◇今週のことば
勇者は最前線に光る。
リーダー率先こそ
広布拡大の鉄則だ。
今日も誉れの同志と
尊き使命の現場を走れ!
2014年06月16日
阿仏房御書 P1304
『多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり』
◇希望の明日へ
大聖人の仏法は「立正安国」の大法である。妙法を唱える人が増えれば、その国、その社会は、根本的に、繁栄へのリズムに乗っていく。これほどの永遠的な民衆への貢献はない。
平6・4・16
☆わが町わが誇り 千葉 松戸総県 宝の人生を共に生き抜け
東京の葛飾・柴又から、江戸川を越えると千葉・松戸の矢切。「矢切の渡し」の船が、今も往来している。
松戸広布の草創期、学会の同志も、弘教や訪問激励に、この渡し船を利用したという。
松戸市は、人口48万の千葉県第3の都市。柏市などと、県北西部に一大都市圏を形成している。
ある地域の第2、第3の規模の組織を、強い「心臓部」「電源地」に育て、中心地を刺激することによって、地域全体の広布の勢いを増していく——これが池田名誉会長の"将軍学"の一つ。
神奈川であれば川崎、大阪であれば堺、兵庫であれば尼崎である。
千葉において、名誉会長が「心臓部」と呼んだのが松戸総県であった。
「松戸、市川、柏は千葉の心臓部、大きく言うならば日本の心臓部ともなっていただきたい」
1982年(昭和57年)6月9日、松戸会館を訪れ、3圏合同の勤行会で励ました。これが、松戸の永遠の指針となった。
市川市内の功労者宅を訪れた後、同日午後、松戸初訪問を果たした名誉会長。
勤行会だけでなく、その前後にも、3圏の中心者と懇談し、功労者や運営役員らを激励する手を休めることはなかった。
当日、男子部の役員として参加した木下茂太郎さん(副総県長)。
激励を終え、玄関に向かう名誉会長に駆け寄り、「ありがとうございました!」。感謝を伝えたいという、いちずな思いからの行動だった。
名誉会長は「優しくね」といって、手を差し出した。
「"優しく握手しよう"という意味だと思いました。お疲れのはずなのに、一青年のぶしつけな行動に、真心で応えてくださった。先生の手の温もり、やわらかさは忘れられません」と木下さん。
自宅は、同会館と目と鼻の先にあり、「近隣を大切に」との思いは、人一倍強い。
父の代から町会で活動し、現在は副会長。「友好を重ねてきたからでしょう。今では『夜に会館の明かりを見るとホッとする』といってくれる人もいるんです」と喜ぶ。
同じく役員として参加した熊谷敬さん(副第3総千葉長)。
長年、中華料理店や、企業の社員食堂を営んできた経験などを生かし、仕事を退いた今は、地域の行事で、豚汁作りや出店の調理を買って出る。
学会においては圏長、県長等を歴任。名誉会長から数々の激励を受けてきた感謝は尽きない。
地域の友人、同志の垣根なく、一人一人を訪ねて、声を掛け、励ます日々。「地域のため、できることは、やらせてもらおうと思っています!」
さらに、千種恵美子さん(婦人部主事)、高山安雄さん(県主事)、斎藤輝子さん(県婦人部主事)ら、当時参加した友が、今も元気で広布の最前線へ。
「長寿であってください。妙法とともに、広布とともに、学会と共に生き抜いてください」
——あの日の励ましを胸に、訪問激励、地域友好に歩いている。
「青年の鍛錬が必要です」。これも21世紀を展望しつつ、松戸で示された指針の一つだった。
総県青年部では今、第3総千葉の創価青年大会(7月)へ向けて、拡大の勢いが増している。
大会で、ダンスに出演する岡田卓也さん(地区副リーダー)は入会して6年。両親と共に梨園を営む。
松戸は「20世紀梨」が生まれた地で、梨にちなんだ地名も多い。岡田さんの所属する支部も「梨香台支部」だ。
東京で一度は就職したが、岡田さんで6代目になる家業を継ぐと決め、3年前に松戸に戻った。
後継者不足で、廃業する梨園も多い中、直売の常連客を大切にしながら、新しい栽培技術の習得にも意欲的。今年から農協青年部や消防団の活動を始めた。
売り上げを大きく伸ばした昨年には、弘教も達成。「自分が、松戸の梨の伝統を受け継いでいきたい」と意気込む。
君もまた
私も三世の
同志かな
共に宝の
人生生きなむ
名誉会長が、松戸の友に贈った励ましの歌であ。老いも若きも、師と共に、松戸広布新時代へ——友は今、6・9の「松戸の日」記念月間を喜び進んでいる。