笑顔は「心の贈り物」。
感謝や共感の思いを伝え
安心と勇気を広げよう。
友の喜びを願いながら
誠実に! 爽やかに!
阿仏房尼御前御返事 P1308
『譬ば海上を船にのるに船おろそかにあらざれどもあか入りぬれば必ず船中の人人一時に死するなり、なはて堅固なれども蟻の穴あれば必ず終に湛へたる水のたまらざるが如し、謗法不信のあかをとり信心のなはてをかたむべきなり』
【通解】
譬えば海上を船に乗っていくのに、船は粗悪でなくても、水が入ったならば必ず船は沈み、船中の人々は一時に死ぬのである。また、畷(なわて)は堅固であっても、蟻の穴があけば、必ず最後には湛えた水が溜まらないようなものである。したがって謗法不信の水を抜き取り、信心の畷を固めるべきである。
名字の言 「対話」の語源とは? 2020年10月23日
ある小学校では、授業で「話し合い」の時間を「聞き合い」と表現している。他の児童の意見を「聞く」ことに重きを置くためだ▼「話す」ことを強調した方が主体的な学びを促すかと思いきや、そうとは限らない。「自分が何を話すか」ばかりに気を取られ、人の話の内容をほとんど覚えていないケースが少なくないからだ。だが、聞くことに集中すれば、自分の考えとの共通点も相違点もよく分かる。その気づきが「学び」となる。さらに皆が真剣に聞いてくれることで、話す側も言葉に自然と熱がこもるという▼「対話」を意味する英語「ダイアローグ」の語源は、ギリシャ語の「ディアロゴス」。ディアは「何々を通じて」、ロゴスは「言葉」「論理」等と訳される。従ってディアロゴスとは「互いの言葉が通じ合う」ことになろう▼ならば「対話」の在り方も一方的に話したり、意見のぶつけ合いになったりしてはいけない。対話とは「互いの語る言葉の『意味』を共有し、理解し合うことである。そして、新たな価値を創造しゆく作業なのだ」と、池田先生は訴える▼幼少期に限らず、人間は大人になっても他者との語らいを通して学びを深め、人格を豊かにしていける。「対話」を重ねる人は、いつまでも成長し続ける人である。(恭)
寸鉄 2020年10月23日
団結の車軸は純粋にして強い信心だ—戸田先生。幹部は日々新生の決意で
「河つもりて大海となる」御書。今日も挑戦!その一歩が勝利の歴史を開く
幸福であるためには幸福の可能性を信じること—文豪。確信の祈りで勇躍
コロナ禍でスマホ老眼の症状が増加と。長時間の閲覧に要注意。賢く休憩
詐欺悪用の固定電話3300件を停止—大手各社社会全体で更なる対策を
〈社説〉 2020・10・23 あす24日は「国連デー」
◇平和社会の構築への歩みを
あす24日、「国連デー」を迎える。その淵源は、1945年の同日、国際連合が発足したことにある。2度の世界大戦の過ちを、決して繰り返してはならない——この平和への誓いから出発した国連は、本年で設立75年を迎える。
先日、本紙インタビュー(15日付)に応じた国連事務次長の中満泉氏は「平和というのは単に戦争がない状態をいうのではなく、あらゆる側面から平和のための条件が確保されて初めて実現する」と語った。その平和を築くため提示された概念が「平和の文化」である。
これは、国連で示された、平和を築くための一人一人の価値観、態度、生き方のこと。平和のための条件の一つともいえる「核兵器のない世界」と「平和の文化」について、中満氏は述べる。「『核兵器のない世界』というのは、世界共通の目標であると同時に、それを目指すこと自体が、『平和の文化』の構築といった、包括的な平和をつくるための非常に重要なプロセス」と。
国連では、その組織や制度の構造上、多くの国際問題が互いに切り離されて議論されがちである。その課題に対して、この「平和の文化」の概念は、地球上の諸問題の相互関連性を映し出し、広い視野に立って議論することを可能とする。
では、「平和の文化」を創出していくための方途とは何か。池田先生は、本年の「SGIの日」記念提言で、平和学者のエリース・ボールディング博士との対談での博士の発言を紹介した。「『平和な社会がどのような社会であるか』を具体的に思い描くこと」が重要である、と。平和な社会を真に願い、具体的な行動によって確かな未来の社会像を示すことこそ、その方途である。
