2011年7月31日日曜日

2011.07.31 わが友に贈る

集中豪雨に
見舞われた方々の
無事・安全を深く祈念。
相次ぐ自然災害へ
万全の警戒で臨め!

一生成仏抄 P0384
只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり

◇希望の明日へ
何事も、知恵が勝利のカギである。知恵ある人はいっさいを使いこなせる。先手を打てる。臨機応変である。マイナスをもプラスに転じる。力は有限であるかもしれないが知恵は無限である。広宣流布の展開も、一面は激烈な"知恵の戦い"である。そして強盛なる無二の信心に偉大なる知恵が備わってくる。現実に局面を開き、価値を創造する知恵こそ、信心の重要な証明なのである。

▽名聞名利の風はげしく仏道修業の灯は消えやすし−御書。日々新たに邁進

☆随筆 我らの勝利の大道No.52 青年学会の大生命力
「青年の気概」──それは、師弟の絆を通して、永遠に流れ通っていくとは、米国ジョン・デューイ協会元会長であられるガリソン博士の洞察である。
先日も博士は、その視点から、誠に貴重な期待の声を寄せてくださった。
「『師弟』の関係を結ぶことによって、そこに常に若々しいエネルギーが湧き出るのです。
戸田会長が牧口会長の精神に生き、池田会長が戸田会長の精神に生きたように、弟子が師匠の精神に生き抜くことによって、組織は若々しく発展を続けることができるでしょう。
とともに、弟子が偉大にならなければ、師匠の偉大さは証明されないというのも事実です。そのためには弟子が受け身にならず、新たな価値創造の挑戦に立ち続けることも不可欠といえるでしょう」

まさしく、弟子が勝たなければ、本当の師弟の勝利にはならない。それには、"ここが自分の使命の戦場なり"と定めた場所から、自ら戦いを起こしゆくことだ。私もそうしてきた。
青年部の拡大は、世界の希望の拡大だ。
「青年部がしっかりしていれば、創価学会は永久に発展する」と、戸田先生が常に言われていたことが、思い起こされてならない。
かつて、私は関西の青年たちに語った。
「私は戸田先生のもとで、あらゆる苦労をしてきた。それが今では、全部、自分の血肉となり、誰人も奪うことのできない最高の財産になっている」
この師弟の底力を、今度は青年諸君が、自分の行動をもって、そして自分の人生をもって、堂々と証明しゆく時なのである。

2011年7月30日土曜日

2011.07.30 わが友に贈る

鍛えと成長の夏。
受験生、頑張れ!
すべては「今」からだ。
きょうを勝つことだ。
悔いなくベストを!

最蓮房御返事 P1341
日蓮末法の初の五百年に生を日域に受け如来の記文の如く三類の強敵を蒙り種種の災難に相値つて身命を惜まずして南無妙法蓮華経と唱え候は正師か邪師か能能御思惟之有る可く候

◇希望の明日へ
健康にも幸福にも、知恵が必要である。自分の健康は、ある意味で自分自身が"医者"となり"患者"となって、賢く守っていかねばならない。結論して言えば、「以信代慧」の信心で磨かれた知恵と、"仏法は勝負"との強き一念で進んでいくところに、人生の勝利へのリズムが生まれていくのである。

▽フィリピンの名門・国立パンガシナン大学からSGI会長夫妻に名誉学術称号(312番目)

☆随筆 我らの勝利の大道No.52 青年学会の大生命力
十五年前、中米コスタリカからアメリカに向かう途次、メキシコのベラクルス国際空港で、忘れ得ぬ出会いを刻んだ同志だちからも、嬉しい近況を報告していただいた。
私と妻が空港に降り立った時、「ようこそ!」と日本語で歓迎してくれた可憐な少女も、今や白蓮グループの一員として活躍している。わが同志が一家の経済革命を成し遂げるなど、多くの功徳の実証も、本当に嬉しい。
先月、行われた、訪問十五周年を記念するベラクルスの総会の模様は、地元のテレビでも取り上げられた。
メキシコの大詩人オクタビオーパスは言った。
「勝利の栄光よりも、逆境に直面した時の意志の強さに感動がある」と。
どんな苦難があろうとも、皆で励まし合いながら勝ち越えゆく、我ら創価家族の笑顔ほど、気高く晴れがましいものがあろうか。

今月、はるばると来日して、本部幹部会に参加された南米ペルーの壮年リーダーが、熱く語っておられたそうだ。
──ペルーには、生涯に一度、師のいる日本に行くことを夢見て、信心してきた先輩が大勢おられます。しかし、青年学会を築き、未来のペルー広布の永遠の流れを開くためには、自分が行くよりも子や孫たちに行かせてあげたい、と送り出してくれました、と。
そして、その代表がここにいる青年たちですと、最年少の来日メンバーである二十歳と二十一歳の学生部員を、皆に誇らしげに紹介されたのである。
二人の英才は、日本へ送り出してくれた父母や祖父母たちの思いを胸に、涙ながらに凛然と決意の瞳を光らせていたという。
師か弟子へ、そして、親から子へ、孫ヘ──この精神の継承に、世界広布の命脈がかかっている。

2011年7月29日金曜日

2011.07.29 わが友に贈る

「行学の二道を
はげみ候べし」
広布の闘争の中で
御書を学ぶことだ。
正義の宝剣を磨け!

持妙法華問答抄 P463
只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり

◇希望の明日へ
人の心の機微に敏感に、また柔軟に対応し、もっとも価値的な選択を行っていく知恵。それが大切である。以信代慧(信を以って慧に代う、と読む。智慧のない凡夫も、信心の修行によって、成仏への智慧を得ることができる)」と仏法では説く。その深義はともあれ、幸福には知恵が必要である。知識や学問は即幸福になるとはかぎらない。かえって、それらにとらわれ、幸せへの道を閉ざしてしまう場合さえある。知恵こそ、人間が幸福に生きていく最高の条件である。そのもっとも深い知恵が仏法であり、妙法への信心にすべて含まれている。ゆえに信仰者は、だれよりも知恵者でなければならない。

☆随筆 我らの勝利の大道No.52 青年学会の大生命力
さらにまた、広宣流布を大使命とする創価学会が、いかなる権力の魔性の迫害にも崩れぬ、金剛の基盤を固める大闘争であった。
この攻防戦の重大な意味を、私は知悉していた。
「あえて正視してこそ、はじめて果敢に考え、説き、行ない、事に当たれるのだ」とは、生誕百三十周年の魯迅の言葉だ。
民衆を苦しめる権力の魔性とは断じて戦い、正義を満天下に明らかにしていく覚悟が、獄中の青年の胸に燃えさかっていた。

佐渡御書には『師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし』(P957)と仰せである。
大聖人直結の創価学会であるゆえに、その「師子王の心」を持つ師弟を中心として、難攻不落の民衆の大城を築くことこそ、広宣流布の画竜点晴なのだ。
逮捕から二週間が経った七月十七日正午過ぎ、私は大阪拘置所から、不屈の若獅子となって出所した。
その夕刻、戸田先生と私が共に出席して、中之島の中央公会堂で行われた大阪大会には、突然の豪雨など物ともせず、「横暴な権力は許さない!」と、恐れなき庶民が大結集した。
創価の師弟には、師子王の勇気がある。
──いかに三類の強敵が出来するとも、最後は信心を貫き通した者が、正しい仏法が必ず勝つ!
青年が師子吼した常勝の大確信を、全同志が生命に刻んだ。「絶対勝利の信心」を不滅の学会精神として、相伝していったのだ。

2011年7月28日木曜日

2011.07.28 わが友に贈る

人間共和の都を築く
団地部・地域部の友に
心から感謝!
尊き使命の天地で
幸福責任者と光れ!

