2020年10月12日月曜日

2020.10.12 わが友に贈る

新聞休刊日

乙御前御消息 P1219
『軍には大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり』

【通解】
戦においては大将軍を魂とする。大将軍が臆したならば、部下の兵も臆病になってしまう。

☆心に御書を 第79回 諸天の守護は厳然なり
〈御文〉
『法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべし』(船守弥三郎許御書、1445ページ)

〈通解〉
法華経を行ずる者を、諸天善神等が、あるいは男性となり、あるいは女性となり、形を変えて、さまざまに供養して助けるであろう。

◇池田先生が贈る指針
諸天善神は具体的な姿で、法華経の行者を守護する。現実に周囲の人などに"入其身"して、最も良い方向へ働いてくれる。これが「一念三千」の妙法の大功力なのだ。
諸天を揺り動かすのは決定した題目である。勇敢に戦うからこそ味方ができる。
大確信の祈りと大誠実の振る舞いで、広布と人生の勝利劇を厳然と!

☆10月度座談会拝読御書 一生成仏抄
◇拝読御文
『衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(御書全集384ページ2行目〜5行目、編年体御書22ページ2行目〜5行目)

◇[池田先生の指針から] 一切は祈りから始まる
祈りとは、正しい実践、粘り強い行動を貫くための源泉であります。祈りのない行動ほどもろいものはない。それは、ある時は順調で、意気盛んにみえるかもしれません。しかし、ひとたび逆境に直面するや、枯れ木のように、もろくも挫折してしまうでありましょう。なぜなら、そこには、我が胸中を制覇するという一点が欠けているがゆえに、現実社会の浮き沈みの中で、木の葉のように翻弄されてしまうからであります。
人生の坂は、一直線に向上の道をたどるようなものでは、決してありません。成功もあれば失敗もある。勝つときもあれば負けるときもあります。そうした、様々な曲線を描きつつ、一歩一歩、成長の足跡を刻んでいくものであります。その過程にあって、勝って傲らず、負けてなお挫けぬ、強靱な発条として働くのが、祈りなのであります。
ゆえに祈りのある人ほど強いものはない。我が強盛なる祈りに込めた一念が、信力、行力となってあらわれ、それと相呼応して仏力、法力が作動するのであります。主体はあくまで人間であります。
祈りとは、人間の心に変化をもたらすものであります。目に見えないが深いその一人の心の変化は、決して一人にとどまるものではありません。また一つの地域の変革は、決してその地域のみにとどまってはいない。一波が万波を呼ぶように、必ず他の地域に変革の波動を及ぼしていくのであります。
そうした展転の原点となる最初の一撃は、一人の人間の心の中における変革であると、私は申し上げたいのであります。(中略)
ともかくも、私どもは、生活の、人生のすべての問題を御本尊に祈りきって、取り組んでいこうではありませんか。
祈ることが大事であり、そこから一切が出発することを忘れてはならないと申し上げたい。(指導選集『幸福と平和を創る智慧』第1部[上])

◇唱題行に徹し生命を磨き抜く
[キーワード1] 万人に仏性が具わる
一生のうちに何ものにも微動だにしない、仏の境涯をどうやって築くことができるのか。
凡夫が今世で仏の境涯を得ることを「一生成仏」といいます。「一生成仏抄」は、成仏の要諦である唱題行の意義について、法理と実践の面から記されています。
拝読御文の直前で日蓮大聖人は、仏の住む国土である「浄土」といっても、煩悩と苦しみが充満する「穢土」といっても別々の国土があるのではなく、そこに住む私たちの心の善悪によって違いが現れると仰せです。
同様に、衆生と仏も別々の存在ではなく、両者の違いは、迷っているか、覚っているかによって決まると教えられています。
無明という根本の迷いに覆われた凡夫の生命も、題目を唱えて磨けば必ず「法性真如の明鏡」という覚りの生命を開き顕すことができます。なぜなら、全ての人に等しく仏性が具わっているからです。
しかし、法華経以前の爾前経では、九界の迷いの生命を断じ尽くさなければ仏になることができないとされていました。何度も生まれ変わって修行を重ね、その結果として初めて成仏できるとされていたのです。
一方、法華経では万人の成仏が強調され、凡夫がその身のままで、しかも今世で成仏できることが明かされました。
成仏について「御義口伝」には「成は開く義なり」(御書753ページ)と仰せです。成仏とは、自身とかけ離れた特別な存在になることではなく、自身の内に仏の生命を開くことです。
現実生活の中で、何ものにも崩されない絶対的な幸福境涯を築くためにも、唱題行に徹することが肝要なのです。

[キーワード2] 求道と実践の継続を
唱題行の姿勢について、ポイントが二つ挙げられています。
第一に「深く信心を発して」と仰せのように、信心を奮い起こして御本尊を拝する大切さが示されています。
大聖人の仏法にあっては、"信心"が成仏の肝要となります。
現実の課題に直面し、不安や恐れる心が現れる時こそ信心が試されます。困難を乗り越えるために、勇気を奮い起こして唱題に励む中で自身の生命が磨かれます。そして、仏の智慧や勇気を発揮し、努力を重ねることで現実を変えていけるのです。
また、信心に励めば、必ず成仏を妨げようとする働きが現れます。そうした障魔を打ち払い、信仰の実践を重ねていくことで、強盛な信心を築き、一生成仏を果たすことができるのです。
第二に「日夜朝暮に又懈らず」と、"持続の信心"を教えられています。
鎌倉時代の鏡は、銅鏡が一般的で曇りやすいものでした。鏡本来の用をなすためには、磨き続けなければなりません。
そのことを例えに、常に生命も磨き続けなければ、無明に覆われるからこそ、日々、題目を唱え、仏の境涯を顕していく大切さを教えられているのです。
信心には"ここまでやればいい"という、いわば到達点はありません。仏法を求める姿勢と実践の継続が、一生成仏の要諦なのです。
強盛な祈りこそ、人生の一切の原動力です。御本尊への確信を胸に唱題に励み、自他共の幸福境涯を開いていきましょう。