誠実第一の対話が
友の「心の扉」を開く。
自分らしく爽やかに
友好の輪を広げよう!
さあ勇気の一歩を!
檀越某御返事 P1295
『雪山童子の跡ををひ不軽菩薩の身になり候はん、いたづらにやくびやうにやをかされ候はんずらむ、をいじににや死に候はんずらむあらあさましあさまし、願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度生死をはなれ候わばや』
【通解】
雪山童子の跡を継ぎ不軽菩薩のような身になりたいものである。このまま生き長らえてもいたづらに疫病にかかって倒れるか、または年老いて死んでしまうからである。嘆かわしいことである、嘆かわしいことである。願わくば法華経のために国主に憎まれて、今度・生死を離れたいものである。
名字の言 人類にとって最大の発見は「他者との出会い」 2022年4月3日
明治時代まで、「発見」と「発明」は同義語で用いられていた。現在は、「発見」は世の中に知られていなかったものを見つけ出すこと、「発明」は世の中に存在していなかったものを創り出すこと、と使い分けられている▼意味は異なっても、「発見」「発明」ともに、それを見つけ、創り出す労苦は共通する。特定の解釈やそれまでの経験などにとらわれず、自らの殻を破る。そのたゆまぬ探究心こそ、「発見」「発明」の原動力である▼ヨーロッパ科学芸術アカデミーのウンガー博士は、池田先生との対談で語った。人類にとって最大の発見は「他者との出会い」であると。それは"未知の自身"との出会いでもあり、結果として、自分という人間の幅を広げられる、とも▼ある壮年部員は、空虚な生活を送っていた青年時代に、友人から小説『人間革命』を贈呈された。書籍で「山本伸一」と出会った彼は、「こんな手応えのある人生を僕も送ってみたい」と入会。その後、良き友との出会いの輪を広げ、広布のリーダーに成長した▼自分自身の発見は、未来を発明する力を生み出す。春4月は、新たな出会いの好機。自分からあいさつを交わした分、語らいを重ねた分、人生は、より豊かになっていく。
寸鉄 2022年4月3日
御本尊に祈り抜けば20倍100倍の結果が出る—戸田先生。確信の祈りで勝て
東京・調布「総区の日」「総区女性部の日」30周年 正義の師子吼で新時代を
和歌山女性部の日。太陽の励ましで幸の連帯拡大 共に語らいの花を満開に
感染者が増加の傾向と。3密避けマスク、消毒、換気等の基本対策を再確認
公明党が若者の声を聞く「政策アンケート」開始。希望の未来へ総力挙げよ
☆大慈悲の心音 門下への便り 第1回 新尼
御書をひもとくと、門下一人一人へのお手紙が多いことに驚く。その便りには、灼熱の太陽のような広布への情熱がたぎっている。悪に対する烈々たる破折が轟き、師弟の信心を促す厳しさがある。そして、試練の冬に耐える弟子への、陽光のような励ましがある。新企画「大慈悲の心音 門下への便り」では、弟子たちへのお手紙を拝していく。
◇新尼
「日蓮は一閻浮提の内、日本国安房国東条郡に始めてこの正法を弘通し始めたり」(新1222・全906)
日蓮大聖人が御聖誕になり、正法流布への戦いを一人、開始された安房国(千葉県南部)。この地で大聖人に帰依した女性門下に、新尼と大尼がいます。
二人は、その呼び名から嫁・姑の関係にあったとされます(新尼が大尼の娘、または孫の嫁とする説もある)。
新尼は大聖人の佐渡流罪中も、身延入山後も、純粋な信心を貫き、たびたび御供養の品を届けました。大聖人は新尼の強盛な志をたたえ、御本尊を授与されています。
一方、大尼は安房国東条郡内の領家(荘園領主)であったと考えられ、大聖人のご両親を何らかの形で援助していたと思われます。ところが、大尼の信心は「いつわりおろか」でした。世間の風評や体裁に紛動され、ある時は信じ、ある時は破るといった中途半端な信心の大尼を、大聖人は粘り強く指導されています。
新尼が大聖人から頂いたお手紙で、現在まで伝わっているのは「新尼御前御返事」の一編のみ。そこには、御本尊についての深い法理が認められており、新尼が仏法を理解する素養があり、求道心のある女性であったことがうかがえます。また、新尼の不動の信心を信頼されていたのか、新尼への言及は少なく、大尼への配慮が随所に見られます。
◇父母をすくわんがため
『古郷のこと、はるかに思いわすれて候いつるに、今このあまのりを見候いて、よしなき心おもいいでて、うくつらし。(中略)我が父母かわらせ給いけんと、かたちがえなるうらめしさ、なみだおさえがたし。』(新尼御前御返事、新1220・全904)
どんな人にも、故郷があります。その故郷を思う時、心にはどんな景色が広がるでしょう。
幼い頃の思い出。懐かしい友の顔。青春の誓い。父母の姿……。
文永12年(1275年)2月、身延の大聖人のもとに、海の幸「甘海苔」が届けられました。故郷・安房国の新尼らからの御供養です。