立正安国論 P32
汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや

◇希望の明日へ
一般的にも、真剣な責任感と努力があれば、何らかの知恵が出てくるものである。まして信仰者に行き詰まりはない。表現についても同様である。ご家庭においても、聡明な言動こそが即、信心の輝きとなる。仏法の理解を広げていく。ご主人に対しても、また未入信のご家族や、ご親族に対しても、相手の心の奥に届くような、人情の機微をとらえた接し方をお願いしたい。そうした知恵は思いやりでもあり、豊かな人間性の表れともいえる。また、お子さんに対しても、感情にとらわれた言い方ではなく、よく考えてあげて、五のうち四は、ほめてあげる、残りの一は必要に応じて注意してあげるくらいの気持ちでよいのではないだろうか。

☆随筆 我らの勝利の大道No.52 青年学会の大生命力
この七月、我らが「青年学会」は、太陽と燃えゆく情熱で、勇気と真心の対話に走っている。

七月は、誠に不思議な宿縁の月である。
日蓮大聖人が正義の諌暁の書「立正安国論」を鎌倉幕府に提出されたのが七月十六日(文応元年)。
牧口先生と戸田先生が、凶暴なる軍国主義と対峙し、逮捕されたのは七月六日(昭和十八年)。
殉教の先師・牧口先生の心を継ぎ、真実の弟子・戸田先生が出獄されたのが七月三日(昭和二十年)──。
この不滅の歴史を思う時、創価の男女青年部が同じ七月に誕生したのは、深い深い意義があったのだ。
そして、昭和三十二年の七月三日──。本来なら、私は東北・福島の浜通りを訪れる願望であった。
しかし、北海道から空路、羽田経由で大阪入りし、全く事実無根の選挙違反の容疑で逮捕されたのだ。
「大阪事件」である。十二年前の戸田先生の出獄と、同日のことであった。
世間の失一分もなし』(P958)。大聖人の大確信を偲び、青年に恐れはなかった。
私は二十九歳。結核で、「三十歳まで生きられない」と医者に言われた体であった。
その三十歳を目前にしての「王難」である。しかも、当局は学会本部を手入れし、戸田先生を逮捕することさえ狙っていた。
ここで、一人の若き弟子が戦い切るかどうか。学会を護り抜き、師匠を護り抜いて、一人の青年が不撓不屈で勝ち抜くかどうか。
そこに、師弟の宿命の転換がかかっていた。

2011年7月27日水曜日

2011.07.27 わが友に贈る

後輩を尊敬し
自分以上の人材に!
それが学会の伝統だ。
永遠の勝利のために
渾身の励ましを!

生死一大事血脈抄 P1337
金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず鉄は水火共に堪えず賢人は金の如く愚人は鉄の如し貴辺豈真金に非ずや法華経の金を持つ故か

◇希望の明日へ
いかに知識をもち、情報を収集していても、膨大な情報に流され、かえってそこに自身が埋没してしまっては、何のための情報かわからない。それらの知識を、自在に使いこなしていく知恵が、もっとも大切なのである。その知恵の源泉こそ妙法であり、この情報化社会という荒海も、信心という無量無辺の知恵のカジで自在に乗り切り、悠々と航海していくことができる。ここに、信心の醍醐味があるといってよい。

☆随筆 我らの勝利の大道No.52 青年学会の大生命力
恐れるな
 また恐れるな
  師子の子は
 万里を走りて
  天にほえゆけ

御聖訓には仰せである。
一度妙法蓮華経と唱うれぱ一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり』(P557)
題目の功力は計り知れない。妙法の音声には、誰人の仏性も呼び覚まし、大宇宙をも動かす力用がある。
だからこそ、生き生きとした勤行・唱題から、一切を始めるのだ。先頭を切って、皆を包み、皆を引っ張っていくような決意で朗々と題目を唱え切るのだ。
弱々しい臆病な声では、魔は断ち切れない。題目はいかなる魔も打ち破っていく最強無敵の利剣なのだ。
わが青年部は、「信行学」の基本を大切にし、題目の師子吼で、断固と勝ち進んでもらいたい。

2011年7月26日火曜日

2011.07.26 わが友に贈る

暑い夏の朝を走る
配達員の皆様に感謝!
広宣流布の言論戦の
トップランナーよ!
どうか健康・無事故で!

崇峻天皇御書 P1173
百二十まで持ちて名をくたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ

◇希望の明日へ
自分自身が仏であると感得するための御本尊である。そこに観心の本尊の本義がある。この本義に立つとき、"外なる権威"としての僧侶は、まったく不要である。必要なのは一人一人が"自分を知り""希望をもって生きていく"ための善知識である。

☆随筆 我らの勝利の大道No.51 若獅子よ勝ちまくれ
青春は悩みとの戦いだ。大きな使命に生きる真摯な青年ほど、悩みは大きい。
昭和三十六年、わが男子部は、戸田先生のご生前にお約束した十万人の精鋭の結集を目指して、拡大に奮闘していった。地域・社会に学会の正義、仏法の素晴らしさを力の限りに訴え、各地で金字塔を打ち立てていったのである。
だが、折伏は難事中の難事だ。なかなか折伏が決まらず悩んでいる友もいた。
この年頭、私はアジアを歴訪して帰国すると、即座に愛する中部へと走った。その後、訪れた東北では、仙北支部と石巻支部の結成大会、さらに八戸支部の結成大会に相次いで出席した。
仙台市公会堂の控室で、一人の誠実な友が苦しい胸の内を率直に打ち明けた。
──周りを見ると、華々しい結果が出ている。しかし、自分は語っても語っても、なかなか実らない。
そのことに、焦りと不安を覚え、さらには自信さえ失いかけていたのだ。
なんと、健気な同志か。
私は、彼の懸命な努力を讃えつつ、側の人に部屋の窓を開けてもらった。
「見てごらん! 窓を開けただけでも、外には室内とは、まったく違う風景が広がっているものです」
「小さなことにとらわれず、心を大きく広々と開いていけばいいんです」
大事なことは、最高無上の仏法を語る勇気である。相手が信心しても、しなくても、友の心には「仏の種」がすでに植えられている。それは必ず、いつの日か芽生え、実る日が来る。これが、下種仏法である。
折伏ができなくて悩む。その心それ自体が、仏の心である。仏の悩みである。
「煩悩即菩提」であるゆえに、大きく祈り、悩んだ分だけ、自分の境涯は大きく開かれる。
皆、「師子の子」ではないか。何があっても、胸を張り、悠々と朗らかに前進していけばよいのだ。
蓮祖大聖人は、「日蓮が一門は師子の吼るなり」(P1190)と仰せである。

君よ、負けるな!
勇気凛々と語れ!
若獅子よ、勝ちまくれ!

2011年7月25日月曜日

2011.07.25 わが友に贈る

目標を明確に!
昨日の自分とは違う
新しい自分であれ!
宝の一日一日を
悔いなく勝ち飾れ!


御義口伝巻下 P788
始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり

◇今週のことば
信心継承の夏!
友好拡大の夏!
生き生きと祈り
はずむ生命で
人間革命の日々を!
2011年07月25日

◇希望の明日へ
学会は善知識の集まりである。広宣流布をめざそう、信心を深めていこう、ともに幸福になっていこう−−その温かい励まし合いの世界である。ゆえに、学会の幹部は、同志に尽くす善知識でなければならない。自分のために会員同志を利用したり、下に見たり、"子分"のように思って使ったり--それは悪知識である。正しい信心を見失わせてしまう。こういう人間に従う必要は、まったくない。

☆皆、張り切って戦え
「人事の交代は、これまでの人と、これからの人の両方が一段と成長する。一段と朗らかになる。そして一段と勝利を決していけるようになる。これが大事だ」
「交代する方には、これまで頑張ってくれたことを心からねぎらい、これまでの功績を心から讃えていただきたい」
「皆、大事な人だ。宝の人材だ。ゆえに、永続性をもって、大きな賢い心で、一人一人をリードしていく。これが根本だ。細かいところまで、気をつかっていくんだ」
「新しい人も、交代する人も、全部、新しい使命であり、任務であると思って、張り切って戦っていきなさい。
一切が、仏になるための仏道修行である。新しく戦っていく人も、若々しく、断じて勝利して、仏になっていくんだ」

「すべての人が元気になり、幸福になり、勝利していく。そのための人事である。学会は、たゆまずに人材を育成していくのである」
(新体制でスタートを切る各地のリーダーに)

2011年7月24日日曜日

2011.07.24 わが友に贈る

同志の健康を祈り
心を砕いていくのが
リーダーの責務だ。
地道な訪問激励ありて
人材の花は咲き薫る!

