2014年5月25日日曜日

2014.05.24 わが友に贈る

歌声あるところ
希望の前進あり!
「誓いの青年よ」を
高らかに歌いながら
創価の新時代の勝利を!

御義口伝巻下 P781
『法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり』

◇希望の明日へ
元来、戦争でもっとも犠牲を強いられるのは、つねに民衆である。決して国家の中枢にある権力者ではない。権力者は時代をたくみに泳ぎ、必ず保身をはかっていく。その構図を、ひときわ鮮烈に感じさせるのが、かの沖縄戦である。その犠牲は女性や幼い子どもにまで及んでいる。それに対し、国を戦争に導き、国民に戦闘を命じていた権力者は、どうであったか。はるか後方にあって命を永らえたのみならず、戦後も権力の座にとどまり、富や名声を享受した者は、少なくない。なんたる矛盾、なんたる非合理であろうか。権力の恐ろしさ、戦争の恐ろしさ、そして人間の恐ろしさを痛感してならない。
昭63・3・23

☆「生命の光 母の歌」 最終章 未来へ喜びの交響曲を(下)
池田SGI会長 ゲーテは高らかに歌いました。
「大いなる誠実な努力も
ただ たゆまずしずかに続けられるうちに
年がくれ 年があけ
いつの日か晴れやかに日の目を見る
芸術も同じだ また学問も
しずかに まじめに はぐくまれ
ついには永遠に模範的なものが
すべての者の財産となる」(内藤道雄訳「敬愛するフランクフルトの18人の友に」、『ゲーテ全集2』)──と。
わが創価の同志の中にも、音楽をはじめ、芸術の分野で奮闘する友が多くいます。日々、たゆまず努力を重ね、使命の花を爛漫と咲かせています。信仰によって自身を向上させながら、心を鍛え、技を磨き、創造の道を歩んでいます。
博士は芸術家として、常にどういうことを心掛けてこられたのでしょうか。

サイフェルト博士 芸術家は、それぞれが違った個性を持っています。
真の芸術家は、内面においても、それが画家であろうと、演奏家であろうと、何であろうと、自分に与えられた才能を、きちんと認識しているということでしょうか。そして、それは自身の芸術と真摯に向き合い、人間としても、他の人に何かを伝えていくという責任と結びついているのです。そのためには、どれだけ自分を開くことができるかも問われてきます。
私について言えば、「声」ということになります。
声は他の人と交換できないものです。技術や技量によって、人に何かを与えたり、贈ったりすることができます。それは全て心から発せられるものであり、他の人に笑顔や喜びを届け、感動を与えることが可能なのです。
本当に素晴らしいことだと思いませんか? 不思議ですね。なぜなら、それができるのは天与のものなのですから。
だから私は、コンサートの前には、自らが感じ取ったことを他の人にも伝えられるよう、力を与えてください、と祈るのです。

池田 よく分かります。
仏法の最高の経典である「法華経」には、苦悩渦巻く娑婆世界で"天の音楽"を奏でながら、人々に限りない希望と勇気を贈る「妙音菩薩」が登場します。
芸術家の使命は計り知れません。民音(民主音楽協会)の音楽事業は、世界の芸術家と手を携えて、平和と文化の交流の舞台を民衆の大地に広げ、人類の心を結んできました。

サイフェルト 私も、東欧の国境が鉄のカーテンで隔てられていた難しい状況下で、文化の交流に取り組みました。とても難しい時代でした。妥協を迫られたことも多々ありました。
ただ、交流やプロジェクト、または私のアイデアに賛同して協力してくださる方々は、いつもいました。共産主義体制における著名人の中にも、人間性を失わずにいた人たちがいましたので、その方々とは本当に素晴らしい文化的なプロジェクトを実施することができました。
しかし、私たちの支援者は、それぞれ本国の共産圏陣営で重要な地位に就いており、かなり危ない橋を渡りながら援助してくださっていたことも確かです。その方々の協力の下、大勢の芸術家、とりわけ、体制派に属さない芸術家を数年にわたって招聘することができたのです。

池田 冷戦下の厳しい状況が続く中で、今では想像もつかない困難があったことでしょう。
そうした中でも、イデオロギーや体制の違いを超え、同じ平和を願う人間として、文化の交流、芸術の交流を行ってきたこと自体が、一条の光明だったのではないでしょうか。

