2022年4月30日土曜日

2022.04.30 わが友に贈る

一つの縁を大切に。
旧友も新しい友も
真心によって絆は強まる。
笑顔と誠実の振る舞いで
温かな交流を広げよう!

南条兵衛七郎殿御書 P1498
『二心ましまし人の聞にはばかりなんどだにも候はばよも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ』

【通解】
二心が残っていて、人の風聞に心が揺らぐようなことがあるならば、よもや日蓮の弟子であると言ったとしても、受け入れられないであろう。

名字の言 読書を「旅」に例えると、書店は? 2022年4月30日
「こどもの読書週間」が23日から始まった(5月12日まで)。今年の標語「ひとみキラキラ 本にどきどき」には"輝く瞳や本を好きな気持ちをずっと持っていてほしい"との願いが込められている▼長引くコロナ禍は子どもの読書量に変化を与えているようだ。昨年の学校読書調査によると、5月の1カ月間の平均読書冊数は、小・中学生が過去31年間で最多になった。タブレット端末の配布で電子書籍に親しむ子どもが増え、ステイホームで読書の時間もできたからだろう▼タブレット端末でも手軽に本が選べる時代だが、随筆家の若松英輔氏は、読書の楽しみ方として、「書店」の魅力を訴える▼インターネットは目的の本を買うのに適している。一方、書棚にいろんなジャンルの本が並ぶ書店に行けば、目的の本という「決まった場所」ではなく、「思いもよらなかった場所」への切符を手にすることができる。読書を「旅」に例えると、書店は「駅」である、と(『本を読めなくなった人のための読書論』亜紀書房)▼大型連休に、家族で書店に立ち寄るのもいい。もちろん電子書籍でも構わない。良書と共に、わが子と有意義な"旅"へ! 子どもの心を育み、瞳の輝きを守るのは、大人の使命である。

寸鉄 2022年4月30日
人類社会結ぶ創価の連帯に敬意—元国連上級代表 世界同時の民衆の大行進
広宣流布は常にリーダー率先なり。自身の行動で歓喜のうねりを同志へ!
未来に仏果を成就せんこと疑いあるべからず—御書。苦労は全て幸の因に(新1775・全1337)
各地で人流の増加に警戒高まる。マスク・手洗い・密の回避など対策緩めず
昼夜の寒暖差大。羽織れる衣類を持つ等、外出時も工夫を。健康こそ第一

〈社説〉2022・4・30 きょう「図書館記念日」
◇「知の宝石箱」で素敵な出あいを
タレント・彦摩呂さんのおなじみのフレーズを借りれば、「知の宝石箱や!」と表現できようか。
図書館。そこには、人類が積み重ねた英知がある。国境も、時空も超えた世界がある。時に、人生さえ左右する出あいがある。
4月30日は「図書館記念日」。図書館法が公布された1950年(昭和25年)の同日にちなみ設定された。
インターネットや電子機器の発達で、現代社会では"リアル本"に触れずとも著作物にアクセスすることが容易になった。一方、文部科学省の直近調査(社会教育調査、2018年度)では、全国の図書館数は、16年間で2割以上増えて3360に。登録者は前回(3年前)の同調査から7・7%増加し、3379万人だ。少子高齢化の進行を考慮すれば、"リアル本"の需要は高まっているとも言えまいか。
図書館自体も近年、居心地にこだわるなど"進化中"だ。カフェ併設の館も各地に生まれている。
「金沢海みらい図書館」(石川県金沢市)は、斬新なデザインで「グッドデザイン賞」を受賞。海外でも、世界の優れた図書館として紹介された。建築家・安藤忠雄氏が建設・寄贈した子ども向け図書館「こども本の森」(大阪市、岩手県遠野市、神戸市)は、まさに宝石箱。足元から天井まで壁一面に本棚が並ぶなど、好奇心を刺激する仕掛けがちりばめられている。
池田先生は未来部員に対して、"本棚の探検"を、次のように勧めている。「近づくと、本は『読んでみて』と語りかけてきます。この小さな声に耳をかたむけ、手に取って開いてみてください。きっと新しい発見があるはずです」(『希望の大空へ』)
折しも「こどもの読書週間」(4月23日〜5月12日)。親子で各地のユニークな図書館に足を延ばすことも貴重な体験となろう。
小説『新・人間革命』に、こんな場面がある。山本伸一がある日、自宅の本箱の扉を取り外し、本の背表紙がむき出しに並ぶようにした。妻に語る。「子どもが背表紙を見て育てば、本への興味ももつようになるし、抵抗なく書物になじめるじゃないか。(中略)家に本があるかないかで、精神形成のうえでは大きな違いがある」(第2巻「民衆の旗」の章)
「知の宝石箱」には、"人間の精神"という無上の宝を、より輝かせる可能性が秘められている。

☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第16回「夕張炭労事件〈下〉」 まことの「師子」か、試される時
【同志への指針】
勝つとは
 深き祈りと
人の三倍 努力することだ
(「第2回 北海道青年部総会」〈1994年8月〉を記念し贈った言葉)

◆学会は日本の潮
「わが学会は日本の潮であり、その叫びは師子王の叫びである」——若き池田先生は、北海道・札幌の中島スポーツセンター(当時)で高らかに訴えた。1957年(昭和32年)7月1日の「札幌大会」である。
この年、「夕張炭労事件」が起き、炭労(日本炭鉱労働組合)による夕張の同志に対する迫害の嵐が吹き荒れた。
北海道炭労が「創価学会撲滅闘争」を打ち出した翌日の6月28日、青年室長だった先生は北海道へ向かい、北の大地を奔走しながら同志を鼓舞した。その激励に、夕張の友は立ち上がった。「信教の自由」を踏みにじろうとする人権侵害を断じて許すわけにはいかなかった。
7月1日に札幌、2日に夕張で、炭労への抗議の大会が行われた。
札幌大会の当日、心配する戸田先生から池田先生のもとに電話が入った。池田先生は応じた。「私たち弟子が立派に戦いますから、ご安心ください」
広宣流布の若き闘将は、師匠に北海道の大勝利を報告しようと、大会に向けて入念な準備に当たっていたのである。
札幌大会は月曜日の夕刻からの開催だった。それにもかかわらず、全道から約1万3千人が集い、会場は熱気に包まれた。
大会では、炭労の組合から脅迫まがいの圧力を受けながら、信心を貫き通す壮年が体験発表することになっていた。大舞台での発表ということもあり、極度に緊張する壮年。先生は「元気いっぱいの声があれば、何の心配もいらないよ」と、万感の励ましを送った。
その言葉に背中を押され、壮年は堂々と正義を主張した。
札幌大会で登壇した先生は、"学会は日本の潮"と高らかに宣言し、御書を拝した。
「大悪おこれば大善きたる」(新2145・全1300)
「大悪は大善の来るべき瑞相なり」(新1969・全1467)
闇が深ければ深いほど、広布の夜明けは近い——それは、人権闘争の矢面に立つ先生の大確信でもあった。

【「若き日の日記」1957年(昭和32年)3月6日から】
可哀想な人を、護りたい。
善人を、盛り上げたい。
正義の人を、支えたい。

◆無名の庶民の時代に
札幌大会が終わり、先生は夕張へと移動した。
1957年(昭和32年)7月2日の昼過ぎには、青年部員たちが夕張の街頭でデモ行進を行い、夕刻、「夕張大会」が開催された。炭労の幹部らが、大会を傍聴しにやってきた。
池田先生は、炭労の幹部らに堂々と述べた。「最後まで、学会の主張を、はっきりと聞いていっていただきたい。終わってから懇談をいたしましょう」
最後まで主張を聞いた幹部たちは、終了後、先生に語った。「学会の主張は、よくわかりました」「私どもとしては、決して浅はかな行動は取りませんから、安心してください」
"夕張の同志を守り抜こう"——先生の強い一念によって成功を収めた「札幌大会」「夕張大会」は、夕張炭労事件の大きな転換点になった。やがて炭労側は、学会員を排除する方針を改めていく。広布の理想で結ばれた庶民の団結が、不当な弾圧を打ち破ったのである。
先生は当時を振り返り、さらなる決意を記している。
「無名の庶民の真の英雄たちが、人生の勝利の讃歌を、高らかに謳い上げていける時代をつくらねばならぬ」
57年8月18日、札幌・美香保グラウンド(当時)で、第1回北海道体育大会「若人の祭典」が盛大に開催された。戸田先生と池田先生が出席し、歓喜の中で、夕張に支部が誕生したことが発表された。夕張炭労事件に打ち勝った北海道の同志が、広布に飛躍する姿を示すイベントとなった。
翌々日には、夕張に戸田先生を迎えて支部結成大会が行われた。その日の祝賀会で、恩師は、愛弟子に歌を歌うよう言った。池田先生は立ち上がった。

♪人馬声なく草も伏す
 川中島に霧ふかし
 
「霧の川中島」(作詞・野村俊夫)であった。武田信玄と上杉謙信の、川中島での4度目の戦いを題材にした歌だ。
 
♪雲か颱風か秋半ば
 暁やぶるときの声
 まなじりさきてただ一騎
 馬蹄にくだく武田勢
 
信玄と謙信は壮絶な決戦を繰り広げたが、炭労は、若き池田先生の勇ましい"馬蹄"の音を聞くと、逃げ失せた。
戸田先生は、この歌を「夕張の歌」と言明した。"健気な学会員を苦しめる者は絶対に許さない"——創価の師匠の厳愛に会場は包まれ、夕張の同志たちは感涙を抑えることができなかった。

◆「心配ないよ」
「権力というものは、一切をのみ込んでしまう津波のようなものだ。生半可な人間の信念など、ひとたまりもない。死を覚悟しなければ、立ち向かうことなど、できないよ」
57年6月初旬、戸田先生は自宅で池田先生に語った。炭労対策の指示を仰ぎにきた愛弟子に対し、創価の師匠の獄中闘争に触れ、法難の原理について教えた。
その約1カ月後、"権力の牙"が学会に襲い掛かった。「大阪事件」である。
7月3日、池田先生が大阪府警によって不当逮捕された。4月に行われた参院選の大阪地方区補欠選挙で、責任者だった先生が選挙違反行為を指示したという、全くの事実無根の容疑であった。
5年後、無実が証明されるが、背景には、民衆勢力として伸長する学会を陥れようとの権力の謀略があった。
逮捕の前日、「夕張大会」を終えた先生は札幌へ移動。翌3日の早朝、近くの公園を青年たちと散策しつつ語った。
「いよいよ、大阪へ行かなくてはならなくなった」「何がどうなっても、君たちは、戸田先生を守り抜いてくれ」
青年が全責任を担って、師匠を、学会を守り抜く——呆然として言葉を失う友に、学会青年部の魂を訴えた。
そして池田先生は、千歳空港(当時)から飛行機に乗り、羽田経由で大阪へ向かった。
先生がまだ夕張にいると思い、個人会場に駆け付けた同志もいた。すでに先生の姿はなかった。その場にいた女性幹部は涙ながら語気を強めた。
「きょう、室長は無実の罪で大阪府警に出頭することになっています」
「何も悪いことなんかしていない。そういう状況の中でも、夕張の皆さんを守るために最後まで戦ってくださったのよ。絶対このご恩を忘れてはいけない」
羽田に着いた池田先生は、大阪行きの飛行機に乗り換える際、戸田先生と語らった。恩師は愛弟子の肩に手を掛けた。
「心配なのは君の体だ……。絶対に死ぬな、死んではならんぞ」
夕張炭労事件のさなか、池田先生は体に変調をきたしていた。「一日中、心臓の圧迫感あり。難儀」(『若き日の日記』、1957年6月3日)
この時、自らを鼓舞するかのように、広布への強い思いを記している。
「広宣流布の日まで、断じて、倒れまい。否、倒れたくないのだ」(同、同年6月4日)
弟子の身を案じる戸田先生は、池田先生の体を引き寄せた。「もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私も、すぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」
師匠の深い慈愛に触れ、池田先生は"師のため、同志のために力の限り戦おう"と誓った。
羽田をたつ際、池田先生は意気軒高に同志に言った。「心配ないよ。僕には、これがあるから!」
手に掲げたのは、戸田先生から手渡された小説『人間革命』だった。恩師が「妙悟空」のペンネームで著し、6月29日に発売されたばかりの本である。発行日は不思議にも7月3日であった。
"あとがき"には、「三類の強敵と闘い抜き、三障四魔を断破して、真の大利益・人間革命の真髄を把握されんことを希望する」とつづられていた。
池田先生は機中で読了すると、深く心に期した。"戸田先生は、師子であられた。なれば弟子であり、師子の子である私もまた、師子であらねばならない。いよいよ、まことの師子かどうかが、試される時が、遂に来たのだ!"
恩師が出獄して12年の節目を迎えた7月3日、"創価の師子の魂"が刻印されたのである。

2022年4月29日金曜日

2022.04.29 わが友に贈る

交通事故に厳重注意!
ながら運転や速度超過等
一瞬の油断を排そう!
安全第一の祈りと行動で
有意義な一日一日を!

椎地四郎殿御書 P1448
『末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや』

【通解】
末法には法華経の行者が必ず出現する。ただし大難が起こったならば、強盛の信心で、いよいよ喜んでいくのである。火に薪を加えれば、燃え盛らないことがあろうか。

名字の言 「人生の名匠」になるために 2022年4月29日
「あなたにとって仕事とは?」。作家・木内昇氏が伝統芸能や工芸の第一人者に質問すると、その多くが「わからない」と答えた▼道を究めようとするほど、先が見えなくなる。だから名匠たちは努力を重ね、本質を見定めようと目を凝らす。「それはきっと、『すぐにわかる』ような薄っぺらい場所ではなく、奥行きある世界に自分が身を置いている証なのだ」と氏は記した(『ベスト・エッセイ2014』光村図書)▼信心の世界にも通じよう。仏とは凡夫とかけ離れた色相荘厳の存在ではなく、自身を見つめ、苦悩しながらも戦い続ける存在である▼ある壮年リーダーは訪問・激励に歩くたびに"相手に寄り添えているか"自問してきた。変化は8年前。がんを患い、胃を全摘出した。試練を経験した彼は退院後、今まで以上に共感と誠意をもって話に耳を傾け、相手の状況に心を配った。「このやまいは仏の御はからいか」(新1963・全1480)との仏法の奥深さを知ることができたという▼哲人ソクラテスは「自己の無知を自覚した者」こそ「最も知恵がある」と結論した。信心に"これでいい"という到達点はない。わが生命をたゆまず鍛え磨きゆく人が「人生の名匠」「幸福の賢者」となる。

寸鉄 2022年4月29日
世界の大学等からの名誉学術称号400に。比類なき平和・文化・教育への貢献
"黄金週間"がスタート。友と会い、対話を深める好機。宝の日々を綴ろう
東京・大田の日。師弟源流の地から拡大の烽火を!広布の本陣の使命は勝利
感謝の気持ちは幸福感をもたらす—米研究。知恩・報恩の心が人生を豊かに
感染症対策、若者の接種加速が重要。重症化予防にも効果と。賢明に判断

☆韓国・忠北大学で名誉教育学博士号授与式 池田先生への名誉学術称号が400に
【清州】韓国・国立忠北大学から、創価大学創立者の池田大作先生に「名誉教育学博士号」が贈られた。
授与式は28日午前11時から、清州市の同大学講堂で盛大に挙行され、金銖甲総長、全達英大学院長、創価大学の鈴木学長らが列席した。
祝辞に立った金総長は、池田先生が多彩な民衆運動の展開を通して、世界平和と人権の促進に多大な貢献を果たしたと強調。創価学園、創価大学をはじめ、各国・各地に教育機関を設立したことに言及し、人類社会に寄与する世界市民の育成・輩出に長年にわたって尽力してきたと称賛した。そして、その比類なき功績をたたえるために、「名誉教育学博士号」の授与に至ったと経緯を述べた。
学位記は創大の鈴木学長に代理授与され、同学長が池田先生の謝辞を代読した。これで世界の大学・学術機関から、池田先生に贈られた名誉学術称号は「400」となった。

☆ONE GOSHO この一節とともに! 「立正安世界」へ対話を 2022年4月24日
◇御文
『汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を祷るべきものか。』(新44・全31)

◇通解
自身の安心を考えるなら、あなたはまず社会全体の静穏を祈ることが必要ではないのか。

◇背景
「立正安国論」は、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が39歳の時、当時の実質的な最高権力者・北条時頼に提出された「国主諫暁の書」である。
御執筆当時は、大地震、大風、洪水等の自然災害が相次ぎ、疫病や飢饉のために、多くの人命が失われた。
中でも、正嘉元年(1257年)8月に鎌倉一帯を襲った「正嘉の大地震」が、本書の執筆を決意する、直接の動機となったとされる。
本書は、天災や飢饉、疫病に苦しむ現状を嘆く「客」と、その解決の道を示そうとする「主人」との、「問答形式」で記されている。
大聖人は、不幸の根本原因は人々が正法に背き、悪法を信じていることにあるとし、災難の元凶として、法然の専修念仏を厳しく破折される。そして、速やかに妙法に帰依するように促されている。

◇解説
日蓮大聖人の生涯にわたる行動は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」といわれる。本書の提出を機に幕府などからの迫害が本格化。また、御入滅の直前に最後に講義されたのも本書であったと伝わる。
題号の「立正安国」とは、「正を立て、国を安んず」と読む。「立正」とは、人々の心に正法を確立すること。
つまり、生命尊厳の哲理である、仏法の人間主義の思想を、民衆一人一人の胸中に打ち立て、社会の基本原理としていくことである。
その実践があってこそ「安国」という、社会の繁栄と平和を築くことが可能となるのだ。
大聖人は、この立正安国の実現に全力を注ぎながら、その精神を、未来にわたって門下に継承させる人生を歩まれたといえる。
本書が「問答形式」でつづられていることからも、末法の民衆の幸福と安穏の実現を願う御本仏の大慈悲と、どこまでも対話を重視されたお心を拝することができる。
謗法にとらわれていた「客」が、道理と誠実を尽くす「主人」との語らいによって、妙法に帰依することを誓う——。十問九答の問答には、相手の心を開かせ、真実へ導く"対話の極意"が示されている。
今回の拝読御文は、経典で説かれた「七難」のうち、まだ起こっていない、自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)が競い起こってくることを、大聖人が予言・警告される結論の箇所である。
「一身の安堵」とは、自分自身の不安のない生活・境涯のことであり、「四表」とは東西南北を指し、「静謐」とは安穏、平和を意味する。
つまり、自身の安泰を願うのであれば、世界の平和、自分を取り巻く社会の平穏を祈るべきであると教えられているのだ。
自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない——。この一節は、為政者への諫暁であるとともに、仏法を実践する一人一人が胸に刻むべき、永遠の指標でもある。
私たちの日々の学会活動は、一人一人が生命境涯を変革し、自身の幸福境涯を開くとともに、社会全体の変革をも成し遂げ、安穏と平和を築いていくことを目指している。
学会員はどの地域にあっても、より良い社会の建設に尽くそうと努力している。そして、悩める友がいれば駆け付け、寄り添い、励ましを送ってきた。
今や、大聖人の御精神に連なる"立正安国の連帯"は地球を包み、全世界の同志が「四表の静謐」を祈るという時代が到来している。
池田先生はつづっている。
「我らは、広布と人生の祈りを一つ一つ成就し、断固、社会と世界の大難を変毒為薬していくのだ。地上から"悲惨"の二字をなくしたいと願われた恩師の心を継いで、立正安世界を祈り開いていくのだ!」
きょうの行動が、自分の未来を開く。地道な一人への対話が、世界の平和につながっていく。今こそ、私たち男子部が、「立正安世界」を祈り、大きく対話を広げるべき時である。
爽やかな5月の空に、友好の虹を懸けていきたい。

☆大学校生とナットクTALK 政治参加 2022年4月24日
テーマ:政治参加
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回のテーマは「政治参加」。中村団長が、長内ニュー・リーダーの疑問に答えます。

登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。35歳。
長内ニュー・リーダー 男子部大学校5期生として新たな一歩を踏み出した23歳。

Q.何で政治に関わるの?
A.社会をより良くしていくため
中村区男子部大学校団長 長内君、大学校に入って積極的に頑張っているね! 男子部の活動には慣れたかな?

長内ニュー・リーダー はい、先輩がたくさん声を掛けてくれて、楽しいです。そういえばこの間、先輩が政治参加について熱く語っていました。実は正直あまり興味がなくて、身近な人が政治について話しているのが不思議な感じがしました。どうして宗教団体である創価学会が、政治に関わっているんですか?

中村 いい質問だね。日蓮大聖人が著された「立正安国論」を知っているかな?

長内 名前だけは……。

中村 大聖人は、その中で積極的に社会と関わっていく精神を示されているよ。仏法者は、自分の幸福を求めるのであれば、社会の繁栄を祈り、その実現のために積極的に行動すべきであることを示されているんだ。

長内 なんとなく"宗教と社会は別なもの"というイメージでした。

中村 大聖人は、「国家の安危は政道の直否に在り」(新854・全170)とも仰せになっているんだ。人々が幸福になっていく上で、政治が正しく行われているかどうかが大きな影響を持つことを教えられている。

長内 政治の場で決まったことが、僕たちの生活に影響するってことですね。

中村 だから戸田先生は、「青年は心して政治を監視せよ」という遺訓を残されている。政治を注視し、声を上げ、より良い方向へ導いていくことが大切だと思うんだ。民衆の幸福を実現しようとすれば、国民の生活に大きく関わる政治から、目を背けることはできない。池田先生も、大衆を基盤とした政党の出現の必要性を感じられて、公明政治連盟、後の公明党を創立されたんだ。

長内 そういうことだったんですね。

中村 池田先生は、このように教えてくださっている。
「私たちは、仏法を奉ずる信仰者でありますが、同時に社会人であり、国民として政治に参画し、一国の行方を担う責任があります」
国際情勢の変化やコロナ禍で大変な中、僕たちが今いる場所で何ができるのかを、自ら問い続けることが大切だと思うんだ。

長内 本当にそうですね。視野が広がった気がします。

中村 学会の支援活動の歴史は、政治に対する国民の意識を高め、国民の手に政治を取り戻してきた歴史ともいえる。一人一人に社会変革の主体者としての自覚を促してきたのが、学会の対話運動なんだ。その誇りを胸に、理解を広げる対話に、一緒に挑戦しよう!

2022年4月28日木曜日

2022.04.28 わが友に贈る

「日蓮、一度も
しりぞく心なし」
ここに御本仏の魂が。
今こそ勇気と確信で
正義と真実を語ろう!
(新1635・全1224)

一昨日御書 P183
『法を知り国を思うの志尤も賞せらる可きの処邪法邪教の輩讒奏讒言するの間久しく大忠を懐いて而も未だ微望を達せず、剰え不快の見参に罷り入ること偏に難治の次第を愁うる者なり』

【通解】
(日蓮が)仏法を知り、国を思う志は、最も賞されるべきところであるのに、邪法・邪教の輩が讒奏・讒言するので、久しく大忠を懐いていても、いまだその望みのわずかさえも成就することができないでいる。

【先生の指導から】
今、私たちは、大聖人が悲願とされた「立正安国」の大理想を、世界への平和・文化・教育の運動として実現してきた。
仏意仏勅のSGIに世界から寄せられている賞讃を、大聖人は、いかばかりお喜びであろうか。
末法は悪世であり、三類の強敵もいる。広宣流布の戦いは激しく「今に至るまで軍やむ事なし」と大聖人は仰せである。仏法は勝負である。断じて、戦いまくり、勝ちまくっていかねばならない。
広布に戦えば、生命は健康になる。法のため、同志のために行動した人は、生死を超えて、無上の「心の宝」を積んでいけるのだ。

名字の言 金の思い出をつくる「ゴールデン対話ウイーク」 2022年4月28日
観光地巡りや食べ歩きなど旅行の楽しみ方はいろいろあるが、思想家のエマソンはこう述べる。「旅行から得られる最上の果実があるとすれば、それは他の人びととの対話である」(小泉一郎訳)▼「まだ信心のことが分かっていないので……」とためらっていた新入会の壮年が、思い切って仏法対話に挑んだ。3人、4人、5人と会いに行ったが、上手に話せず、中にはつれない素振りの人も。だが気落ちするどころか、だんだん元気になったという。「学会活動は本当に不思議。動けば動くほど勇気が増すんですね」と▼消極的だった彼は、驚くほど積極的になった。先日は関西に帰省し、親戚や友人に学会理解の輪を広げてきた。「わかることよりかわること。それが、いっちゃん(一番)大事なんやなぁ」。お国なまりに戻っていたのは、懐かしい人たちとの対話が弾んだ証しだろう▼「行躰即信心」——それが仏法の真髄だ。自分を変革するには、あれこれ頭で考えるより、まず行動してみること。祈り、学んだことを実践に昇華させれば、どんどん価値を生み出せる▼大型連休は、友好を広げ深める好機。"心の果実"を得る語らいで、金の思い出をつくる「ゴールデン対話ウイーク」にしよう!

