「釈尊の出世の本懐は
人の振る舞い」御聖訓。
家庭・地域・職場等で
皆のために行動しよう!
そこに信頼が生まれる。
(新1597・全1174)
松野殿御返事 P1389
『五の巻には我が末世末法に入つて法華経の行者有るべし、其の時其の国に持戒破戒等の無量無辺の僧等集りて国主に讒言して流し失ふべしと説かれたり、然るにかかる経文かたがた符合し候畢んぬ未来に仏に成り候はん事疑いなく覚え候』
【通解】
法華経の第五の巻(の勧持品)には、「私(釈迦仏)の滅後の末法に入って、法華経の行者が現れるであろう。その時、その国に、戒を持った僧、戒を破った僧など、無数の僧たちが集まって、国主に讒言して、法華経の行者を流罪にし、亡き者にしようとする」と説かれています。こうした経文がことごとく、日蓮の身に符合しました。未来に仏になることは疑いないと確信しています。
名字の言 "いかなる苦難も自身を鍛える肥やしにできる" 2022年4月7日
ある地区の座談会に、80代の多宝会の婦人と40代の未入会の息子が母子で参加した。途中、発言を促された息子は、最近、家業を畳んだことを口にした。経営努力の不足以上に、不条理な環境に翻弄されて辞めざるを得なかったとの無念さが、硬い表情と強い語気に表れていた▼数日後、息子から「認知症の母の姿が見当たらない」と地区の友に連絡があった。"厳寒の屋外で何かあっては大変だ"と、同志は総出で捜し回った。母は見つかり、大事に至らなかった。息子は安堵の面持ちで、創価家族の深い真心に感謝を述べた▼耐えがたい苦境に立たされた時、人はわが身のふがいなさを痛烈に思い知る。原因や責任を他に求めてしまう場合もある▼だが一方で、その時に同苦し、支える人が周囲にいれば、心に希望の光が差し込み、感謝の気持ちが芽生える。試練を単なる苦しみで終わらせず、新たな価値創造への転機にできるものである▼この出来事がきっかけとなり、後日、息子は進んで入会し、母と共に力強い人生を歩みだした。創価の励まし運動は、縁する全ての人々に"いかなる苦難も自身を鍛える肥やしにできる"と勇気を送る。励まされた人は、自他共の幸福を築く主体者へ成長していく。
寸鉄 2022年4月7日
信心は形式ではない。命を打ち込んで祈り抜け—恩師。師子吼の題目で!
山梨女性部の日。誠実の対話で希望の花園を拡大 平和の連帯をわが郷土に
世界保健デー。奮闘するドクター部・白樺の友に大感謝。皆で健康を祈念
心身に不調来す"春バテ"増加と。寒暖差も因に。程よい運動等で賢く予防
電子レンジの火災多発。誤使用や加熱しすぎなどで。家族で説明書を確認
〈社説〉 2022・4・7 きょうWHO「世界保健デー」
◇人間交流こそ"健康"の活力
90歳近くになる男性が、朝起きるのが大変で、昼間も寝ていることが多くなった。認知症も少しずつ進んでいく。ある時、以前は嫌がった介護施設に、家族が試しに連れて行った。すると次に行く日を楽しみにするようになっただけでなく、「みんなに会うから、ちゃんとしないと」と言ってひげをそり、身なりも整えて、施設の迎えを待つように。このおじいさんが元気になるために必要だったのは薬だけでなく「人との交わり」だった——。米・ハーバード大学公衆衛生大学院のイチロー・カワチ教授が著書『命の格差は止められるか』(小学館)で紹介している。
健康に生活するうえで「人間関係」「交流」の重要性を物語るエピソードだ。本紙で連載中の「青年部と医学者による会議」でも、繰り返し強調されている。
きょう7日は、世界保健デーである。WHO(世界保健機関)憲章が効力を発した日として、定められたもの。WHOは毎年この日に合わせ、テーマを発表している。本年は、「私たちの地球、私たちの健康」。
2年以上にわたるコロナ禍、そして気候変動や武力紛争など、生命や健康が脅かされる混迷の時代である。人々が健康を求め、幸せな暮らしを願う気持ちは、より一層強くなっている。
では、「健康」とはどういう状態か。改めて確認すると、WHOが示す定義が興味深い。
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます」(日本WHO協会訳)
誰しも病気になることがある。その時、"心が負けない"ことこそ肝要ではないだろうか。まさに全国各地の創価学会の同志の姿であり、本紙の信仰体験のページで、病と闘う友が語る言葉でもある。
池田先生は、本年のSGI提言のなかで「いかなる試練も共に乗り越え、"生きる喜び"を分かち合える社会を築くことが、まさに求められている」と訴えた。
