2011年8月31日水曜日

2011.08.31 わが友に贈る

宿命を使命に!
変毒為薬の仏法だ。
苦しんだ分だけ
境涯が大きくなる。
強気で祈り進め!

日興遺誡置文 P1618
下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事

◇希望の明日へ
信心には臆病は大敵である。見栄は大敵である。臆病や見栄の信心の人は、成仏はできない。難が起きたとき、いざというとき、勇敢に獅子王の心で進んでいくのが信心である。

☆折々の指導No.007 幸福のために正義の道を
〈女子部の友に〉
皆で仲良く! 幸せに! 幸福になるには、正義の道を歩むんだよ
「女子部の時代だ。思いっきり動いていきなさい。
総力をあげて女子部を応援していこう。
創価学会の未来は女子部で決まる。
女性を大事にしない団体は、必ず行き詰まる。かりにも、見下したり、軽んずるようなことは、絶対にあってはならない。
広布の女性に感謝し、女性の奮闘を心から讃え、女性を大切にする組織こそが、万代に栄えていくのだ
「女子部が生き生きとしていれば、楽しい。美しい。皆が憧れる。百万の言葉よりも、百冊の本を出すよりも、一人の女子部が輝いていくことが、信心の素晴らしさを雄弁に物語る。新しき広布の門が開かれる」
「しっかりと福運をつけなさい。
仏法の魂は、幸福のために戦うことだ。不幸を打ち破り、皆が幸福の勝利者になっていくことだ」

「体を大事に。偉大な自分をつくりなさい」
一人が仏の境涯を開けば、家族全員が幸福となる。
これが仏法です。
自分が幸福を開くのです。そうすれば、何があろうと問題ではない。学会と共に、生々世々、三世永遠の幸福を築いていこう」

☆随筆 我らの勝利の大道No.57 8月24日の誓い
千万の
 同志と共に
  入信日

わが地涌の友が歓喜踊躍して、広宣流布の使命の舞を舞いゆく、大いなるうねりの中で、八月二十四日の入信日を元気に迎えることができた。今年で六十四周年となる。
日蓮大聖人は、法華経の会座に後継の誓願の陣列が集う姿を、こう仰せである。
四百万億那由佗の世界にむさしののすすきのごとく・富士山の木のごとく・ぞくぞくとひざをつめよせて』(P1245)
この御聖訓の如く、日本中、世界中で、新しい人材が勢いよく躍り出て、新しい力が満々と実りゆく感を覚える。
未来部も躍進している。
青年部も成長している。
婦人部も躍動している。
壮年部も意気軒昂だ。

「8・24」は、わが「壮年部の日」でもある。
多宝の同志も、若々しく奮闘してくれている。
多事多難の時代にあっても、我ら創価の家族には、不敗の闘魂が滋り、いやまして温かな励ましがある。
恩師・戸田城聖先生が喜んでくださる声が、わが耳朶に確かに聞こえてくる。
「私は、偉大な良き弟子たちを持った。ゆえに幸せだ。永遠に勝利者だ」

喜びに
 心躍らせ
  今日もまた
 広布の青春
  何と尊き

日本の敗戦から二年後の夏八月。いまだ空襲の焼け野原が痛々しい東京・大田区の座談会で、永遠の師と仰ぐ戸田先生に、私はお会いすることができた。
「いくつになったね」
「十九歳です」

先生は旧知に向けた言葉で尋ねてくださった。
じつは、先生は事前に、地域の方から、私のことをよく聞いておられた。
兄を戦争で亡くしたことも、家を空襲で焼かれたことも、働いて父母を支えながら苦学していることも、ご存じであった。
「わが地域には、こういう青年がいます」と、戸田先生につないでくださった地元の方々のことが、感謝とともに偲ばれる。
今も、折伏の嬉しい報告を聞くと、紹介者の真剣な祈りと熱意はもちろん、一人の友の入会に至るまで、陰で支えてこられた創価家族の真心が思われる。
まさに座談会は、仏の心が脈打つ会座なのである。

戸田先生にお会いした当時、私か親しい友人だちと学び合っていた一書が『ゲーテとの対話』である。
その中の一節に、「いつかは終局に達するというような歩き方では駄目だ。その一歩々々が終局であり、一歩が一歩としての価値を持たなくてはならない」とあった。
このゲーテの言葉が、軍国主義と戦い抜いた戸田先生を師と仰ぎ、師弟の道へ思い切って一歩を踏み出す私の胸に響いていたことは確かである。その意味で、ゲーテも、私の背中を入信へと押してくれた一人であったと言えるかもしれない。
そのゲーテをめぐって、今、私は、ドイツの世界的な学術機関ワイマール・ゲーテ協会顧問のオステン博士と対話を進めている。
オステン博士も、「ゲーテと日蓮仏法の間には、非常に大きな共通点がある」と鋭く洞察しておられる。
さらに博士は「人間は、手本から学ぶ存在である」と強調されている。博士の言われる「手本」とは、「師匠」の意義である。
偉大な師匠から学び、師匠に続きゆく青春。その喜びと誇りは、オステン博士とも、そして大文豪ゲーテとも深く共有できるのだ。


2011年8月30日火曜日

2011.08.30 わが友に贈る

楽しいところに
人は喜び集まる。
仲良きところに
福運は広がる。
団結は無敵の力だ!


弥三郎殿御返事 P1450
心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ無からめ還って怨をなしなんどせらるる事は心得ず候

◇希望の明日へ
難に耐え、乗り越えて御本尊への信心を貫いていくなかに、成仏への道がどこまでも開かれていく。大宇宙を自在に遊戯しゆく「常楽我浄」の”我”を築くことができ、そこにのみ真実の”安楽”の境涯が確立される。ゆえに大聖人は、「難来るを以て安楽と意得可きなり」(P750)と仰せである。



☆質問005 クラブが忙しく、勉強に手がつきません
勉強とクラブを必ず両立すると決意を
「忙しいからできない」ではなく、「忙しいから集中する」


クラブでもいい、勉強でもいい、ボランティアでもいい、何かに「燃える」ことは、いいことだ。
「自分は、これを、やるんだ!」と、自分で決めて、それを、やり通してみることです。そうすれば、「自分は、やりきったんだ」という自信ができる。
一つのことに中途半端な人は、ほかのことにも中途半端になることが多い。
反対に、クラブをちゃんとできる人は、ほかのことも──勉強も、がんばれないわけがないと思う。

クラブでは、いろいろなことを学べる。
苦手なことにも挑戦する勇気。失敗しても、あきらめない粘り強さ。目標をめさして進んでいく持続力。かけがえのない友情を築くこともできる。体も鍛えられる。全部、あなたの『一生の財産」です。
クラブは、心と人格を鍛える「人間形成」の場であると思う。

勉強とクラブの両立で悩むことが多いと思う。
ある時は勉強にかたよったり、ある時はクラブにかたよったりする。
たとえば、自転車に乗る時も、初めは右側に転んだり、左側に倒れそうになったでしょう。でも、ハンドルさえ手放さないで、あきらめずに努力していけば、やがて、どちらにも倒れな
いで、バランスよく、前へ進めるようになった。
勉強とクラブも同じだ。
「必ず両立しよう!」と、まず決めることだ。
「それぞれの自分の目標を達成しよう!」と決意することだ。
そうすれば、「限られた時間に、どう、やりきろうか」と知恵がわく。「時間がないからこそ」集中してがんばることもできる。上手に気分転換したり、「今は、どっちに力を入れるべき時なのか」、自分で調整できるようになる。

「これがあるから、自分はできない」と言いわけしたって、だれもほめてくれない。なんの得もない。
「忙しいから、できない」のではなく、「忙しいから、集中してやる」と決めることだ。勉強をやるべき時は、パッと心を切り替えて、挑戦するのです。
また、クラブを引退したら、人の2倍、3倍、勉強しなさい。「クラブで強くなった」自分を証明してみせなさい。
クラブも勉強も、両方をやりきった人は、苦しんだ分だけ、深い、広い、味のある青春になっていく。そして、後輩にも、「やればできるんだ」という希望を贈っていけるはずです。

私も、いつも「1日を1週間分、10日分に使おう」という決心で生きてきた。
何だって、「とても無理だ」と、あきらめたら、その瞬間に「試合終了(ゲーム・オーバー)」です。苦しくとも、やりきった人は、思いもよらない「力」が出る。そして、後から振り返って、そのときがいちばん懐かしく、すばらしい思い出に変わるのです。
(『希望対話』から)

☆随筆 我らの勝利の大道No.56 三世の生命の旅路
戸田先生は昭和二十年の十一月十八日、殉教の師・牧口常三郎先生の一周忌法要を行われた。
これが、創価学会として最初の法要であった。
そして翌年、牧口先生の三回忌法要の席上、戸田先生は、誇り高く三世永遠の師弟の絆を語られた。
「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました。
そのおかげで、『在在諸仏土・常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか」

この先師の祥月命日は、不思議にも、創価学会創立の日でもある。ゆえに私どもは毎月十八日に先師の追善を行うと同時に、「創立」の精神を確認し、年々歳々、広宣流布へ師弟の新たな出陣としてきたのだ。
この夏の最高協議会で、共々に心肝に染めた御聖訓がある。それは、三十五年前の「中部の日」(七月二十七日)に拝した「生死一大事血脈抄」の一節である。
総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か』(P1337)
この人間の世界にあって最も美しく、最も尊い絆が、師弟不二・異体同心で進む我らの広宣流布の陣列である。生死一大事の血脈は、ここにこそ流れ通うのだ。
さあ、団結だ!
励まし合いながら、前進だ!
自他共に常楽我浄の旅路を、大いなる勝利の翼で翔けゆこう!


にぎやかに
 また にぎやかに
  幸せに
 生死の城は
  三世に楽しき


2011年8月29日月曜日

2011.08.29 わが友に贈る

朝の請願の祈りが
一日の勝利を決める。
白馬が駆けるような
朗々たる勤行・唱題で
爽やかに出発しよう!

