苦難の時には
「挑戦の唱題」!
順風の時にも
「感謝の唱題」を!
たゆまぬ信心を貫け!
陰徳陽報御書 P1178
『わどのの正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじやうにしてすれんをすすればかかるりしやうにもあづからせ給うぞかし此は物のはしなり大果報は又来るべしとおぼしめせ』
◇希望の明日へ
平和のための協力は、政治、経済、文化、教育といった次元で当然、必要と思うが、その一方で、宗教が、いかに自律の人間を数多く輩出し得るか−−それは平和構築へ資するところ極めて大である。
平2・1・26
☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第3回 ブラジルの花
幾多の苦難を乗り越え、人のために戦い続けたアタイデ総裁は、何ものにも揺るがぬ巌のような、信念の方でした。それとともに、破顔一笑、笑顔が素敵な方でもありました。青年と語り合うことをこよなく愛した総裁の一言一言は、強き楽観主義に貫かれ、ユーモアにあふれていたのです。
アタイデ総裁は、「どんな悪状況でも、未来を信ずることだ」と常に語っていました。
あまりにも大きな困難を前にして、未来なんか信じられない、という時があるかもしれない。
しかし、絶対にあきらめてはいけない。そんな時こそ、題目を唱えて、自分で自分を励ますのです。自分にしかない使命を信じ、未来を信じ抜くのです。
その人が苦悩の暗雲を吹き払い、心に太陽を燦々と輝かせ、周囲を照らすことができる。その君たち、あなたたちの「信じる力」が、全人類の希望の光となるのです。
ブラジルの作家で、文学アカデミーの会員でもある巨匠パウロ・コエーリョは言います。
「一つだけ忘れないで欲しい。あなた方はみんな、自分で思っているよりも、ずっとすばらしいということを」
たとえ、君たちが自分自身を信じられなくとも、私は君たちを信じています。皆さんには、お父さん、お母さん、そして創価家族の同志が、ついています。だから、あせらず、堂々と、悩みを笑い飛ばしながら、進んでいこう!
私がブラジルを初めて訪れたのは1960年10月。初の海外への平和旅の折でした。2回目は、66年。74年にも訪れようとしましたが、当時、ブラジルは軍事政権下であったため、入国のビザ(査証)が発給されず、断念せざるをえませんでした。
ブラジルSGIの草創の友は、事実無根の誹謗や中傷の嵐の中、歯を食いしばり、社会に貢献し、一人また一人、信頼と幸福の連帯を広げてきました。
「ムイト・マイス・ダイモク!(もっと題目を!)」を合言葉に、日本の約23倍という大地のすみずみにまで、妙法という平和と幸福の種子を蒔いていきました。
84年、ついに18年ぶりの訪問が実現しました。「ブラジル大文化祭」の会場で轟いた、「ピケ! ピケ!」との2万人の王者の勝ちどきは、今も私の耳の奥から離れることはありません。
私は、「戸田城聖先生とともに」との思いで、毎回、この国を訪れました。4度目の訪問は、93年2月から3月にかけてです。
戸田先生の生誕目にあたる2月11日には、リオの地で、小説『人間革命』の全12巻完結の「あとがき」を次のように記しました。
「私のなすべきことは、恩師に代わって、『世界の平和』と『人類の幸福』のために戦い、生き抜き、この世の使命を果たしゆくことと思っている。それが、弟子としての報恩の道であり、先生が開き示された人間革命の道であるからだ」
師弟の誓願に生き抜く時、いかなる烈風も恐れずに、朗らかに前進する勇気が、心の底から湧き上がってきます。
その精神を今、王者ブラジルの若き友が受け継いでくれていることを、私は何よりもうれしく思います。
ブラジルのベリッシモという作家は、「世界は広い。僕たちが見るべき、やるべき価値のあるものが世界には、溢れ返っているんだよ」と呼びかけました。
その通りです。
皆さんは、心広々と世界から学びに学び、語学の力も楽しく身につけていってください。そして、ブラジルをはじめ、世界に友情の花を咲かせ、平和のスクラムを広げていただきたいのです。
この地球という星を、真実の友人が、たくさんいる、皆さんの「ふるさと」として!