応援してくれるようになりました。
病院は、けがをしたり、病気になったりした兵士であふれていました。薬やベッドも満足にありません。でも、心を強くきたえてきたナイチンゲールは、断じて負けませんでした。寝る間もおしんで看病にあたりました。みんなが寝静まった夜も、ランプをもって病室を回り、苦しんでいる人がいれば、はげましていきました。
心も体も傷ついた兵士たちは、ナイチンゲールが通るのを見るだけで気持ちが休まり、よく眠れたそうです。
人々は、その姿を「ランプをもつ天使」と呼んで、感謝しました。
こうして、「人のために」がんばる看護師さんは、みなから尊敬される仕事になっていったのです。
日蓮大聖人は『人のために明かりをともせば、自分の前も明るくなる』(P1598、意味、「食物三徳御書」)と、言われています。
人が喜ぶことをすれば、自分の心も喜びでいっぱいになります。
みんなのお父さんやお母さん、また近所の学会員のみなさんも、同じ思いで、なやみがある人に会いに行き、話を聞いて一生けんめい、はげましておられます。
自分がなやみで大変であっても、それでも人のために行動します。時には、真心が理解されず、悪口を言われることもあります。でも、あきらめません。みんなで幸せになるために、ますます題目をとなえ、ますます元気になって、また行動していきます。これが、創価の生き方なのです。
その後継者である少年少女部のみなさんも、いつまでも、「人のためにという心」「人を思いやる心」を持ち続けてください。
その心には、「勝利の太陽」がのぼります。心に「勝利の太陽」がかがやけば、自分自身はもちろん、お父さんやお母さん、おじいさんやおばあさん、周りの友だち、さらには世界の人たちまで、明るく照らしていくことができます。
5月の青い空のもと、さあ、元気いっぱい自分の目標に向かって、いっしょに、がんばろうよ!
2014年5月2日金曜日
2014.05.02 わが友に贈る
誰が見ていなくとも
愚直な信心を貫く人が
尊き福徳の長者に!
三世に輝く「心の財」を
積みゆく日々たれ!
生死一大事血脈抄 P1338
『過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』
◇希望の明日へ
ある瞬間の生命に、永遠が凝結している。その人の人間性、過去と未来、宿命、人生のドラマなどの実相が、鮮やかに映し出されている。写真とは、その永遠なる瞬間をとらえ、表現する芸術ではないだろうか。その意味で、写真家は、単なる記録者ではない。何より、人間性の真撃な追究者である。
平1・11・26
☆大白蓮華 巻頭言 2014年5月「創価の世雄よ 信心で勝て!」
「鉄の意志を持つかぎり、逆境も好機へと転じることができる」
これは、アフリカの人権の岩窟王マンデラ元大統領が、弾圧の獄中から愛娘へ送られた手紙の一節である。この揺るがぬ不屈の信念から、万人を包み、励まさずにはおかない笑顔が生まれたに違いない。
わが尊き同志たちも、厳しき現実の社会にあって、千差万別の逆境と戦っている。
身を切られるような窮地もあろう。一時は負けたように見えて、悔しさに血涙をしぼる時もある。
しかし、仏の異名は「世雄」。すなわち、社会で絶対に勝利しゆく大英雄である。この仏の大法を持った我らには、乗り越えられない苦難はないのだ。
日蓮大聖人の御在世も、門下たちには、讒言による所領の没収や勘当など、社会的、経済的な危機に及ぶ圧迫が打ち続いた。
けれども、皆が「なげきたるけしきなくて(嘆いた様子を見せないで)」(P1163、「四条金吾殿御返事」)、また「すこしも・ひるむ事なかれ」(P1090、「兵衛志殿御返事」)等々の御聖訓を胸に、断固として勝利の実証を示していったのである。
師・戸田城聖先生の事業を支えて、私も何度となく「これで万策尽きたか」という局面に立たされた。そのどん底からが、真の信心の戦いの始まりである。師子奮迅の力を奮い起こして、師をお守りし抜いた。
