若き友の成長こそ
未来の希望なり!
壮年部と婦人部の
祈りと励ましで
人材の流れを大河に!
新池殿御消息 P1437
『諸経は随他意なり仏一切衆生の心に随ひ給ふ故に、法華経は随自意なり一切衆生を仏の心に随へたり、諸経は仏説なれども是を信ずれば衆生の心にて永く仏にならず、法華経は仏説なり仏智なり一字一点も是を深く信ずれば我が身即仏となる』
◇希望の明日へ
核兵器やそのシステムが、人間の手で作り上げられたものであるかぎり、人間の手によって、それを縮小し廃絶することができないはずはない。もし手をこまねいているとすれば、創価学会は後世から、夢を迫ってばかりいた"無気力者″との汚名を着せられてしまうであろう。それどころか、その後世の存在すら危うくしかねないのが、現在の核兵器による"全体的破滅″の脅威である。
昭60・1・26
☆光の言葉 幸福の曲 意気に燃えてこそ「壮年」
壮年の「壮」の字には、
「勢いが盛ん」
「意気に燃えている」
等の意味があり、
ほかにも「元気づける」
という意がある。
自分だけでなく、
周囲を励ます力を持つのが、
「壮年」とはいえまいか。
青年にあれこれ言うのではなく、
率先して模範の姿を示していこう。
大事なのは「今」である。
壮年が立ち上がるのだ。
仏法は勝負だ。
断じて勝たねばならない。
その偉大な父の背に、
青年が陸続と続くのだ。
人間同士の交流が希薄な現代だ。
だからこそ今は、
いぶし銀のように
"黙して語らず"よりも、
気さくな「おじさん」の
励ましの一言の方が、
金の光を放つ。
壮年は皆、
それぞれ風雪に鍛えられた
顔を持っている。
だが、そこに醸し出される威厳と
"威張る"ことは違う。
気難しくなったり
気取ったりせず、
周囲に心を配り、声を掛け、
何か手を差し伸べていくことだ。
ご主人が朗らかで、
毎日愉快な気持ちであれば、
家族も楽しく安心する。
笑顔と思いやりの一言があれば、
奥様の方でも態度は変わる。
お互いに、
温かな笑顔で朗らかに、
毎日を生きていただきたい。
カーネーションが彩る「母の日」に比べると地味であるが、今日6月15日は「父の日」である。
全国で今、婦人部の希望総会が真っ盛り、だが、多忙な中でも、わずかの時間でいい。社会と地域で踏ん張る壮年陣に、家族と同志から、ねぎらいの言葉を掛けたい。