2014年5月21日水曜日

2014.05.21 わが友に贈る

自分らしく
輝くための信仰だ。
祈り、行動する中で
わが心を磨きゆけ!
栄光の劇の主役たれ!

御義口伝巻上 P716
『我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり』

◇希望の明日へ
文学のなかには、政治がある。社会がある。苦悩があり、希望への歌があり、心の宇宙がある。人間の実相を照らさんとする魂の光がある。ゆえに恩師戸田先生は、つねに青年に「世界の大文学を読め」と厳しかった。逝去の寸前まで「大作。今、何を読んでいるのか」と問われた。今、青年たちに同じ期待を寄せている。
平2・7・31

☆「生命(いのち)の光 母の歌」 最終章 未来へ喜びの交響曲を(上)
サイフェルト博士 この語らいに、読者の皆さんから寄せられた、たくさんの反響を伺いました。本当にうれしいです!
以前に池田会長が紹介された、目の見えないご両親を支える(中学生の)お嬢さんからも手紙を頂戴し、涙する思いで拝見しました。自分もそうでしたから、彼女がどれほど苦労してきたか、よく分かります。そして、ご両親からたくさんの愛情を受けて育ってこられたことも、よく分かります。
彼女のように、人一倍、苦労をしている若者には励ましが必要です。温かく励ましていけばいくほど、その人は大きく人生を開いていくことができるのです。

池田SGI会長 博士はすぐに返事を書かれ、激励してくださいました。その真心とスピードに、博士から手紙を預かったSGIの婦人部のリーダーが深い感銘を受けておりました。
人一倍苦労しているといえば、今の季節、私が心から声援を送りたいのが、新たな職場や学校で奮闘する皆さんです。
ちょうど日本は4月に新年度が始まったばかりで、彼らの凜々(りり)しい挑戦の姿が光っているのです。
私も、大切なフレッシュマンたちに「清々(すがすが)しい挨拶を!」「朝に勝とう!」「愚痴をこぼさず前へ!」の3点の指針を贈ったことがあります。
実はこの時期、日本では「五月病」という言葉を、よく耳にします。新入生や新入社員の中には、新しい環境になじめず、勉強が手につかなくなったり、落ち込んだりしてしまうケースがあるのです。
大学卒業者の場合、昨年の調査では、就職しても3年以内に離職する人が3割を超えました。社会全体で取り組まねばならない課題になっています。

サイフェルト 職場の居心地が悪かったり、合わなかったりということもあるでしょう。しかし本来、働くこと自体が大切なのです。仕事に就くことが難しい場合もあります。

池田 いずこの職場であれ、就職の際に抱(いだ)いていた理想と現実の間に大なり小なりギャップがあります。そこをどう受けとめていくか。これは時代を超え、国を超えて、共通する青年の課題でしょう。
私の恩師・戸田城聖先生は、仕事について悩む青年に信仰の実践の大切さを教えるとともに、先師の牧口常三郎先生が提唱した「美」「利」「善」の価値論を通して、次のように励まされていました。
──職業は、「自分が好き(美の価値)であり、得(利の価値)であり、社会に貢献できる(善の価値である)仕事」に就くのが理想だが、現実はそうはいかない。だからこそ青年らしく、へこたれずに、まず今の職場で、"なくてはならない人"になるよう全力で努力することだ。そうすれば最後には、自分にとって「好きであり、得であり、社会に大きな善をもたらす仕事」に到達できる。途中で重ねた苦労は全部貴重な財産になるよ──と。
誰にも、自分にしかない使命がある。しかし、その使命は「いつか」「誰か」が教えてくれるわけではありません。特に若い時は「学びの時代」「鍛えの時代」と捉えて挑戦していくことです。
もちろん、職場等での理不尽な待遇などに黙って我慢しろという意味ではありません。自分一人で抱えず、しかるべき人に相談していくことが大事です。
スイスの思想家ヒルティは"仕事の上手な仕方"のポイントの一つに、「思いきってやり始めること」を挙げていました。〈草間平作訳『幸福論 第1部』〉
私の体験の上からも、そう思います。

サイフェルト その通りですね。働くことに関連して、私には息子がいるのですが、まだ主人が健在だったころ、大学を無事卒業して喜んでいた息子に「何か私たちが手助けできることはない?」「これから何がしたい?」と聞いたことがあります。すると、「まあ、本当のところ、まずは世界を見て回りたいなあ」なんて言ったのです!(笑い)
当然、そんな考えには同調できませんでした。

池田 ご子息が今、立派に成長され、貴国で社会貢献の職務に就いておられることは、よく伺っております。

サイフェルト 私は常に仕事に責任を持ち、自分の力で人生を切り開くことを第一義に考えてきました。人が何らかの地位を得て、他の人々のために貢献できるということは、本来、神からの恵みであり、天与のたまものなのです。
人は、自分自身に対する責任について免責されるべきではないと思います。なぜなら、それこそが生きる意味そのものだからです。人は張り合いや責任感がなくなると、自分自身の存在自体に疑問を持つようになっていきます。ですから、子どもたちには、より早い時期から人生の厳しさや本来の生きる意義を理解させることが大切だと思います。
それがいかに重要かということは、私自身の経験からも言えます。子どもや青少年を教育するということは、若い人たちに「生死(しょうじ)」や「自身の環境や他者に対して負うべき責任」に関して考えるチャンスを与えるということなのです。
困難は全て、克服するためにあるのです。私自身、さまざまな苦労を重ねてきましたが、自分が今まで歩んだ人生を取り換えようとは思いません。この人生が一番いいと思っています。

