楽しい所に人は集まる。
皆の真剣な姿に触れて
自分も!と立ち上がる。
豊かな発想で
未来部に励ましの光を!
撰時抄 P292
『正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし』
◇希望の明日へ
人間は、優れた芸術によって、人類と自然と宇宙が一体であることを感じられるようになる。人類が築き上げ、創出してきた、地球上のあらゆる芸術。それは、その時代、その民族や個人を"表現の場"としながら、それぞれの民族や個人が宇宙生命と出あい、触発され、うたいあげた「魂の歌」「生命の軌跡」の結晶である。
平4・7・31
☆NZのニュースサイト「スクープ・インデペンデント・ニュース」掲載 SGI会長のインタビュー(上)
──池田SGI会長は、2013年の「SGIの日」記念提言で「生命の尊厳」について触れておられますが、人間の本能の、どのような側面が平和に貢献し、また、どのような側面が平和を妨げると思われますか。
私は昨年の提言で、国連などで目指すべき世界像として焦点となっている「持続可能な地球社会」を建設するための方途を展望しました。
「生命の尊厳」は、その建設への挑戦を進めるにあたって、精神的基軸に据えるべきものとして提起したものに他なりません。
人間には、「家族との暮らしを大切にしたい」という感情もあれば、「強く力ある存在になりたい」という感情もあります。
一見すれば、前者が穏健的で後者が好戦的な印象がありますが、状況次第ではそれが全く逆転します。
例えば、ある集団と別の集団との対立が深刻化した時、多くの人々を最終的に暴力に駆り立ててしまうのは前者の感情の働きであり、一方で後者の感情は、ガンジーやキング博士のように憎悪や差別の渦に打ち勝つために、自身の内なる生命から "非暴力" という限りない勇気と希望を湧き出す働きともなるからです。
その意味では、人間の何らかの本能そのものが、戦争や暴力を引き起こす本質的な原因ではないと言えましょう。
実際、ユネスコ(国連教育科学文化機関)で採択された声明(1989年の「暴力についてのセビリア声明」)でも、「戦争あるいはその他の暴力行動は、私たち人間の本性のなかに遺伝的にプログラムされている──という言い方は、科学的に正しくありません」と強調されている通りです。
むしろ思想家のオルテガが、現代は「 『風潮』 の時代」であり、思想や政治など「あらゆるものの中に吹き荒れている皮相的な旋風に対して抵抗する人はほとんどいない」( 『大衆の反逆』 神吉敬三訳、筑摩書房)と警告したように、集団心理や暴力的な扇動に人々が押し流されない社会の気風を育むことが、最重要の課題となります。私は、その基盤となるのが「生命の尊厳」から発する"同苦"の精神だと考えるのです。
「愛する家族を大切にしたい」という感情が戦争や暴力の方向に押し流されないようにするには、他の集団の人々も自分と同じく「かけがえのない家族を失いたくない」と切実に願っていることに思いを馳せることが欠かせません。また、「強く力ある存在になりたい」という感情が、他の人々の生命や尊厳を脅かす方向に向かわないようにするには、「他の人々の犠牲や不幸の上に、自分の幸福を追求しない」との自戒を忘れないことが大切になります。
ゆえに私は昨年の提言で、社会で常に顧みられるべき精神性として、「他者と苦楽を共にしようとする意志」「生命の無限の可能性に対する信頼」「多様性を喜び合い、守り抜く誓い」の三つの指標を提起しました。
つまり、ここで「意志」「信頼」「誓い」との言葉を用いたように、社会の悪しき風潮に押し流されず、平和と共生の土塁を堅固に築くためには、「生命の尊厳」に根差した一人一人の揺るがない信念が重要となってくるのであり、その生き方を広げるために、私どもSGIでは、国連の推進する「平和の文化」や「人権文化」の建設に民衆レベルで取り組む活動を続けてきたのです。
