2010年8月31日火曜日

2010.08.31 わが友に贈る

朝の清々しい
勤行・唱題こそ
勝利の原動力だ!
新たな目標を胸に
張り切って出発!

佐渡御勘気抄 P891
いたづらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事あに石に金をかふるにあらずや、各各なげかせ給うべからず

◇希望の明日へ
いつの世にあっても、時代の扉を開き、新たな鐘を鳴らすのは、"一人立つ"青年である。一人の勇者の透徹した信念と行動が、万波の波動を呼び起こし、肝大なる変革を成していく。自己の保身に執着する権力者が恐れるのは、この一人である。また、新時代を待望する民衆が求めてやまないのも、この一人である。広布のリーダーは、その時代革新の先駆を走る誉れの一人であることを忘れてはならない。

▽「統監部」の皆様の功労に感謝。広布の生命線を支える尊業に福徳は燦然
▽「地区」こそ広宣流布の前線基地。地区部長・婦人部長中心に鉄壁の団結を

☆御書と青年「未来を創る」
仏法の世界に触れ、仏縁を結ぶことが、いかにすごいことか。長い目でみれば、何一つ無駄はない。
御書には、平和の大指導者アショカ大王の因縁が繰り返し記されています。
昔し徳勝童子と申せしをさなき者は土の餅を釈迦仏に供養し奉りて阿育大王と生れて閻浮提の主と成りて結句は仏になる』(P1380)
若き清らかな心で、仏法のため、師匠のため、広宣流布のためにと行動したことは、それが、ささやかに見えても、時とともに計り知れない福徳となって花開くのです。
真心の「土の餅」一つで、「一閻浮提の大王」です。仏法の因果は峻厳であると同時に、おとぎの世界のようにロマンに満ちている。それが現実となるのが妙法です。
心こそ大切』です。未来部の活動は、仏法の本義に則って、若き心の大地に、偉大な「勝利」と「栄光」の大指導者に育つ種を蒔いているのです。

学会ほど温かな「励ましの組織」はありません。まさしく学会は「人間共和のオアシス」であり、「幸福の安全地帯」です。
どんなに優秀なコンピューターでも、人間は育てられない。教科書だけでは、人格は鍛えられない。
ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けません。人間を磨くのは人間です。人間同士の交流であり、触れ合いです。これだけは、時代が移ろうとも変わらない。

2010年8月30日月曜日

2010.08.30 わが友に贈る

広布の前進は
地区協議会から!
わが地域の繁栄へ
皆で心一つに
新たな勝利の劇を!

諸法実相抄 P1359
能く竊かに一人の為めに法華経の乃至一句を説かば当に知るべし是の人は則ち如来の使如来の所遣として如来の事を行ずるなり

◇今週のことば
「二人・三人・百人と
次第に唱えつたふるなり」
青年に仏法を語れ!
わが使命の地域に
若き地涌の陣列を!
2010年 8月30日

◇希望の明日へ
すべての歴史には苦難の時代がある。そのときにだれが本気になって立ち上がるか。じつは、ただ一人いればよいのである。だれに言われるのでもない。自ら決めて、一人立ち上がり、死力を尽くして活路を開いていく。その偉大なる信念の"一人"がいれば、そこからつねに新たなる勝利の歩みが始まっていく。これが、いわば歴史の不変の鉄則である。大聖人はもちろん、日興上人も、ただ一人で正義の戦いを敢行された。日目上人も一人、死身弘法を貫かれたい。そして牧口先生、戸田先生も、一人立つ戦いに身命を捨てられた。その学会精神の骨髄を体して、私も一人、生命を賭して、すべてを勝利に導いてきた。すべては一人に始まる。その真金の一人を育てればよいのである。私の焦点もつねにそこにある。数ではない。組織のみの力でもない。あらゆる分野で、一人を見つけ、一人を鍛え、一人に託していく。それこそが、万代にわたる不断の発展の原点となる。

☆御書と青年「未来を創る」
宝の未来部といっても、少年部は、わんぱく盛りです。中等部や高等部は、多感な時期です。なかには、言うことを、なかなか聞いてくれないメンバーもいるかもしれない。
担当者の方々は、自身の仕事や家庭、学会活動など、本当に多忙ななか、時間をこじあけて一生懸命に取り組んでくださっている。その労苦が、私にはよくわかります。
陰徳あれば陽報あり』(P1178)です。
人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし』(P1598)です。
未来部のために尽くした行動は、すべて我が身を飾る大福運となる。皆さんのお子さんたちも、子孫も、永遠に功徳に包まれていくことは絶対に間違いありません。

会合に来てくれただけでも、すごいじゃないか。
その「心」を最大に讃えてあげてほしい。会合に来るのも挑戦です。未来部のみんなだって、遊びたい盛りだ。いろいろな事情があるなかを頑張って参加している。
表面的には乗り気じゃなかったり、話を聞いてくれていないように見える時があるかもしれない。でも、戸田先生はよく言われました。
「たとえ今は何もわからなくとも、後であの会合に参加したと思い出すものだ。
目で見て、耳で聞いて、体で覚えることが大切なのだ」
と。
顔を上げなくても、じっと話を聞いていることもある。大事な「一言」が心に深く入っている場合もある。

2010年8月29日日曜日

2010.08.29 わが友に贈る

暑い中、多忙な中
広布に尽くす同志に
心から最敬礼!
地道な学会活動こそ
自身の永遠のため財宝!

五人所破抄 P1613
西天の仏法東漸の時既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し

◇希望の明日へ
つねに、師子王のごとき本物の勇者が一人立ち上がるとき、必ずそこから正法が興隆し、広宣流布の波は無限に広がっていくに違いない。思えば、牧口先生も、戸田先生も、一人から法戦を開始された。私もまた、牧口、戸田両先生の後を受け、一人で全責任を担う覚悟で今日まで広布に進んできた。

☆御書と青年「未来を創る」
未来部は「学会の宝」です。「世界の希望」であり、「人類の明日」です。

法華経の眼目は、「未来の広宣流布」です。仏の眼から見れば、「未来の一切の仏子」、すなわち末法の衆生を救うことが最重要のテーマです。広宣流布こそ、『末法一万年の衆生まで成仏せしむる』(P720)聖業です。そのためには、どうしても、後継の人材が陸続と続くことが必要です。
そう捉えて、今、一人の青年部・未来部を励ますことは、広布の壮大な価値創造となるのです。

この21世紀こそ、恒久平和の基盤を築き、生命尊厳の思想を人類の思潮として確立する時です。そのために、創価学会が果たすべき使命はあまりに大きい。
創価の人材育成は、未来を創る最重要の真剣勝負です。未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』(P231)です。大事なのは、未来の勝利のために、今、具体的な手を打つことです。

妙法は、若き正義の生命を最高最大に光り輝かせていく大法則です。汲めども尽きぬ妙法の大功力を、「現当二世」すなわち今も未来も、最も生き生きと発揮していける。
それは、ほかの誰でもない、未来部の友です。未来部の一人一人が、躍動する「妙法の当体」そのものなのです。

2010年8月28日土曜日

2010.08.28 わが友に贈る

教学実力試験に挑む
英才の学生部よ!
行学二道の青春 尊し。
新時代の大舞台で
破邪顕正の光を放て!

松野殿御返事 P1386
受けがたき人身を得て適ま出家せる者も仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり

◇希望の明日へ
いずこの地であれ、広布は一人から始まり、興隆していったことを銘記したい。
御書には「世間のことわざにも一は万が母といへり」(P498)と仰せである。一人というと、いかにも弱小と思うかもしれない。しかし、一人が万人を生む母なのである。
大海の一掃の水に一切の河の水を納め」(P944)との御金言もある。真実の大法に出あい、目覚めた一人が、勇敢に利他の実践へと躍り出て、一人と会い対話する−−この一人から一人へという波動こそ、かぎりない広布前進への源泉であり、こうした着実な方程式で、永遠に広布の歴史はつづられていくことを、絶対に忘れてはならない。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
この前、大田区での会合終了後に、一人の地区部長が来て
「10年前に話を聞いて信心で変ろうと決意をしました。当時貧乏のどん底で仕事もなかった。本気で信心で変ろうと決めた。途中いろいろあったが、今43人使って運送会社をやってます。ちょっと変りました。」と言っていた。

信心で変ろうと思い続けて祈り続ければグングン変るのが信仰。
そのための信仰。
いつか変るのではない。
頑張ってればよいと思って功徳を受けることを忘れていませんか?
それではつまらない。
戸田先生は
「祈りを叶え、夢を叶え、誰よりも幸福になっていくための仏法である。
 人生を勝利するための仏法である。
 祈りが叶ってこそ真の仏法である。」
と言われた。
幸せになるための信仰。
祈りを叶えるのが信心。

戸田先生は
「現代の人間は非常に欲張りでありながら、成仏という絶大な利益を願わない点においては、無欲とも愚かともいうよりほかはない。
 私どもは大いに欲張って、生きていること自体が嬉しくてしょうがないという絶対的幸福の境涯を、我も開き友にも開かせていこうではありませんか。」
と言われた。

もっと欲張りましょう。
うんと欲張って、何を願っても良いんです。
人の不幸は祈ってはいけませんが、それ以外は何を祈ってもよい。
あれもこれも願いを叶えて、その歓びを分けてあげましょう。
それが広宣流布。
功徳が無くて人に言えますか?それは詐欺。
仏法を語るのではなくて信仰の歓びを語ること。歓びが伝わる。

2010年8月27日金曜日

2010.08.27 わが友に贈る

平和と幸福の未来へ
若き世代に幅広く
仏法を語り抜こう!
今こそ新たなる
青年学会の大建設を!

