2014年6月26日木曜日

2014.06.26 わが友に贈る

人間外交の真髄は
誠実と迅速にあり。
打てば響く反応から
信頼の絆は生まれる。
振る舞いで勝ち光れ!

食物三徳御書 P1598
『食には三の徳あり、一には命をつぎ二にはいろをまし三には力をそう』

◇希望の明日へ
日本と韓国、日本と中国といった、"国家対国家"の見方ではなく、"世界の民衆と国家の権力"という視座も大切になってくるであろう。国家主義と人間主義、民衆主義は、どうしても相いれない。特に真の仏法者は、どこまでも民衆の側に立つ。牧口先生、戸田先生も、そのために国家権力に弾圧された。その心を継いで、"世界の民衆の連帯"を築き続けているのである。
平4・10・7

☆「なぜ信心をするか」 戸田先生の指導より
信仰というものは、修養のためとか、あるいは、気休めとかというために、するのではない。
信仰して、利益、すなわち、生活上のしあわせがなければ、やっても無駄です。

日本の国の人々がみんな困っている。
その困っている時に功徳があるから広まっていくのです。
理屈や学問で広まるのではないのです。
御利益で広まるのです。

それならどうすればいいかというと、今度は今生において、布施をし、善根を積んで、来世においてしあわせに生まれてくると、こういうふうになっている。
これが、今、仏法を信じない人は、皆、このいき方をしなければならないことになっているが、だれも善根を積む者がいないから、来世はますますひどくなるにきまっているのです。
大聖人様が、これでは、かわいそうだと、おもし召しあそばれたのです。
そこに日蓮大聖人様の仏法と、釈迦の仏法との、根本的相違があるのです。
これをわかるのは日蓮正宗だけなのです。

そこで大聖人様は、末法の衆生をかわいそうに思われて、どうなさったかといいますに、これはいかん、末法の衆生には過去世にりっぱな行いがないと。
それであるから、これを捨てておいたならば、その貧乏、あるいは病気あるいは、いろいろの不幸をそのまま背負って死ななければならない。
それでは、かわいそうだ・・・、そうおっしゃった。

この大御本尊様を受持すれば、過去世においてつくらなかった、原因をくださるという約束がある。
即座に下さるのですよ、原因を。
あとは自分の信心と、折伏によって、結果を勝ち取らなければいけない。

御本尊様のことを、縷々御説明くださっている観心本尊抄という御書のなかに「この五字を受持すれば、釈尊の因行果徳の二法を譲り与え給う」という約束がある。
この五字とは、お曼荼羅のことであります。
御本尊様のことであります。

ただ、この御本尊様は、富士大石寺しかないのです。
ほかの寺々で、どんなにうまいことを言っても、絶対に富士大石寺の御本尊様しか、功徳がないということは、この御書において明らかなのです。
ですから、あなた方が、この御本尊様を受持して、ちゃんと信心をりっぱにしまして、折伏を行じておれば、必ず、必ず、しあわせになることを、私は誓っておく。
安心して、折伏をしなさい。
功徳は必ず出ます。すなおな信心をしなさい。
必ず功徳がでます。
また、あなた方が、しあわせになるために熱心に折伏をし、信心をしていれば、
しぜんに広宣流布の時がきます。

しかし、広宣流布は、一日も早くしなければならんと、私は思っております。
仏天の加護を、国家のために、仏天の加護を願おうとするならば、一国謗法であっては、仏天の加護は無いのです。
ですから、一国謗法の罪をのがれるために、一日も早く、広宣流布をしなければならない。
さあ、そうなると、迷う人があるかもしれない。
ほかでもやっていいのではないかと。だが、ほかでは絶対だめなのです。これだけは、絶対、日蓮正宗でなけらばだめなのです。

広宣流布の暁には、大聖人様が御存生中に、広宣流布ができたならば紫宸殿へかざって、時の天皇に拝ませなさいと、予言をなさっておつくりになった、紫宸殿御本尊という御本尊様があるのです。

だから、身延には広宣流布する資格がないということが、はじめからわかっている。
ましてや、このごろできたてのニセ日蓮宗などはあるわけがない。

この、紫宸殿御本尊のある寺こそ、広宣流布をする寺なのです。
それが、この紫宸殿御本尊というのは、七百年も近く、富士大石寺に、厳然として奉持し奉っているのです。
この一事をもっても、われわれ日蓮正宗の者は、広宣流布をしなければならない責任があるということになっているのです。

だから、広宣流布だなどと、マネをしだした時に、この一事をもって、きゅっと押さえてやらなければいけない。
まあ、これだけで、あとは、あなた方が、しっかりと信心をして、功徳を受けますように。
昭和30年8月23日 蒲田支部函館地区総会