2011年8月20日土曜日

2011.08.20 わが友に贈る

わが宝の未来部よ
君の可能性は無限大!
大きな夢に向かって
努力と挑戦の一歩を。
自分らしく光れ!

撰時抄 P265
仏の御使として南無妙法蓮華経を流布せんとするを或は罵詈し或は悪口し或は流罪し或は打擲し弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき

◇希望の明日へ
魔は、多くの場合、あからさまに「傭心をやめよ」とは言わない。すでに評価の定まっている法華経、今でいえば御本尊の悪口は口にしない。まだ生きておられ、善悪さまざまに見られている大聖人から離れるように言うのである。結果的に、それが"法華経を捨てる"ことになっていく。心はすでに魔に破られているからである。"法"の恵口ではなく、"人"の悪ロ--これが魔の、第一の"行動パターン"である。

☆我らの勝利の大道No.54 青年学会の希望の黎明
昭和三十四年(一九五九年)恩師が逝去された翌年のこの年を、私は新時代の夜明けとなる「黎明の年」と位置づけた。
弟子たちの団結で、学会がいかに勝利するか、この新たな広宣流布の広がりこそが、恩師の偉大さを証明するからだ。
世界の大河を見よ。たとえ源流は小さくとも、大海を目指すにつれて、無数の川を合流し、豊かな水量を湛えていくではないか。
若さ後継の弟子が次から次へ躍り出てこそ、広布の水かさは増していくのだ。
七年後(昭和四十一年)、「黎明の年」と再び掲げたこの年は、「高等部の年」とも呼ばれた。その開幕の直前、私は「大白蓮華」に巻頭言「鳳雛よ未来に羽ばたけ」を綴った。
「諸君の成長こそ、学会の希望であり、日本の、そして全世界の黎明を告げる暁鐘である」と。
未来部一人ひとりの成長と勝利こそが、学会の永遠の興隆の本因なのである。
今また、不思議な使命の光を宿した鳳雛たちが、勇気と希望の翼を羽ばたかせながら、創価の大躍進の先頭に登場してくれた。
二十一世紀の「黎明の年」は今なのだ。
未来の至宝の諸君よ!
未来を担う君たちよ!
未来を創る皆様よ!
青年学会の希望の黎明を、この地球上に輝かそうではないか!

全世界
 躍り出でたる
  若人と
 創価の未来を
  断固と勝ちゆけ