広布に尽くす同志を
全力でたたえ励まそう!
じっくり話に耳を傾け
苦楽共に分かち合い
新たな決意で前進!
法華証明抄 P1586
『いかなる過去の宿習にてかかる身とは生るらむと悦びまいらせ候上の経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が法華経計りをば用いまいらせず候いけれども仏くやうの功徳莫大なりければ謗法の罪に依りて貧賎の身とは生れて候へども又此の経を信ずる人となれりと見へて候』
【通解】
どのような過去の宿習によって、このような末代悪世に法華経を信じる身として生まれることができたのかと喜んでおります。先にふれた法華経の経文にはこう説かれています。「過去に十万億の仏にお会いし供養した者が、法華経だけを用いたわけではないが、仏への供養の功徳が莫大だったので、謗法の罪によって貧しく賤しい身には生まれたけれども、またこの法華経を信ずる人になることができたのである」と。
名字の言 画面に映し出された「人の少ない渋谷のスクランブル交差点」 2022年4月6日
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、国内で初めて緊急事態宣言が出てから、あすで丸2年を迎える▼当時、日本テレビの藤井貴彦アナウンサーが、担当する夕方の報道番組を進行していた折のこと。緊急事態宣言下の「人の少ない渋谷のスクランブル交差点」が画面に映し出された。これを異様な光景とするか、あるべき光景とするか、単に「人がいません」と伝えるかを悩んだ▼結局、藤井さんは「今テレビを見ているみなさんのご協力で、人との接触が防げています」と伝えた。視聴者の顔は見えない。だからこそ、テレビの向こうの"誰か"を励ますことを選んだ。「相手を頭に思い浮かべた言葉こそが届くのだと信じています」(『伝える準備』ディスカヴァー・トゥエンティワン)▼長引くコロナ禍で、心に響く「豊かな言葉」が一段と求められている。SNSによるやりとりは増えたが、互いの顔が見えにくくもある。これまで以上に相手を思いやる姿勢を大切にしたい▼御書に「言と云うは、心の思いを響かして声を顕す」(新713・全563)と。相手の仕事や家庭の状況によっては、直接会えない場合もある。友の幸せを祈り抜き、その真心を言葉に乗せて、わが足元から励ましの輪を広げよう。
寸鉄 2022年4月6日
「水のごとくと申すは、いつもたいせず信ずる」御書。求道の信心で前へ(新1871・全1544)
どんな悩みも、祈りに変えよ—恩師。煩悩即菩提の仏法。題目は勝利の力
心を開く処方は真の友情以外にない—哲人ベーコン。自他共の幸福願う対話今日も
15日まで春の全国交通安全運動。飲酒運転を根絶。自転車も交通ルール順守
変化大きい新学期。子の様子に気配り。「頑張ったね」等、肯定的な声掛けを
☆四季の励まし 喜びの春風を届けよう 2022年3月27日
◇池田先生の言葉
春が来た!
寒風を乗り越えて、
春が来た!
春は喜びだ!
正しき信仰に生き抜く
私たちの生命は、
三世の諸仏の
護りと笑顔に、
春のごとく包まれている。
勇気を出して、
一人の友に会う。
相手の幸福を祈り、
誠実に、
情熱込めて語っていく。
その一人立つ挑戦が、
己心の壁を破り、
友の心を動かす。
自分から周囲へ、
わが家から近隣へ、
春風のごとく、
自然のうちに、
温かい声、明るい声、
力強い声を
広げゆくところに、
民衆の幸福と
平和の地盤が
出来上がっていくのだ。
何歳になっても、
新しい出会いを求め、
友人を
つくっていくことだ。
友が増えれば、
世界が広がる。
未来が広がる。
声は、人の心を動かし、
社会、世界を変えていく。
声をあげることから、
新しい一歩が始まる。
楽しくやろう。
肩肘張る必要はない。
心軽やかに、
どんどん人と会い、
信心の喜びと
確信を語ることだ。
そこに
自身の人間革命の修行も、
広宣流布の拡大も、
全部、含まれている。
私たちが
仏縁を結んだ分だけ、
人々の生命に具わる
仏の生命が呼び起こされ、
地域も輝きを増していく。
さあ、
勇んで打って出よう!
あの友、この友の心に、
希望と励ましの
春風を届けよう!
