最も大変なところへ
真っ先に足を運ぼう!
それが真のリーダーだ。
創価の人間主義の輝きは
迅速な行動の中にある。
上野尼御前御返事 P1576
『生提女と申せし女人は慳貪のとがによつて餓鬼道に堕ちて候いしが目連と申す子にたすけられて餓鬼道を出で候いぬ、されば子を財と申す経文たがう事なし』
【通解】
青提女という女人は慳貪の罪によって餓鬼道に堕ちていましたが、目連という子に助けられて餓鬼道を出ることができました。それゆえ子を財という経文は間違いではありません。
名字の言 日本人が「幸せ」を感じない理由とは? 2020年10月7日
国連が本年3月に発表した2020年版「世界幸福度報告」では、フィンランドが3年連続で首位に。一方で日本は62位だった▼17年の51位から3年連続で順位が後退する日本で、近年、特に評価が低い項目が「寛容さ」。その要因について、桜美林大学の山口創教授は「人とのつながりが少ないこと」を挙げる。人とつながることは幸福感に必要不可欠の要素であり、反対に「孤独は心と体の健康にとって最大の敵」と指摘する▼孤独を回避するには、たまに会う遠くの友よりも「身近な人に目を向けて交流することが必要」と山口教授は強調する。「色々なことを気兼ねなく話し、大変なときはすぐに支え合うことができるような密な関係が求められている」と(『手の治癒力』草思社文庫)▼昔から"遠くの親戚より近くの他人"といわれる。もちろん、親戚や家族が近くにいるのに越したことはないのだろうが、そうとは限らない。そんな時、何かあれば助けてくれる近隣の友人がいれば、どれほど心強いか。その結び付きが人生を豊かにし、自他共の幸福を開く力となる▼私たちが互いに励まし合う日々の学会活動は、地域を支える安心・安全のネットワークでもある。"誰も置き去りにしない"との心で、わが地域に幸の語らいを広げよう。(銘)
寸鉄 2020年10月7日
学会から民衆の力の偉大さを学んだ—台湾識者。共生世紀を草の根対話で
「皆共に仏道を成ぜん」御書。共に挑戦、共に向上の気概で励まし合い前進
「滋賀の日」25周年。湖国に輝く人材城。さあ常勝の新たな歴史開く拡大を
勝利島部の日。日本一の幸福島の建設を私から!地域の灯台と光る賢者よ
2割が個人情報流出等の被害経験。犯罪は巧妙化。暗証番号の使い回し厳禁
〈社説〉 2020・10・7 きょう「勝利島部の日」
◇「一人立つ」同志の敢闘に学ぶ
地球規模での感染症の流行、気候変動による災害の大型化など、激動の中で、きょう「勝利島部の日」を迎えた。
1978年(昭和53年)の10月7日、全国約120島の代表が学会本部に集って行われた離島本部(当時)の第1回総会が、「部の日」の淵源である。
この時、池田先生は「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)との「開目抄」の一節を通し指導。この御文を胸に刻み、"未来永遠に栄えゆく一家一族の福運の根っことなって活躍を"と願った。遠来の同志に「信心の極理」を語り残したのである。
それから42年。勝利島部の友は、師との原点を胸に「広布のモデル」づくりに励み続ける。
学会弾圧に耐え抜いて信頼を広げ、広布先進地域を築く鹿児島・奄美の地では、信心根本の知恵と団結力で現代の"諸難"に立ち向かっている。
奄美光城県は、奄美大島をはじめ、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島などを含む奄美群島で5圏の同志が活動に励む。
コロナ禍を機に、各島のリーダーでオンラインのグループを。その上で、少人数で集う場や個人ともつながり、協議や連絡に活用できるようにした。
9月上旬、超大型の台風10号に際しては、防災上の注意など、情報を各島で共有。心一つに全島民の無事を祈念した。
台風は、最悪の予想コースをそれ、勢力も衰えた。適切な備えも奏功して被害は最小限に。全て同志が祈った通りになった。
島と島の心のつながりは、一段と強まり、9月からは各島をオンラインで結んでの御書学習も開始。「御書根本」の奄美の伝統が、より広がりを見せている。
一方で、少人数でも地道に信仰を貫く小さな離島がある。
長崎県平戸の度島には、学会員は多宝会の一婦人のみ。だが"なくてはならない一人"である。
