2020年10月31日土曜日

2020.10.31 わが友に贈る

日の出が遅くなり
早朝の寒さが増す時期。
「無冠の友」の皆さま
どうか体調を崩さず
日々 安全第一で!

一念三千法門 P416
『法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し、譬えば春夏田を作るに早晩あれども一年の中には必ず之を納む、法華の行者も上中下根あれども必ず一生の中に証得す』

【通解】
法華経の行者は如説修行するならば、必ず一生のうちに一人も残らず成仏することができる。例えば、春、夏に田を作るのに、早稲・晩稲の違いがあっても、一年のうちには必ず収穫するようなものである。法華経の行者も上根・中根・下根があっても必ず一生のうちに証得する。

名字の言 リンカーン大統領が凶弾に倒れた時の所持品 2020年10月31日
奴隷解放の父と仰がれ、「人民の、人民による、人民のための政治」との演説で知られる米国のリンカーン大統領。彼が凶弾に倒れた時の所持品に、数枚の新聞の切り抜きがある▼内容は大統領としてのリンカーンの功績をたたえた記事。南北戦争という分断の危機の中、常に批判の矢面に立たされていた彼は"自分を褒めた記事"を心の支えとしたのだろうか▼自分を認め、信じてくれる存在や、自らを励ます言葉は前へ進む力となる。本紙配達員を務める沖縄の婦人は、3人目を妊娠中に脳炎を患い、母子共に危険な状態に陥った。だが病院で目にした本紙の信仰体験に勇気をもらい、"必ず乗り越えてみせる"と懸命に唱題。やがて病状は快方に向かい、出産も果たした▼婦人の手元には本紙の切り抜きなどを貼ったノートがある。あるページには「自らを信じよ! 卑下するなかれ!」との池田先生の言葉が書かれ、朱線が引かれていた。婦人は「困難に遭うたびにノートを読み返しては祈り、自分を鼓舞してきました」と。同志の励ましもあり、その後も家庭不和などの試練を信心で克服。母と妹を入会に導いた▼一つの言葉、一つの体験が誰かの希望と勇気の源泉になる。本紙もまた、ペンを通じて、その使命を果たし抜いていきたい。(踊)

寸鉄 2020年10月31日
ネパール初訪問25周年。師の大闘争ありて仏法は西還。後継よ勇み続け!
経験に頼る前に御本尊に頼れ—恩師。信心は無限の可能性開く。確信強く
『新・人間革命』は全人類に対するエール—識者。希望の一書を今日も研鑽
食・運動習慣の改善、3〜4割が無関心と。健康は勝利の源泉。日々、聡明に
ひったくりが頻発。歩きスマホやイヤホン装着は危険度大。警戒心持って

☆第3代会長就任60周年記念 広布史アルバム 第10回 10・20「広島の日」
◇人間勝利の凱歌をあげよ
「一度、決めたことをやめられるか! 男子として、死んでも行く。これが、大作、真実の信心ではないか!」

〈1957年(昭和32年)11月19日、病床にあった恩師・戸田先生は、池田先生に命懸けで広島に向かうことを訴えた。池田先生は随筆に、恩師の思いを記している〉

(戸田)先生の被爆地・広島への思いは、いかばかりであったろうか。核兵器という「サタン(悪魔)の爪」に破壊された広島へ、命と引きかえで出発する覚悟だったのである。
だが、この翌日には、先生の病状は、歩行もできぬほどに悪化し、ついに広島指導は断念せざるをえなかった。
恩師は五十七歳。ご逝去の半年前のことであった。
生命を賭して、広島行きを望まれた、あの師の気迫は、生涯、わが胸から消えることはない。いな、それが、私の行動の原点になった。
 
〈85年(同60年)10月20日、57歳の池田先生は、広島で開催された第6回「世界青年平和文化祭」に出席。この年、先生は国連事務総長と会見するなど、数々の平和行動をもって広島を訪問した。文化祭を振り返り、先生は広島への万感の思いをつづっている〉
 
「永遠の平和 広島」!
感動のフィナーレで浮かび上がった、白い大きな文字が、今でも鮮やかに脳裏に蘇る。大歓喜の渦の中に、アメリカやアジアなど、世界の五大州の友がいた。広島の青年が輝く瞳で乱舞していた。
そこには、歴史を永遠の平和へ回転させゆく、若人の熱と力が燃えていた。
 
文化祭の翌日、私は、再び原爆慰霊碑に向かい、追善した。この日、世界四十六カ国・地域のSGIの同志も、慰霊碑に献花した。
私は心強かった。偉大な使命感に燃えた、民衆の「平和の連帯」の世界的拡大こそ、悪魔の兵器の暴走を止める最強の力だからである。
 
正義の団結、善の連帯こそ、分断と破壊の魔を打ち破る勝利の要諦である。
永遠平和の原点・広島よ!
世界の希望・広島よ!
強き団結の力で勝て!
雄々しき正義の声で勝て!
不屈の精神の戦いで勝て!
広島には、人間勝利の凱歌をあげる大使命があるのだ!

第6回「世界青年平和文化祭」のフィナーレで、池田先生が両手を高く上げて、出演者に応える(1985年10月20日、広島県立体育館<当時>で)。被爆40年という節目に、世界中の青年たちが歌や踊りを通し、広島の地で、恒久平和を訴える姿に、各界の来賓たちは称賛を惜しまなかった。この日は、「広島の日」「広島青年部の日」に。明後20日、35周年の佳節を迎える

原爆の投下目標にされたといわれる相生橋(あいおいばし)を歩く池田先生。奥には原爆ドームが立つ(同年10月21日、広島市内で)。「『平和への闘争』なくして、広島を訪ねることはできない」「『戦争の二十世紀』の犠牲となった広島を、『平和の二十一世紀』の聖地へ!」との信条の通り、先生は愛する広島の同志と共に、世界平和と核兵器廃絶の大理想の実現へ、闘争に次ぐ闘争を重ねた