会合に参加できない友を
丁寧に激励していこう!
"分かってくれている"と
感じられるつながりが
挑戦への勇気を生む。
四条金吾殿御返事 P1192
『さてもさても敵人にねらはれさせ給いしか、前前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い目出たし目出たし』
【通解】
まったくのところ、あなたは敵人に狙われたにちがいない。普段からの用心といい、また勇気といい、また法華経への信心が強盛な故に、無事に存命することができたことは、本当にめでたいことである。
名字の言 トルストイの喜びの源となった思い出 2020年10月21日
トルストイは自伝小説『幼年時代』の中で、魂を清め、高めるとともに、この上ない喜びの源となった思い出をつづっている。母から無限の愛情を受けた安らぎの日々、純真に両親や友達の幸せを願った日々……▼そして、こう問い掛ける。「わたしたちが幼年時代に持っていた、あのすがすがしい無心な心持ち、愛の欲求、信仰の力、こうしたものはまたいつか還ってくるのだろうか?」「わたしに残されたのは、ほんとうに、ただの思い出だけなのだろうか?」(米川和夫訳)▼ある多宝会の壮年は高校卒業後、東京に就職して以来、故郷の長野県を離れている。今、実家に住む家族はいない。ただ庭には一本の梅の木がある。生前、信心強盛だった母が残したものという。壮年は妻と毎年、梅の実を収穫するために帰省する▼生まれ育ったわが家を目に焼き付け、梅の木を仰いでは、亡き母の面影を重ねる。そして壮年は"信心に励み、一歩成長した姿で、また来年もここに来よう"と決意するのだという。梅の木は"息子よ、私がいなくても、信心根本で真っすぐに生き抜きなさい"と励ます「母の愛情」でもあろう▼原点を持つ人は強い。その原点を「ただの思い出」にせず、前進の起点にできる人は、もっと強く生きられる。(城)
寸鉄 2020年10月21日
会長には平和への具体的展望と行動がある—識者師に学び、師と共に前進
山口県青年部の日。創価の革命児よ堂々と語れ!君らの拡大で新時代開け
「喜とは自他共に喜ぶ事なり」御書。幹部は心して友のために祈り励ましを
他人に感謝できる人は健康で幸福度も高い—教授報恩の道行く我らの人生
出産望む夫婦増、幼保無償化の効果と。公明の実績。若い世代の支援更に
〈社説〉 2020・10・21 コロナ禍で奮闘する学生部
◇勇気の対話で希望の光を!
コロナ禍の影響で、大学生を取り巻く環境は大きく変化している。
前期の授業は、ほぼオンライン形式で行われ、後期に入ってからは、ゼミや実験、実習など一部で対面形式を取り入れた大学も増えつつある。今春入学した1年生は、思い描いていたキャンパス生活とは、かけ離れた毎日を余儀なくされている。
経済面での変化も大きい。親の収入減やアルバイト先の閉店などで苦境に陥っている学生も数多い。各種調査によると、経済的理由で退学を考えていると回答した学生は2割超に上る。
何より人生の進路を決める就職活動への影響は深刻だ。企業は密を避けるため、説明会やインターンシップ(就労体験)を中止。就活生は面接や採用スケジュールといった選考プロセスが変更されるたびに翻弄されてきた。観光・航空業界では来春の新卒採用を中止する企業もあり、将来への道が閉ざされる不安や、悩みを相談したくても直接会えない焦燥感にさいなまれる学生もいる。
いまだ先行きが見通せない状況の中、各地の学生部メンバーは自らも悩みと戦いながら、同世代の友へ励ましを送り、心の支え、希望の光となっている。9月の世界青年部総会に向けた対話運動では、全国で20万人以上の友人にエールを送ってきた。
神奈川県の学生部員は、中学時代の友人からコロナ禍で人との交流が無くなったこと、自身の悩みを相談できる人がいないことを打ち明けられた。「学会には強い絆がある。悩みを一緒に乗り越えよう!」。創価家族の温かい励ましに共感した友人は今月、晴れて入会した。
また愛知県の学生部員は、共に就活に挑戦していた友人を誘い、学生部のオンライン会合に参加した。友人はメンバー一人一人の生き生きとした姿に感動し、一緒に唱題に挑戦するように。「支え合う仲間のおかげで自分に自信が持てるようになった」と、厳しい就活に全力で取り組み、学生部員と共に第1志望の企業の内定を勝ち取ることができた。
池田先生は「『危機の時代』を生きる人間は、事態をよい方向へと打開し、今を『偉業の行われた時代』に転じ、『黄金の時代の先駆者』となるのだ」とのトインビー博士の言葉を紹介し、若き青年部への期待を随筆につづった。
人類史的な危機に直面する今を生きる青年部はその苦労を糧に、今後の社会・世界を変えていく深き使命がある。「勇気と理想」に生き抜く英知の学生部こそ、同時代の友へ、そして混迷の社会へ、希望の光を送る先駆者として、知勇兼備の成長の日々を送ってほしい。
☆心に御書を 第81回 我らは座談会と共に!