寸鉄 2022年4月28日
立宗の日。三代の激闘で創価の大連帯は192カ国・地域へ。後継の誓い新た
『御書全集』発刊70周年。大聖人直結の我らは全てに勝利。行学二道に邁進
誓願の炎燃やす北陸の友対話拡大の新記録達成は私から。石川・富山の日
貢献の人生教える会長の思想を永遠たらしめたい—学部長。人類の羅針盤
長距離の運転は余裕ある計画を。早めの休憩など賢く。無事故を最優先で

〈社説〉2022・4・28 御書発刊から70周年の佳節
◇今日もまた「御書根本」の一歩を
初代大阪支部長を務めた白木義一郎氏は、1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」について「池田先生の指揮は、御書に始まり御書に終わったといえよう」と記し残している。
一日の戦いが池田先生の朝の御書講義から始まったことをはじめ「御書根本」で道を切り開いたエピソードは数多い。携帯電話も電子メールもなかった時代、朝の講義の内容は、その日のうちに関西のすみずみまで伝わったという。
同年の1月から半年に及ぶ長丁場で、特に池田先生が繰り返し語った御文は二つ。
「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり」(呵責謗法滅罪抄、新1539・全1132)
「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし」(四条金吾殿御返事、新1623・全1192)
「大阪の戦い」を通して、生まれて初めて御書を手に取った人も多い。「"まさか"が実現」と報じられることになる快挙を支えた一書——御書が誕生してから、わずか5年目のことだった。
戸田先生が発願し、池田先生をはじめ弟子たちとの共同作業で完成させた『日蓮大聖人御書全集』。今日、その発刊から70周年の佳節を迎えた。
今月の本部幹部会では「大衆」に焦点を当て「この人たちのための政治がなくてはならない。それが主権在民だ。それが立正安国だ。王仏冥合ということなんだ」という池田先生の指導が確認された。
立正安国にせよ(新24・全17)、王仏冥合にせよ(三大秘法抄、新1387・全1022)、私たちが進める民衆運動の要諦は、全て御書に説かれている。昨年発刊された御書新版には、日蓮大聖人が北条時頼に直接会い、対話に臨んだことを示す一節(2141ページ)も新たに収録された。
戸田先生が御書全集の「発刊の辞」で引用され、御書新版の「序」でも、池田先生が引用された一節がある。
「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(諸法実相抄、新1793・全1361)
私たちは今日もまた「御書に始まり御書に終わった」といえる人生の一ページだったか。信心の挑戦だったか。師との共戦だったか。自らに問いながら、新しい一歩を堂々と進めたい。

☆御書と未来へ 第14回 慈愛の陽光で人類を照らせ
〈御文〉
『二十余年が間、一時片時も心安きことなし。頼朝の七年の合戦も、ひまやありけん。頼義が十二年の闘諍も、いかでかこれにはすぐべき。』〈単衣抄、新1848・全1514〉

〈通解〉
(日蓮は)二十余年の間、一時、片時も心安らかなことはなかった。源頼朝の(平氏との)7年の合戦も、暇はあったであろう。源頼義が12年もの間、戦い争ったことも、どうしてこれにすぎることがあろうか。

〈池田先生が贈る指針〉
立宗宣言770年。間断なき民衆救済の大闘争に感謝は尽きない。
広宣流布・立正安国は、人類の幸福と地球の平和への遠大なる挑戦である。御本仏直結の戦う誓願の題目を轟かせ、我らは誇り高く勇猛精進するのだ。
世界が渇仰する妙法の慈愛の陽光を放ちゆこう! 目の前の一人を誠実に励ましながら。

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:桜梅桃李の輝き
◇御文
『我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげかざれ。』(開目抄、新117・全234)

◇通解
私ならびに私の弟子は、諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることができる。諸天の加護がないからといって、疑ってはいけない。現世が安穏でないことを嘆いてはいけない。

◇私たちの幸せのカタチ 自閉症の息子との日々
近藤浩さん(61)=東京・目黒戸田区長=と妻・洋子さん(56)=地区女性部長=が、重度の知的障がいを伴う自閉スペクトラム症の長男・和之さん(29)=男子部員=と歩んできた日々とは——。
      ◇
待望の長男を授かったのは1992年(平成4年)。すくすくと育つ姿に目を細める日々。2年後には、長女・寺林真衣さん(27)=女性部員=が誕生した。実は、その少し前から、洋子さんには気掛かりなことがあったという。
「和之の成長が周りの子たちと比べると、ちょっと遅いのかなと」
2歳になっても「パパ、ママ」と呼んでくれず、語彙が増えない。視線が合わない。生活音に敏感に反応して泣き喚く。洋子さんが保健所へ相談に行くと、小児科医から「自閉症かもしれません」と告げられた。
「戸惑いました。"なぜ、うちの子が?"って……」と洋子さん。子の将来を悲観して、御本尊の前で思わず涙を流した。
浩さんは「"信心で治す"と考えてしまっていました。"治すもの"だと思い込むことで、現実から目をそらしていたんでしょうね」と話す。
整理がつかない気持ちを、学会の先輩に率直に打ち明けた。
すると先輩は、「諸難ありとも疑う心なくば……」(新117・全234)の一節を拝しながら、「大事なことは何があっても御本尊を疑わないこと。信心を貫くこと」と、確信を命に打ち込んでくれた。
"仏法の眼で見れば全てに意味がある"——夫妻は、そう自分たちに言い聞かせるように祈りを重ねていった。
地域の発達支援施設や「障がい児の親の会」に参加するようになり、同じ境遇の家族と交流を重ねるうち、自然と仏法の話になっていったことも。浩さんは「和之がいるからこそ、結べる仏縁がある。そう思えるようになって」と語る。
周囲と比べれば、和之さんができることは、多くはないかもしれない。
その分、和之さんが見せる"小さな一歩"を、家族で心から喜べた。和之さんが一度だけ耳にした曲を、譜面も見ずにピアノで再現して、家族を驚かせたこともあった。
和之さんは小学校から特別支援学級に進んだ。
思春期になると体格も大きくなり、苦労も増えた。特に、衝動的なパニックを起こした時は大変だった。
「高校時代、登校途中にパニックを起こした和之をなだめようとして、けがをしたこともあった」と洋子さん。家族やボランティアとも協力しながら、和之さんの高校卒業の日を迎えることができた。
その後、ケースワーカーのアドバイスを受け、和之さんは親元から離れて伊豆大島の重度障がい者用施設で共同生活を始めることになった。
夫妻にとって大きな決断だった。洋子さんは「一緒にいた時は苦労ばかりでも、いざ離れると、これ以上ないほどつらかった」と振り返る。浩さんも「和之がパニックを起こさないか。食事やトイレなど一人でできるか。不安で仕方なかった」そうだ。
そんな親の心配をよそに、施設で自立心を育んだ和之さんは「できること」を次々と増やしていった。
その後、施設での生活の期限を迎えたため、たまたま定員の空きがあった青森県内の共同生活施設に移った。
豊かな自然に囲まれ、気の合う仲間とも出会えて、楽しんで暮らせているという。
「施設の方々と仲良くなった和之が、最近、津軽弁を覚えたんです」と浩さんは笑う。
子育ての中で夫妻が心掛けたのは"きょうだいに平等に愛情を注ぐ"こと。そのような中で育った真衣さんは、いつしか、「わが家の経験を社会に生かせたら」と、障がい児教育の道を志すように。創価大学を卒業後、特別支援教室の教員になり、夢をかなえた。
今、家族それぞれが、自分の使命の道を踏み締めている。
かつて、洋子さんが婦人部(当時)の集いに参加した時、同世代の友から、「和之君は近藤さんを選んで生まれてきたんですね」と言われた。
「ハッとしました。"そうだ! この子を育てられるのは私たちしかいない"って。何があっても一緒に歩んでいこうと腹が決まりました」
一方、浩さんは、和之さんの障がいを認めたくない自分がいた、と打ち明ける。
「でも、学会の中で宿命に挑む多くの同志の姿に触れて、自分の弱さに気付かされました。和之がいるからこそできる戦いを堂々と貫くことが、わが家の使命じゃないかと」
どんな時も信心を人生の根本に据えてきたことが、近藤さん夫妻の誇りだ。
「振り返れば、大変な時はいつも周囲の支えがあった」と洋子さん。「御本尊様に守られているなって。感謝です」
浩さんも話す。「何がベストの答えであるかは、人それぞれです。私たちは、一家の幸福を祈り続けていく中で、私たちにとっての『幸せのカタチ』を見いだせました」
池田先生は語っている。
「妙法を持ち、信心に励む私たちの姿、振る舞いが、そのまま多宝如来としての行動となっていく。(中略)悩んでいるなら、その姿のままで信心に励んでいけばいいのです。何があっても信心を貫き、断じて負けない生き方が、そのまま勝利の証しであり、法華経の証明となるのです」(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
本年の「5・3」には、池田先生・奥さまのご結婚70周年の佳節を迎える。先生ご夫妻が最初の数カ月を暮らしたのが目黒区だった。この地で戦う近藤さん夫妻は、今、深い使命をかみ締めている。
「御本尊を信じ抜けば、『大変』な状況も『大きく変わる』好機にしていける。幸福人生を開いていける。この私たちの確信を、懸命に生きる友に伝えていきたいです」

[教学コンパス]
「自閉症」について、社会学者の竹中均氏は、"科学的知見が、それなりに蓄積したのは、21世紀に入ってから"と論じ、それによって、"自閉症の方々の特性を生かした活躍の場を、どうつくるかという社会的問題も浮かび上がってきた"と現在の座標を示している(『「自閉症」の時代』講談社現代新書)。
私たちが暮らす社会のありようは「唯一のゴール」ではない——。その視座に立つことが、多様な人々が活躍できる「包摂的な社会」を築く道のりの、スタートではないだろうか。
鎌倉時代、社会の混迷を打ち破ろうと立ち上がられたのが、日蓮大聖人である。「立正安国論」には「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を祷るべきものか」(新44・全31)と仰せだ。まさしく、「四表の静謐(周囲の安穏)」を真剣に祈り、向き合っていく中で、社会のさまざまな課題を「人ごと」から「わがこと」と捉えていく視点の転換も、生じていくに違いない。自ら社会建設の主体者と立つのが、大聖人直結の生き方である。

2022年4月27日水曜日

2022.04.27 わが友に贈る

新しい自分をつくるには
新しい挑戦が必要だ。
人の成長に限りはない。
ゆえに失敗を恐れず
大胆に! 朗らかに!

撰時抄 P292
『正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし』

【通解】
正法の強敵というのは、悪王や悪臣よりも、外道や魔王よりも、また破戒の僧侶よりも、戒律を持ち智者といわれる高僧の中に大謗法の人がいるのである。

名字の言 廃虚の中から立ち上がった沖縄の"喜劇の女王" 2022年4月27日
桜前線が日本列島を北上していく時季、沖縄を彩るのは「デイゴ」。鮮やかな深紅の県花だ。新年度を行き交う人々を見守るように、街路や校庭で枝を広げる▼この花の名を冠した劇団「でいご座」を旗揚げし、戦後の復興に尽くした沖縄芝居役者の仲田幸子さん。小学生の頃、児童をはじめ多くの県民が犠牲になった沖縄戦を命からがら生き延びた▼戦後、仲田さんの生きる力になったのは、同じく廃虚の中から立ち上がる人々の姿だった。「あんたは生かされているんだよ」との言葉が、どれほど支えになったか。"皆のおかげで今がある。「命どぅ宝(命こそ宝)」と心から思った"——そう語る仲田さんは、88歳の現在も"喜劇の女王"として希望を送り続ける▼「身命の儀、どの宝物よりも大切に存じ保養いたすべく候」とは琉球王国の哲人指導者・蔡温の言葉。生命尊厳を根底に農作業を助け合い、後世に豊かな森林を残した先人たちの支え合う心は、琉球の歴史に刻まれ、現代にも息づいている▼強靱な根と柔らかな幹をもつデイゴの花言葉の一つは「生命力」。漢字で書く「梯梧」の「梧」には「支える」との意味もある。暗雲に覆われた世情の今、平和を願い、励まし支え合う心を足元から広げたい。

寸鉄 2022年4月27日
「一句をも人にかたらん人は如来の使い」御書。広布の勇者に無量の福徳(新1721・全1448)
妙法の生活は「変毒為薬」—牧口先生。勇敢に苦難に挑め。題目の力は無限
学会員の励ましは地域に根差して他者の心潤す—マレーシア博士。足元から対話拡大
子どもの"ネットいじめ"5年で2倍。家でも気配りを。小さな合図逃さず
黄金週間の行事等が続々再開と。感染予防対策は油断なく。有意義な時を

〈社説〉 2022・4・27 間もなく大型連休スタート
◇無事故で、有意義な活用を
コロナ禍のもとで3度目のゴールデンウイークが、間もなく始まる。ワクチン接種の広がりや感染対策への努力等により、大型連休での旅行需要は回復傾向にある。
コロナ前には及ばないが、去年のゴールデンウイークと比べ、今年は国内旅行に出掛ける人が70%近く増える見通しだ(大手旅行会社のまとめ)。車での外出も増加と予測され、高速道路混雑のピークは、場所によってはコロナ感染拡大前と同程度の渋滞見込みとなっている。
"新しい生活様式"とともに、旅行の選択肢にも変化が生まれている。最近ではマイクロツーリズム(自宅からおよそ1時間圏内の地元や近隣への観光)も浸透。その上で、まとまった休日でしかできない経験は、心身共にリフレッシュすることができるだろう。
もちろん、連休での行動が今後の感染状況を左右する可能性は否めない。日頃から行っているマスクの着用や手洗い、手指の消毒を励行するとともに、旅行先には、できる限り少人数で行くなどの心掛けを忘れないようにしたい。もし旅行中に体調が悪くなれば、行程を変更する決断も求められる。せっかくの予定だからと固執せず、「無理をしない」を肝に銘じ、無事故で過ごしたい。
先日、本紙読者の投稿には、43年ぶりに友と再会したドラマがつづられ、コロナ不況による経済苦や病苦を語る友に、自らの体験を通し激励する姿が記されていた。誰もが不安を感じることが多い時代だからこそ、心を通わせる交流がどれほど大切か。また、ビデオ通話の普及で、出歩かなくとも、互いの姿を見ながら交流できる機会も増えた。
身体論を研究する東京工業大学の伊藤亜紗教授は、個別の状況が見えづらい社会において、接する人の声を聞くことの大切さを訴える。「耳を傾けることによって、私たちは自分の思い込みから自由になり、想定していなかった関わりの可能性が見えてきます」(『ポストコロナの生命哲学』集英社新書)と。相手の状況を聞く中で"こういう人だろう"という先入観が覆る。共通の趣味が見つかったり、発見があったり、新たなつながりが生まれることもある。
人と人との心の交流は、豊かな時間と喜びをもたらしてくれる。さあ、旧知の友や新たな友人と有意義な語らいを!

☆「5・3」の生命は絶対勝利の前進 原田会長を中心に各部代表者会議
第15回各部代表者会議が26日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、5月3日を前に、広宣の城を守り、同志に尽くす創価班、牙城会、白蓮グループ、また王城会、香城会をはじめ全てのリーダーの尊き献身に、心から感謝。「人の力をませば我がちからまさり」(新2150※新規収録)を拝し、広布に走る偉大な学会員一人一人を敬い、大切にすることが、一切の威光勢力の源泉であると訴えた。
次いで、4月28日の立宗770年に当たり、「御義口伝」の一節を拝読した。
「今、日蓮が唱うるところの南無妙法蓮華経は、末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」「妙法の大良薬をもって一切衆生の無明の大病を治せんこと疑いなきなり。これを思い遣る時んば満足なり」(新1004・全720)
先生は、この御本仏の遠大なる誓願を、そのまま我らの誓いとして、広宣流布の新たな勝ち戦を起こす日が、「5月3日」であると強調。
今再び、大聖人直伝のはち切れんばかりの大生命力を漲らせて、勇敢に立正安国の対話へ打って出よう! 大いなる仏縁を結び広げ、梵天・帝釈を揺り動かしながら、恩師が師子吼された「民衆万年の幸福」と「地球民族の平和」の確立という創価の使命を、断固として果たしゆこう!——と力説した。
最後に、5月3日の元初の生命は、永遠に「歓喜の中の大歓喜」であり、永遠に「万事を成ずる異体同心」であり、永遠に「絶対勝利の前進」であると述べ、"全リーダーが呼吸を合わせて進みゆけ!"と呼び掛けて、メッセージを結んだ。
原田会長は、師のもとで全同志と歌い上げる「勝利の凱歌」以上の喜びはないと強調。不可能の壁を打ち破る「信心」と「題目」で、仏の勢力を広げ、善の連帯を拡大しようと訴えた。
そして、世界を覆う権力悪を克服する根本の道は、立正安国の哲学を体する指導者を世に送ることであると述べ、大確信の対話で断じて勝利を開こうと望んだ。
長谷川理事長、谷川主任副会長、西方男子部長があいさつ。宮口総兵庫青年部長、有田総愛知男子部長が抱負を述べた。

☆桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進� 第7回 福岡の友へ
◇先駆を担い 勝利の歴史を飾れ!
福岡!
おお
福岡の偉大なる友よ!

常に複雑に変化しゆく
時代と社会にあって
我らは
鮮やかな人間の眼を持ち
新しき世紀に
そして
新しき未来に向かって
新鮮な希望と
鉄のごとき信念を持って
胸を高ぶらせながら
先頭に立って歩む。

人々の先駆を
担いながら
勝利の歴史をつくる。

私に迫りくるものは
断じて勝利せよ! との
天の声である。
私を追ってくるものは
偉大なる自身の歴史を
創りゆけ! との
胸を裂く諸天の声である。

おお 福岡よ
偉大なる福岡の友よ!
煌めき輝く
崇高な精神を持った
大きな使命に生き抜く
わが友よ!

我らの同志の結合は
常に使命のために
運命を共にしてゆこうとする
あまりにも尊き
完璧なスクラムだ。

◆◇◆

我らは
勝つための人生である。
幸福になるための
人生である。
強く勝ち越え
この世に悔いもなく
誉れ高き
自身の大著を残し
戦い楽しんでいく人生だ。

おお
福岡よ!
夏の暑い日を
繰り返す日々であっても
その夏も
偉大な日々とする人たちよ!

人間として
最高の生活の技術を
知っている
名博士たる君たちよ!
そこには
常に健康な
最も価値ある
安全な無限の広場が
待っている。

人生は闘争だ!
人間は
絶えず戦いゆくものだ。
ゆえに至る所で勝利し
幸福になっていくことだ。

自らを
不断に変革させながら
天高く向上し
完璧な悔いない日没を
笑顔で見つめることだ。

福岡よ!
わが人生の前に
いかなる嵐があっても
断じて負けるな!

◆◇◆

我らは
先駆者である!
我らは
開拓者である!
我らは
哲学者である!
我らは
人間長者である!

火の国!
それは
使命ある人生を
深く
火の如き情熱をもって
生き抜く天地・福岡だ。

秘の国!
それは
わが生命に
無限の力を秘めたる
不思議なる国土・福岡だ。

飛の国!
それは
先駆を切って
アジアへ
そして全世界へ
平和の哲学を広げ
飛翔しゆく原点・福岡だ。

2022年4月26日火曜日

2022.04.26 わが友に贈る

リーダーの率先の姿が
皆の決意を一段と強め
異体同心の団結を生む。
自らが壁を破り
その体験を伝えよう!

可延定業書 P985
『されば日蓮悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり、今女人の御身として病を身にうけさせ給う心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし』

【通解】
日蓮が母のことを祈ったところ、現身に病を治しただけではなく、4年の寿命を延ばしました。あなたは今、女性の身で病気になられた。試みに法華経の信心を奮い起こしてご覧なさい。

名字の言 池田先生が新社会人に贈った「三つの指針」 2022年4月26日
新しい制服やスーツに身を包んだ新社会人の若々しい姿が、街や職場等にあふれる。フレッシュな若人たちと、新しい気持ちで日々、新たに進んでいきたい▼池田先生はかつて、新社会人に指針を贈った。�清々しい挨拶を!�朝に勝とう!�愚痴をこぼさず前へ! この三つの指針は「新しい年度の開始に当たり、先輩も初心に立ち返って一緒に確認し合いたい、社会人の基本でもある」と▼先日、先輩から話を聞いた。「私の新聞制作の信念は、年配の読者にも伝わる記事、全ての読者が読んで発心につながる記事を提供することです」▼理由は——ある地域で取材を終え、駅に向かっていた時のこと。年配の読者がわざわざ追い掛けてきて、手あかの付いたノートを見せてくれた。わずか15行ほどだが、自身の活躍が紹介された記事が貼ってあった。「私の一生の宝物です。この記事を書いてくださった記者に、よろしく伝えてください」。記事は先輩自身が電話で取材し、まとめたものだった。「絶対に忘れられない、新人時代の原点です」▼初心を忘れない人は強い。信念を貫く人は美しい。社会人の基本でもある三指針を実践し、自分が決めた道を真っすぐに歩み抜こう。そこに信頼は築かれる。

寸鉄 2022年4月26日
「法華経の兵法をもちい給うべし」御書。信心根本に勇気と智慧で勝ち進め(新1623・全1193)
長野の日。縁の天地から対話拡大の波動を!大きく動き語れば勢いが加速
時すでに遅しとならないよう今、行動を—キング博士。目標を明確に先手必勝!
朝に日光を浴びることで体内時計が整うと。リズム正しく価値的な連休へ
知人を装う詐欺メールの被害急増と。内容の確認、添付開かないなど要警戒

☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 御書(下)
◇教学の光が人生を照らす
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は小説『新・人間革命』から、御書根本に人生を勝ち開いていった感動のドラマを紹介します。

◇真剣勝負の祈りで病を克服
〈1978年(昭和53年)12月、山本伸一は三重・名張本部の高丘秀一郎の家を訪問する。高丘は前年から原因不明の視神経炎を患い、医師からは、現在の医療ではなすすべがなく、良くなることはないと告げられる。彼は、信心で克服してみせると腹を決めた〉

一九七八年(昭和五十三年)四月上旬、高丘は、幹部に指導を受けようと、三重県長の富坂良史に手を引かれ、立川文化会館を訪ねた。そこで伸一と、ばったり出会ったのだ。
「三重の名張から来ました」
語らいが始まった。事情を聞いた伸一は、大確信を注ぎ込もうとするかのように、力を込めて語った。
「断じて病魔になど、負けてはいけません。早く、良くなるんです。あなたには、名張の広宣流布を成し遂げていく、尊い使命がある。病気も、それを克服して信心の偉大さを証明していくためのものです。そのために自らつくった宿業なんです。したがって、乗り越えられない宿命なんてありません。地涌の菩薩が病魔に敗れるわけがないではありませんか!」(中略)
高丘は、胸に一条の光が差し込む思いがした。勇気が、ほとばしった。希望が芽吹いた。強い確信と祈りを込めて、真剣勝負の唱題がさらに続いた。
"先生に心配をかけて申し訳ない。必ず、治してみせる!"
懸命に唱題を重ねるうちに、医師も匙を投げた病状が回復し始めた。右目に光は戻らなかったが、左目の視力は次第に良くなり、御本尊の文字が、しっかり見えるようになったのである。
彼は、「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(全1351・新592)との御聖訓を噛み締めるのであった。
それから間もない四月二十二日、伸一は、翌日に行われる「三重文化合唱祭」に出席するため、三重研修道場を訪問した。伸一は、研修道場に来ていた高丘秀一郎に声をかけた。
「その後、目の調子は、どうですか」
高丘は、満面の笑みで答えた。
「はい。先生にご指導を受けてから、真剣に唱題に励みましたところ、十日ほどで『聖教新聞』の文字が読めるようになり、今は御書の文字が読めます。日ごとに、視力は回復しつつあります」
「それはすごいね。病を治す根本の力は、自身の生命力なんです。その手助けとなるのが医学の力です。信心根本に、どこまでも生命を磨き、鍛えていくことが大事なんです」
伸一は、合唱祭の次の日も高丘と会った。
「今こそ、唱題し抜いて、病を見事に乗り越え、信心への大確信をつかむ時です。そして、仏法の偉大さを証明するんです。それがあなたの使命です」(中略)
三重研修道場での語らいから七カ月余が過ぎていた。伸一を自宅に迎えた高丘は、頬を紅潮させながら報告した。
「左の目の方は、題目が五十万遍になった時に視力は〇・五になり、七十万遍で〇・七に、百万遍になったら一・〇になっていたんです。
右目は見えませんが、生活をするうえでは、ほとんど不自由は感じません。仏法の力を、心の底から感じています」
(第29巻「力走」の章、154〜156ページ)