種種物御消息 P1548
雨ふりかぜふき人のせいするにこそ心させしはあらわれ候へ

◇希望の明日へ
愚かな人間と一緒にいては、"心配(憂い)"と"苦しみ"が絶えない。仇とともに住んでいるように危険がつきまとう。これは、世間においても、同じ道理である。いわんや、清らかな仏法の世界にあっては、"善き友"を選ばねばならない。いつもいつも皆に心配をかけるような悪しき友、愚か者とは、一緒にいないほうがよい。悪人をはびこらせてしまえば、仏法そのものまで破壊されてしまう。

☆随筆 我らの勝利の大道No.51 若獅子よ勝ちまくれ
創価の前進もまた、学会歌の響きと共にある。
世界でも広く歌い継がれている「紅の歌」は、魁光る四国で誕生して、今年で三十年となる。男子部時代に、この歌を熱唱してきた友の多くも、今では円熟の壮年部として奮闘している。
現在の男子部歌「若獅子よ 勝ちまくれ」が発表されたのは、ちょうど五年前の七月二十日であった。

♪……誓い果たさむ
     弟子なれば
 永遠にこの道 師と共に
 民衆を救わむ
  誉れの 誉れの旅

この歌の淵源は、昭和四十八年に生まれた愛唱歌「原野に挑む」である。壮年部の世代にとって、これまた同志と共に歌い、「汗にまみれて進む身の 無名無冠に誇りあり」と、互いを鼓舞してきた歌であった。
時を経て歌われる「紅の歌」と「若獅子よ 勝ちまくれ」──。それは、二十一世紀を担い立つ男子部と、時代を開いてきた黄金柱の壮年部とが一つになって進む象徴のように思えてならない。
会館厳護の大使命も、近年、男子部の牙城会と壮年部の王城会が一体となって遂行してくれている。
ドイツの哲学者ニーチェ「時を逸することなく、毅然として行きなさい!」と叫んだ。
今こそ、壮年部と男子部が手をとり、広布の新たな一ページを開く時である。壮年の豊かな「経験」と「確信」、青年の燃えるが如き「情熱」と「行動力」。これらをがっちりと組み合わせれば、その力は、単なる足し算ではなく、掛け算となって倍加していく。 そこに、広宣流布の勢いはいやまして加速し、盤石なる「青年学会」の建設への決定打となっていくことは間違いない。

◎少年少女部の21世紀チャンピオングループの大会で、わが地域の山城英之君が司会を!
勇気の泉にも「心を育むことが未来を開く」と。わが家も親子でしっかり鍛えの夏にしていこう

2011年7月23日土曜日

2011.07.23 わが友に贈る

友情は宝なり!
何でも相談できる
親友を持つことだ。
語り合って進めば
力は倍増する!

撰時抄 P265
教主釈尊記して云く末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしととかせ給へり

◇希望の明日へ
"悪縁"の風に紛動された人生は、夜の雨のように暗い。わびしい。風向きのままに、奴隷のごとく、翻弄され、陰湿な敗北の人生となる。反対に、悪知識と戦い、毅然として乗り越えた人生は明るく、強い。太陽のようにカラッとした、朗らかな勝利の人生を歩んでいくことができる。

☆随筆 我らの勝利の大道No.51 若獅子よ勝ちまくれ
大切な大切な「東北の日」でもある七月の三日、「青葉の誓い」に燃え立つ歴史的な「新時代 第一回東北青年部総会」が開催された。
わが愛する男子部、女子部、男女学生部、そして未来部の友が、東北全土に、いな世界に届けと、大震災に負けない若き不屈の生命を光らせてくれた。
総会では、自宅も職場も全部、失いながら、雄々しく再起して、郷土に大いなる希望の光を放った、東北健児の師子吼があった。
また、華陽の乙女の体験では、大津波で父を亡くした悲しみを乗り越え、弘教を実らせた友のことなどが紹介され、皆の心を打った。

大震災から四ヵ月、歯を食いしばり、一日また一日を戦い抜いてきた大東北の連帯は、あまりにも尊い。
この一人ひとりが、私たちの「宝の中の宝」であり、「誇りの中の誇り」である。この気高き青年たちが健在である限り、何を恐れるものがあろうか。
かつて東北の青年詩人・宮渾賢治は綴った。
「ほんたうにどんなつらいことでもそれがたゞしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつですから」と。
今、創価の青年は、瓦礫や泥濘(ぬかるみ)に怯まず、勇敢に、辛抱強く、一歩また一歩を踏み出している。その足音こそ、皆を「常楽我浄」の幸福の峰へとリードする希望の響きとなる。その足跡こそが、やがて無数の友が感謝を込めて続く、勇気の指標となるに違いない。

2011年7月22日金曜日

2011.07.22 わが友に贈る

御書を拝せば
勇気が湧く。
不屈の力が溢れる。
「行学の二道」で
勝利の活路を開け!

聖愚問答抄上 P498
一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる

◇希望の明日へ
悪知識とは、善知識の反対で、ウソつきであり、人々をだまし、良い心を壊す存在である。そして悪の方向へ、不幸の方向へと、人々を陥れ、正しい仏法の実践を何かと妨げ、邪魔しようとする。こうした悪知識を鋭く見破り、だまされることなく、どこまでも善知識を求めていくことがいかに大切であるか、御書には繰り返し仰せになっている。

☆随筆 我らの勝利の大道No.51 若獅子よ勝ちまくれ
今も鮮やかに蘇る。
昭和二十六年の七月十一日の水曜日、私は二十三歳の一青年として、東京・西神田の学会本部に飛び込んだ。服も靴も、雨にずぶ濡れになったが、"いよいよ新たな出発だ"と、命の炎は燃え盛っていた。
この日、師匠・戸田先生のもとに約百八十人の精鋭が集い、男子部の結成式が行われたのである。
先生は開口一番、誰も想像だにせぬ挨拶をされた。
「今日、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会会長が現れるであろう。その方に、私は深く最敬礼をしてお祝い申し上げたい」
「広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であり、各自に、その尊い地位を自覚してもらいたい」
それは、師匠と弟子が心を一つに広宣流布の大願を立てる「師弟共戦」の大宣言であり、厳粛なる「師資相承」の儀式であった。
先生の一言一句を、私は全生命で受け切った。
さらに先生は言われた。
「我々の目的は、日本一国を目標とした小さなものではない。日蓮大聖人は、遠くインドまで、大白法を伝えるよう御命令である」
青年が師匠に吋き従っていくのではない。青年が師匠と同じ責任を分かち合うのだ。青年が師の心を我が心とし、率先して遠大なる未来の道を開きゆくのだ。
御聖訓には「総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え」(P1367)と仰せである。
仏法の「誓願」とは、競い起こる障魔を覚悟の上で、師匠と不二の勇気に奮い立つことである。その時、弟子の生命は、自らの小さな殻を打ち破り、仏に等しい力と智慧を、雄渾に漲らせていけるのだ。
ともあれ、青年部の結成は、まさに「青年学会」の誕生そのものであった。
そして、この「青年学会」は、常に後継の人材の瑞々しい誓願とともに生まれ変わり、生き生きと新生の力を滾(たぎ)らせていくのだ。

2011年7月21日木曜日

2011.07.21 わが友に贈る

学会の強さは
人間と人間の絆。
「立正安国の祈り」と
「金剛不壊の団結」で
ともに希望の道を!

