2020年10月19日月曜日

2020.10.19 わが友に贈る

◇今週のことば
「釈尊の出世の本懐は
人の振舞にて候けるぞ」
家庭に職場に地域に
仏法の人間主義の光を。
希望と信頼の灯台たれ!
2020年10月19日

兵衛志殿御返事 P1098
『うへたる人には衣をあたへたるよりも食をあたへて候はいますこし功徳まさる こごへたる人には食をあたへて候よりも衣は又まさる』

【御書本文】
飢えている人には、衣服を与えるよりも食物を与える方がすこし功徳は勝り、寒さに凍えている人には、食物を与えるよりも衣服を与える方がもっと功徳は勝れております。

名字の言 友を励ます時に大切な姿勢とは? 2020年10月19日
「腕利きの植木職人」と評判の壮年の話を聞き、感心させられた。枝を切る時も、草花の手入れをする時も、人にするように語り掛けながら作業するのだという▼うっそうと繁った木には「息苦しかったろう。涼しくしてやるからな」と言って枝にはさみを入れる。虫に食べられた葉には「痛かったろう。よーし、これで大丈夫だぞ」と言って虫を退治する。「こちらが思いを込めれば、植物だってしっかり成長する。ちゃんと応えてくれるんです」▼大病、仕事の苦境、家庭の悩み……。大きな挫折や試練に見舞われると、人は時として自信をなくし、"自分の存在は誰の役にも立たないのでは"と思ってしまうこともある。そうした友を励ます時、大切な姿勢は何か▼個人指導の名手として信頼の厚い多宝会の先輩が語っていた。「"あなたにしか励ませない人が絶対にいる!""ずっとずっと私が応援するから!"との必死の思いが届くと、必ず自信と希望を取り戻してくれる」。そして「頭から出た言葉じゃだめ。命から出た言葉じゃないと、心に届かないよ」とも▼御金言「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(御書563ページ)を深く深く拝したい。言葉に祈りを込め、思いを強く込めれば、対話の力は何倍にもなる。(実)

寸鉄 2020年10月19日
勇猛精進したまえ!仏法は実行だよ—牧口先生。今日も地道に挑戦の一歩
挫けそうな魂を鼓舞するのは友情—哲人。我らは温かな励ましを幾重にも
季節の変わり目。首・手首・足首を覆えば寒さ対策に。服装で賢く体調管理
昼カラオケで感染の8割がマスクせず長時間滞在と。飛沫に注意。油断せず
洪水等の気象災害、20年で倍増—国連。温暖化の影響。皆で足元から行動

☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 2020年10月10日
◇御文
『深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し』(薬王品得意抄、1501ページ)

◇通解
(法華経を)深く信じる者は満月が闇夜を照らすようなものである。

◇教えて
この秋、行学に励み、自分の信心を深めていきます!

★池田先生の指導
たとえ現実は闇のように思えても、心にロマンの月光があれば、負けることはない。
御聖訓には「深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し」と仰せである。
祈りに勝る力はない。女性の強盛なる祈りで、広宣の勝利の道は開かれてきた。(2013・9・22付、今日も広布へ)
◇ ◆ ◇
思いがけない病もある。避けられない課題もある。襲いかかる苦難もある。
いかなる宿命の嵐にも、「今こそ変毒為薬の時!」と、しっかり題目をあげていくことだ。(同)
◇ ◆ ◇
人間の強さは、心で決まる。信念の強さで決まる。本当に強い人とは、「心の強い人」である。
ゆえに、永遠にして宇宙大の妙法を強盛に信じぬく、婦人部・女子部の皆さんは、最も強い人である。
どんな宿命にも、どんな困難にも、負けるわけがない。必ず勝てる。必ず乗り越えていける。
皆が仰ぎ見るような、晴ればれとした勝利の大境涯を、必ずや開いていけるのである。(『池田大作全集』第100巻)

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 生死と向き合う
◇永遠に共戦の同志
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、「指導選集」)の指導を掲載する。今回は「生死と向き合う」をテーマに、東京都の婦人に話を聞いた。

◇御文
『此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと猶魚の水に練れ鳥の天に自在なるが如し』(曾谷入道殿許御書、1033ページ)