富木尼御前御返事 P976
我れ等は仏に疑いなしとをぼせばなにのなげきか有るべき、きさきになりてもなにかせん天に生れてもようしなし

◇希望の明日へ
師と"同じ希望""同じ信念"をもち、"同じ努力"を重ねていく−−それが弟子である。そのことによって同じ境涯に至るのである。この師弟の道に、仏法の根本があり、人類向上の永遠の王道がある。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
いろんな打ち出しは間違っていない。これは広布の共同目標。
ノルマと受け取るから苦しくなる。
功徳を受けるために頑張ればよい。そうすれば正しい。

先生は「信心は義務じゃないよ。幸せになる権利だよ。自分が決意して自分が動いた分だけ自分が得をするんだよ。」と言われている。
自分のためだから喜んで頑張れば功徳がある。
しょうがないから頑張ったら惰性で空転する。
形は同じでも結果はえらい違い。
幹部に褒められても、ご本尊に褒められなければだめ。
今は幹部公認・ご本尊非公認になっている。
功徳がないということはご本尊に通じていないということ。これではつまらない。
ご本尊に認めてもらうのが信心。

功徳を受けない信心と儲からない商売はやめることです。
信仰とは夢があり、希望があり、ドラマがあり、喜びがある。
こうなれば言いのになあというのが夢。
こうしよう・こうなろうというのが希望。
その希望を具体的に強く祈れば、その希望が実現する。それが信仰。
うんと夢をもって、その中からまず具体的な希望をたてて、祈って実現していく。
次にまた夢を希望に変えて祈って実現していく。
次から次へと夢を希望にし、実現していくための信仰。
頑張っていればいつか実現するのではない。
決めて祈らなければ実現しない。

2010年8月26日木曜日

2010.08.26 わが友に贈る

地区こそ
わが生命の故郷!
さあ歓喜の座談会。
明るく元気に
新しい勝利の波を!

日女御前御返事 P1244
曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり

◇希望の明日へ
師の言ったことを一つ一つ、誤りなくすべて成し遂げ、発展させていく。そして"師匠の真実"を余すことなく永遠に残していく、証明していく。それでこそ"真の弟子"である。日興上人も、大聖人の御本意を正しく「御義口伝」に残された。同じく大聖人の御請義を聴いたはずなのに、日向の「開書」のまとめ方は、天地雲泥に劣っている。師匠を完壁に守り切るのが弟子である。心配や苦労をかけたり、負け戦を見せてはならない。この峻厳にして崇高なる"師弟の道"を私はひとり歩み切ってきた。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
小さな体験でもたくさんすれば同じ。信が深まる。
最近、二世・三世が増えた。
二世は生まれつき惰性で、なんとなく信心しているから体験がなく、信心が観念的。やらされている信仰だから重荷で苦しむ。かわいそう。
これを「二世症候群」という。

子供に勤行を強制してはいけない。
信心嫌いになる。
子供だって悩みがあるのだから、信心を教えるのは大事。
「こうなりたいと祈ってごらん!そうなるよ!」と教えればよい。
決意して祈らせれば体験ができるから信が深まって、放っておいても大丈夫。
「やらなきゃだめ!」と言ってはいけない。
やらされた信仰は信仰ではないから功徳はない。

先生は「勤行を強制すると信心嫌いになるよ。信心の好きな子、学会が好きな人を育てよう。」と言われた。
結構押しつけている場合が多い。そして嫌われている。
自分で決意しなければ信仰にならない。

決意から入れば信心、形から入れば惰性。
決意してやらせれば功徳がある。
無理矢理やらせたら功徳はない。
二世が体験を持てば強い。
体験のない二世は弱い。
どうしたら体験ができるかといえば、具体的に決めて祈って動くこと。
そうすれば必ず体験ができるから信が深まって「もっと頑張ろう!」となる。

2010年8月25日水曜日

2010.08.25 わが友に贈る

「南無妙法蓮華経は
歓喜の中の大歓喜」
朗々たる大音声を
大宇宙に響かせて
さあ勢いよく前進!

四条金吾殿御返事 P1121
たとへば百草を抹りて一丸乃至百丸となせり一丸も百丸も共に病を治する事これをなじ

◇希望の明日へ
人をつくっていく根本が師弟の道である。ゆえに師弟の峻厳な心が脈動しているかぎり、人も団体も、興隆していくことができる。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
ある婦人部の方は息子が5年前に家出して行方不明になり、どうやっても見つからなかったが「ようし!祈って見つけだそう!」と決めて祈った次の日、北海道の警察から電話があった。免許証の書き換えが遅れたための息子の身元確認の電話だった。
元気でいることがわかったので「探しに行こう!」と思ったところに息子から
「5年間も心配かけてごめんね。
でも元気に頑張ってるから。
去年学会に入会して男子部で頑張ってるから。」
と電話が入ってきて、3日目に見つかってしまった。
功徳がでるのは当たり前。
出ないのがおかしい。
これを信心の正常化という。
祈りは叶う。
祈ってないから叶わないだけ。

信ずるとは疑わないこと。
どうしたら疑わないか? 自分が体験したことは疑いはないから信じる。
この体験は活動体験ではなく功徳の体験。
活動体験ではだめ。
活動体験ばかりいっぱいしても、功徳を受けなければ不信になる。
今は活動体験止まりが多い。かえって不信になる。

功徳の体験が出れば信が深まって「もっと頑張ろう!」となる。
空のボートは波がくれば揺れる。
風がくればひっくりかえる。
大きな石を積めば船がグッと沈んで動かなくなる。
同じように大きな体験をすれば信が深まる。
体験がない信仰は観念だから何かあったら疑ってしまう。
体験があれば何があっても疑わない。

2010年8月24日火曜日

2010.08.24 わが友に贈る

創価の師弟に脈打つ
広布の大闘争心こそ
聖教新聞の原点なり!
日々支えてくださる
すべての皆様に感謝!

四条金吾殿御返事 P1169
仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり

◇希望の明日へ
師匠と(距離的に)近くにいるから偉いのではない。五老僧だって、他の門下よりは、大聖人のおそばにいた。師匠の心を身に体して、現実のうえに、実現していく人が偉い。どんな場所であれ、どんな立場であれ、その自覚があれば、立派な弟子の戦いはできる。幹部であっても、その自覚がなくなれば、空転である。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
去年の4月に、壮年部の会合に行った帰りに車で送ってくれた支部長が
「私は小さな貿易会社をやってますが、3年前には潰れそうでした。2億の売り上げが1億になった。その時に無理を承知で『売り上げを3億にする』と祈ったら3億になった。
去年は『5億に!』と祈ったら5億になりました。
今年は『7億』と祈ってます。」
といっていた。
先に決めること。
祈った上で努力して道を作ればいい。
それが信仰。

2ヶ月ほど前に、大阪で美容師をやっている青年に会った。
「あまり売りあげが伸びないんです。」
と言うので、
「具体的に祈ってご覧なさい。」と話した。
昨日その青年が
「あれから、今日はカット何人、ブロー何人と決めたら、その通りになります。繁盛してます。」
と言っていたので、「当たり前です」と言った。

10月に下関でセミナーをしたが、後日分県長が来て
「あれからみんな祈るようになりました。功徳がポンポン出てきました。」と言っていた。
ある車を売っている副圏長が、今日はこの車を売ろうと決めて祈ったら売れたそうです。
でも利益を祈ってなかったから利益はなかったそうです。
「今は利益込みで祈ってます。」と言っていた。

スナックのママさんが不景気で困っていた。
朝、開店前に3時間「今日の売り上げはこれだけ!」と決めて祈ると売れるそうです。
結果がでるから、毎日の商売が楽しくてしょうがないと言っていた。

2010年8月23日月曜日

2010.08.23 わが友に贈る

「先手必勝!」
これぞ勝負の鉄則。
広宣流布の新航海へ
フレッシュな生命で
栄光の船出を!