創価学会はこれまで、「平和な社会」のビジョンを幅広く喚起するため、絶え間ない活動を続けてきた。国内では「平和の文化フォーラム」「平和の文化講演会」や「平和の文化と希望展」などを推進。国際社会では、各国で「核兵器なき世界への連帯」展を開催するなど、草の根の行動によって、着実に平和へと貢献してきた。また、国連の経済社会理事会の協議資格を持つNGOとして、さまざまな議論に参画し、市民社会の視点からの声を国連に届けてきた。
コロナ禍は、人と人、国と国の間に「分断」「亀裂」を広げている。心ある人々は、そのことに警鐘を鳴らし、人を結ぶ対話の重要性を指摘する。「人類の議会」である"対話の場"としての国連の意義は、高まっている。
国連を支え、その取り組みを後押しするために、そして地球社会の未来のために、創価学会は力強く行動を続けていく。
☆勇気の源泉——創立者が語った指針 生物の進化と歴史の逆転劇に学ぶ——池田先生が語る変革の方程式 2020年10月17日
創価学園の第22回栄光祭。創立者・池田先生はスピーチの前半で、「太陽」と「木星」の成り立ちを対比し、学園生にエールを送った〈�はこちらから〉。後半は、宇宙から人類の歴史へ目を転じ、学園生たちに、逆境に負けない強い生き方の重要性を訴える。
●東京・創価学園 1989年7月 栄光祭�
〈先生は、生物の進化の過程に焦点を当て、"生命の「変革」「進歩」も、「圧迫」の壁に対し懸命に「抵抗」する中で生まれてきた"と考察する。
そこでアメリカの著名な科学者ロバート・ジャストロウ博士の著作『太陽が死ぬ日まで』(小尾信彌監訳、集英社文庫)から、いくつかの例を示した。�長期の干ばつの中、空気中の酸素を吸収できる「肺」をもった生物が誕生し、陸上で活動しはじめた�恐竜の脅威から逃れて夜間にエサを探すため、小さな爬虫類の中から、体温を一定に保つ機能を獲得するもの(恒温動物)が出てきた�大氷河時代、寒さから身を守るため、人類は動物の毛皮を身にまとうなど、道具を駆使するようになった——〉
長い生命の"逆境と苦闘"の歩みが意味するものは何か。ジャストロウ博士は語る。「逆境と苦闘が、生物進化の根底にある。逆境がなければ、生物に加わる"圧力"はなく、この"圧力"がないと、変化は起こらない」(前掲書)と。
圧迫や障壁のないところに進歩はない。生きぬこう、戦いぬこうと知恵を発揮し、環境を克服して進んでいくのが、生きとし生けるものの鉄則である。人間も、その他の生物も、また集団も、進歩し発展しゆく方程式は同じである。
諸君の勉強や試験も、ある意味では自分への「圧迫」かもしれない。しかし、それをやりきっていくところに、知性と人格を深め、人生を勝ちゆくための「進歩」がある。その意味で、今、勉強しておかなければ、あとで後悔をする。どうか将来のために、自分自身のために、しっかりと勉強をしていただきたい——これが創立者としての心からの期待であり、願いである。
〈会場となった講堂の舞台には、「民衆を導く自由の女神」(ドラクロワ作)を模した巨大な貼り絵が掲げられていた。先生は学園生の力作を称賛。話題を「フランス革命」に移し、危機を克服する中で、時代を転じゆく「精神の遺産」が築かれていくと語る〉
会場に入って、私は驚いた。舞台のすばらしい絵が、大きく目に飛びこんできたからである。ドラクロワ作の「民衆を導く自由の女神」。聞けば、この堂々たる模写絵(縦6・3メートル、横10・8メートル)は諸君全員の手によるものという。私は感動した。若人の発想、才能、情熱、そして団結の力は偉大である。大人の想像以上である。
ところで背景の絵は、19世紀の市民革命を描いたものである。18世紀末のフランス革命で掲げられた「自由」「平等」「友愛」の理想。その実現のため、時代を超えて戦い続けるフランス市民に対して、ドラクロワがささげた感動の賛歌といってもよいであろう。
精神にも「遺産」がある。ひとたび築かれ、打ちかためられた魂の「遺産」は、長く、たしかに、一つの民族、一つの国家を養っていく。とりわけ、危機の時に、その"宝"は発揮されるものである。
フランス革命が国民に残した「精神の遺産」は、少なくない。
