自分以上の人材に!
まず自らが祈り学び
友の成長を支えよう。
我らは正義の走者!
寺泊御書 P951
『心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし』
◇希望の明日へ
(大阪の参院補選に関して)選挙違反の嫌疑をかけられた時のことであった。もちろん、事実無根の容疑であり、その後(昭和三十七年)、裁判で無罪が証明されたことは、ご存じの通りである。
私が捕らわれの身となったとき、戸田先生は、青年部を集めて、私を助け出そうとしてくださった。先生は、学会を弾圧せんとする、不当な検挙・取り調べであることを見ぬいておられたからである。
"仏法は勝負"であり、広布を妨げようとするものに、断じて負けてはならない。社会においても、個々の生活のうえでも、勝負の厳しき現実を見据え、仏法者として勝利の証を示していくところに、広布の前進はある。ゆえに、横暴な権力とは、断固として戦う以外にない。青年部よ立ち上がれ、との先生のお心であった。
今度はご自身が十五年も投獄される危険をも承知のうえで、一人の愛弟子を救うために、戦おうとされたのである。私は、恩師のこの深き思いを絶対に忘れない。いな、胸奥に焼きついて消えることはない。
弟子を思う師の心は、弟子が考えるよりはるかに深いものである。その心がわからないということは、弟子にとってこれ以上の不幸はない。また、師の深き心を知らない弟子が、自分のほうが偉いと思い込み、背信、反逆していくことも、残念ながら世のつねである。
私は、戸田先生という稀有の大指導者を師匠として、徹底して訓練を受けさせていただいた。わが人生において、これ以上の誇りはない。若き日に人生の師に巡り合い、真実の人間の錬磨を受けることは、青春の最高の誉れである。
この人生の真髄がわかれば、富や名声などの飾りに惑わされることもないし、何ものをも恐れることはない。
★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
何故かと言うと、祈れば解決する。
祈らないで愚痴を言っている。
文句を言っているのはご本尊不信だから。
「私ばっかり苦労して」と言うが、言い分は正しくても何も解決しない。
これを「正しい愚痴」という。
正しい文句かもしれないが、だめ。解決しない。
信心は良いか悪いかではない。
良くなるかどうか。仏法は勝負。
良くなるように祈ればいい。そうすれば解決する。
いくら「私が正しい!」「相手が間違っている!」といっても愚痴と文句だから開けない。
功徳を受けたい人は愚痴と文句をやめること。
同志に怨嫉すると功徳はマイナスになる。罰になる。怨嫉は謗法だから。
困ったことに、相手が間違っていても同志だと怨嫉になる。
「私が正しい!」「相手が間違っている!」と言っていることが結構ある。
これを「正しい怨嫉」という。
正しくても怨嫉したほうが罰を受ける。させた方ではなく、した方に罰が出る。
そう御書に書いてある。「それが本当でも嘘でも」と書いてある。
怨嫉する理由が何であっても、同志であれば功徳はマイナスになって出てくる。
相手が間違っていれば、相手は因果の理法で裁かれる。
人が裁くのではない。法が裁く。
相手の成長を祈ってあげること。そうすれば自分も相手も良くなる。
「幹部のくせに」と言わないこと。
変な幹部もいるが、成長を祈ってあげれば相手は変らなくても自分は良くなる。
相手がやるからこちらも怨嫉をや返すことを「刺し違え」という。
これもよくあるが、両方とも功徳が消えてしまう。
人のために功徳を消してはつまらない。
人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない。
感情をぶつければ怨嫉になる。
ご本尊に祈ってあげれば自分も相手も変る。