四条金吾殿御書 P1111
当世の僧を見るに人にかくして我一人ばかり供養をうくる人もあり是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり、是は未来には牛頭と云う鬼となるべし

◇今週のことば
栄光の創立記念日へ
座談会から新出発。
人材よ 躍り出よ
青年よ 集い来たれ
わが地区は拡大だ!
2010年 8月23日

◇希望の明日へ
ひとたび人生の道を踏みはずすと、あとは迷走しかない。だから正道に導く"師の心"が大事なのだ。師匠を見失えば、その途端に仏法は法減へと向かう。大聖人が血脈と言われたのも、言い換えれば真の師弟ということである。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
信仰は心ですること。
頭でするのではない。
心を素直にぶつけることを祈りという。
できるかどうかではなく「こうなりたい!」と祈ればいい。
必ずそうなる。
信心は簡単です。

3年前の春に壮年部の本部長が来た。
小さな建設会社の社長さんで
「今度の不況は深刻です。当分良くなる見通しがありません。うちの会社も売り上げが落ちています。」
と言うので
「でも、不景気だからしょうがないというんでは信仰は関係ありませんね。
不景気だからこそ、売上目標・利益目標をきちんと決めて、祈って努力して工夫して売り上げを上げるのが信心じゃないですか。
と言ったら、怒って帰った。
それから猛烈に祈ったらしい。
すると次から次へと本業以外の新しい仕事が入ってきたそうで、それをやったら全部うまくいって、ちょうど一年間で、売り上げが倍になり、社員も倍になったと言っていました。
「不景気だからしょうがない」ではご本尊不信。
「だから具体的な目標を決めて祈ろう!」というのが信仰。

2010年8月22日日曜日

2010.08.22 わが友に贈る

地域広布に走る
離島の同志・万歳!
諸仏も諸天も大讃嘆。
日本一の勝利島に
栄光あれ 幸福あれ!

妙法尼御前御返事 P1402
先法華経につけて御不審をたてて其趣を御尋ね候事ありがたき大善根にて候

◇希望の明日へ
学会精神の源流である牧口先生と戸田先生の師弟の絆は、生死を超えて厳粛であった。同じ目的のために、同じ心で、生きぬいていく。そして死んでいく−−この師弟の心があるかぎり、学会は永遠に生き生きと広宣流布へ前進していける。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
みんなが勤行・唱題をしているが、一念がきちんとご本尊に向いているかどうか。
それが祈っているかどうかということ。

「絶対信心で解決しようという強い決意と、具体的な目標を決めて一念を定めて祈っていること」を「祈る」という。祈るから叶う。

唱題しても祈っていない場合、決意・目標が曖昧な祈り、唱題のための唱題、これは「惰性の祈り」。
「どうしようか」と方法論を考えている唱題は「迷いの唱題」。
「だめだろうなあ」と思って祈っている「不信の題目」は一念がご本尊に向いていない。
祈っていないから叶わない。
唱題ではなく祈りが大事。具体的に強く祈ること。そうすれば叶う。それ以外は叶わない。
唱題のための唱題もつまらない。
先生は「疑いや形式であれば、たとえ100万遍あげても境涯が開けるものではない。自分自身の発心で、目標を決めて唱題すれば必ず開けるのである。義務的・形式的な勤行・唱題、それは惰性の表れであり、空転を生むだけである。一念を定めて祈らなければだめだよ。」と言われている。
こうなりたい、こうしたいと祈ればよい。

2010年8月21日土曜日

2010.08.21 わが友に贈る

苦労多き お母さん
いつも ありがとう!
貴女の尊き祈りと
太陽の笑顔ありて
創価家族は幸福!

法華初心成仏抄 P557
一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏一切の法一切の菩薩一切の声聞一切の梵王帝釈閻魔法王日月衆星天神地神乃至地獄餓鬼畜生修羅人天一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳無量無辺なり

◇希望の明日へ
師弟の絆こそ、人生の原点といってよい。人間の聡明さは、学歴で決まるものではない。いつの時代、いずこの世界にあっても、師弟という人生の原点をもっている人こそ、聡明に人生を生きている人である。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
婦人部はよく壮年部に怨嫉している。理由はわかる。
でも壮年部は、
・悩まない
・動かない
・祈らない
から怨嫉したくもなりますよね。
「正しい怨嫉」です。でも功徳は消えてしまう。
それではつまらないから、壮年部には怨嫉しないこと。
どうしたらいいかというと、頼りにしないこと。
頼りにするから腹が立つ。
何故かというと、壮年部はまだ未来部
昔から全然成長していない。
しかも本人たちは悩んでいないから。
頼りにしないで成長を祈ってあげること。

婦人部は怒っているが、祈っていない。
悩んでいるのはこっちで相手は悩んでいないんだから、怨嫉をやめて成長を祈ってあげること。
大事にしてください。育ちますから。

水道の蛇口から水がポタポタと垂れているのをバケツにためても、穴があいていれば全部もれてしまう。
婦人部はこれに似ている。
・愚痴の穴
・文句の穴
・怨嫉の穴
があいているから功徳がみんな漏っている。

「愚痴を言わない」「文句を言わない」「怨嫉しない」、これを「三悪追放」という。
功徳を消さないコツ!
その上で決めて祈って動いたら功徳が溢れてくる。
その方が得。
信心はすっきりと、「困った!ご本尊!」と全部祈ることです。
「良くしよう!」と祈れば良くなる。それ以外は無駄。

2010年8月20日金曜日

2010.08.20 わが友に贈る

「未来の果」は
「現在の因」にあり!
新たな勝利の峰へ
リーダーは油断を排し
盤石なる手を打て!

御講聞書 P816
所詮末法当今も一切衆生法華経を謗じて流転す可きを観じて日本国を日蓮経行して南無妙法蓮華経と弘通する事又又此の如くなり

◇希望の明日へ
師との思い出をもつ人生は美しい。豊かである。
師との思い出を大切に温め、師を誇りとし、師の理想を実現していく−−そこに幸福な、人間としての道がある。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
結構多いのが家庭内怨嫉。
主人を恨み、姑を恨んで頑張っている。
主人を恨んでも変る気がないんだから無駄。
そんな主人を選んだのだから自業自得。
よく戸田先生が
「3歳と5歳の兄弟だから喧嘩になる。
境涯が近いからだよ。
片方が10歳だったら喧嘩にならないだろ。
夫婦でも同じだよ。
自分が境涯をあげて、相手を引っ張りあげてやればいいんだ。」と言われていた。

相手の成長を祈ればいい。
主人の成長を祈れば自分が成長する。相手も成長する。
感情をぶつけるから怨嫉になる。
主人は悩んでいないから、こっちが祈るしかない。

姑さんも悩んでいない。変る気もない。
成長を祈ってあげること。
嫁は未熟に決まってるんだから、姑は成長を祈ってあげればいい。
「これだけは別」という気持ちでやっている。
もともと姑と嫁は天敵。
その前に同志なんだから祈ってあげればいい。
そうすればすっきりするのに、怨嫉をやめて相手のことを祈れば自分が良くなる。
これがコツ。

2010年8月19日木曜日

2010.08.19 わが友に贈る

後輩や新しい同志を
自分以上の人材に!
まず自らが祈り学び
友の成長を支えよう。
我らは正義の走者!

寺泊御書 P951
心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし

◇希望の明日へ
(大阪の参院補選に関して)選挙違反の嫌疑をかけられた時のことであった。もちろん、事実無根の容疑であり、その後(昭和三十七年)、裁判で無罪が証明されたことは、ご存じの通りである。
私が捕らわれの身となったとき、戸田先生は、青年部を集めて、私を助け出そうとしてくださった。先生は、学会を弾圧せんとする、不当な検挙・取り調べであることを見ぬいておられたからである。
"仏法は勝負"であり、広布を妨げようとするものに、断じて負けてはならない。社会においても、個々の生活のうえでも、勝負の厳しき現実を見据え、仏法者として勝利の証を示していくところに、広布の前進はある。ゆえに、横暴な権力とは、断固として戦う以外にない。青年部よ立ち上がれ、との先生のお心であった。
今度はご自身が十五年も投獄される危険をも承知のうえで、一人の愛弟子を救うために、戦おうとされたのである。私は、恩師のこの深き思いを絶対に忘れない。いな、胸奥に焼きついて消えることはない。
弟子を思う師の心は、弟子が考えるよりはるかに深いものである。その心がわからないということは、弟子にとってこれ以上の不幸はない。また、師の深き心を知らない弟子が、自分のほうが偉いと思い込み、背信、反逆していくことも、残念ながら世のつねである。
私は、戸田先生という稀有の大指導者を師匠として、徹底して訓練を受けさせていただいた。わが人生において、これ以上の誇りはない。若き日に人生の師に巡り合い、真実の人間の錬磨を受けることは、青春の最高の誉れである。
この人生の真髄がわかれば、富や名声などの飾りに惑わされることもないし、何ものをも恐れることはない。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
何故かと言うと、祈れば解決する。
祈らないで愚痴を言っている。
文句を言っているのはご本尊不信だから。
「私ばっかり苦労して」と言うが、言い分は正しくても何も解決しない。
これを「正しい愚痴」という。
正しい文句かもしれないが、だめ。解決しない。
信心は良いか悪いかではない。
良くなるかどうか。仏法は勝負。
良くなるように祈ればいい。そうすれば解決する。
いくら「私が正しい!」「相手が間違っている!」といっても愚痴と文句だから開けない。
功徳を受けたい人は愚痴と文句をやめること。
同志に怨嫉すると功徳はマイナスになる。罰になる。怨嫉は謗法だから。

