離島の同志・万歳!
諸仏も諸天も大讃嘆。
日本一の勝利島に
栄光あれ 幸福あれ!
妙法尼御前御返事 P1402
『先法華経につけて御不審をたてて其趣を御尋ね候事ありがたき大善根にて候』
◇希望の明日へ
学会精神の源流である牧口先生と戸田先生の師弟の絆は、生死を超えて厳粛であった。同じ目的のために、同じ心で、生きぬいていく。そして死んでいく−−この師弟の心があるかぎり、学会は永遠に生き生きと広宣流布へ前進していける。
★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
みんなが勤行・唱題をしているが、一念がきちんとご本尊に向いているかどうか。
それが祈っているかどうかということ。
「絶対信心で解決しようという強い決意と、具体的な目標を決めて一念を定めて祈っていること」を「祈る」という。祈るから叶う。
唱題しても祈っていない場合、決意・目標が曖昧な祈り、唱題のための唱題、これは「惰性の祈り」。
「どうしようか」と方法論を考えている唱題は「迷いの唱題」。
「だめだろうなあ」と思って祈っている「不信の題目」は一念がご本尊に向いていない。
祈っていないから叶わない。
唱題ではなく祈りが大事。具体的に強く祈ること。そうすれば叶う。それ以外は叶わない。
唱題のための唱題もつまらない。
先生は「疑いや形式であれば、たとえ100万遍あげても境涯が開けるものではない。自分自身の発心で、目標を決めて唱題すれば必ず開けるのである。義務的・形式的な勤行・唱題、それは惰性の表れであり、空転を生むだけである。一念を定めて祈らなければだめだよ。」と言われている。
こうなりたい、こうしたいと祈ればよい。