四条金吾殿御返事 P1169
又さきざき申すがごとくさきざきよりも百千万億倍御用心あるべし

◇希望の明日へ
善知識とは、本来よき友人のことである。正直でウソ偽りがなく、人々を正しい方向へ、善の方向へと導いていく存在である。また、皆が安心して正法を実践していける力となっていく人である。"あの人はいつも輝いている、はつらつとしている""あの人といると勇気が出る、安心できる"−−そういう人と近くなっていけば、自然に信心も深まり、知恵も豊かになっていく。仏道修行において善知識にあうことこそ、成仏へのカギなのである。

☆きょうもわが友を励ませ
「貴女よ
 いつもいつも元気で!
 偉大なるこの人生を勝ちぬき、幸福の宴で飾りゆけ!」
「君よ、勝ちまくる英雄たれ! 師子たれ! 闘士たれ!」
(各地で新出発した若きりーダーに)

「創価学会は、たゆまず人材を育て続けていく団体です。
その先頭に立って、皆さん方が、少子高齢社会の中で、どれほど真剣に、忍耐強く奮闘してくださっているか」「本当に本当に、ありがとう!」
「御聖訓には、『一は万が母』(P498)と仰せであります。
どんなに厳しい社会の現実があっても、目の前の一人の未来部員を励ましていくことから、一切は始まります。
一日に一人でも激励すれば、30年たてぱ1万人を激励できる。私はそう決めて、三障四魔との戦いの連続の中で、一人また一人と手作りで人材を育ててきました。
これからも、学会は永遠に人材で勝つ。
この勝利の道を、最も信頼する皆さんが私と一緒に開いてください。大切な大切な皆さんに、題目を送り続けていきます。
この夏の創価家族の集いの大成功、絶対無事故を祈っております。未来部の指導、万事、よろしくお願いします。各地の宝の未来部員に、くれぐれも、よろしくお伝えください」
(全国未来部育成部長・未来部長会へ)

☆随筆 我らの勝利の大道No.51 若獅子よ勝ちまくれ
青春の汗は、金である。希望に燃え、情熱に燃え、使命に燃えて、わが青年たちが流す尊き汗は、私には黄金の光を放って見える。
この七月三日、台湾では、SGI(創価学会インターナショナル)の七階建ての素晴らしい桃園文化会館が誕生し、記念の式典が盛大に行われた。
祝福に駆けつけた日本の派遣団が最寄りの高速鉄道(新幹線)の桃園駅に足を運んでみると、台湾の創価班のメンバーが参加者を迎えていた。三色旗を掲げて、同志を労いながら誘導する英姿のなんと凛々しいことか。
さらに新しい会館では、芙蓉グループ(白蓮クループ)の天使も、颯爽と清々しく使命を果たしてくれていた……。
壮麗な宝城での晴れやかな会合の大成功とともに、その陰で真剣さを秘めて明るく運営に当たってくれた青年たちの献身の模様を、私は胸を熱くして聞いた。
台湾SGIは長年にわたり地域・社会への貢献活動を続け、「社会優良団体」としての顕彰は、実に連続十六回を数える。青年部も、自然災害などの際の救援活動で、迅速に見事な行動を重ねてきた。
青年部の結成より、ここに六十周年──。戸田城聖先生が、「旗持つ若人」に託した創価の魂は、全世界に脈々と躍動しているのだ。

2011年7月20日水曜日

2011.07.20 わが友に贈る

悪天候に警戒!
「前前の用心」で
万全の備えを!
声を掛け合い
無事故を勝ち取れ!

御講聞書 P808
題目の大音に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所なし

◇希望の明日へ
捏磐経等には、悪象に殺されても、身を破るだけで、心までは破れない。悪知識は両方とも破り、地獄に堕とす、と。ゆえに、何より悪知識を離れ、悪知識を見破り、遠ざけよと説いている。味方のような顔をして近づき信心を破る。言葉たくみに何とか退転させようとする。それが悪知識である。この悪い友こそ、幸福と成仏の最大の敵である。

▽わが人生に永遠に残りゆく広布史を綴れ−恩師。今こそ、盤石な人材城を

☆名字の言 2011.07.17「限りない向上は師弟の道に」
三国志演義の英傑・関羽の修行時代。既に剣豪の呼び声高かった関羽が、さらに強くなりたいと剣術の師・武龍の門を叩いた。だが、師は何ひとつ技を教えない。
それどころか日々、食べ物や薪などを集めさせるばかり。数々の思いが胸に去来したが、関羽は淡々と眼前の日課を務めた。それが彼の人格を磨き、剣の道をも極めることになったという話がある。
自分の小さな経験から判断せず、愚直なまでに師の教えに従う。遠回りに見えて、そこに成長への近道があろう。
日興上人は"この法門は師弟の道をただして仏に成る"と。師匠の広宣流布の信心を継承する一途な実践こそ、仏道修行の核心。師弟あればこそ、慢心や我見を排し、限りない向上の道を歩むことができる。

2011年7月19日火曜日

2011.07.19 わが友に贈る

団結した女性の
偉大な力に喝采!
断じて諦めない!
その負けない心に
勝利の青春は輝く!


千日尼御前御返事 P1311
此の経は女人成仏を手本としてとかれたりと申す

◇希望の明日へ
善知識は法が中心である。創価学会は、御本尊と御書を根本とする。しかし、悪知識は自分が中心である。ゆえに、その時々によって言動が違ってくる。いずこの国であれ、広宣流布が進めば進むほど、そうした悪知識も多く出てくることは、経文と御書に照らして当然である。見破り、打ち破ってこそ、広々とした、朗らかな、晴れやかな"皆の幸福の緑野"が開けてくる。

☆勇気の泉 35「心血を注いだ分だけ人は育つ」
後継の世代の育成は組織をあげて取り組むことです。わが地域の未来部員は、わが子、わが弟・妹と思って励まし、育てていくんです。
よく、『子は親の背を見て育つ』と言われますが、信心も親の影響は非常に大きいですね。
そうです。親は、子どもの模範となる信心を心がけることです。と同時に、ただ、『背中を見よ』と言って、放置していてはだめです。
子どもと真正面から向き合い、手塩にかけて、教えるべきことを教え、心血を注いでいってこそ人間は育つ。
親としてやるべきことを怠り、手を抜いていれば、それなりの結果しか出ません。

2011年7月18日月曜日

2011.07.18 わが友に贈る

対話こそ人生の喜び。
勇気を出して
自分から声掛けを!
希望の大哲学を
皆が求めている!

兵衛志殿御返事 P1108
二人一同の儀は車の二つのわの如し鳥の二つの羽のごとし

◇今週のことば
未来部は世界の希望だ。
「今日」の励ましが
「明日」の勝利を開く。
皆で総力をあげて
後継の友を育てよう!

2011年07月18日

◇希望の明日へ
信心を教え、ともに行学を深め、正法流布に仲良く進んでいく。これが善き友(善知識)である。創価学会は善き友の最高の集いである。

☆新時代第50回本部幹部会のメッセージ
「観心本尊抄」には、『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』(P254)と仰せであります。
牧口先生も、戸田先生も、この御金言を通し、創価の青年たちに、思う存分に学び、鍛え、英知を磨き、実力をつけよと励まされた。
青年が燃え上がる太陽となって、いかなる時代の闇も打ち破り、世界を平和と繁栄へ赫々と照らしゆけ!──と明確な大道を示してくださったのであります。
私が青春時代に愛読した東北の哲学者・阿部次郎は、"師匠から、弟子が学ぶべき第一のものは何か"──。
それは、「何よりも先ず、師と同一の勇気を以て人生に衝当(つきあた)ることでなければならない」と結論した(『阿部次郎選集� 学生と語る』)。
私の300を超す「知性の宝冠」の一切を譲り託しゆく君たちは、絶対に負けない「幸福の博士」である。絶対に勝ち抜いていける「魂の王者」である。
どうか、決然と胸を張り、歴史を動かし、全世界の青年を引っ張つていく決心で大前進していただきたいのであります。
終わりに、
 わが青年だちよ、
 勇気をもって学べ!
 勇気をもって戦え!
 そして、勇気をもって勝ちまくれ!──
と叫んで、私のメッセージといたします

◎「海の日」で休み。(放射能のない)海、行きたぁ〜い!

2011年7月17日日曜日

2011.07.17 わが友に贈る

信心を貫いた人は
最後に必ず勝つ!
それが創価の魂だ。
正義に燃え立つ
常勝の師子たれ!