困ったことに、相手が間違っていても同志だと怨嫉になる。
「私が正しい!」「相手が間違っている!」と言っていることが結構ある。
これを「正しい怨嫉」という。
正しくても怨嫉したほうが罰を受ける。させた方ではなく、した方に罰が出る。
そう御書に書いてある。「それが本当でも嘘でも」と書いてある。
怨嫉する理由が何であっても、同志であれば功徳はマイナスになって出てくる。
相手が間違っていれば、相手は因果の理法で裁かれる。
人が裁くのではない。法が裁く。
相手の成長を祈ってあげること。そうすれば自分も相手も良くなる。
「幹部のくせに」と言わないこと。
変な幹部もいるが、成長を祈ってあげれば相手は変らなくても自分は良くなる。

相手がやるからこちらも怨嫉をや返すことを「刺し違え」という。
これもよくあるが、両方とも功徳が消えてしまう。
人のために功徳を消してはつまらない。
人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない。
感情をぶつければ怨嫉になる。
ご本尊に祈ってあげれば自分も相手も変る。

2010年8月18日水曜日

2010.08.18 わが友に贈る

相手の心の声に
耳を傾けてこそ
信頼の扉は開く!
「聴く力」こそ
対話の急所だ!

日女御前御返事 P1244
仏法は海の如し唯信のみ能く入るとは孔丘の言尚信を首と為す況や仏法の深理をや信無くして寧ろ入らんや

◇希望の明日へ
親子の縁は深い。しかし、人生において、師弟の絆はそれ以上に深く強いものである。人間として、師匠を求める心はまことに尊く、師匠を得た喜びはまことに大きい。また"師匠のいない人は信用できない"と言われるほど、師をもつことは重大事なのである。芸術であれ、スポーツであれ、いかなる分野においても師弟の関係は厳しくも温かい。まして、人生の根本事である信仰の世界、広宜流布という至高の大目的に立った師弟がどれほど峻厳であり、慈愛に満ちたものであることか、はかり知れないのである。

▽キルギスのムィルサベコフ記念オシ人文教育大学とオシ農業大学から「名誉教授」称号(297、298番目)

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
では、これからどうすればいいのか?
前向きに、強気に、過去のことは反省しないこと。反省してもどうせまたやるんだから。生命が変らないとまたやるから。
決意すればよい。
これから良くなればいい。

後ろ向き運転は事故の元。
過去のことは振り返らないこと。
良くなればいい。
過去のことが活きてくるから。
振り返っても落ち込むだけ。
いつも前向き、強気でいい。

先生は「タッチの差だ」と言われている。オートマチックの車だと、ドライブとバックギアはわずか2〜3センチの差。タッチの差だが、結果はえらい違い。
頑張っていることは同じだが、前向きと横向きでは結果はえらい違う。
「いつも信心は前向きで行くんだよ。」と先生も言われている。
「言われたから、しょうがないからやる」では、ニュートラルかバックギアになってしまう。そうすると苦しくなる。

変るために、功徳を受けるために、頑張ればよい。そうすればどんどん変る。
頑張るために頑張ってもだめ。
しょうがなくて頑張ってはだめ。
マイナスになってしまう。
100万遍あげても不信なら功徳はゼロになる。
「愚痴と文句は功徳を消すよ!」というのは先生の指導。

2010年8月17日火曜日

2010.08.17 わが友に贈る

求道の人は強い!
前進し続ける人は
いつも若々しい!
日々の課題を明確に
この夏の総仕上げを!

御義口伝巻上 P736
御義口伝に云く大願とは法華弘通なり

◇希望の明日へ
"師弟の道"こそ、正しい信仰、正しい人生をまっとうしゆく要諦である。"師弟に道"を見失い、自己の原点をなくした場合には、大切にしてきた大目的をも忘れ、小さな自身のエゴと虚飾に陥ってしまうことがあまりに多い。確たる原点を失い、原点からの軌道をはずれれば、縮局、無常に漂い、いかなる営々たる努力も、幸福と結びつかない人生となってしまう。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
●決意・目標を明確にして「変ろう!こうなろう!こうしよう!」と決めて頑張っている人を「前向きの信心」と言う。
●惰性と義務で頑張っている人、なんとなく・しょうがなく頑張っている人、幹部だから頑張っている人、やめると怖いから頑張っている人、こういう人を横向きの信心」と言う。
●不信と怨嫉で頑張っている人、頑張っては愚痴、頑張っては文句の人、こういう人を「後ろ向きの信心」と言う。

前向きの人はどんどん前進する。どんどん変る。
「頑張ってます!」と言っていても、横向きの人は空回りで変らない。
後ろ向きの人はだんだん後退して悪くなる。車で言うと、ドライブ、ニュートラル、バックギアに当たる。エンジンがフル回転してもギアが入っていなければ前に進まない。
ニュートラルでアクセルを踏んでもエンジン空ぶかし。バックギアで吹かしたら事故を起こす。
○○部にはバックギアで頑張っている人が結構いる。
・頑張っては愚痴、
・頑張っては文句、
・頑張っては怨嫉、

亭主・子供をひき殺して頑張っている。
奥さんが変らないから主人以下みんな不信になっている。変な信心。

2010年8月16日月曜日

2010.08.16 わが友に贈る

残暑の朝 雨の日も
無冠の友は走る。
本当にありがとう!
その尊き足跡に
福運の花は爛漫と!

曾谷殿御返事 P1055
法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはいなるべし

◇今週のことば
苦難と戦う友に
真心の励ましを!
「声仏事を為す」
一人への激励こそ
生きた組織の清流だ。
2010年 8月16日

◇希望の明日へ
師匠は、弟子の心がよくわかるものである。だからこそ、自分の怠け心に気づかず、真剣に道を求めようとしない弟子のために、教え、励まして成長させようとする。師がいてこそ、求める道も正しく進み、究めていくことができる。自身の成長も、人生の向上もある。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
昨年4月に奈良に行った。
会合終了後に50歳前の圏副婦人部長さんが来て「関節リューマチで足が痛くて歩けない。医者にかかっても治らないんです。」と言っていた。
「もしかして、治らないと思ってませんか?」と聞くと、「思っています」と言う。
それじゃ治るわけがない。
『ご本尊、治りませんよね』と祈っているんだから。願い通りです。
御書に『南無妙法蓮華経は獅子吼の如し、如何なる病障りをなすべきや』とあるじゃないですか。『ただしリューマチは除く』とは書いてありませんよ。」と話をした。
医者で治せないから信心で治すんでしょ。治らないでも治しなさい!」と言ったら「治します!」と言って帰っていかれた。
次の日、その婦人から「昨日から痛みが止まりました。」と電話があった。約半月で治ったそうです。
治らなかった原因は治らないと思って拝んでいたから。
決意して祈るから治りはじめる。だから病気は治るかではなく、治すかどうかです。
決意して強く祈れば必ずいい方向に行く。

「信心していれば何とかなる!」というのは迷信の一種。なんともならない。
祈った分しか結果は出ない。それが信仰だから。

活動家の皆さんは、みんな勤行・唱題し活動をしているが、功徳を受けてどんどん変る人と、全然変らない人、悪くなる人がいる。
どこが違うのか? 一念の姿勢が違う。

2010年8月15日日曜日

2010.08.15 わが友に贈る

広宣流布とは
全人類を幸福にする
希望の大遠征だ!
青年の熱と力で
平和の世紀を築け!