池田 自分の人生に悔いはない。一番良かった──そう言い切れることこそ、大勝利の人生の証しでしょう。
かつて対談した日本の実業家・松下幸之助氏(松下電器産業〈現・パナソニック〉創業者)は「若い時の苦労は、買ってでもせにゃ、あきまへんな」と語っておられました。松下氏ご自身が小学校を中退して働き、大変な苦労をして事業を起こし、世界的に発展させていかれた方でした。"経営の神様"と仰がれてきました。
人生は、働き、苦労すること自体に大きな価値がある。たとえ財産があっても、楽をし、遊んでばかりの人生では、退屈で空虚なものになってしまう。それではかえって不幸です。
また、博士のご家族がそうであったように、親は子に、折に触れて、人生の苦難と戦った自身の体験や信念を伝えていくことが大切ですね。それは特に、子どもたちが社会に出るに当たって、何よりの"心の宝"の贈り物となるでしょう。
私の恩師は「艱難汝を玉にす」という言葉がお好きでした。
私は21歳の時から恩師の会社で働きましたが、師はあえて一番大変なところ、一番苦労するところに私を就かせました。後になって、その意味がよく分かりました。本当にありがたい師でした。

サイフェルト 子どもたちには「仕事があることは幸福なのだ」と教えていくべきなのです。
確かに、今日のヨーロッパを見れば、残念ながら、博士号まで取っでも、勤め先の無い学術者があふれかえっており、困難な時代です。
子どもたちが親に対し、自分たちの境遇が親に比べて、ずっと悪いと訴えるケースも増えているようです。"確かに最初は何もないところから始めたかもしれないけれど、今はいい暮らしをしているじゃないか""それに比べて、子ども世代は何不自由ない生活から突然、困難な状況に置かれてしまっている!"とさえ言うのです。
なぜこのような見方をするのか、背景を探る必要があると思われます。

池田 今、若い世代を取り巻く雇用環境は、実に厳しい。
国際労働機関(ILO)によれば、2013年は、世界全体の失業者が初めて2億人を超えて2億200万人(失業率は6%)に達しました。中でも若者の失業率は全体の2倍以上の13%を超え、世界全体で約7450万人の25歳未満の若者が失業中と言います。また、1日に1.25ドル以下で暮らさざるを得ない労働者(ワーキングプア)は、改善されつつあるものの、3億7500万人にものぼると推定されています。
多くの若者が、定職がない、低賃金、劣悪な職場環境、不安定な雇用形態、男女間の待遇の格差などで苦しんでいます。
私は今年の「SGIの日」記念提言でも、国連の新しい国際共通目標として「青年」という分野も含めることを訴えました。
そして、�「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)の確保に各国が全力を挙げること�社会が直面する問題を解決するプロセスに「青年の積極的な参加」を図ること�国境を超えた友情と行動の連帯を育む青年交流を拡大すること──を目標に設定するよう提案しました。
青年が、自分らしく、自らの夢に向かって力を発揮していける社会の基盤をつくらなければなりません。

サイフェルト 素晴らしい提案です。
もう一つ、若者が自分らしく力を発揮するという点で、聖書には「隣人を自分と分け隔てなく愛せよ」とありますが、実のところ自分自身を愛することは非常に難しく、それは多くの人が抱えている問題でもあると思います。
大切なのは、自己の価値を認め、自分を好きになり、少なくとも自らを受け入れることではないでしょうか。そうすることから、希望が生まれます。そうすれば、ちょっとしたことで簡単に傷ついてしまうような脆(もろ)さはなくなると思うです。
私自身、非常にそのことで悩んでは闘ってきました。時には心を強くして、精神的暴力から身を守らなければならないこともありました。その際、同じような考えを持つパートナーが身近にいれば緩和されるでしょうが、独り身だったら少なくとも良き友人が必要です。これは自己の限界を破っていくために通らなければならない道です。私自身もそうでした。

池田 私の恩師は、青年に「自分自身に生きよ」と言われました。
自分の中には尊極なる"仏の生命"がある。幸福の源泉がある。そう説いたのが仏法です。
運命と戦い、人生を切り開いていくのも自分です。そう決めて、自分らしく生き抜く人は、いかなる毀誉褒貶(きよほうへん)にも惑わされません。全ての縁を生かしていくことができます。
今、お話があったように、青春時代は"良き友"の存在が大切です。
仏法でも「"蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)"との交わりで、蓬(よもぎ)のように曲がっていた心が感化を受け、麻のように真っすぐ素直になる」との譬(たと)えが記されています。
良き友との交流を通し、人はより良い人生の道を進むことができる。自分では気づかない自分の長所や強さを発見でき、自他共に輝いて生きていくことができる。良き友人を持った人生は幸福です。