2022年4月14日木曜日

2022.04.14 わが友に贈る

誰でもないあなた自身が
未来を変える主役だ。
自らの心の中にある
無力感や諦めを打ち破る
信心根本の挑戦者に!

日女御前御返事 P1244
『南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす』

【通解】
南無妙法蓮華経とだけ唱えて、成仏することが最も大切である。ひとえに信心の厚薄によるのである。仏法の根本は、信をもって源とする。

名字の言 成長を阻む最も厚い壁とは? 2022年4月14日
芸道の秘伝とされる奥義を明らかにしたところで、そう大層なものとは思われない場合が多い。だが、それを「大したことない」と軽視する人は、真の重要性を理解できていない——能を大成した世阿弥は、そんな趣旨の話を『風姿花伝』に残した▼"何だ、そんなことか"と分かったつもりになる「慢心」が、その人の成長を阻む最も厚い壁かもしれない。これは諸芸に限らず、あらゆる分野にも通じよう。信心も同様である▼「真実、一切衆生の色心の留難をとどめる秘術は、ただ南無妙法蓮華経である」(新1598・全1170、通解)との御聖訓を胸に刻む多宝会の女性。同志から「題目の人」と尊敬される彼女は唱題根本に、自身の病、夫の失業、子の非行など、一切の苦難を勝ち越えてきた▼池田先生のスピーチや信心指導は、「親孝行が大事」「報恩の人生は尊い」など、いわば崇高な"人間学"でもある。日々、先生の指導の研さんに励む彼女は笑顔で語る。「内容を頭で分かっても、本当に実践するとなると、いかに大変か。だから"ご指導の通りの人生を開くぞ!"と、また決意の題目です」▼精進の歩みが止まった瞬間から、人生は後退する。生涯求道の心で挑戦し続ける人に行き詰まりはない。

寸鉄 2022年4月14日
青年と会い、語ることが最高の喜び—戸田先生。新しい人材の育成を皆で
新潟の日。正義に燃える勇者の陣列。大聖人有縁の地に平和の対話を拡大
熊本地震6年。試練の嵐勝ち越えてきた創価家族 三変土田の前進をさらに
私達の運命を決めるのは民衆の結合した声—ルーズベルト夫人 立正安世界へ連帯を強く
商品が届かない—悪質通販サイト急増と。"価格が極端に安い"等は要警戒

〈社説〉2022・4・14 きょう、熊本地震から6年
◇一人が輝くまちへ創造の日々
2016年の熊本地震で被災した長陽大橋ルート(南阿蘇村)が3月、再開通した。これで国土交通省の熊本復興事務所が手掛けた復旧事業は完了。同事務所は全ての工事を終えたとして3月末に閉所した。
きょう、熊本地震から6年。「復旧・復興」から、災害に強く、一人一人の個性が輝くまちへと「創造」の歩みはさらに続いている。
個人の立場でも、苦難をばねに境涯を開き、自身の使命の道を力強く歩む友がいる。
ある男子部ニュー・リーダーは震災当時、創価大学に入学したばかり。もどかしさをこらえ、ようやく帰省できたのは夏だった。
屋根をブルーシートに覆われた町並みを見て、現実を受け止められなかったが、自分の中で何かが変わった。"故郷の再興のため、何とか力になりたい"。技術職を志していたが、公務員志望に転向。1年間の猛勉強を重ね、公務員試験に合格し、県職員として益城町の復興事業に携わる。男子部では今春、大学校第4期を終え、創価班の一員に。地域貢献の人材に成長をと充実の日々を送る。
ある女性部副本部長は、6年前の震災に続き、2年前には大腸がんの宣告を受けた。うち続く大難を乗り越えられたのは、絶えず同志が祈り、励ましてくれたからと。
「一人を大切に」することの重要性を学んだ婦人は、次は支える側にと、1人暮らしの高齢者の健康や生きがいのための行動を貫く。小まめな声掛けに徹し、感謝の声が数多く寄せられている。地域の友と熊本の「創造」を担う同志の姿が、至る所で見られる。
コロナ禍で経済的な影響を受け、生活再建の道が険しさを増すなど、新たな課題も出ている昨今。今も仮設住宅で暮らし、心身の不調を訴える友もいる。まちの姿は6年の歳月を経て見違えるように変わっても、克服すべき課題に挑戦を続ける友がいる。
日蓮大聖人は苦難と戦う池上兄弟に「未来までのものがたり、なに事かこれにすぎ候べき」(新1477・全1086)——未来までの物語として、あなた方の団結の姿以上のものはないでしょう——と励ました。"心の財は絶対に壊されない!"との師の指針を支えに、熊本の友は団結して復興の道を歩んできた。その奮闘の姿は、現在はもちろん、未来の人々をも励ます力となっていくであろう。

