2010年8月14日土曜日

2010.08.14 わが友に贈る

広布に生き抜く
我らの題目こそ
最高の追善回向。
三世の同志と共に
福徳の大道を悠々と!

秋元殿御返事 P1070
若し法師に親近せば速かに菩提の道を得ん是の師に随順して学ばば恒沙の仏を見奉る事を得ん

◇希望の明日へ
師弟は一体である。日興上人も伊豆へ、佐渡へと師と苦難をともにされた。
また次元は異なるが、戸田先生も牧口先生にお供して牢獄にまでも行かれた。しかも、そのことを感謝されていた。弟子として、師の苦難を代わって受けたいとの強き強き一念と祈りが、そこにはあったに違いない。私もまた同じ心であった。この方程式、この師弟を貫く信心の心は、現在もまた不変でなければならない。

▽SGI会長に「世界平和詩人」賞

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
「お願いします。あとはよろしく!」これで良い。
でも結構任せていない人が多い。
「お願いはしてみます。でもだめだろうな?」と祈っている。
だからそうなる。願いどおり。
・できないと決めたらご本尊不信、
・だめだと決めたらご本尊不信、
・自分の中の甘さもご本尊不信。

願ってお任せ。「お願います。あとはよろしく!」これで良い。
信仰というのは
・無理だから祈る。
・方法がないから祈る。
・常識で不可能だから祈る。

方法があれば祈る必要はない。やればいいんです。
道がないから祈る。それが南無。
そう御書に書いてある。
湿れる木より火を出し乾ける土より水をもうけんが如く強盛に申すなり』と。
「『湿った木を燃やしてみせる、砂漠から水を出してみせる』と強く祈るんだよ!」とおっしゃっている。
「不可能を可能にするのが信仰だよ!」とおっしゃっている。
「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」と祈っている。
これを半南無という。
半信半疑は不信だから叶わない。
「だめでしょうね。」とそのとおりになる。