──市民社会のエンパワーメント(内発的な力の開花)を目指すSGIの活動に関連して、一人一人の人間が「消極的暴力」の根絶のためにできる役割とはなんでしょうか。また、そのための行動が、社会の「レジリエンス(脅威や問題を乗り越えて社会を立て直す力)」に、どんな影響を与えることができると思われますか。
一般に暴力というと、暴行や殺人から戦争にいたるまで、何らかの力を行使して人々の生命を奪ったり、負傷させたりする行為──すなわち、「物理的暴力」の問題を想起しますが、もう一つの暴力として、その横行を決して見過ごしてはならないのが、直接的に危害を加えないまでも、差別的な言葉や抑圧的な態度などで人々の権利を脅かし、尊厳を傷つける「消極的暴力」です。
この「消極的暴力」は、それ自体、苦しみや痛みを他者に与えるばかりでなく、その横行を放置しておけば、何かのきっかけで社会が混乱した時に、より多くの人が、他の集団を排除するための「物理的暴力」に走ったり、その行為を簡単に容認してしまう状況を招く"温床"ともなりかねません。
近年、多くの国で社会問題になっているヘイト・クライム(憎悪犯罪)とヘイト・スピーチ(憎悪表現)を見ても明らかなように、この二つは、直接的な暴力か否かの区別はあっても、"憎悪に基づいて他者を意図的に傷つける"という点では同根なのです。
その関係を表したのが「憎悪のピラミッド」と呼ばれるもので、社会的分断や紛争は突然起きるのではなく、�先入観による行為�偏見による行為�差別行為�暴力行為�ジェノサイド(大量虐殺)、の5段階で問題がエスカレートし、暴力の渦が強まる中で、取り返しのつかない惨劇が引き起こされるのです。
その意味で重要なのは、「憎悪のピラミッド」の下層──つまり、問題の端緒において、そうした行為を許してはならないと、自らの行動を戒めるのみならず、周囲の人々にも働きかけることだと言えましょう。そこで思い起こされるのは、ガンジーの令孫として「非暴力の精神」の普及に努めるアルン・ガンジー氏が、私との対談で語っていた言葉です。
「 『消極的暴力』 とは、間接的で、自分でも気づかないうちに暴力に加担しているものです。他人に圧力をかける。抑えつける。差別する。強制的に何かをさせる……肉体的でないので、見過ごされてしまいがちです。祖父は、悪の行為を 『見逃す』 ことや、 『見て見ぬ振りをする』 のも、 『暴力』 の一種だと言っていました」
私ども創価学会の牧口常三郎初代会長は、第2次世界大戦中に、日本の軍部権力による思想的弾圧に対して信念の闘争を貫き、獄中で生涯を閉じましたが、その牧口会長も投獄される前年に、同様の警鐘を鳴らしていました。「不善を善と考え、悪と異なると思い、法律に触れさえしなければ不善は構わないと誤解するところに、現代の病根があり、独善主義や偽善主義が横行する所以がある」( 『牧口常三郎全集第10巻』 第三文明社、現代表記に改めた)と。
私どもSGIは、こうした牧口会長の信念の闘争を原点としながら、憎悪と暴力の渦にのみ込まれないよう、常に社会を平和と共存の方向へと向け直す力を高める努力を、民衆レベルで進めてきました。
SGIは、民族や人種の違いを超えて"一対一の対話"を進めることを通し、友情という根を社会に幾重にも深く張ることに日頃から取り組んできましたが、これはレイシズム(人種差別主義)に基づく扇動や、排他的な集団心理に人々が押し流されることを防ぐ、社会の「頑強性」を高めることにつながるものと思います。
政治や経済などで国家間の緊張が高まった時も、民衆レベルでの教育交流や文化交流に一貫して取り組み、対話と相互理解を行うためのチャンネルを断じて閉ざさないように心掛けてきました。
また、国家と国家との友好を深める取り組みは自分の世代だけで終わらせて良いものではなく、世代から世代へ友誼の心を継承し、平和共存のための教訓(知恵)を受け継いでいくことが重要と考え、青年世代の交流の拡大に努めてきました。
苦しんでいる人を支援する挑戦は、SGIに限らず、さまざまなNGOや市民団体が取り組んできたものでもあり、私たちは、志を同じくする団体や人々と協力しながら、引き続き社会の「レジリエンス」を高める民衆の連帯を広げていきたいと思います。