日々の訪問激励など
地道な活動の中にこそ
福徳の大輪は咲き薫る。
「陰徳あれば陽報あり」
愚直な信心の人たれ!
上野殿御返事 P1561
『とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへちりを大地にうづむとをもへ』
◇希望の明日へ
確かに国家権力そのものが、戦争などをはじめとする、「人類への悪」「人間と生命への悪」を生み出してきた。権力は、本来、人間の尊厳に奉仕するための手段にほかならない。にもかかわらず、それを目的としてしまったところに、人間の悲劇の歴史が刻まれてきたのである。この国家悪をどう克服するか。ここに、人類の長年の課題がある。そして、相互依存を強める現代の世界にとって、ますます焦点の課題になってきたといえる。
平2・10・5
☆名誉会長と共に 新時代を開く 第23回 最高峰の哲学に生きよ
時代は、世界は、揺るぎない精神の柱を求めている。
今こそ、大確信をもって、妙法の素晴らしさを語るのだ。それが折伏である。
折伏は最高の仏の仕事である。ゆえに、苦しんでやるのではなく、楽しく悠々と仏縁を結んでいくのだ。
戸田先生は言われた。
「初めから立派過ぎたのでは人々の中に入っていけないから、われわれは仏法を弘めるためにわざわざ凡夫の姿をとって生まれてきたんだよ」と。
苦労しているから、人に寄り添える。悲哀に負けないから、嘆きの友を励ませる。
悩める人を幸福にするために、自らが悩みを乗り越え、勝利の実証を!──これが広布に生きる師弟の誓願である。
われ、地涌の菩薩なり!──この偉大なる使命を自覚した人は強い。何も恐れない。
大変な時こそ御書を拝するのだ。一切は御書に明鏡のごとく示されている。
何のための一生か。幸福とは何か。どうしたら、強い自分になれるか。
人生の根本命題に、文証・理証・現証から、一つ一つ明快に答えてくれるのが、最高峰の仏法の生命哲学である。
御義口伝には『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(P788)と説かれる。
自身が本来、尊極の仏の当体なのだ。妙法を唱え広めゆく生命には「歓喜の中の大歓喜」が躍動する。
人類よ、自らの尊厳に目覚めよ!──そう仏法は教える。
仏法の光が、人間を高め、民衆を結び、世界を照らす時、崩れぬ平和が生まれる。
「行学の二道」が、試練を勝ち越える力となる。限りなき精神の宝庫の扉を開く。
わが心に、希望輝く大哲学の柱を打ち立てるのだ。