2020年10月6日火曜日

2020.10.06 わが友に贈る

「御みやづかいを
法華経とをぼしめせ」
今いる場所が
人間錬磨の舞台だ。
不屈の人に栄光は輝く。

撰時抄 P284
『日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし、これをもつてすいせよ漢土月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず』

【通解】
日蓮が、日本第一の法華経の行者であることは、あえて疑いのないところである。これをもって、推察すべきである。中国・インドにも、世界にも、日蓮と肩を並べる者はいないのである。

名字の言 染織家・志村ふくみさんが伝えたかった"桜の本当の色" 2020年10月6日
染織家の志村ふくみさんが山あいの小さな中学校に招かれ、地元の桜を使って染め物をした。桜なので淡いピンク色になると思いきや、予想もしなかった黄色に染め上がった。落胆する生徒から「本当の桜はどんな色ですか」と質問され、志村さんは答えた。「これが桜の色です」▼後日、生徒たちから手紙が来た。その中に"わが故郷の桜の本当の色を知ることができてうれしかった"といった感想が。生徒の「まじりけのない感受性」に、志村さんは心を打たれたという(『色を奏でる』ちくま文庫)▼仕事のトラブルや人間関係に悩み、「何をやってもうまくいかない」と嘆いていた壮年が数年前に入会した。先日、近況を聞くと、相変わらず悩みは尽きないとの返答。真面目に頑張ってきた姿を知るだけに、話を聞いて心が痛んだ▼だが壮年は信心して気持ちが強くなったという。思い通りにいかない苦境も"苦労は人生の肥やし"と捉えられるようになったとも。「未来を開くのは自分自身だと腹が決まれば、"さあ、ここからだ!"と意欲が湧き、自分の生き方に誇りが持てます」と▼人それぞれに偉大な使命がある。仏法は「桜梅桃李」。一人一人が個性を生かして、勝利の人生の花を咲かせればよい。自分らしい色の花を。(白)

寸鉄 2020年10月6日
「一は万が母といへり」御書。一遍の題目に福徳無量。確信の祈りで出発
三重の日。新たな開拓へ希望の対話を拡大!皆が創価の全権大使の決意で
行ってはじめてその価値を知る—牧口先生。"実践第一"が信心の生命線だ
坂道での駐車ブレーキのかけ忘れに要注意。"自然発車"での死亡事故多し
核リスク根絶の唯一の道は核兵器廃絶—国連総長民衆の声の結集を今こそ

☆心に御書を 第78回 愛する郷土を常寂光の都に
<御文>
『二人・三人・十人・百人・一国・二国・六十六箇国・已に島二にも及びぬらん、今は謗ぜし人人も唱へ給うらん』(妙密上人御消息、1241ページ)

<通解>
(日蓮がただ一人、唱え始めた南無妙法蓮華経は)2人、3人、10人、100人、1国、2国、66カ国まで広がり、すでに2島にまで及んでいるであろう。日蓮を謗っていた人たちも、今は題目を唱えているだろう。

◇池田先生が贈る指針
広宣流布は一人一人、一地域一地域を蘇生させて進む。
御本仏は佐渡の門下の生命を「宝塔」と輝かせ、「常寂光の都」と照らされた。そのお心のまま、「謗ぜし人人」も忍耐強く理解者に変え、誠実に信頼と尊敬を勝ち広げてきたのが、勝利島の宝友である。福徳は無量だ。
愛する郷土から、人間共和の希望の大光を!

☆ONE GOSHO 上野殿御消息
◇誠実な振る舞い貫く
世界青年部総会から学会創立90周年の「11・18」へ、男子部は世界広布の誓いに燃えて対話拡大に走る。今回は、青年門下に対する日蓮大聖人の励ましから、「振る舞い」の大切さを学ぶ。

◇御文
『友にあふて礼あれとは友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず』(御書1527ページ)

◇通解
「友に会ったら礼儀正しくあれ」というのは、友達で1日に10度、20度訪ねてくる人であっても、千里、2千里も遠方から訪ねて来る人のように思って、少しも礼儀を欠くようなことがあってはならない、ということである。

◇背景
本抄は建治元年(1275年)、日蓮大聖人が54歳の時に身延で認められ、17歳の南条時光に送られたお手紙である。
時光は7歳の時に父を亡くし、信心強盛な母のもと若くして地頭職を継いだ。
本抄を頂く前には、兄を不慮の事故で亡くしたとも伝えられており、一家の柱として、また、領地の地頭として重責を担う時光の、さらなる成長を期待して送られた御書である。
大聖人は仏法の観点から「四恩」、儒教等の教えの観点から「四徳」を挙げられ、若く人生経験の少ない時光に、磨いていくべき人間的資質について教えられている。

◇解説
本抄で大聖人は、若くして重責を担うことになった時光に対し、仏法者としての振る舞いの在り方を現実の生活に即して御教示されている。
冒頭、いにしえの賢人たちが大切にしてきた四つの徳——「父母への孝行」「主君への忠義」「友への礼儀」「立場の弱い人への慈悲」を示される。この「四徳」は外典である儒教の教えだが、仏法への理解を助けるものであると位置づけられている。
今回学ぶ範囲は、四徳の具体的な実践のうち、「友への礼儀」に言及された箇所である。
大聖人は、"1日に何度も訪れる人であっても、遠方から来る人のように思って礼儀を欠いてはならない"と仰せである。このことは、どんな人に対しても誠実さを欠くことなく、礼儀を尽くしていく大切さを説かれていると拝される。
遠方から訪ねてきた友人に、その労をたたえ、"疲れていないか"などと配慮するように、たとえ近しい友人であっても、相手を思いやり、尊重していく姿勢が大切なのである。
大聖人は、「四徳」の通りに振る舞う人は「賢人」であり、「聖人」であると仰せである。さらに、この四徳があれば「他の事は多少優れていなくても善き人なのである」(御書1527ページ、通解)と述べられる。
近隣をはじめ、身近な人に礼を尽くす実践の模範を示してきたのが池田先生である。
青年時代に東京・目黒区三田から大田区山王に転居した折(1952年)、先生は名刺を片手に近所のあいさつ回りに歩いた。近隣の方々と顔を合わせるたびに声を掛け、心を通わせたと述懐している。夜に同志が自宅を訪ねてきた時には、翌朝、"うるさくなかったですか……"と、近所への配慮も忘れなかった。世界に友情を広げていった先生の振る舞いの根本には、こうした目の前の一人を大切にする真心があった。
先生は語っている。
「身近な人が大切である。その人を宝のごとく大事にすることである。そして、だれに対しても誠実に、礼節をわきまえて接することである。誠実ほど強いものはない。私も世界に友人をつくった。『誠実』ひとつで、つくったのである。誠実で築いたものは、壊れない。策でつくったものは、やがて崩れる」
SNSが普及し、特に昨今はコロナ禍の影響で、オンラインの交流が増えている。コミュニケーション自体が容易な時代だからこそ、今回の御文に照らして、"遠い道のりを来た人"のように、相手を敬い、「ありがとう」と感謝を言葉に出して、耳を傾ける姿勢を忘れずにいたい。
目の前の一人を敬う万人尊敬の行動こそ、仏法の魂であり、そうした相手を思いやる心を深めていく原動力が日々の勤行・唱題と学会活動なのである。
自らが友人にとって"善き友"になることから、学会理解は大きく広がる。このことを確信し、創立90周年の「11・18」へ誠実に対話を広げていきたい。