英才の学生部よ!
行学二道の青春 尊し。
新時代の大舞台で
破邪顕正の光を放て!
松野殿御返事 P1386
『受けがたき人身を得て適ま出家せる者も仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり』
◇希望の明日へ
いずこの地であれ、広布は一人から始まり、興隆していったことを銘記したい。
御書には「世間のことわざにも一は万が母といへり」(P498)と仰せである。一人というと、いかにも弱小と思うかもしれない。しかし、一人が万人を生む母なのである。
「大海の一掃の水に一切の河の水を納め」(P944)との御金言もある。真実の大法に出あい、目覚めた一人が、勇敢に利他の実践へと躍り出て、一人と会い対話する−−この一人から一人へという波動こそ、かぎりない広布前進への源泉であり、こうした着実な方程式で、永遠に広布の歴史はつづられていくことを、絶対に忘れてはならない。
★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
この前、大田区での会合終了後に、一人の地区部長が来て
「10年前に話を聞いて信心で変ろうと決意をしました。当時貧乏のどん底で仕事もなかった。本気で信心で変ろうと決めた。途中いろいろあったが、今43人使って運送会社をやってます。ちょっと変りました。」と言っていた。
信心で変ろうと思い続けて祈り続ければグングン変るのが信仰。そのための信仰。
いつか変るのではない。
頑張ってればよいと思って功徳を受けることを忘れていませんか?
それではつまらない。
戸田先生は
「祈りを叶え、夢を叶え、誰よりも幸福になっていくための仏法である。
人生を勝利するための仏法である。
祈りが叶ってこそ真の仏法である。」
と言われた。
幸せになるための信仰。
祈りを叶えるのが信心。
戸田先生は
「現代の人間は非常に欲張りでありながら、成仏という絶大な利益を願わない点においては、無欲とも愚かともいうよりほかはない。
私どもは大いに欲張って、生きていること自体が嬉しくてしょうがないという絶対的幸福の境涯を、我も開き友にも開かせていこうではありませんか。」
と言われた。
もっと欲張りましょう。
うんと欲張って、何を願っても良いんです。
人の不幸は祈ってはいけませんが、それ以外は何を祈ってもよい。
あれもこれも願いを叶えて、その歓びを分けてあげましょう。
それが広宣流布。
功徳が無くて人に言えますか?それは詐欺。
仏法を語るのではなくて信仰の歓びを語ること。歓びが伝わる。