御講聞書 P808
題目の大音に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所なし

◇希望の明日へ
"何があろうと、広宣流布のために戦い続ける"−−これこそ、大聖人と日興上人の峻厳なる師弟不二の御精神であられた。創価学会は、この御精神に厳然と連なり直結している。だから強い。いかなる震動にも崩れない。無限に広がっていくのである。

▽65回目の終戦の日。人々の心に生命尊厳の砦を!不戦の誓い新たに前進。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
一昨年の4月に、創価大学の女子学生が来た。
「語学の勉強に海外に留学したいんですけど、家庭の事情で行けそうにありません。」と言われたので「親に頼んでもだめならご本尊にお願いしたらどうですか?無理だから祈るんですよ!これから祈れば叶いますよ!前が断崖絶壁で道がないんですから、祈れば橋が架かるように道が開けますよ。」と話をした。
すると去年の2月15日に「3月から一年間、アメリカへ自費で留学することが決まりました。あの時、祈ったら橋が架かっちゃいました。不思議ですね。」と言うから「だから妙法と言うんですよ。」と言った。

不可能を可能にするから妙法という。
頭で考えてもわからないから妙法という。
・無理を承知で祈るんです。
・だめだから祈る。
・方法がないから祈る。
そうすると道が開ける。

道はないのだから探さないこと。
だから祈って道を作ればいい。
信仰はカーナビの世界ではない。
カーナビというのは道がないところにはいけない。
道がなかったら飛行機かヘリで行けばいい。
道がなくても祈っていけばいい。簡単です。

2010年8月14日土曜日

2010.08.14 わが友に贈る

広布に生き抜く
我らの題目こそ
最高の追善回向。
三世の同志と共に
福徳の大道を悠々と!

秋元殿御返事 P1070
若し法師に親近せば速かに菩提の道を得ん是の師に随順して学ばば恒沙の仏を見奉る事を得ん

◇希望の明日へ
師弟は一体である。日興上人も伊豆へ、佐渡へと師と苦難をともにされた。
また次元は異なるが、戸田先生も牧口先生にお供して牢獄にまでも行かれた。しかも、そのことを感謝されていた。弟子として、師の苦難を代わって受けたいとの強き強き一念と祈りが、そこにはあったに違いない。私もまた同じ心であった。この方程式、この師弟を貫く信心の心は、現在もまた不変でなければならない。

▽SGI会長に「世界平和詩人」賞

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
「お願いします。あとはよろしく!」これで良い。
でも結構任せていない人が多い。
「お願いはしてみます。でもだめだろうな?」と祈っている。
だからそうなる。願いどおり。
・できないと決めたらご本尊不信、
・だめだと決めたらご本尊不信、
・自分の中の甘さもご本尊不信。

願ってお任せ。「お願います。あとはよろしく!」これで良い。
信仰というのは
・無理だから祈る。
・方法がないから祈る。
・常識で不可能だから祈る。

方法があれば祈る必要はない。やればいいんです。
道がないから祈る。それが南無。
そう御書に書いてある。
湿れる木より火を出し乾ける土より水をもうけんが如く強盛に申すなり』と。
「『湿った木を燃やしてみせる、砂漠から水を出してみせる』と強く祈るんだよ!」とおっしゃっている。
「不可能を可能にするのが信仰だよ!」とおっしゃっている。
「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」と祈っている。
これを半南無という。
半信半疑は不信だから叶わない。
「だめでしょうね。」とそのとおりになる。

2010年8月13日金曜日

2010.08.13 わが友に贈る

地域部・団地部の
尊き活躍に大感謝!
わが街の繁栄を祈り
信頼を広げる皆様は
創価の全権大使なり!

百六箇抄 P856
法自ら弘まらず人法を弘むる故に人法ともに尊し

◇希望の明日へ
広宣流布というもっとも崇高な大願に生きゆく人生を、現代の私たちに教えてくださったのは、戸田先生である。学会の強さも深さも、この人生の師弟の絆があるからである。だれ人が何と言おうと、この峻厳なる道だけは、永遠に崩してはならない。この絆があったがゆえに、私たちは正しき信仰を知ることができた。また、地涌の勇者としての使命を自覚することができた。少し妨害があると、それを忘れて、自分は上手に生きようとか、いい子になろうとして、結局は足をすくわれて、はかない波に溺れて、自分を破壊していくような愚かな人生にだけは、絶対になってはならないのである。

▽ロシア国立貿易経済大学から SGI会長に「名誉博士号」(296番目)

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
何をいつまでにどうするのか。これが当面の行き先と予定。
自分のこと、家族のこと、仕事のこと、組織としてのこと、何項目でもかまわない。
具体的にいつまでにこうしようと決めること。
その上でそれをご本尊に強く祈って必要な行動をすれば必ず結果が出る。
決めて祈り、祈って動くこと。
意外とこれを決めないで頑張っている。
○○部が祈っているのは成果だけ。
変ろうと思っていない。だから功徳が出ないから行き詰まってしまう。
変ろうと決めて、祈って動けば結果が出る。信心は簡単です。

どうしたらいいかと祈っている人がいるが、全く意味がない。
交番へ行って「どこへ行けばいいでしょうか?」と聞いているようなもの。
答えがない。ご本尊が決めるのではない。自分が決めて祈るからそうなる。
「こうしたい!」「こうなりたい!」と祈ること。
必ずそうなる。「困った!ご本尊!以上終わり」。簡単です。

これを南無という。南無というのは「生命を任せます!」ということ。

2010年8月12日木曜日

2010.08.12 わが友に贈る

全員が使命の人!
家族で一緒に
信心の実践を!
わが家庭こそ
後継者育成の本舞台!

顕謗法抄 P448
法華経の行者を悪口し及び杖を以て打擲せるもの其の後に懺悔せりといえども罪いまだ滅せずして千劫阿鼻地獄に堕ちたりと見えぬ

◇希望の明日へ
いずこの世界であれ、ひとたび決めた"師弟の道"に生きぬく人の姿は美しい。また尊く、つねに新鮮な向上の人生となる。動物にも親子はある。兄弟もある。夫婦や友人もあるかもしれない。しかし、師弟という永遠の絆は人間だけのものである。ゆえに師匠なき人生は、人間としてあまりにもさびしい。師を慕い、師に近づこうと努力し続ける一念こそが、自分自身にかぎりない成長をもたらす。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
心こそ大切と、よく言われる。ただ頑張ればよいと言うのは間違っている。一念の因果だから。一念を定めて頑張ることです。

生活の方程式は、行き先を決めて、予定を立てて、行動するから、目的地に到着する。行き先・予定を決めないで、なんとなくぐるっと回って帰ってくるのは散歩。なんとなく信心している人はお散歩信心。気分転換程度、やらないよりはまし。でも変らない。

東京都内は、規則があって昼間は大型トラックは通り抜けができない。
夜中に時速120〜130キロで高速道路をぶっ飛ばしていく。
土曜日の夜は暴走族も飛ばしているが、これは違う。
大型トラックは行き先・予定があるから飛ばしている。暴走族は行き先・予定もなく飛ばしているだけ。
信仰も同じ。「頑張ります!」と言って頑張っている人のことを「宿命の暴走族」と言う。

○○部はほとんど暴走族。男子部は勤行をしないで頑張っているが、これを「活動の暴走族」と言う。
頑張ってもちっとも変らない。行き先・予定を決めて突っ走らなければいけない。

2010年8月11日水曜日

2010.08.11 わが友に贈る

前進のリズムは
深き祈りから!
「朝朝・仏と共に」
満々たる生命力で
一日をスタート!

富士一跡門徒存知の事 P1604
而るに日興、聖人の御書と号して之を談じ之を読む

◇希望の明日へ
何の道であれ、師匠に、どんなに厳しく叱られようが、突き放されようが、どこまでも信じ随っていくのが、本格的な弟子の道である。いわんや、弟子として師匠の言を何よりも第一義とするのが仏法の原則である。

★信心の基本を学ぶ 河合副教学部長
信仰は頑張るためにやるのではない。
変るためにやるもの。
何が変るのか?生活が変り、生命が変り、環境が変る。
変るための信仰。頑張っていれば変るのではない。
変るために頑張るべきなんです。「頑張ります!」ではつまらない。
「変りましょう!」「変ります!」「変りました!」これを信心の三段活用という。
こういっても、皆さんは帰りに「頑張ります!」と言って帰るでしょう。
なかなか身についた習性は抜けない。

信仰というのは、行動の因果ではない。
ただ頑張ればいいのではなく、一念の因果、どういう一念で頑張るか、その一念に功徳がある。
頑張っても結果が出ないのは一念が間違っているから。
行為は正しい。

一念が間違っていれば空回りになったり、功徳がなかったり、マイナスになることもあり得る。

2010年8月10日火曜日

2010.08.10 わが友に贈る

学は光!
今日より明日へ
挑戦の心を燃やせ!
努力と持続の人に
勝利の栄冠は輝く!