日女御前御返事 P1247
何に況や父母国王に百千万億倍まされる世間の師をや、何に況や出世間の師をや、何に況や法華経の御師をや

◇今週のことば
「心の財 第一なり」
広布に走る功徳は
無量無辺である。
朗らかに忍耐強く
「心の財」を積みゆけ!
2011年08月29日

◇希望の明日へ
何事にも先駆的な戦いは非難を浴びるものだ。しかし、そのなかでこそ偉大なる価値が証明されていくのである。学会員は、広宣流布という未聞にして最高の正義と価値を日々に証明しておられる、この世でもっとも尊い方々である。それゆえに少々の苦難や試練に負け、愚痴をこぼしたり、批判して退転するような愚かな人になっては断じてならない。

☆質問004 私は、本を読むおもしろさが、わかりません
「読む楽しさ」を知るのは人生の宝物
テレビとマンガだけでは「想像力」が衰えてしまう

「本を読む楽しさ」を知らないということは、人生の巨大な損失です。こんな不幸なことはない。
いっぱいの宝物に囲まれながら、その価値を知らないために、貧しい暮らしをしている人のようだ。

自分の経験だけだと「1人分の人生」だが、本を読むことで、無数の人の経験や知識や、ドラマを学ぶことができる。
一生の「心の友だち」もできる。もう死んでしまった大偉人や大文豪と「会話」もできる。
「本の発明」は、人類の歴史の中で、最大の発明の一つです。
この発明品の「使い方」「楽しみ方」を覚えたら、もう人生は、最大の武器を手に入れたようなものだ。
本は知識をくれる。
本は感動をくれる。
本は勇気をくれる。
本は思いやりをくれる。

本を読む習慣さえ身につけておけば、その人の道に「希望」が消えることはないのです。

テレビやマンガは、はじめから映像や絵がある。だから、みんなが自分で努力しなくても、そのままイメージができる。
だけど、本は活字だけ。もう見てるだけで眠くなったり、息苦しくなっちゃうという人もいる。
でも、少し慣れてくれば、活字の一つ一つが、生きもののように、姿を変える。黒いだけの文字が、緑の樹々になり、赤や黄の花壇になり、純白の雪の結晶になり、青い海にもなる。
音だって聞こえてくる。生まれたばかりの赤ちゃんの感動的な産声も、悪と戦う勇者の叫び声も、ベートーヴェンの名曲の調べも。
それが本です。「想像力」の力です。「活字を読む」ことによって、「想像力」が、どんどん鍛えられていくのです。

人間が人間らしく生きるために、何か大切か。私は、「想像力が絶対に大切だ」と思う。
コンピューターだって、「こんなものがほしい!」と思った人の頭と心の中から生まれたのです。
想像力こそが、人間を進歩させてきた。想像力は、創造力です。

別に、机に向かって読むだけが「読書」じゃない。ちょっとした時間に読んだものが、案外、心に残っているものです。
だから、まず「いつも本をもち歩く」ことでしょう。ポケットやカバンに入れるとか、肌身離さない。読まなくてもいいから、とにかくもっている。

夏休みには、「わが家の朝の10分間読書」をやってもいいかもしれないね。お母さんもいっしょに。
ともかく、みなさんは若い。頭と心の柔らかな今こそ、思うぞんぶんに、本を読んでもらいたい。
本の世界は「第2の宇宙」です。その広大な世界を、自由自在に旅行できる人になってください!
(『希望対話』から)

☆随筆 我らの勝利の大道No.56 三世の生命の旅路
愛する人を失う悲しみと向き合うことは、真の哲学の探求者となり、より深く、より強く、偉大な人生を歩むことだ。
本年は、中国の人民の父・周恩来総理が逝去されて三十五年である。総理亡き後、その遺志を受け継いで戦い抜かれた郵穎超夫人は語っておられた。
「生きている者は耐え忍び、さらに強靭に生きていかなくてはなりません。
私たちの革命精神は衰退してはいけないのです」

"亡き人の分まで"と勇気をもって立ち上がる時、人間は最も強靭になる。
"アメリカ赤十字の母"と敬愛されるクララ・バートンは、戦傷者や災害被災者など、苦しむ人びとのために献身の生涯を送った。九十歳で亡くなる直前、彼女はベッドから体を起こそうとしながら叫んだ。
「さあ、出発です!」
人生は生涯、闘争である。
荘厳な夕日が明日の快晴を告げるように、崇高な使命に生き抜いた同志の死は、臨終正念の勝利の総仕上げであり、次の新たな使命への旅立ちであることを、私たちは知っている。
だから悲しみの根底にも強さがある。
「御義口伝」には、『生死を見て厭離(えんり)するを迷と云い』『本有の生死と知見するを悟と云い』(P754)と仰せである。
私たちは、生死不二の成仏の根本法を持っている。
生も歓喜、死も歓喜』である。ゆえに病気であれ、災害であれ、広宣流布に戦った人が、「心の財」を崩されるわけがない。
『心を壊(やぶ)る能わず』(P65)である。


2011年8月28日日曜日

2011.08.28 わが友に贈る

「臆病にては
叶うべからず」
さあ勇気、勇気だ!
語った分だけ
功徳の花が咲く!

御義口伝巻上 P720
今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり

◇希望の明日へ
善と悪、仏と魔はつねに一緒に現れる。気をつけないと、見分けがつかなくなる。魔ほど恐ろしいものはない。その魔を見極めるのが仏法である。魔と戦い、勝つための仏法である。見極める力、勝つ力は命がけの信心からしか生まれない。魔を見極めなければ、本当の戦いはできない。

▽法華経は「讃むる言こそ多く候へ」御書。戦う同志を讃えてこそ広布は加速
▽「副役職」の友が偉大な勝利の原動力。長と呼吸を合わせ桜梅桃李の活躍を

☆随筆 我らの勝利の大道No.56 三世の生命の旅路
今年の四月二十九日、東北各地の主要会館で、復興祈念勤行会が行われた。大震災の四十九日の追善の意義も込めた法要であった。
ある会館に来られた方は、最初、感情を失ったように無表情であった。しかし、皆と一緒に勤行するなかで、その人は感泣されたという。
──津波で家族を失い、もう涙も出ないと思っていた。しかし同志と共に祈る中で、なぜか泣けて泣けて仕方がなかった。自分にも人間の感情が残っていたと思ったら、もう一度頑張ってみようという気持ちが湧き上がってきた、と。
こうした姿に接してきた東北の婦人部のリーダーが、凛と語っていた。
「祈ることは、慰めでも、逃避でもありません。現実に立ち向かうことであり、希望なのです」
学会員の祈りは、強い。また深い。そして温かい。
亡くなられた方々への追善とともに、生きている方々がより生命力を増して、生き生きと勇気に燃えて前進していくための転機が、創価の法要なのである。

蓮祖は、『いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり』(P1504)と仰せくださっている。
誰もが身近な人の死に接すれば、悲しい嘆きの心が生じるのは当然の人情であろう。御書には、"聖人"にも死別の嘆きはあると示されている。
だが、仏法の生死観に基づけば、死は最後の別れではない。大聖人は、伴侶や子どもなど、最愛の肉親を失った門下に対して、必ずまた霊山で再会できるとお約束くださっている。
千日尼への御手紙には、『(ご主人の)故阿仏房の聖霊』は『霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東むきにをはす』(P1319)とも綴られている。
御本尊を拝すれば、亡き家族と深い生命の次元で対話できる。
また、依正不二の法理に照らして、霊山とは、妙法を唱える家族の生命それ自体といえる。

霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり』(P757)とある通りである。
故人の生命は、わが胸中に融合し、一体不二の力を漲らせて生きられるのだ。


2011年8月27日土曜日

2011.08.27 わが友に贈る

後継の若き君よ!
行学の二道に励み
徹して自身を磨け!
「民衆のため」を貫く
戦う知性と輝け!

弥三郎殿御返事 P1451
但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり

◇希望の明日へ
不幸に屈してはならない。悪人に屈してはならない。魔とか、卑怯者は、こちらが価がれば、つけこんでくる。強く出れば逃げていく。

☆随筆 我らの勝利の大道No.56 三世の生命の旅路
そもそも「法要」という言葉は、御書には見られない。もともと、仏教に関した集会の意味や、「仏法の要」という内容で用いていた言葉である。
御書には、追善のための仏教儀礼を「仏事」と表現されている例がある。
その際、大聖人は、追善の仏事で念仏者等が法華経を誹謗すれば、結局、故人の苦も増してしまうと戒められている。法華経を根本とした追善でなければ、故人は救えないことを教えられたと拝されよう。
学会の勤行法要は、まさに大聖人の仰せ通りの追善の儀式である。そして参列する人が平等に祈願する場であり、皆が生命に刻んできた大功力を回向する場である。妙法の大功徳の音声が、力強く大宇宙に遍満しゆく壮大な会座である。
さらに学会の勤行法要では、故人の追善とともに、互いに広宣流布を決意し合う誓願の題目が唱えられている。その題目の福徳で、各人の「宿命転換」と「人間革命」がいやまして進んでいくのだ。
題目は、亡くなった方だけでなく、共に生きゆく人びとにも回向される。
御書にも引かれた、『願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん』(P1430)との法華経化城喩品の経文通りである。
私たちは、日々の勤行の際に、「世界の平和と一切衆生の幸福のために」と祈念している。その真摯な唱題は、広く世界中の人びとにも功徳を向けるものだ。我らの法要は、世界平和の祈願の場、立正安国を誓う場、そして一切衆生の幸福を願う場なのである。


2011年8月26日金曜日

2011.08.26 わが友に贈る

広布の前進は
わが「地区」から。
不惜身命の勇気を!
異体同心の団結を!
絶対勝利の執念を!

法華初心成仏抄 P557
譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ

◇希望の明日へ
仏道修行の途上には、「三障四魔」や「三類の強敵」が必ず出現する。出現しなければ、御書の通りに信心していないことになる。それらに打ち勝って成仏はある。戦いのなかに幸福は築かれる。安逸ばかり続く人生は、幸福のように見えてじつは不幸である。

▽どんな問題が起ころうと御書根本なら紛動されぬ−恩師。絶対勝利の土台
▽他人にとって価値のある人間であれ−文豪ゲーテ。周囲の信頼。それが広布の力

☆随筆 我らの勝利の大道No.56 三世の生命の旅路
学会では、さまざまな法要が執り行われている。日本の習俗を踏まえ、お彼岸には春季・秋季彼岸勤行法要もある。各地の会館で、毎月のように追善勤行法要も、厳粛に営まれている。
さらに、阪神・淡路大震災をはじめとして、各地の災害で亡くなられた方々への追善勤行法要もある。

こうした学会の勤行法要は、いずれも、日蓮大聖人の仏法の本義に最も適った真実の追善の儀式である。
大聖人は、成仏は、本人の信心によって決まると明確に示されている。
御書には、『故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし』(P1506)と仰せである。
妙法の「唱題行」には、それほどの力がある。
故人が生前に唱題する機会がなかった場合もあろう。しかし、題目の力は広大無辺である。遺族が唱える題目は、間違いなく故人に届くのだ。
「御義口伝」には、『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ』(P712)と厳然と説かれる。
さらに大聖人は、亡くなった父の追善のために、毎朝、自我偈を読誦していた門下の曾谷教信をねぎらわれて仰せられた。
──自我偶の金色の一つ一つの文字が、宇宙を照らし、いかなる所であっても、故人のおられる所まで訪ねて行って、聖霊に語られるのである、と。(P1050、趣旨)
だからこそ、題目を送る側の信心が大事となる。
つまり、追善回向の本義とは、自らが真剣な仏道修行で得た功徳を『回(めぐ)らし向ける』ことなのである。
自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし・いわうや他人をや』(P1429)とも、御書には明言されている。
広宣流布に戦う学会員は、誰人も成仏の功徳を得ていける。その大善根をもった学会員が自行化他の題目を唱えていけば、その功徳は、無量の先祖、無量の子孫、眷属へ、満々と回らし向けられていく。これが、追善回向の大功力である。
坊主に拝んでもらわないと故人が成仏できないなどというのは、御書のどこにもない邪義だ。妙法の偉大な功徳力によってこそ、故人は成仏できるのである。
明治時代、僧職について、作家の森鴎外が、「加持や祈祷を商売にして、手柄顔をするようになってはお話にならない」と、厳しく指弾していたことも有名だ。


