2011年8月24日水曜日

2011.08.24 わが友に贈る

誓いの原点を持つ
青年の力は無限大!
人間革命の
勝利の道を共に!
さあ希望の出発だ!

星名五郎太郎殿御返事 P1209
今此の善導法然等は種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す

◇希望の明日へ
正法を持つ正義の人に敵対し、迫害する悪の軍勢が支配しているのが、この世である。ゆえに広宣流布とは魔との戦いであり、勝負である。リーダーであるほど、魔の働きも強い。したがって、惰性に陥り、広布への戦いを忘れた場合は、魔に負けて、「悪鬼入其身」となってしまうであろう。その実例が日顕である。魔は奪命者である。生命力を奪い取っていくのである。

▽きょう壮年部の日。偉大な黄金柱、万歳!王者の風格で社会の荒波に勝て

☆随筆 我らの勝利の大道No.56 三世の生命の旅路
全世界
 平和を祈らむ
  わが創価
 尊き仏勅
  晴ればれ光れや

巡り来る八月十五日──六十六年前のこの日、長い残酷な戦争が終わった。
その敗戦の焼け野原にあって、今こそ人類の平和のために、妙法を世界に広宣流布するのだと、一人立たれたのが、わが師・戸田城聖先生である。
今日、百九十二力国・地域に及ぶ壮大な平和と人道の連帯は、この時、たった一人から始まったのだ。
あの太平洋戦争、そして第二次世界大戦は、計り知れぬ犠牲者をもたらした。
私たちは毎夏、八月六日には広島で、九日には長崎で、「原爆の日」の追善勤行法要を営み、十五日に「世界平和祈念 戦没者追善勤行法要」を行っている。国境も、思想・信条の違いも超えて、すべての戦争犠牲者に追善回向の祈りを捧げる法会である。
それは、尊き犠牲を絶対に無にしないために、必ずこの世界に平和を築いてみせると、心新たに不戦を誓う会座でもある。
戦後、ドイツの作家トーマスーマンは訴えた。
「平和に対する裏切りは今後はもはや許されないであろうところである。なぜならそれは人類の自身に対する裏切りであるからだ」
この文豪が「平和」という言葉から常に心に聴き取っていたものがある。それは「宗教的な響き」である。平和とは、人類が等しく分かち合う「祈り」なのだ。
私たちは、仏法者として平和の前進の音律を、月々・日々に強めていきたい。

この平和祈念の法要は、青年部の主催で営まれている。誠に重要な伝統だ。
ブラジルの天文学者モウラン博士との語らいで、強く一致したことがある。
権力者は安閑と座し、何の罪もない青年が戦場に送られる。この理不尽な歴史を、断じて繰り返してはならないという一点である。
戦争の犠牲になるのは、いつも青年だ。そして青年の母たちである。ゆえに、"嘆きの母"を出さぬため、青年が強くなるのだ。平和への連帯を広げゆくのだ。
五十年前、最初のアジア歴訪の途次、私はビルマ(現ミャンマー)で、日本人墓地に立つ戦没者の慰霊碑に読経・唱題を捧げた。私の長兄も、この地で若き命を散らした一人である。
終戦後も二年間、安否の不明だった長兄の戦死が伝えられたのは、昭和二十二年の五月であった。あの母の悲しみの姿は、わが胸に突き刺さって離れない。
青年の未来を残酷に奪い去り、こんなにも母を苦しめた戦争が僧かった。
それから間もない八月十四日、私は、軍国主義と戦い抜いた平和の指導者・戸田先生にお会いし、その弟子となったのである。戦後、二度目の終戦記念日の前夜であった。