四条金吾殿御返事 P1194
多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし、然るを毎年度度の御参詣には無始の罪障も定めて今生一生に消滅すべきか

◇希望の明日へ
"死身弘法"こそ信仰者の精神である。また、その深い決意なくして、本当の信仰の道は貫けるものではない。
私も戸田先生のもとで仏法の道に入って以来"護法のためにはいつ倒れてもよい"との決心で、走り、戦ってきた。それが、牧口、戸田両先生の殉教の生涯に応える道であり、学会精神であると確信していたからである。
大聖人の門下として、大法弘通に生きぬいておられる皆さま方は、仏法継承の偉大な使命をもった尊い仏子であるとの誇りを胸に、堂々たる前進をお願いしたい。

☆大白蓮華 2010年 8月号巻頭言
未来部は
 無限の力と
  世界 待つ
 断固と育てよ
  世界広布を

「人」を育てる。これが、仏法の命である。
なかんずく、若き友を、真心こめて励まし、伸ばし、光らせる。ここにこそ、仏の声の響きがある。仏の慈悲の振る舞いがあるのだ。

わが師・戸田城聖先生は叫ばれた。「学会っ子は、信心という永遠に輝く幸福の星、勝利の星を持って生まれてきた。この子どもたちの成長を、皆で祈ろう! 若き人材のために学会はあるからだ」と。
待ちに待った、我らの未来部の躍進の季節が来た。全リーダーが、人類の宝である未来部に、最大のエールを送りゆこうではないか!

法華経の妙荘厳王品第二十七に登場する、浄蔵・浄眼という兄弟の王子は、まさしく未来部の年代の若人であったと推察される。
「女人成仏」の道を開いた八歳の竜女とともに、法華経は、元初より"未来部"の生命が躍動する希望の世界といってよい。
この兄弟は、『我れ等は宿福深厚にして、仏法に生まれ値えり』と、喜び勇んで師匠に随って仏法を学ぶ。力強く変わっていく自らの姿を通して母を導き、邪見の父にも師匠の偉大さを教えた。王子たちが善知識となり、国土まで正義と功徳で荘厳されていったのである。
未来部員は、一人も残らず「宿福深厚」の王子であり王女である。その勝利の実証こそ皆の歓喜を広げ、世界を変えゆく力となるのだ。

わたくしが
 一人かがやく
  太陽と
 父母 照らさむ
  一族 救わむ

御聖訓には、悪世末法の様相を『今の日本国の小児は魄をうしなひ・女人は血をはく』(P1564)と喝破されている。
あの残酷な戦争が終わった夏、私は十七歳であった。もう二度と、戦乱によって母たちや子どもたちが犠牲にされることのない未来を創りたいと、青春の心に固く誓った。やがて、稀有の師と巡り会えた私は、「広宣流布」即「世界平和」の大闘争に身を投じたのである。
それは、民衆の大地から、若き地涌の人材を一人また一人と呼び出し、間断なく育て上げていく戦いであったといってもよい。

昭和四十五年の五月、私は学会を揶揄する記者たちに言い切った。
「学会がどうなるか、二十一世紀を見てください。社会に大きく貢献する人材が必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」
そして四十年。今、世界が刮目する、壮大な社会貢献の陣列が出来上がった。創価の師弟は、断固として人材で勝ったのだ。

私と同じ心で、未来部の育成に取り組んでくださった尊き担当者の方々に感謝は尽きない。「あの先輩がいてくれたから」「あの激励があったればこそ」との敬愛の声は、どんな勲章よりも誇り高い栄冠だ。
成長の途上には、様々な悩みもある。思いがけない難問もあろう。しかし妙法は、どんなことも変毒為薬できる絶対勝利の法則である。

「御義口伝」は、『父とは日蓮なり子とは日蓮が弟子檀那なり』(P803)と結ばれている。全未来部員が大聖人の尊極の「仏子」である。「師子王の子」である。何があろうと、断じて負けるわけがない。

「SGIを支持することは、私たちの子どもや孫たちの未来の『平和』と『希望』を約束することです」と、ブラジルの首都ブラジリアの慶祝議会で宣言された。
人類の希望は、創価の未来部にあり。今日も、未来部と共に語り、未来部と共に学び、そして、未来部と共に勇気凜々と前進しよう!

輝ける
 金星見つめて
  語りゆけ
 希望も高く
  勝利 勝利と

2010年8月9日月曜日

2010.08.09 わが友に贈る

新聞休刊日

顕仏未来記 P509
浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり

◇希望の明日へ
人生にあって師をもてることは幸せであり、大きな喜びである。師弟の深い結びつきは、他の人にはなかなか理解できないものだ。しかし、自らが決めた師弟の道は、それを人生の誇りとして貫き通すところに、人間としての美しさ、尊さがある。またそうでなければ師弟ともに不幸である。

☆マレーシア国立マラヤ大学「名誉人文学博士」学位授与式での池田名誉会長の謝辞
「創価」とは、「価値創造」の意義であります。すなわち、「生命の尊厳」を根本として、人間の幸福のため、社会の繁栄のため、世界の平和のために、自他共に価値を創造しゆく知性と人格の薫陶を開始したのであります。
わが創価教育の「価値創造」も、一人一人の多彩な生命を尊重し、個性豊かに光り輝かせていくところから出発しております。
それは先の大戦で、貴国をはじめアジアの民衆の尊き生命と多様な文化を蹂躙した日本の偏狭な国家主義とは、真っ向から対峙して正義を貫く闘争でありました。
牧口先生は弾圧にも屈せず、73歳で獄死を遂げております。ここに、私たちの不滅の原点があります。
「大学は、大学に行けなかった人のためにこそある」
これも、先師と恩師から託された教育理念であります。

人間の偉さは、持っている信念と行動で決まります。
大学の輝きは、卒業生の活躍と母校愛の深さで決まります。
世界の未来は、若きリーダーの熱と力で決まります。

2010年8月8日日曜日

2010.08.08 わが友に贈る

どんな時も
一人を大切に!
一人に励ましを!
リーダーは皆に
勇気の活力を送れ!

祈祷抄 P1352
法華経を信ぜん人現世のいのり後生の善処は疑いなかるべし

◇今週のことば
「心に深き用心あるべし」
熱中症に皆で注意を!
交通事故にも油断なく!
猛暑の日々を聡明に。
信心即生活の賢者たれ!
2010年 8月 8日

◇希望の明日へ
遊び半分や偽りや、その場しのぎの言葉で、自分の卑怯さをとりつくろい、逃げていくような者に、師弟を語る資格はない。そんないいかげんな、浅はかなものではない。迫害にあえばあうほど、苦難な状況に置かれれば置かれるほど、ともに苦しみ悩み、道を開いていこうというのが、師弟の崇高な精神である。人間としてもっとも峻厳にして最高の道なのである。ここに、いつの時代にあっても忘れてはならない本当の学会精神がある。

☆各部代表勤行会へのメッセージ
ドイツの大文豪ゲーテ
「人生途上においては内外ともにたえざる葛藤をまぬがれることができないから、日々この戦いに勝ちぬいてゆくための装備を怠ってはならない」
万年にわたる広宣流布の長征も、そうだ。毎日が戦いだ。すべては、一つ一つの壁を破る、地道な勝利の積み重ねから始まる。
きょう「一日」の勝利から始まる。

大聖人が『月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし』(P1190)と、厳しく仰せの通りである。
一日また一日、たゆむ心なく、リーダーが真剣勝負で道を開き、希望の種を蒔いていくことだ。それでこそ広宣流布は前進する。
「将の将」たる者は絶対に魔につけ入る隙を与えてはならない。
常に真剣に、どうすれば、学会が勝てるか、発展できるか、学会員を守れるかを考えていくのだ。
ともあれ、リーダーは勝利が天命である。
見栄や格好のために戦うのではない。どんな戦いであれ、皆が喜び、価値を創造し、人間革命していくための挑戦だ。皆を苦しめては絶対にいけない。かわいそうだ。リーダーは知恵者であらねばならない。

ゲーテ
「女性は総じて男性よりも賢明」
一段と、婦人部・女子部を大事にし、尊敬することだ。婦人部・女子部の真剣な意見に、誠実に耳を傾けることである。
皆がやりやすいように力を尽くすのだ。
そして、青年部を全力で育てよう!
信心強き、闘争心にあふれた、師弟の魂みなぎる青年部を育成していこう! 鍛錬していこう!
そのためには、崇高なる師弟の道を、身をもって教え示していく以外ない。

学会という正義の大城も、同志の真心の戦い、人知れぬ大闘争に支えられている。リーダーは絶対に感謝を忘れてはならない。
これからが、人生も、学会も、本当の勝負である。
さらに生命力をつけ、あらゆる力を磨き、威光勢力を増して、皆、健康で、一緒に戦っていこう!

◎神奈川研修道場と氷川研修道場、ちょっと距離(142Km)がありましたが制覇してきました。奥多摩湖は、空いてて水と森と自然がいっぱいでしたよ!(^^)!