婦人は長年、地区婦人部長を務め、船で約35分かけて地区拠点のある平戸島まで渡り続ける。そこで会合に参加し、婦人リーダーと共に訪問激励の歩みを運ぶ。
地元の度島では、食生活改善推進委員、脳トレのサポーターとして島民の健康増進に寄与。さらに生け花講師のボランティアなどで幅広く活躍する。今年3月には創価大学通信教育部を卒業した。
はつらつと地域貢献に励むのは「周りが笑顔になれば、自分も元気になれるから。学会活動と同じですね」と語る。
池田先生は、島の広布に尽くす友を「『一人立つ』という仏法の真髄に生き抜いた方々」とたたえる。
難をも前進の糧にして敢闘する勝利島部の同志に学び、今いる場所で、新時代の地域広布に勝利していきたい。
☆ロータスラウンジ 第18回 勧持品第十三
◇一人立つ死身弘法の人が仏になる
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第18回は、「勧持品第十三」です(前回は8月25日付。原則、月1回掲載)。
■大要
「見宝塔品第十一」で、釈尊が滅後の弘通を託したことを受けて、「勧持品第十三」では、声聞や菩薩たちが弘通を誓います。その誓いの中で、法華経の行者に迫害があることを「二十行の偈」として述べます。それでは内容を追ってみましょう。
●シーン1
薬王菩薩と大楽説菩薩が、眷属の2万の菩薩と共に誓います。
「お願いです。釈尊。どうか心配なさらないでください。仏が入滅された後、私たちが必ず法華経を持ち、説いていきます。
その時、人々は、善根が少なく、慢心が多く、利益を貪り、覚りから遠く離れていることでしょう。
たとえ教え導くことが困難でも、私たちは勇敢に耐え忍び、不惜身命で、法華経を語り抜きます」
続いて、記別(仏が弟子の未来の成仏を保証すること)を与えられた声聞たちが、「他の国土で広く法華経を説きます」と誓います。
同じように、8千人の学(まだ学ぶものがある者)と無学(もう学ぶものがなくなった者)は、「娑婆世界は人心が乱れていて、やりにくいので、私たちも他の国土で頑張ります」と誓います。
●シーン2
釈尊の叔母にあたる摩訶波闍波提比丘尼と学・無学の6千人の比丘尼(女性の出家者)たちが、一心に合掌し、釈尊を見つめています。
釈尊は、摩訶波闍波提比丘尼に語ります。
「どうして、そんな憂い顔で私を見るのだ。全ての声聞に、記別を与えたではないか。それでも未来の成仏を知りたいのなら教えよう。
将来、あなたは法華経の大法師となって菩薩の道を行じ、一切衆生憙見如来という仏になるであろう。
他の比丘尼たちも、同じように、覚りを得るであろう」
今度は、釈尊が出家する前の妻である耶輸陀羅比丘尼にも「あなたは、具足千万光相如来という仏になるであろう」と告げます。
摩訶波闍波提比丘尼、耶輸陀羅比丘尼、そして眷属の比丘尼たちは大歓喜しました。
●シーン3
今度は菩薩たちが、釈尊の前に進み、合掌して、心の中で思います。
"もし仏が私たちに、法華経を持ち弘めよと、ご命令になったら、仏の教え通りに、法華経を弘めよう"
まだ、釈尊は黙然としています。
"仏は黙って、何も命令してくださらない。どうしたらいいんだ"
菩薩たちは決意を固めます。
"仏のお心にお応えしよう"
"自分の本来の願いに生きよう"
そして誓いを師子吼します。
「私たちは釈尊が入滅された後、悪世の中で法華経に説かれる通り修行し、十方世界に、この法華経を弘めてまいります!」
●シーン4
ここから「二十行の偈」<「唯願不為慮」(法華経417ページ)から最後「仏自知我心」(同421ページ)まで>が始まり、法華経を弘める者を迫害する「三類の強敵」を示していきます。
「諸の無智の人の 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者有らん」(同418ページ)——「俗衆増上慢」
「悪世の中の比丘(男性の出家者)は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを謂いて得たりと為し 我慢の心は充満せん」(同ページ)——「道門増上慢」
「或は阿練若に 納衣にして空閑に在って 自ら真の道を行ずと謂いて 人間を軽賤する者有らん」(同ページ)——「僭聖増上慢」
更に「僭聖増上慢」の振る舞い、迫害の具体的な様相を示します。
