2020年10月11日日曜日

2020.10.11 わが友に贈る

◇今週のことば
「心ざしあらん人人は
寄合て御覧じ」
座談会は人生勝利の力。
今一重の祈りと真心で
心温まる歓喜の集いに!
2020年10月11日

椎地四郎殿御書 P1448
『此の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし』

【通解】
この経を一文一句でも聴聞して心に染める人は、生死の大海を渡ることのできる船なのである。

名字の言 「折り鶴」がつなぐ平和への思い 2020年10月11日
広島駅で興味深い土産を売っていた。メモ帳、絵はがき、タオル……。見た目はごく普通だが、原材料は「折り鶴」。広島市に毎年寄贈される約1000万羽の折り鶴の一部を再生したものだという▼原爆症からの回復を願い、包み紙でツルを折った佐々木禎子さん。12歳で命尽きるが、級友たちはその遺志を継ぎ、彼女をモデルにした「原爆の子の像」を建立する。この平和のシンボルに国内外から折り鶴が届くようになって幾十年。一人の少女の願いは次の人、さらに次の人へと伝わり、時代を超え、形を変えて、世界に広がっている▼今秋、広島・長崎・沖縄の青年・未来部による戦争・被爆証言集が発刊される。3県の書籍には共通点がある。タイトルに「つなぐ」との言葉が入っていることだ▼未来部員にとって戦後75年は遠い過去だった。だが、涙の証言を聞き、自らの人生と重ねた時、"今の生活は75年前とつながっている"ことに気付く。取材後、彼らは"次へのつなぎ方"を「人を助けるために勉強する」「将来、私の子どもに語る」と感想に記した▼「伝持の人」(御書508ページ)すなわち"心を継ぐ人"がいなければ、未来は閉ざされてしまう。先人の願いを"自分ごと"と捉えてこそ、平和の心は次代につながる。(子)

寸鉄 2020年10月11日
「一人を大切に」との学会員の心に感銘—韓国識者今日も心と心結ぶ対話へ
御書「設い業病なりとも法華経の御力たのもし」。何があろうと祈りを強く
子は学会の庭で育てよ—恩師。家族で信心継承の語らい更に。未来部の日
台風過ぎても土砂災害や河川増水の可能性あり。絶対無事故へ油断排して
若者に広がる大麻、多くSNSで入手と。社会全体で注意喚起し撲滅を

〈社説〉 2020・10・11 13日は「日蓮大聖人御入滅の日」
◇民衆を救う立正安国の生き方
「最近、友人から悩みを相談される機会が増えた」と、ある男子部のリーダーが語っていた。
創価学会青年部の「『若者とコロナ』に関する緊急全国意識調査」では、日本国内に住む10代から40代の男女2万49人が回答。今後の感染拡大について、「強い不安を感じる」が32%、「少し不安を感じる」が56%と、約9割の人が不安を感じていると答えた。
学会は、いかなる時代にあっても、同苦の心で人々に寄り添い、地域や社会の希望と輝いてきた。コロナ禍の今こそ、仏法の哲理で世界に勇気を送りたい。
弘安5年(1282年)10月13日、全人類の幸福を開くべく、死身弘法の御闘争を貫かれた日蓮大聖人は、61歳で尊き御生涯を終えられた。本年で738年を数える。
その御一代の弘教は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」といわれる。
天変地異が続き、飢饉や疫病が地上を覆っている。多くの人々が亡くなり、民衆は悲しみに満ちている——。「立正安国論」の冒頭に描写された当時の情景である。
その後には、「天空を仰いであふれんばかりの憤りを飲み込み、俯いて大地に目を落としては深く心を砕いている」(御書17ページ、通解)と仰せである。
苦悩に沈む民衆を救わんとの、大聖人の大慈大悲が胸に迫る。
この「立正安国論」の提出を機に、大聖人は「松葉ケ谷の法難」、「伊豆流罪」に遭われた。さらに「竜の口の法難」、「佐渡流罪」と、命に及ぶ弾圧は続いていく。
しかし、「いまだこりず候」(同1056ページ)と少しもひるむことなく、末法の民衆救済の御闘争を続けられた。
大聖人は、御入滅の2週間ほど前の弘安5年9月25日にも、門下の屋敷で病を押して「立正安国論」を講義されたと伝えられている。
そのことからも、「立正安国」を願い、その「生き方」を貫かれた実像が浮かび上がる。
法華経に脈打つ生命尊厳の哲理を、社会の基本原理としていく「立正」の闘争。それこそが、世界の平和と繁栄、人々の生活の安穏という「安国」「安世界」を実現する最も確かなる方途である。
冒頭の男子部は「悩みを打ち明けてくれた友人とは、"共に前へ進もう"と誓い合うことができた」と語っていた。
池田先生は「一つの対話の終わりは、新たなる対話への出発である」と教えている。
「立正」とは生命の触発によって、内発の力を呼び覚ます対話である。使命に目覚めた一人から次の一人へと内発の力を引き出す連鎖こそ、安国への原動力と言えよう。
不安の渦巻く時代だからこそ、「誓い」を広げる"立正安国の生き方"を貫いていきたい。

