行学の二道に励み
徹して自身を磨け!
「民衆のため」を貫く
戦う知性と輝け!
弥三郎殿御返事 P1451
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』
◇希望の明日へ
不幸に屈してはならない。悪人に屈してはならない。魔とか、卑怯者は、こちらが価がれば、つけこんでくる。強く出れば逃げていく。
☆随筆 我らの勝利の大道No.56 三世の生命の旅路
そもそも「法要」という言葉は、御書には見られない。もともと、仏教に関した集会の意味や、「仏法の要」という内容で用いていた言葉である。
御書には、追善のための仏教儀礼を「仏事」と表現されている例がある。
その際、大聖人は、追善の仏事で念仏者等が法華経を誹謗すれば、結局、故人の苦も増してしまうと戒められている。法華経を根本とした追善でなければ、故人は救えないことを教えられたと拝されよう。
学会の勤行法要は、まさに大聖人の仰せ通りの追善の儀式である。そして参列する人が平等に祈願する場であり、皆が生命に刻んできた大功力を回向する場である。妙法の大功徳の音声が、力強く大宇宙に遍満しゆく壮大な会座である。
さらに学会の勤行法要では、故人の追善とともに、互いに広宣流布を決意し合う誓願の題目が唱えられている。その題目の福徳で、各人の「宿命転換」と「人間革命」がいやまして進んでいくのだ。
題目は、亡くなった方だけでなく、共に生きゆく人びとにも回向される。
御書にも引かれた、『願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん』(P1430)との法華経化城喩品の経文通りである。
私たちは、日々の勤行の際に、「世界の平和と一切衆生の幸福のために」と祈念している。その真摯な唱題は、広く世界中の人びとにも功徳を向けるものだ。我らの法要は、世界平和の祈願の場、立正安国を誓う場、そして一切衆生の幸福を願う場なのである。