2022年4月28日木曜日

2022.04.28 わが友に贈る

「日蓮、一度も
しりぞく心なし」
ここに御本仏の魂が。
今こそ勇気と確信で
正義と真実を語ろう!
(新1635・全1224)

一昨日御書 P183
『法を知り国を思うの志尤も賞せらる可きの処邪法邪教の輩讒奏讒言するの間久しく大忠を懐いて而も未だ微望を達せず、剰え不快の見参に罷り入ること偏に難治の次第を愁うる者なり』

【通解】
(日蓮が)仏法を知り、国を思う志は、最も賞されるべきところであるのに、邪法・邪教の輩が讒奏・讒言するので、久しく大忠を懐いていても、いまだその望みのわずかさえも成就することができないでいる。

【先生の指導から】
今、私たちは、大聖人が悲願とされた「立正安国」の大理想を、世界への平和・文化・教育の運動として実現してきた。
仏意仏勅のSGIに世界から寄せられている賞讃を、大聖人は、いかばかりお喜びであろうか。
末法は悪世であり、三類の強敵もいる。広宣流布の戦いは激しく「今に至るまで軍やむ事なし」と大聖人は仰せである。仏法は勝負である。断じて、戦いまくり、勝ちまくっていかねばならない。
広布に戦えば、生命は健康になる。法のため、同志のために行動した人は、生死を超えて、無上の「心の宝」を積んでいけるのだ。

名字の言 金の思い出をつくる「ゴールデン対話ウイーク」 2022年4月28日
観光地巡りや食べ歩きなど旅行の楽しみ方はいろいろあるが、思想家のエマソンはこう述べる。「旅行から得られる最上の果実があるとすれば、それは他の人びととの対話である」(小泉一郎訳)▼「まだ信心のことが分かっていないので……」とためらっていた新入会の壮年が、思い切って仏法対話に挑んだ。3人、4人、5人と会いに行ったが、上手に話せず、中にはつれない素振りの人も。だが気落ちするどころか、だんだん元気になったという。「学会活動は本当に不思議。動けば動くほど勇気が増すんですね」と▼消極的だった彼は、驚くほど積極的になった。先日は関西に帰省し、親戚や友人に学会理解の輪を広げてきた。「わかることよりかわること。それが、いっちゃん(一番)大事なんやなぁ」。お国なまりに戻っていたのは、懐かしい人たちとの対話が弾んだ証しだろう▼「行躰即信心」——それが仏法の真髄だ。自分を変革するには、あれこれ頭で考えるより、まず行動してみること。祈り、学んだことを実践に昇華させれば、どんどん価値を生み出せる▼大型連休は、友好を広げ深める好機。"心の果実"を得る語らいで、金の思い出をつくる「ゴールデン対話ウイーク」にしよう!

寸鉄 2022年4月28日
立宗の日。三代の激闘で創価の大連帯は192カ国・地域へ。後継の誓い新た
『御書全集』発刊70周年。大聖人直結の我らは全てに勝利。行学二道に邁進
誓願の炎燃やす北陸の友対話拡大の新記録達成は私から。石川・富山の日
貢献の人生教える会長の思想を永遠たらしめたい—学部長。人類の羅針盤
長距離の運転は余裕ある計画を。早めの休憩など賢く。無事故を最優先で

〈社説〉2022・4・28 御書発刊から70周年の佳節
◇今日もまた「御書根本」の一歩を
初代大阪支部長を務めた白木義一郎氏は、1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」について「池田先生の指揮は、御書に始まり御書に終わったといえよう」と記し残している。
一日の戦いが池田先生の朝の御書講義から始まったことをはじめ「御書根本」で道を切り開いたエピソードは数多い。携帯電話も電子メールもなかった時代、朝の講義の内容は、その日のうちに関西のすみずみまで伝わったという。
同年の1月から半年に及ぶ長丁場で、特に池田先生が繰り返し語った御文は二つ。
「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり」(呵責謗法滅罪抄、新1539・全1132)
「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし」(四条金吾殿御返事、新1623・全1192)
「大阪の戦い」を通して、生まれて初めて御書を手に取った人も多い。「"まさか"が実現」と報じられることになる快挙を支えた一書——御書が誕生してから、わずか5年目のことだった。
戸田先生が発願し、池田先生をはじめ弟子たちとの共同作業で完成させた『日蓮大聖人御書全集』。今日、その発刊から70周年の佳節を迎えた。
今月の本部幹部会では「大衆」に焦点を当て「この人たちのための政治がなくてはならない。それが主権在民だ。それが立正安国だ。王仏冥合ということなんだ」という池田先生の指導が確認された。
立正安国にせよ(新24・全17)、王仏冥合にせよ(三大秘法抄、新1387・全1022)、私たちが進める民衆運動の要諦は、全て御書に説かれている。昨年発刊された御書新版には、日蓮大聖人が北条時頼に直接会い、対話に臨んだことを示す一節(2141ページ)も新たに収録された。
戸田先生が御書全集の「発刊の辞」で引用され、御書新版の「序」でも、池田先生が引用された一節がある。
「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(諸法実相抄、新1793・全1361)
私たちは今日もまた「御書に始まり御書に終わった」といえる人生の一ページだったか。信心の挑戦だったか。師との共戦だったか。自らに問いながら、新しい一歩を堂々と進めたい。

