誰が見ていなくとも
愚直な信心を貫く人が
尊き福徳の長者に!
三世に輝く「心の財」を
積みゆく日々たれ!
生死一大事血脈抄 P1338
『過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』
◇希望の明日へ
ある瞬間の生命に、永遠が凝結している。その人の人間性、過去と未来、宿命、人生のドラマなどの実相が、鮮やかに映し出されている。写真とは、その永遠なる瞬間をとらえ、表現する芸術ではないだろうか。その意味で、写真家は、単なる記録者ではない。何より、人間性の真撃な追究者である。
平1・11・26
☆大白蓮華 巻頭言 2014年5月「創価の世雄よ 信心で勝て!」
「鉄の意志を持つかぎり、逆境も好機へと転じることができる」
これは、アフリカの人権の岩窟王マンデラ元大統領が、弾圧の獄中から愛娘へ送られた手紙の一節である。この揺るがぬ不屈の信念から、万人を包み、励まさずにはおかない笑顔が生まれたに違いない。
わが尊き同志たちも、厳しき現実の社会にあって、千差万別の逆境と戦っている。
身を切られるような窮地もあろう。一時は負けたように見えて、悔しさに血涙をしぼる時もある。
しかし、仏の異名は「世雄」。すなわち、社会で絶対に勝利しゆく大英雄である。この仏の大法を持った我らには、乗り越えられない苦難はないのだ。
日蓮大聖人の御在世も、門下たちには、讒言による所領の没収や勘当など、社会的、経済的な危機に及ぶ圧迫が打ち続いた。
けれども、皆が「なげきたるけしきなくて(嘆いた様子を見せないで)」(P1163、「四条金吾殿御返事」)、また「すこしも・ひるむ事なかれ」(P1090、「兵衛志殿御返事」)等々の御聖訓を胸に、断固として勝利の実証を示していったのである。
師・戸田城聖先生の事業を支えて、私も何度となく「これで万策尽きたか」という局面に立たされた。そのどん底からが、真の信心の戦いの始まりである。師子奮迅の力を奮い起こして、師をお守りし抜いた。
我らには、一切を踏みこたえ、断固として活路を切り開いていける「法華経の兵法」があるのだ。
「大悪をこれば大善きたる」(P1300、「大悪大善御書」)との御文を拝し、師は苦境の友を抱きかかえて激励された。
「妙法の力で、何百倍と変毒為薬して、大功徳を開ける時が来たんだよ!」「最後の勝利は、苦労した人間には敵わない」と。
どんな壁に突き当たっても、題目を唱え抜いて、智慧を出し、創意工夫を重ねて、粘り強く誠心誠意の努力を尽くしていくことだ。必ず必ず打開できる。
なぜ、艱難があるのか。永遠に仏になるためだ。「それでも負けなかった」「それでも耐えて勝った」と、この娑婆世界で苦闘する友に希望と勇気の光を贈るためである。ゆえに、臆さず惑わず、迎え撃つのだ。強気で悠然と、勝ち切ってみせるのだ。
草創の滋賀の夫妻は、幾度もの倒産から立ち上がり、機械一台から工場を起こした。広宣流布の闘争からも一歩も退かず、忘恩の悪侶とも戦い抜いた。
「恐れれば魔が笑う。創価の我らの底力を見よ! と、試練の方が音を上げるまで戦いました。労苦にただただ感謝です」——この偉大な父母の闘魂を、創価大学に学んだ子息が立派に受け継いでいる。
一人の勝利が職場を変える。地域を変える。
わが友の「世雄」の大生命こそ、不況にも災害にも屈しない、幸福と繁栄の社会を照らす太陽である。
さあ今日も、金剛不壊の信心で、題目の師子吼を轟かせ、人が見ようが見まいが、大誠実の行動で、悔いのない価値創造を成し遂げようではないか!
乱世にて
苦難に挑む
友ありて
希望の笑顔
社会に満つらむ