2022年4月18日月曜日

2022.04.18 わが友に贈る

◇今週のことば
「一切は現証にはしかず」
体験が躍動する聖教は
希望と勇気の光源なり。
人間力・生命力の言論で
励ましの仏縁拡大を!
(新1672・全1279)
2022年4月18日

種種御振舞御書 P917
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』

【通解】
釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であった。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させるのである。

名字の言 「何のため」問いかける生き方 2022年4月18日
フランスの哲学者フレデリック・ルノワール氏が、つづっている。どんな苦境にあっても「『何のために?』という問いかけができる人は、『どういうふうに』でも生きていける」(田島葉子訳『幸せの追求』中央公論新社)▼鹿児島のある教員の壮年は悪性リンパ腫を患い、「余命2年」を宣告された。不安に揺れる心を奮い立たせようと、彼は仏壇の前に座り続けた。"信心の素晴らしさを証明するために、病に勝つ!"と▼時には妻が運転する車の後部座席に横たわり、仏法対話に走った。「この信仰で必ず治すから、見とってよ!」と語りながら。厳しい治療に耐え抜き、闘病中も教壇に立った▼宣告から13年。病気を克服した壮年は、医療福祉専門学校の学科長として後進の育成に力を注ぐ。「広宣流布に一念を定めれば、どんな困難にも負けない自分を築いていける」。そう言い切る彼は、学会の庭では県総合長。確信の言葉で励ましを広げる日々だ▼池田先生は「いかなる病も、いかなる悩みも乗り越えるためにある。仏になるためにある」と述べている。「何のため」を見いだせば、試練に立ち向かう力が湧く。自身の中の無限の可能性を開くこともできる。壮年の姿に、改めて教えられた。

寸鉄 2022年4月18日
「人の力をませば我がちからまさり」御書。5・3へ弾む生命で友の元へ!(新2150※新規収録)
大学会の日。師弟共戦の誓いを貫く誉れの同志。広布と人生の勝利史刻め
青年を育むことが人類の境涯高める—恩師。皆で心して後継の大樹育成を
世界に「平和の心」広げる学会の行動に期待—オーストリア博士 人を結ぶ善の連帯今こそ
温室効果ガスの排出量が7年連続で減少。脱炭素へ行動変革を社会全体で

〈社説〉 2022・4・18 あす、「食育の日」
◇未来を創りゆく力を養おう
男子部の友との語らいで、魚をさばく動画が人気であることが話題となった。あるメンバーは、小学生の2人の子どもに魚のさばき方を教えているという。理由を聞くと、興味深い答えが返ってきた。「料理ができるようになってもらいたいのと、生き物を食べていることを知ってほしくて」
北欧諸国を中心に行われている食育方法に「サペーレ」がある。一昨年、NHKの番組で紹介されていた。サペーレとは、ラテン語で「知る」「味わう」の意味。番組では、子どもたちが目隠しをして香りだけで果物を当てるゲームをしたり、虫眼鏡を使って果物の粒を観察したりと、味覚だけでなく触覚や嗅覚、視覚も存分に働かせて食べ物と向き合い、何を感じたか表現する。やがて彼らは食べ物への興味や好奇心を深め、苦手な野菜を食べるようになっていった。男子部メンバーの取り組みは、この北欧の"知恵"に通じていると感じた。
あす19日は「食育の日」。食育の語源は、医師・石塚左玄が1896年(明治29年)に発刊した『化学的食養長寿論』にある。この中で石塚は、"体育、智育、才育はすなわち食育にあると考えるべきである"とし、人材育成の基本となるものとして"食育"の重要性を記している。明治期は近代化によって西洋料理が入り、食文化が大きく変化した時代だった。
同時代に生きた佐伯矩は、「栄養は健康、経済、道義を含む、より広い意味に用いられ」るべきとの信念を持ち、食糧・栄養の問題には、常に国際的な視野と行動が必要と訴えた(日下部正盛著『栄養学の創始者佐伯矩博士小伝』)。彼の志は、現代のSDGs、特に"食"に関する取り組みに引き継がれていると言えよう。
近年、日本でも、食品の売れ残りや食べ残しの問題に関心が高まり、2019年には公明党の主導による「食品ロス削減推進法」が成立し、関連業種を中心に取り組みが大きく進んだ。コロナ禍もあり、世界では10人に1人が飢餓に苦しんでいる。「食育」は自身の健康のためだけでなく、世界が直面する問題への想像力や解決力の礎となるだろう。
"食"には目に見えないつながりがあり、宝石のように輝く真心があふれている。身近な食文化に関心を深め、自身と後継世代の未来を創りゆく力を養いたい。

☆大慈悲の心音 門下への便り 第2回 千日尼
千日尼は、夫・阿仏房と共に、佐渡に流罪中の日蓮大聖人に帰依しました。大聖人に真心を尽くしてお仕えした、佐渡の中心的な女性門下です。
「阿仏房尼」と呼ばれていましたが、ある時期から「千日尼」と記されていることから、大聖人から法号を頂いたと考えられます。「千日」とは、一説には、大聖人が佐渡に滞在した日数に由来するともいわれます。
2年5カ月に及ぶ佐渡流罪中、大聖人は衣食住も満足でなく、念仏者らに命を狙われる過酷な状況に置かれました。そうした大聖人の身を案じた千日尼は、食料を用意し、夫の阿仏房に櫃を背負わせ、地頭や念仏者らの監視の目をかいくぐって塚原の三昧堂にお届けするなどしました。大聖人を支えたことで、阿仏房夫妻は、住まいを追われ、罰金を科せられ、屋敷を取り上げられています。
後に大聖人は、難に屈せず信心を貫く純真な千日尼のことを、「いつの世になっても、忘れることはありません」「まさに、亡くなった母が佐渡の国に生まれ変わってこられたのでしょうか」(新1741・全1313、通解)と最大限にたたえられています。
大聖人が赦免になってからも、千日尼の求道の炎はいやまして燃え上がります。文永11年(1274年)からの5年間に3度、遠く山海を隔てた身延の大聖人のもとへ、夫にお手紙と御供養を託して送り出しています。
女人成仏や謗法の罪の軽重等、法理について大聖人に質問するなど、清らかな信仰を貫いた千日尼。夫婦の心を受け継いだ子息の藤九郎は、立派な法華経の行者へと成長していきました。

