気温の低下に注意し
体調管理を聡明に!
上着を1枚多く羽織る等
身近なことから工夫を。
健康こそ前進の源だ!
撰時抄 P284
『七百余年いまだきかずいまだ見ず南無妙法蓮華経と唱えよと他人をすすめ我と唱えたる智人なし』
【通解】
(日本に仏教が伝来してから大聖人の時代にいたる)七百余年の間に、南無妙法蓮華経と唱えよと他人にすすめ、自らも唱えた智者は、いまだ聞いたことも見たこともない。
名字の言 人が写真を見たくなる理由 2020年10月9日
公開中の映画「浅田家!」のテーマは「家族」である。ユニークな家族写真を撮り続けてきた写真家・浅田政志さんの実話を基にした物語だ▼主人公が東日本大震災の被災地で、写真洗浄のボランティアに汗を流す場面がある。泥をかぶった写真をきれいにして戻すと、持ち主は目を潤ませる。家族との思い出がよみがえるのだろう。かつて浅田さんは本紙のインタビューに答え、人が写真を見たくなる理由を"自分の大切な何かを確認するため"だと言った▼学会員宅を訪れると、それを実感する。池田先生と本人や家族がカメラに納まった一枚を目にする時だ。「写真を見つめては、あの日の励ましを思い出し、どんな苦難も乗り越えてこられたんです」と語る友は少なくない▼先生が同志との記念撮影会を開始したのは1965年。これまで何人と記念撮影したのかを今春、本紙記者が調べたところ、最初の8年3カ月で少なくとも延べ71万8550人に及ぶことが分かった▼「記念撮影は同志との無言の誓いです」と、先生は語っている。写真は過去の記憶と共に、その時の「心」まで呼び起こす。「原点」を持てる人は幸福である。そしてその「原点」を、"創価家族"という無数の庶民と分かち合ってきた師の偉大さを思う。(恭)
寸鉄 2020年10月9日
「声を聞いて心を知る」御書。会って話せば真心が伝播。さあ訪問激励へ
山口開拓指導、開始の日。若師子よ拡大の先頭に!不撓不屈の闘魂を赤々と
逞しき英知光る創大祭。希望の未来は君の腕に。創立の志胸に世界へ飛翔
「3密」や大声の会話等は感染のリスク大—分科会食事の時など防止策徹底
台風が西・東日本に接近。油断排し万全の備えを。無冠の友よ絶対無事故で
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第9回 埼玉
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「埼玉——『彩』の人材輝く天地」〈2012年12月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。きょう29日は、先生が第1回「埼玉青年平和文化祭」に出席した「埼玉青年部の日」。本年は35周年の佳節である。当時の参加者は今、「鉄桶の団結」を誇る埼玉の中核として活躍。後継の若人も陸続と育っている。先生はエッセーの中で、地域性と独自性が光る「彩の国」の特色に触れ、異なる個性を尊重しながら力を合わせる「異体同心」の生き方が「差異」から「彩」を生み出していくとつづる。わが地域を、彩り豊かな多様性の天地に——。共に人間を信ずる心、生命を尊ぶ心で、あの友この友と手を取り合って進みたい。
天晴れて
埼玉道は
輝けり
勝利と栄光
胸に光りて
十代の頃の私にとって、埼玉の道は「希望の道」であり、「感謝の道」でありました。
第二次世界大戦後の厳しい食糧難の時期、私の兄の友人で農家のご一家が飯能におられ、イモなどを親切に分けてくださったのです。
たくさんの食糧を背負っての帰り道、父母や弟妹の喜ぶ顔が嬉しく心に浮かびました。終生、忘れることのできない埼玉の人情です。
埼玉は「江戸の母」と呼ばれてきました。その豊かな大地と、尊き労苦がもたらす農作物や特産品は、今日でも、東京、首都圏の人々の生活を間近で支えてくれています。
◇師子の如く
〈池田先生は、恩師・戸田先生の苦境を打開するため、同志と共に希望の哲学を学ぶため、幾度となく埼玉へと通った若き日々を述懐。師子の如く、何ものも恐れず、勝利の人生をと呼び掛ける〉