◇通解
これらの大菩薩(地涌の菩薩)が末法の衆生を利益されることは、魚が水中を自由に泳ぎ、鳥が天空を自在に飛ぶようなものである。

◇夫の死の意味を知りたい
戸崎里美さん=荒川総区副婦人部長=が、夫・裕隆さん(当時53歳)をくも膜下出血で亡くしたのは8年前。"夫の死の意味を知りたい"と、御本尊に向き合ってきた一日一日だった。
     ◇
戸崎さんは2005年、知人の紹介で出会った裕隆さんと再婚した。
「夫は、大学時代に折伏されて、家族で一人、学会に入会しました。信心一筋に人生の困難を乗り越え、社会で実証を示してきた苦労人。とにかく題目を欠かさない人でした」
結婚生活は喜びに満ちていた。何より裕隆さんと、広布の"戦友"として夫婦で学会活動に励める日々は、これ以上ないほど幸せだった。ところが——。
区婦人部長を務めていた12年5月のある日。「仕事中の夫から急に電話があったんです。『頭が痛いから、早めに帰るよ』って」
昼ごろに帰宅した裕隆さんは、食事を取ると、そのままベッドに横になった。
しばらくして、急に「手がしびれる」と言って起き上がり、トイレに駆け込んだかと思うと、嘔吐し、その場であおむけに倒れてしまった。
すぐさま病院へ搬送されたが、意識が戻ることはなく、翌日、そのまま帰らぬ人となった。
あまりに突然の出来事。戸崎さんは、冷たくなった夫の前で泣き崩れた。
葬儀を終えても実感が湧かなかった。
"信心しているのになぜ""もっと早く異変に気付いていたら"——ただただ自責の念に苛まれた。御本尊の前に座っても声は出てこず、毎日、頬を濡らした。
ある日、いつも温かく見守ってくれていた婦人部の先輩が、憔悴する戸崎さんを見かねて言った。
「ご主人の死の意味が分かるまで、題目をあげてあげて、あげ抜く時よ!」
ハッとした。その激励が、戸崎さんの命の向きを変えた。
「その先輩も、ご家族の宿命と戦ってきた方だったので、ありがたかったです。しっかりしようって。こういう時こその信心じゃないかって。その日から、題目をあげられるようになりました」
地域の同志の励ましにも支えられ、前を向いた戸崎さんは、死魔を振り払うように祈りを重ねた。池田先生の指導を、むさぼるように読んだ。その中で、引用された「此等の大菩薩末法の衆生を利益したもうこと」(御書1033ページ)との一節が心に響いた。
「夫の死をどう捉えるのか。祈る中で、少しずつ見えてきました。私の使命は、夫の分まで地涌の使命を果たすこと。それしかないって」
裕隆さんとは、二度と会えない。しかし、一緒に広布に励んだ歓喜の日々は、戸崎さんの心に鮮やかに刻まれている。
夫と共に結んできた仏縁を大切にし、幸福を祈り抜いていくこと。それが、"戦友"である裕隆さんとの"永遠の共戦"になるのではないか。戸崎さんは、そう、一つの意味を見いだしたのだ。
祈るほど、命の底から力がこんこんと湧いた。夫婦で一緒に親交を深めてきた友人や知人、夫の両親や親族へ、戸崎さんは感謝の心で仏法を語っていった。
裕隆さんが他界した翌年の11月18日。対話を重ねてきた義母が「息子の願いをかなえてあげたい」と、進んで入会した。御本尊授与式で、地域の同志が泣いて喜んでくれた。戸崎さんも、笑顔でうなずく夫の姿が目に浮かび、涙が止めどなくあふれた。
裕隆さんを慕っていた人からは、いまだに感謝の連絡が絶えない。それも全て、夫が残してくれた仏縁だと確信している。
「御書に『魚の水に練れ鳥の天に自在なるが如し』(同ページ)とあります。広布に励めば励むほど、鳥が自由自在に天空を舞うように、境涯が広がります。夫の命が、私の心の中に生き続けていることを、確かに感じられるんです。だから私は、これからも広布に生き抜きます」

「御義口伝」には、「自身法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり」(御書724ページ)とある。妙法と一体になった生命は、生死の苦しみを超えて、永遠に仏界の軌道を進んでいくことができると、日蓮仏法は教える。
こうした仏法の生死観を、池田先生は「生も歓喜、死も歓喜」と述べられた。
戸崎さんは話す。
「『死も歓喜』と思えることは、なかなか難しいです。私自身、『なぜ夫が亡くなったのか』ということは、今でも考えます。でも、私が今、こうして自由自在に学会活動できる境涯になれたこと、そして、悩める友を心から励ませるようになれたことは、全て、夫のおかげです。感謝です。感謝できることが、『死も歓喜』ということなのではないでしょうか」
先生は語っている。
「信心していたとしても、決して悩みが消えてなくなるわけではない。十界互具が生命の実相であり、仏界にも苦悩の九界が具わる。また九界の現実に即してしか、仏界の顕現もない。大切なことは、苦難あるときに、絶対にひるまぬことである。仏の慈悲と確信して、いよいよの強盛な信心で進むことである。(中略)その時点で凡夫にわからなくても、長い目で見るとき、必ずや、その意義がわかってくる。また、『変毒為薬』していける」

「たとえ若過ぎる死や、不慮の死のように見えても、成仏の証は明確に現れる。端的に言えば、多くの人びとによって、心から惜しまれる姿である。そして、残された家族が護られ、栄えていく姿である。家族が強く強く生き抜いていく時、その胸の中に、亡き人は厳然と生き続けていく」(「指導選集」第1部下巻)
生死の意味をどう捉えるかは、人それぞれだ。
戸崎さんは真っすぐ見つめる。今日も裕隆さんと共に歩む、三世永遠に続く妙法の歓喜の旅路を。

◇[教学コンパス]
池田先生が交友を結んできたオーストリアの元文部次官で声楽家のサイフェルト博士は、最愛の夫を病で亡くした悲哀などを、全て成長の糧としながら、多くの人々に歓喜の歌声を届けてきた。
先生は、博士との対談集『生命の光 母の歌』の中で語る。
「『生死』の問題については、いくら客観的、理論的に認識しても、それだけでは、根本的な解決にはなりません。真の幸福とは、その人自身の生命の次元において、深く確かに感じ取っていくものではないでしょうか」
日蓮大聖人は、夫を病気で亡くした女性門下に対して、"信心に導いてくれた夫のことは、仏と拝していきなさい""夫の即身成仏は間違いありません"と、悲嘆する門下の心に寄り添うように励まされた。
その後、門下は"夫の分まで"と広布に生き抜き、息子を立派な後継者に育て上げ、天寿を全うした。
苦難に屈することなく、師と共に使命に生き抜いた広布の母の姿。それは、幸福境涯を開く鍵が何であるかを雄弁に物語っていよう。(優)