2010年8月7日土曜日

2010.08.07 わが友に贈る

夏は旧交を温める
絶好のチャンス!
会って語れば
黄金の思い出に!
友情こそ宝だ!

窪尼御前御返事 P1479
ねふかければはかれずいづみに玉あれば水たえずと申すやうに御信心のねのふかくいさぎよき玉の心のうちにわたらせ給うか、たうとしたうとし

◇希望の明日へ
リーダーは"鈍感"であってはならない。巧妙な"屁理屈"にだまされる"愚か者"であってもならない。また権威の横暴に甘んじるような"お人よし"では、自分も、周囲をも不幸にしてしまう。
悪を見ぬく知性。
・悪にだまされない賢明さ。
・民衆の声を代弁する雄弁。
・正義を断じて実行する信念と勇気
−−、これらをあわせもった偉大な指導者に育ってほしい。

☆各部代表勤行会へのメッセージ
三木清の言葉
「信頼され得るために指導者の具えなければならぬ道徳的資格には種々のものが数えられるであろう。
利己的でなく全体のために計るものであって信頼されるのである。
自己の金儲けや立身出世を考えることなく全体のために自己を犠牲にするものであって信頼されるのである。
ただ世間の風潮に追随するのでなく自己の信念にもとづいて行動するものであって信頼されるのである。
率先して実行するものであって信頼されるのである。
謙譲の徳を有するものであって信頼されるのである。
責任を重んじるものであって信頼されるのである」
・自分のためでなく全体のために考えよ!
・信念に生きよ!
・率先して実行せよ!
・謙虚であれ!
・責任を重んじよ!

それでこそ信頼される
──心すべき指導者論といえよう。

リーダーにとって、大切な基本を確認しておきたい。
第一に、公私の別を厳格にすること。清廉であるべきだ。そして悪を絶対に許してはならない。
第二に、どこまでも会員の方々を大切にすることである。
広布に戦う庶民こそ仏様である。妙法の当体である──この心で接していくのだ。
・会員第一で、会員に真心込めて尽くしていく。
 
これが本当の仏道修行である。
・同志の皆さんに「ご苦労さまです」「ありがとうございます」と誠実に声をかける。
 
それがリーダーだ。
・わが身をなげうつて、同志の労苦に報いる。仏子を護り抜く。
 これが学会精神だ。
 これが師弟の魂だ。

いささかも、ゆるがせにしてはならない。

会員が強ければ、学会は強い。
どこまでも同志のため──これを永遠に忘れてはならない。
皆が疲れないように、健康であるように、長寿であるように、無事安穏であるように、大功徳を受けるように、悩みに負けないように、幹部は祈りに祈っていくのだ。励ましていくことだ。

各方面が、信心光る、最強の人材城をつくっていただきたい。
そのためにも、広布の全責任を担う皆さんが、真剣に祈り、力をつけ、師弟不二の心で戦うことである。
無責任は悪である。
小事が大事だ。
小さな兆候でも、見逃せば、一軍の大敗を招くことがある。
小さな課題でも、真心を尽くせば、将来の大発展の因にしていけるのである。

2010年8月6日金曜日

2010.08.06 わが友に贈る

平和を担う青年よ
友のために祈り語り
わが生命を磨き抜け!
一人のため人間革命から
時代の変革は始まる!

新池御書 P1440
此の経の行者を一度供養する功徳は釈迦仏を直ちに八十億劫が間無量の宝を尽して供養せる功徳に百千万億勝れたりと仏は説かせ給いて候

◇希望の明日へ
学会の活動においては、ただ前進、前進ばかりでは、だれもが疲れてしまう。今、その方向に進むべき状況にあるのかどうか。そのほうが価値的かどうか、を賢明に判断する必要がある。また、車も燃料を補給しなければ走り続けられない。列車も、線路や車体の点検・整備が必要である。同様に広布の前進のリズムにおいても、時には悠々と力を蓄え、満を持す−−。それが次の爆発的な前進と勝利の力となっていくことを、リーダーは自覚すべきである。

☆各部代表勤行会へのメッセージ
リーダーは、健気な同志に、大誠実で応えていくのだ。
すべて基礎がしっかりしていれば、崩れることはない。発展していける。
今は、万代に揺るがぬ正義と勝利の土台を完璧に築き上げていく時である。

私の心を心として、それぞれの使命の天地で、もう一歩、もう二歩、大発展させていただきたい。
戦う心を失えば、最後は、わびしい人生になってしまう。
人生も、社会も、真剣かどうかで、勝ち負けが決まる。遊び半分で勝てるわけがない。
「新時代の柱」たるリーダーは、人がどうあれ、自分は真剣に戦い抜くのだ。
戦いは、大将で決まる。暇があれば、題目をあげるのだ。
勝つための要諦は全部、教えてきた。手を抜けば、因果の理法で、必ず悔いを残す結果が出てしまう。
どんどん手を打つのだ。激励を贈るのだ。
とくに青年部は、猛然と進むのだ。
師子となって戦うのだ。
「自分の時代に、これだけの拡大を成し遂げてみせる!」
「これだけの勝利の旗を打ち立てる!」
「これだけの人材を育ててみせる!」

こう誓願を立てることである。
祈って祈って祈り抜き、素晴らしい歴史をつくってもらいたい。

生き生きと広宣流布に戦うことだ。
そこに人生の総仕上げの勝利も輝く。
友情こそ宝だ。交流こそ喜びだ。
若さとは勇気である。勇気ある人は、常にすがすがしい。

信心の団結こそ、新たな勝利を照らす太陽である。
人材を見つけ、後輩を伸ばすことである。
一人一人を、わが子のごとく、また、兄弟姉妹のごとく大切にしながら、情熱込めて励ましていきたい。

◎子供の誕生日、モノより思い出!休暇を兼ねて神奈川研修道場&氷川青年研修道場に行ってきま〜す!(^^)!

2010年8月5日木曜日

2010.08.05 わが友に贈る

社会の荒波が
いかに厳しくとも
君よ断じて負けるな!
苦難に耐え抜いて
信心の勝者と輝け!

四菩薩造立抄 P989
総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦多宝十方の分身十羅刹も御守り候べし

◇希望の明日へ
国家であれ、会社であれ、一家であれ、指導者が無能であれば、その団体は結局、敗北し、滅びていく。それは、広宣流布の運動も例外ではない。ゆえに指導者は、同志を思いやる心の深さは当然として、知性と知恵を徹底して磨かなければならない。リーダーとしての強敵な頭脳と精神力がなければ、舵をとる"広布の船"をも難破させてしまうのである。

☆各部代表勤行会へのメッセージ
大聖人は、「一切衆生」と仰せである。
差別や格差など、まったくない。
万人のために、広々と幸福の法理を示してくださったのである。

また「自受法楽」とは、「自ら法楽を受ける」ということである。
人から幸福を与えられるのを待つのではない。わが生命から幸福をつかむ力を湧き立たせるのだ。
軽薄な虚像の幸福を追いかけるのではない。わが生命の中から「歓喜の中の大歓喜」を躍動させていくのだ。

今、時代は、確かな「幸福観」を見失っている。
その中にあって、生命尊厳の大哲学を掲げ、幸福と正義と友情の花のスクラムを、さっそうと広げてくれているのが、創価の母たちであり、華陽の乙女たちである。
本当にご苦労さまです!

真実の幸福とは何か?
広宣流布、立正安国のための学会活動こそ、先哲が志向した真の「幸福」をつかむ、確かな道なのである。

戸田先生
「自分が幸福になるぐらいは、何でもない。簡単なことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と。
この誇り高き学会精神で、我らは走り抜こう!
偉大な師弟の道を生きる青年にとっては、労苦こそ誉れだ。苦難こそが勲章である。
広宣流布の大闘争にあっては、『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(P1448)である。
「信心も、平坦な道ばかりを、ゆっくりと歩いていては、何も変わらないよ。大きな苦難があるから、大きな宿命転換ができる。人間革命ができるのではないか!」と。
さらに戸田先生は、「行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起こして、自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。それが我々の月々日々の『発迹顕本』である」と教てくださった。

愚かでは勝てない。
勝利のために賢明であることだ。
賢くなることだ。
臆病では勝てない。
勝利のために剛毅であることだ。
強くなることだ。
勇気をもつことだ。

2010年8月4日水曜日

2010.08.04 わが友に贈る

真夏に挑む
受験生 頑張れ!
青春の努力は
すべて未来の宝だ!
自分自身に勝て!

