本紙創刊記念日——。
聖教を支えてくださる
全ての皆様に感謝!
混迷の時代を照らす
希望の言論を共々に!
如説修行抄 P504
『一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるともゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ』
【通解】
一生は、つかの間に過ぎてしまうのだから、いかに(三類の)強敵が重なろうとも、決して退する心があってはならない。恐れる心があってはならない。
【先生の指導から】
広宣流布の前進には、さまざまな試練がある。三類の強敵が次々と襲ってくる。越えなければならない山が、いくつもある。
しかし、広布のための労苦は、すべて大福徳に変わる。全部、「自分自身のため」である。しかも、友情を広げ、仏縁を結んだ人は、三世にわたって自身の眷属となっていくのである。
一生は、つかの間であり、生命は、三世である。今の苦労は、三世永遠の幸福のためであることを、危く深く、確信していただきたい。
ゆえに、どれほどの困難にぶつかろうと、退いてはならない。恐れてはならない。もしも、退いたり、恐れたりすれば、自分が損をする。
自分のため、未来のために、退くな!恐れるな!信心を、全うせよ!─こう、大聖人は、教えてくださっているのである。
名字の言 信仰者が兼ね備えるべき"二つの言語" 2022年4月20日
ある女性部員から子育ての悩みを聞いた。地元会館で行われている教育本部の「未来部育成相談室」を紹介すると、早速、訪れたとのこと。後日、女性部員から「相談に行って、本当に良かった」と連絡があった▼相談の中で担当者は母子を優しく励ましたという。「よく来てくださいました。勇気が要ったでしょう。でもその勇気を出せたのだから、もう大丈夫です」。無論、専門的な助言も重要だ。その上で、こうした慈愛に満ちた"言葉"こそ、教育者には必要なものであろう▼中国思想研究の大家であるドゥ・ウェイミン博士は、池田先生との対談で、信仰のリーダーが兼ね備えるべき"二つの言語"に言及した。それは「自分たちの宗教の言語」と「世界市民の言語」である、と▼その二つを先生は、�信心指導や励ましといった「同じ信仰を持つ人々を結びつける言葉」�開かれた心であらゆる人々と対話を交わす「世界市民としての言葉」と解釈し、その重要性を強調した▼キャッチコピー「言葉と、生きていく。」を標榜する聖教新聞は、きょうで創刊71周年を刻む。今後も"言葉の力"で、人類を世界を、正しき平和の未来へリードする深い決意で、日々の紙面制作に取り組んでいきたい。
寸鉄 2022年4月20日
人間革命とは常に前進し自他共の幸福築くこと—恩師。誓願の道を一筋に
「その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」御書。使命の宝土で輝け(新1953・全1467)
人と繋がる学会員の対話こそ平和建設の力—識者 心を結ぶ努力を惜しまず
高齢者の意思疎通の減少深刻—医師。充実の幸齢社会へ温かな地域の絆を
SNSで闇バイト横行。軽い心で人生は破滅。声を掛け合い未来の宝守れ
〈社説〉 2022・4・20 「聖教新聞」が創刊71周年
◇未来を指し示す希望の羅針盤
聖教新聞を開くことから朝が始まる。今では、スマートフォンを片手に電子版を読むことから——そんな人も少なくないだろう。
「人間の機関紙」たる聖教新聞はきょう、創刊71周年を迎えた。本紙を支えてくださる読者の皆さま、全ての関係者の方々に心からの感謝をささげたい。
本紙が産声を上げたのは1951年(昭和26年)4月20日。戸田先生が第2代会長に就任するわずか2週間ほど前のことである。
最初は10日に1度(旬刊)の2ページ建て、部数は5000部。創刊号には、模範の支部を紹介する記事が「聖火鶴見に炎上」の見出しとともに載った。
横浜の鶴見は、師の仕事を支えるために孤軍奮闘する池田先生がその頃、幾度も訪れていた地。若き弟子は激務の合間を縫うように友を励まし、広布拡大の勢いを加速させていった。
当時の鶴見支部を知る女性は、"新来者を池田青年に会わせるという戦いで、どんどん新入会者が増えた"と回想している。
師弟不二の激闘で全てを勝ち越えつつ、拡大の炎を燃え上がらせて創刊された広布の言論紙——それが聖教新聞なのである。
であればこそ、創価三代の師匠が貫いてきた仏法の精神と、平和・文化・教育の人間主義を発信していく聖教の責務は、時代がどれほど変化しようとも変わらない。
信仰の喜びを伝える体験談や、コロナ禍の中で始まった企画「危機の時代を生きる」はさらに多彩になり、好評を博している。自然災害の被災者や、介護を行う人に寄り添うページ、SDGs特集などにも大きな反響が寄せられる。
聖教電子版へのアクセスの広がりは212カ国・地域になった。"世界中の人々に読んでほしい"——戸田先生の願いが、文字通り現実のものになっている。
ジャーナリストとして長年活躍した、ブラジル文学アカデミーのアタイデ元総裁は述べた。
「新聞は毎日、また常に、民衆の光輝ある力のために、現在と未来の間に立って、歴史の行進を先取りする。そして世界の地平線へ、鋭きまなざしを広げていく」
聖教は読者の皆さまの声を追い風としながら、着実に前進する。
そして、混迷する世界にあって、平和と正義の旗を高く掲げ、未来を指し示す羅針盤となる希望のメッセージを発信することを誓う。
☆四季の励まし 君自身の花を咲かせよう 2022年4月10日
◇池田先生の言葉
自分自身が、
かけがえのない、
尊貴な、美しい
生命の花を持っている。
自分にしか
咲かせることのできない、
最高に大切な使命の花を、
晴れがましく
咲かせ切っていくことが、
そのまま
「人間革命」の実証となる。
仏法では
「桜梅桃李」と説いている。
桜には桜の美しさがある。
梅には梅の香りがある。
桃には桃の彩りがある。
李には李の味わいがある。
人それぞれに
使命があり、個性があり、
生き方がある。
「自分なんか
もう駄目だ」と
思うような瀬戸際の時が
諸君にもあるに違いない。
実は、その時こそが、
自身の新しい可能性を開く
チャンスなのである。
人生の勝利と敗北、
幸福と不幸、
その分かれ目が、
ここにある。
挑戦すべきは、
人に対してではない。
自分自身に対してだ。
自分の弱さに対してだ。
そして、
自分に勝っていくんだ。
焦らずに、自分を磨き、
君自身の使命に
生き抜いていくんだ。
希望は、
与えられるものではない。
絶望の底からも、
自ら生み出せるものだ。
不屈の祈りで、
創り出すものだ。
何があっても、
カラッと明るく、
前へ、前へ!
前進することが
重要である。
明るいことが
幸福である。
過去がどうであろうが、
人がどう言おうが、
未来へ向かって
朗らかに生き抜くことだ。
その人が
真実の勝利者なのである。
【写真説明】陽光を浴びた桜が、青空に映える。どの花びらも、まばゆい輝きを放っていた。池田大作先生が先月、都内でシャッターを切った。
御聖訓には「さくらはおもしろき物、木の中よりさきいず」(新2037・全1492)と。ごつごつとした木からも美しい桜が咲くように、信心に励むことで、誰もが「仏界」という尊極の生命の花を、満開に咲かせることができると教えられている。
新年度が始まり、職場や学校など、新たな環境へ踏み出した友も多い。新しい出会いは、新しい自分をつくるチャンスである。わが舞台で友情の輪を広げ、自分にしかない使命の花を咲かせよう。