☆新時代を築く 「凱歌」の大道を誉れ高く 2020年10月5日
「みんな立派に育ったな」
「はい、育ちました」
青年を誰よりも愛された、戸田先生との語らいが蘇る。
1957年9月8日、あの「原水爆禁止宣言」を発表された横浜・三ツ沢の競技場で、青年部の英姿を笑顔で見守られながらの一こまである。
あれから63星霜、歴史的な世界青年部総会が行われた。
戸田先生も、また牧口先生も、どれほど喜んでおられるか。両先生に全世界の地涌の若人の大成長をご報告する思いで総本部の恩師記念会館で妻と勤行をした(10月3日)。
会館には、以前、私が報恩の一念で記した書「凱歌大道之誉」が掛けられている。今回の総会に連なる全ての若き宝友が一生涯、不退転で「凱歌」の大道を誉れ高く歩み抜くことを、私は強盛に祈った。
* * *
日蓮大聖人は「地涌の菩薩」について仰せである。
「此等の大菩薩 末法の衆生を利益したもうこと 猶 魚の水に練れ 鳥の天に自在なるが如し」(御書1033ページ)
地涌の菩薩は誓い願って、あえて末法の濁世に躍り出る。いかなる事態があろうと、断じて行き詰まりを突破して、広宣流布の活路を開き、民衆を幸福に、世界を平和に導いていくのだ。
この地涌の本領を発揮し、立ちはだかる苦難に挑み、断固と価値を創造してきたのが、我ら創価の師弟である。
「大阪の戦い」(1956年)も、まさしく悪口罵詈・猶多怨嫉の渦巻く只中であった。
私を先頭に関西の同志は、「道なき道を開くのだ」と、勇気と智慧を漲らせ、打って出た。「せめて一目でも」と友のもとへ足を運んだ。苦悩に耳を傾け、真心を尽くして共に信心で立ち上がった。「せめて一言でも」と励ましの声を掛け、仏縁を結び広げていったのだ。
「徹底して一人を大切に」——広布の方程式は、昔も今も、これからも変わらない。
「此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく善根として動かざる事なし」(同500ページ)
この仰せの通り、最も地道な学会活動こそ、無量無辺の「心の財」を積みながら、「立正安国」そして「立正安世界」を成し遂げゆく最も根本の力であることを忘れまい。
* * *
眼を天空に向ければ、明日6日には、赤く輝く火星が我らの地球に約6207万キロまで最接近する。11月初旬まで明るさが続き、創立の秋を祝賀してくれるかのようだ。
「我即宇宙」「宇宙即我」という妙法の大ロマンを光らせ、心広々と健康第一で、平和の星を足元から築きゆこう!