2011年8月25日木曜日

2011.08.25 わが友に贈る

さあ勇気の対話を!
目の前の一人に
希望の種を蒔こう!
仏法を耳にする人は
必ずや幸福になる。

法華初心成仏抄 P557
我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり

◇希望の明日へ
魔軍を本気で打ち破った人が仏になる。今、本気で立ち上がらなければ、永遠に悔いを残す。これが大聖人の教えである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.56 三世の生命の旅路
学会では、この八月十五日を中心に、「諸精霊追善勤行法要」を営んでいる。新暦八月の孟蘭盆の時に合わせて、広宣流布の途上に逝いた同志や家族、友人、先祖代々の冥福を懇ろに祈念する法要である。
宮城、岩手、福島三県の被災地をはじめ、全国の同志が心を一つに、東日本大震災の犠牲者の方々を追悼し、東北の復興ヘエールを送る集いでもある。
この時期、全国の墓園や納骨堂には、"生死不二の都"として、多くの方々が訪れてくださる。暑い中、運営に当たってくださっている関係の皆様に、心から感謝を申し上げたい。
墓園で営まれる追善の法要の導師の勤行が清々しかった等と、信心されていない家族・親戚の方々からも賞讃の声を頂くことは、嬉しい限りである。
友人葬も、深く広く社会に定着している。「創価ルネサンス」の宗教改革は、形骸化し商業化した葬式仏教の儀典から、生き生きとした信仰を民衆の手に取り戻した。
アメリカを代表する宗教学者のハービー・コックス博士も語ってくださった。
「創価学会が宗教権威から破門を受けた後も、衰退するどころか、仏教ヒューマニズムともいうべき豊かな精神性を堅持しながら成長し、繁栄を続けていることに、私は深く注目しております」と。

追善の
 妙法浴びて
  新しき
 生命で帰れや
  創価の庭にと


2011年8月24日水曜日

2011.08.24 わが友に贈る

誓いの原点を持つ
青年の力は無限大!
人間革命の
勝利の道を共に!
さあ希望の出発だ!

星名五郎太郎殿御返事 P1209
今此の善導法然等は種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す

◇希望の明日へ
正法を持つ正義の人に敵対し、迫害する悪の軍勢が支配しているのが、この世である。ゆえに広宣流布とは魔との戦いであり、勝負である。リーダーであるほど、魔の働きも強い。したがって、惰性に陥り、広布への戦いを忘れた場合は、魔に負けて、「悪鬼入其身」となってしまうであろう。その実例が日顕である。魔は奪命者である。生命力を奪い取っていくのである。

▽きょう壮年部の日。偉大な黄金柱、万歳!王者の風格で社会の荒波に勝て

☆随筆 我らの勝利の大道No.56 三世の生命の旅路
全世界
 平和を祈らむ
  わが創価
 尊き仏勅
  晴ればれ光れや

巡り来る八月十五日──六十六年前のこの日、長い残酷な戦争が終わった。
その敗戦の焼け野原にあって、今こそ人類の平和のために、妙法を世界に広宣流布するのだと、一人立たれたのが、わが師・戸田城聖先生である。
今日、百九十二力国・地域に及ぶ壮大な平和と人道の連帯は、この時、たった一人から始まったのだ。
あの太平洋戦争、そして第二次世界大戦は、計り知れぬ犠牲者をもたらした。
私たちは毎夏、八月六日には広島で、九日には長崎で、「原爆の日」の追善勤行法要を営み、十五日に「世界平和祈念 戦没者追善勤行法要」を行っている。国境も、思想・信条の違いも超えて、すべての戦争犠牲者に追善回向の祈りを捧げる法会である。
それは、尊き犠牲を絶対に無にしないために、必ずこの世界に平和を築いてみせると、心新たに不戦を誓う会座でもある。
戦後、ドイツの作家トーマスーマンは訴えた。
「平和に対する裏切りは今後はもはや許されないであろうところである。なぜならそれは人類の自身に対する裏切りであるからだ」
この文豪が「平和」という言葉から常に心に聴き取っていたものがある。それは「宗教的な響き」である。平和とは、人類が等しく分かち合う「祈り」なのだ。
私たちは、仏法者として平和の前進の音律を、月々・日々に強めていきたい。

この平和祈念の法要は、青年部の主催で営まれている。誠に重要な伝統だ。
ブラジルの天文学者モウラン博士との語らいで、強く一致したことがある。
権力者は安閑と座し、何の罪もない青年が戦場に送られる。この理不尽な歴史を、断じて繰り返してはならないという一点である。
戦争の犠牲になるのは、いつも青年だ。そして青年の母たちである。ゆえに、"嘆きの母"を出さぬため、青年が強くなるのだ。平和への連帯を広げゆくのだ。
五十年前、最初のアジア歴訪の途次、私はビルマ(現ミャンマー)で、日本人墓地に立つ戦没者の慰霊碑に読経・唱題を捧げた。私の長兄も、この地で若き命を散らした一人である。
終戦後も二年間、安否の不明だった長兄の戦死が伝えられたのは、昭和二十二年の五月であった。あの母の悲しみの姿は、わが胸に突き刺さって離れない。
青年の未来を残酷に奪い去り、こんなにも母を苦しめた戦争が僧かった。
それから間もない八月十四日、私は、軍国主義と戦い抜いた平和の指導者・戸田先生にお会いし、その弟子となったのである。戦後、二度目の終戦記念日の前夜であった。


2011年8月23日火曜日

2011.08.23 わが友に贈る

「必ず勝つ!」
将の強き一念が
勝利の勢いを生む。
目の覚めるような
スタートダッシュを!

国府尼御前御書 P1325
日蓮をこいしくをはしせば常に出ずる日ゆうべにいづる月ををがませ給え、いつとなく日月にかげをうかぶる身なり

◇希望の明日へ
創価学会の広宣流布への前進もまた、間断なき戦いである。"仏と魔との戦い"と大聖人が教えてくださっているように、絶えず襲いかかる"敵"すなわち"魔の働き"に対し、戦いの手を休めてしまえば、それは停滞ではなく、後退であり敗北につながる。

▽自分の行った場所で力を示せ−恩師。新任リーダーよ、フル回転で同志に尽くせ

☆質問003 なぜ勤行しないといけないのですか?
勤行・唱題で生命のエンジンが大きくなる
毎日、少しでも「続ける」。一番いい道が開ける

人によって、「大きなエンジン」をもつ人と、「小さなエンジン」をもつ人がいる。
「大きなエンジン」をもっている人は、険しい坂でも、楽しみながら前進できる。「小さなエンジン」しかない人は、小さな坂でも、息が切れて苦しむ。
勤行・唱題によって、自分の生命のエンジンが大きくなるのです。
それは、大宇宙という「最高最大のエンジン」と、がっちり「ギア」が、かみ合うからです。

どんな人の生命からも、「宇宙を動かす大いなる生命力」を自由自在に引き出す"機械"を発明されたのが日蓮大聖人です。
戸田先生は、御本尊様を「もったいないことだが、"幸福製造機"にたとえられる」と言われた。
生命力を強くして、幸福になるために、日蓮大聖人は御本尊を"発明"してくださった。その"使用法"の基本が勤行・唱題なんです。

勤行している人は、"不幸の方向"に行かないように、生命の軌道を整えていける。
もちろん、祈った結果が出るには、「すぐに出る場合」と、草木がだんだん育つように「時とともに実現していく場合」とがある。
また、とくに自覚して祈っていなかったことが、あとから振り返ると実現していることもある。
ケースはさまざまたが、必ず「よい方向へ」「よい方向へ」と向かっていく。自分にとって「いちぱんいい道」が開ける。これは絶対に間違いない。

鳥には鳥の言葉がある。人には人の言葉がある。
経文やお題目は、全宇宙の仏と菩薩の世界に通じる「言葉」です。意味がわからなくても、勤行・唱題の声は、仏や菩薩に全部、届いていくのです。

題目だけでも、ものすごい功徳がある。題目は"ご飯"であり、勤行は"おかず"です。ご飯だけでも、食事はできる。しかし、おかずがあると、もっとおいしいし、栄養のバランスもよくなる。

信じているだけでも、功徳がある。一遍でも題目を唱えれば、もっと功徳が出るし、何回も唱題すると、さらに功徳がある。
いちばん大切なのは、水が流れるように、絶えることなく「続ける」ことです。
一時的にがんばっても、あと、やめてしまったのでは、機械の電源を切るようなものだ。「勤行をしよう」「題目を唱えよう」「御本尊に向かおう」という心が大切です。

信心は一生涯のものです。あせることはない。青春時代に「生涯、信心をつらぬく」土台を築けばいいのです。
今まで、できていなかった人も、これから挑戦を始めればいい。始めれば、その瞬間から、全宇宙があなたの味方になるのだから!
(『希望対話』から)

◎派遣の皆さん、頑張りましょう(^^♪


2011年8月22日月曜日

2011.08.22 わが友に贈る

「勇気」こそ
創価の師弟の魂だ。
師子王の心で進め!
私たちは勝つために
生まれてきた!