わが埼玉の道は「不屈の道」であり、「前進の道」でもあります。
一九五〇年、戦後経済の混乱のなかで、私の恩師・戸田城聖先生の事業も最大の苦境に陥りました。その行き詰まりの打開のために、先生の知人が多い大宮へ何度となく奔走したのです。
当時の日記に、私はこう記しました。
「私は再び、次の建設に、先生と共に進む。唯これだけだ。前へ、前へ、永遠に前へ」「歓喜で働ける日、苦しみながら戦う日、様々だ。だが、これ程、真剣に戦えば、絶対に悔いはない」
この渾身で走り抜いた「青春の道」に、愛する埼玉の青年たちが、今、はつらつと続いてくれています。
さらに、わが埼玉の道は「向学の道」であり、「連帯の道」でもあります。
埼玉を思う恩師の命で、二十三歳の私は、川越に通って、荒廃した時代を懸命に生きる、けなげな庶民の友たちと、生命尊厳の哲学、希望の哲学を楽しく真剣に学び始めました。それは足かけ三年にわたりました。
「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」——同じ生きるのならば、百獣の王・ライオンの如く、何ものも恐れず、何ものにも負けず、勝利の人生を生き抜いていこう! と、皆で学び合い、励まし合い、希望と勇気のスクラムを広げてきたのです。
私にとって、青春時代からの変わらざる友人のご一家が、幾多の試練を乗り越え、お子さんへ、お孫さんへと、信念を受け継ぎながら、勝ち栄えている姿は、何にも代え難い喜びなのです。
◇「何でもこい!」
〈埼玉には、輝く女性の群像がある。戦国時代、「鉄桶の団結」で豊臣秀吉軍から忍城(行田市)を守り抜いた中心には、若き乙女がいた。近代には、女性の社会進出の道を開いた先駆者を数多く生み出している。池田先生は、そうした歴史や埼玉の一婦人の歩みに言及するとともに、多様性あふれる「彩の国」の地域性などを称賛。「異体同心」の心を大切にしながら、「創造の道」「勝利の道」を共々に進みゆこうと結んだ〉
私と妻がよく知る埼玉の婦人は、苦悩の連続の人生でした。心因性の心臓病を患い、一日に幾度も発作を起こしました。医者にも見放されて、寝たきりになったこともあります。そこから、「希望」を心の薬として、「よし!」と奮い立ったのです。夫が会社を退かざるをえなくなり、食事もおぼつかないほど困窮したこともありました。それでも友と励まし合いながら、「何でもこい!」と勇気に燃えて生きてきました。
病気や悩みを抱えた友のために、埼玉各地を駆け巡りました。気がつくと、風邪もひかないほど健康になり、境涯が変わっていたのです。
「いろいろ苦しみを味わってきましたが、それが生かされています。かえって幸いでした」とは、この母の実感でありました。
埼玉には、日本の都道府県で最多の四十もの市があります。二十三の町村を含めて、大都会あり大自然あり、日本の縮図です。
それぞれに、光る地域性や独自性があります。まさに「彩の国」の愛称にふさわしい、カラフルな多様性の天地です。
私の友人で、「色彩の魔術師」と呼ばれる英国の絵本作家ワイルドスミス画伯の展覧会も、さいたまスーパーアリーナで行われました。
画伯は「子どもたちの目を周囲にある美とか喜びに向けてあげることですね」と強調されています。いろいろな色彩を組み合わせると、これほどきれいなのか——そうした発見が、子どもの創造性を伸ばしていくからです。
私は、埼玉の友と「異体同心」という言葉を大切にしてきました。それは、異なる個性を生かしながら、共に人間を信ずる心、生命を尊ぶ心で、力を合わせていく生き方です。言うなれば、「差異」から「彩」を生み出していくのです。
縁も深き「彩の国」の仲間たちと共に、私は、これからも希望の光に満ちた「創造の道」「勝利の道」を明るく賑やかに進んでいきたいと願っています。
あの山を
また この谷を
乗り越えて
埼玉勝利を
夢の凱歌を
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)