☆Switch——共育のまなざし 池田先生の励ましの言葉から 心をつなぐ親子の触れ合いとは
◇「人格」を尊重すれば「人格」が育つ
入学・進級の季節です。家族で過ごす時間が増える春休みは、親子の絆を強め、共に"新たな学びのステージ"に進むための準備期間とも言えるかもしれません。今回は、池田先生が女性リーダーや創価の教育者と語り合ったてい談『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から、「心と心をつなぐ」をテーマに先生が送った励ましを抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)

◇どんな知識よりも
<子どもは、いろいろな人との出会いを通して成長するもの。人と関わり、人格を磨く場所が「家庭」であり、「学校」であり、「地域社会」ですが……。今はそれぞれの場所で、人間関係が希薄になっているのも事実です。池田先生は語りました>

「心と心のふれあい」が少ないと、人の心を理解したり、相手の立場に立ってものを考える能力や習慣が、なかなか育ちません。「わがまま」というか、自己中心的な傾向が強くなってしまう。
しかし創価学会は、こうした社会の流れの中で、あえて人とかかわってきたのです。悲しみに沈んでいる人に寄り添い、悩める友に希望を与え、青年に生きる目的を指し示し、徹底して、民衆とともに、民衆に根差して進んできた。だからこそ、学会は発展した。人間のなかに飛び込んできたがゆえに、一人一人が人間革命をすることができたのです。
◆ ◇ ◆
今の世の中は、「慈悲」がどんどん失われている。「慈悲」とは「抜苦与楽」——「楽を与える」のが「慈」であり、「苦を抜く」のが「悲」です。じつは、慈悲の「悲」にあたるサンスクリット語には、もともと、「嘆き」という意味があるのです。
つまり、他人の苦しみや悩みに心を寄せ、ともに嘆き、ともに悲しむことです。人の痛みを、わが痛みとして感じる心が、慈悲の根本なのです。その心がなくなれば、社会は、ばらばらになってしまう。だからこそ家庭で、学校で、地域社会で、「慈悲の心」「開かれた心」を育てる努力をしなければならない。
たとえ、どんなに知識をつけさせたとしても、人の痛み、苦しみを見て、何も感じられない、機械のような冷たい心であるならば、なんにもならない。そうした心の持ち主には、本当の人生の喜びを味わうことはできません。結局、自分も不幸になり、周囲や社会もそれに巻き込まれてしまうのです。

◇子どもが望む言葉
<「日ごろの親の『接し方』『声の掛け方』『振る舞い』が子どもの心に大きな影響を与えていく」と先生は強調します。すると女性リーダーは、「ある青年教育者が、小学5年生に『親から掛けてほしい言葉』『掛けてほしくない言葉』についてのアンケートをとったそうです」と紹介しました。「掛けてほしい言葉」の1位は「よく頑張ったね!」。2位は「頭いいね、さすがだね!」。3位は「ありがとう」だったと言います>

つまり、「ほめる言葉」「感謝する言葉」を子どもは望んでいるということだね。今の世の中は、これが少なくなった。そして嫉妬や、人を誹る言葉がふえている。人の心が小さく、狭くなり、他人の長所に目が届かなくなっている。今、「ほめたたえる言葉」がいちばんあふれているのは、創価学会の世界ではないだろうか。だから、学会には人が集まるし、人が育つのです。ほめたたえあう世界には、喜びがあり、活力があり、希望があり、繁栄があります。

<一方、「掛けてほしくない言葉」の1位は「バカだね」「やっぱりだめだ」「できっこない」等の否定的な言葉。2位は「もっと勉強しなさい」。3位は"いやみ"でした>

声のかけ方ひとつで、子どものやる気を引き出すこともできれば、傷つけてしまうこともある。たとえば、子どもの顔を見るなり、「勉強しなさい!」——これでは、子どももたまったものではない(笑い)。また、言い分も聞かず、道理を教えることもせずに、感情にまかせて叱りつけるのも、子どもの心を、暗く、重くしてしまいます。
口に出す前に、一度、胸の中に納めてみるだけで、大きな違いが出てくる。かといって、子どもと接するのに、あまり神経質になってしまうのも、しぜんな親子関係ではない。「声のかけ方」にせよ、「ふるまい」にせよ、すべて奥底の一念が表れたものです。つね日ごろから、本当に「子どものため」を思い、「子どもの未来」を祈っているかどうか。それが根本です。
ともあれ、子どもに接する時は、一個の人格として尊重することが大事です。「こんなこと、分からないだろう」「これくらい、いいだろう」と、安易に思っては失敗する。子どもの中には大人がいる。その大人に向かって対等に語りかけていけば、子どもの「人格」が育っていきます。そうすることによって、育てる側も育てられていくのです。