法蓮抄 P1046
譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るる

◇希望の明日へ
変毒為薬のためには、毒を毒と見破ることが第一である。悪を悪と見極めなければ、いつしか自分も悪に染まってしまう。一念が、そちらに引き寄せられてしまう。幸福の軌道に狂いが生じる。大聖人が仰せのように、もっとも用心すべきは、悪知識なのである。悪の本質に対して、鋭く、賢明であること。強くあること。それが善をなす条件である。弱者、愚者では大善を行う勇者とはなりえない。そして大悪と戦い、勝ってこそ大善である。極悪と戦い、勝てば極善である。これが御書に説かれた"成仏への王道"である。

☆新時代第50回本部幹部会のメッセージ
日蓮大聖人は仰せになられました。
法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し』(P416)
大聖人は、「一生の中に」、そして「一人も残らず」とお約束くださっています。
広宣流布の大願に生き抜く決定した「信心の一念」があれば、どんな立場でも、全部、仏の大境涯に通じます。
如説修行の団体である創価学会で、「行学の二道」に励み、心広々と指揮を執った時には、間違いなく仏の大功徳に包まれていく。
反対に、信心の確信が弱くて遠慮があったり、臆病になったり、また、自分勝手なわがままであっては、せっかくの大きな福運を無くしてしまう。
栄光ある人生を、断じて無駄にしてはならない。
皆さん方は、人々の幸福のために戦う、正義の英雄の集まりであり、華陽の天女の集まりである。法華経の魂をもって、自他共に最高の青春を勝ち抜いていく使命を帯びた人である。
ゆえに何があっても、心は屈服してはならない。粘り強き闘将は、必ず最後は勝ち切っていけるのです。
いわんや、皆さん方には、一番尊い「異体同心」の仲間がいます。良き親友と心を合わせて戦うスクラムは、それぞれの力を何倍にも高めていける。


2011年7月16日土曜日

2011.07.16 わが友に贈る

未来部の夏だ!
一日一日が
大成長のチャンス
学びと鍛えの
挑戦王・努力王たれ!

白米一俵御書 P1596
いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり

◇希望の明日へ
妙法が根本であることは当然である。そのうえで、正法に導く善知識がなければ、成仏は難しい。現実的には不可能であるといってよい。学会員の励まし合いの同志、そして正しさ信仰の軌道に乗るための広宣流布の組織は、この大切な善知識の存在なのである。誠実なわが同信の友は全員が互いに善知識である。機構上の役職の違いや先輩・後輩の関係はあっても、御本尊の前には、まったく平等である。だれが上とか下とかということは絶対にない。それぞれの立場で、互いに成長を祈り、仲良く励まし合っていく。固く手を取り合って永遠の幸福への道に人々を誘い、ともに無量の功徳を受けていく。善知識とは本来、よき友を意味するが、学会員同志は互いに、そうした真実のよき友でありたい。

☆新時代第50回本部幹部会のメッセージ
尊き世界の同志の皆さん、本当にようこそ、お越しくださいました。皆さん方が、各国・各地にあって、どれほど力強く良き市民として貢献されているか。
SGI(創価学会インターナショナル)の愛称は、「ソーシャル(S)・グッド(G)・インスティテューション(I)」すなわち「社会の善なる団体」であります。それぞれの国土で、なくてはならない存在として、信頼の実証は今や爛漫と花開いております。
しかし、そのためには、いずこの国でも、血の惨むような苦闘に苦闘を重ねて、根を張ってこられたのであります。
ペルーの大詩人バジェホは謳いました。
「私は、花ではなく、根っこがあるゆえに、植物を愛する」と。
自らが目に見えない根っことなって、盤石な広宣流布の大樹を育ててくださった無名の学会員の方々こそ、真実の国の宝であり、人類の宝であります。
その偉大な父母たちと一緒に、私は、今日集まった、若き君たちを見守っております。君たちが、これから、10年、20年、30年と活躍していく、遠大な未来を思うと、私の心は弾みます。
それは、幾百年にも、いな、幾千年の歳月にも匹敵する価値ある人生となり、歴史となっていくでしょう。
広宣流布のために闘争していく、充実した生命の時間は、それはそれは豊かで膨大であります。計り知れぬ、無量無辺の御仏智を湧き出しながら、最も偉大な人間革命の力を発揮していけるからであります。

2011年7月15日金曜日

2011.07.15 わが友に贈る

結成60周年の
輝く青年部幹部会。
歴史の大舞台に集う
若人に栄光あれ!
学会の未来を頼む!

生死一大事血脈 P1337
悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事歓喜の感涙押え難し

◇希望の明日へ
現在、学会が、さまざまな経験と試行錯誤を重ねながら、苦しみ悩みつつ、すべてに応戦し、勝利していくとき、その繰り返しのなかに、世界に広宣流布しゆく団体としての現実の力量がいちだんと練られ、鍛えられていく。現在の経験が、すべて、長き将来への教訓となり、栄養となり、かけがえのない力になっていくのである。その意味からいえば、あらゆる出来事は、すべて発展への善知識である。悪知識をも善知識に変えるのが妙法の力であり、いっさいを"喜び"に変え、"追い風"に変えるのが信心の一念の力である。

▽負けるものかと、デンと腹をすえて頑張れ−恩師。今いる所こそ使命の舞台

☆新時代第50回本部幹部会でのメッセージ
結成60周年を記念する晴れの全国青年部幹部会、また希望に満ちた未来部総会、そして新生・東北総会の開催、本当におめでとう!
はじめに、小説『新・人間革命』の迎載の再開を発表させていただきます。
来る9月1日付の聖教新聞から、第25巻の第1章を開始いたします。
章のタイトルは「福光」(福の光)です。舞台は、昭和52年(1977年)の3月11日、大好きな福島県の訪問から書き起こします。
あまりにも健気にして信念強き福島の友との語らい、さらに、宮城、岩手、青森、秋田、山形、福島の東北6県が勢揃いした代表幹部会などの歴史を、書き綴っていきます。
広宣流布は、いかなる風雪も越えて、民衆の幸福と世界の平和を築く大偉業であります。この広宣流布の総仕上げの原動力となり、人類に希望の福光(福の光)を送る「地涌の正義の旗頭」こそ、わが愛する東北の皆さんであります。
不屈の負けじ魂の一念は、偉大な福光となって、必ず必ず輝き広がる。このことを、私は今再び、大東北の凱歌の同志と一緒に、世界へ未来へ、大宣言したいのであります。

2011年7月14日木曜日

2011.07.14 わが友に贈る

「拡大」こそ
広宣流布!
リーダーの必死の一念が
突破口を開くのだ。
不滅の歴史を残せ!

撰時抄 P265
法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり

◇希望の明日へ
善知識とは、仏道修行を進ませ、成仏の道へと導いてくれる人のことである。あくまで御本尊が根本であり、正しき信心を貫いていくことの大切さはいうまでもない。しかしそのうえで、信心を教え、導いてくれる人を誤ったり、失ってしまうと、成仏への大道をきちんと歩みゆくことが難しくなる。いわば善知識は信行完成への支柱である。ゆえに、どのような人を善知識としてもつかが、信心ではもっとも肝要となる。その意味で、信心を教え、広布の道をともどもに進んでいる学会の存在はじつに大きいのである。

▽苦悩する民衆を救うことが学会の根本精神−恩師。折伏は最高の慈悲行なり

☆法華経の智慧
大きな青空に、真綿の雲を広げて、その上で悠々と下界を見おろしているような境涯です(笑い)。そういう高い境涯になるためには、ジェット機のように、一心不乱に、信心ひとすじに走りなさいというのが、「法師功徳品」なのです。


2011年7月13日水曜日

2011.07.13 わが友に贈る

地域社会を照らす
農漁村部の皆様!
今の労苦が必ず
実りの季節を呼ぶ。
健康と幸福を祈る!

兵衛志殿御返事 P1091
すこしもをそるる心なかれ過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しをのひるとみつと月の出づるといると夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり

◇希望の明日へ
学会員は互いに善知識である。また、そうあらねばならない。そのために、重要なことの一つは、相手を大きく包容していく広々とした心である。当然、根本である信心の大綱は、きちんと指導していかなければならない。そのうえで、私的なことについては、いちいち細かく指摘したり、非難しあったりすることは賢明ではない。人それぞれに個性があり、生き方がある。生活環境も違う。互いに尊重しあい、仲良くしていくことが大事である。

▽初めに「勝つ」と決めよ。これが勝負の哲学−恩師。さあ、心を合わせて出発


2011年7月12日火曜日

2011.07.12 わが友に贈る

志を同じくする
我らは広布の同志!
信頼と尊敬で進もう!
明るく朗らかな所に
福徳の花は満開!