サイフェルト ええ。もちろん、そこには、研ぎ澄まされた感覚で、絶妙な駆け引きが必要とされました。お互い、それまでに築き上げてきた信頼の基盤があったからこそ、実現したのです。
いかなる協力・提携関係においても、一番大切なのは、それが相互の信頼や尊敬の上に成り立っていることなのです。
彼らとの数十年にわたるお付き合いの中で、心に残る出会いが数多くありました。そこで知り合った芸術家は"またここにお招きしたい、もう一度ここで何かしていただきたい"と思う方々ばかりでした。
彼らの一番の功績は、何といっても人々に希望を与えたことです。それはあたかも、いつもは閉ざされた世界にあって、窓が開いているかのようでした。

池田 貴重な歴史の証言です。
迂遠のようでも、国や立場を超えた人間交流、市民交流こそが平和の基盤となり、共生の未来への潮流を生み出します。これは、私自身が各地で交流を重ねる中で実感してきたことでもあります。
初めてソ連を訪問した折(1974年)、モスクワの宿舎のホテルで「鍵番」をされていた無口なご婦人との出会いを思い起こします。お会いするごとに妻の方からあいさつの声を掛けて、親しくなりました。
「私たちの訪問は平和のためです」と語ると、彼女はポツリと言いました。
「私の夫も戦争で死んだのです」と。平和を願う心が響き合う語らいとなりました。
いずこの国であっても、人間には「生老病死」の現実があります。病気の苦しみ、生活の苦労、愛する家族との死別──人間に光を当ててみれば、誰しも何らかの苦悩があるものです。その次元に立って心を開けば、必ず理解し合えます。そして対話を重ねていけば、変化が生まれます。
対話はあらゆる差異を超えて、相互理解と友情の橋を架ける──これが私の揺るがぬ確信です。

サイフェルト 本当にそう思います。私自身も、とても大切にしてきた点ですし、常に橋を架ける役割に徹してきました。橋は"架け過ぎる"ということはありませんから。
あらためて、民音の公演で訪れた日本では、素敵な経験をすることができました。聴衆も素晴らしかったです。日本の皆さんは本当にいい人たちです。
日本とヨーロッパ、オーストリアでは、人との付き合い方が全然違います。ヨーロッパでは、どちらかというと、誰かが近寄ってくるのを待っていて、仲良くなるのに時間がかかります。日本ではすぐに親しくなることができ、よく一緒に笑ったりもしました。

池田 民音について過分なお言葉をいただきましたが、民音の半世紀にわたる音楽文化運動は、一流のアーティストや識者の協力はもとより、日本各地の推進委員の方々をはじめ、多くの真心の庶民による崇高にして真剣な支援によって進められています。創立者として、感謝は尽きません。

サイフェルト それは素晴らしいことです。
「橋を架ける」ことについて、ゴットフリート・ベンの素敵な詩がありますね。"人生というものは、流れる川に橋を架けることである"
川は常に流れては涸れ、また新たに流れを作る。そこに橋を架け続けるのだ、すなわちどんな変化があっても、前途を開く努力を続けていくのだ、と。これは私にとっての処世訓といっても過言ではありません。

池田 感銘しました。
音楽は、いかなる困難な壁をも超え、世界を結ぶ──それが私たちの体験であり、実感です。決意であり、信念です。
今、私の胸には、貴国の大詩人リルケの叫びが響いております。
「光のきらめきのなかで 生き 創れ」
「立て 身を伸ばせ 光へ向って!」(田代崇人訳「光へ向って」、『リルケ全集第1巻詩集I』)
闇が深ければ深いほど、暁は近い。不安や絶望が深まるほど、平和と幸福への願望は強まります。
その時に、人々を結合させ、希望の光源となる文化の役割が、いかに大きいか。
これでいったん、対談は終わりますが、私たちの平和への戦いは続きます。
これからも、未来へ向かって、"生命の讃歌""喜びの交響曲"を奏でゆくような楽しい対話を繰り広げていきましょう!
サイフェルト博士ご一家のますますのご健勝とご活躍を、妻と共に心より祈っております。
長い間、本当にありがとうございました。

◎きょうから希望の明日へは「戦争」です