◇お母さんを支えよう
<とはいえ、多忙な毎日の中で「声の掛け方」「振る舞い」にまで意識が回らないという親御さんもいるでしょう。近年は共働き世帯が増え、家事・育児の共同意識が進んできたとはいえ、父親以上に大きな負担を抱えている母親が多いのも実情です。先生は呼び掛けました>

母親は、たしかに忙しい。心に余裕をもとうとしても、なかなかそうできないのが現実でしょう。だからこそ、父親をはじめ周りの人々も、頑張っているお母さんを支えてあげてほしい。心を軽くしてあげてほしい。お母さんを支えることが、子どもをすこやかに育て、ひいては、よりよき未来をつくることに通じていくのです。お母さんも、時間がなくても、その分、工夫しだいで、劇的に、力強く、子どもと心の交流をはかることはできます。
◆ ◇ ◆
「喜んで」「生き生きと」取り組むことが大事だね。その親の姿から、子どもは子どもなりに、自分で考え、何かを学び、育っていくものです。人はとかく、何か大変になると、今いる所を逃れ、どこかもっと楽な所に行って、安穏な生活をしたいと願うものだ。しかし、幸福は、「どこか」にあるものではない。自分の胸中にある。喜びも、幸福も、自分でつくりだすものです。「今、自分がいる場所」を、最高の楽園に変えていくのが、本当の生き方です。
◆ ◇ ◆
今は「子どもの教育だけでなく、親の自己教育が大事だ」と言っていた評論家がいました。つまり「親が親になるための教育」です。親自身が自分を高め、成長する努力が必要です。子どもを育てるということは、自分を育てることでもある。そうでなければ、子どもの成長についていけません。

◇恩に報いることとは
<その意味では、子どもの発達段階に合わせ、親もまた変わっていかなければならないとも言えるでしょう。先生は語りました>

子どもがある程度、大きくなったら、親の仕事は、子どもの自主性を見守ることにあります。子どもは5歳くらいまでは、本当にかわいいものです。しかし、それからはしだいに親から離れ、自立していく。もちろん、親の支えは、それからも必要ですが、かかわり方を変えていく必要があるのです。とくに小学校入学からは、人格をつくりあげていく時期に入ります。いわば「子ども」を「人間」にしていくと言ってもいいだろうか。
◆ ◇ ◆
子どもが大きくなるのは、本当に"あっという間"です。「またあとで」「いつの日か」と思っているうちに、子どもは大人になってしまう。その間に、どれだけ子どもに、かかわれるかが勝負です。

<結びに先生は、人材育成に尽くす学会の同志や、恩師への思いに言及しながら、「育つこと」「育てること」の意味を語ります>

学会の世界では、自分が命をそそいで育てた人の成長を見るのは、何よりもうれしいものだね。その姿だけで、苦労は十分、報われる。第一線の方々のご苦労は、私には、よく分かります。
私自身、戸田先生の大恩に報いるために、「自分が成長しよう!」「自分が力をつけ、先生の偉大さを世界に宣揚しよう!」という決意で進んできました。戸田先生は、今も私の中に生きている。戸田先生の慈愛は、今も私の五体をかけめぐっている。ありがたい師匠です。「育つ」ことが「恩に報いる」ことです。次元は違うかもしれないが、子どもが育ち、伸びゆくその姿自体が、親に対する報恩の姿だと、私は感じるのです。
◆ ◇ ◆
「子どもがいるからたいへんだ」と考えるか、「子どものおかげでいろんな経験ができる」ととらえるか、心ひとつで変わる。「苦しい気持ち」「つらい気持ち」ばかりで、子どもにふれあっていれば、それはそのまま子どもに伝わってしまう。子どもがかわいそうだし、自分も損です。
「この子を立派に育ててみせる!」という使命感、「この子のおかげで、自分も成長できる!」という感謝の心が、「親子のふれあい」をより豊かに、より喜び多きものにしていくのです。