◇信心根本に職場で実証を!
〈デザイン会社に勤務していた波留徳一は、1961年(昭和36年)に入会。やがてスーパー業界に転職し、重要な仕事を任されるようになる。その一方で、多忙さに流され、信仰の世界から遠ざかっていった〉

波留は、随所で行き詰まりを感じ始めた。店舗づくりのアイデアの枯渇、自信喪失、心身の疲弊、仕事への意欲も失っていった。
その苦しさを紛らすために酒に溺れた。体調も崩し、円形脱毛症にもなっていた。妻との喧嘩も絶えなかった。迷路をさまようような日々が続いた。
そんな彼のもとに、男子部の先輩が、何度も、何度も、足を運んでくれた。
先輩は、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(全254・新146)との御聖訓を引いて訴えた。
「この御文は、『天が晴れるならば、大地は自然に明るくなる。同様に法華を識る者、つまり、妙法という一切の根源の法を体現された大聖人は、世の中の事象も、当然、明らかに知ることができる』という意味だよ。
『天が晴れる』というのは、ぼくらの立場で言うならば、一点の曇りもない、強盛な信心だ。強い信心に立てば、『大地』すなわち仕事も含めた生活の面でも、おのずから勝利していくことができる。だから、もう一度、信心で立ち上がるんだよ」
波留は、学会の先輩の激励に、"よし、もう一度、本気になって信心してみよう"と思った。時間をこじ開けるようにして唱題に励み、学会活動に飛び出した。広宣流布の使命に目覚めると、歓喜があふれ、仕事への挑戦の意欲がみなぎった。自信も取り戻した。(中略)
仕事は、ますます増えていったが、学会活動を優先させた。"信心していれば、仕事の面でも守られる!"という確信があったからだ。だが、それが、いつの間にか、甘え、油断となり、仕事が疎かになっていった。
遂に、ある時、上司から、「仕事と信心と、どっちが大事なんだ!」と叱責された。
"これでは、いけない! 周囲の人たちは自分の姿を通し、創価学会を見ているんだ"
「信心第一、仕事も第一」と決めた。両立への本格的な挑戦が始まった。
店舗の改装工事は、スーパーの定休日に行う。皆が休んでいる時も、波留は改装の現場に出かけ、業者と意見交換し、一緒に作業に汗を流した。改装資材のベニヤ板の上で仮眠を取って、泊まり込みで仕事を続けたこともあった。
学会活動に参加しても、深夜には、仕事に戻った。また、夜更けて、連絡事項や激励の言葉を書いた手紙を、メンバーの家のポストに入れてくることもあった。
"無理だ!"と思えても、やり切ろうという執念を燃やす時、新たな工夫が生まれる。(中略)
波留は、職場では、係長、課長と昇進し、店舗開発を一手に任されるようになっていったのである。そして、部長、取締役を歴任し、一九九三年(平成五年)には、常務取締役になっていく。
(第24巻「灯台」の章、315〜319ページ)

◇「冬は必ず春となる」と前進
〈鹿児島・奄美群島にある喜界島に住む富島トシは、夫に続いて次男も亡くし、経済苦など、宿命にあえぐ中で、友人から信心の話を聞く。その確信あふれる言葉に彼女は入会を決意する。1956年(昭和31年)のことであった〉

入会して、しばらくすると、鹿児島から、青年部の幹部が指導に来た。勤行の仕方や、折伏の大切さなど、諄々と語ってくれた。
「宿命を転換し、幸福になるためには、どげんすればよいか——。
日蓮大聖人は、『我もいたし人をも教化候へ』『力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』(全1361・新1793)と仰せです。つまり、懸命に題目を唱え、折伏することです。自分だけの幸せを願う信仰は、本当の信仰じゃなかです。みんな一緒に幸せになってこそ、自分の幸せもある。
また、折伏に行っても、そげん、難しいことは言わんでもよかです。初めは、なぜ信心をしたか、仏法のどこに共感したかを、精いっぱい訴えて歩くんです」
自他共の幸せを実現していく——これまでの宗教では、聞いたこともない教えである。
トシは、奮起した。
"この信心で、幸せになろう!"
彼女は、真剣に唱題に励み、弘教を開始した。知り合いという知り合いに、仏法を語って歩いた。しかし、創価学会のことは、誰も知らないうえに、島の旧習は深く、素直に仏法の話に耳を傾ける人は少なかった。
「トシは、変な宗教に騙されて、おかしくなってしまった」
人びとは、こう噂し合った。
題目を唱え、折伏に励む——そこに、地涌の菩薩の生命が脈動し、歓喜があふれる。
富島トシは、学会活動をするなかで、"この信心で、必ず自分は、幸せになれるんだ!"という手応えを感じた。
子どもたちは、信心を始めた母親が、日ごとに明るく、元気になっていく姿に目を見張った。生活は、貧乏のどん底である。それなのに、本当に楽しそうなのだ。
彼女は、来る日も、来る日も、弘教に懸命に汗を流した。このころ、喜界島にも町営バスが通るようになったが、島の外周を走る線しかなく、本数も少なかった。二時間、三時間と歩いて折伏に出かけた。時には、下駄が割れてしまい、裸足で歩いて、帰って来たこともあった。
また、仏法の話をすると、相手が怒りだして、水をかけられたり、塩を撒かれたりすることもあった。鎌を持って追いかけられたこともある。でも、彼女は、めげなかった。どんなに反対され、なんと言われようが、ニコニコしながら、仏法を語って歩いた。
教学を学び、「行解既に勤めぬれば三障・四魔・紛然として競い起る」(全916・新1235)の通りだと、実感したからだ。また、「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(全1253・新1696)の御聖訓を確信していたからだ。
といっても、富島は、子どものころ、満足に学校に通えず、あまり読み書きができなかった。御聖訓も、島に来てくれる幹部の話を聞き、耳で覚えたものだ。さらに、学会活動に励むなかで、読み書きの必要性を痛感し、漢字を覚えていった。
広宣流布の使命に生きようという一念が、自分の苦手の壁を打ち破っていったのだ。
(第23巻「敢闘」の章、341〜344ページ)

2022年4月25日月曜日

2022.04.25 わが友に贈る

◇今週のことば
「説き聞かせ候えば、
未来までの仏種になる」
立宗の大誓願を継ぎ
「立正安国」の対話を。
全民衆の幸と平和へ!
(新2010・全1486)
2022年4月25日

一生成仏抄 P384
『此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず』

【通解】
この旨を深く信じて、「妙法蓮華経」と唱えれば、一生成仏は、更に疑いがありません。故に、経文(神力品)には、「我が滅度の後に於いて、まさに、この 経を受持するべきである。この人は、仏道に於いて、決定して成仏することは疑いない。」 と、お述べになられています。努々(ゆめゆめ)、不審を抱いてはなりません。

名字の言 「誰でもが太陽であり得る」——作家・島崎藤村 2022年4月25日
作家の島崎藤村は由緒ある旧家に生まれたが、その後、家は没落。子ども時分から親元を離れて暮らし、太陽を仰ぐこともない陰鬱な青年時代を送ったという▼だがある時、彼は"自分の胸中にも太陽は昇るのだ"と、心の向きが逆転する。そして確信した。「誰でもが太陽であり得る。わたしたちの急務はただただ眼の前の太陽を追いかけることではなくて、自分等の内部に高く太陽を掲げることだ」(『藤村全集』筑摩書房、現代表記に改めた)▼ある男子高等部員が未来部担当者に悩みを打ち明けた。「面白おかしく遊べる友達はいるけど、いつも彼らの方がまぶしく見えてしまうんです」。担当者は自分に自信が持てない彼を思いやりつつ、言った。「そうか。ならばまず、『本当の自分』を築こう」▼これまで彼は"周囲に自分がどう映っているか"を気にしてばかりいた。自身を真正面から見つめることを避けてきた。担当者の一言は、その弱い気持ちを打ち破るきっかけになった。彼は後年、働きながら大学二部で学び、現在は大学教員として活躍する▼"誰かに光を当ててもらわないと輝けない"という弱気では未来は開けない。自身が太陽に!——これが「本当の自分」をつくることに結実する。

寸鉄 2022年4月25日
「仏法は観念の遊戯ではない」牧口先生。日々、広布に走る学会員こそ偉大
江戸川「師弟勝利の日」。誉れ高き"信心の横綱"。拡大の一大旋風ここから
喜びは苦悩の大木に実る果実—文豪ユゴー。艱難辛苦に挑め。そこに境涯革命が
きょう国連記念日。「人類の議会」の強化を今こそ。平和願う市民の声を結集
「子どもの権利条約」認知度が課題—教員調査。社会の宝を守る努力を皆で

☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 声優 一城みゆ希 信心で磨いた「声」を響かせ
【プロフィル】いちじょう・みゆき 本名・岡本浩子。テレビアニメ「名探偵コナン」、ディズニー映画「101匹わんちゃん」など、声優として出演多数。1961年(昭和36年)入会。東京都大田区在住。女性部副本部長。芸術部中央委員。

◇陰の労苦は必ず福徳に
「シャンプー 洗車 300円」——口を大きく開けて早口で3回、声に出してみてください。声優にとって、まず大切なのが滑舌です。日々の練習は欠かせません。
次に演技力です。例えば、台本に書かれた「……」。役の感情を想像し、間を取り、息遣いに心を込めて演じます。
先日、絶命する役を演じ終えたら、疲労が2週間も取れませんでした。視聴者に声となって届かないところでも、役になりきって芝居をしています。
芝居には、ごまかしが利きません。それまで積み上げてきた自身のすべてが表れるからです。
実際に私が接し、尊敬する声優の方々は、心の美しい、素晴らしい方ばかりです。
御書には、「ただ心こそ大切なれ」(新1623・全1192)と仰せです。
聴く人の胸に響く声を出すためには、心が大切です。だから、毎日の勤行・唱題は欠かせません。口をしっかり開き、題目を朗々と唱えることで、生命力がみなぎり、全力で仕事に向き合うことができます。
信心で心を磨いてきたからこそ、今の自分があります。

◇誰かが見ている
岩手から上京し、母と2人で暮らしていた14歳の時、リウマチで動けない母のオムツを替えるなど、看病に明け暮れていました。つらい青春時代でした。
その日暮らしの貧しい生活の中、母と共に入会。題目を唱えるうちに、母の病状が好転し、功徳を実感しました。
声優を志したのは40歳。子ども向けの歌手活動を、どうしていこうか考えていました。そんな時、人形劇で、幅広い声を使い分ける先輩の演技を目の当たりにし、その技術の高さに驚きました。"歌のお姉さんは、次々と若くて新しい人が誕生する。ならば、声の技術を磨いて、この先は声優の仕事もしていこう"と考えるようになったのです。
しかし、当時、声優は"裏の仕事"。軽んじられていました。今のような声優学校や養成所はありませんから、収録現場での先輩の演技を食い入るように見つめました。
ある時、大ベテランの先輩と並んで仕事を任せられるも、惨たんたる結果に……。私を選んでくれた演出家からも酷評され、自分の未熟さに気づかされました。
日蓮大聖人は、「信心強盛に歯をくいしばって難に耐え、たゆむ心があってはならない」(新1475・全1084、通解)と仰せです。
この失敗をバネに、"声優の道で必ず実証を示そう"と、心を美しく磨く学会活動に一段と励みました。
自宅に帰ってからも発声練習や台本の読み込みなど、睡眠時間を削り、努力を重ねました。
今も、自らの技術を磨く日々です。そのおかげで、これまで仕事が切れることなく、さまざまな役を頂くことができています。御本尊への感謝は尽きません。
30年以上たち、かつて私を酷評した、あの演出家が、「あんたはすごいな」と認めてくれました。
誠実に仕事に徹すれば、その姿を必ず誰かが見てくれています。陰の労苦は、必ず福徳となって自身を輝かせることを学びました。

◇夫婦で歩む日々
こうして生き生きと働けるのは、夫の存在があります。
結婚当初、夫は信心に反対でした。37年前、私の「のど」にポリープが三つも見つかり、芸能生命の危機に揺れていた時に、見かねた夫が言いました。「御本尊に祈ってもいいよ」と。私は一念発起し、真剣な唱題に励みました。1週間後、不思議とポリープが消えていたのです。その翌年、晴れて夫は入会しました。
夫は、2011年(平成23年)、がんや心臓病を患い、その後も、がんの転移を繰り返しました。
16年に、今度は私に乳がんと胃がんが同時に見つかりました。
"夫を支えるためにも、私が倒れるわけにはいかない"——信心で病魔に立ち向かいました。
幸い、両方のがんを同時に手術できる名医に巡り合い、10時間の手術は大成功。入院中も台本を読み続け、3週間で退院して即、収録現場に復帰しました。以前と変わらない声を聞いたスタッフが、涙を流して喜んでくれ、私も感極まりました。
昨年、夫の体調が悪化し、入院。コロナ禍で面会さえできず、夫の病状も不安定なので、在宅介護を決断しました。
新型コロナウイルスの感染対策のため、収録が短時間で行われるようになった今、夫と過ごす時間も増えました。夫は、がんの痛みも和らぎ、食欲も増して、医師や看護師も驚いています。
夫は病魔と闘いながら、私が声優でいられるように応援してくれています。耳が遠くなった夫に大きな声で話し掛けることで、腹式呼吸の練習にもなっていますから(笑い)。
慌ただしい毎日ですが、夫と共に祈りを合わせ、時を刻めることに、幸せをかみ締めています。信心根本に生きれば、一切を価値ある方向へ転換していくことができるのです。
支えてくださる、すべての方々への感謝を胸に、声優・一城みゆ希は、きょうもマイクの前に立ちます。

◇[視点]親孝行
一城さんは、苦労を重ねたお母さんに孝行したいとの思いで芸能活動に奮闘してきました。その経験から、声優学校などで、「朝起きたら両親に、"おはよう"って笑顔で言うのよ」と教えていたといいます。
日蓮大聖人は、門下・南条時光に対して、立派な人の振る舞いの一つに親孝行を挙げて、「親に良いものを与えようと思い、何もできない時には、せめて日に2、3度は親に向かって笑顔を見せるようにしなさい」(新1850・全1527、通解)とつづられています。
親に笑顔を見せるのが照れくさい場合もありますが、特別なことは必要ありません。自分を育んでくれた親に感謝し、温かく振る舞う中に、"仏法者の親孝行"があります。

2022年4月24日日曜日

2022.04.24 わが友に贈る

「鉄は炎い打てば
剣となる」御聖訓。
いかなる逆境にも
不退転の信心を貫く。
そこに人間王者の輝きが。
(新1288・全958)

十字御書 P1491
『我等凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし、我等が心の内に仏はをはしましけるを知り候はざりけるぞ』

【通解】
私たち凡夫は、まつげが近くにあるのと虚空が遠くにあるのとは見ることができない。私たちの心の中に仏がおられるのを知らないでいたのである。

【先生の指導から】
だれ人の心の中にも、最極の仏の生命がそなわっている。その仏の智慧と力を最大に発揮していくのが「人間革命」の大運動である。
広宣流布は、自分自身が仏になり、万人を仏にしていく人類究極の聖業である。
牧口先生も、戸田先生も、大聖人直結の信心と行動で、仏力・法力を厳然と現し、五濁悪世の末法に広宣流布を断行してこられた。妙法を唱え、広布へ戦い、創価の師弟の道に徹するならば、自分自身もまた、偉大なる仏の力用をわが生命に赫々と涌現させていける。

名字の言 今こそ求められる「傾聴」 2022年4月24日
"誰かに頼りたくても頼れない"といった「望まない孤独」を解消するため、NPO法人を立ち上げた大空幸星氏。24時間365日、誰でも利用できるチャット(文字での雑談)形式の相談窓口を運営する▼チャットでは相談者の表情が見えないため、相談員の「想像力」が欠かせない。相手の気持ちに寄り添いながら話を聴き、共に考えていく「傾聴」が大切になる▼ボランティアの相談員は専門的な講習が必要となるが、その上で氏は「すべての人が『傾聴』を行うことはできるし、すべての人が誰かの悩みを受け止める資格がある」と語る(『望まない孤独』扶桑社新書)▼政府は今月8日、コロナ禍の影響で深刻化する孤独・孤立問題に関する初の調査結果を公表した。それによると、孤独感が「しばしばある・常にある」と答えた人は4・5%。「時々ある」(14・5%)、「たまにある」(17・4%)を含め、実に3人に1人が何らかの形で孤独を感じていた。「傾聴」が今こそ求められている▼御書にも引用される孔子の教えに「九思一言」とある。"十分に思慮を巡らし、一言話す"との意味だ。どこまでも相手の思いを受け止め、真心の言葉を伝える。そこから、励ましの世界は広がっていく。

寸鉄 2022年4月24日
「満月の闇夜を照らすがごとし」御書。題目は、どんな試練の闇も破る光明(新527・全1501)
常勝大阪・師弟誓願の日。赤々と燃える共戦の魂。自身最高の拡大で凱歌を
若い秘訣は大いなるものに喜びを感じる事—文豪ゲーテ 輝く多宝の友の姿が証明
子の近視が過去最悪に。画面は適度な距離、30分毎に短い休憩等、工夫を
後遺症は若い世代で重い傾向と。感染減少も油断大敵。3密回避等、怠らず

☆御書根本の大道 第8回 仏性を顕す祈り
◇法華経題目抄
『問うて云わく、妙法蓮華経の五字には、いくばくの功徳をかおさめたるや。
答えて云わく、大海は衆流を納めたり。大地は有情・非情を持てり。如意宝珠は万財を雨らし、梵王は三界を領す。妙法蓮華経の五字、またかくのごとし。一切の九界の衆生ならびに仏界を納む。十界を納むれば、また十界の依報の国土を収む。』(新535・全942)

◇勇気の指標
「妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり」(新19・全13)
「南無妙法蓮華経とただ一反申せる人、一人として仏にならざるはなし」(新2157・全1573)
題目には、これほどまでに偉大な功徳があるのです。妙法を日々、朗々と唱え、朗らかに前進しゆく私たちに行き詰まりは断じてありません。(中略)私たち一人一人の生命が本来、尊極の妙法の当体です。そして、もともと自身の中にある、無限の力を引き出す実践こそが、「唱題行」なのです。
◆◇◆
一部の人、特定の人だけでなく、一人ももれなく、誰もが仏性を具えています。この具わっている宝蔵を開くことができれば、誰もが仏になることができます。つまり万人成仏が可能になるのです。それほど素晴らしい宝を自分が持っているのだと確信して、唱題に励んでいくことが、私たちの信仰実践の出発点なのです。
◆◇◆ 
唱題を根本に、自分自身に具わる仏性を開き顕し人間革命していく。その生命の尊厳に目覚めた民衆一人一人が、生き生きと仏法を弘め、他の人の仏性も共に開き顕していくことで、広宣流布は進み、立正安国も現実のものとなっていきます。
広宣流布とは、自分だけでなく、他者の仏性をも開き顕すという、"自他共の人間革命の連帯"を広げていくことです。

◇唱題は無限の宝を開く実践 総愛知女性部長 荒谷育子
今、愛知の各地でも、女性部総会がにぎやかに行われています。
池田華陽会、ヤング白ゆり世代、多宝会の先輩と、すべての世代が一緒になっての初の総会。一人一人が無限の可能性を開きゆく鍵は、どこまでいっても題目であり、友の幸福を願う広宣流布の行動です。
今回は、本年2月の「大白蓮華」で、池田先生が講義してくださった「法華経題目抄」を拝し、自他共の仏性を開く題目について学んでいきたいと思います。

◇逆転の原動力
一遍の題目にも無量無辺の功徳がある——日蓮大聖人は本抄の冒頭から、題目を唱える功徳が絶大であることを御教示になっています。
池田先生は次のように講義されています。
「妙法を日々、朗々と唱え、朗らかに前進しゆく私たちに行き詰まりは断じてありません」
「もともと自身の中にある、無限の力を引き出す実践こそが、『唱題行』なのです」
私自身も、誓願の題目に徹し、学会活動に励む中で、人生の苦境を勝ち開いてくることができました。
未来部時代に発心し、1978年(昭和53年)4月、池田先生が出席された三重文化合唱祭に参加。"次の学会を頼むよ"と万感の期待を寄せてくださる先生に、必ずお応えしようと誓いました。
結婚し、2人の子育てに奮闘していた時、夫の心臓の病が判明。長時間の大手術をし、ようやく体調も回復してきた頃、今度は不況のあおりを受け、夫の勤め先が倒産したのです。
先の見えない不安はありましたが、むしろ、"今こそ宿命転換の時"と不屈の信心の炎を燃やしました。夫婦で懸命に祈り、広布の最前線で走りました。祈れば祈るほど、"この試練があったから、と言える未来を開くのだ"と覚悟が定まりました。最終的に、夫は願った以上の好条件で再就職を果たすことができたのです。
人生は悩みの連続です。また仏と魔との闘争です。魔の軍勢を押し返し、逆転していく原動力が、題目であると確信します。

◇「愛知の日」55周年へ
真剣と真心の題目には、何ものもかないません。
三河総県の、あるヤング白ゆり世代の友は、10年前から同級生の友人と対話を重ねてきました。当時、友人のご主人は闘病されており、幼い子どもを育てるために友人も働きに出ていたこともあって、信心の話をしても、向き合うゆとりもなく、深い対話をすることができませんでした。
しかし、"何としても幸せに"と変わらずに祈り続ける中、今年に入って、突然その友人から、「創価学会ってどんなところ?」と質問されたのです。驚いて事情を聞くと、"一番大変だった時、誰よりも気に掛けてくれたのはあなただった。あなたがやっている信仰なら私もやってみたい"と胸の内を語ってくれたのです。
その後、地域の学会家族とも触れ合い、オンラインで行われた「世界を照らす太陽の仏法」の勉強会で、「法華経題目抄」を学んだ友人は、自らの無限の可能性を開く仏法の哲理に大感動。大勢の方に祝福される中、先月、入会を果たされました。紹介者のヤング白ゆり世代の友は、「題目のすごさを友人から教えてもらった思いです。真心の祈りは、必ず相手の仏性にも届くのですね!」と歓喜に声を弾ませていました。
爛漫の春。咲き誇る花々のように、各地の女性部総会も、題目の功徳の体験であふれています。
題目は"時間があれば、あげられる"とも限りません。私が心掛けていることは、寸暇を見つけて題目に挑戦すること。わずかな"すきま時間"にも、題目を唱えるようにしています。
十界互具ですから、忙しい現実に流されて題目を忘れると、弱い生命にひきずられ、迷いの方向へと向かってしまいます。いわば、題目を唱える"命のくせ"をつけよう——私自身、日々格闘しています。
本年は、7・10「愛知の日」55周年。1967年(昭和42年)のこの日、池田先生は「広布の堅塁・中部たれ」との永遠の指針を発表してくださいました。
記念の節を刻む7月へ! さあ、強盛な祈りを根本に、仲良き堅塁のスクラム固く、自他共の仏性を開く対話へ、喜び勇んで打って出ていきましょう!

◇メモ
「法華経題目抄」は、文永3年(1266年)1月、念仏への執着を捨て切れない女性門下に送られたとされる。法華経の題目を唱える功徳を問答形式で示されている。別名を「妙の三義の事」という。

2022年4月23日土曜日

2022.04.23 わが友に贈る

「5・3」を記念する
本部幹部会を皆で視聴し
心一つに出発しよう!
幸と平和を築きゆく
広宣大道の旅を!