上野殿御返事 P1512
いつもの御事に候へばをどろかれずめづらしからぬやうにうちをぼへて候は凡夫の心なり

◇今週のことば
「賢者は よろこび
愚者は退く」
さあ 後半戦の出発だ!
勝利の学会を
勇んで打ち立てよう!
2011年08月22日

◇希望の明日へ
暴力による肉体的迫害や、処罰や処分という社会的制裁、脅迫や情実などの精神的圧迫、利益をちらつかせる経済的誘惑などにより、個人の信心を破壊し、退転させるのは、魔の常套手段といってよい。ゆえに魔が跳梁するときこそ、いよいよ信頼の絆を強め、異体同心の前進が肝要となる。"正義の団結"こそ、魔の謀略を遮る防波堤となるのである。

▽全国、本年後半戦をスタート。まず全リーダーが地区の最前線へ!率先の行動で鼓舞
▽21世紀使命会、育成部長の皆様、有難う!未来を育む大功労を諸天も讃嘆

☆質問002 ボランティアとは、そもそも何ですか?
人に尽くせば、自分が大きくなる!
初めの「一人」が大事、始める「勇気」が大事

「人のために何かをしたい」という気持ちは、たいてい、皆、もっている。その心を、どう結集するかです。
ボランティアの精神は、これからの日本を大きく変えていく力になることは、間違いない。21世紀は、「ボランティア精神の時代」と言ってもいい。

人のために何かをすれば、自分が元気になる。両方とも得をする。
日蓮大聖人は、「人のために火を灯せば、自分の前も明るくなる」(御書1598ページ、通解)と、言われている。
何か「してあげている」という傲慢さではなく、「させてもらっている」という謙虚さが、行動している人にはある。そうでないと続かないでしょう。

英語の「ボランティア(volunteer)」という言葉の語源は、「自ら意志をもつ」という意味のラテン語だそうだ。「自由意志」です。自分の意志で立ち上がることです。

何でも、初めは「一人」です。「少数派」です。しかし、その小さな声が、人の「心の共鳴板」を叩くとき、1人から2人へ、3人へ、10人へ、100人へと、広がっていく。だから初めの「一人」が大事なのです。初めの「一歩」が大事なのです。始める「勇気」が大事なのです。

「ボランティア」は、何らかの形で、人に楽しみを与え、苦しみを少なくする行為でしょう。その究極は、じつは学会活動です。
みんなのお父さん、お母さんたちが「人のために」「社会のために」と、くる日もくる日も行動している。一人の人間を根底から蘇生させている。さまざまな文化活動、社会貢献の活動を、営々と続けている。何の報酬が出るわけでもなく、それどころか身銭を切って、人に尽くしている。「ボランティア」です。
一面から言えば、創価学会は日本最大のボランティア団体とも言える。

人に尽くす心を学ばなかったら、何も学んだことにならない。これ以上の「無学」はない。どんなに知識があっても、野蛮人のよろなものだからです。

ボランティアといっても、何か特別な場所に行ったり、特別なことをすることではない。自分の身近なところに、ボランティアの出発点はある。
「人に尽くそう!」と決め、勇気を出して「行動」を開始した時、もっと強い自分になれる。人間としての器が、もっと大きくなる。
「無関心」で、「無慈悲」の世界を変えていくのは、皆さんしかいない。
地球を舞台に、皆さんの「勇気のドラマ」が、いたるところで展開されるとき、人類の新しい歴史が始まる。そのときこそ、「人道の世紀」の幕が、堂々と開くにちがいない。
(『青春対話2』から)


2011年8月21日日曜日

2011.08.21 わが友に贈る

多宝会・宝寿会
錦宝会の友に感謝!
皆様の信心の確信こそ
人材育成の原動力!
健康・長寿の日々を。

曾谷殿御返事 P1056
何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし

◇希望の明日へ
仏法では、魔は魔と見破れば、信心によって打ち破れるとしている。御書と経文に照らし、理性と道理に照らし、そして"信心の眼"に照らして、問題の本質を過たず、聡明に見抜いていきたい。

☆青年は力をつけよ
(仕事で悩んでいる同志に)
「人生も、仕事も、いろいろな山があっていい。すべて経験である。
ローマは一日にして成らず。仕事も、そうだ。長い道のりの戦いである」


「青年は力をつけなければいけない。誰にも馬鹿にされない力をつけるのだ。
日蓮大聖人は『仏法は勝負』と仰せだ。人生、すべてが戦いである。どう勝つか。何かで光る力を持たなければいけない」

「一つ一つの仕事を、丁寧に、深く祈って、歴史をつくっていきなさい。一つ一つ、歴史をつくっていくことだ」

「現実社会は熾烈な生き残り競争である。たとえ、これまで安泰でも、これから先はわからない。
根本は、題目をあげている人が勝つ。『法華経の兵法』で勝つのだ。妙法に生き抜くところに繁栄の道がある。これが結論だ。
うれしい時も題目。苦しい時も題目。どんな時も題目。万事にわたり、勝つ方法は、ここにある

☆質問001 勉強が苦手。人と比べてあせってしまいます
「頭がいい人」とは「絶対にあきらめない人」
「きのうの自分」よりも「きょうの自分」は一歩前へ

もちろん、成績はよいほうがいいに決まっている。
だけれども、「今まで成績が悪かった」から、自分は「頭が悪い」なんて絶対に思ってはいけないということです。
それは、自分に対する「冒とく」です。
君たちは、だれでも、いっぱいの可能性をしまってある「宝の箱」なのだから。

みんなが、違っていて、みんなが何かの「天才」なんです。
それを「使命」という。
だれもが自分だけの、自分にしかできない使命をもっている。
使命があるから生まれてきたのです。そうじゃなかったら生まれてこない。
無数の星がある宇宙の中で、「この地球」に、「この今」という時を選んで、君が、あなたが生まれてきた。
それは絶対に「偶然」なんかじゃない。何か「意味」があるから生まれてきた。生まれてくることが「いいこと」だったから生まれてきたのです。
自分にしかできない「使命」があるのです。必ず、何かの「天才」なんです。
今、それが何なのか、わからないだけです。
だから、絶対に自分をダメだとか、頭が悪いなんて思っちゃいけない。

そもそも、いわゆる「頭がよくて」も、悪いことをする人もいる。
それよりも、「人を励ます天才」になったり、「人を元気にする天才」になったほうが、どれだけすばらしいか。
まわりの大人も、「この子は、自分よりも、ずっとずっと世界に大きな貢献をする人にちがいない。自分たちを大きく乗り越えていく人なんだ」と信じて、尊敬して、接してもらいたい。
だれもが、21世紀の「希望」です。かけがえのない「未来の宝」です。

結論を言えば、「頭がいい人」というのは、「絶対にあきらめない人」です。
わからないことから逃げるんじゃなく、「何としても、わかろう」と「攻めていく人」です。その「強い心」の人が、頭のいい人なんです。
社会に出ても、「わからないこと、苦しいことから逃げない」という心がある人は、必ず勝っていきます。

他人と比べても、しようがない。
「きのうの自分」よりも、きょうは一歩、前へ進んだ。
「きょうの自分」よりも、あすは、これだけがんぱろう。

そういう一日一日であってほしいのです。
(『希望対話』から)


2011年8月20日土曜日

2011.08.20 わが友に贈る

わが宝の未来部よ
君の可能性は無限大!
大きな夢に向かって
努力と挑戦の一歩を。
自分らしく光れ!

撰時抄 P265
仏の御使として南無妙法蓮華経を流布せんとするを或は罵詈し或は悪口し或は流罪し或は打擲し弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき

◇希望の明日へ
魔は、多くの場合、あからさまに「傭心をやめよ」とは言わない。すでに評価の定まっている法華経、今でいえば御本尊の悪口は口にしない。まだ生きておられ、善悪さまざまに見られている大聖人から離れるように言うのである。結果的に、それが"法華経を捨てる"ことになっていく。心はすでに魔に破られているからである。"法"の恵口ではなく、"人"の悪ロ--これが魔の、第一の"行動パターン"である。

☆我らの勝利の大道No.54 青年学会の希望の黎明
昭和三十四年(一九五九年)恩師が逝去された翌年のこの年を、私は新時代の夜明けとなる「黎明の年」と位置づけた。
弟子たちの団結で、学会がいかに勝利するか、この新たな広宣流布の広がりこそが、恩師の偉大さを証明するからだ。
世界の大河を見よ。たとえ源流は小さくとも、大海を目指すにつれて、無数の川を合流し、豊かな水量を湛えていくではないか。
若さ後継の弟子が次から次へ躍り出てこそ、広布の水かさは増していくのだ。
七年後(昭和四十一年)、「黎明の年」と再び掲げたこの年は、「高等部の年」とも呼ばれた。その開幕の直前、私は「大白蓮華」に巻頭言「鳳雛よ未来に羽ばたけ」を綴った。
「諸君の成長こそ、学会の希望であり、日本の、そして全世界の黎明を告げる暁鐘である」と。
未来部一人ひとりの成長と勝利こそが、学会の永遠の興隆の本因なのである。
今また、不思議な使命の光を宿した鳳雛たちが、勇気と希望の翼を羽ばたかせながら、創価の大躍進の先頭に登場してくれた。
二十一世紀の「黎明の年」は今なのだ。
未来の至宝の諸君よ!
未来を担う君たちよ!
未来を創る皆様よ!
青年学会の希望の黎明を、この地球上に輝かそうではないか!

全世界
 躍り出でたる
  若人と
 創価の未来を
  断固と勝ちゆけ


2011年8月19日金曜日

2011.08.19 わが友に贈る

鍛えの道を歩む
青春は美しい!
知性の学生部よ
行学練磨の挑戦で
正義の師子と育て!

四菩薩造立抄 P989
総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦多宝十方の分身十羅刹も御守り候べし

◇希望の明日へ
ここまで広がった世界広宣流布の前進−−もしも、この仏子の行進を阻むものがあれば、その本質は魔であり、大聖人の御叱責は免れないと断言しておきたい。

▽「母」の歌発表35周年の8月!婦人部ありて広布は燦然。尊き献身に感謝

☆我らの勝利の大道No.54 青年学会の希望の黎明
わが恩師・戸田先生が、少年少女の会合で、しみじみと語られたことがある。
「将来、誰もが幸せを噛みしめることができて、国境や民族の壁のない地球民族主義の平和な世界を築かねばならない。
みんなは、きょうのこのおじさんの話を忘れないで、少しでも、この夢を実現してほしい」
未来部員を育てることは、まさに「未来の平和」を創ることといってよい。
嬉しいことに、先日、わが友である、ジャズピアニストのハービー・ハンコックさんがユネスコの親善大使に就任された。
世界的な音楽活動とともに、平和と文化のための行動を進めるハンコックさんは、サックス奏者のウェイン・ショーターさんと私との鼎談で、情熱を込めて語られていた。
「未来は、他のどの世代よりも、若い世代の発想と努力で決まると信じます。未来はそれを必要としています」

先月の末、広島と長崎と沖縄の青年の代表が一堂に会し、伝統光る「三県平和サミット」を行った。今年は長崎に集い、平和音楽祭等とあわせ、核兵器廃絶への連帯を広げてくれた。
青年たちは、原爆に負けない人間の精神の力を、たくましく謳い上げている。
長年、長崎で営々と平和運動を貫いてこられた市民リーダーの方も、若い世代にどう託していくか悩まれており、「学会は青年が平和のために動いていることが素晴らしい」とエールを贈ってくださったという。
戦争の惨禍に苦しめられた天地にあって、創価の青年育成は、平和の鐘をいやまして高らかに打ち鳴らしゆく希望なのである。


2011年8月18日木曜日

2011.08.18 わが友に贈る

白樺グループが
対話の花園を拡大!
歓喜と躍動の生命で
華陽のスクラムの
先頭を駆けよ!