生死一大事血脈抄 P1337
総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か

◇希望の明日へ
仏の道は甚探であり、その智慧ははかりがたい。それに比べれば、どんなに賢く見えても凡夫の智慧など、わずかなものである。ゆえに成仏する道は正しき善知識につく以外にない。そうすれば、善知識の力で、誤りなき成仏への軌道を進んでいけるのである。

▽各地に新任リーダーが誕生。最初の3ヶ月が勝負だ!第一線を全力で駆け巡れ
▽ダイヤもガラスも外見は同じ。だが話せば分かる−恩師。青年よ力を磨け

☆広布と人生を語る
とくに幹部は、できうるかぎり多くの方々と語りあうべきである。組織のうえにあぐらをかいてはならない。そして個人指導をとおし、偉大にして正しい仏法を 説き、信心のすばらしさを知らしめていくことである。その地についた実践が、とりもなおさず、自己の成長につながっていくことを知るべきである。

☆創価のルネサンス No.69
男性幹部の「信心が深化」しなければならない。「人間として成長」しなければならない。策ではなく、すべてに誠心誠意でなければならない。そうであってこそ、婦人部をはじめ多くの人々を守りゆく責任を果たせる。

2011年7月11日月曜日

2011.07.11 わが友に贈る

新聞休刊日

月水御書 P1202
此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし

◇全国代表協議会でのスピーチ 2007.02.21
声が仏の仕事をする。題目の声は、行動となり、力となり、エネルギーとなっていく。諸天も動かす。
祈られた存在は、必ず祈る人の境涯に包まれ、善の方向へと向かうものだ。
何でも話せる仲のよい友人ならば、なお、つながっていく。
信心に反対の友人なら、反対のまま、生命はつながっていく。仏縁を結んでいける。
仏法に無駄はない。どんどん語っていくことだ。堅苦しく考える必要はない。「本有無作」であり、ありのままの姿でいい。
眼前の課題のため、勝利の目標のため、広布のため、自他ともの幸福のために、縦横に祈るのである。
その強き祈りに、「無作三身」の仏の生命が涌現し、「本有常住」の境地が築かれるのである。

☆長編詩『翻れ 青年の旗』
私は 一人立つ勇敢な戦士だ
わが心は 休みなき戦場にいる

希望と絶望の 勇気と臆病の
挑戦と停滞の 熾烈な攻防戦の舞台にいる

砂を噛もうが 岩に爪を立てようが
たとえ 一歩でも
たとえ 二歩でも
私は 必ず突破口を開く!

2011年7月10日日曜日

2011.07.10 わが友に贈る

我らの前進は
全世界の平和と
人類の幸福のため!
偉大な使命の人生を
朗らかに勝ちゆけ!



太田左衛門尉御返事 P1015

強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか



◇希望の明日へ

広布の大闘争に引退はない。やむをえない休養も、戦線に復帰する美めの休養である。恩返しもせず、自分ひとり戦いの現場から逃避することは、あまりにも、ずるい生き方である。最後の最後まで"妙法とともに""創価学会とともに"戦い続ける。広布のために戦い続ける。その闘争の中にこそ、生命は鍛え抜かれ、崩れざる金剛の幸福は築かれていく。



▽不況と闘う友よ負けるな断固たる唱題と知恵で活路を開け。師が祈り待つ



☆ジャズと人生と仏法を語る 第11回 未来を開く善き縁

常に苦楽を分かち合ってこられた、お二人の「友情」と「創造」の誇り高さ行進に、私は最大の敬意を表します。

受賞アルバムを、私は何度も聴きました。偉大な人間の讃歌であり、生命の讃歌であり、そして平和の讃歌です。強く強く心を打たれました。


互いに励まし合い、生きる喜びや感動を広げながら、よりよき未来へ、具体的な行動を起こしていく──。そこには、弾む生命の共鳴があり、前進のリズムがあります。
わが創価の友は、今日も希望に燃え、勇気に燃えて、日本中、世界中で、社会に貢献しています。


人々が生命の低次元の境涯から抜け出して、お互いを必要としていることに気づき、皆が真に幸福でなければ誰も真に幸福にはなれないことに気づけるように、人々を励ますため、私たちのやるべきことはたくさんあります。


万人成仏の道を示したのが法華経です。その会座で、竜女は、頑なに女人成仏を信じようとしない増上慢の舎利弗らに対して、「我が成仏を観よ」と叫びました。
御書には、これは舎利弗を責めた言葉であると説かれています。すなわち、自らと関係のない「竜女の成仏」と思うのは間違いであり、「我が成仏」すなわち自分自身の成仏と捉えていきなさい、との叱責が込められているといわれるのです(P747)。
独りよがりではない。皆が切磋琢磨しながら、共々に成仏という最高の幸福境涯を開いていくのが、私たちの創価の世界です。だから、苦しんでいる人、悲しみに沈む人を放っておけないのです。



2011年7月9日土曜日

2011.07.09 わが友に贈る

決意した瞬間から
勝利の道は開ける。
リーダーが先駆を!
生まれ変わった命で
歓喜の波動を起こせ!

四条金吾殿御返事 P1143
苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ

◇希望の明日へ
人間は、戦えば磨かれる。確固たる人生が築かれる。
いわんや、いっさいの信心の労苦は、自身の生命を金剛に、ダイヤモンドに鍛え上げてくれる。ゆえに、途中で負けてはならない。絶対に退転してはならない。もっとも強い、最高に輝かしいダイヤモンドになりきるまで、自身を鍛え抜くことだ。そこに仏法の、人間の、真髄の生き方がある。

▽「法華経に名をたて身をまかせ給うべし」御聖訓。腹を決めれば道が開ける
▽どんな人間も長所を活かせば人材となる−恩師。リーダーは励ましの名人たれ

☆法華経の智慧
私ども地涌の菩薩は、世間の泥沼のまっただ中に入っていく。決して現実から逃げない。しかも、絶対に世間の汚れに染まらないということです。なぜなのか。それは「使命を忘れない」からです。

2011年7月8日金曜日

2011.07.08 わが友に贈る

地涌の友が集う
座談会が活発!
「日蓮と同意ならば」
無限の底力が!
さあ誓願の出発!

富木尼御前御返事 P976
我れ等は仏に疑いなしとをぼせばなにのなげきか有るべき、きさきになりてもなにかせん天に生れてもようしなし

◇希望の明日へ
いったん決めたら、続けることである。目標を達成するまで、忍耐し、努力し続けることである。叩き続ければ必ず勝利の扉は開かれる。

☆御書とともに(40) 励ましの灯台たれ
人に物をほどこせば我が身のたすけとなる、讐へば人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし』(食物三徳御書P1598)
【同志への指針】
青年よ、強くあれ! 賢くあれ! 朗らかであれ!
平和のため、正義のため、幸福のために、情熱の炎を明々と燃え上がらせて、新たな価値を創造するのだ。
"あの人のために"と深く祈り、"この人のために"と真心で対話する「励ましの灯台」たれ!
青年の真剣な一挙手一投足から、前途洋々たる希望と勇気の光は生まれる。

2011年7月7日木曜日

2011.07.07 わが友に贈る

題目は
絶対勝利の力!
苦悩を断ち切る。
利剣・宝刀だ
気迫で祈り勝て!

船守弥三郎許御書 P1446
夫婦二人は教主大覚世尊の生れかわり給いて日蓮をたすけ給うか

◇希望の明日へ
一生のうちには、喜びの日もあれば、悩みの日もある。天候だって、一年中、快晴というわけにはいかない。しかし「煩悩即菩提」の信心によって、いっさいを成仏、すなわち絶対的な幸福境涯への糧にしていくことができる。今世の信心の勝利は即、三世永遠の勝利に通じていく。ゆえに信心だけは貫ききっていくことである。作物も、育てきってこそ、すべての労苦が生きてくる。

☆随筆 我らの勝利の大道No.49 人間世紀の母の曲
♪「母よ あなたの
  思想と聡明(かしこ)さで
  春を願う 地球の上に
  平安の楽符(しらべ)を
   奏でてほしい……

今ほど、母の願いが、皆の心に深く響く時はない。
今ほど、母の声が、皆に勇気を贈る時はない。
母よ、強くあれ!
尊き婦人部よ、幸あれ!
和楽あれ! 健康あれ!
偉大なる「人間世紀の母」たち、万歳!