如説修行抄 P501
『兼て申さざりけるか経文を先として猶多怨嫉況滅度後況滅度後と朝夕教へし事は是なり』

【通解】
つねづね経文の文証を立てて、「猶多怨嫉・况滅度後・况滅度後」と、朝夕に教えてきたのはこうした時のためであった。

名字の言 ノーベル賞作家・アナトールの優しいまなざし 2022年4月23日
芥川龍之介、夏目漱石、森鴎外など名だたる文人たちに敬愛され、日本文学に大きな影響を与えた人物がいる。ノーベル賞作家のアナトール・フランスがその人▼代表作『エピクロスの園』(岩波文庫)で翻訳者・大�幸男氏が解説している。「彼は卑賤より身を起こした父の努力の一生に対して常に感動をおぼえていた」▼アナトールの父は経済苦の家庭を支えるために農場で働き、兵役に就きながらも懸命に勉強し、書店を持つ夢をかなえた人だった。そんな父を深く尊敬し、感謝していたからだろう。彼が描いた作品の多くに貧しい人、真面目に働く人への優しいまなざしがある▼今春、創価大学に進学した新入生たちが決意を語っていた。ある友は、大学に行きたくても行けなかった両親の期待に応えるために「弱い立場の人を守っていける弁護士を目指します」。別のメンバーは浪人中、いつも"祈っているよ!""皆がついてるから!"と励ましてくれた地域の学会員への感謝を胸に、「教育者になって、今度は僕が子どもに尽くしたい」と▼創大は、名もなき庶民の大応援を受けて発展してきた"民衆立の学府"。誉れのキャンパスで、報恩感謝を胸に学び、成長しゆく若人たちの未来が楽しみだ。

寸鉄 2022年4月23日
師子王の如く、毅然と生きていこう—恩師。必ず勝つとの気概で一歩前進
三重県女性部の日。楽観主義で進む広布の太陽!今日も元気で友情対話へ
勇気が全ての悲しみを消す—偉人ヘレン・ケラー。我らには生命の底力奮い起こす題目が
子ども読書の日。大人が本開く姿が子に良き影響を。親しむ環境作りこそ
寒暖差大。急な暑さで気付かぬうちに熱中症も。水分補給など共々に意識

〈社説〉 2022・4・23 きょうから「こどもの読書週間」
◇心ときめく"体験"が未来開く
「嵐の海で船からふり落とされそうになって/ググーッと足をふんばったこともある」「胸がグオーッと熱くなって/思わず立ち上がりそうになった」
昨年行われた「きぼう作文コンクール」(少年少女きぼう新聞主催)の入賞作品の詩の一節。読書の素晴らしさをつづった作品で、物語の感動が全身を貫く様子を生き生きと表現している。
きょうから「こどもの読書週間」(5月12日まで)。まだ外出にも配慮が必要な昨今、子どもたちには読書を通じて、人生のかけがえのない物語を追体験してほしい。
コロナ禍の休校時に子どものスマホ・ゲームの利用時間が増え、学校再開後も、なかなか元に戻らないという家庭もあると聞く。
青山学院大学の耳塚寛明特任教授は、デジタル機器の利用時間増加によって「子どもが自分の嗜好にとどまる傾向にある」と指摘する(ベネッセ教育情報サイト)。
デジタルネーティブの子どもたちの視野を偏りなく広げるためにも、自分の全く知らない世界に触れられる読書はますます重要だ。
アルピニストの野口健さんは、荒れた青春時代を過ごしていたある時、登山家・植村直己さんの『青春を山に賭けて』という本に出合った。落ちこぼれで自信のなかった植村さんが、登山を通して自分の価値を見いだす内容に深く感銘を受け、野口さんは登山家を志す。そして国内外の山々に挑み、世界最年少(当時)で7大陸最高峰を制覇した。読書体験が人生の可能性を大きく開いたのだ。
野口さんは本紙インタビューで語っている。「体験に勝るものはありません。何か忘れられないような体験をすれば、子どもたちは行動を起こします」
絵本の読み聞かせや、地域の図書館に行くのもいい。子どもが本に親しみ、さまざまな世界と出合う機会を増やしたい。
池田先生は未来部の友につづっている。「大切なのは、絶えず本を手にすることです。それは、新しい世界を手にしたことになります。何が書いてあるのだろう——そのワクワク、ドキドキする心が、自身の可能性を開き、育んでいきます。本を開くことは、未来の扉を開くことなのです」
子どもに良質な読書体験を提供するのは大人の役目である。家庭や地域で未来の宝に"心の栄養"を送り、温かく育みたい。

☆御書と未来へ 第13回 「信頼」こそ青年の財産
〈御文〉
『度々の御所領をかえして、今また所領給わらせ給うと云々。これ程の不思議は候わず。これひとえに、「陰徳あれば陽報あり」とは、これなり。』〈四条金吾殿御返事(源遠流長の事)、新1614、全1180〉

〈通解〉
(あなた〈四条金吾〉は讒言によって)主君からたびたび頂いた所領を返上し、今また新しい所領を賜ったというのは、これほどの不思議はありません。まったく「陰徳あれば陽報あり」とは、このことです。

〈池田先生が贈る指針〉
信心即生活、仏法即社会の「人の振る舞い」が一段と光る時代だ。苦労や不遇も、成長の糧へ変毒為薬できる。
見るもよし、見ざるもよし。題目がある。同志がいる。陰徳は必ず陽報と表れる。
宝の新社会人よ、努力を重ね、誠実を貫いてくれ給え。価値創造と人生勝利の王道を朗らかに逞しく!

☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第35回=完 普賢菩薩勧発品第二十八
■大要
東方の国から娑婆世界に駆け付けてきた普賢菩薩に、釈尊が法華経を四つの法に要約して説きます。それに応えて、普賢菩薩が法華経の行者を守護することを誓います。それでは内容を追ってみましょう。

その時、東方から普賢菩薩が無量の大菩薩と共に、通る国々を震動させ、宝でできた蓮華を降らし、種々の天の音楽を奏でながら、霊鷲山へやって来ます。
普賢菩薩は、釈尊に礼をして、その周りを7周し、語ります。
「宝威徳上王仏の国にいたところ、遙か彼方の娑婆世界で法華経が説かれていることを聞いたので、無量の菩薩たちと共に、説法を聴くために駆け付けてきたのです。どうか、私たちのために法を説いてください。
もし仏の滅後に、法華経を信じる人がいたら、どうすれば法華経を会得できるのでしょうか?」
釈尊が、普賢菩薩に説きます。
「法華経を信じる人は、『四法』を成就すれば、仏の滅後に、この法華経を会得できるであろう」
「一には諸仏に護念せられ、二には諸の徳本を殖え、三には正定聚(成仏することが定まった人々の中)に入り、四には一切衆生を救わんとの心を発す」(法華経666ページ)——四法(四つの条件)が明かされます。
その時、普賢菩薩が、釈尊に自らの誓いを述べます。
「後の悪世に法華経の行者がいたら、私が守護して、わずらいを取り除き、安穏にさせ、付け入る者がないようにします」
「魔や悪鬼など、行者を悩ます者を付け入らせないようにします」
さらに、普賢菩薩は、大菩薩たちを連れて守護することを誓います。
「法華経を読誦する人を守護し、慰め、安心させます」
「その人が、法華経の一句一偈でも忘れたら、教えてあげて一緒に読誦します。その時、その人は歓喜して、精進を重ねるでしょう」
「悪世にあって、法華経を一心に修行するなら、その人のために法を説いて、さらに陀羅尼(魂を込めた言葉のようなもの)を与えます」
陀羅尼を唱えた後、普賢菩薩が、再び語ります。
「もし法華経が全世界で行じられるならば、『皆、これは普賢の威神の力による』と思うべきである」
「法華経を受持・読誦し、理解する人が、命を終えた時は、千仏の手を授けて(千仏授手)、恐れさせず、悪道に堕ちないようにいたします」
「智者は、一心に法華経を説の如く修行するべきである」と促し、再び釈尊に誓います。
「私は今、神通力をもって、法華経を守護し、仏滅後に、法華経を全世界に広宣流布させて、断絶がないようにいたします」
その時、釈尊は普賢菩薩をたたえて語ります。
「すばらしい、すばらしい。あなたは、この経を守り、助け、多くの人々を安楽にして、利益を得させるだろう」
釈尊自身も、普賢の名を受持する行者を守ると述べ、続けて語ります。
「法華経を受持・読誦し、正しく記憶し、習い修め、書写する人は、釈迦仏を見て、仏の口から、この経典を聞くようなものである。
釈迦仏を供養する人は、仏から"すばらしい"とほめられ、仏の手で頭をなでられ、仏の衣で覆われるであろう」
続いて、法華経の行者を仏のように敬うように告げます。
「もし、仏滅後、後の五百歳において、法華経を受持・読誦する人を見たら、次のように思いなさい。
『(この人は)遠くない未来に、道場にやって来て、多くの魔ものを破り、阿耨多羅三藐三菩提(完全な覚り)を得て、法を弘め、法の太鼓を打ち、法のほら貝を吹き、法の雨を降らすであろう。そして、師子の法座に座るであろう』と。
後の世で、法華経を受持・読誦する人は、衣服や食べ物などに貪著せず、願いがむなしくなることもなく、現世において福徳を得るであろう」
続いて、法華経の行者を誹謗する罰を語り、敬うように告げます。
「もし、法華経を受持する者を見たら、『当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし』」
この普賢勧発品を説く時、恒河沙等の無量無辺の菩薩が、百千万億の旋陀羅尼を得て、三千大千世界を微塵にしたほどの数多くの菩薩たちが、普賢の道を具えます。
釈尊が法華経を説く時、普賢菩薩をはじめ、声聞や鬼神、人間や人間でないものなど、ありとあらゆる聴衆が、皆、大いに歓喜し、仏の言葉を受持して、仏に礼をして霊鷲山を去ります。
——これで二十八品にわたる「法華経」の会座、説法が終了します。

■四法
「普賢品」では、法華経を会得するための「四法」が示されます。
池田先生は、私たちの実践に即して、次のようにつづっています。
「�『諸仏に護念せられ』——御本尊を受持することによって、御本尊に守られること。�『諸の徳本を殖え』——善根を積むことであり、御本尊への絶対の信をもって、自行化他にわたって題目を唱えること。�『正定聚に入り』——成仏が定まった人々の中に入ること。正しき和合の組織の中で不退転の信心を貫く一員となること。�『一切衆生を救わんとの心を発す』——民衆救済の誓願を起こすこと。
この四つの条件とは、要するに、『御本尊受持』『唱題』『和合僧』『誓願』ということです。全て、学会と共に広宣流布の大願に生き抜くなかに具わっています」

【『法華経の智慧』から】 全部、味方とさせたまえ!
皆を絶対に幸福にしきっていこうという「責任感」の信心だ。その信心があれば、それが「普賢菩薩」であるし、「普賢菩薩の威神の力」です。この力で、広宣流布は進むのです。

「普賢」とは「普く」「賢くする」すなわち「一切の人を」「智慧を開かせ、幸福にする」という意味にもとれる。自分が接する一切の人を幸福にしていこう! その気迫が「普賢」の心です。

十界の衆生が、すべて妙法に照らされて、仏の働きをするのが、御本尊中心の世界です。
私は、ある時は「地獄界の衆生も、餓鬼界の衆生も、畜生界の衆生も、全部、広布の法戦に参加させたまえ! 全部、味方とさせたまえ!」と祈って、戦った。
十界の衆生が「普く(すべて)」、「賢き」価値創造者となるのが「普賢」です。また、いつだって、魔軍を叱りとばしながらの闘争だった。「大切な、清浄な学会に、指一本、触れさせてたまるか」という決心できた。
皆も、そうあってもらいたい。これが普賢菩薩の精神のはずです。
(普及版〈下〉「普賢菩薩勧発品」)

【コラム】 勧めて発させる
「勧発」とは、人に仏法を「勧めて」、信心を「発させる」ことを意味しています。
「発させる」とは、決して強制や無理強いすることではありません。自らの生命から湧き上がってくる誓いです。
そのために大切なのが、抜苦与楽です。抜苦とは、相手の話に真摯に耳を傾けることです。同苦であり、それが心を軽くします。励ましを通し"自分の幸せを願ってくれている"と実感する時、立ち上がる力が湧いてくるのではないでしょうか。
池田先生は、「普賢菩薩勧発品」が、普賢菩薩の励ましの章であることを通し、「創価学会が、ここまで広宣流布できたのも、『励まし』に徹してきたからです。人間は、ロボットではない。どんなに決意していたって、くじけそうになることもある。だから、ありとあらゆる方法を使って、『元気づける』ことに、私は徹してきた」と。
現実社会で悪戦苦闘する友に、励ましを広げていきたい。

2022.04.22 わが友に贈る

「日蓮が弟子等は
臆病にては叶うべからず」
信心とは最極の勇気だ。
自他共の幸福境涯を開く
正義の語らいを広げよう。
(新1675・全1282)

最蓮房御返事 P1343
『劫初より以来父母主君等の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よもあらじ』

【通解】
この世界の初め以来、父母・主君のお咎めを受け遠国に流罪された人で、私達のように喜びが身にあふれている者は、まさかいないであろう。

名字の言 農業の世界の言葉「苗半生」とは? 2022年4月22日
春に降る雨の呼び名は多いが、今の時季は「百穀春雨」といわれる。さまざまな農作物を潤す、春の柔らかい恵みの雨。いよいよ本格的な農耕シーズンに入る▼農業の世界に「苗半生」という言葉がある。苗の時期の生育状況で、その後の成長や収穫が大きく決まるという意味。あらゆる植物に共通する方程式のようだ▼「人間でいえば『三つ子の魂百まで』ということですかね」と説明してくれたのは、北海道の野菜農家。「幼い時に形成された性格が年を取っても影響を与えることがあるように、野菜たちも苗の時期にクセがつくと、成長してもなかなか消えません。苗半生は自然と共に生きた先人の知恵の一つと思います」▼日蓮大聖人が「心田に仏種をうえたる」(新203・全286)と仰せのように、広宣流布に生きる私たちの対話は、友の心の田んぼ(心田)に幸福の種(仏種)をまく作業といえる。幸福の花を咲かせるには種をまいてからが重要であり、育てる努力を丁寧に重ねる必要がある▼コロナ禍も長期化し、ともすれば友人と疎遠になりがち。一人一人を大切にし、信頼の絆を強めていってこそ希望の未来は生まれる。新しい世界が開かれる。さあ、きょうも友の心に春風を送る対話を!

寸鉄 2022年4月22日
きょう本部幹部会が開始 会館・配信等で視聴。さあ「5・3」へ全員で大行進
「法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし」御書。題目の人は強い。朗らか(新1554・全1143)
真の民衆運動は一人一人を高い精神へ導く—アメリカ学者 人間革命こそ時代の先端
地球の日。環境を守る事は我らの生命を守る事。依正不二の智慧を世界に
アレルギー対策の充実へ基本指針改正。公明が一貫して推進。更に強化を

☆栄光の共戦譜 第4回 1963年(昭和38年)「教学の年」
◇私こそ"広布の責任者"との自覚で
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第4回は、「教学の年」と銘打たれた1963年(昭和38年)を掲載する。

◇「6・21」奄美大島の初訪問
1963年(昭和38年)6月20日、池田先生は5日間にわたる九州指導へ。21日、鹿児島県の奄美大島を初訪問した。
先生は会長就任以来、離島の友を激励して回りたいと念願していた。奄美大島を含めた奄美群島は、53年(同28年)12月にアメリカから日本に返還され、その後、仏法の種子が蒔かれた。
弘教の波が広がる中で、奄美の友は、学会に対する中傷を受け、村八分に遭うこともあった。しかし、悔し涙をこらえ、愛する島を走り抜いた。先生が来島する頃には、会員世帯は6000世帯を大きく上回っていた。
"広布のために苦労に苦労を重ねてきた同志を最高にたたえよう"——交通手段が発達していない当時、先生は小さなプロペラ機で徳之島に入り、そこから奄美大島まで船で渡った。
先生は到着するやいなや、総支部結成の手を打った。22日の午前、奄美大島会館の落成式が行われ、午後には、3支部(奄美大島支部、名瀬支部、古仁屋支部)から成る奄美総支部の結成大会が開催されたのである。
大会の席上、先生は、「自分を幸福にするのは、他人ではありません。科学でも、また、政治でもありません。自己自身の一念であり、自らの生命を開きゆく尊き信心にあります」と指導。時代の先端を行く"信心の勇者"として、最高の幸福境涯を開いていくことを念願した。
この日の夜、奄美の友に贈るため、戸田先生の和歌を次々としたためた。
「辛くとも 嘆くな友よ 明日の日に 広宣流布の 楽土をぞ見ん」
奄美の同志にとって、"師弟の誓い"こそが、地域を楽土へと転じる大きな原動力となった。魂の原点である6月22日は「奄美の日」として輝く。

◇「9・1」学会本部が落成
戦後、学会の再建に着手した戸田先生は、出版事業の事務所として、東京・西神田にあった3階建ての建物を購入。この2階に学会本部が置かれた。1951年(昭和26年)の男女青年部結成式など、草創の多くの原点が刻まれた。
戸田先生が第2代会長に就いた2年後の53年(同28年)11月、学会本部は信濃町に移転。第3代会長に就任した池田先生もここで指揮を執った。
63年(同38年)9月1日、新たな学会本部が信濃町に落成した。恩師の遺言であった300万世帯を達成した翌年のことである。池田先生は落成式で述べた。
「本部は、広宣流布の法城です。民衆救済に戦う勇者の城です」「不幸な人びとの味方となり、皆が、私こそ広布の責任者であるとの自覚で、堂々と指揮を執っていただきたい」
先生は、この本陣から、世界を舞台に"民衆救済のドラマ"をつづり残した。後に、9月1日は、学会本部落成の意義と「学会厳護」の誓いを込め、男子部人材グループ「牙城会の日」に制定された。
21世紀に入り、創価の連帯は192カ国・地域にまで拡大した。
世界広布新時代を迎え、先生は「生まれ変わったような、世界一の『創価城』『広宣城』をつくっていく。海外から来られた方々も、悠々と、ゆっくりできるような『本陣』を、一段と整備していく」と。2013年(平成25年)11月には、広宣流布大誓堂が完成した。
西神田、信濃町の学会本部で、創価の師匠が「慈折広宣流布大願成就」を祈り抜いた「学会常住御本尊」は、同大誓堂に安置されている。
今や学会の総本部は、民族や言語を超えて、世界中の同志が共に師弟の誓願をとどめる"師弟の大法城"となっている。

◇「10・18」民主音楽協会を創立
1963年(昭和38年)10月18日、民主音楽協会(民音)の創立記念演奏会が開催された。先生は出席できなかったが、この日、民音の首脳たちに述べた。
「私は、『世界の民音』に育てたいと思っている。『民音があって、音楽は蘇った』『民音があって、新しい、最高の音楽が生まれた』『民音があって、民衆の心と心が結ばれ、世界が結ばれた』と言われるようになるんだ」
先生は、61年(同36年)1月、アジア初訪問の旅へ。長兄が戦死したビルマ(現・ミャンマー)で平和を祈念した翌日、タイで音楽・芸術などの幅広い交流を目的とした団体の設立構想を語った。
人類が戦争と決別して平和を築くためには、民衆の相互理解を促進する芸術、文化交流しかない——それが、先生の確信であった。
名称を検討する段階では、「民衆音楽協会」との意見もあった。だが、"民衆こそが国家、社会の主人であり、音楽、芸術を育成する主役"と、「民主音楽協会」と提案したのは、先生である。
創立の折、民音のスローガンが発表された。その中にあるのが、「日本の音楽家を育成し、その優秀な作品、並びに演奏を、広く内外に紹介する」である。
民音は「東京国際音楽コンクール〈指揮〉」の主催を手掛け、同コンクールは、世界の若手指揮者の登竜門になった。
さらに、「学校コンサート」といった文化事業や、世界各地での文化交流を展開。民音の文化交流は112カ国・地域にまで広がっている。先生自ら、公演の出演者や関係者に激励も重ねてきた。
ある民音公演の後、先生は「文化」に寄せる万感の思いを記した——「文化は世界の永遠の虹/文化は人間の幸福の大地/文化は平和の絢爛たる大花」

◆年表◆ 1963年
〈1月8日〉
アメリカ・欧州・中東・アジア訪問(〜27日。アメリカ、フランス、スイス、イタリア、レバノン、タイ、香港)
アメリカでハワイ(8日)、ニューヨーク(13日)に支部を結成
フランスでヨーロッパ総支部、パリ支部を結成(16日)
香港の支部大会で香港を幸福の花園に変えゆくよう望む(26日)
香港から帰国する際、飛行機便が台北経由に変更となり、台湾の同志と予期せぬ対面。"冬は必ず春となる"と励ます(27日)
世界を一周する激励行となった

〈3月16日〉
青年部主催の初の弁論大会(東京)

〈4月5日〉
関西指導(〜7日。京都、大阪、和歌山)

〈5月3日〉
第25回本部総会(東京)

〈6月3日〉
東京第1本部幹部会(東京)

〈6月20日〉
九州指導(〜24日。鹿児島、宮崎)
徳之島から船で奄美大島を初訪問(21日)
奄美大島会館落成入仏式(22日)

〈7月28日〉
第1回言論部全国大会(東京)

〈7月30日〉
中部第2本部幹部会(長野)

〈9月1日〉
新学会本部落成式(東京・信濃町)

〈9月15日〉
京都大学に学ぶ学生部員に「百六箇抄」講義を開始(兵庫)

〈10月18日〉
民主音楽協会(民音)を創立
民衆のための新しい音楽運動の創造、音楽を通した国際交流の推進を掲げる
〈民音の海外との文化交流はこれまでに112カ国・地域に及ぶ〉

〈11月3日〉
関西・四国指導(〜5日。兵庫、愛媛)
関西文化祭(3日、兵庫・甲子園球場)

〈11月22日〉
九州指導(〜24日。鹿児島、福岡)

〈11月23日〉
ケネディ米大統領の不慮の死に対し、ホワイトハウスとアメリカのメンバーに弔電を打つ

2022年4月21日木曜日

2022.04.21 わが友に贈る

今なすべきことを
先送りせず進めよう!
その連続が未来を開く。
一日一日を大切に
価値創造の挑戦を!

乙御前御消息 P1222
『いかなる事も出来候はば是へ御わたりあるべし見奉らん山中にて共にうえ死にし候はん』

【通解】
どのような事でも起こったならば、この身延へおいでなさい。心からお迎えしましょう。山中でともに餓え死にしましょう。

名字の言 創価高校に合格した息子と勉強を支えた母 2022年4月21日
「人生に無駄はない」と語る学会員は多い。信心することで何事も前向きに捉えられるようになり、全ての経験が生かされるとの確信を得るからだろう▼今月、各地で行われた未来部の新入生歓迎の集い。東京のある区では母子のリレー体験が感動を広げた。息子は学業と部活動の両立に挑み抜き、念願の創価高校に合格した▼彼の勉強を支えたのは母だった。地区女性部長の彼女は、ピアニストとして奮闘する傍ら、息子が小学生の時から学習をサポート。中学入学後も共に学びを深めてきた。だがコロナ禍で生活は一変。自身に加え、デザイナーである夫も仕事が激減してしまう▼彼女は家計を守るため、就職を決意。わが子の勉強を見てきた経験を生かし、学会活動に励みながら、大手学習塾の講師の採用を勝ち取った。どんな状況でも前進の歩みを止めない。「"信心に無駄はない"と心から思います」——そう語る表情は確信に満ちていた▼苦しいことも楽しいことも、経験する全てに必ず意味がある。否、その意味を見いだし、「意味あるもの」にする。ここに宿命を使命に変える仏法者の生き方がある。それを示してくれる師匠がいて、応援してくれる同志がいる。我らの誇りであり、喜びである。

寸鉄 2022年4月21日
曖昧な的に放った矢が当たる訳はない—牧口先生 目標は明確に。祈り強く
「まいをもまいぬべし」御書。苦境を飛躍の因に。使命の舞台で勝利の舞を(新2145・全1300)
愛媛青年部の日。師子の陣列で拡大の突破口開け 立正安国の対話を勇んで
買い物カートからの子の転落事故が相次ぐ。注意表示を確認。未然に防止
早めに空調の試運転を—経産省。夏の修理は混み合うと。猛暑対策万全に

☆県長・県女性部長会での原田会長の指導 2022年4月16日
一、先月16日、宮城・福島を震度6強の地震が襲い、大きな被害をもたらしました。改めて被災された皆さまに心からお見舞いを申し上げるとともに、東北の同志の温かな励まし、復興・復旧への戦いに、感謝と敬意を表します。
最近は、各地で地震が頻発しています。日頃からの備え、防災の意識をより高めていきたいと思います。
また、ウクライナ情勢が深刻化・長期化しており、深い憂慮を禁じ得ません。即時停戦と部隊の撤退へ向け、関係諸国と国連のさらなる外交努力を強く念願するとともに、一刻も早い終息を一層、真剣に祈ってまいりたい。
学会は現在まで、難民・避難民の方々への支援に当たるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、国連WFP(国連世界食糧計画)、ユニセフ(国連児童基金)をはじめ、国際協力NGOなど計5団体に寄付をしてきました。
私たちは、仏法者の社会的使命を一段と深く自覚し、世界の平和と全民衆の幸福をより強く祈念するとともに、混迷と困難の時代だからこそ、一人一人の足元から対話と励ましの力で幸の連帯を着実に広げ、広宣流布と立正安国への諸活動を進めていきたい。

◇「5・3」の魂は師弟
一、広布拡大の上げ潮のなか、いよいよ5・3「創価学会の日」を迎えます。
「5・3」を凱旋で飾り、新たな勝利へ出発する。これが創価躍進のリズムです。そして「5・3」を貫く魂は、どこまでも「師弟」の一点にあります。
かつて池田先生は、ご自身の戦いの「最大の勝因」を教えてくださいました。
「それは、ひと言で言うならば、いついかなる時も、わが心が師と共にあったことだ」
「"(戸田)先生ならば、どうされるか"を常に考えた。先生が今、私を見たら、何と言われるか? 胸を張って、ご覧いただける自分であるかどうか。私はいつも、そう己に問うてきた」と。
さらには「『仏法は勝負である。ゆえに、敗北は罪である。負ければ、先生の広宣流布の構想を頓挫させることになる。断じて負けてはならない。絶対に勝利の報告をするのだ』。その一心不乱の『祈り』が、力となり、智慧となった。その勇猛精進の『行動』が、活路を開き、諸天善神を動かした」とも教えてくださいました。
最大の勝因——それは「師弟」にあります。
師匠に胸を張って報告できる自分であるか。一心不乱の祈りはあるか。勇猛精進の行動はあるか——池田門下の弟子ならば、それを自らに問い続けながら、前進してまいりたい。
先生に勝利をお届けし、断じて喜んでいただく。この一念が定まれば、越えられない壁はありません。決意も新たに、「5・3」から勝利の夏へ怒濤の前進を開始しようではありませんか!(拍手)