我らには、一切を踏みこたえ、断固として活路を切り開いていける「法華経の兵法」があるのだ。
「大悪をこれば大善きたる」(P1300、「大悪大善御書」)との御文を拝し、師は苦境の友を抱きかかえて激励された。
「妙法の力で、何百倍と変毒為薬して、大功徳を開ける時が来たんだよ!」「最後の勝利は、苦労した人間には敵わない」と。
どんな壁に突き当たっても、題目を唱え抜いて、智慧を出し、創意工夫を重ねて、粘り強く誠心誠意の努力を尽くしていくことだ。必ず必ず打開できる。
なぜ、艱難があるのか。永遠に仏になるためだ。「それでも負けなかった」「それでも耐えて勝った」と、この娑婆世界で苦闘する友に希望と勇気の光を贈るためである。ゆえに、臆さず惑わず、迎え撃つのだ。強気で悠然と、勝ち切ってみせるのだ。
草創の滋賀の夫妻は、幾度もの倒産から立ち上がり、機械一台から工場を起こした。広宣流布の闘争からも一歩も退かず、忘恩の悪侶とも戦い抜いた。
「恐れれば魔が笑う。創価の我らの底力を見よ! と、試練の方が音を上げるまで戦いました。労苦にただただ感謝です」——この偉大な父母の闘魂を、創価大学に学んだ子息が立派に受け継いでいる。
一人の勝利が職場を変える。地域を変える。
わが友の「世雄」の大生命こそ、不況にも災害にも屈しない、幸福と繁栄の社会を照らす太陽である。
さあ今日も、金剛不壊の信心で、題目の師子吼を轟かせ、人が見ようが見まいが、大誠実の行動で、悔いのない価値創造を成し遂げようではないか!
乱世にて
苦難に挑む
友ありて
希望の笑顔
社会に満つらむ
愚直な信心を貫く人が
尊き福徳の長者に!
三世に輝く「心の財」を
積みゆく日々たれ!
生死一大事血脈抄 P1338
『過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』
◇希望の明日へ
ある瞬間の生命に、永遠が凝結している。その人の人間性、過去と未来、宿命、人生のドラマなどの実相が、鮮やかに映し出されている。写真とは、その永遠なる瞬間をとらえ、表現する芸術ではないだろうか。その意味で、写真家は、単なる記録者ではない。何より、人間性の真撃な追究者である。
平1・11・26
☆大白蓮華 巻頭言 2014年5月「創価の世雄よ 信心で勝て!」
「鉄の意志を持つかぎり、逆境も好機へと転じることができる」
これは、アフリカの人権の岩窟王マンデラ元大統領が、弾圧の獄中から愛娘へ送られた手紙の一節である。この揺るがぬ不屈の信念から、万人を包み、励まさずにはおかない笑顔が生まれたに違いない。
わが尊き同志たちも、厳しき現実の社会にあって、千差万別の逆境と戦っている。
身を切られるような窮地もあろう。一時は負けたように見えて、悔しさに血涙をしぼる時もある。
しかし、仏の異名は「世雄」。すなわち、社会で絶対に勝利しゆく大英雄である。この仏の大法を持った我らには、乗り越えられない苦難はないのだ。
日蓮大聖人の御在世も、門下たちには、讒言による所領の没収や勘当など、社会的、経済的な危機に及ぶ圧迫が打ち続いた。
けれども、皆が「なげきたるけしきなくて(嘆いた様子を見せないで)」(P1163、「四条金吾殿御返事」)、また「すこしも・ひるむ事なかれ」(P1090、「兵衛志殿御返事」)等々の御聖訓を胸に、断固として勝利の実証を示していったのである。
師・戸田城聖先生の事業を支えて、私も何度となく「これで万策尽きたか」という局面に立たされた。そのどん底からが、真の信心の戦いの始まりである。師子奮迅の力を奮い起こして、師をお守りし抜いた。
我らには、一切を踏みこたえ、断固として活路を切り開いていける「法華経の兵法」があるのだ。
「大悪をこれば大善きたる」(P1300、「大悪大善御書」)との御文を拝し、師は苦境の友を抱きかかえて激励された。
「妙法の力で、何百倍と変毒為薬して、大功徳を開ける時が来たんだよ!」「最後の勝利は、苦労した人間には敵わない」と。