その一つが、いかなる圧力や弾圧にも屈しない「抵抗(レジスタンス)」の精神ではあるまいか。第二次世界大戦でフランスは、ナチス・ドイツに占領された。この時、燃えあがったのが、この「レジスタンスの炎」である。
彼らは、いかなる苦境にも、"しかたがない""あきらめよう"などとは決して思わなかった。——最後の最後まで抵抗し、戦おう。そして、ついには勝利を勝ち取るのだ——と、確信してやまなかった。
これこそ、フランス革命から生まれた"フランス魂"である。その意味で、フランス革命は過去のものではない。脈々と国民の心に受け継がれているといえよう。
確たる「伝統」が築かれ、脈動しているところは強い。ここ創価学園にも「栄光祭」というすばらしき「伝統」が構築された。しかもそれは、一人一人の心に強く生きている。私にとって、これ以上の喜びはない。
◇「親孝行」の意味
〈最後に先生は、親や友人を大切にできる立派な人間に成長してほしいと呼び掛けた〉
ここで、何点か諸君にお願いしておきたい。
その一つは、どうか、お父さん、お母さんを大切にしていただきたいということである。
それは両親のためであることはもちろんであるが、しかし、親の心というものはもっと深い。
親が子どもの「親孝行」を喜ぶのは、決して自分のためではない。親は、子どもが孝行してくれようとも、またそうでなくとも、子どもを思う心には変わりはないものである。
ただ、わが子が「親孝行」のできる子どもであれば、将来も心配はない。そういう温かい心根があれば、いつになっても、何をやっても、どこへ行っても、立派な人間性をもって進んでいけるであろう。また、どんな苦難があろうとも、その強く優しい心が、一生の幸せを築きゆく原動力となっていくだろう、と親は考えて喜ぶのである。
どうか、そうした"親の心"のわかる諸君であっていただきたい。親に心配をかけないこと自体が、立派な親孝行である。その人はすでに立派な「大人」、立派な「人間」であるといえる。
そして、これが創価学園の人間教育の精神であることを申し上げておきたい。
もう一点は、現在、多くの学校が不登校(登校拒否)や校内暴力の問題に悩んでいる。教育の最大の課題ともなっている。
諸君の周囲にはあまりそのような例はないかもしれないが、友人が何らかの理由で学校を休み、ふたたび登校してきた時には、どうか心温かく迎えてあげていただきたい。人は言葉ひとつで勇気づけられもし、また心を傷つけられることもある。どうかそうした"思いやり"の心を忘れない諸君であっていただきたい。
〈第22回栄光祭から30年余り。当時の学園生は現在、40代。各地域・各分野の最前線で奮闘している。社会が大きな危機に直面する今、創立者が語った指針は、多くの友の「勇気の源泉」として、いや増して光を放ち続けるに違いない〉
☆「21世紀はアフリカの世紀」との展望から60年——信義と誠実の行動貫いた池田先生
1960年——植民地支配下にあったアフリカの17カ国が相次いで独立を果たしたが、各国には植民地の歴史が暗い影を落としていた。民族の分布に沿わない人為的な国境線によって、紛争が絶えず、経済基盤の脆弱さやインフラの整備不足、教育の遅れから社会も不安定だった。
そうした状況を見つめながら池田先生は、"一番苦しんだ人が一番幸福になる世界を"との信念を胸に「21世紀はアフリカの世紀」との展望を示し、その言葉を現実にするために尽力してきた。
アフリカの国家元首や学識者らとの語らいでは、文化・教育交流を提案し、具体的に実行に移した。
民音は71年のギニアに始まり、これまで10を超える国の音楽団体を招へいし、アフリカの豊かな音楽文化を伝えている。創価大学は9カ国13大学と学術教育交流協定を締結し、アフリカの繁栄に尽くす人材を育んできた。
こうした平和への貢献をたたえ、池田先生にジブチ、コートジボワールから国家勲章が叙勲。ガーナ、ケニア、ザンビア、南アフリカの6大学から名誉学術称号が贈られている。多くの識者も先生のアフリカへの功績に賛辞を惜しまない。
「池田先生は、アフリカの心を、アフリカ人以上に知っている人」(ケニア作家協会のインダンガシ会長)
「池田会長はじめSGIの皆さまのアフリカへの愛情と人道的行動に感動します」(ガーナのローリングス大統領)