不滅なる
 無上宝珠を
  抱きしめて
 この一生を
  勝利で飾れや

2011年7月6日水曜日

2011.07.06 わが友に贈る

時代が求める仏法を
語り抜く時は今。
正義の男子部よ!
師子奮迅の力で
対話の金字塔を築け!

四条金吾殿御返事 P1186
貴辺も又かくのごとく敵はねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難もかねて消え候か、是につけても能く能く御信心あるべし

◇希望の明日へ
成仏の境界を開くには、何があろうとも不退転の信心を貫く以外にはない。決意を持続し、正しい実践を貫くところに、信仰の実証が必ず現れるのである。つまり、末法における戒とは、妙法を持ちゆく強き信心の一念の中にある。いわば「信心即持戒」であり、"信仰の持続"こそ持戒である。反対に、信心なき化儀・形式には、何の益もない。

☆随筆 我らの勝利の大道No.49 人間世紀の母の曲
三月十一日、東日本大震災の大津波で、宮城県の気仙沼会館は二階まで浸水しだが、館内に避難された方々は幸い守られた。
震災から一週間、周囲を瓦陳に囲まれた会館の中に、水没を免れた一枚の写真額があったと伺った。
それは、"東北婦人部の花"である、コスモスの写真であった。
「コスモス」の語源は、「秩序」「飾り」「美しい」という意味のギリシャ語にあるという。花びらを行儀よく並べて凛と咲く様子から、そう呼ばれることになったようだ。
想像を絶する被災のなかにあっても、世界中が驚く気高さと秩序を示して見せた、偉大な東北人の「心の美」を思わせる。
一方で、コスモスは、台風などに見舞われても、倒された茎から根を出して、また立ち上がる強さを持つ花でもある。
「負げでたまっか!」を合言葉に苦難を越えゆく、健気な東北婦人部の皆様の姿そのものではないか。
どんな悲哀も胸中に包み込みながら、一切を笑顔に変えてきた「広布の母」の姿そのものではないか。
満天の星が輝く宇宙のことも「コスモス」といい、同じ語源を持っている。
私たちの生命も、また小宇宙(ミクロコスモス)である。一人ひとりが妙法という大宇宙(マクロコスモス)の妙なるリズムを響かせながら咲きゆく、希望のコスモスの花なのだ。
その中で、世界に普遍の平和と幸福の象徴が、母の笑顔の花である。
日蓮大聖人は、遠く離れた佐渡の千日尼に、こう仰せになられた。
我等は機土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ』(P1316)
どんな臓土の現実にあろうと、妙法に生き抜く師弟は、最も美しく、最も正しい不二の心で、家庭に、地域に、社会に、希望の光を送り続けていける。
創価の母たちは、この世で一番深い「異体同心」の仲で、わが足元から幸福の花を爛漫と咲かせゆくのだ。そして、宇宙(コスモス)の花である太陽の如く、人類の平和の未来を照らしていくのである。

2011年7月5日火曜日

2011.07.05 わが友に贈る

歓喜あふれる
女子部の語らいこそ
明日を開く希望!
女性の世紀を
さあ朗らかに前進!

四条金吾殿御返事 P1151
申すままにて候あいだいのり叶いたるやうにみえて候

◇希望の明日へ
大聖人は「法華経を持つ者は必ず皆仏なり」(P1381)−−法華経(御本尊)を持つ者は、必ず全員が仏である−−と仰せである。学校も、途中で投げ出さず、まじめに学び、努力し続けるならば、いつか卒業の日を迎える。まして、生涯を正法流布に生き抜き、真撃に信・行・学の正道を歩み抜く−−その人が、仏と輝かないはずがない。「必ず皆仏なり」との仰せを確信しきっていただきたい。

☆随筆 我らの勝利の大道No.49 人間世紀の母の曲
婦人部の五指針の一つに「後継の人材を伸ばす」と謳われている。
恩師が第二代会長就任の一ヵ月後に、婦人部を結成され、その直後に男女青年部を結成されたのも、不思議なリズムである。母の大地からこそ、後継の青年部、未来部が羽はたくのだ。
先月、支部結成五十周年を迎えた奈良で、記念の総会があった。嬉しいことに、九十八歳になられた、初代婦人部長の有馬のぶさんも元気に参加された。
聖教新聞に掲載された、歴代の婦人部長と一緒の記念写真を、私も妻と心から懐かしく拝見した。
この"奈良広布の母"の翼の下から、どれほど多くの後輩が巣立ってきたことか。今回、新女子部長に就任した吉井さんも奈良県の出身である。誇りは高い。
支部結成の頃、有馬さんは自宅の塀に、心ない誹膀中傷の言葉をペンキで落書きされたことがあった。
その時、私が送った手紙を、有馬さんは大切にしてくださっていたようだ。手紙には、大聖人が御自身の忍難弘通の足跡を記された報恩抄の御文を引いた。
いよいよ大難かさなる事・大風に大波の起るがごとし』(P322)
たとえ嵐の黒雲が湧き起こるとも、創価の母が厳然としていれば、必ず勝利の夜明けがくる。
その通りになった。
世界でも「青年躍進」の方程式は同じである。
大発展を続けるインドからも明るい話題が届いた。
東部コルカタのある地区では、五十三人のメンバーの大半が婦人部であった。
そこで、「わが地区を『青年学会』に!」と、皆で一大奮起。地域の青年を励まし、対話を重ねた。
そして半年、実に二十一人もの男女青年部、二十人の未来部員が誕生したというのである。
青年を励まし育む、母の慈愛こそが、「青年学会」の未来を開く揺藍となる。


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2011年7月4日月曜日

2011.07.04 わが友に贈る

広布へ打って出よ!
その「戦う心」に
真の幸福が光る。
無限の大生命力がわく。
尊き使命を果たせ!

崇峻天皇御書 P1173
日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏法華経も地獄にこそをはしまさずらめ、暗に月の入るがごとく湯に水を入るるがごとく冰に火をたくがごとく日輪にやみをなぐるが如くこそ候はんずれ

◇今週のことば
「青年の月」の座談会だ。
皆が若々しく前進し
皆で青年を育てよう!
わが地区から
新たな地涌の人材のを!

2011年07月04日

◇希望の明日へ
何があっても御本尊に、深く祈念し、題目を唱えていく。その信心、信行の種が、時とともに必ず"絶対の幸福"の大樹と育っていく。これが冥益である。持続こそ信仰の要であることを強調しておきたい。

▽青年時代は信用を積む事が最大の財産だ−恩師。誠実を貫け。約束果たせ

☆随筆 我らの勝利の大道No.49 人間世紀の母の曲
戦時中、特高警察に押収された牧口先生の「御義口伝」に、傍線が引かれた一節がある。
男女の中には別して女人を讃めたり女人を指して者と云うなり』(P778)との仰せである。
日蓮大聖人は、"法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福は量る可からず"の経文の「者」の一字について、これは、妙法を受持した女性を讃えて言われたものであると断言されたのであった。
私は先師の魂と共に、厳粛に拝して心肝に染めた。
今から半世紀ほど前、アメリカ黒人の差別撤廃と民主主義を拡大した公民権運動においても、どれほど女性の力が重要であったか。
私が対談した歴史学者のハーディング博士が述懐しておられた。
「解放運動」は「草の根レベルの地域活動を拠り所にしていたために、女性たちが運動の中心的な存在となっていたのです」と。
最前線で献身的に動き、人びとに語りかけ、我慢強く一人また一人と糾合していった原動力こそ、女性であった。この女性たちの、地に足のついた行動がなかったら、誰も集会や行進に集まらなかったし、何も進まなかったであろうと、博士は言われていた。
さらにハーディング博士は、こう強調された。
「新しい現実をもたらすためには"私たちにはできるのだ"と声を大にして励まし合うことが大切です」
その一つの方法として、博士が具体的に提唱されていたのが「互いの体験に耳を傾けること」であった。
それはなぜか。「体験を共有することによって、地域の中に励ましの輪を築くことができる」。さらに「自分の地域を超えた人びとにも、励まし、を贈ることができる」からである。
創価の母たちが、地域に根差し、顔の見える「グループ」という小さな人の輪を基盤として、楽しく朗らかに、語らいを広げゆく意義は、まことに大きい。
婦人部の五指針にも「地域と社会を大切に」「生き生きと体験を語る」とある。
希望と確信の声を! 誠実と思いやりの行動を!。
「無縁社会」と憂慮される冷たい社会に、信頼と尊敬の暖かき太陽の光を燦々と注ぐのだ。それは「仏縁」を結び、「仏の種子」を蒔いていく、尊き「仏の仕事」といってよい。

2011年7月3日日曜日

2011.07.03 わが友に贈る

「鉄は炎打てば
剣となる」
青年よ鍛えの時だ!
勇んで艱難に挑み
人生勝利の礎を築け!