清澄寺大衆中 P895
恩をしらぬ人となりて後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ不便に候へ

◇希望の明日へ
創価学会が、いかに正しく、最高の善の軌道を歩んでいても、それを邪魔し破壊しょうとする。これが魔の働きである。

▽信心が中途半端であったら何にもならない−恩師。やるからには本気で貫け

☆我らの勝利の大道No.54 青年学会の希望の黎明
御聖訓には、『末法の濁った世は人びとの心の貪欲・瞋恚・愚痴が甚だ強く、いかなる賢人、聖人でも治めがたいのである』(P1465、通解)と示されている。
末法が深まるほど、人心はますます乱れ、濁っていかざるを得ない。その中を法華経の行者は、「忍辱の鎧」を着て、広宣流布を断行していくのだ。
どんな三障四魔が競い起ころうとも、断じて恐れない。負けない。屈しない。
大難があればあるほど、『今一重強盛に』(P1220)信心を奮い立たせて、戦い勝つ。この究極の「勇気」と「忍耐力」と「強さ」を受け継いでいくことこそ、信心の後継にほかならない。
大聖人は仰せである。
その例は、他から引くには及びません。日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一人の例外もなく害しようとしましたが、今までこうして無事に生きてくることができました。
これは、日蓮は一人であっても、法華経を信ずる心の強いゆえであったと思いなさい
』(P同、通解)
日本中からのありとあらゆる大迫害を、ただ御一人、蓮祖は勝ち切られた。
その大法戦に、まっすぐに連なってきたのが、創価の三代の師弟である。
広布と人生のいかなる戦いも、師子奮迅の力で必ず勝ってみせる。この「絶対勝利の信心」を、私たちはあとに続く友へ、勇猛果敢に示し切っていくのだ。
これこそが、最大の魂の噌り物ではないだろうか。不退の学会精神が脈打つ人材を育てるなら、広宣流布の勝利の道は、晴れ晴れと開いていけるのだ。


2011年8月17日水曜日

2011.08.17 わが友に贈る

創価班・牙城会の
大学校生が奮起!
弘教に勝る喜びなし。
黄金の自分史を綴る
千載一隅の夏を勝て!

妙法比丘尼御返事 P1418
日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へども

◇希望の明日へ
仏道修行においても、いっさいの"敵"−−三障四魔に打ち勝ち、強固な仏の境界を、自身の胸中に築いていけば、その幸福境涯は三世永遠にわたって朽ちることがない。無量の福運によって、生々世々、人生を自在に開いていくことができるのである。

☆我らの勝利の大道No.54 青年学会の希望の黎明
広宣の
 戦に 人材
    宝なり
 宝の人とは
   不退の丈夫と

人を育てることは、自分も大きくなることである。
人に教えることは、自分も賢くなることである。

若い世代との対話こそ、「平和の文化」を創造する力である──これは、国連の事務次長として献身されてきたチョウドリ博士と、深く一致した信条である。
博士ご自身も、若者と接する時に、その「開かれた心」と「学ぶ意欲」に全幅の信頼を置いていると言われていた。自分が話す時間はなるべく短くし、青年とのやり取りを、より多く持つようにすると、新鮮な語らいになるとも、博士は語っておられた。
未来部の友と一緒に学び、一緒に鍛え、一緒に前進していくことは、若々しい生命力を漲らせていく、生涯青春の軌道である。

わが誉れの二十一世紀使命会が誕生したのは、十六年前(一九九五年)の七月十七日──。
当時、私がお願いしたのは「未来部員の友達に」ということであった。
仏法では、「良き友」のことを「善知識」と説く。
仏になるみちは善知識にはすぎず』(P1468)とも、御聖訓には仰せである。
わが未来部の担当者の方々は、何でも話せるお兄さんとなり、お姉さんとなって、共に活動に励みながら、偉大な「善知識」の使命を果たしてくれている。
自身も、仕事や生活の課題を抱える中での奮闘は、言うに言われぬ苦労の連続であろう。しかし、その真剣な姿を、未来部員はじっと見ている。誠実の言葉は、必ず命の根底に刻まれていくものである。
私のもとにも、「あの先輩の励ましがあればこそ、今の自分があります」等と感謝の声が寄せられる。
派手な喝采など、なくとも構わない。人に尽くした「陰徳」は、必ず「陽報」となって、汝自身の生命を荘厳し、一家一族を無量の福徳で包んでいくからだ。


2011年8月16日火曜日

2011.08.16 わが友に贈る

挑戦、努力の人には
だれ人もかなわない。
根本は題目だ!
絶対勝つと決めて
万全の準備を!

報恩抄 P329
日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし

◇希望の明日へ
第六天の魔王とは、人の心を操り、自分の思い通りに支配しようとする魔性の働きである。いっさいの衆生は、この魔王の働きに左右されて、絶え間ない苦悩の境涯をさまようことになる。その悪しき流転をとどめる道は何か。それは、末法の真実の法華経、すなわち御本尊への強き信心しかない。御本尊を持ち、広布に邁進する学会員は、すべてが尊い仏子である。仏の子を、三世十方の仏・菩薩、諸天善神が守らないはずがない。その諸仏の威光を恐れて、魔王すら仏子を敬い供養するのである。

▽お盆で賑わう学会の墓園。広布の同志の唱題は最高の追善。生死不二の楽土
▽「相構えて父母の恩を報ずべし」。自らが広布の人材に。これ最大の孝行

☆我らの勝利の大道No.54 青年学会の希望の黎明
戦後の復興期、戸田城聖先生のもと、私は少年誌の若き編集長として、懸命に奔走していた。
「子どもたちの心に夢と希望を!」との私の熱願に応えて、日本を代表する大作家や画家の方々が執筆を快諾し、入魂の連載をしてくださった。
後に大長編『徳川家康』で一世を風師した山岡荘八先生、"昭和の大詩人"と謳われた西條八十先生などとともに、「銭形平次」の人気作家・野村胡堂先生も、その一人である。
武蔵野にある野村先生のご自宅にお邪魔した折、少年時代の思い出を伺ったことも忘れ難い。
野村先生は、岩手県で生まれ育った。子どもの頃、火災で家が全焼し、それはそれは大変だったそうだ。
この家屋の再建のため、親身に応援してくれたのが、近隣や村の人びとであった。助け合いのありがたさである。
その現場に来ていた畳屋の職人は、野村少年のことを気にかけ、作業の合間に、東北に伝わる昔話を、生き生きと面白く語り聞かせてくれた。
それが、少年の心の深い滋養となり、後に大作家として、不屈の庶民の英雄を自在に描き出す源泉になったのだ。
今、東北の被災地で、わが健気な未来部の友は、進んで復興の手伝いに汗を流しながら、創価家族の息吹の中で、たくましく成長してくれている。
座談会で、信心の先輩方が語る体験談も、若き命に尊く染み通っているに違いない。広布の総仕上げを担い立つ逸材が、二陣、三陣と躍り出る未来を、私は深く確信してやまない。
「人間は非常の際は非常の力が出るものだ、命がけとなると、世界の全人類も動かせるものだ」とは、野村先生の一文であった。
青春の生命は、運命の試練さえも偉大な飛躍のバネにできる。それを支え、勇気づけていく地域社会の「教育力」が今ほど求められている時はあるまい。
難問が山積する時代にあって、人を励まし、人を育てる創価のスクラムこそ、希望の指標なのである。

人材の
 城を築けと
  青葉城
 恩師の叫びは
  燃え立ちそびえむ


2011年8月15日月曜日

2011.08.15 わが友に贈る

新聞休刊日

日女御前御返事 P1250
周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち、其の末三十七代八百年の間すゑずゑはひが事ありしかども根本の功によりてさかへさせ給ふ

◇希望の明日へ
障魔に負けてはならない。信心を破られてもならない。創価学会の活動なくして、人類の希望も、世界の安穏と平和も築けないからである。

☆我らの勝利の大道No.54 青年学会の希望の黎明
未来部員の一人ひとりが広宣流布の宝である。
御聖訓に『八歳の竜女は大海より来って経力を刹那に示し』(P456)と仰せの如く、法華経の会座において、即身成仏、万人成仏の実証を示したのは、年若い竜女であった。
七歳の時に日蓮大聖人にお会いしたとされる南条時光は十六歳から、師のもとで直々の薫陶を受けた。
大聖人は、亡き父の信心を立派に継承する時光の姿を讃えられ、こう仰せになられた。
あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候いし』(P1507)と。
門下の子弟を皆、わが子の如く慈しみ、育んでくださる。これが大聖人の御心であられた。
わが家、そして、わが地域の、かけがえのない使命を持った宝の未来部員に、温かな声をかけ、真剣に育て上げていくことは、大聖人が最も喜んでくださる"仏の仕事"なのである。

「子どもたちの幸福のために」──この一念の祈りほど、気高く強いものはない。それは世代も、生死も超える力をもっている。
もう四十年近く前、私が激励した小学生の少女がいた。当時、全国に結成した人材育成グループ「未来会」の一員であった。
彼女は、その出会いを胸に、開校したばかりの創価女子学園(現・関西創価学園)に勇んで入学してくれた。しかし、一年もたたないうちに最愛の母が逝去してしまったのである。
その直後、私は学園を訪れた折、彼女に会って励ました。「強く生きなさい。お母さんが見ているよ」と。そして、お母様の名前を冠した桜を植樹した。
亡くなったお母様は、彼女を筆頭に、五人の娘に創価教育を受けさせたいという願いを持っておられたようだ。娘たちは互いに励まし合いながら、その母の祈りに応え、全員が学園に学び、立派に成長している。
今、その長女も母となり、四人のお子さん方を創価の学舎に送り出しながら、地域貢献の日々である。
母の祈りは、三代にわたって幸福と勝利の光を放っているのだ。


2011年8月14日日曜日

2011.08.14 わが友に贈る

題目の功徳は
三世の同志を包む。
広布に生きる我らは
生死不二の家族だ。
永遠の旅路を共に!

松野殿御返事 P1386
退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならばあら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし金の繩を以つて八の道を界へり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや

◇今週のことば
人生は早い。
無駄に過ごせない。
一日一日を丁寧に!
賢く堅実に
偉大な自分をつくれ!