◇対話の旋風を 励ましに総力を
一、ここで、勝利を開くためのポイントを2点、確認したい。第1は、皆で「新しい拡大」「拡大の新記録」に挑戦しよう、という点です。
本年5月は、20世紀最大の歴史家・トインビー博士と池田先生の対談から50周年。その様子は小説『新・人間革命』第16巻「対話」の章に描かれています。
2年越しの対談を終える最終日、84歳だった博士は、45歳の池田先生に「人類の道を開くのは、対話しかありません」と語られた。そして、ご自身の友人の名前を書いたメモを渡され、「世界に対話の旋風を」と託された。まさに一つの対話の終わりは、新たな対話への出発でありました。以来、池田先生は「新しい友人」「友人の友人」へと交流を結ばれ、対話を通して広布の道を開かれました。
今こそ私たちも、先生の戦いを模範として、対話拡大に打って出たい。「古い友人」「これまでの人脈」を大事にしながら、一人一人が「新しい拡大」に、「拡大の新記録」に、果敢に挑戦してまいりたい。
日本中を戦いの舞台とすれば、友好は必ず広がります。待っているだけでは対話は始まらない。自ら声を掛けていく。皆の「勇気の一歩」が重なってこそ、立正安国の新たな歴史が開かれていきます。
かつて池田先生は、「祈りを込めた対話には、必ず強い強い仏の力がこもる」との戸田先生の言葉を引かれながら、「人間は必ず変わる。それを『どうせ話しても無駄だ』と決めつけてはいけない。決めつけは無慈悲に通じてしまう。これが不軽の精神なのです」と教えてくださいました。
どんなに非難されても、対話をやめない。それが不軽菩薩の戦いでした。そして、どんなに悪口を言われても、けなげに、誠実に対話を重ね、味方を広げてきた。それが現代の不軽菩薩ともいうべき創価学会の戦いです。
私たちは、対話に深い「祈り」を込めながら、全国を舞台に、皆で「対話の旋風」を巻き起こしていきたい。

◇心を動かす「声」で
一、第2のポイントは、「新しい人材」を増やしながら「総立ち」で前進しよう、という点です。
かつて池田先生は、大阪の戦いに参加した関西の同志の約半数が、入会半年にも満たない方々であったことを振り返られ、「この若い力、新しい力が燃え上がり、祈り、動き、無限の自らの力を連帯し合っていったからこそ、『"まさか"が実現』と日本中をあっと言わせた」とつづられました。
そして、人材育成の要諦を「第一に『会う』こと」「第二に、友と一緒に動き、一緒に戦うこと」とも教えてくださいました。
人材は「いない」のではない。「見えない」だけです。本気で祈れば、人材は出てくる。会いに動けば、人材を見つけることができる。今の時代は生活スタイルもさまざまです。コロナ禍での意識の違いもある。なかには体調や家族の状況から、思うように活動できていない方、また活動から遠ざかっている方もいらっしゃるでしょう。
だからこそ、祈りを重ね、智慧を出し合いながら、一人一人に寄り添い、一人一人の状況にあった激励に心を砕く。それを「総力戦」でやる以外にありません。まずは、陣頭指揮を執ってくださっている地区部長・地区女性部長、さらに地域や社会で対話を、組織で激励を広げてくださっている最前線のリーダーの皆さまを、最大にたたえてまいりたい。
とともに、たとえば地区であれば、地区部長・地区女性部長だけに激励をまかせるのではなく、担当幹部も地区に入り切って、自ら激励に動く。また正と副が連携を取り合う。その「総力戦の励まし」があってこそ、陣列は広がります。
場合によっては、電話のほうがいい場合もある。オンラインを活用できることもある。ともあれ大事なのは、励ましの「声」です。メールやSNSでの、単なる会合や日程の「連絡」だけでは、相手の心に響かない。「広布の陣列に参加し、福運をつけ、幸せになってもらいたい」。その真摯な思いを込めた、励ましの「声」こそが、友の心を動かします。
また、なかなか勇気が出ない。対話が思うように進まないこともある。だからこそ、「その挑戦がすごい!」「その勇気が素晴らしい!」とたたえ合っていけば、さらなる拡大の息吹が生まれ、勢いも生まれてきます。「新しい人材」を輩出しながら、「皆が総立ち」となるよう、励ましを広げていきたい。

一、小説『新・人間革命』には「あの"大阪の戦い"で大勝利を収めることができたのは、皆が真剣であったからです」とあります。「軍には大将軍を魂とす。大将軍おくしぬれば、歩兵臆病なり」(新1688・全1219)の御金言の通り、リーダーが真剣かどうか、本気かどうか、で勝負は決まります。
リーダー自らが対話で模範を示してこそ、皆も「新しい拡大」に挑み、勢いが出る。リーダー自らが同志のもとに足を運んでこそ、「新しい人材」が生まれ、陣列は強くなります。
さあ決意も新たに、全国の異体同心の団結で断固、完全勝利を成し遂げようではありませんか!

2022年4月20日水曜日

2022.04.20 わが友に贈る

本紙創刊記念日——。
聖教を支えてくださる
全ての皆様に感謝!
混迷の時代を照らす
希望の言論を共々に!

如説修行抄 P504
『一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるともゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ』

【通解】
一生は、つかの間に過ぎてしまうのだから、いかに(三類の)強敵が重なろうとも、決して退する心があってはならない。恐れる心があってはならない。

【先生の指導から】
広宣流布の前進には、さまざまな試練がある。三類の強敵が次々と襲ってくる。越えなければならない山が、いくつもある。
しかし、広布のための労苦は、すべて大福徳に変わる。全部、「自分自身のため」である。しかも、友情を広げ、仏縁を結んだ人は、三世にわたって自身の眷属となっていくのである。
一生は、つかの間であり、生命は、三世である。今の苦労は、三世永遠の幸福のためであることを、危く深く、確信していただきたい。
ゆえに、どれほどの困難にぶつかろうと、退いてはならない。恐れてはならない。もしも、退いたり、恐れたりすれば、自分が損をする。
自分のため、未来のために、退くな!恐れるな!信心を、全うせよ!─こう、大聖人は、教えてくださっているのである。

名字の言 信仰者が兼ね備えるべき"二つの言語" 2022年4月20日
ある女性部員から子育ての悩みを聞いた。地元会館で行われている教育本部の「未来部育成相談室」を紹介すると、早速、訪れたとのこと。後日、女性部員から「相談に行って、本当に良かった」と連絡があった▼相談の中で担当者は母子を優しく励ましたという。「よく来てくださいました。勇気が要ったでしょう。でもその勇気を出せたのだから、もう大丈夫です」。無論、専門的な助言も重要だ。その上で、こうした慈愛に満ちた"言葉"こそ、教育者には必要なものであろう▼中国思想研究の大家であるドゥ・ウェイミン博士は、池田先生との対談で、信仰のリーダーが兼ね備えるべき"二つの言語"に言及した。それは「自分たちの宗教の言語」と「世界市民の言語」である、と▼その二つを先生は、�信心指導や励ましといった「同じ信仰を持つ人々を結びつける言葉」�開かれた心であらゆる人々と対話を交わす「世界市民としての言葉」と解釈し、その重要性を強調した▼キャッチコピー「言葉と、生きていく。」を標榜する聖教新聞は、きょうで創刊71周年を刻む。今後も"言葉の力"で、人類を世界を、正しき平和の未来へリードする深い決意で、日々の紙面制作に取り組んでいきたい。

寸鉄 2022年4月20日
人間革命とは常に前進し自他共の幸福築くこと—恩師。誓願の道を一筋に
「その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」御書。使命の宝土で輝け(新1953・全1467)
人と繋がる学会員の対話こそ平和建設の力—識者 心を結ぶ努力を惜しまず
高齢者の意思疎通の減少深刻—医師。充実の幸齢社会へ温かな地域の絆を
SNSで闇バイト横行。軽い心で人生は破滅。声を掛け合い未来の宝守れ

〈社説〉 2022・4・20 「聖教新聞」が創刊71周年
◇未来を指し示す希望の羅針盤
聖教新聞を開くことから朝が始まる。今では、スマートフォンを片手に電子版を読むことから——そんな人も少なくないだろう。
「人間の機関紙」たる聖教新聞はきょう、創刊71周年を迎えた。本紙を支えてくださる読者の皆さま、全ての関係者の方々に心からの感謝をささげたい。
本紙が産声を上げたのは1951年(昭和26年)4月20日。戸田先生が第2代会長に就任するわずか2週間ほど前のことである。
最初は10日に1度(旬刊)の2ページ建て、部数は5000部。創刊号には、模範の支部を紹介する記事が「聖火鶴見に炎上」の見出しとともに載った。
横浜の鶴見は、師の仕事を支えるために孤軍奮闘する池田先生がその頃、幾度も訪れていた地。若き弟子は激務の合間を縫うように友を励まし、広布拡大の勢いを加速させていった。
当時の鶴見支部を知る女性は、"新来者を池田青年に会わせるという戦いで、どんどん新入会者が増えた"と回想している。
師弟不二の激闘で全てを勝ち越えつつ、拡大の炎を燃え上がらせて創刊された広布の言論紙——それが聖教新聞なのである。
であればこそ、創価三代の師匠が貫いてきた仏法の精神と、平和・文化・教育の人間主義を発信していく聖教の責務は、時代がどれほど変化しようとも変わらない。
信仰の喜びを伝える体験談や、コロナ禍の中で始まった企画「危機の時代を生きる」はさらに多彩になり、好評を博している。自然災害の被災者や、介護を行う人に寄り添うページ、SDGs特集などにも大きな反響が寄せられる。
聖教電子版へのアクセスの広がりは212カ国・地域になった。"世界中の人々に読んでほしい"——戸田先生の願いが、文字通り現実のものになっている。
ジャーナリストとして長年活躍した、ブラジル文学アカデミーのアタイデ元総裁は述べた。
「新聞は毎日、また常に、民衆の光輝ある力のために、現在と未来の間に立って、歴史の行進を先取りする。そして世界の地平線へ、鋭きまなざしを広げていく」
聖教は読者の皆さまの声を追い風としながら、着実に前進する。
そして、混迷する世界にあって、平和と正義の旗を高く掲げ、未来を指し示す羅針盤となる希望のメッセージを発信することを誓う。

☆四季の励まし 君自身の花を咲かせよう 2022年4月10日
◇池田先生の言葉
自分自身が、
かけがえのない、
尊貴な、美しい
生命の花を持っている。
自分にしか
咲かせることのできない、
最高に大切な使命の花を、
晴れがましく
咲かせ切っていくことが、
そのまま
「人間革命」の実証となる。

仏法では
「桜梅桃李」と説いている。
桜には桜の美しさがある。
梅には梅の香りがある。
桃には桃の彩りがある。
李には李の味わいがある。
人それぞれに
使命があり、個性があり、
生き方がある。

「自分なんか
もう駄目だ」と
思うような瀬戸際の時が
諸君にもあるに違いない。
実は、その時こそが、
自身の新しい可能性を開く
チャンスなのである。
人生の勝利と敗北、
幸福と不幸、
その分かれ目が、
ここにある。

挑戦すべきは、
人に対してではない。
自分自身に対してだ。
自分の弱さに対してだ。
そして、
自分に勝っていくんだ。
焦らずに、自分を磨き、
君自身の使命に
生き抜いていくんだ。

希望は、
与えられるものではない。
絶望の底からも、
自ら生み出せるものだ。
不屈の祈りで、
創り出すものだ。

何があっても、
カラッと明るく、
前へ、前へ!
前進することが
重要である。
明るいことが
幸福である。
過去がどうであろうが、
人がどう言おうが、
未来へ向かって
朗らかに生き抜くことだ。
その人が
真実の勝利者なのである。

【写真説明】陽光を浴びた桜が、青空に映える。どの花びらも、まばゆい輝きを放っていた。池田大作先生が先月、都内でシャッターを切った。
御聖訓には「さくらはおもしろき物、木の中よりさきいず」(新2037・全1492)と。ごつごつとした木からも美しい桜が咲くように、信心に励むことで、誰もが「仏界」という尊極の生命の花を、満開に咲かせることができると教えられている。
新年度が始まり、職場や学校など、新たな環境へ踏み出した友も多い。新しい出会いは、新しい自分をつくるチャンスである。わが舞台で友情の輪を広げ、自分にしかない使命の花を咲かせよう。

2022年4月19日火曜日

2022.04.19 わが友に贈る

わが職場こそ
人間修行の道場だ。
誠実な振る舞いで
なくてはならない人に!
信頼と勝利の実証を!

高橋入道殿御返事 P1460
『まして一日も我がかたとて心よせなる人人はいかでかをろかなるべき世間のをそろしさに妻子ある人人のとをざかるをばことに悦ぶ身なり』

【通解】
まして、一日であろうと我が味方として心を寄せてくれる人々をどうして疎略にしようか。世間の恐ろしさに、妻子ある人々が遠ざかることをことに悦んでいるのが私の気持ちである。

名字の言 「聖教新聞の生命線」通信員に感謝 2022年4月19日
先日、愛知県の読者から本紙の北海道支社に電話を頂いた。北海道の通信員がカメラに収め、全国版に掲載された写真への感動と感謝の声だった▼撮影者である女性通信員の顔がほころんだ。「こんなうれしいことはありません」。最近、全国版に3度、撮影した写真が掲載されたという。地域の隅々にまでアンテナを張り巡らせ、取材してくださる各地の通信員は、配達員と共に「聖教新聞の生命線」にほかならない▼彼女の側で自分の事のように喜ぶ女性がいた。彼女のお母さんで、通信員歴46年。これまで掲載された記事は1500本以上、娘が小さい頃は取材に連れて行った、とも。「私の人生と通信員活動は切っても切り離せません。親子2代にわたって池田先生と『共戦の絆』を結ぶことができました。通信員50年を目指します」▼通信員は専従の記者ではない。仕事、学会活動や地域活動をはじめ、多忙な中で時間をやりくりしつつ、紙面作りに貢献している。池田先生は「聖教新聞は、通信員の不撓不屈の闘争なくして発展することは、決してありませんでした」と断言する▼母娘共に通信員を担う尊い姿に本紙発展の原点を確認した。自身も生涯、一通信員の気概で書き続けることを誓った。

寸鉄 2022年4月19日
「法華経にそめられ奉れば、必ず仏に」御書。絶対の法則。題目を強盛に(新1951・全1474)
同志を最大に大切にするのだ—恩師。幹部は、戦う地涌の宝友称え励ましを
苦悩は常に自己完成への接近である—文豪トルストイ。青年よ喜び勇んで試練に挑め
コロナの後遺症に苦しむ人増加と。接種を推奨—医師。決して対策緩めず
公明の市民相談の累計は4千7百万件超。庶民の暮らし守る行動更に貫け

☆第9回本部幹部会への池田先生のメッセージ
◇学会は広宣流布の慈悲の生命体 人間革命の舞を地域へ社会へ
一、最初に、全国の各地区で行われている第1回女性部総会の大成功、誠におめでとう! 今夜は満月です。見えても見えなくても、皆さんが大月天の笑顔と笑顔で、互いにねぎらい、讃え合ってください。
5月3日を前に、明け方の空には大明星天たる金星と共に、火星、木星、土星という、地球の兄弟の惑星たちも輝きを放ちます。聖教新聞を配達してくださる尊き無冠の友をはじめ、日本そして世界の創価家族の健康・安穏・幸福を見守る光と、私には思われてなりません。
さらに先日、はるか129億光年の彼方に、太陽より100万倍以上も明るい恒星が観測され、「明けの明星」また「昇りくる光」を意味する「エアレンデル」と命名されました。
「戸田大学」で、恩師が天文学を講義してくださった折の言葉がよみがえります。
「宇宙から学べ! 宇宙と共に進め! かけがえのない生命に満ちあふれた、この地球を愛し、平和を守り、人類の境涯を高めゆくのだ」と。

◇妙法は大宇宙の根源の法則
一、巡り来る「創価学会母の日」は、苦難と戦う友を「冬は必ず春となる」との希望の陽光で照らしゆく日でもあります。この日に際し、拝したい御聖訓があります。まさに風雪に耐え、悲しみの合掌を繰り返してきた南条時光のお母さんを励まされた一節です。
「東西南北の四方・八方に広がる、計り知れない数の国土に、全宇宙の諸仏が続々と集まり、満天に輝く星のように、大地を埋め尽くす稲や麻のように並んで、法華経の行者を守護されるのです。譬えば、大王の王子を、臣下たちがこぞって大切にお守りするようなものです」(新1908・全1570、趣意)と。
大宇宙の根源の法則である妙法を唱え弘めゆく皆さん方が、どれほど尊貴な生命であるか。皆さん一人一人を、この宇宙に遍満する無量無辺の仏が衣で覆うように厳然と守る。断じて護らないわけがないと、御本仏がお約束くださっております。壮大にして荘厳なる生命の大境涯なのです。
そしてまた、皆さんの自行化他の題目に包まれ、亡くなられたご家族や同志・眷属も、三世永遠に常楽我浄の軌道を進みゆかれることは、絶対に間違いありません。
わが創価学会は、この大宇宙で、十方の諸仏の心と合致して、広宣流布、立正安国を成就しゆく妙なる和合の組織であり、慈悲の生命体であります。
1944年(昭和19年)、戦時中の法難により、初代・牧口常三郎先生は、ここ巣鴨の東京拘置所で、死身弘法の殉教を遂げられました。第2代・戸田城聖先生は同じく不惜身命の獄中闘争にあって、「仏とは生命なり」そして「われ地涌の菩薩なり」と悟達されたのであります。
以来78星霜——。我ら師弟は、久遠元初に誓い合った地涌の菩薩として「この世で果たさん使命あり」と勇み立ち、娑婆世界の不幸と悲惨を無くしゆかんとする民衆の連帯を、地域に社会に大きく広げてきました。
一人一人が人間革命の舞を舞い、「信心即生活」「仏法即社会」の勝利劇を飾り、この地球という星に、菩薩界、そして仏界の生命を滾々と涌現して、揺るぎなく打ち立てていくのが、創価の世界市民の挑戦にほかなりません。
「地涌の菩薩の使命とは対話なり」——この恩師の師子吼のままに、躍動する地涌の命で使命の対話に躍り出て、「未来までの仏種」を蒔き、さらにさらに「生命尊厳」の価値を創造していきたいと思うのであります。

一、きょうは、共戦の全宝友に感謝を込めて、40年前に発表した三つの書を披露したい。
第一に、5月3日を記念して認めた「立正誓」であります。
学会は「平和の柱」「教育の眼目」「文化の大船」として、「ちかいし願いやぶるべからず」(新114・全232)と立正安国の戦いを断固、貫いていくのみであります。
次に、7月の女子部結成の日を記念して綴った「月光薫風乃調」です。
どうか、月光のごとく優しくも強き心で、爽やかな薫風のように、歓喜と和楽の調べを奏でながら、幸の仏縁を楽しく結び広げてください。
最後に、7月の男子部結成の日を記念して書き留め、大兵庫の天地で常勝関西はじめ不二の同志へ贈った「広宣大道旅」であります。
法華経に「皆共に宝所に至る」(新1024・全734)とある通り、私たちは、どこまでも日蓮大聖人と共に、妙法と共に、全宇宙の仏天を味方にして、師弟不二、異体同心で、地球民族を平和と幸福の宝所、すなわち仏国土へ導く広宣大道の旅を、いよいよ決意し合い、メッセージとします。

2022年4月18日月曜日

2022.04.18 わが友に贈る

◇今週のことば
「一切は現証にはしかず」
体験が躍動する聖教は
希望と勇気の光源なり。
人間力・生命力の言論で
励ましの仏縁拡大を!
(新1672・全1279)
2022年4月18日

種種御振舞御書 P917
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』

【通解】
釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であった。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させるのである。

名字の言 「何のため」問いかける生き方 2022年4月18日
フランスの哲学者フレデリック・ルノワール氏が、つづっている。どんな苦境にあっても「『何のために?』という問いかけができる人は、『どういうふうに』でも生きていける」(田島葉子訳『幸せの追求』中央公論新社)▼鹿児島のある教員の壮年は悪性リンパ腫を患い、「余命2年」を宣告された。不安に揺れる心を奮い立たせようと、彼は仏壇の前に座り続けた。"信心の素晴らしさを証明するために、病に勝つ!"と▼時には妻が運転する車の後部座席に横たわり、仏法対話に走った。「この信仰で必ず治すから、見とってよ!」と語りながら。厳しい治療に耐え抜き、闘病中も教壇に立った▼宣告から13年。病気を克服した壮年は、医療福祉専門学校の学科長として後進の育成に力を注ぐ。「広宣流布に一念を定めれば、どんな困難にも負けない自分を築いていける」。そう言い切る彼は、学会の庭では県総合長。確信の言葉で励ましを広げる日々だ▼池田先生は「いかなる病も、いかなる悩みも乗り越えるためにある。仏になるためにある」と述べている。「何のため」を見いだせば、試練に立ち向かう力が湧く。自身の中の無限の可能性を開くこともできる。壮年の姿に、改めて教えられた。

寸鉄 2022年4月18日
「人の力をませば我がちからまさり」御書。5・3へ弾む生命で友の元へ!(新2150※新規収録)
大学会の日。師弟共戦の誓いを貫く誉れの同志。広布と人生の勝利史刻め
青年を育むことが人類の境涯高める—恩師。皆で心して後継の大樹育成を
世界に「平和の心」広げる学会の行動に期待—オーストリア博士 人を結ぶ善の連帯今こそ
温室効果ガスの排出量が7年連続で減少。脱炭素へ行動変革を社会全体で

〈社説〉 2022・4・18 あす、「食育の日」
◇未来を創りゆく力を養おう
男子部の友との語らいで、魚をさばく動画が人気であることが話題となった。あるメンバーは、小学生の2人の子どもに魚のさばき方を教えているという。理由を聞くと、興味深い答えが返ってきた。「料理ができるようになってもらいたいのと、生き物を食べていることを知ってほしくて」
北欧諸国を中心に行われている食育方法に「サペーレ」がある。一昨年、NHKの番組で紹介されていた。サペーレとは、ラテン語で「知る」「味わう」の意味。番組では、子どもたちが目隠しをして香りだけで果物を当てるゲームをしたり、虫眼鏡を使って果物の粒を観察したりと、味覚だけでなく触覚や嗅覚、視覚も存分に働かせて食べ物と向き合い、何を感じたか表現する。やがて彼らは食べ物への興味や好奇心を深め、苦手な野菜を食べるようになっていった。男子部メンバーの取り組みは、この北欧の"知恵"に通じていると感じた。
あす19日は「食育の日」。食育の語源は、医師・石塚左玄が1896年(明治29年)に発刊した『化学的食養長寿論』にある。この中で石塚は、"体育、智育、才育はすなわち食育にあると考えるべきである"とし、人材育成の基本となるものとして"食育"の重要性を記している。明治期は近代化によって西洋料理が入り、食文化が大きく変化した時代だった。
同時代に生きた佐伯矩は、「栄養は健康、経済、道義を含む、より広い意味に用いられ」るべきとの信念を持ち、食糧・栄養の問題には、常に国際的な視野と行動が必要と訴えた(日下部正盛著『栄養学の創始者佐伯矩博士小伝』)。彼の志は、現代のSDGs、特に"食"に関する取り組みに引き継がれていると言えよう。
近年、日本でも、食品の売れ残りや食べ残しの問題に関心が高まり、2019年には公明党の主導による「食品ロス削減推進法」が成立し、関連業種を中心に取り組みが大きく進んだ。コロナ禍もあり、世界では10人に1人が飢餓に苦しんでいる。「食育」は自身の健康のためだけでなく、世界が直面する問題への想像力や解決力の礎となるだろう。
"食"には目に見えないつながりがあり、宝石のように輝く真心があふれている。身近な食文化に関心を深め、自身と後継世代の未来を創りゆく力を養いたい。

