近隣を大切に!
「足下に泉あり」だ。
平和と広布の起点も
今いる地域にこそある。
友好の輪を「私」から!
法華初心成仏抄 P552
『当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき』
【通解】
当世の人は、何はなくても法華経に背く失によって地獄に堕ちることは疑いないのである。
名字の言 「応援団の父より」 2022年4月16日
ある女性部員の体験を聞き、胸が熱くなった。かつて自然災害で夫を失い、悲嘆に沈んでいた時、どれほどの人に支えられたか▼地域の友が何度も、温かい手料理を持って来てくれた。「作り過ぎちゃったから」「味見してほしくてね」……。気遣いの一言一言からも、温かさがじわっと伝わってきた。遠い故郷の父は頻繁にハガキを送ってくれた。書かれていたのは"頑張れ"と促す内容ではなく、日常のささいな出来事ばかり。でも結びには必ず「応援団の父より」。気恥ずかしかったが、うれしかった▼"皆が私の蘇生を信じ、待ってくれている"。彼女は少しずつ笑顔を取り戻し、やがて広布の活動に励めるように。「自分が涙した以上に人を笑顔にしたい」と▼日蓮大聖人は門下に「お会いした上でなければ言い尽くせません」(新1496・全1099、通解)とつづり、対面で語り合うことを大切にされた。一方で、会えない人には「お顔を見たからといって、それが何でしょう。心こそが大切なのですよ」(新1746・全1316、通解)と慈愛で包まれた▼どんな形でも、離れていても、人はつながり合える。そして一緒に前に進むことができる。祈りと真心を込めた声、言葉を送り続けることで。
寸鉄 2022年4月16日
御書「妙の一字の智剣をもって」。どんな宿命や苦難にも絶対勝利の祈りで
創価の女性は希望の太陽 友の心に励ましの旭光を 充実の総会から5・3へ
教学を身に付けないと信心は進まない—戸田先生 青年よ行学の両輪で進め
小中学生3割「鬱症状でも相談せず」—調査。新学期、小さな変化見逃さず
感染禍でAED使用率が低下と。いざという時のため心構えと確認を再度
〈社説〉 2022・4・16 歴史的な第1回「女性部総会」
◇希望の世紀へ 誓いの連帯
今、歴史的な第1回「女性部総会」が、列島の津々浦々で朗らかに開催されている。
女性部総会を目指し、手紙やチラシを携えて訪問・激励に歩く同志。"参加者を少しでも明るく迎えたい"と、設営に汗を流すメンバー。弘教や聖教の拡大に挑んで迎えた友——世界に疫病や戦乱の危機が起こり、苦難が続く社会にあって、一人一人の挑戦のドラマと桜梅桃李の輝く笑顔は、温かな安心の光で地域を照らしている。
池田先生は一貫して、「21世紀は女性の世紀」と訴えてきた。21世紀が開幕し、20年が経過した昨年5月3日に女性部は発足。11月18日には女子部も一体となり、新たな歩みを開始した。
米エマソン協会のサーラ・ワイダー元会長は、かつて語っていた。「創価学会の女性たちに無限の希望を抱いております。とりわけ、女性たちの助け合い、励まし合いに満ちた姿は印象的です」
女性部の誕生から1年。婦人部・女子部の70年の歴史を昇華し、これまで以上に幅広い世代で、希望と励ましを送り合ってきた。華陽カレッジや創春ミーティングも開催され、各地で人材の裾野が大きく広がっている。
兵庫のある地区の女性部総会には、20代の池田華陽会から80代の"多宝世代"が、にぎやかに集い合った。司会は入会3年目のグループ長が爽やかに。入会1年目の池田華陽会の友らが手話で歌を披露するなど、新たな人材が躍動。都合がつかず、集えなかった同志は、決意をメモに記して"参加"するなど、"皆が主役"の総会となった。大成功の陰には、地区女性部長と先輩たちのこまやかな訪問・激励の積み重ねがあった。
池田先生は女性部の誕生を祝して、「安心して、いよいよ明るく誇り高く、いよいよ仲良く朗らかに、世界第一の『桜梅桃李』のスクラムを組んで、『女性の希望の世紀』すなわち『生命尊厳と平等そして平和の世紀』を創り光らせていってください」と、最大の期待を寄せている。
"世紀"という大きな単位で未来を展望する時、10代から100歳以上に及ぶ女性のスクラムの存在は、ますます輝きを放つことだろう。地球の平和と安穏を祈り、足元から信頼の対話を広げる女性部の奮闘に、深く敬意を表するとともに、各地の女性部総会の大成功へ、真心のエールを送りたい。
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第20回 名古屋
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「名古屋——『生きる喜び』は『出会う喜び』」〈2013年4月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。池田先生は、一人一人を温かく励まし、皆の長所を伸ばしながら人材の裾野を広げてきた中部の同志を心からたたえる。中部の挑戦に学び、旧交を温めながら、新たな出会いを結び、平和と希望と歓喜の春を広げたい。
◇平和と希望と歓喜の春を
桜花
くる年くる春
笑顔舞
笑顔は春を呼ぶ。春は笑顔を広げる。
それは共に、厳冬の試練を勝ち越えゆく命の喜びと言ってよいでしょう。