上野尼御前御返事 P1576
しをはみちひぬ世はありとも花はなつにならずとも南無妙法蓮華経と申す女人のをもう子にあわずという事はなしととかれて候ぞ、いそぎいそぎつとめさせ給へ

▽マレーシア国立マラヤ大学からSGI会長に「名誉人文学博士号」称号(295番目)

◇希望の明日へ
たとえ、いかなる環境にあったとしても、自分は厳として正しい指導を学び、信心の正しい軌道を歩んでいく。そして他の人をも、その方向に向けていく。
また"和"を尊重しつつも、言うべきことは明確に言っていく。そうした強く、賢明な人であってほしい。

☆各部代表勤行会へのメッセージ
皆、本当によく頑張った。よく戦った。
全国各地で、見事なる大勝利の歴史を築くことができた。
誉れの全同志に、私は、心から感謝申し上げたい。本当に、ありがとう!

学会員の皆様は、猛暑の中、豪雨の中、必死の思いで、広布に頑張ってくださったのである。
尊き同志の真心に、リーダーは、真剣に迅速に、応えていかなければいけない。それが広布の指導者の鉄則である。会員の努力を当たり前などと思っては大間違いだ。
我らは信心で戦い、信心で勝つのだ。心を合わせた祈りから、新たな勝利へと出発してまいりたい。

『淮南子』に曰く。
「巧みな者は善く未来を推し度り、知恵ある者は善く将来に備える」と。
勝って兜の緒を締めよである。
要となるリーダーは、未来のために、必死で祈り、全身全霊を捧げていかねばならない。
『列子』
「機会をのがさず時期を捕らえ、事と次第でどうにでも出られるのは、結局が頭の働きによるのである」
頭を使うのだ。
「随縁真如の智慧」で勝つのだ。

そのうえで、大事なのは、異体同心で団結していくことだ。そして絶対に油断だけはしてはいけない。
ともあれ、人が見ていようが、見ていまいが、幹部自らが、率先して行動していくことだ。自らが強盛に祈っていくことだ。
会員に絶対に事故がないように、そしてまた、広布の未来が洋々と開けていくように、幹部自身が祈り抜いていくことである。

2010年8月3日火曜日

2010.08.03 わが友に贈る

「日夜朝暮に
又懈らず磨くべし」
唱題で生命を磨け!
持続の信心の人が
最後に必ず勝つ!

撰時抄 P284
日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし

◇希望の明日へ
指導者は、民衆に"敗北"の苦しみとみじめさを味わわせてはならない。民衆とともに、民衆のために、堂々と試練に挑み、いっさいに勝利しゆく勝利王こそ、優れたリーダーたる証である。そのためには、勝ちゆくための知恵と力が不可欠である。聡明さと強さがなければ、戦いには勝てない。朗々たる唱題で、こんこんと豊かな知恵と生命力をわかせながら、賢明なリーダーとして見事なる"勝利"の歴史を重ねていただきたいのである。

☆随筆 我らの勝利の大道 No.23 尊き庶民の大英雄を讃う
法華経の行者をば梵釈・左右に侍り日月・前後を照し給ふ』(P919)
この大聖人に直結する我らの大行進である。
梵天・帝釈という社会をリードする働きも、日天・月天という世界を照らす力用も、一切が活かされて、広宣流布は成し遂げられていくのだ。
戸田先生
「日蓮大聖人の仏法は、権力の魔性を打ち破る、庶民のための仏法である。ゆえに創価学会は、いかなる時代になろうとも、どこまでも庶民の味方になり、庶民を立派に育て、守って行くのだ。そうすれば学会は、永遠に栄えていくよ」
この恩師のご遺訓通りに進んできたがゆえに、学会は勝利してきたのだ。

日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし』(P329)
妙法に絶対に行き詰りはない。題目を朗々と響きわたらせながら、満々たる勇気で前進だ。

☆新・人間革命
南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』(P1143)
たとえ、どんなに苦しい時も、御本尊への信を奮い起こし、"絶対に負けるものか!"と、唱題し抜いていくんです。そうすれば、苦難に立ち向かう勇気がわきます。生命が躍動し、歓喜が込み上げてきます。そこから、すべての状況が開かれていくんです。
題目、題目、題目です。誰も見ていなくとも、日々、懸命に祈り抜いていく——それが、一切の原動力です

2010年8月2日月曜日

2010.08.02 わが友に贈る

学会伝統の
夏季フリー研修始まる。
役員の皆様に感謝!
無事故で有意義に
感動と成長の時を!

弥三郎殿御返事 P1450
されば心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし

◇今週のことば
「陰徳あれば陽報あり」
無冠の友の皆様の
偉大な陰徳に最敬礼。
絶対無事故を祈ります。
聖教と友に幸の拡大を
2010年 8月 2日

◇希望の明日へ
これからのリーダーは、信心を根本に、知性豊かであっていただきたい。そうでなければ、多くの人を納得させることはできないし、かえって法を下げてしまう場合もある。一切法は仏法に通じ、仏法は一切法に開かれていく。ゆえに社会の万般の事象にわたって論じられる力をつけていく努力が必要である。そして明快に、人の心の奥の奥まで、指導の光を届かせる力量を養っていかねばならない。そうした指導者が増えれば増えるほど、社会の人々に妙法の偉大さを堂々と示しきっていくことができる時代に入っていくのである。

☆随筆 我らの勝利の大道 No.23 尊き庶民の大英雄を讃う
永遠不滅の妙法と共に生きゆく人こそが、何ものにも崩されぬ「常楽我浄」の生命を築きあげていく事ができる。これが「一生成仏」の大道なのだ。
妙法を唱え弘めながら、自他ともに最高無上の生命の高みへ上昇していくことが、仏道修行であり、学会活動である。
この広宣流布の大願に邁進する創価の同志こそ、不朽の栄光に輝く「生命の勝利者」であり、無窮の喜びで皆を包みゆく「幸福の博士」なのである。

民衆に励ましを! その尊き使命を最前線で担う、ブロック、地区、支部、そして本部のリーダーの皆様方に、私は最大の感謝と賞讃を捧げたい。

☆新・人間革命
祈るにあたって大切なことは、願いは、すべて叶うのだという強い信を込め、力強く祈ることです。広宣流布のために戦っている地涌の菩薩である師弟が、心を合わせて祈るんですから、願いが叶わぬわけがありません。
広宣流布を誓願して、題目を唱えていくならば、それは、地涌の菩薩の祈りです。その時、わが生命は、地涌の菩薩の境涯へと開かれていくんです。ゆえに、その祈りには、諸天諸仏を、大宇宙を動かす力があり、自分も、ご家族も守られ、個人の願いもまた、成就していくんです。
したがって、広宣流布を祈り抜いていくことが、自分の境涯を開き、願いを成就していく直道なんです。
そして、決意、祈りは、具体的であることが大事です。

2010年8月1日日曜日

2010.08.01 わが友に贈る

我らは地域の
幸福責任者!
爽やかな挨拶と
誠実な振る舞いで
友好の涼風を!

上野尼御前御返事 P1580
「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら千人は千人ながら一人もかけず仏に成ると申す文なり

◇希望の明日へ
いかなる次元であれ、戦いというものは、つねに知恵と知恵との勝負である。相手の動きをどう読むか。そのうえで、どう手を打つか。この”知恵比べ”を制したものが、栄冠を手にする。これは、時代や社会を超えた、勝負の鉄則である。広布の舞台にあっても、指導者は賢明でなければいけない。広布の活動はますます多岐に、幅広く展開されている。リーダーはそれに応じた知恵と力をもたねばならない。いずれの分野でも、妙法の正しさを証明し、人々に心からの納得と満足を与えられなければ、もはやリーダーとはいえない。

☆随筆 我らの勝利の大道 No.23 尊き庶民の大英雄を讃う
「でも、人生の道は迷ってはいけないよ。正しい道をまっすぐに進むんだ。
ただ、正しい道を歩んでいても、迷うことがあるんだ。それは『何のため』を忘れた時だよ。これを忘れてはいけないよ」

五濁悪世の末法を生き抜く我らである。行く手には、人を惑わす迷路や、三障四魔がうごめく邪道もあるだろう。打ち続く辛労に疲れ切ってしまう時もあるかもしれない。だからこそ、常に「何のため」という原点に立ち返り、清新な心で前進することだ。
・立正安国のため、
・民衆の幸福と勝利のため、
・そして自身の人間革命のため
−−この根本目的を瞬時も忘れず、創価の師弟の大道をまっしぐらに進むのだ。
命を慈しみ、命を護る。人を育て、人を結び合う。
華やかな喝采などない使命の戦場で、来る日も来る日も、苦しむ人、悩める人のため、勇気と信念と誠実の対話を広げる学会員には、永遠の生命の勲章が胸中に輝いている。

◎今日から8月、毎日毎日暑いですね〜
プールに行きたい! 海に行きたい! 沖縄に行きたい! ハワイに行きたい!
それより、どこへでも行けるような境涯になりたい!!