2011年8月26日金曜日

2011.08.26 わが友に贈る

広布の前進は
わが「地区」から。
不惜身命の勇気を!
異体同心の団結を!
絶対勝利の執念を!

法華初心成仏抄 P557
譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ

◇希望の明日へ
仏道修行の途上には、「三障四魔」や「三類の強敵」が必ず出現する。出現しなければ、御書の通りに信心していないことになる。それらに打ち勝って成仏はある。戦いのなかに幸福は築かれる。安逸ばかり続く人生は、幸福のように見えてじつは不幸である。

▽どんな問題が起ころうと御書根本なら紛動されぬ−恩師。絶対勝利の土台
▽他人にとって価値のある人間であれ−文豪ゲーテ。周囲の信頼。それが広布の力

☆随筆 我らの勝利の大道No.56 三世の生命の旅路
学会では、さまざまな法要が執り行われている。日本の習俗を踏まえ、お彼岸には春季・秋季彼岸勤行法要もある。各地の会館で、毎月のように追善勤行法要も、厳粛に営まれている。
さらに、阪神・淡路大震災をはじめとして、各地の災害で亡くなられた方々への追善勤行法要もある。

こうした学会の勤行法要は、いずれも、日蓮大聖人の仏法の本義に最も適った真実の追善の儀式である。
大聖人は、成仏は、本人の信心によって決まると明確に示されている。
御書には、『故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし』(P1506)と仰せである。
妙法の「唱題行」には、それほどの力がある。
故人が生前に唱題する機会がなかった場合もあろう。しかし、題目の力は広大無辺である。遺族が唱える題目は、間違いなく故人に届くのだ。
「御義口伝」には、『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ』(P712)と厳然と説かれる。
さらに大聖人は、亡くなった父の追善のために、毎朝、自我偈を読誦していた門下の曾谷教信をねぎらわれて仰せられた。
──自我偶の金色の一つ一つの文字が、宇宙を照らし、いかなる所であっても、故人のおられる所まで訪ねて行って、聖霊に語られるのである、と。(P1050、趣旨)
だからこそ、題目を送る側の信心が大事となる。
つまり、追善回向の本義とは、自らが真剣な仏道修行で得た功徳を『回(めぐ)らし向ける』ことなのである。
自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし・いわうや他人をや』(P1429)とも、御書には明言されている。
広宣流布に戦う学会員は、誰人も成仏の功徳を得ていける。その大善根をもった学会員が自行化他の題目を唱えていけば、その功徳は、無量の先祖、無量の子孫、眷属へ、満々と回らし向けられていく。これが、追善回向の大功力である。
坊主に拝んでもらわないと故人が成仏できないなどというのは、御書のどこにもない邪義だ。妙法の偉大な功徳力によってこそ、故人は成仏できるのである。
明治時代、僧職について、作家の森鴎外が、「加持や祈祷を商売にして、手柄顔をするようになってはお話にならない」と、厳しく指弾していたことも有名だ。