「春風に 吹き出し笑ふ 花も哉」
「俳聖」と仰がれた松尾芭蕉が、若き日、故郷である伊賀(三重県)で詠んだものとされます。
笑顔がはじけるように咲き開く花を待ちわび、愛おしむ心が伝わってきます。
芭蕉によって確立された「蕉風」と呼ばれる俳句の新たな作風の発祥地は、まさに名古屋です。
思えば、二千四百キロとも言われる「おくのほそ道」の旅で、芭蕉が東北や北陸を歩き、旅の終点に選んだのは、岐阜の大垣でした。
三重、愛知、岐阜——私も大好きな中部は、「芸どころ」名古屋をはじめ、命と命の出会いの喜びが満つる天地でもあります。
芭蕉は、故郷の若き友との久方ぶりの再会の春を喜び、こう詠みました。
「命二ッの 中に生たる 桜哉」
深き縁の二人の命の前には、心と心を通わせる桜が爛漫と咲き薫っている——と。
芭蕉が、この後継の友に強調したのは、人情を知り、よき友人を作ることです。わだかまりにとらわれず、かたくなに人を区別せず、大きな心で広々と交流することです。
よき出会いを重ね、励まし合いながら、風雪を乗り越えゆく人生は、桜花のごとく明るい笑顔の花に彩られます。
◇どんな苦難も
〈織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。名だたる英雄たちを生んだ中部。池田先生は、独創的な地理学者であった先師・牧口常三郎先生の"現代においても中部から偉大な人材が躍り出て、偉大な事業を成し遂げていくべきである"との洞察を紹介する。そして、各地に記録的な被害をもたらした「伊勢湾台風」から立ち上がった中部の同志をたたえた〉
戸田先生と私は、中部の友に「堅塁」という指標を贈りました。
中部には、どんな試練にも揺るがない「堅固」な信念があります。どんな苦難をも耐え抜く「堅忍」の心があります。どんな変化にも勝ち抜く「堅実」の知恵があります。
一九五九年の九月。あの「伊勢湾台風」を忘れることはできません。
私は至急、東京や関西、全国の友と連携を取り、救援の態勢を整え、私自身も台風の直後に、被害が甚大であった名古屋南部や三重の四日市市、桑名市、川越町に向かいました。地元の方と一緒に、泥水のなか、救援物資をボートに積んで各所を回るなど、友を励ましていったのです。
その際、皆で命に刻みつけたことがあります。
——家が壊され、家財が流され、どれほど大変でも、心が壊されなければ、必ず復興できる。今こそ団結しよう。この災難を乗り越えた中部は必ず大発展するのだ、と。
苦楽を共にしてきた中部の今日の大発展ほど、嬉しいものはありません。
◇自分らしく
〈さらに池田先生は、夫と共に中部各地を駆けた一人の女性が友への激励の際に心掛けてきたことに触れつつ、自分らしく輝く人生に光を当てる〉
伊勢湾台風の際に、私と一緒に救援活動に奔走してくれた地域のリーダーの夫妻がいます。
もともと、夫人は幼少から虚弱体質で、引っ込み思案でした。人前で話すのが苦手なこともあり、初めは地域を担う責任を重く感じて悩んだようです。
私は「自分らしく振る舞えばいいんです。そこに自信が生まれます」とアドバイスし、「自信」と揮毫した色紙を贈らせていただいたことがあります。そして、負けないで自分らしく挑戦を続けるなかで、自らを人間革命していったのです。
この夫人が、友と接する時に心がけてきたことを伺い、私は感心しました。それは——
�まず自分の生命力を強く豊かにする。�相手の気持ちになって、悩みや言いたいことを粘り強く聞く。�自分で立ち上がる力を引き出せるよう励ます。�問題が解決するまで励まし続ける、ということです。
目立たなくてもよい。ただただ、人知れず、真剣に真面目に生き抜いている友人を大切にし、共に歩んでいきたいと願ってきました。
夫人は「志を同じくする多くの友を得ることができたことが、一番嬉しい」と語っています。
後輩の女性の皆さんも、人々を照らす太陽となって、それぞれの、わが町や地域に貢献されています。
〈結びに池田先生は、心を通わせて、仲良く前進しゆく中部の友に期待を寄せた〉
「なごや」の地名は、気候などが穏やかで過ごしやすい「なごやか」に由来するともされます。それは、和やかな、人の「和」も連想させます。
私の敬愛する友人であり、アメリカの著名な宗教学者であるニコラス・ガイヤ名誉教授(アイダホ大学)は、かつて桜の咲く頃、名古屋を訪れました。そこでコーラスを練習する婦人たちと出会い、大きな触発を受けたといいます。
「中部の婦人たちが、自らの心を、外に向かって明るく表現していたこと、それも、単に個人の表現にとどまらず、コーラスというグループの形で表現していたことに、素晴らしさを感じました。歓喜の表現を通して、この婦人たちが、『魂の中に幸福を創造する運動』に献身しているのだということが理解できました」と。
弾む歌声は、なんと瞬時に、なんと深く、生命と生命を結び合うものでしょうか。
私と中部の友たちが心を合わせてきた歌の一節に、こうあります。
「この道歩まん 朗らかに」
「苦難の彼方に 瑠璃の城」
愛する中部の天地では、今日も元気に、快活な歌声が響いていることでしょう。
そして、その友情のスクラムから、なごやかな平和と希望と歓喜の春が生まれています。
今までと
また新しき
人もまた
共に仲良く
中部の家族と