2011年08月14日

◇希望の明日へ
魔は、じつにたくみに、心の一瞬のスキをついて入り込んでくるものだ。それに気がつけば魔の働きを破ることができる。しかし、知らないうちに 「悪鬼入其身」ともなれば、いいように利用されて、わが身を破壊されてしまう。

☆我らの勝利の大道No.54 青年学会の希望の黎明
日蓮大聖人は、若さ南条時光に『仏にやすやすとなる』ための信心の道を、わかりやすく教えられながら、こう仰せである。
人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわり・ふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり』(P1574)
どの子も、尊き仏の生命を抱いている。最高の「幸福の大道」を、また無上の「栄光の航路」を、必ず勝ち進むことができる。そのために誠心誠意で励まし、前進の力を送っていくのが、我らの誓願の人材育成だ。
先日も、ある学生部の友が近況を伝えてくれた。
彼は三年前(二○○八年)の六月、全国青年部幹部会の折に私が励ました高等部員の一人である。その後、創価大学を志願してくれたが、残念ながら不合格であった。
しかし「負けじ魂で朗らかに進め!」との指針を胸に都内の大学へ進学し、今、八王子で多くの創大生とも切磋琢磨しながら、活躍している。
青年部の結成六十周年を迎えた、この七月には、「先生! 個人折伏が実りました」と報告をくれた。
一回の出会いでも、一言の激励でも、それが種となって、多くの実を結ぶ。
心も躍る、その結実を見守りながら、さらに明日へ希望の種を蒔いていく──これが、地道でありながらロマンに満ちた学会の庭の手作りの人間教育である。
この夏の「ファミリー大会」も、遠大な未来へ、どれほど豊かな人材の開花と結実をもたらしてくれることだろうか。


2011年8月13日土曜日

2011.08.13 わが友に贈る

古い友情を大切に
新しい友情を
大きく広げよう!
友好の拡大こそ
平和と幸福の拡大だ。

佐渡御書 P957
強敵を伏して始て力士をしる

◇希望の明日へ
「魔民」とは、魔界の衆生、魔に魅入られた魔の眷属のことである。他化自在天にあやつられ、その思いのままに踊らされる愚かな魔の”手下”である。いかなる人であっても、ひとたび魔に魅入られてしまえば、それは魔の脊属であり、正常な生命とはいえない。それは、いわゆる「悪鬼入其身(悪鬼その身に入る)」の姿であり、悪魔の所作となる。しかも、悪鬼がだれに取りつくかは自在であり、地位や役職にも関係がない。これまでにも、まさかあの人が、あの幹部が、と思うような人が、正法に反逆していった。しかし、自在に衆生に取り入り、悪の眷属としていくのが、魔の本質である。少しも、驚くことはない。むしろ、広布が進んでいく証左である。それで信心が動揺するのは愚の骨頂である。

☆随筆 我らの勝利の大道No.54 青年学会の希望の黎明
このたびの記録的な豪雨は、特に新潟・福島の両県に甚大な被害をもたらしました。心からの御見舞いを申し上げます。
丹精込めて育ててこられた農作物などにも、大きな被害が出ました。いかばかり残念なことでしょうか。
しかし、不屈の勇気を持つ新潟と福島の皆様は、これまでも幾多の試練を厳然と乗り越え、勝ち越えてこられました。
大変でしょうけれども、どうか断固と変毒為薬して、復旧・復興を遂げられますよう、真剣に題目を送っております。
わざはひも転じて幸となるべし』(P1124)
災来るとも変じて幸と為らん』(P979)
これは、御本仏・日蓮大聖人が仰せの御金言です。妙法の功力は、絶対なのであります。

陸続と
 俊英 育てむ
  君たちの
 責務と行動
  三世に輝け

全国の各地で、未来部を中心に創価家族が集い合う「ファミリー大会」が有意義に行われている。
陰で無事故と大成功の運営に当たってくれている、未来部育成部長や二十一世紀使命会をはじめ、関係の皆様に、感謝は尽きない。
教育本部の先生方の応援も、ありかたい限りである。学生部の友も向学と進学の機運を高めてくれている。

私が対談を進めている、オーストラリアのシドニー平和財団のスチュアート・リース理事長は、自らの信念として語っておられた。
「人びとの模範となるような人物は、たとえ無名であったとしても、最も地味な庶民の中にいる」と。
どんなに華やかな肩書や、煌びやかな名声の持ち主であっても、自分一代だけの栄枯盛衰で、儚く消え去ってしまう人生は少なくない。
どれだけ後輩に尽くし、次の世代のために道を開いているか。人間としての真の偉さは、そこにあろう。
一人ひとりの未来部員を真心から励まし、令法久住・広宣流布の確かな潮流を創りゆく皆様こそ、尊貴な模範の方々である。
「あの人のおかけで」と感謝され、「あの人のように」と敬愛されゆく人生は、何と誇り高いことか。


2011年8月12日金曜日

2011.08.12 わが友に贈る

熱中症に警戒!
水分・塩分を補給し
戸外では帽子・日傘を。
室温の調整も賢明に。
高齢者に声掛けを!


種種御振舞御書 P919
日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければたもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり

◇希望の明日へ
仏法では、魔は魔と見破れば、すでにヌケ殻のようなものである。道に大石がころがっていれば、前進を妨げる。ゆえに、これは魔である。しかし、その石は、どければよいのである。少々の低次元な魔の姦動など悠々と見下ろし、むしろ信心を深めていく良い機会と思っていけばよい。

☆勤行・唱題は生き生きと
「勤行は生き生きと! 先頭を切って、題目で一切を動かしていく決意で、朗々と、力強い声でやることだ。
弱々しい勤行では、魔を打ち破れない。臆病であっては、人を救えない。要領では、正義を護れない。
広布の大きな責任を担い立つ。そう覚悟した自分が、皆を引っ張つていくような、皆を包んでいくような勤行をすることだ。創価の威光勢力を増していく、強き祈りがなければならない。
仏法の魂は師弟である。師弟に生きる人は、何も恐れない。
師匠は常に厳然と見ている。
師匠と共に、大音声で、断じて同志を守り抜くと決めて、祈っていきなさい
(各部の代表に)


2011年8月11日木曜日

2011.08.11 わが友に贈る

友のために動き
同苦する東北の心は
学会の永遠の宝だ。
皆様どうか健康で!
使命の勝利劇を!

上野殿御消息 P1526
三世の諸仏の世に出でさせ給いても皆皆四恩を報ぜよと説き三皇五帝孔子老子顔回等の古の賢人は四徳を修せよとなり

◇希望の明日へ
大聖人が繰り返し仰せの通り、妙法受持の仏弟子には、三障四魔が紛然と競い起こる。この弛みなき闘争にあって、魔の軍勢と戦い、克服していくべきは、信仰者として、避けられぬ使命であり、責任である。まさに"法華経の敵"と戦うことを願い求めた諸天は、この決定した一念の人にこそ応じ、その力用を全面的に発動していくに違いない。妙法の無量無辺の功徳と福運はこの厳然たる"師子王の心"の人に薫り、永遠の"生命の錦"として輝いていく。

▽「仏法の根本は信を以て源とす」御書。強盛の祈りから絶大な仏力・法力が
▽婦人部・青年部に信頼される壮年幹部たれ。要領、格好主義排し率先の姿で

☆富士の如く厳然と生き抜け
〈病気と闘っている同志に〉
「断じて病気なんかに負けてはいけない。乗り切った人は無数におります」
「私だって体が弱かったけれども、立ち上がって、世界を駆けめぐってきた。決心ひとつだ。絶対に健康になりなさい。富士のごとく厳然と、偉大な人生の総仕上げをしていくのだ」
「負けるな。断じて負けるな。あなたの生命の中に太陽がある」
「希望をなくしてはいけない。
人がどう言おうが、堂々と自分自身に生ききりなさい。何かあっても強気で。楽しい人生を生きなさい」
「仏法の眼で見れば、全部、意味がある。何かあっても、微動だにしてはならない。
生命は永遠なのだから。妙法を唱えていて、かりに不幸に見えることがあっても、それは、最大に幸福になる意義をはらんでいるのだから。どんなことがあっても、信心だけは微動だにしてはならない」
「御本尊に祈りきって、一歩も引かないで、悩みを突き抜けて進むのだ。どんな状況であっても、必ず幸福になれる信心だ。戦い続ける君に勝利あれ」


2011年8月10日水曜日

2011.08.10 わが友に贈る

読書は心の滋養。
良書との出あいが
精神を高めゆく!
古今の名著に挑む
大成長の夏を!

さじき女房御返事 P1231
この功徳は父母祖父母乃至無辺の衆生にもをよぼしてん、ましてわがいとをしとをもふをとこは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし

◇希望の明日へ
信心は、魔との戦いである。信心が弱まれば必ず、魔は勢いを増す。ひいては信心を破られてしまう。外から襲いくる魔と戦うことは、そのまま自身の内なる魔との戦いなのである。それなくして広布の前進も、自身の一生成仏もない。魔との戦いを失った信心は、結局、観念論に陥ってしまうし、御聖訓通りの仏道修行とはいえない。妙法の世界にあって、誉れの人、偉大な人とはだれか。それは信心強き人である。勇猛の心で魔と戦う人である。成仏は立場や格好で決まるものではない。信心が強いか弱いか、広宣流布への一念が深いか浅いかで決まる。ここに仏法の厳しさ因果律がある。

☆随筆 我らの勝利の大道No.53 未来部・躍進の夏
私が深く交流を結ぶ、イタリアの名門パレルモ大学は、地中海の最大の島シチリア島にある。
一九〇八年、シチリア島は大地震に襲われた。七歳の時に、その惨禍に直面した少年がいる。しかも彼は、震災直後、壊滅的な被害を受けた都市メッシーナに、父親の仕事の関係で、同じ島内から移り住む。
大きな苦難の淵から、懸命に復興へ立ち上がるメッシーナの人びとのなかで、少年は、一生涯の友情を結び、英知を磨き抜きながら、自らの使命に目覚めていったという。
そして少年は、二十世紀イタリアを代表する世界的な詩人へ成長したのだ。
「わたしは唱う民衆の歌を」と──。
故郷の島の大震災から半世紀を経た一九五九年、ノーベル文学賞に輝いたクアジーモドである。
この人間主義の大詩人が大切に抱きしめていた言葉がある。
それは、「どんなに長い夜も必ず明ける」という劇作家シェークスピアの蓄深い一節であった。
わが未来部の友よ!
君たちこそ、一家にあっても、地域社会にあっても、世界にあっても、希望と輝く太陽である。

どんな深い暗闇に覆われても、君たちの笑顔があれば、一切は明るく変わる。
愛する君だちよ!
題目を朗々と唱えながら、わが生命の勇気と勝利の太陽を、赫々と昇らせてくれ給え!

使命ある
 尊き君の
  人生は
 希望にあふれて
  不滅なるかな


2011年8月9日火曜日

2011.08.09 わが友に贈る

世界の不戦と
核兵器の廃絶こそ
我ら民衆の願い!
青年の声の力で
平和のスクラム築け!