〈御文〉
『此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし』(椎地四郎殿御書、1448ページ)
〈通解〉
この経(法華経)を一文一句であっても聴聞して心肝に染める人は、生死の大海を渡ることのできる船のようなものである。
◇池田先生が贈る指針
妙法を共に学び語らう会座が、いかに尊いか。知恵と工夫の光る座談会が各地で行われる。コロナ禍での企画・運営等の「陰徳」は、いやまして「陽報」と輝く。
励ましが「生死の大海」を越えゆく推進力となる。体験を聞き、一緒に歓喜する"求道の航海"が、崩れざる幸福境涯を開くのだ。我らは"座談会丸"と笑顔で進もう!
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 生死と向き合う 2020年9月15日
◇挑み、勝つことが人生
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、「指導選集」)の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」をテーマに、神奈川県の壮年に話を聞いた。
◇御文
『今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』(御義口伝、750ページ)
◇通解
いま日蓮と門下が妙法蓮華経を修行するのに、難が襲ってくることをもって、安楽であると心得るべきである。
◇2人の幼子を遺して
17年前の1月、新保貴史さん(58)=栄区総合長=の妻・美香さんは、霊山へ旅立った。その1年後、池田先生から激励の和歌が届いた。
「荒れ狂う/怒涛に挑みて/偉大なる/我らの勝利は/晴れ晴れ来たらむ」
◇
美香さんが「乳がん」を宣告されたのは、2人目の娘が生まれて1年後のことだった。
「妻は当時34歳。娘は3歳と1歳で、子育ても人生もこれからという時。あまりの現実に、がくぜんとしました。ともかく絶対に病魔を打ち破ってみせると、夫婦で祈りました」
やがて、手術で腫瘍を摘出することができ、平穏な日常を取り戻した。ところが手術から3年後、がんが再発した。
「腫瘍は、どんどん転移していって。それでも妻は常に前向きでしたが、病気の進行とともに出歩くことも難しくなっていきました」
"自分が強くならなくては"。新保さんは懸命に御本尊に向かい続けた。
再発から3年が過ぎた2003年1月22日、美香さんはとうとう集中治療室へ。
付き添った新保さんは、病室で横たわる美香さんと一緒に題目を唱えた。美香さんの声が途切れた後も、新保さんは祈り続けた。必ずよくなる。そう信じて。
翌23日の明け方、そのまま美香さんは眠るように息を引き取った。1週間前に40歳の誕生日を祝ったばかりだった。
帰りの車中、心が乱れ、涙があふれた。
帰宅した新保さんは、小学生の2人の娘に、しぼり出すように言った。「お母さん、亡くなったよ」。大声で泣きだした娘たちをぎゅっと抱き締め、一緒に泣いた。
葬儀を終えると、日常に戻された。
"自分一人で、2人の娘を育て上げることができるのか"との不安が込み上げた。
光明を見いだそうと御書をひもとく中、胸に突き刺さったのが、「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書750ページ)との一節だったという。
「"いつまでも悲しみに浸っているわけにはいかない。負けるものか"って、御文を命の中に入れました。祈って目の前の"怒涛"に挑んでいく。もうこれしかなかったですから」
仕事、子育て、学会活動……現実は格闘の連続だった。そんな中、池田先生から激励の和歌が届く。弟子を思う師の慈愛。新保さんは目頭を拭った。ふつふつと勇気が湧いた。心の中の悲哀を塗りつぶすように、御本尊に向かった。