崇峻天皇御書 P1173
返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時殿はともして馬の口に付きてなきかなしみ給いしをばいかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし

◇希望の明日へ
持続は力である。電灯も電流が止まってしまえば光がともらない。ゆえに、一生涯、御本尊から離れないことである。勤行ができないときには、少しの唱題でもよいと思う。ともかく題目を日々、続けていくことである。また、同志と酢かないことである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.49 人間世紀の母の曲
先師・牧口常三郎先生と同時代を生き抜いた、ドイツの一人の母がいる。ケーテーコルビッツ(一八六七〜一九四五年)という画家である。
彼女は、第一次世界大戦で出征した最愛の子息を失った。第二次大戦では孫も戦死。彼女自身、晩年はナチスの弾圧を耐え抜きながら、創作活動に奮進した。
子息の死後の制作では、「母と子」や「母たち」を表現した作品が多数ある。
何ものかから我が子を守ろうと、大きな腕で抱きかかえる母。亡くなった子どもを抱きしめる母……。
互いに身を寄せ合い、大きな腕を組んで守り合い、一つに団結した母たち。そのスクラムの間から子どもたちの顔も見える。
女性が両腕の下に、いとけない子どもたちを守る絵には、「種子を粉にひくな」と題されている。
わが子を守ってやりたかった! 残酷な戦争になど行かせたくなかった!。
その叫びは、後継の種子である子どもたちを守り抜かんとする、すべての母たちの願いとなる。
「共通の悲しみこそ、相互の理解を深めるものだ」と彼女は言った。「同苦」の心が、母たちの生命尊厳の連帯の根拠ともなるのだ。
中国の大文豪・魯迅も、彼女の作品に「慈母の愛」による戦いを見、大変に尊敬していた。
コルビッツの作品は、母の叫びを凝結し、平和の願いで人びとを結びつける、平和の芸術となったのである。
──私の母は、終戦から二年後、長兄の戦死を知らされた。その死亡通知を握りしめ、部屋の隅で小さな背中を震わせていた母の悲しみの姿は、決して忘れることはできない。
私は思う。あの時、母はわが子を、その腕に抱きしめていたのだと。
母の愛は、あまりにも深い。その母を苦しめ、悲しませ、子どもの未来を奪い去っていく、戦争をはじめ、あらゆる暴力に、私たちは断じて反対する。
世界の平和、人類の幸福といっても、母を大切にし、心から感謝するところから始まると、私は叫ばずにはいられない。
今、ドイツで、日本で、そして世界で、わが創価の女性たちが力強く平和のスクラムを広げている。その希望の大行進を、皆がまぶしく見つめている。



2011年7月2日土曜日

2011.07.02 わが友に贈る

一人立てる時に
強き者は
真正の勇者なり!
時代を開く若人よ
師子となって走れ!

日女御前御返事 P1247
法華経をば経のごとく持つ人人も法華経の行者を或は貪瞋癡により或は世間の事により或はしなじなのふるまひによつて憎む人あり、此は法華経を信ずれども信ずる功徳なしかへりて罰をかほるなり

◇希望の明日へ
"千里の道も一歩から"である。その"一歩"に"千里"が含まれている。次の"一歩"また"一歩"ごとに夢が現実に近づいていく。大事なのは足元である。歩みを止めないことである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.49 人間世紀の母の曲
私は、かねてより二十一世紀のビジョンを多次元から提唱してきた。
「アフリカの世紀」
「女性の世紀」
「人権の世紀」
「対話の世紀」
「教育の世紀」
「生命の世紀」……。
冷笑する人も多かった。しかし私は、未来を見つめ、善の種を蒔いてきた。
御金言には『物だねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり』(P971)と仰せである。
祈りを込めて種を蒔き、大切に守り育む。それはそれは、想像を絶する労作業である。だが、この地道な努力の積み重ね以外に、広宣流布の大樹を育てることはできない。
私と共に、喜び勇んで、来る日も来る日も、仏縁を広げ、一つ、また一つと種を蒔き続けてこられたのが、婦人部の皆様方である。
どんなに悪口罵詈されようとも、挫けず、弛まず、そこに希望の種を、ここに友情の種を、あそこに平和の種を──と民衆の大地に蒔いてくださった。いな、粘り強く発芽を促し、育んでいかれたのである。
あらゆる善の価値の花を咲かせながら、皆が幸福に輝く並木路を、私たちは全力で創り開いてきた。
今、誰人も考えられなかった世界広布の大発展を遂げ、二十一世紀の平和と文化と教育のビジョンも実現し始めている。
これからも、創価の母だちの「誠実」と「根性」と「賢さ」と「忍耐強さ」がある限り、いよいよ広宣流布の勝利の大輪が咲き薫っていくに違いない。
「真剣」──この二字で、我らは勝っていくのだ。

◎松戸総県の少年少女部「松戸ビクトリー」合唱団の入卒団式が先程あり、うちの子も晴れて入団しました。式では入団生を代表して抱負を述べ、終了後、直ぐに練習が始まりました。
MちゃんやK君もいて、早速友達も出来て、先生に・学会に一歩近づけたかな!と感じています。

2011年7月1日金曜日

2011.07.01 わが友に贈る

私たちの道は
幸福への道。
私たちの声は
平和への声。
さあ7月を出発!

太田入道殿御返事 P1012
書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん

◇希望の明日へ
いかなる道であっても、決して途中でやめない。その忍耐と努力の人を、"勝利の春"は迎えてくれる。"完走の人"こそが、"幸福のゴール"のテープを切れるのである。たとえスタートのとき、どんなにさっそうと走っていても、"完走"しないランナーは"敗者"である。自分自身の"不滅の歴史"をつくることはできない。学会員の観点でいえば成仏ができなくなることである。

▽さあ青年の月。男子部・女子部よ、広宣の旗高く悔いなき勝利の歴史を!
▽行動を離れて仏になる事は出来ない−牧口先生。今日も勇んで友のもとへ

☆随筆 我らの勝利の大道No.49 人間世紀の母の曲
「祈りからすべては始まる」とは、婦人部「実践の五指針」の第一項である。
今日も母は真剣に祈る。
深き祈りから、今日一日を始める。決意の祈りを心に抱いて今日を走る。
母は祈る。強盛に、また決然として祈る。夫の健康を祈り、子の成長を祈り、家族の幸福を祈る。地域の友の活躍と無事を祈る。
「事故がないことが勝利!」と、絶対無事故を祈る。
今日の安穏を祈り、明日の平和を祈る。

「いつも祈っている母の姿が胸から離れません」と涙を浮かべる青年がいた。
母の祈りには、限界がない。行き詰まりもない。臆病も弱々しい迷いもない。
ひたぶるな祈りの底には、絶望やあきらめを追い払う勇気が燃えている。
妙法の祈りは、断じて勝つという誓願だ。祈ったその時に、すでに未来の勝利を深く決するのである。
因果倶時・不思議の一法』(P513)をこの身に行じゆくのだ。
大聖人は、厳然と約束くださっている。
大地はささぱはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』(P1351)
これが「法華経の行者の祈り」である。
大地や大空をも、また大海や太陽をも、わが友の如く励まし、動かしゆくような絶対勝利の力──その大功力を師弟不二で証明してきだ信心の女王こそ、尊き創価の婦人部なのである。瞬時も止まることなく、大宇宙を回転する青き地球は、この偉大な母たちの題目に包まれているのだ。