☆大慈悲の心音 門下への便り 第2回 千日尼
千日尼は、夫・阿仏房と共に、佐渡に流罪中の日蓮大聖人に帰依しました。大聖人に真心を尽くしてお仕えした、佐渡の中心的な女性門下です。
「阿仏房尼」と呼ばれていましたが、ある時期から「千日尼」と記されていることから、大聖人から法号を頂いたと考えられます。「千日」とは、一説には、大聖人が佐渡に滞在した日数に由来するともいわれます。
2年5カ月に及ぶ佐渡流罪中、大聖人は衣食住も満足でなく、念仏者らに命を狙われる過酷な状況に置かれました。そうした大聖人の身を案じた千日尼は、食料を用意し、夫の阿仏房に櫃を背負わせ、地頭や念仏者らの監視の目をかいくぐって塚原の三昧堂にお届けするなどしました。大聖人を支えたことで、阿仏房夫妻は、住まいを追われ、罰金を科せられ、屋敷を取り上げられています。
後に大聖人は、難に屈せず信心を貫く純真な千日尼のことを、「いつの世になっても、忘れることはありません」「まさに、亡くなった母が佐渡の国に生まれ変わってこられたのでしょうか」(新1741・全1313、通解)と最大限にたたえられています。
大聖人が赦免になってからも、千日尼の求道の炎はいやまして燃え上がります。文永11年(1274年)からの5年間に3度、遠く山海を隔てた身延の大聖人のもとへ、夫にお手紙と御供養を託して送り出しています。
女人成仏や謗法の罪の軽重等、法理について大聖人に質問するなど、清らかな信仰を貫いた千日尼。夫婦の心を受け継いだ子息の藤九郎は、立派な法華経の行者へと成長していきました。

◇心こそ大切
『御身は佐渡国におわせども、心はこの国に来れり。仏に成る道もかくのごとし。我らは穢土に候えども、心は霊山に住むべし。御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候え。』
千日尼御前御返事(雷門鼓御書) 新1746・全1316

心は不思議です。目には見えません。しかし、その心は、物理的な距離を超えて結ばれます。
弘安元年(1278年)の初冬、身延の大聖人のもとに、千日尼からの真心の御供養が届きました。
佐渡から遠く離れた身延の地へ、たびたび夫を送り出してきた千日尼。この時、すでに高齢だった彼女には、心のどこかに、"もう二度と、大聖人にお会いすることはできない"という寂しさがあったかもしれません。その心を包み込むような温かい励ましの言葉です。
"あなたの心は、間違いなく私のところに来ていますよ"
"お会いしたからといって何になるでしょう"
何度も夫を送り出すという行動となって表れた、師を求める千日尼の変わらぬ志を、最大にたたえられているのです。
かつて池田先生は、「師弟不二」について語りました。
「自分の中に、師をたもって自立するということです。私の中に戸田先生がいる。口で言うべきではなく、心の問題です。『不二』というのは、自分の中にあるからです」
会えるか、会えないかといった、表面上の事実よりも、「心こそ大切に候え」です。
心に師を抱き、心の師と共に進む人に行き詰まりはありません。

◇広布の大道 心広々と
『いよいよ信心をはげみ給うべし。仏法の道理を人に語らん者をば、男女僧尼必ずにくむべし。よしにくまばにくめ、法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし。「如説修行」の人とは、これなり。』阿仏房尼御前御返事 新1730・全1308

命懸けで信心を貫いてきた千日尼に、今一重の信心を促し、力強く激励されています。
大聖人が鎌倉に御帰還された後も、勇敢に広布の旗を掲げた阿仏房と千日尼の夫妻。念仏が盛んだったとされる当時の佐渡で、いわれない中傷や批難に遭ったことは想像に難くありません。
"よし、憎みたい者は憎めばよい!"——突き抜けるような御本仏の大確信の音声が胸に響いてくるようです。低次元な批判に振り回されて、くよくよする必要など全くないのだ、と。
「一切の苦難は、自身の生命を金剛不壊に鍛え上げ、宿命の鉄鎖を断ち切って人生を自由に遊戯しゆく力を開発する原動力になる」
この池田先生の指導の通り、どんな批判も圧迫も、人間革命のエネルギーへと変えていくために、「金言に身をまかす」如説修行が何より重要です。
私たちの基準は、時や場所によってコロコロ変わる世間の評判でも、自らの弱い生命でもありません。御書、そして御書を身で読まれた三代会長のご指導こそ、不滅の羅針盤です。
どこまでも心広々と、広布の大道を歩んでいこうではありませんか。

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第25回 女性、青年を最大に尊重
◇「優しさ」「礼儀」と「信頼」「誠実」
婦人部(現・女性部)に対しては、心からの「優しさ」と「礼儀」をもって接することである。かりにも、婦人を叱ったり、いばったりすることがあってはならない。どうも、家で奥さんに頭が上がらない男性ほど、他の婦人にいばる傾向があるようだ。(笑い)
また、ふざけた、軽視の心があってはならない。紳士として、婦人を最大に尊敬し、どこまでも優しく、礼儀正しくあっていただきたい。
さらに、未来を託す男子部には、絶対の「信頼」をもって接することである。信頼の心が伝われば、人材は伸びていく。そして女子部(現・女性部)は潔癖が身上であり、いいかげんなことはいちばん嫌われる。「約束は必ず守る」など、裏表なく誠実に接していくべきである。
これらの点を、各部に対する一つの原則として、言い残しておきたい。
(『池田大作全集』第75巻、全国壮年部幹部会でのスピーチ)

◇「何でも語りあえる雰囲気」を大切に
どこまでも耳をかたむける。言い分は何でも受けとめる。これが御本仏の大きな慈愛であり、大きな心であられた。
学会もまた、何でも語りあえる雰囲気を大切にしていきたい。そうでないと伸びないし、発展は続かない。上から下への命令だけでは、官僚主義である。組織は硬直し、人間まで硬直させてしまう。そんなことは絶対にあってはならない。
学会は人間の世界である。魂の世界である。心の世界である。慈悲の世界である。あくまでも人と人の団結と触発の世界である。だから強い。これを大切にすれば、学会は永遠に発展できる。
何でも語りあえる雰囲気——これを学会は根本にすることを宣言しておきたい。
(『池田大作全集』第89巻、本部幹部会でのスピーチ)

◇仏子を尊敬し、愛情をもって
一人の友を、これ以上できないというぐらいに、徹底して守り、してあげられることは、すべて実行しようと心をくだいていく。仏子を心から尊敬し、愛情をもってつつんであげる。その人が真実の人材であり、リーダーなのである。
(『池田大作全集』第74巻、アメリカSGI最高会議でのスピーチ)

2022年4月17日日曜日

2022.04.17 わが友に贈る

大いなる決意が
大いなる人生を開く。
同じ生きるなら
所願満足の勝利史を!
さあ挑戦だ! 前進だ!

佐渡御書 P956
『身命に過たる惜き者のなければ是を布施として仏法を習へば必仏となる』

【通解】
身命にまさるほど惜しいものはないので、この身を布施として仏法を学べば、必ず仏になるのである。

名字の言 当たり前の日々の素晴らしさ 2022年4月17日
朝起きて、学校に行く。帰ると宿題をしたり、友達と遊んだりして、夜眠る……。ある男子未来部員は"平凡な毎日だなあ"と思っていた。そんなある日、母が体調を崩し、彼の弁当を作れなかった。その日は出勤前の父がコンビニで調達したパンを持って登校した▼昼食時、パンを食べていると無性に寂しくなった。同時に"毎朝、お母さんが弁当を準備してくれるのはすごいことなんだ"と実感した。さらに、父が元気に働いていること、祖母が帰宅した自分を「お帰り」と迎えてくれることなど、当たり前と思っていた日々に素晴らしさを感じ、感謝の心が湧いた▼かつて、池田先生はある会館で、居合わせた女性部員を激励した。"毎日が家事や子育てなどの繰り返し"と思いがちな日常を送る友に、こう語っている。「平凡といえば平凡なことを、やりきっていくことである。その平凡のなかに真実の幸福がある」と▼信心も、勤行・唱題を地道に実践し抜く日々に、仏道修行の真実の一つがある。「繰り返し」のように思える日々も、実は福運を「積み重ね」ているのだ▼たとえ"平凡"のように見える行為でも、それを毎日、自他共の幸福を築くために貫いていく——それはまさに"非凡"な偉業である。

寸鉄 2022年4月17日
信行学に励めば、悩める凡夫でいるわけがない—恩師。人間革命の道、共に
山形県女性部の日。わが地域を広布の理想郷に。今日も希望の対話を拡大
「大果報はまた来るべしとおぼしめせ」御書。信心の労苦に一切の無駄なし(新1613・全1178)
帯状疱疹が増加と。過労やストレスなどで発症。聡明な生活で疲れ溜めず
スマホ一つで誰でも稼げます—嘘の副業手引売る業者に注意を。甘言は罠

☆5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」を祝賀する第9回本部幹部会
◇池田先生が祝福のメッセージ「地球民族に生命尊厳の光を」
師弟勝利の7月へ、飛躍を誓う5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」記念の第9回本部幹部会が16日午後、巣鴨の東京戸田記念講堂で盛大に開催された。
これには、原田会長、長谷川理事長、永石女性部長らが各部の代表と出席した。
池田大作先生は祝福のメッセージを贈り、全国の各地区で第1回「女性部総会」を行っている友の奮闘を称賛。一人一人が躍動する地涌の命で対話に躍り出て、生命尊厳の価値を創造していきたいと望んだ。
さらに、立正安国を貫く誓いを胸に、月光のごとく優しく強き心で、幸の仏縁を広げながら、地球民族を平和と幸福の仏国土へ導く広宣大道の旅を決意し合おうと呼び掛けた。
(全国配信は22日から25日〈配信の会場と時間等は各県・区で決定〉。同期間中、「モバイルSTB」「SOKAnet会員サポート」でも視聴可能)

◇立正の誓い新たに広宣大道の旅へ
雲間を破って温かな陽光が注ぎ、新緑の中を春風が吹き抜ける。
さあ民衆勝利の歌声を高らかに——栄光の「5・3」から新たな広宣流布の旅へ、希望の大行進が始まる。
「5月3日を前に、明け方の空には大明星天たる金星と共に、火星、木星、土星という、地球の兄弟の惑星たちも輝きを放ちます」
池田先生のメッセージが、池田主任副会長によって読み上げられると、参加者の瞳が光った。先生が、「この地球という星に、菩薩界、そして仏界の生命を滾々と涌現して、揺るぎなく打ち立てていくのが、創価の世界市民の挑戦にほかなりません」と呼び掛け、最後に「立正誓」「月光薫風乃調」「広宣大道旅」の書が紹介されると、会場いっぱいに拍手が響いた。
巣鴨の東京戸田記念講堂は、創価三代の師弟の魂が脈打つ法城である。
1951年(昭和26年)5月3日、75万世帯の大願成就を誓い、戸田先生が第2代会長に就任した。
60年(同35年)5月3日には、池田先生が恩師の遺志を継ぎ第3代会長として立った。
今、創価家族のスクラムは世界192カ国・地域に広がり、試練の中にあっても、一人一人がわが使命の舞台で人間主義の旗を高く掲げる。
我らにとって5月3日は、創価の三代会長に貫かれる「一人立つ」地涌の元初の誓いに立ち返る日。広布の新たな峰へ、決然と出発する日である。
さらに5月3日は、「創価学会母の日」でもある。
池田先生は、かつて提案した。"学会で最も大切な記念日である「5月3日」を、創価の女性を最大にたたえ、顕彰する日としてはどうか"と——。
結成1周年をこの5月3日に迎える女性部は、師の心のままに、平和と幸福の連帯を朗らかに築いている。
3月から今月にかけて、池田華陽会を先頭に各地で第1回「華陽カレッジ」を実施。
今月は、世代を超えて友が集い合う、第1回「女性部総会」を全地区で開催。皆で「5・3」を祝福しつつ、信頼と友情の対話を地域に広げている。
桜梅桃李の花を咲かせゆく創価の女性への感謝に満ちた幹部会では、「5・3」の歩みを振り返る映像とともに、"日本一"に輝く音楽隊の創価グロリア吹奏楽団が、学会歌「威風堂々の歌」「誓いの青年よ」、世界青年部歌「Eternal Journey with Sensei!〜永遠の師弟旅〜」の調べを轟かせた。
また女性部の白ゆり合唱団、富士合唱団による記念の合唱を収めた映像が披露され、女性部の愛唱歌「勇気のトップランナー」、学会歌「青春桜」、池田先生作詞の「母」の歌声が響いた。
志賀青年部長は、社会を善の方向へと変革しゆく仏法者の使命を胸に、青年が先頭に立って、立正安国の対話に打って出る決意を語った。
永石女性部長は、池田先生ご夫妻が貫く師弟ひとすじの人生への尽きせぬ感謝を述べつつ、勝利の誓いを果たす7月へ、自身の周囲から、生命尊厳の哲理を語り広げていこうと呼び掛けた。
原田会長は、50年前に始まった歴史学者トインビー博士と池田先生の対談の中で、人類の生存を脅かす諸悪を克服する真の宗教について語り合われた事実に言及。私たちが日々挑戦する人間革命の実践こそが、人類の平和と繁栄への直道であると述べ、一人一人の成長と勝利によって、仏法が未来の「真の宗教」であるか否かが決まると強調した。
さらに、「創価の勝利こそ民衆の勝利」との気概で戦い抜き、新たな歴史を開こうと訴えた。
最後に、池田先生のスピーチ(1995年5月の第88回本部幹部会)を収録した、新しいVOD番組「くり返しの行動が大境涯をつくる」を視聴した。
※本部幹部会および、VODの同番組の「モバイルSTB」での配信は、22日午前9時から(インターネットを通してダウンロードが必要です)。また、本部幹部会の「SOKAnet会員サポート」での配信は、22日午後4時から(「SOKAnet会員サポート」では、VODの同番組は視聴できません)。

☆御書根本の大道 第7回 躍り出よ
◇種々御振舞御書
『法華経の肝心、諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に、日蓮さきがけしたり。わとうども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこえよかし。』(新1227・全910)

◇勇気の指標
「世界広宣流布」は御本仏の御遺命です。その遠大なる使命を、後に続く門下に託されているのです。
広宣流布とは、末法万年にわたり、しかも一閻浮提、すなわち全世界の人々を救いゆくものです。そのためには、大聖人の精神と実践を受け継ぐ弟子が、絶え間なく続いていかなくてはならない。広宣流布を断絶させてはならない、というのが仏の願いだからです。
◆◇◆
御聖訓には、「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」(全1359・新1790)とも御断言です。日蓮仏法の魂は、「さきがけ」の勇気です。「二陣」「三陣」と続くためには、自らが一人立つ覚悟がなければ、本当の意味で後を継ぐことはできません。
ゆえに、まず自分が、決然と立ち上がることです。思い切って行動を起こすことです。先陣の苦労は大きい。しかし、その分、大きく人間革命できるのです。一人の「法華経の行者」が行動を起こせば、周囲の人が二人・三人・十人と目覚めていく。真剣の一人の戦いが、必ず新たな歴史を作るのです。
◆◇◆
大聖人に直結する我らは、いよいよ「二陣、三陣」と、人類が渇仰してやまない平和と人道の大哲理を、勇気凜々と語り弘めていこうではありませんか!

◇師弟の陣列 二陣三陣と! 岡本利明 総大阪長
今、大阪は「励ましの大阪」「座談会の大阪」とのモットーを掲げ、絆を結ぶ中で、青年部から錦宝会(多宝会)の先輩まで、正役職の方も副役職の方も、一人また一人と人間革命の新たな大前進を開始しています。特に壮年部では、太陽会をはじめ各グループの友も意気高く、あらゆる垣根を越えた"総合力"で、総立ちになっています。
今回、「種々御振舞御書」の一節を拝します。"弟子たちよ広宣流布へ、二陣三陣と、勇猛果敢に躍り出よ!"との大聖人の師子吼を命に刻んでいきたいと思います。

◇音を立てて
池田先生は、今回学ぶ一節について、『人間革命の宗教』の中で、「一人の『法華経の行者』が行動を起こせば、周囲の人が二人・三人・十人と目覚めていく」と講義されています。
この御文を拝し、思い起こすのは、1997年(平成9年)11月、大阪ドーム(当時)で行われた第17回世界青年平和文化祭です。
当時は阪神・淡路大震災から2年。また、学会を狙い撃とうとする権力の魔性が牙をむいていました。復興への歩みと、障魔の逆風の中で行われた文化祭。当日、5万人が乱舞する大舞台をご覧になった池田先生は、次なる勝利へ出発する集いで、「今、関西から音を立ててスタートした」とたたえてくださいました。
本番を目指し、関西では、100万の正義の連帯構築へ奔走。関西男子部長だった私は、各地を駆け巡る中で、一人、また一人と人間革命に立ち上がっていく姿を幾度も目の当たりにし、感動の連続でした。その裏には、触発と励ましのドラマがありました。
"皆が勝利の実証を示してこそ、文化祭は大成功と言えるのや!"と励まし合い、執念で弘教を実らせた友。「頑張りや!」とわが地区の青年を朗らかに励まし、"あの時も、こうやって先生にお応えしたんや"と、自らの師弟の原点を語り継いだ壮年部・婦人部(当時)の先輩。
広布拡大の爆発的な戦いと、立場も年齢も超えた励ましの渦の中で、関西中に師弟の魂が継承され、脈動し、まさに"音を立てる"ように、二人・三人・十人と地涌の使命に目覚めていったのです。この年、関西は圧倒的な弘教・拡大を達成。あらゆる烈風をはね返し、新たな時代の幕を開きました。
私自身も関西家族に育てていただいた一人です。学会員の両親のもとに生まれたものの、貧乏や病気を抱える家族の姿に、高校時代まで信心に反発する思いもありました。
受験を控えた高校3年の時、私の成長を願い、励ましてくださる地域の同志の真心に胸を打たれ、発心。両親の勧めもあり、創価大学へ進学し、池田先生との原点を築くことができたのです。その後も、大阪の各地で、師匠と共に生きる常勝の魂を教えていただきました。

◇信心しきった者が勝つ
一人一人が先生と直結している。訪問・激励に力を入れる中で改めて気付いたのも、この点です。
特に歴戦の先輩の皆さまのもとを訪れると、あの「大阪の戦い」をはじめ、池田先生と広布の歩みを重ねた様子を誇らしげに教えてくださいます。「私も1万1111世帯の中の一人ですわ!」「あの時、会合の役員をしていて、先生がすぐそばを通られたんです!」と。当時の記憶がよみがえってくるのでしょう。語るにつれて頬が紅潮し、まるで当時に戻ったかのように、生き生きと話される姿を見て、こちらも元気になります。
なぜ関西は常勝なのか——。
それは、草創以来、一人一人の胸中に、"わてらのセンセ"がいる。厳然と師匠がいらっしゃるからこそ、地涌の底力を無限に発揮できるのだと確信します。
その師弟不二の精神は、大阪のあの地でも、この地でも生き生きと語り継がれています。そして、この「3・16」を見事な弘教拡大で勝ち飾った青年部へと受け継がれています。
本年は世界青年平和文化祭から25周年です。先生は当時、「不思議にも、広宣流布の飛躍の時は、常に、わが関西が大舞台となる」とも語ってくださいました。
コロナ禍をはじめ、混迷する社会情勢の中で迎える関西広布70周年。7月には「大阪大会」から65周年を刻みます。
"最後は、信心しきった者が必ず勝つ!"——この師匠の師子吼を胸に、今再び、一人一人が総立ちとなって、二陣・三陣と打って出る時です。"総合力"を発揮し、先生の手作りの大阪、関西から、立正安国の勝利へ。"私の飛躍"から、新たな師弟勝利の金字塔を打ち立てていこうではありませんか!

◇メモ
「種々御振舞御書」は、建治2年(1276年)の御述作とされているが、詳細は不明。文永5年(1268年)から建治2年まで、約9年間にわたる日蓮大聖人の御闘争について述べられている。

2022年4月16日土曜日

2022.04.16 わが友に贈る

近隣を大切に!
「足下に泉あり」だ。
平和と広布の起点も
今いる地域にこそある。
友好の輪を「私」から!

法華初心成仏抄 P552
『当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき』

【通解】
当世の人は、何はなくても法華経に背く失によって地獄に堕ちることは疑いないのである。

名字の言 「応援団の父より」 2022年4月16日
ある女性部員の体験を聞き、胸が熱くなった。かつて自然災害で夫を失い、悲嘆に沈んでいた時、どれほどの人に支えられたか▼地域の友が何度も、温かい手料理を持って来てくれた。「作り過ぎちゃったから」「味見してほしくてね」……。気遣いの一言一言からも、温かさがじわっと伝わってきた。遠い故郷の父は頻繁にハガキを送ってくれた。書かれていたのは"頑張れ"と促す内容ではなく、日常のささいな出来事ばかり。でも結びには必ず「応援団の父より」。気恥ずかしかったが、うれしかった▼"皆が私の蘇生を信じ、待ってくれている"。彼女は少しずつ笑顔を取り戻し、やがて広布の活動に励めるように。「自分が涙した以上に人を笑顔にしたい」と▼日蓮大聖人は門下に「お会いした上でなければ言い尽くせません」(新1496・全1099、通解)とつづり、対面で語り合うことを大切にされた。一方で、会えない人には「お顔を見たからといって、それが何でしょう。心こそが大切なのですよ」(新1746・全1316、通解)と慈愛で包まれた▼どんな形でも、離れていても、人はつながり合える。そして一緒に前に進むことができる。祈りと真心を込めた声、言葉を送り続けることで。

寸鉄 2022年4月16日
御書「妙の一字の智剣をもって」。どんな宿命や苦難にも絶対勝利の祈りで
創価の女性は希望の太陽 友の心に励ましの旭光を 充実の総会から5・3へ
教学を身に付けないと信心は進まない—戸田先生 青年よ行学の両輪で進め
小中学生3割「鬱症状でも相談せず」—調査。新学期、小さな変化見逃さず
感染禍でAED使用率が低下と。いざという時のため心構えと確認を再度

〈社説〉 2022・4・16 歴史的な第1回「女性部総会」
◇希望の世紀へ 誓いの連帯
今、歴史的な第1回「女性部総会」が、列島の津々浦々で朗らかに開催されている。
女性部総会を目指し、手紙やチラシを携えて訪問・激励に歩く同志。"参加者を少しでも明るく迎えたい"と、設営に汗を流すメンバー。弘教や聖教の拡大に挑んで迎えた友——世界に疫病や戦乱の危機が起こり、苦難が続く社会にあって、一人一人の挑戦のドラマと桜梅桃李の輝く笑顔は、温かな安心の光で地域を照らしている。
池田先生は一貫して、「21世紀は女性の世紀」と訴えてきた。21世紀が開幕し、20年が経過した昨年5月3日に女性部は発足。11月18日には女子部も一体となり、新たな歩みを開始した。
米エマソン協会のサーラ・ワイダー元会長は、かつて語っていた。「創価学会の女性たちに無限の希望を抱いております。とりわけ、女性たちの助け合い、励まし合いに満ちた姿は印象的です」
女性部の誕生から1年。婦人部・女子部の70年の歴史を昇華し、これまで以上に幅広い世代で、希望と励ましを送り合ってきた。華陽カレッジや創春ミーティングも開催され、各地で人材の裾野が大きく広がっている。
兵庫のある地区の女性部総会には、20代の池田華陽会から80代の"多宝世代"が、にぎやかに集い合った。司会は入会3年目のグループ長が爽やかに。入会1年目の池田華陽会の友らが手話で歌を披露するなど、新たな人材が躍動。都合がつかず、集えなかった同志は、決意をメモに記して"参加"するなど、"皆が主役"の総会となった。大成功の陰には、地区女性部長と先輩たちのこまやかな訪問・激励の積み重ねがあった。
池田先生は女性部の誕生を祝して、「安心して、いよいよ明るく誇り高く、いよいよ仲良く朗らかに、世界第一の『桜梅桃李』のスクラムを組んで、『女性の希望の世紀』すなわち『生命尊厳と平等そして平和の世紀』を創り光らせていってください」と、最大の期待を寄せている。
"世紀"という大きな単位で未来を展望する時、10代から100歳以上に及ぶ女性のスクラムの存在は、ますます輝きを放つことだろう。地球の平和と安穏を祈り、足元から信頼の対話を広げる女性部の奮闘に、深く敬意を表するとともに、各地の女性部総会の大成功へ、真心のエールを送りたい。

☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第20回 名古屋
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「名古屋——『生きる喜び』は『出会う喜び』」〈2013年4月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。池田先生は、一人一人を温かく励まし、皆の長所を伸ばしながら人材の裾野を広げてきた中部の同志を心からたたえる。中部の挑戦に学び、旧交を温めながら、新たな出会いを結び、平和と希望と歓喜の春を広げたい。