種種御振舞御書 P917
日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信法師には良観道隆道阿弥陀仏と平左衛門尉守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ

◇希望の明日へ
信心は一生である。そして三世である。広宣流布も、長い長い旅路である。その幸福への旅を、最後まで、どう完走するか。宝の一生の毎日、毎日を、どう価値的に、すがすがしく生きていくか。そこには賢明な知恵が必要である。

☆随筆 我らの勝利の大道No.53 未来部・躍進の夏
大聖人は『幼少の時より学文に心をかけし』(P1292)と記されている。
わが未来部の友に、「学びの道」を広々と示してくださっている御聖訓でもあると、私は拝してきた。
人間が人間として、真に人間らしく、善の生命を開花し、尊き使命を果たしゆく推進力は、「学ぶ」ことである。
ゆえに、君よ! 自身の勝利のため、民衆の幸福のため、世界の平和のため、徹して学ぶのだ。苦しい時ほど、前を向き、不屈の負けじ魂を燃えあがらせて、学びに学ぶのだ。
若くして働き始めた先師・牧口常三郎先生も、わずかな時間を見つけて本を開いた。周囲からは「勉強給仕」と呼ばれた。
「学ばずは卑し」「学は光なり」との信念は、軍国主義と戦い獄死されるまで、一貫して変わらなかった。これが、私たちの創立の父である。
後に続く未来部の友は、断じて「勉学第一」の挑戦王であってもらいたい。


2011年8月8日月曜日

2011.08.08 わが友に贈る

「月月・日日に
つより給へ」
新しい挑戦が
新しい歴史を創る。
健康・勝利の夏を!

御義口伝巻下 P781
釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり

◇今週のことば
真夏の早朝に光る
無冠の友の真心に感謝!
健康・無事故を祈ります。
勇気漲る聖教とともに
きょうも黄金の日記を!
2011年08月08日

◇希望の明日へ
知識は、きちんと身につけねばならない。その努力のなかで自分自身の知恵を開発しなければならない。知識の門をくぐらなければ、知恵も得られない。一方、知恵を身につけていかなければ、知識の洪水に溺れ、人生の正しき方向を見失ってしまう。そして、もっとも根本的な、正しく生きる知恵をわが生命から引き出し、磨いていく源泉が仏法である。

☆随筆 我らの勝利の大道No.53 未来部・躍進の夏
日蓮大聖人は仰せになられた。
鍛えられていない鉄は燃えさかる火に入れれば、すぐに溶けてしまう。それは氷を湯に入れたようなものである。剣などは大火に入れてもしばらくは溶けない。これは鍛えられているからである』(P1169、通解)
青春時代は鍛えの時だ。ゆえに、今は大いに悩み、進んで苦労するのだ。それで、友の悩みが分かる人になる。もがき、努力した分だけ、周りを包み込む大きな心の持ち主になれる。
青春ゆえの葛藤もあるだろう。言い尽くせない悲しみや悔しさを、経験しなければならない時もある。だが、それは必ず、勇気と希望の虹となって、君たちの人生を鮮烈に彩るのだ。
私の十代は、戦争によって踏みにじられた。四人の兄は徴兵され、長兄は戦死した。母が震え悲しむ姿は、今もって心に焼きついて離れない。
だから、私は平和の若獅子となって立った。仏法に出逢い、世界一の師に導かれ、最高に強き正義の人生の生き方を知った。
この無上の生命の大道のすべてを、私は後継の未来部に伝え残したい。

君たちの
 勉学見つめむ
  富士の山

2011年8月7日日曜日

2011.08.07 わが友に贈る

夏の事故に注意!
「小事が大事」だ。
海や山、留守中の火災。
車の運転など
絶対無事故を!



立正安国論 P17
世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず


◇希望の明日へ
人の心を動かすものは、知恵である。周囲がどうか、環境がどうかではない。大切なのは、自分自身の知恵である。知恵で決まる。その知恵を開くために、自分自身が信心を奮い起こしていくことである。また、そうした強き信心の祈りは、すぐに目には見えなくとも、時とともに、必ず、"勝利のリズム"を生み出していく。"無限の知恵"が、"無限の勝利"の道を開いていく−−それが信心である。


☆随筆 我らの勝利の大道No.53 未来部・躍進の夏
「友よ、兄弟よ、私の心は諸君に対する無限の信頼に高鳴っている」
スイスの大教育者ペスタロッチは、自らが創立した学園の生徒たちに語った。
愛する未来部よ!
わが宝の生命よ!
栄光の創立百周年の誇り高き主役は、まぎれもなく君たちである。

二〇三〇年のその時──今の未来部の友は、それぞれ、何歳になっているだろうか。
少年少女部の君たちは、二十五歳から三十一歳の立派な若人に成長している。その年代は、私が、恩師・戸田城聖先生の分身となって一心不乱に全国を駆け、勝利勝利の旗を打ち立てていった、誉れの青春時代と重なっている。
さらに、現在の中等部の君たちは、恩師の後を継いだ私か、世界に飛翔し、平和の大闘争を開始した年齢を迎える。
そして、高等部の君たちは、まさに社会の中核の「正義の走者」として舞い踊っていると信ずる。
思えば、永遠不滅の創価の大城を築きゆくため、私が未来部を結成したのは、三十六歳の時であった。
わが未来部の君たちが、その年代になった時、どれほど遠大な未来の扉を開いてくれるであろうか。そこから創立二百周年(二一三○年)への晴れやかな大行進が始まるに違いない。
戸田先生は、悠然と語られていた。
「百年後、二百年後のために、今、戦うのだ。二百年先には、創価の道の正しさを歴史が証明する。後世の人類が必ず証明するよ」


◎誕生日にTDL・TDSに行くと、「HAPPY BIRTHDAY」シールがもらえるよ!
更にキャストから「Happy Birthday!!、素敵な一日を!」と、もれなく(年齢に関係なく)祝福してもらえますよ(^^♪

2011年8月6日土曜日

2011.08.06 わが友に贈る

一対一の対話こそ
世界平和の王道!
生命尊厳の大哲学を
あの友 この友に
大誠実で語りぬけ!

安国論御勘由来 P35
但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず

◇希望の明日へ
信心によって、偉大な知恵と生命力を発揮して、見事に苦境を乗り切ってこそ、正しく仏法を実践する人、すなわち"世法を識る者"といえるのである。信心をしていれば何とかなる、という安易な考え方は、誤りである。信心しているからこそ、当面する課題をどう解決していこうかと、真剣に祈り、努力していく。その「真剣」「挑戦」の一念から、最高の知恵が生まれる。

☆随筆 我らの勝利の大道No.53 未来部・躍進の夏
名作『木を植えた人』の末尾に、フランスの作家ジャン・ジオノは記した。
「人間に与えられている力は大したものだ。しかしその力は、つねに魂を高貴に保ち、ひたすら無私に与えつづける寛い心をもちつづけて、初めて完全に発揮されるものである」
地道な努力が、すぐに実を結ぶこともあれば、そうでない時もある。壮大であるがゆえに、わが身一代で成し遂げられぬ夢もある。
だが私たちは、三十年、五十年先の広宣流布の大勝利を確信して、「今」を力強く戦うことができる。
なぜか──。
私たちには、後継の未来部がいるからだ。人間主義の平和の世界の大建設を受け継いでくれる、君たちがいるからだ。
それは、昭和四十四年(一九六九年)の夏八月。
躍進しゆく学会に、「悪□罵冒」「猶多怨嫉・況滅度後」の難が競い起こらんとする時であった。
私自身、『弥はげむべし・はげむべし』(P1194)との御文を胸に、夏季講習会に臨み、一夏で十万人に及ぶリーダーの育成に死力を尽くしていた。
その渦中、第二回の高等部総会に集った俊英たちに、私は「西暦二〇〇〇年に、もう一度、集おう」と呼びかけた。
これから社会に雄飛し、人生の荒波に挑んでゆく鳳雛たちに、眼前の毀誉褒貶を越えて、目指すべき指標を贈りたかったのである。宿縁深き一人ひとりの成長と勝利の軌跡を一生涯、厳然と祈り、見守り続けることを、私は固く決心した。
この「二〇〇〇年会」の友とは三十一年後の約束の年、再び集い合った。
学会のリーダーはもちろん、医師、教育者、弁護士、会計士、税理士など、広布と社会の各分野で活躍する二十一世紀の大切な指導者に育ってくれていた。
学会は勝った! 私は心から嬉しかった。
そこには、「二〇〇〇年会」のメンバーのお子さんの世代にあたる未来部の代表も参加していた。
次なる大目標である学会創立百周年の二〇三〇年へ、共々に勇躍の出発をした彼らは、今、青年学会を築く学生部、男女青年部の年代である。

2011年8月5日金曜日

2011.08.05 わが友に贈る

報恩の人生の
なんと晴れやか!
父母の恩を知り
誓いに生き抜く
親孝行の人たれ!

南部六郎殿御書 P1374
若し菩薩有りて悪人を将護して治罰すること能わず、其れをして悪を長ぜしめ善人を悩乱し正法を敗壊せば此の人は実に菩薩に非ず、外には詐侮を現じ常に是の言を作さん、我は忍辱を行ずと、其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん

◇希望の明日へ
知恵が出るかどうかは、慈悲があるかどうかである。母親だって、子どものことを思うからこそ、他の人には、思いもよらない角度から、パッ、パッと知恵が出る。教師も、あらゆる指導者も同じである。相手を思う心というか、責任感というか、真剣さである。そこに本当の知恵の原動力がある。

▽一人の父親は百人の教師にまさる−詩人ハーバード。父子で広布の未来を語らう夏に

☆随筆 我らの勝利の大道No.53 未来部・躍進の夏
この七月十七日、宮城県の塩釜文化会館で行われた未来部総会の席上、大歓声が沸き起こった。
南米アルゼンチンのサッカー協会から「被災地の若き友の励みになれば」と届けられた、白と空色のユニホームなどが、未来部の友に授与されたのである。
これは、社会で信頼を広げるアルゼンチンSGI(創価学会インターナショナル)の青年部が、協会の方々から託していただいたものだ。深く感謝に堪えない。
アルゼンチンでも、この七月末、華陽の姉妹が各地で颯爽と大勝利大会を行う。その先頭に立つ女子部長は、名門ブエノスアイレス大学で教壇に立つ、最優秀の教育者である。
十八年前、私かアルゼンチンを初訪問した折には、鼓笛隊の一員として迎えてくれたことも、懐かしい。
未来部の時に受けた励ましを原点として、今、多くの友が世界のいずこでも、誓いの青春を走り抜いてくれている。

全世界
 広宣流布を
  成し遂げる
 指導者つくらむ
  使命の会かな

2011年8月4日木曜日

2011.08.04 わが友に贈る

未来部員とともに
親も祖父母も輝く
ファミリー大会、万歳!
3世代の麗しき交流で
信心の魂の継承を!

