2014年6月23日月曜日

2014.06.22 わが友に贈る

妙法を語る人にも
聞く人にも
偉大な功徳が!
大確信の祈りで
下種仏法の実践を!

佐渡御書 P956
『此文は富木殿のかた三郎左衛門殿大蔵たうのつじ十郎入道殿等さじきの尼御前一一に見させ給べき人人の御中へなり、京鎌倉に軍に死る人人を書付てたび候へ』

◇希望の明日へ
東西の冷戦状態に終止符が打たれた今、もはや仮想敵国は存在しなくなったという意味で、エネミーレス(敵・敵性対象の消滅)という言葉がしきりに使われるようになった。しかし、核兵器という最大の脅威は依然として残っており、地球環境の破壊や貧困といった問題から派生するさまざまな人道上の脅威は、少しも軽減されていない。まさに国益にとらわれず人類益というグローバルな視座から、解決の方途を求めねばならない正念場の時を迎えている。
平2・8・20

☆大白蓮華巻頭言昭和31年2月号 「自らの命に生きよ」
人々の生活を見るときに、失敗の責任が、自分には無くて他人にあるようにいう人がある。十界互具、一念三千を説く大仏法を信ずるわれわれは、日常の生活の責任が、ことごとく自分にあるということを知らなくてはならない。

貧乏して悩むのも、事業に失敗して苦しむのも、夫婦喧嘩をして悲哀を味合うのも、それは皆自己自身の生活である。
すなわち、自己自身の生命現象の発露である。
かく考えるならば、いっさいの人生生活は、自己の生命の変化である。
ゆえに、よりよく変化して、絶えず幸福をつかんでいくことが大事ではないか。
されば、自己自身に生きよ・・いや、自己自身に生きる以外にはないのだ、ということを知らなければならない。
あの人が、こうしてくれればよいのだとか、この世の中がこうであればしあわせなのだといって、他人に生き、対境に生きるということは間違いではないか。
しかし、人間の力というものは弱いものである。
自己自身に生きていると、いかに力んでみても、他人に支配され、対境に支配されやすいものである。
されば、いかに観念的に、自己自身、自ら生きていると力んでみても、それで、幸福であると言えない場合が多い。そこで、自己自身の生命が、もっとも強く、もっとも輝かしく、もっとも幸福であるためには、十界互具、一念三千の仏法に生きる以外はないと、吾人は信ずるものである。

これこそ、七百年前に、日蓮大聖人が、大宇宙に呼号なされた大哲理である。
われらを、幼稚なる者と呼んで、一念三千の珠を授けて、幸福境涯を獲得せしめるとおおせられたのは、このゆえで、その一念三千の珠とは、弘安二年十月十二日ご図顕の大御本尊であらせられる。
されば、末代幼稚の輩は、この大御本尊を信じまいらせて、強くりっぱに自己自身に生きようではないか。