◇平和と希望と歓喜の春を
桜花
 くる年くる春
  笑顔舞

笑顔は春を呼ぶ。春は笑顔を広げる。
それは共に、厳冬の試練を勝ち越えゆく命の喜びと言ってよいでしょう。
「春風に 吹き出し笑ふ 花も哉」
「俳聖」と仰がれた松尾芭蕉が、若き日、故郷である伊賀(三重県)で詠んだものとされます。
笑顔がはじけるように咲き開く花を待ちわび、愛おしむ心が伝わってきます。
芭蕉によって確立された「蕉風」と呼ばれる俳句の新たな作風の発祥地は、まさに名古屋です。
思えば、二千四百キロとも言われる「おくのほそ道」の旅で、芭蕉が東北や北陸を歩き、旅の終点に選んだのは、岐阜の大垣でした。
三重、愛知、岐阜——私も大好きな中部は、「芸どころ」名古屋をはじめ、命と命の出会いの喜びが満つる天地でもあります。
芭蕉は、故郷の若き友との久方ぶりの再会の春を喜び、こう詠みました。
「命二ッの 中に生たる 桜哉」
深き縁の二人の命の前には、心と心を通わせる桜が爛漫と咲き薫っている——と。
芭蕉が、この後継の友に強調したのは、人情を知り、よき友人を作ることです。わだかまりにとらわれず、かたくなに人を区別せず、大きな心で広々と交流することです。
よき出会いを重ね、励まし合いながら、風雪を乗り越えゆく人生は、桜花のごとく明るい笑顔の花に彩られます。

◇どんな苦難も
〈織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。名だたる英雄たちを生んだ中部。池田先生は、独創的な地理学者であった先師・牧口常三郎先生の"現代においても中部から偉大な人材が躍り出て、偉大な事業を成し遂げていくべきである"との洞察を紹介する。そして、各地に記録的な被害をもたらした「伊勢湾台風」から立ち上がった中部の同志をたたえた〉

戸田先生と私は、中部の友に「堅塁」という指標を贈りました。
中部には、どんな試練にも揺るがない「堅固」な信念があります。どんな苦難をも耐え抜く「堅忍」の心があります。どんな変化にも勝ち抜く「堅実」の知恵があります。
一九五九年の九月。あの「伊勢湾台風」を忘れることはできません。
私は至急、東京や関西、全国の友と連携を取り、救援の態勢を整え、私自身も台風の直後に、被害が甚大であった名古屋南部や三重の四日市市、桑名市、川越町に向かいました。地元の方と一緒に、泥水のなか、救援物資をボートに積んで各所を回るなど、友を励ましていったのです。
その際、皆で命に刻みつけたことがあります。
——家が壊され、家財が流され、どれほど大変でも、心が壊されなければ、必ず復興できる。今こそ団結しよう。この災難を乗り越えた中部は必ず大発展するのだ、と。
苦楽を共にしてきた中部の今日の大発展ほど、嬉しいものはありません。

◇自分らしく
〈さらに池田先生は、夫と共に中部各地を駆けた一人の女性が友への激励の際に心掛けてきたことに触れつつ、自分らしく輝く人生に光を当てる〉

伊勢湾台風の際に、私と一緒に救援活動に奔走してくれた地域のリーダーの夫妻がいます。
もともと、夫人は幼少から虚弱体質で、引っ込み思案でした。人前で話すのが苦手なこともあり、初めは地域を担う責任を重く感じて悩んだようです。
私は「自分らしく振る舞えばいいんです。そこに自信が生まれます」とアドバイスし、「自信」と揮毫した色紙を贈らせていただいたことがあります。そして、負けないで自分らしく挑戦を続けるなかで、自らを人間革命していったのです。
この夫人が、友と接する時に心がけてきたことを伺い、私は感心しました。それは——
�まず自分の生命力を強く豊かにする。�相手の気持ちになって、悩みや言いたいことを粘り強く聞く。�自分で立ち上がる力を引き出せるよう励ます。�問題が解決するまで励まし続ける、ということです。
目立たなくてもよい。ただただ、人知れず、真剣に真面目に生き抜いている友人を大切にし、共に歩んでいきたいと願ってきました。
夫人は「志を同じくする多くの友を得ることができたことが、一番嬉しい」と語っています。
後輩の女性の皆さんも、人々を照らす太陽となって、それぞれの、わが町や地域に貢献されています。
〈結びに池田先生は、心を通わせて、仲良く前進しゆく中部の友に期待を寄せた〉
「なごや」の地名は、気候などが穏やかで過ごしやすい「なごやか」に由来するともされます。それは、和やかな、人の「和」も連想させます。
私の敬愛する友人であり、アメリカの著名な宗教学者であるニコラス・ガイヤ名誉教授(アイダホ大学)は、かつて桜の咲く頃、名古屋を訪れました。そこでコーラスを練習する婦人たちと出会い、大きな触発を受けたといいます。
「中部の婦人たちが、自らの心を、外に向かって明るく表現していたこと、それも、単に個人の表現にとどまらず、コーラスというグループの形で表現していたことに、素晴らしさを感じました。歓喜の表現を通して、この婦人たちが、『魂の中に幸福を創造する運動』に献身しているのだということが理解できました」と。
弾む歌声は、なんと瞬時に、なんと深く、生命と生命を結び合うものでしょうか。
私と中部の友たちが心を合わせてきた歌の一節に、こうあります。
「この道歩まん 朗らかに」
「苦難の彼方に 瑠璃の城」
愛する中部の天地では、今日も元気に、快活な歌声が響いていることでしょう。
そして、その友情のスクラムから、なごやかな平和と希望と歓喜の春が生まれています。

今までと
 また新しき
  人もまた
 共に仲良く
  中部の家族と

2022年4月15日金曜日

2022.04.15 わが友に贈る

急激な気温低下に注意し
外出時の服装など工夫を。
体調を崩さないように
十分な睡眠を取り
聡明な生活を心掛けよう。

御義口伝巻下 P781
『法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり』

【通解】
法華経を受持する所を「当詣道場」というのである。この娑婆世界を去って、極楽浄土等の他の国土へ行くことではない。

名字の言 苦難に遭うたび思い出す「母の背中」 2022年4月15日
「なつかしい母の背中」という題名のエッセーを、詩人・三木卓氏がつづっている。3歳の時にポリオを患い、左足にまひが残った。母はそんな息子を背負い、いくつも病院を駆け回った▼結局、左足は治らなかった。だがその後の人生で苦難に遭うたび、「よく、母親の背中を思い出した」と氏は書いている。"わが子のために"との行動が、背中のぬくもりを通して生きる力を与えたのだろう(『もういちど考えたい 母の生きかた 父の生きかた1』ポプラ社)▼3人の子をもつ女性部員が、ステージ4の乳がんと診断されたのは2007年の春。「5年後の生存確率は約2割」と宣告され、抗がん剤を投与する通院治療が始まった▼「仏間には、いつも朗々と祈る母の"背中"がありました」と子どもたちは語る。その背中を見て一緒に勤行するようになり、題目の声に母の無上の愛を感じたという。女性部員は寿命を延ばし、最期まで広布に生きる姿を見せた▼池田先生は「親の背中を見ながら、子は育ち、信心という『志』を受け継いでいく」と教える。子育てとは究極、親の生きざまを示すこと。先の3人の子は長男が今春就職し、次男と長女も勉学に励む。負けそうな時は、かつての母の"背中"を思い出す。

寸鉄 2022年4月15日
「志をかさぬれば、他人よりも色まさり」御聖訓。生涯信心を貫く人が勝者(新1690・全1221)
「神戸の日」40周年。常勝の旗頭の誇りで先駆の拡大を!新時代を断固開け
誰もが等しく仏子であり宝塔である—戸田先生。無限の可能性を共に開花
自粛の影響で高齢者の心身機能低下が顕著。軽い柔軟でもOK。健康第一
情勢悪用した義援金詐欺相次ぐ。メールやSNSで横行と。冷静に対処を

〈社説〉 2022・4・15 連載「ぶら〜り文学の旅」が好評
◇良書との出合いが人格を磨く
本紙の連載コラム「ぶら〜り文学の旅」(村上政彦執筆、水曜日付6面・月2回)が50回を超えた。
文学に関心を抱く読者からは「『本を手にして想像の旅に出よう』との書き出しで始まるこの連載をいつも楽しみにしています」等の声が寄せられている。
本連載の狙いは、日本文学の名作とその舞台となった地域を取り上げつつ、文学の魅力を再考しようとするもの。毎回、作品の内容や地域の特徴について、執筆者の視座を交えつつ、軽妙な筆致で紹介している。
これまで、美しい景色と悲しい恋物語を描いた名作『雪国』(川端康成)、明治の文学史を彩る純愛小説『野菊の墓』(伊藤左千夫)、生の現実をまがまがしくつづった芥川賞受賞作『岬』(中上健次)など、多くの名著を紹介する一方、随筆家・武田百合子の『富士日記』、ノンフィクションの名手・山際淳司の『スローカーブを、もう一球』、川崎洋の詩集『海があるということは』と幅広い分野を扱ってきた。
北海道在住の友人読者からは「子どもたちや保護者が、日本文学の名作に触れていく『入り口』になるようなコラムの内容だと思います」との反響があった。
学会員の兄から聖教新聞の購読を勧められた、この70代男性は、かつて中学校の国語教員を務めていた。現在、自宅を「図書館兼子ども食堂」にし、「人生を通じて活字文化に触れていく若い世代を育成したい」との志を貫いている。
優れた文学作品は、子どもたちの想像力を育み、良き心を養う。人生を豊かにする——読書に親しむ人々に共通する実感であろう。
世界の作家や文学者と対談を重ねてきた池田大作先生は、こう述べている。
「時代を変えるのは、武力、権力よりも、言論の力、文化の力です。また、そうでなければならない。言葉の力は、人の『心』を変える力があり、その変革こそ、恒久的にして本質的な歴史の前進になるからです」
「良書との出合い」は人格を磨き、人間の精神を高める。
今月末、47都道府県を網羅して終了予定の同連載は、来月から「海外編」として、より多彩な作家・作品を取り上げていく。
これからも、しなやかな知性と豊かな人間性を育む、良質な文学作品を紹介していきたい。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第18回 レオナルド・ダ・ヴィンチ
〈レオナルド・ダ・ヴィンチ〉
苦労せざるものは幸運に値せず。
何事もまずやってみよう!
経験してから先へ進むのだ。

創価大学の本部棟ロビーに立つ「レオナルド・ダ・ヴィンチ像」。台座を含む高さ4・8メートルの堂々たる威容は「ルネサンスの巨人」をたたえるのにふさわしい。
画家、科学者、音楽家、舞台演出家、軍事顧問……。一人の人間とは思えぬほど、多彩な分野で秀でた才能を発揮したレオナルド・ダ・ヴィンチ。「モナ・リザ」や「最後の晩餐」などの不朽の名作を生んだことで知られるが、現存する作品は少なく、そのほとんどが未完成だ。今月で生誕570年を迎える彼の生涯は、今なお多くの謎に包まれている。
人呼んで「万能の天才」。だが決して恵まれた環境にいたわけではない。1452年4月、イタリアのフィレンツェ近郊のヴィンチ村に生まれたダ・ヴィンチは、家督を継ぐ資格がなく、正式な学校教育を受けることができなかった。複雑な計算やラテン語は苦手で、自身を「無学の人」と言うこともあった。
内に秘めた無限の可能性を引き出したもの——それは、飽くなき探究心と向学心にほかならない。
彼は自らを「経験の弟子」と称し、ノートに「私の専門分野に必要なのは他者の言葉ではなく経験である」「私はまず実験をしてから先へ進む」等と記した。
14歳のころ、フィレンツェの指導的芸術家ヴェロッキオに弟子入りし、卓越した才能が開花する。
当時の代表的な作品が、師匠に協力して制作した「キリストの洗礼」。ダ・ヴィンチは精巧な天使を描き、ヴェロッキオを驚愕させる。同時期に単独で手掛けた「受胎告知」は、天使の羽を、実際の鳥の羽を思わせるほど忠実に表現した。
さらには、師匠から絵画技術のみならず、鋳造、数学、工学など多くのことを学び、後の成功の基礎を築いていった。
「苦労せざるものは幸運に値せず」「ありとあらゆる仕事もわたしを疲らせようとはしない」——ダ・ヴィンチの生き方は「万能の天才」が「努力の天才」だったことを物語っている。

〈レオナルド・ダ・ヴィンチ〉
障害は私を屈せしめない。
あらゆる障害は
奮励努力によって打破される。

師ヴェロッキオから独立し、30歳になったダ・ヴィンチは、活動の舞台をフィレンツェからミラノに移す。
この地で過ごしたのは17年。画家として「最後の晩餐」等の制作に取り組みながら、ミラノ公の結婚を祝う舞台演出や、教会建築など、多方面で活躍を見せ、宮廷から高く評価された。「黒死病」として恐れられたペストが大流行した際には、都市構造の改革を構想している。
ミラノ時代は自身の研究に一段と打ち込んだ期間でもあった。その分野は解剖学をはじめ、工学、物理学、水力学など多岐にわたる。
彼の思考をたどる上で手掛かりとなる手稿は、現存するもので7200枚以上あるとされる。それらは「人間の観察力と想像力のすさまじさを見せつける比類なき記録」と評され、内容は研究分野の考察から計算式や寓話、絵画のデッサン、人体のスケッチまで万般に及ぶ。
人生論ともいうべきダ・ヴィンチの手記には——
「鉄が使用せずして錆び、水がくさりまたは寒中に凍るように、才能も用いずしてはそこなわれる」
「障害は私を屈せしめない。あらゆる障害は奮励努力によって打破される」等——とある。
現状に甘んじず、経験と実践を重んじる彼の信念は、晩年になっても変わらなかった。
1499年、フランス軍の侵攻によりミラノを去ることになったダ・ヴィンチは、各地を転々とする。その中でフィレンツェ政府から依頼を受け、政庁舎の大広間を飾る壁画「アンギアーリの戦い」に着手。「モナ・リザ」もこの頃に制作を開始したと考えられている。また、運河の工事や解剖学の共同研究を行うなど、挑戦と探究の姿勢は衰えることはなかった。
ダ・ヴィンチが生きたイタリアのルネサンス期は、政治的には未曽有の混乱期にあった。それでも彼は、67歳で人生の幕を閉じるまで、自らが決めた使命の道を真っすぐに歩み抜いた。「星の定まれるものは左顧右眄しない」と。
「可愛想に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」とは、ノートに残された魂の叫びである。彼の仕事のほとんどは未完成に終わった。だが、この言葉こそ、前進を止めなかったダ・ヴィンチの「創造的人生」を象徴していると言えよう。

〈レオナルド・ダ・ヴィンチを語る池田先生〉
生きている限り、
使命の行動を「続ける」。
この決心が人生の天才をつくる。
正義も幸福も「続ける」という
一言の中に凝縮している。

かつて池田先生は語ったことがある。万般の学問に価値創造の探究を広げていったダ・ヴィンチの姿は、恩師・戸田城聖先生と二重写しになる、と。
そして、ダ・ヴィンチの生涯や言葉、作品を通し、世界に平和・文化・教育の光を広げてきた。
1994年6月には、イタリア・ボローニャ大学で「レオナルドの眼と人類の議会——国連の未来についての考察」と題して講演。仏法の知見から、人間革命の哲学に通じる「自己を統御する意志」と、月々日々に新たなる完成を目指す「間断なき飛翔」こそ、彼から学び、継承していくべき精神遺産であると述べた。
99年11月、創価大学の本部棟ロビーにダ・ヴィンチの立像が設置された。先生は除幕式直後の集いで、ダ・ヴィンチ像の研ぎ澄まされた眼に言及。青年たちに「森羅万象を見通しゆく『探究の眼』」「生き生きと輝きわたる『創造の眼』」「何ものにも臆さぬ『信念の眼』」「遠大な未来を展望しゆく『哲学の眼』」をもってもらいたいと訴えている。
さらに、先生自身が創立した東京富士美術館の海外文化交流特別展として、2015年に「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」が実現。同展はその後、京都、愛知、福岡などでも開催された。
ダ・ヴィンチの箴言を紹介した創価の同志への指導も数多い。
「彼は死を目前にして、なお『私は続ける』と書いている。
最後まで『努力』、どこまでも『挑戦』、限りなき計画と実行の『持続』『連続』——この、たゆまぬ前進が、『天才』の実質であった。
生きている限り、私は『戦う』。使命の行動を、私は『続ける』。この決心が、人生の天才、幸福の天才をつくっていく。
正義、健康、勝利、幸福、和楽、栄光——すべて、この『私は続ける』という一言の中に凝縮している」(1992年6月28日、イタリア芸術音楽祭でのスピーチ)
「『困難なにものぞ。努力の前には如何なる困難もなし』
わが愛する『創価ルネサンス』の旗手たちよ、どんな困難も恐れるな! 我らには『勇猛精進』の努力がある。最強無敵の『法華経の兵法』がある」(本紙2012年12月7日付「随筆 我らの勝利の大道」)
2008年12月、後継の友に贈った長編詩で先生は詠んだ。
若き私の心に響いた
レオナルドの言葉——
それは
「新しいものを
新たに
自分で創ろう」であった。

2022年4月14日木曜日

2022.04.14 わが友に贈る

誰でもないあなた自身が
未来を変える主役だ。
自らの心の中にある
無力感や諦めを打ち破る
信心根本の挑戦者に!

日女御前御返事 P1244
『南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす』

【通解】
南無妙法蓮華経とだけ唱えて、成仏することが最も大切である。ひとえに信心の厚薄によるのである。仏法の根本は、信をもって源とする。

名字の言 成長を阻む最も厚い壁とは? 2022年4月14日
芸道の秘伝とされる奥義を明らかにしたところで、そう大層なものとは思われない場合が多い。だが、それを「大したことない」と軽視する人は、真の重要性を理解できていない——能を大成した世阿弥は、そんな趣旨の話を『風姿花伝』に残した▼"何だ、そんなことか"と分かったつもりになる「慢心」が、その人の成長を阻む最も厚い壁かもしれない。これは諸芸に限らず、あらゆる分野にも通じよう。信心も同様である▼「真実、一切衆生の色心の留難をとどめる秘術は、ただ南無妙法蓮華経である」(新1598・全1170、通解)との御聖訓を胸に刻む多宝会の女性。同志から「題目の人」と尊敬される彼女は唱題根本に、自身の病、夫の失業、子の非行など、一切の苦難を勝ち越えてきた▼池田先生のスピーチや信心指導は、「親孝行が大事」「報恩の人生は尊い」など、いわば崇高な"人間学"でもある。日々、先生の指導の研さんに励む彼女は笑顔で語る。「内容を頭で分かっても、本当に実践するとなると、いかに大変か。だから"ご指導の通りの人生を開くぞ!"と、また決意の題目です」▼精進の歩みが止まった瞬間から、人生は後退する。生涯求道の心で挑戦し続ける人に行き詰まりはない。

寸鉄 2022年4月14日
青年と会い、語ることが最高の喜び—戸田先生。新しい人材の育成を皆で
新潟の日。正義に燃える勇者の陣列。大聖人有縁の地に平和の対話を拡大
熊本地震6年。試練の嵐勝ち越えてきた創価家族 三変土田の前進をさらに
私達の運命を決めるのは民衆の結合した声—ルーズベルト夫人 立正安世界へ連帯を強く
商品が届かない—悪質通販サイト急増と。"価格が極端に安い"等は要警戒

〈社説〉2022・4・14 きょう、熊本地震から6年
◇一人が輝くまちへ創造の日々
2016年の熊本地震で被災した長陽大橋ルート(南阿蘇村)が3月、再開通した。これで国土交通省の熊本復興事務所が手掛けた復旧事業は完了。同事務所は全ての工事を終えたとして3月末に閉所した。
きょう、熊本地震から6年。「復旧・復興」から、災害に強く、一人一人の個性が輝くまちへと「創造」の歩みはさらに続いている。
個人の立場でも、苦難をばねに境涯を開き、自身の使命の道を力強く歩む友がいる。
ある男子部ニュー・リーダーは震災当時、創価大学に入学したばかり。もどかしさをこらえ、ようやく帰省できたのは夏だった。
屋根をブルーシートに覆われた町並みを見て、現実を受け止められなかったが、自分の中で何かが変わった。"故郷の再興のため、何とか力になりたい"。技術職を志していたが、公務員志望に転向。1年間の猛勉強を重ね、公務員試験に合格し、県職員として益城町の復興事業に携わる。男子部では今春、大学校第4期を終え、創価班の一員に。地域貢献の人材に成長をと充実の日々を送る。
ある女性部副本部長は、6年前の震災に続き、2年前には大腸がんの宣告を受けた。うち続く大難を乗り越えられたのは、絶えず同志が祈り、励ましてくれたからと。
「一人を大切に」することの重要性を学んだ婦人は、次は支える側にと、1人暮らしの高齢者の健康や生きがいのための行動を貫く。小まめな声掛けに徹し、感謝の声が数多く寄せられている。地域の友と熊本の「創造」を担う同志の姿が、至る所で見られる。
コロナ禍で経済的な影響を受け、生活再建の道が険しさを増すなど、新たな課題も出ている昨今。今も仮設住宅で暮らし、心身の不調を訴える友もいる。まちの姿は6年の歳月を経て見違えるように変わっても、克服すべき課題に挑戦を続ける友がいる。
日蓮大聖人は苦難と戦う池上兄弟に「未来までのものがたり、なに事かこれにすぎ候べき」(新1477・全1086)——未来までの物語として、あなた方の団結の姿以上のものはないでしょう——と励ました。"心の財は絶対に壊されない!"との師の指針を支えに、熊本の友は団結して復興の道を歩んできた。その奮闘の姿は、現在はもちろん、未来の人々をも励ます力となっていくであろう。

☆Switch——共育のまなざし 池田先生の励ましの言葉から 心をつなぐ親子の触れ合いとは
◇「人格」を尊重すれば「人格」が育つ
入学・進級の季節です。家族で過ごす時間が増える春休みは、親子の絆を強め、共に"新たな学びのステージ"に進むための準備期間とも言えるかもしれません。今回は、池田先生が女性リーダーや創価の教育者と語り合ったてい談『21世紀への母と子を語る』(『池田大作全集』第62巻所収)の中から、「心と心をつなぐ」をテーマに先生が送った励ましを抜粋して紹介します。(編集・構成=大宮将之)

◇どんな知識よりも
<子どもは、いろいろな人との出会いを通して成長するもの。人と関わり、人格を磨く場所が「家庭」であり、「学校」であり、「地域社会」ですが……。今はそれぞれの場所で、人間関係が希薄になっているのも事実です。池田先生は語りました>

「心と心のふれあい」が少ないと、人の心を理解したり、相手の立場に立ってものを考える能力や習慣が、なかなか育ちません。「わがまま」というか、自己中心的な傾向が強くなってしまう。
しかし創価学会は、こうした社会の流れの中で、あえて人とかかわってきたのです。悲しみに沈んでいる人に寄り添い、悩める友に希望を与え、青年に生きる目的を指し示し、徹底して、民衆とともに、民衆に根差して進んできた。だからこそ、学会は発展した。人間のなかに飛び込んできたがゆえに、一人一人が人間革命をすることができたのです。
◆ ◇ ◆
今の世の中は、「慈悲」がどんどん失われている。「慈悲」とは「抜苦与楽」——「楽を与える」のが「慈」であり、「苦を抜く」のが「悲」です。じつは、慈悲の「悲」にあたるサンスクリット語には、もともと、「嘆き」という意味があるのです。
つまり、他人の苦しみや悩みに心を寄せ、ともに嘆き、ともに悲しむことです。人の痛みを、わが痛みとして感じる心が、慈悲の根本なのです。その心がなくなれば、社会は、ばらばらになってしまう。だからこそ家庭で、学校で、地域社会で、「慈悲の心」「開かれた心」を育てる努力をしなければならない。
たとえ、どんなに知識をつけさせたとしても、人の痛み、苦しみを見て、何も感じられない、機械のような冷たい心であるならば、なんにもならない。そうした心の持ち主には、本当の人生の喜びを味わうことはできません。結局、自分も不幸になり、周囲や社会もそれに巻き込まれてしまうのです。

◇子どもが望む言葉
<「日ごろの親の『接し方』『声の掛け方』『振る舞い』が子どもの心に大きな影響を与えていく」と先生は強調します。すると女性リーダーは、「ある青年教育者が、小学5年生に『親から掛けてほしい言葉』『掛けてほしくない言葉』についてのアンケートをとったそうです」と紹介しました。「掛けてほしい言葉」の1位は「よく頑張ったね!」。2位は「頭いいね、さすがだね!」。3位は「ありがとう」だったと言います>

つまり、「ほめる言葉」「感謝する言葉」を子どもは望んでいるということだね。今の世の中は、これが少なくなった。そして嫉妬や、人を誹る言葉がふえている。人の心が小さく、狭くなり、他人の長所に目が届かなくなっている。今、「ほめたたえる言葉」がいちばんあふれているのは、創価学会の世界ではないだろうか。だから、学会には人が集まるし、人が育つのです。ほめたたえあう世界には、喜びがあり、活力があり、希望があり、繁栄があります。