前年(文永11年)5月、大聖人は身延へ入山されました。生まれ育った海辺の風土とは全く異なる山中での御様子が「新尼御前御返事」につづられています。そこへ届いた甘海苔から、広がっていく懐かしい故郷への思い。
大聖人は文永年間の初め、安房国に戻られ、母を見舞い、更賜寿命を御祈念されています。しかし、その後は法難の連続で、故郷に帰られることはありませんでした。
故郷の甘海苔は、かつて味わった時と変わらないのに、すでに父も母も世を去ってしまい、涙を堪えがたい——。父母を思い、故郷を思う大聖人の言葉が胸に染み入ります。
「父母の家を出でて出家の身となるは、必ず父母をすくわんがため」(新58・全192)。父母をはじめ、市井に生きる一人一人の幸せのためにこそ、仏法はあります。
◇生涯、広布に戦う信心を
『さどの国と申し、この国と申し、度々の御志ありて、たゆむけしきはみえさせ給わねば、御本尊はわたしまいらせて候なり。それも終にはいかんがとおそれ思うこと、薄氷をふみ、太刀に向かうがごとし。』(新尼御前御返事、新1223・全907)
苦難が人を鍛え、迫害がその人の真価を明らかにする——。
池田先生は記しています。「人の一念はまことに微妙であり、ある意味でタッチの差ほどの違いが、大きな人生の分かれ目となる場合もあります」と。
「竜の口の法難」後、門下へも大弾圧が続き、「千が九百九十九人は堕ちて候」(新1223・全907)といわれるほど、退転者が続出しました。その時、信心を翻した大尼に対して、新尼は堅固な信心を貫きます。師を求め、佐渡へ身延へと御供養を届けたのです。
その上で大聖人は、信心がたゆむ様子の見えない新尼に、「この先はどうであろうかと思うと、薄い氷を踏み、太刀に向かうようである」と、あえて厳しく仰せになっています。"生涯、広宣流布に戦い抜く信心を!"との厳愛の鼓動が伝わってくるようです。
池田先生は新尼の生涯を通して語っています。
「大事なのは、年齢ではない。立場でもない。信心が強いかどうかである」「何があろうとも、だれがどうあろうとも、一生涯、断固として信心を貫き、創価に生き抜いて、わが誓いと使命を果たしきっていただきたい」
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第24回 真の健康・長寿とは
人生と社会の大道を進みゆく壮年部にとって、真の健康・長寿の生き方とは——壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を紹介します(指導集123ページから125ページを抜粋)。
〈つねに「さあ、これからだ」〉
人生の年輪を重ねるごとに、心がいよいよ若さを増していく。つねに「さあ、これからだ」と力強く前進する。
これが真の「健康」です。本当の「長寿」です。広宣流布のために生きぬこうという人は、必ずそうなれるのです。そのための信心です。
(『池田大作全集』第30巻、「法華経の智慧」)
〈人のために戦い続ける一念〉
「健康」とは何か。その結論は「菩薩の生命」です。人のために戦い続ける一念——それが真の「健康」だと私は思う。ただ"健康食品"を食べ、自分のことだけ考えて、安楽な暮らしを願う——それが健康だとは思わない。
「健康」を象徴する薬王(=菩薩)は、信念に「殉教」した菩薩であった。「戦う生命」それが「健康な生命」です。
(『池田大作全集』第31巻、「法華経の智慧」)
〈人びとに尽くすための寿命〉
御書には、法華経を引かれて、「長寿を以て衆生を度せん」とある。
「長寿」とは、根本的には、法華経の如来寿量品で明かされた「如来の長遠の寿命」のことである。法華経を行ずる人には、わが胸中に「永遠なる仏の生命」がわいてくる。
「更賜寿命(更に寿命を賜う)」といって、生命力が強くなり、寿命を延ばすこともできる。
しかも、菩薩は、自分のためだけに長生きしようとするのではない。みずからの経験や、慈悲と一体の知恵を生かして、いよいよ人々に存分に尽くすために、長生きしようというのである。微妙にして、しかも重大な一念の違いである。
(『池田大作全集』第87巻、「全国代表研修会」でのスピーチ)
〈「どう生きたか」「何をしたか」〉
御聖訓に「人久しといえども百年には過ず」(全1386・新1993)とあったが、その通りです。「ここにいる人は、百年たったら皆いなくなるんだよ」と、戸田先生もよくおっしゃっていた。
この世は「一睡の夢」です。長命だ、短命だと言っても、永遠から見れば、なんの差もない。寿命の長短ではありません。どう生きたかです。何をしたかです。どう自分の境涯を変えたのか。どれだけ人々を幸福にしたのか、です。
今世で仏の境涯を開き、固めた人は、それが永遠に続く。この一生で「永遠」が決まるのです。それが一生成仏です。
(『池田大作全集』第30巻、「法華経の智慧」)