どんな壁に突き当たっても、題目を唱え抜いて、智慧を出し、創意工夫を重ねて、粘り強く誠心誠意の努力を尽くしていくことだ。必ず必ず打開できる。
なぜ、艱難があるのか。永遠に仏になるためだ。「それでも負けなかった」「それでも耐えて勝った」と、この娑婆世界で苦闘する友に希望と勇気の光を贈るためである。ゆえに、臆さず惑わず、迎え撃つのだ。強気で悠然と、勝ち切ってみせるのだ。
草創の滋賀の夫妻は、幾度もの倒産から立ち上がり、機械一台から工場を起こした。広宣流布の闘争からも一歩も退かず、忘恩の悪侶とも戦い抜いた。
「恐れれば魔が笑う。創価の我らの底力を見よ! と、試練の方が音を上げるまで戦いました。労苦にただただ感謝です」——この偉大な父母の闘魂を、創価大学に学んだ子息が立派に受け継いでいる。
一人の勝利が職場を変える。地域を変える。
わが友の「世雄」の大生命こそ、不況にも災害にも屈しない、幸福と繁栄の社会を照らす太陽である。
さあ今日も、金剛不壊の信心で、題目の師子吼を轟かせ、人が見ようが見まいが、大誠実の行動で、悔いのない価値創造を成し遂げようではないか!
乱世にて
苦難に挑む
友ありて
希望の笑顔
社会に満つらむ
2014年5月1日木曜日
2014.05.01 わが友に贈る
さあ今日も
新たな課題に挑もう!
仏法の核心は
無限の向上にある。
人間革命の勝利者たれ!
開目抄 P231
『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』
◇希望の明日へ
古来、芸術とは、人間の精神性のやむにやまれぬ発露であり、さまざまな具体的"形"として結晶しつつ、そこに巧まずして、一個の"全一なるもの"を表象するものであった。確かに、個々の芸術活動は、限られた空間内での営みである。しかし、芸術に参画する人々の魂には、自らの活動という回路を通じて、宇宙的生命ともいうべき"全一なるもの"とつながり、一体化せんとする希求が脈打っていた。つまり、自分というミクロな世界が、宇宙というマクロな世界と融合しつつ作り出すダイナミックな一つの命−−。そこに生きた芸術がある。
平1・6・14
◇名字の言
使わない鉄はさびやすく、よどんだ水は濁りやすい。人生も同様だろう。逆に、挑戦を忘れない人は若々しい。何より崇高な目的に向かえば、人は永遠に"青春"を生きることができる。
新緑がもえ、全ての生命が輝く季節。老いも若きも新たな心で、新たな挑戦を開始しよう。
哲人エマソンの言葉に、こうあった。「世界中で価値のあるものはただひとつ、活動的な魂です」
新たな課題に挑もう!
仏法の核心は
無限の向上にある。
人間革命の勝利者たれ!
開目抄 P231
『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』
◇希望の明日へ
古来、芸術とは、人間の精神性のやむにやまれぬ発露であり、さまざまな具体的"形"として結晶しつつ、そこに巧まずして、一個の"全一なるもの"を表象するものであった。確かに、個々の芸術活動は、限られた空間内での営みである。しかし、芸術に参画する人々の魂には、自らの活動という回路を通じて、宇宙的生命ともいうべき"全一なるもの"とつながり、一体化せんとする希求が脈打っていた。つまり、自分というミクロな世界が、宇宙というマクロな世界と融合しつつ作り出すダイナミックな一つの命−−。そこに生きた芸術がある。
平1・6・14
◇名字の言
使わない鉄はさびやすく、よどんだ水は濁りやすい。人生も同様だろう。逆に、挑戦を忘れない人は若々しい。何より崇高な目的に向かえば、人は永遠に"青春"を生きることができる。
新緑がもえ、全ての生命が輝く季節。老いも若きも新たな心で、新たな挑戦を開始しよう。
哲人エマソンの言葉に、こうあった。「世界中で価値のあるものはただひとつ、活動的な魂です」
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