娘たちには、母親の分まで愛情を注ごう。そう決めて、どんなに忙しくても時間をこじ開け、授業参観などの学校行事には積極的に参加した。何より、同居していた義父母や義姉家族の存在は、大きな支えだった。
思春期の娘たちとの関わり方に、人知れず悩んだこともあったというが、「妻ならどうするかと考えながら、精いっぱい向き合いました」。
そんな新保さんの姿は、娘たちの目にどう映っただろう。
昨春、医学部を卒業し、医師としての一歩を踏み出した長女・香織さん=女子部員。「大変だったはずなのに、私たちにはそんな顔を全く見せず、いつもニコニコしていました。お父さん、すごいなって思います」
次女・美幸さん=女子部本部長=は、「私が悩んだ時、一番の相談相手になってくれるのが父なんです」と明るく笑う。現在、機械装置メーカーで働きながら、母の分までと朗らかに広布に励む。
新保さん自身、学会では常に広布の最前線で奮闘。勤め先の国際輸送業会社では役員を務めるなど、信頼の実証を示す。
「"難こそ安楽"。それだけを信じて前に進んできました。毎日が"怒涛"でした。でも振り返ってみると、全てが祈った通りに開けました。苦闘の日々があったから、今がある。私はこれからも"怒涛"に挑み続けます」
新保さんの2人の娘、香織さんと美幸さんは、よく地域の婦人部員から「昔、あなたたちのお母さんに励まされたのよ」と、母の話を聞くそうだ。
香織さんは話す。
「闘病中も、よく皆を笑わせていたお母さん。誰からも好かれていました」
美幸さんは、「私も母のように、周囲を明るく照らす存在になれたら」と、心情を語る。
心優しく育った2人の娘に、新保さんは思わず、在りし日の美香さんの姿を重ねる。
「妻を亡くした悲しみが癒えることはありません。ですが、そこにとどまってもいません。今こうして私たち家族が笑顔でいる様子を、きっと妻も、笑って見つめてくれているでしょう」
池田先生は語っている。
「仏教の本質は、いたずらな悲観主義、厭世観でもなければ、根拠のない楽天主義でもない。人生の苦を直視し、そこから逃避するのでなく、むしろ徹底的に取り組んだ末に到達した、生の歓喜の思想だといってもよい。
苦しみから逃避して、真実の喜びはない。人が目をそむけ、逃避しようとしている苦しみを如実に知見し、それに勇敢に挑戦し乗り越えてこそ初めて、金剛不壊の、つきることなき歓喜が込み上げてくるのです」
「妙法に結ばれた生命は、生死を超えて、ともどもに、たがいに、励まし合い、護り合い、導き合って、絶対の幸福と勝利の軌道を進んでいくのである。
妙法の世界には悲嘆もなければ、悲観もない。妙法を行ずる家族は、何があっても『常楽我浄』の月光に包まれていく。そして、その足跡が、あとに続く人々に、計り知れない希望と勇気を送っていくのである」(「指導選集」第1部下巻)
家族で挑んだ6年間の闘病生活。そして、心の中の美香さんと歩んできた17年の歳月。それは今、希望へと続く勝利の足跡と輝いている。
◇[教学コンパス]
身近な人との死別による悲嘆を支える「グリーフケア」への関心が高まっている。「グリーフ」とは、大切な人を喪失した深い悲しみのこと。特に家族を失うつらさは、筆舌に尽くし難い。
上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進氏は、「グリーフケアが求められる時代とは、悲嘆を分かち合うことの困難が強く実感される時代でもある」と述べる(『グリーフケアの時代』弘文堂)。社会と個人の多様化が背景にある。
仏法で説く「慈悲」の精神。「慈」は「友愛」を意味するサンスクリット語の「マイトリー」から訳され、「悲」は「悲しみを共にする」ことを指す「カルナー」などから訳される。友の苦悩に同苦し、励まし合っていく。これこそが慈悲の精神であり、真実の友情であると仏法は示す。
試練の渦中にある友に寄り添い、温かな友情を結んでいくことが、今ほど求められている時代はないだろう。"あなたは一人じゃない"——その思いを一人でも多くの人に届ける実践に、慈悲は脈打つ。(優)