☆御書と未来へ 第14回 慈愛の陽光で人類を照らせ
〈御文〉
『二十余年が間、一時片時も心安きことなし。頼朝の七年の合戦も、ひまやありけん。頼義が十二年の闘諍も、いかでかこれにはすぐべき。』〈単衣抄、新1848・全1514〉

〈通解〉
(日蓮は)二十余年の間、一時、片時も心安らかなことはなかった。源頼朝の(平氏との)7年の合戦も、暇はあったであろう。源頼義が12年もの間、戦い争ったことも、どうしてこれにすぎることがあろうか。

〈池田先生が贈る指針〉
立宗宣言770年。間断なき民衆救済の大闘争に感謝は尽きない。
広宣流布・立正安国は、人類の幸福と地球の平和への遠大なる挑戦である。御本仏直結の戦う誓願の題目を轟かせ、我らは誇り高く勇猛精進するのだ。
世界が渇仰する妙法の慈愛の陽光を放ちゆこう! 目の前の一人を誠実に励ましながら。

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:桜梅桃李の輝き
◇御文
『我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげかざれ。』(開目抄、新117・全234)

◇通解
私ならびに私の弟子は、諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることができる。諸天の加護がないからといって、疑ってはいけない。現世が安穏でないことを嘆いてはいけない。

