2010年8月16日月曜日

2010.08.16 わが友に贈る

残暑の朝 雨の日も
無冠の友は走る。
本当にありがとう!
その尊き足跡に
福運の花は爛漫と!

曾谷殿御返事 P1055
法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはいなるべし

◇今週のことば
苦難と戦う友に
真心の励ましを!
「声仏事を為す」
一人への激励こそ
生きた組織の清流だ。
2010年 8月16日

◇希望の明日へ
師匠は、弟子の心がよくわかるものである。だからこそ、自分の怠け心に気づかず、真剣に道を求めようとしない弟子のために、教え、励まして成長させようとする。師がいてこそ、求める道も正しく進み、究めていくことができる。自身の成長も、人生の向上もある。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
昨年4月に奈良に行った。
会合終了後に50歳前の圏副婦人部長さんが来て「関節リューマチで足が痛くて歩けない。医者にかかっても治らないんです。」と言っていた。
「もしかして、治らないと思ってませんか?」と聞くと、「思っています」と言う。
それじゃ治るわけがない。
『ご本尊、治りませんよね』と祈っているんだから。願い通りです。
御書に『南無妙法蓮華経は獅子吼の如し、如何なる病障りをなすべきや』とあるじゃないですか。『ただしリューマチは除く』とは書いてありませんよ。」と話をした。
医者で治せないから信心で治すんでしょ。治らないでも治しなさい!」と言ったら「治します!」と言って帰っていかれた。
次の日、その婦人から「昨日から痛みが止まりました。」と電話があった。約半月で治ったそうです。
治らなかった原因は治らないと思って拝んでいたから。
決意して祈るから治りはじめる。だから病気は治るかではなく、治すかどうかです。
決意して強く祈れば必ずいい方向に行く。

「信心していれば何とかなる!」というのは迷信の一種。なんともならない。
祈った分しか結果は出ない。それが信仰だから。

活動家の皆さんは、みんな勤行・唱題し活動をしているが、功徳を受けてどんどん変る人と、全然変らない人、悪くなる人がいる。
どこが違うのか? 一念の姿勢が違う。