2014年5月13日火曜日

2014.05.13 わが友に贈る

「わが地区を
日本一の人材城に!」
強き祈りこそ発展の力。
皆で心を合わせ
新たな地涌の連帯を!

辧殿尼御前御書 P1224
『第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』

◇希望の明日へ
知識を得るためだけではない、魂を養う読書は生涯の宝である。血肉となった教養には、単なる断片的な知識の集まりはかなわない。
『主婦の友』昭64・1月号

☆忘れ得ぬ旅太陽の心で第26回 ブルガリア
◇未来の生命に文化の光を
バラの花
 幸と香れや
  母子して

風が爽やかに香る皐月です。
5月には「こどもの日」と「母の日」があります。子の健やかな成長を願う母の慈愛と、母の健康長寿を祈る子の感謝とが温かく響き合う"母子の月"です。
この季節を、百花繚乱の花々が嬉しげに彩ってくれます。なかでも、"花の女王"として、ひときわ優雅な気品をたたえているのが、バラではないでしょうか。
バラは、一輪そこにあるだけで、部屋の佇まいを一変させる不思議な品格を持っています。
かつて私は、草の根の文化運動に奔走する健気な友に、一句を贈ったことがあります。
「牛乳瓶 バラ一本 さしにけり」と。
どんな場所でも、また、たとえ一人きりでも、一輪のバラのように凛と咲き誇って、周囲を明るく照らしていける。そこに真の人格の力があり、文化の力があると讃嘆したかったからです。

東欧のブルガリアは、その名も「バラの国」と称されます。もちろん、国の花もバラです。
私の胸中には、ブルガリアの美しい歓迎の歌が蘇ります。
「今日のこの素晴らしき日に どうぞ 一輪のブルガリアのバラを受け取ってください/そのバラに かぐわしい調べで/この山々を この海を そして私たち皆のことを あなたに語らせてください」と。
ブルガリアでは、世界で消費されるバラの香油(香水の原料)の約7割が生産されていると聞きました。
二つの山脈(バルカンとスレドナ・ゴラ)に囲まれた地域には、じつに約120キロにもわたってバラが栽培されている「バラの谷」が続いています。
この「バラの谷」に、武器を製造する拠点がおかれた時代もありました。しかし今では、とくに5月、6月、世界から人々が集う、香り豊かな"平和の花園"となっています。
それは、バラが武器に勝ち、文化が野蛮に打ち勝った象徴と言ってよいでしょう。
遠くからブルガリアの友が来日する際は、私も友情と平和の心をバラに託して歓迎しています。
ブルガリアと交流の深い広島県の「福山ばら祭」では、私と妻の信頼する青年たちが、凛々しい楽器演奏のパレードで、地域に貢献してくれています。

混迷の
 世にも 気高き
  バラの花
 平和の香りよ
  友誼の光よ

私が空路、白銀の雪が残るバルカンの山々を越えて、首都ソフィアに第一歩を印したのは、ブルガリア建国1300年(1981年)の佳節でした。
「美しきわが森よ 青春の香りがする」と民謡で歌われる通りの「森の都」です。彼方に仰ぐヴィトシャ山の連峰は壮麗でした。
到着した当初から、お会いした各界のリーダーの方々が強調されていたことがあります。
それは、ブルガリアは平和を愛する国であり、文化を重んずる国である。軍事の同盟には恒久性はなく、文化の同盟こそ重要なのである、ということです。
国土や軍事力、経済力の大きさよりも、人間の精神の大きさ、豊かさ、美しさ、絆を大切にされていたのです。
聡明な女性リーダーであるリュドミラ・ジフコヴァ文化大臣は毅然と語られました。
——世界は、これ以上、戦争の恐怖のもとで生きるべきではありません。子どもたちが、この世で一番大切な「お母さん」と「自由」という言葉を書けるようになる前に亡くなることがあってはなりません、と。
母と子が笑顔で暮らせる社会こそ、真に平和な世界と言えましょう。

シルクロードの東西を結ぶ「文明の十字路」ブルガリアでは、古代ローマ帝国、東方キリスト教を基盤としたビザンチン帝国、ブルガリア帝国、イスラムを根幹としたオスマン帝国など、激動の攻防の歴史が繰り返されるなかで、人々が苦難を乗り越え、豊饒なる文化を創造してきました。その文化の多彩さは、華やかなブルガリアの民族衣装を思わせます。
首都「ソフィア」の名は「知恵」という意味です。
ブルガリアの知恵は、困難の歴史を生き抜きながら育んできた珠玉の知恵であり、決して行き詰らない知恵でありましょう。
さらに、ソフィア市の紋章には「成長するが老いはしない」と刻まれています。
私は、試練に屈しないブルガリアの大地から、必ずや21世紀を潤す平和と共生の知恵が湧き出ずることを祈りつつ、お招きいただいたソフィア大学で「東西融合の緑野を求めて」と題する講演を行いました。