病だけでなく、経済的苦境や人間関係の悩みなど、人生の途上に起こる困難に挑む友と、励まし合いながら乗り越える——。こうした生き生きとした人間交流こそ、"真の健康"を築く活力となることを銘記しながら、創造的人生を歩んでいきたい。
☆新たな広布の勝利山へ 心広やかに創価桜の道を! 2022年3月29日
我らの師・戸田城聖先生の祥月命日を前に、わが胸に蘇る音声がある。
それは1955年(昭和30年)、東北放送のラジオのインタビューに答えて語られた恩師の言葉である。
「共に手をつないで、絶対的な幸福の境涯に行こうじゃないかというのが、我々の目的なんです」と。
私も、録音の場に、一人、同席させていただいた。
この師匠の心を心として私たちは苦しみ悩む民衆の大地に飛び込み、「冬は必ず春となる」という幸の創価桜の道を開いてきた。
今年も、恩師のお好きだった桜の開花前線が、南は沖縄・九州から北は北海道まで日本列島を染め上げる中、4月2日から5月3日へ、我らは地涌の生命力でいやまして前進するのだ。
* *
思えば、本年3月は、戸田先生が初の東北指導に赴かれてから70周年となる。
あの「二月闘争」の翌月であり、当時、蒲田支部と共に、全国の拡大を牽引したのが、仙台支部であったのだ。
先生は折々に「仙台支部に学べ!」と語り、発展の要因を三点にわたって宣揚された。
一、入会した友に学会精神が染み込んでいる。
一、リーダーが絶対の確信に立っている。
一、組織で聖教新聞を上手に使いこなしている。
これは、あの「3・11」の未曽有の試練の中でも、不二の宝友が発揮してきた負けじ魂の底力である。
今月、東日本大震災から「福光11年」を迎えた。先日も激しい地震に見舞われ、心労は絶えないけれども、地涌の旗頭たる東北同志の金剛不壊の絆は、多くの学識者からも"希望のモデル"と注目される。
混迷を深める時代にあって、私は恩師と不二の心で、声を大にして叫びたい。「我らの東北に学べ!」と。
* *
今月、頼もしき男子部大学校の入卒式が意気高く開催された。
第1回「華陽カレッジ」の様子も、妻と共に嬉しく伺っている。
学生部、未来部の成長も、目を見張るばかりだ。
同世代の友とスクラム固く励まし合い、学会活動に駆けゆく一日一日が、どれほど尊いか。全てが「今生人界の思い出」となり、福智となって、わが身を飾る。
日蓮大聖人は、末法の時代相を、災害が打ち続く中で「広き心もせばくなり、道心ある人も邪見になる」(新1492・全1095)と喝破され、それゆえに争いが尽きないと憂慮された。
この人々の心を、妙法の力で広やかに解き放ち、正しき生命尊厳の法理で結び合わせていくのが、広宣流布であり、立正安国である。
「幾千年の平和の大計を立て、大聖人の御恩に報じ、民衆の万年の幸福を確立することこそ、創価の使命である」と、恩師は宣言された。
遠大な未来を見据えつつ、地球民族の安穏を一段と強盛に祈り抜き、草の根の連帯を強く賢く麗しく築き広げていきたい。
☆対話のツボ 【問い】忙しい時も、学会活動に参加すべきでしょうか?
新年度を迎えると、新たな仕事を任されるなど、急に忙しくなる人もいます。目の前の仕事を頑張っているからこそ、思うように学会の会合に参加できない日もあるかもしれません。
しかし、忙しさから会合などに参加できなかったとしても、必ずしも信心をおろそかにしているわけではありません。日蓮大聖人は「御みやづかいを法華経とおぼしめせ」(新1719・全1295)と仰せです。信心を根本とするならば、職場や家庭など、私たちが生活する場所は、そのまま、仏法の偉大さを発揮する、仏道修行の場所となるのです。
また、多忙な中でも、信心の挑戦を続けるならば、人間革命の前進が止まることはありません。
ある男子部のメンバーは、仕事で不規則な生活が続いていました。学会活動に参加できない日々にもんもんとしましたが、題目を唱える中で、"やれることはある"と決意。オンラインなどを活用しながら、時間をこじ開けて広布の戦いに挑みました。
祈りながら、試行錯誤を繰り返していくと、今まで以上に仕事の効率も上がり、周囲にも働きぶりが認められ、昇給を勝ち取ることができたといいます。
池田先生は「時間をつくろう、動こう、友に会おう、と必死に努力することは、そのまま仏道修行です。その一念が人間革命に繋がり、自身の境涯を変革していくからです」とつづっています。
忙しい時こそ、信心で自分を磨いていくことができるのです。