2011年7月26日火曜日

2011.07.26 わが友に贈る

暑い夏の朝を走る
配達員の皆様に感謝!
広宣流布の言論戦の
トップランナーよ!
どうか健康・無事故で!

崇峻天皇御書 P1173
百二十まで持ちて名をくたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ

◇希望の明日へ
自分自身が仏であると感得するための御本尊である。そこに観心の本尊の本義がある。この本義に立つとき、"外なる権威"としての僧侶は、まったく不要である。必要なのは一人一人が"自分を知り""希望をもって生きていく"ための善知識である。

☆随筆 我らの勝利の大道No.51 若獅子よ勝ちまくれ
青春は悩みとの戦いだ。大きな使命に生きる真摯な青年ほど、悩みは大きい。
昭和三十六年、わが男子部は、戸田先生のご生前にお約束した十万人の精鋭の結集を目指して、拡大に奮闘していった。地域・社会に学会の正義、仏法の素晴らしさを力の限りに訴え、各地で金字塔を打ち立てていったのである。
だが、折伏は難事中の難事だ。なかなか折伏が決まらず悩んでいる友もいた。
この年頭、私はアジアを歴訪して帰国すると、即座に愛する中部へと走った。その後、訪れた東北では、仙北支部と石巻支部の結成大会、さらに八戸支部の結成大会に相次いで出席した。
仙台市公会堂の控室で、一人の誠実な友が苦しい胸の内を率直に打ち明けた。
──周りを見ると、華々しい結果が出ている。しかし、自分は語っても語っても、なかなか実らない。
そのことに、焦りと不安を覚え、さらには自信さえ失いかけていたのだ。
なんと、健気な同志か。
私は、彼の懸命な努力を讃えつつ、側の人に部屋の窓を開けてもらった。
「見てごらん! 窓を開けただけでも、外には室内とは、まったく違う風景が広がっているものです」
「小さなことにとらわれず、心を大きく広々と開いていけばいいんです」
大事なことは、最高無上の仏法を語る勇気である。相手が信心しても、しなくても、友の心には「仏の種」がすでに植えられている。それは必ず、いつの日か芽生え、実る日が来る。これが、下種仏法である。
折伏ができなくて悩む。その心それ自体が、仏の心である。仏の悩みである。
「煩悩即菩提」であるゆえに、大きく祈り、悩んだ分だけ、自分の境涯は大きく開かれる。
皆、「師子の子」ではないか。何があっても、胸を張り、悠々と朗らかに前進していけばよいのだ。
蓮祖大聖人は、「日蓮が一門は師子の吼るなり」(P1190)と仰せである。

君よ、負けるな!
勇気凛々と語れ!
若獅子よ、勝ちまくれ!