美しき
 生命の歌声
  こだまして
 平和の夜明けを
  心に開けり

ブルガリアが世界に誇る文化に、「合唱」があります。約3,600もの合唱団があり、とりわけ子どもたちの合唱団が多いと伺ったことがあります。
ブルガリアとの交流の折々に、少年少女たちは友好の合唱を披露してくれました。
「ヴィトシャの山から友情の翼をつけて空高く、世界へ飛んでいきましょう」との清らかな天の歌声も忘れられません。
日本の歌「赤とんぼ」「木曽節」「草津節」を見事に歌い上げてくれた真心にも感銘しました。
私がソフィアに続いて訪問した世界最古の町の一つとされる「古城の都」プロブディフでも、地元の少年合唱団が、ブルガリア語と日本語、ロシア語の歌で迎えてくれました。
この国の村々では、たくさんの女性が民謡を愛し、3人以上集まれば、その場で合唱が始まると言われます。
ある時は食卓で賑やかに、ある時は農作業の場で力強く、ある時は赤子の揺籃の傍らで優しく、生活の舞台で歌われ続けてきた民謡は、7万曲にもおよぶというのです。
多彩なブルガリア民謡のなかで、ゆったりとした曲からは、「ヤヴァシ、ヤヴァシ(ゆっくり、ゆっくり)」と一歩また一歩、足元から幸福を築きゆく姿も連想されます。
地声による迫力ある歌も特徴的です。そこには、ブルガリアのシンボルである獅子のごとく、何ものにも負けない勇気の響きを感じます。
声は命。歌は心です。苦しい時も、くよくよしている時も、声高らかに歌えば、生命の奥底から活力が湧き、悩みを吹き飛ばしてくれます。
歌のあるところ、明るい前進の息吹があり、歌のあるところ、豊かな心が満ち溢れます。
約500年にもわたる、外国の残酷な支配に屈しなかったブルガリアの民衆の強さを支えたのも、歌うことであり、合唱であったのです。
そして、ぶつかり合うような異なる音さえ結び、深いハーモニーを創り出す合唱は、平和の象徴です。
私が創立した民主音楽協会では、これまでブルガリアの主要な合唱団・合唱舞踊団を8度、日本に招聘してきました。

ブルガリアの格言に「我らが戸口にも太陽は昇る」とあります。たくましい楽観主義に生きて、人々を照らす太陽は、女性です。
大文豪ヴァーゾフの小説では、戦場から息子が無事に帰ってくるのを待ちわびる母が、連行されていく敵軍の捕虜に心を痛めて差し入れをするという、胸に迫る場面があります。
「いい人たちなのに…かわいそうに、この人たちの母親は…自分の息子たちがどうしてるか知っているだろうか?」と。
戦時中、私の母も、憲兵に連行されていく敵国人の捕虜について、「かわいそうに! かわいそうに! その人のお母さんは、どんなに心配していることだろうね」と語っていたことを思い起こします。
苦難に立ち向かう「不屈の魂」と、他者を大切にする「慈愛の心」こそ、平和の文化の翼と言ってよいでありましょう。

獅子となれ
 不屈の魂
  皆が生命に

私が共に対談集を発刊した、東欧を代表する芸術史家ジュロヴァ博士のご家族も、「美しき獅子の魂」を持つ方々です。
残虐なファシズムと戦い、父君は何度も死刑宣告を受け、母君は投獄されるところを、妊娠していたために、かろうじて免れました。
戦乱で思うように学べなかった母君は、戦後、多くの子を育てながら、自らも学校に通い、織物工学技術を習得して、子どもたちに素敵な自作の服をプレゼントしてくれました。学び続ける喜び、また、生活を彩る芸術を教えてくれたのです。
父君は、人生の生き方を伝えてくれました。
第一に、試練に対して忍耐強く生きる。
第二に、チャンスの時には、大胆に行動する。
第三に、忍耐の時か、勇敢に行動に打って出る時かを、知恵で見きわめる。
そして常々、父君は「いかなる状況にあっても人間は人間である」と、最も重要な人間性の価値を教えてくれたと言います。
ジュロヴァ博士は、女性が世界で果たすべき使命とは「人間生命が持つ価値と精神性を守りゆくことです」と断言されていました。だからこそ、平和のために積極的に行動する広島の女性たちの姿に驚嘆し、最大に讃えておられたのです。

生命は
 清く美しく
  人生は
   強く逞しく

ブルガリアに「生命の水」という民話があります。
遠い彼方に、飲めば歳をとらず、若返り、丈夫になる「生命の水」が湧き出ている。それを持って帰ってきた者が、王の後継者となると決まった。王の3人の息子が「生命の水」を求めて旅に出た。十字路に来ると"無事に帰れる道""帰れる可能性のある道""帰れない道"があった。末の弟は、妻や婚約者の待つ兄たちに安全な道を譲り、自分は最も困難な"帰れない道"を選んで、道中、生きとし生けるものを救いつつ進んだ。そして結局、「生命の水」を発見し、最終的に善き指導者となったのは、末の弟だった、と。
苦難の道を乗り越えて、生命の尊厳を探究し、他の生命を救い、平和を築いていく。
このブルガリアの偉大な使命の道を、私の友たちも勇敢に進んでいます。私が創立した創価大学からブルガリアに留学し、そのまま第二の祖国と決めて、社会に貢献している友もいます。皆が良き市民として、人のため、地域のために行動し、生き生きと人間共和のスクラムを広げております。
青年詩人ボテフが「分ち合おう」と叫んだごとく、共々に苦労を分かち合いながら!

朗らかに
 天まで響けや
  大合唱
 誓いの道を
  喜び悔いなく