◇私たちの幸せのカタチ 自閉症の息子との日々
近藤浩さん(61)=東京・目黒戸田区長=と妻・洋子さん(56)=地区女性部長=が、重度の知的障がいを伴う自閉スペクトラム症の長男・和之さん(29)=男子部員=と歩んできた日々とは——。
      ◇
待望の長男を授かったのは1992年(平成4年)。すくすくと育つ姿に目を細める日々。2年後には、長女・寺林真衣さん(27)=女性部員=が誕生した。実は、その少し前から、洋子さんには気掛かりなことがあったという。
「和之の成長が周りの子たちと比べると、ちょっと遅いのかなと」
2歳になっても「パパ、ママ」と呼んでくれず、語彙が増えない。視線が合わない。生活音に敏感に反応して泣き喚く。洋子さんが保健所へ相談に行くと、小児科医から「自閉症かもしれません」と告げられた。
「戸惑いました。"なぜ、うちの子が?"って……」と洋子さん。子の将来を悲観して、御本尊の前で思わず涙を流した。
浩さんは「"信心で治す"と考えてしまっていました。"治すもの"だと思い込むことで、現実から目をそらしていたんでしょうね」と話す。
整理がつかない気持ちを、学会の先輩に率直に打ち明けた。
すると先輩は、「諸難ありとも疑う心なくば……」(新117・全234)の一節を拝しながら、「大事なことは何があっても御本尊を疑わないこと。信心を貫くこと」と、確信を命に打ち込んでくれた。
"仏法の眼で見れば全てに意味がある"——夫妻は、そう自分たちに言い聞かせるように祈りを重ねていった。
地域の発達支援施設や「障がい児の親の会」に参加するようになり、同じ境遇の家族と交流を重ねるうち、自然と仏法の話になっていったことも。浩さんは「和之がいるからこそ、結べる仏縁がある。そう思えるようになって」と語る。
周囲と比べれば、和之さんができることは、多くはないかもしれない。
その分、和之さんが見せる"小さな一歩"を、家族で心から喜べた。和之さんが一度だけ耳にした曲を、譜面も見ずにピアノで再現して、家族を驚かせたこともあった。
和之さんは小学校から特別支援学級に進んだ。
思春期になると体格も大きくなり、苦労も増えた。特に、衝動的なパニックを起こした時は大変だった。
「高校時代、登校途中にパニックを起こした和之をなだめようとして、けがをしたこともあった」と洋子さん。家族やボランティアとも協力しながら、和之さんの高校卒業の日を迎えることができた。
その後、ケースワーカーのアドバイスを受け、和之さんは親元から離れて伊豆大島の重度障がい者用施設で共同生活を始めることになった。
夫妻にとって大きな決断だった。洋子さんは「一緒にいた時は苦労ばかりでも、いざ離れると、これ以上ないほどつらかった」と振り返る。浩さんも「和之がパニックを起こさないか。食事やトイレなど一人でできるか。不安で仕方なかった」そうだ。
そんな親の心配をよそに、施設で自立心を育んだ和之さんは「できること」を次々と増やしていった。
その後、施設での生活の期限を迎えたため、たまたま定員の空きがあった青森県内の共同生活施設に移った。
豊かな自然に囲まれ、気の合う仲間とも出会えて、楽しんで暮らせているという。
「施設の方々と仲良くなった和之が、最近、津軽弁を覚えたんです」と浩さんは笑う。
子育ての中で夫妻が心掛けたのは"きょうだいに平等に愛情を注ぐ"こと。そのような中で育った真衣さんは、いつしか、「わが家の経験を社会に生かせたら」と、障がい児教育の道を志すように。創価大学を卒業後、特別支援教室の教員になり、夢をかなえた。
今、家族それぞれが、自分の使命の道を踏み締めている。
かつて、洋子さんが婦人部(当時)の集いに参加した時、同世代の友から、「和之君は近藤さんを選んで生まれてきたんですね」と言われた。
「ハッとしました。"そうだ! この子を育てられるのは私たちしかいない"って。何があっても一緒に歩んでいこうと腹が決まりました」
一方、浩さんは、和之さんの障がいを認めたくない自分がいた、と打ち明ける。
「でも、学会の中で宿命に挑む多くの同志の姿に触れて、自分の弱さに気付かされました。和之がいるからこそできる戦いを堂々と貫くことが、わが家の使命じゃないかと」
どんな時も信心を人生の根本に据えてきたことが、近藤さん夫妻の誇りだ。
「振り返れば、大変な時はいつも周囲の支えがあった」と洋子さん。「御本尊様に守られているなって。感謝です」
浩さんも話す。「何がベストの答えであるかは、人それぞれです。私たちは、一家の幸福を祈り続けていく中で、私たちにとっての『幸せのカタチ』を見いだせました」
池田先生は語っている。
「妙法を持ち、信心に励む私たちの姿、振る舞いが、そのまま多宝如来としての行動となっていく。(中略)悩んでいるなら、その姿のままで信心に励んでいけばいいのです。何があっても信心を貫き、断じて負けない生き方が、そのまま勝利の証しであり、法華経の証明となるのです」(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
本年の「5・3」には、池田先生・奥さまのご結婚70周年の佳節を迎える。先生ご夫妻が最初の数カ月を暮らしたのが目黒区だった。この地で戦う近藤さん夫妻は、今、深い使命をかみ締めている。
「御本尊を信じ抜けば、『大変』な状況も『大きく変わる』好機にしていける。幸福人生を開いていける。この私たちの確信を、懸命に生きる友に伝えていきたいです」

[教学コンパス]
「自閉症」について、社会学者の竹中均氏は、"科学的知見が、それなりに蓄積したのは、21世紀に入ってから"と論じ、それによって、"自閉症の方々の特性を生かした活躍の場を、どうつくるかという社会的問題も浮かび上がってきた"と現在の座標を示している(『「自閉症」の時代』講談社現代新書)。
私たちが暮らす社会のありようは「唯一のゴール」ではない——。その視座に立つことが、多様な人々が活躍できる「包摂的な社会」を築く道のりの、スタートではないだろうか。
鎌倉時代、社会の混迷を打ち破ろうと立ち上がられたのが、日蓮大聖人である。「立正安国論」には「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を祷るべきものか」(新44・全31)と仰せだ。まさしく、「四表の静謐(周囲の安穏)」を真剣に祈り、向き合っていく中で、社会のさまざまな課題を「人ごと」から「わがこと」と捉えていく視点の転換も、生じていくに違いない。自ら社会建設の主体者と立つのが、大聖人直結の生き方である。