下山御消息 P350
此等の経文の亀鏡をもて両火房が身に指し当て見よ少もくもりなからん、一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか二には慳貪なるか三には嫉妬なるか四には邪見なるか五には婬乱なるか此の五にはすぐべからず

◇希望の明日へ
末法における最高の知恵は、日蓮大聖人の説かれた南無妙法蓮華経である。だから「以信代慧(信を以って慧に代う)」で、妙法の借受のなかに最高の智慧がある。本当に信心強盛に、広宣流布のために頭脳を使っていけば、頭が良くならないはずがない。知恵が出ないはずがない。また自然に、一番良い方向、リズムになっていく。深い妙理にかなった生活、人生になっていくし、その人なりに、必ず聡明になっていく。なっていかねばならない。聡明な生き方が、正しい信仰の証明である。

☆随筆 我らの勝利の大道No.53 未来部・躍進の夏
若さとは無限の可能性である。若き心で進むのだ。若き人材を伸ばすのだ。
後継の宝を励まし、育成する、未来部の「躍進月間」が開幕した。
壮年・婦人の未来部育成部長、男女青年部の二十一世紀使命会、学生部の進学推進の担当者と共に、大成功させていただきたい。

未来! それは、法華経の最重要のテーマである。
釈迦仏や多宝仏、さらに十方分身の仏が、法華経の会座に集われたのは、一体、何のためであったか?
ひとえに、未来の仏子たちの成仏のためである。
「開目抄」には、こう記されている。
この三仏(釈迦・多宝・十方分身の仏)が未来に法華経を弘めて、未来の仏子たる一切衆生に与えようとする心の中を推しはかると、大きな苦しみにあっている一人子を見て、救おうとする父母の心よりも、はるかに強いことがうかがえる』(P236、通解)と。
何としても、未来に生きゆく友に大仏法を伝え、一人ももれなく幸福に──。これが、法華経に脈打つ仏の心である。その烈々たる一念に連なって祈り抜き、億劫の辛労を尽くしてきたのが、わが学会の未来部育成であるといってよい。
「あの子を広布の大人材に育てずにおくものか!」
「この子も創価の庭で大成長させてみせる!」
見返りなど何も求めない。ただ、ひたぶるに友の偉大な使命と栄光の人生を願い、励ましを贈る。
ここに法華経の魂の真髄がある。だからこそ、若き地涌の菩薩が澎湃と呼び出され、躍り出てくるのだ。

2011年8月3日水曜日

2011.08.03 わが友に贈る

未入会の家族など
支えてくれる人に
日頃の感謝を伝えよう!
私たちの成長の姿こそ
最高の仏法の証明だ。

四条金吾殿御返事 P1121
法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり、然れば日蓮賎身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり、此れを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにもすぎたりと見えたり

◇希望の明日へ
生命も、社会も、人生も、変化また変化の連続である。一瞬としてとどまることがない。無常である。この実相を自覚せず、変化への対応を怠れば保守となり、硬直となる。それでは仏法の実践者とはいえない。大切なのは、この変化を、つねに価値と勝利の方向へ向けていく知恵である。信心根本の深き知恵ある人は行き詰まらない。変化即発展、変化即勝利へと転じていける。

▽強盛な信心に立て!時代の波に足を取られてはならぬ−恩師。大生命力だ
▽「帰らむには第一・心に深き用心あるべし」御書。帰宅も帰省も絶対無事故

☆全国通信員会議へのメッセージ
わが聖教新聞の宝であり、力であり、そして命である、尊き全国通信員の皆様方に、私は最大の敬意を込めて、メッセージを送らせていただきます。
きょう発表される、東北と信越の代表の方々の素晴らしい活動報告の内容も、私は感銘深く伺いました。日本列島の津々浦々で光る皆様のご活躍、いつもいつも、本当にありがとうございます。
東日本大震災を機に、「生きる希望」「生き抜く勇気」を引き出す「言葉の力」があらためて見直されております。
まさしく、言論の真価が問われる時代に、皆様方のおかけで、聖教新聞は、いやまして人間主義の力に漲る言葉を発信しながら、創刊60周年を迎えることができました。各界からも多くの期待と共感の声を、相次いで寄せていただいております。
関西を代表する新聞人の方は、聖教の発展の原動力として「通信員制度」に注目され、驚きをもって賞讃してくださいました。
「通信員が現場で得た情報を紙面に反映している。通信員の活躍によって、聖教新聞が読者にとって、さらに身近なものになっているのではないでしょうか」と。誠に深く鋭く真実を見てくださっています。
聖教新聞は、戸田城聖先生と私の師弟の語らいから生まれました。そして、創刊から3年後に発足した「通信員制度」もまた「師弟の魂」の結晶であります。
それは、あえて申し上げるならば、広宣流布という平和の大闘争の従軍記者、すなわち常に激戦の最前線に躍り出て、戦いながら書き、書きながら戦うという「言論の勇者」の誕生であったのであります。
思えば、日蓮大聖人は、御命にも及ぶ大難の連続の中で、絶え間なく御執筆を続けらおました。
「顕仏未来記」には、『今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり、世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え』(P509)と仰せになられております。
この大聖人の烈々たる御心をしのび、強盛に祈り抜きながら、広宣流布の言論戦には真剣勝負で臨んでいかねばならないと、戸田先生と私は語り合いました。
私自身、戸田先生の事業を支える人知れぬ奮闘の中で、聖教新闇の編集に携わり、書いて、書いて、書き抜いてまいりました。
その私の胸に、いつも燃えていたのは、師弟に貫かれた「通信員魂」であります。私は一生涯、名誉ある通信員の一人であるとの誇りを持っております。
皆様方は、社会や地域、家庭で活躍されながら学会活動の第一線に立ち、その上で通信員として活動しておられます。それが、どれだけ大変なことか、よく存じ上げております。
できることなら、私も今、この困難な時代に、広宣流布の道を勇敢に開いてくださっている同志の一人一人に、直接、お会いしたい。そして、一人でも多く、感動的な体験や活躍の様子を記事にして歴史に残して、日本中、世界中に宣揚して差し上げたい。私は、そういう心情でいっぱいであります。
この私に代わって、勇んで健筆を揮ってくださっている通信員の皆様方に、私は満腔の感謝を捧げたいのであります。
今年、生誕150周年となるフィリピン独立の英雄ホセ・リサール博士は叫びました。
「一番大事なことは、素直な心で考え、感じ、目的のために努力し、考えを伝えるのにペンの力を最大限に活用することだ」(カルロス・キリニ著『暁よ紅に』)と。
「言論の英雄」たる通信員の皆様方が、真心を尽くし、努力を重ねて出稿してくださる一本の記事や一枚の写真は、地味であるかもしれません。しかし、時代を動かす最も確かな力となり、未来永遠に消えざる光明となることは、絶対に間違いないのであります。
仏は文字に依って衆生を度し給うなり』(P153)とは、私たちが常に生命に刻んできた御聖訓であります。
仏は、文字によって「人間を救う」のです。
この誉れ、この使命、この喜びに胸を張って、聖教新聞とともに、わが人生の黄金の日記文書を一日また一日、創り留めゆけるのが、私たちの人生であります。
どうか通信員の皆様方は、これからも、勇気を綴り、智慧を綴り、文化を綴り、平和を綴り、希望を綴り、悲嘆と不幸から「人間を救う」言論を、私と共に断固として発してくださるようお願いします。
心から信頼する皆様のご健康と絶対無事故、ご一家の栄光勝利を、私と妻は祈りに祈ってまいります。
偉大なる通信員の皆様、万歳!
言論の太陽の皆様、万歳!

◎きょう入会25周年! これまでに感謝、そして、これからも...

2011年8月2日火曜日

2011.08.02 わが友に贈る

友好の拡大が
広宣流布の拡大!
さあ勇んで友のもとへ。
進まざるは後退!
前進こそ勝利!

如説修行抄 P501
夫れ以んみれば末法流布の時生を此の土に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり

◇希望の明日へ
善悪、正邪を鋭く見抜く知恵、英知がなければ、敗北の人生となってしまう。まして、信仰者は、だれよりも聡明でなければならない。民衆を幸福に導く責任があるゆえに、絶対に悪にだまされてはならない。

☆勇気・団結・執念で勝て
「(大阪事件で不当逮捕された)昭和32年の7月3日に臨んで、私が深く心肝に染めていた御聖訓がある。
それは「法華経の為に御勘気を蒙れば幸の中の幸なり瓦礫を以て金銀に易(か)ゆるとは是なり」(P1371)。すなわち、法華経のゆえに迫害されることは、幸福の中の幸福である。瓦や石ころをもって金や銀にかえるとは、このことであるとの仰せだ。
我ら関西の『7・3』そして『7・17』を貫く信心の魂とは──
第1に、いかなる大難が競い起ころうとも、師匠とともに、師匠のために、喜び勇んで戦い抜く『不惜身命』の勇気である。
第2に、いかなる強敵が立ちはだかろうとも、わが同志を護り抜き、断固として打ち破っていく、一番深い『異体同心』の団結である。
第3に、いかなる逆境に追い込まれようとも、それを大発展の力に転じて、最後は必ず晴れ晴れと勝つ『絶対勝利』の執念である」
「さあ、今再びの前進だ。強盛なる祈りで魔軍を抑えながら、『大法興隆所願成就』の大行進を仲良く朗らかに開始しよう!」(関西の同志に)

2011年8月1日月曜日

2011.08.01 わが友に贈る

敢なる青年が
一人立ち上がれば
歴史は変わる!
師弟誓願の8月を
断じて勝ち飾れ!

大悪大善御書 P1300
大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずともまいをもまいぬべし、舎利弗にあらねども立つてをどりぬべし

◇今週のことば
1.張りのある勤行
2.無理と無駄のない生活
3.献身の行動
4.教養のある食生活
さあ健康充実の前進を!
2011年08月01日

◇希望の明日へ
時代が動くときも、社会が大きく変わるときも、そこには、必ず、新たな思考の予兆がある。いかなる団体の発展にも、どのような人の成長にも、そこには、必ず新たな発想の芽ばえがあるものだ。まさに春の訪れを告げる"芽ばえ"−それを、どういち早くとらえて、大きく伸ばしていくか。そこに、あらゆる社会、団体の発展の鍵があるし、人材を育て、活動を成功に導く方途がある。新しい発想、新しい思考は、新たな知恵の開発から生まれるものだ。学会も、妙法を根本とし、その時代、それぞれの地域で知恵を働かせ、新思考をもって進んできたがゆえに、今日の大発展があったと思っている。

☆随筆 我らの勝利の大道No.52 青年学会の大生命力
「負げでたまっか!」と勇猛精進する福島青年部の有志は、カモミール(カミツレ)の種を、地域の友人に手渡してきたそうだ。
美しい白い花を咲かすカモミールの花言葉は"逆境に負けない強さ"。
その種が花を咲かせるように、君の人生にも、再びの幸福の花を咲かせよう!
──そうやって、一人ひとりに勇気を送り続けているという。
東北が生んだ、近代日本を代表する思想家・吉野作造は言った。
「生命の力が実に一切の矛盾衝突を解決して行くものであることを忘れてはならない。随って又我々の生活に於ては、此の生命力の涵養を怠ってはならない」
この「生命力の涵養」の最も確かな道を、若くして知り、究めゆく哲人こそ、君たちだ。
わが信ずる君たちよ!
地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし』(P1310)との御金言を心肝に染めて、青春王者の歴史を勝ち開け!

断固たる
 勝利 勝利の
  この一生
 誇りも高く
  飾り残せや