【写真説明】淡いピンクのサクラ、青いデルフィニウム……。色とりどりの花々が鮮やかに咲き薫る。暖かな陽気に誘われて、1羽のヒヨドリがやって来た。2020年(令和2年)3月の都内。池田大作先生が、その瞬間をカメラに収めた。
春本番の今この時を喜ぶかのように、花が舞い、小鳥は歌う。御書には「春の初めの御悦び、木に花のさくがごとく、山に草の生い出ずるがごとしと、我も人も悦び入って候」(新1929・全1585)と。
友情の花園も動き歩いた分だけ、爛漫と広がる。古き友人を大切にしながら、新しき出会いを求めて、足取り軽く、対話の季節を駆け抜けよう。
☆ONE GOSHO この一節とともに! 崇峻天皇御書(三種財宝御書)
◇輝く人間性で信頼を確立
春——新生活が始まり、新しい環境に身を置く人も多い。今回は、どのような場にあっても私たちが貫くべき「人の振る舞い」について学ぶ。
◇御文
『不軽菩薩の人を敬いしは、いかなることぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞ。』(新1597・全1174)
◇通解
不軽菩薩が人を敬ったことは、どのような意味があるのだろうか。教主釈尊の出世の本懐は、人の振る舞いを示すことにあったのである。
◇背景
本抄は、建治3年(1277年)9月11日、日蓮大聖人が身延の地から鎌倉の四条金吾に与えられたお手紙。別名を「三種財宝御書」という。
金吾は当時、主君の江間氏を折伏したために不興を買い、さらに同年6月の「桑ケ谷問答」で金吾が法座を乱したというデマによって、江間氏から"法華経の信心を捨てなければ所領を没収する"と迫られていた。しかし、金吾は不退転の信心を誓う。
その後、江間氏が病に倒れ、医術の心得のあった金吾が治療に当たることになった。本抄は、その報告に対する返信である。
この時、金吾は主君からの信頼を取り戻しつつあったが、同僚たちとの不和など、金吾を取り巻く環境の厳しさは変わらずに続いていた。大聖人は、金吾に対して事細かな注意を与えるなど、金吾が主君に仕える武士として勝利していくための要諦を教える。
◇解説
「不軽菩薩」とは、法華経常不軽菩薩品第20に登場する釈尊の過去世の姿である。不軽菩薩は、万人に具わる仏性を礼拝し、「私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり、慢ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです」と語り続けた。
しかし、その言葉を信じられない人々は、不軽菩薩を嘲り、迫害する。それでも不軽菩薩は、聡明に暴力をかわしながら、決して相手を軽んずることなく、礼拝行を貫く。この実践により、不軽菩薩は六根清浄(生命が浄化されること)の功徳を得て成仏する。さらに、迫害した人々も、後に再び不軽菩薩に巡り合い、教えを受けて救われるのである。
治療・看病を通して、主君からの信頼を回復した四条金吾であったが、その一方で、金吾を追い落とそうとする者たちは、表面では平静を装いながら、内心は嫉妬の炎を燃やしていた。
彼の命が脅かされる状況が変わらないことを案じた日蓮大聖人は、"決して一人にならないように""目立つ服装は控えなさい"など具体的に助言をし、細心の注意を払うよう指導される。そして、一時の感情に流されやすい金吾に、万人を敬い抜いた不軽菩薩の振る舞いこそが、法華経の真意であり、釈尊の「出世の本懐(この世に出現した根本の目的)」であったと結論する。
誰に対しても誠実な振る舞いを貫いていく——これは、職場や地域で奮闘する我々、男子部員にとっても、大切な心構えである。しかし、頭では分かっていても、「この人だけは……」と思ってしまうことも少なくない。
全ての人を敬っていくという"不軽菩薩の振る舞い"は、自身の小さな境涯を打ち破りゆく挑戦ともいえる。
本抄で大聖人は「蔵の財よりも身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり。この御文を御覧あらんよりは、心の財をつませ給うべし」(新1596・全1173)と仰せである。
物質的な財産〈蔵の財〉や、社会的地位・技術・健康〈身の財〉よりも、信仰によって培った心の豊かさや、いかなる試練にも負けない生命の強さ〈心の財〉こそ大切である、と。
縁する一人一人を大切にする中で、自身の人間性も磨かれ、信頼という勝利の証しが打ち立てられていくのだ。
大聖人の仰せを実践した金吾は後に、主君の信頼を確立。新たな所領を得ることになる。
池田先生は語る。
「この現実の社会のなかでこそ、皆が仏になっていくのだ。『仏法即職場』であり、『職場即仏法』である。そして、仏法は即『人の振る舞い』である。社会での信頼の広がりは即、仏法正義の確立となり、創価への共感の拡大となる」
どのような困難な環境でも、心の財を積み重ねてきた人は強い。自分らしく輝いていくことができる。混迷する時代だからこそ、今いる場所で周囲に光を送る振る舞いを心掛けたい。