◇心こそ大切
『御身は佐渡国におわせども、心はこの国に来れり。仏に成る道もかくのごとし。我らは穢土に候えども、心は霊山に住むべし。御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候え。』
千日尼御前御返事(雷門鼓御書) 新1746・全1316

心は不思議です。目には見えません。しかし、その心は、物理的な距離を超えて結ばれます。
弘安元年(1278年)の初冬、身延の大聖人のもとに、千日尼からの真心の御供養が届きました。
佐渡から遠く離れた身延の地へ、たびたび夫を送り出してきた千日尼。この時、すでに高齢だった彼女には、心のどこかに、"もう二度と、大聖人にお会いすることはできない"という寂しさがあったかもしれません。その心を包み込むような温かい励ましの言葉です。
"あなたの心は、間違いなく私のところに来ていますよ"
"お会いしたからといって何になるでしょう"
何度も夫を送り出すという行動となって表れた、師を求める千日尼の変わらぬ志を、最大にたたえられているのです。
かつて池田先生は、「師弟不二」について語りました。
「自分の中に、師をたもって自立するということです。私の中に戸田先生がいる。口で言うべきではなく、心の問題です。『不二』というのは、自分の中にあるからです」
会えるか、会えないかといった、表面上の事実よりも、「心こそ大切に候え」です。
心に師を抱き、心の師と共に進む人に行き詰まりはありません。

◇広布の大道 心広々と
『いよいよ信心をはげみ給うべし。仏法の道理を人に語らん者をば、男女僧尼必ずにくむべし。よしにくまばにくめ、法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし。「如説修行」の人とは、これなり。』阿仏房尼御前御返事 新1730・全1308

命懸けで信心を貫いてきた千日尼に、今一重の信心を促し、力強く激励されています。
大聖人が鎌倉に御帰還された後も、勇敢に広布の旗を掲げた阿仏房と千日尼の夫妻。念仏が盛んだったとされる当時の佐渡で、いわれない中傷や批難に遭ったことは想像に難くありません。
"よし、憎みたい者は憎めばよい!"——突き抜けるような御本仏の大確信の音声が胸に響いてくるようです。低次元な批判に振り回されて、くよくよする必要など全くないのだ、と。
「一切の苦難は、自身の生命を金剛不壊に鍛え上げ、宿命の鉄鎖を断ち切って人生を自由に遊戯しゆく力を開発する原動力になる」
この池田先生の指導の通り、どんな批判も圧迫も、人間革命のエネルギーへと変えていくために、「金言に身をまかす」如説修行が何より重要です。
私たちの基準は、時や場所によってコロコロ変わる世間の評判でも、自らの弱い生命でもありません。御書、そして御書を身で読まれた三代会長のご指導こそ、不滅の羅針盤です。
どこまでも心広々と、広布の大道を歩んでいこうではありませんか。

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第25回 女性、青年を最大に尊重
◇「優しさ」「礼儀」と「信頼」「誠実」
婦人部(現・女性部)に対しては、心からの「優しさ」と「礼儀」をもって接することである。かりにも、婦人を叱ったり、いばったりすることがあってはならない。どうも、家で奥さんに頭が上がらない男性ほど、他の婦人にいばる傾向があるようだ。(笑い)
また、ふざけた、軽視の心があってはならない。紳士として、婦人を最大に尊敬し、どこまでも優しく、礼儀正しくあっていただきたい。
さらに、未来を託す男子部には、絶対の「信頼」をもって接することである。信頼の心が伝われば、人材は伸びていく。そして女子部(現・女性部)は潔癖が身上であり、いいかげんなことはいちばん嫌われる。「約束は必ず守る」など、裏表なく誠実に接していくべきである。
これらの点を、各部に対する一つの原則として、言い残しておきたい。
(『池田大作全集』第75巻、全国壮年部幹部会でのスピーチ)

◇「何でも語りあえる雰囲気」を大切に
どこまでも耳をかたむける。言い分は何でも受けとめる。これが御本仏の大きな慈愛であり、大きな心であられた。
学会もまた、何でも語りあえる雰囲気を大切にしていきたい。そうでないと伸びないし、発展は続かない。上から下への命令だけでは、官僚主義である。組織は硬直し、人間まで硬直させてしまう。そんなことは絶対にあってはならない。
学会は人間の世界である。魂の世界である。心の世界である。慈悲の世界である。あくまでも人と人の団結と触発の世界である。だから強い。これを大切にすれば、学会は永遠に発展できる。
何でも語りあえる雰囲気——これを学会は根本にすることを宣言しておきたい。
(『池田大作全集』第89巻、本部幹部会でのスピーチ)

◇仏子を尊敬し、愛情をもって
一人の友を、これ以上できないというぐらいに、徹底して守り、してあげられることは、すべて実行しようと心をくだいていく。仏子を心から尊敬し、愛情をもってつつんであげる。その人が真実の人材であり、リーダーなのである。
(『池田大作全集』第74巻、アメリカSGI最高会議でのスピーチ)