"利得に執着し貪るために、在家の信者に教えを説き、超人的な力を得た阿羅漢(小乗の覚りを得た最高位の声聞)のように世の人々に尊敬されている"——自分が儲けるために、聖者のふりをしている。
"この人は悪心をもって、いつも世俗のことを気に掛け、閑静な場所に住んで修行しているとは名ばかりで、法華経の行者の過失を好んで作り出そうとしている"——デマで法華経の行者を陥れる。
"「利得を貪るために、外道の論を説いて、自らこの経典(法華経)を作り、世間の人々を迷わせ、名声を求めるために、いろいろ考えてこの経を説くのである」との作り話で法華経の行者を批判する"
"いつも大勢の人々の中にあって、法華経の行者を謗ろうとするために、国王、大臣、婆羅門、居士やその他の比丘たちに向かって、私たちを誹謗し、私たちの悪を説いて、「これらの人は邪見の人であり、外道の論議を説いている」と言う"——権力者、有力者と結託して、世間に向かって、法華経の行者の誹謗・中傷を繰り返す。
"「あなた方は皆、仏である」と悪口を言う"——万人の仏性を信じられない者たちが、"仏に成れるわけがないのに成れるなどと、法華経の実践者たちが言っている"と皮肉って揶揄する。
"濁った時代の悪世には、多くの恐怖がある。悪鬼がその体に入り(悪鬼入其身)、私たちを罵倒し、非難する"
"濁世の悪僧たちは、仏が種々の法を方便として説いたということを知らず、法華経の行者の悪口を言い、眉をしかめ、しばしば追放(数数見擯出)し、塔や寺から遠ざける"
このように、迫害について細かく記されていますが、その間に、「我等は皆当に忍ぶべし」「皆当に忍んで之を受くべし」等と、誓いの言葉がちりばめられています。
中でも"「忍辱の鎧」を着て、「我は身命を愛せず 但無上道を惜しむのみ」の精神で、法華経を説きます"と、力強く誓いを述べています。
更に「我は是れ世尊の使なり 衆に処するに畏るる所無し 我は当に善く法を説くべし 願わくは仏よ安穏に住したまえ」——"釈尊の使いという誉れを自覚した時、恐れることなく最善を尽くして法華経を弘めるだけです。どうか安心してください"と述べます。
「勧持品」は、「三類の強敵」が示されるだけでなく、使命に目覚めた弟子の誓いが輝いているのです。
【『法華経の智慧』から】 「偉大なる凡夫」として生きる
仏法の究極も「偉大なる凡夫」として生ききることにある。自分の命を与えきって死んでいく。法のため、人のため、社会のために、尽くして尽くしぬいて、ボロボロになって死んでいく。それが菩薩であり、仏である。
「殉教」です。何ものも恐れず、正義を叫びきることです。人を救うために、命を使いきることです。この心なくして、「仏法」はない。
◇
象徴的に言えば、人を火あぶりにするのが僭聖増上慢です。それに対して、人を救い、社会を救うためには、自分が火刑に赴くのも辞さないのが法華経の行者です。大聖人がそうであられた。牧口先生、戸田先生がそうであられた。
戸田先生はよく言われていた。「三類の強敵よ、早く出でよ。その時こそ、ともに喜び勇んで、敢然と戦おうではないか」と。
勧持品二十行の偈で、菩薩たちは「我れは身命を愛せず 但だ無上道を惜しむ」と誓っています。不惜身命の人が成仏するのです。今、一人立つ死身弘法の人が仏になるのです。(普及版<中>「勧持品」)
【コラム】 身読——法華経の行者の証明
日蓮大聖人は、悪口罵詈や諸宗の僧らによる迫害など、経文通り「三類の強敵」による難に遭われました。
「日蓮・法華経のゆへに度度ながされずば数数の二字いかんがせん、此の二字は天台・伝教もいまだ・よみ給はず況や余人をや」(御書202ページ)と仰せの通り、伊豆流罪と佐渡流罪を受けることで「勧持品」にある「数数見擯出」の文を身読されたのです。
大難と経文が符合しているということは、法華経が、末法における大聖人の御出現とその御振る舞いを予言した経典であるということです。
また逆に、大聖人が、法華経を身読されたことで、法華経が虚妄にならずにすみ、釈尊の言葉が真実であることを証明したことになるのです。
だからこそ、「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(同284ページ)と御断言なのです。
「二十行の偈」は、大聖人こそ真の「法華経の行者」であることを証明する経文なのです。