<一方、「掛けてほしくない言葉」の1位は「バカだね」「やっぱりだめだ」「できっこない」等の否定的な言葉。2位は「もっと勉強しなさい」。3位は"いやみ"でした>

声のかけ方ひとつで、子どものやる気を引き出すこともできれば、傷つけてしまうこともある。たとえば、子どもの顔を見るなり、「勉強しなさい!」——これでは、子どももたまったものではない(笑い)。また、言い分も聞かず、道理を教えることもせずに、感情にまかせて叱りつけるのも、子どもの心を、暗く、重くしてしまいます。
口に出す前に、一度、胸の中に納めてみるだけで、大きな違いが出てくる。かといって、子どもと接するのに、あまり神経質になってしまうのも、しぜんな親子関係ではない。「声のかけ方」にせよ、「ふるまい」にせよ、すべて奥底の一念が表れたものです。つね日ごろから、本当に「子どものため」を思い、「子どもの未来」を祈っているかどうか。それが根本です。
ともあれ、子どもに接する時は、一個の人格として尊重することが大事です。「こんなこと、分からないだろう」「これくらい、いいだろう」と、安易に思っては失敗する。子どもの中には大人がいる。その大人に向かって対等に語りかけていけば、子どもの「人格」が育っていきます。そうすることによって、育てる側も育てられていくのです。

◇お母さんを支えよう
<とはいえ、多忙な毎日の中で「声の掛け方」「振る舞い」にまで意識が回らないという親御さんもいるでしょう。近年は共働き世帯が増え、家事・育児の共同意識が進んできたとはいえ、父親以上に大きな負担を抱えている母親が多いのも実情です。先生は呼び掛けました>

母親は、たしかに忙しい。心に余裕をもとうとしても、なかなかそうできないのが現実でしょう。だからこそ、父親をはじめ周りの人々も、頑張っているお母さんを支えてあげてほしい。心を軽くしてあげてほしい。お母さんを支えることが、子どもをすこやかに育て、ひいては、よりよき未来をつくることに通じていくのです。お母さんも、時間がなくても、その分、工夫しだいで、劇的に、力強く、子どもと心の交流をはかることはできます。
◆ ◇ ◆
「喜んで」「生き生きと」取り組むことが大事だね。その親の姿から、子どもは子どもなりに、自分で考え、何かを学び、育っていくものです。人はとかく、何か大変になると、今いる所を逃れ、どこかもっと楽な所に行って、安穏な生活をしたいと願うものだ。しかし、幸福は、「どこか」にあるものではない。自分の胸中にある。喜びも、幸福も、自分でつくりだすものです。「今、自分がいる場所」を、最高の楽園に変えていくのが、本当の生き方です。
◆ ◇ ◆
今は「子どもの教育だけでなく、親の自己教育が大事だ」と言っていた評論家がいました。つまり「親が親になるための教育」です。親自身が自分を高め、成長する努力が必要です。子どもを育てるということは、自分を育てることでもある。そうでなければ、子どもの成長についていけません。

◇恩に報いることとは
<その意味では、子どもの発達段階に合わせ、親もまた変わっていかなければならないとも言えるでしょう。先生は語りました>

子どもがある程度、大きくなったら、親の仕事は、子どもの自主性を見守ることにあります。子どもは5歳くらいまでは、本当にかわいいものです。しかし、それからはしだいに親から離れ、自立していく。もちろん、親の支えは、それからも必要ですが、かかわり方を変えていく必要があるのです。とくに小学校入学からは、人格をつくりあげていく時期に入ります。いわば「子ども」を「人間」にしていくと言ってもいいだろうか。
◆ ◇ ◆
子どもが大きくなるのは、本当に"あっという間"です。「またあとで」「いつの日か」と思っているうちに、子どもは大人になってしまう。その間に、どれだけ子どもに、かかわれるかが勝負です。

<結びに先生は、人材育成に尽くす学会の同志や、恩師への思いに言及しながら、「育つこと」「育てること」の意味を語ります>

学会の世界では、自分が命をそそいで育てた人の成長を見るのは、何よりもうれしいものだね。その姿だけで、苦労は十分、報われる。第一線の方々のご苦労は、私には、よく分かります。
私自身、戸田先生の大恩に報いるために、「自分が成長しよう!」「自分が力をつけ、先生の偉大さを世界に宣揚しよう!」という決意で進んできました。戸田先生は、今も私の中に生きている。戸田先生の慈愛は、今も私の五体をかけめぐっている。ありがたい師匠です。「育つ」ことが「恩に報いる」ことです。次元は違うかもしれないが、子どもが育ち、伸びゆくその姿自体が、親に対する報恩の姿だと、私は感じるのです。
◆ ◇ ◆
「子どもがいるからたいへんだ」と考えるか、「子どものおかげでいろんな経験ができる」ととらえるか、心ひとつで変わる。「苦しい気持ち」「つらい気持ち」ばかりで、子どもにふれあっていれば、それはそのまま子どもに伝わってしまう。子どもがかわいそうだし、自分も損です。
「この子を立派に育ててみせる!」という使命感、「この子のおかげで、自分も成長できる!」という感謝の心が、「親子のふれあい」をより豊かに、より喜び多きものにしていくのです。

2022年4月13日水曜日

2022.04.13 わが友に贈る

奮闘する新社会人の友よ
決して焦らず進もう!
青春時代の労苦は
飛躍へのバネとなる。
笑顔忘れず 着実に!

種種御振舞御書 P918
『利剣をもてうりをきり大風の草をなびかすが如し、仏法のおろかなるのみならず或は自語相違し或は経文をわすれて論と云ひ釈をわすれて論と云ふ』

【通解】
それはまるで利剣で瓜を切り大風が草を靡かせるようなものであった。彼等は仏法に暗いばかりでなく、あるいは自語相違し、あるいは経文を忘れて論といい、釈をわすれて論というありさまであった。

名字の言 "ソクラテス的対話"の大切さ 2022年4月13日
かつて本紙のてい談や文化欄等にも登場した著名な哲学研究者・稲垣良典氏は、取材した折、時代や社会の動向を見据えつつ"ソクラテス的対話"の大切さを強調していた。"創価学会の皆さんにリードしていただきたい"との期待も▼ソクラテスの対話(問答法)は「産婆術」に例えられる。知恵や徳は既に相手の中に宿っている。だから与えようとするのではなく、それが目覚め、生まれるよう手助けする語らいのことだ▼池田先生が歴史学者トインビー博士と出会って、来月5日で50周年。先生は、それを一つの原点とし、世界の指導者・識者と文化や宗教の垣根を越えて、人間主義の対話を重ねてきた。一級の知性と編んだ対談集は約80点を数える▼大学で教壇に立つ友人が、先生の対談集を読んだ感動を語っていた。「池田SGI会長は、信仰の確信を一方的に語るのではなく、質問に心を砕き、一流の人物の知恵や経験を見事に引き出しておられる。対話の内容はもちろんだが、対話の姿勢にも教えられることばかり」と▼どんな人に対しても誠実に振る舞い、心の善性を引き出し、友情と信頼を固く結び合っていく。我らもそうした対話を広げ、平和の礎を築いていきたい。師の行動に学びながら。

寸鉄 2022年4月13日
創価の集いは人間が蘇生する力を引き出す—識者 皆で座談会週間の成功を
「溌剌な人の元では全てが活気に溢れる」ペルシャ箴言。幹部は満々たる生命力で
妙法は上へ上へと向上していく法である—恩師。朗々たる題目で日々前進
7割がコロナ禍で直接の交流減少感じる—調査。乾いた心潤す友好対話へ
勤務先の"災害予測図"、未確認が4割超と。避難経路等は命綱。日頃から

☆輝きの瞬間 4月の広布史
◇1951年4月20日 聖教新聞の創刊
東京・信濃町の世界聖教会館の正面玄関にある「聖教新聞 師弟凱歌の碑」には、池田先生の言葉が刻まれている。
「広宣流布とは言論戦である。仏法の真実と正義を叫ぶ、雄渾なる言葉の力なくして、創価の前進はない」
事業が最大の苦境に陥った1950年8月24日、戸田先生は広宣流布の将来を見据え、新聞創刊の構想を池田先生に語った。
それから8カ月後の51年4月20日、聖教新聞は誕生した。戸田先生が第2代会長に就任する2週間ほど前のことである。
同年3月17日、戸田先生を中心に発刊に向けての企画会が開催され、「聖教新聞」との名称が決定した。この日の日記に、池田先生は記している。
「日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す。広宣流布への火蓋は遂にきられた」
創刊当時の発行部数は5000部。旬刊(10日に1度の発行)、2ページ建ての出発だった。編集室は新宿・百人町から市ケ谷のビルへ移った。机二つだけでいっぱいの小さな部屋だった。
この一室で制作された新聞が、学会の勢いを加速させた。その後、聖教新聞は発展を遂げ、71年1月4日から現在の日刊12ページ建てとなった。
池田先生は、「わが愛する同志への手紙」との思いで、小説を書き、詩や和歌を詠んだ。間断なき執筆闘争は、読者の心を希望の光で照らし続けてきた。
90年7月19日、聖教新聞は「1万号」の節目を刻む。この年の暮れ、宗門は広布破壊の謀略を露わにした。聖教新聞は破邪顕正の論陣を展開し、宗祖違背の体質を明らかにしていった。
来月、創刊71年。この間のさまざまな社会の変化に、本紙は対応してきた。「聖教電子版」には現在、世界210カ国・地域からアクセスがある。
時代からの挑戦に対して、聖教新聞はこれからも力強く応戦していく。「仏法の真実と正義を叫ぶ」との使命のままに。

◇1952年4月28日 御書発刊の聖業
来月の4月28日、御書発刊から70周年の佳節を迎える。
戦時中、軍部政府の弾圧によって、多くの学会幹部が退転した。"広布を進めるためには一人一人が御書を心肝に染め、揺るがぬ信心を築く以外にない"——。第2代会長に就任した翌月の1951年6月、戸田先生は御書発刊を発表した。
当時、宗門には「一生成仏抄」「生死一大事血脈抄」など、重要な御抄が欠落した不完全な御書しか存在しなかった。
だが、学会の御書編纂に対する宗門側の対応は、"了承するが援助はしない"。この時、宗門が力を注いでいたのは、「梵鐘(寺の鐘)」の鋳造だった。結局、学会が一切の費用と校正作業の人員を出し、御書発刊に総力を挙げた。
当時、池田先生は、依然として厳しい状況にあった恩師の事業を支えていた。その中で、御書発刊の資金調達や御書に使う紙や表紙の羊皮の手配、印刷所との交渉など、聖業の成就に走り抜いた。
連日連夜にわたる校正作業を経て、立宗700年の日の52年4月28日、御書は発刊された。恩師は述べている。
「今度の事業は、じつにたいへんだった」「学会の名誉、盛衰にまでひびいてくることを思いながら、かならず完成してみせる確信だけは終始不変だった」
発刊の際、戸田先生は池田先生に御書を贈った。その見返しに、恩師は一首の和歌をしたためた。
「山を抜く 力はみちたり 若き身に 励み闘へ 妙法の途に」
その後、世界広布の伸展とともに、御書は10以上の言語で翻訳・出版される。仏法研さんの喜びは今、地球を包む。
昨年11月には、最新の研究を踏まえて「御書新版」が発刊された。この月の本部幹部会に、先生はメッセージを寄せている。
「地球文明の針路を示す確固たる希望の聖典が求められてやまない今こそ、教学という最も普遍的な生命尊厳の哲理を掲げて、世界市民の大連帯をいよいよ広範に築いていく時であります」

◇1982年4月15日 常勝の魂光る「神戸の日」
「神戸の日」の淵源である、1982年4月15日、神戸市立中央体育館で行われた「本部幹部会」は、劇的な集いとなった。今年で40周年を迎える。
当初は兵庫の幹部会として、聖教新聞にも告知記事が掲載されていた。それが本部幹部会に変更となったのである。
前年秋、四国から本格的な反転攻勢が開始された。神戸での本部幹部会は、その集大成であった。新たな前進を開始する号砲が、兵庫から打ち鳴らされたのである。
兵庫の同志はこの日に向け、ブロック1の弘教を達成し、意気軒高であった。そして当日の朝、急きょ、池田先生の出席が、兵庫のリーダーに伝えられた。
参加者たちは、そのことを知らないまま会場へ。先生が舞台袖から入場すると、爆発的な拍手と歓声が場内を包んだ。先生の提案で、万歳が行われ、婦人部のひまわり合唱団が歌を披露した。
会長辞任の本部総会以降、先生の本部幹部会の出席は、79年11月、81年7月の2回のみ。長時間のスピーチは一度もなかった。およそ3年ぶりとなる、先生の本部幹部会の指導が始まった。
冒頭、ユーモアを込めて、「皆様方の祈りをはじめ、代表の幹部が『ぜひとも兵庫の幹部会に出席願いたい』とつきまとうので、参加させていただいた次第です」と語ると、会場から拍手が起きた。
そして、「兵庫の広布の地は、最も重要な地であることは論を待たない」と強調。さらに、大確信の励ましを送った。
「多くの御書に、魔と戦い、難を乗り越えよとの御金言が説かれています」「師子のごとき力を持ち、ありとあらゆる社会のなかにあって、堂々と生き抜いていける自分をつくることだ」
この兵庫の滞在中、先生は「今後10年間、兵庫に力を入れるよ」と。ちょうど10年目となる91年8月、兵庫池田文化会館が堂々と開館。大震災から不死鳥のごとく立ち上がり、復興の歩みを重ねてきた兵庫は、関西、全国を牽引する、広布模範の天地である。

◇1978年4月 15日 埼玉文化合唱祭 23日 三重文化合唱祭
1978年は全国各地で合唱祭が企画されていた。その開幕を飾ったのは埼玉である。
4月15日、大宮市(現・さいたま市)で埼玉文化合唱祭が開催。小鳥がさえずり、春の日差しが降り注ぐ、"歌の祭典"となった。
「母」「人間革命の歌」などが次々と披露され、埼玉の友の躍動の歌声が、青空に響き渡った。
出席した池田先生は、音楽や歌声は万人の心を結ぶ"文化の懸け橋"となることを強調し、学会の文化運動の意義を語った。
「学会の合唱祭や文化祭の重要な意味は、それを通して一人ひとりが信心を磨き、友情を深め、強い確信に立ち、発心の契機にしていくことにこそあります」
合唱祭の終了後、先生は地元の寺の住職らと懇談の機会を設けた。当時、宗門の悪僧らによる学会攻撃が各地で強まっていた。先生は会員を守るため、矢面に立ち、生命を削り続けた。
23日には、午前・午後の2回にわたって開催された三重文化合唱祭に出席。当初、学会の師弟の絆を嫌う宗門を刺激しないよう、婦人部の愛唱歌「今日も元気で」は歌わない方向になっていた。
三重の母たちにとって、到底、納得できることではなかった。"師匠を求める私たちの思いがこもった歌を、どうして歌うことが許されないのか!"。この怒りにも似た思いが通じ、「今日も元気で」は合唱祭で歌われることに。発表を聞き、歓喜で涙を浮かべるメンバーもいた。
(♪うれしい時も かなしい時も
 かわす言葉は
 先生 先生 われらの先生
会場の三重研修道場に、師弟共戦の誓いの合唱が轟いた。先生は友の演技をたたえつつ、語った。
「互いにひとたび決めた道、信心の道、同志の誓いの道を忘れないで前進したい。私たちは、朗らかに信心の功徳を満喫しながら人生を送るのである」
78年は、先生が数多くの学会歌を制作した年でもある。宗門からの理不尽な攻撃が続く中、不屈の地涌の歌声が列島に広がった。

2022年4月12日火曜日

2022.04.12 わが友に贈る

温かな人間の絆こそ
広布推進の生命線だ。
会合に来られない友にも
祈りと思いを巡らせて
真心の励ましを送ろう!

四条金吾殿御返事 P1169
『仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり』

【通解】
仏法というのは道理をもととしています。道理というものは主君の持つ権力にも必ず勝てるのです。

☆池田先生の指導
仏法を持たもった私どもは、最も道理をわきまえた、最高に良識豊かな人でなければならない。
自分の家の近隣はもちろん、大勢の人が集う会館の地域の方々にはとくに、こまやかな配慮と礼儀が絶対に必要である。出会った時の、さわやかなあいさつ。ご迷惑をかけたり不安を与えたりしない細心の心配り。それらをていねいに積み重ねてこそ、仏法への共感の思いも広げていくことができる。また真実の意味で、会館が″地域の幸の城″になることができる。
どこまでも人間同士の信頼感が根本である。独善的であってはならない。「信仰している人たちは、さすがである」と、人々が安心し、称賛しゆくところに、事実の上で、地域の広布の流れもできあがっていくことを忘れないでいただきたい。
反対に、お会いしても、会釈の一つもせず、夜遅くまで大きな声をたてたり、早朝や深夜の電話の音、出入りの音、車やバイクの騒音などで、いやな思いを与えていたのでは、もはや社会規範に反するといわざるをえない。また路上でのおしゃべりや、タバコの吸いガラなども注意しなければならない。
たとえ、どんな立派なことを言い、また価値ある運動をしたとしても、むしろ人々は、そうした身近な振る舞いのほうで判断するものである。これは日本においても、各国においても同様である。これまで、ずいぶんそうした面で、広布の前進が遅れた場合があった。
仏法の「経」の字には、広くいえば、一切衆生の生命の表現、すなわち私どもの一切の言動という意義が含まれている。誰もが自分の「言葉づかい」「振る舞い」によって、それぞれの経を読んでいるのである。
南無妙法蓮華経は最高の「経」である。ゆえに無上の経を持った私どもの言語・行動も最高のものへと洗練され、磨かれていかねばならない。

名字の言 青ネギ栽培に挑む福井県の青年農業者 2022年4月12日
二十四節気の清明(4月5日)を迎え、全てが清らかで明るく見える季節となった。色とりどりの花が咲き、木には若葉が芽吹き、いつもの道もカラフルに▼「生命は常に成長します。同じ光景は一日たりともありません」と、福井県の青年農業者は言う。「農業は生命の力を実感し、季節を感じる仕事です。何より、人の命を支える『食』を生産する、一番なくてはならない聖業だと自負しています」▼青年は6年前から地域の特産物を作るプロジェクト——青ネギ栽培に挑戦している。1年目は思わしくない生育に出荷すらできず、2年目は季節外れの台風で作業棟が倒壊。失敗を繰り返し、軌道に乗ってきたのは、ここ3年ほど。現在は、地域でトップクラスの生産量を誇る。「困難に直面した時、おやじのすごさが初めて少し分かった気がします」▼青年の父親は菊作り30年の人。「何でもそうですが、失敗したことしか身に付きません。悩み、壁にぶつかり、困難と格闘するなかでしか身に付きません」と。困難は、自分自身が屈しない限り、必ず幸福の種に変わる▼新年度が本格的に始まった。地域でも職場でも、新しい力がみなぎる。生まれ変わったような清新な息吹で、新たな挑戦を始めたい。

寸鉄 2022年4月12日
勇気の大善人一人いれば大事を成就—牧口先生。後継の師子よ勝ち捲れ!
三世の諸仏の智慧をかうは「信」の一字なり—御書 信心は無限の希望生む源(新1012・全725)
他者を理解する創価の魂は模範—識者。誠実と尊敬の心で人を結ぶ対話を
感染再拡大、20・30代が顕著と。希望者の接種促進、マスク、3密回避等、徹底
世界宇宙飛行の日。我らは人類の"心の宇宙"の開拓の為、広宣流布に邁進

☆創価学園入学式への池田先生のメッセージ
◇英知の大星雲となって地球を照らせ
一、我らの創価学園は、また一つ大きな佳節を刻み、ここに意義深く、東京校は第55期生、関西校は第50期生を迎えることができました。誉れ高き新入生の皆さん、本当におめでとう!
厳しい社会情勢の中、宝の英才を送り出してくださったご家族の方々に、心から感謝とお祝いを申し上げます。
わが不二の教職員の方々、これまでにもまして一人一人の声に耳を傾けながら、最高の人間教育をよろしくお願いいたします。

◇天文学者モウラン博士
「創価の哲学が世界に広がれば人類の未来は希望にあふれる」

一、私の10代は戦争と敗戦の闇の中にありました。しかし、人生の師匠と定めた戸田城聖先生は、厳しくも温かく励ましてくださったのです。
「まず、君自身が光れ! 自らが若き生命の光を放て!」と。
今、皆さんを取り巻く時代の闇は深い。胸を痛めることがあまりにも多いでしょう。だからこそ、私は恩師と同じ心で申し上げたい。「わが学園生よ、希望の太陽と光れ! 勇気の明星と輝け! 英知の大星雲となって、地球の未来を照らしゆけ!」と。
ブラジルの世界的な天文学者モウラン博士と私は語り合いました。——困難と戦い、そして共に勝利する。これが「幸福の方程式」である。夜空で最も明るく輝く、燃えるような星・シリウスのように、最も苦しんだ民衆こそが最も強く明るく幸福に輝く地球を創ろう!と。
モウラン博士は、東西の両学園を訪問された感動を「金色の光を見た」「21世紀は大丈夫だ!」と語られ、「創価の哲学が世界、宇宙に広がれば、人類の未来は必ず希望にあふれます」と期待を寄せてくださいました。
どうか、世界の知性が見つめる学園生は、宇宙の星々が長い長い回転と吸収の果てに誕生するように、たゆまぬ努力と粘り強い学びの中で、わが青春の命を思う存分に大明星と輝かせてください。嫌なことや辛いことも、苦悩の民衆の味方になるための試練と思い、良き学友と励まし合い、「負けじ魂朗らかに」、勝ち越えていただきたいのです。

一、結びに、愛する皆さんの健康と成長を祈り、記念の一首を贈ります。

学園は
 燃ゆる正義の
  大星雲
 まばゆき英知と
  平和の大光を

☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第5回 若きリーダーが師子吼を放て
◇若きリーダーが師子吼を放て
(ブラジルの)リオを中心として、不滅の歴史を刻んだ若き知性の一人に、十九世紀、奴隷解放を叫んだ勇気の大詩人アルベスがいる。
(中略)
アルベスは牧口先生が生誕された一八七一年の七月六日、二十四歳の若さで、結核のため逝去した。その年、遺言のごとく彼は、自由と正義を訴える詩を謳い残した。
私は、この詩の一節を、青年部の諸君に贈りたい。
「新しき世界の青年たちよ 雄叫びをあげよう!/恐ろしき大砲の爆音をも圧倒する雄叫びを/大海に向かって、そして永遠に向かって/前進のために、未来のために」(中略)
学会青年部の精神に通ずる一節である。
青年は、正義を叫ばねばならない。力の限り、叫びに叫ばねばならない。強く。激しく。大砲の爆音をも、圧倒する勢いで。それでこそ、青年である。創価の青年である。
ひとたび獅子が吼えれば、百獣を圧することができる。
リーダーは、勇気の言論で、あらゆる障害をはね返していっていただきたい。猛然たる正義の言論で戦ってこそ、前進があり、未来を開いていくことができるからだ。
私も青年時代、戸田先生のもと、悪質な言論に対しては、ただ一人、勇敢に戦い、正義を証明してきた。私は、戸田先生の弟子であるからだ。
その戸田先生は、師の牧口先生とともに、軍部権力と戦い、投獄された。獄中で戸田先生は、"自分はまだ若い。牧口先生は高齢である。罪は自分一身に集まり、先生は一日も早く出られるように"と、必死に祈っておられた。これが、本物の弟子の姿である。これが、真実の創価学会の精神である。
青年部の諸君は、この根本精神を、断じて永遠に忘れてはならない。
(2002年7月、第2回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第93巻所収)

2022年4月11日月曜日

2022.04.11 わが友に贈る

新聞休刊日m

法華初心成仏抄 P550
『妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賎くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし』

【通解】
妙法蓮華経の五字を弘められる智者に対しては、いかに賎しくても、上行菩薩の化身か、または釈迦如来の御使いかと思うべきである。

☆創価小学校入学式へのメッセージ
◇勇気、読書、友情の翼をきたえよう
一、新1年生の皆さん、入学おめでとう! 胸を張って学びの門をくぐる皆さんを心待ちにしていました。わが創価小学校にようこそ!
ご家族の方々にも、心からお祝い申し上げます。
教員の先生方、職員の方々、人類の宝の一人一人を、どうかよろしくお願いいたします。

一、皆さんには、希望の未来が晴ればれと広がっています。
その青空へ、高く強く大きく羽ばたいていくために、三つのつばさをきたえてください。
一つめは「勇気のつばさ」です。
夜は早くねて、朝、早くおきることも、学校にかようことも、背中をおしてくれるのが、勇気です。
勉強や運動も一歩ふみ出す勇気があれば、楽しくなってきます。
二つめは「読書のつばさ」です。
じょうぶな体をつくるには、しっかり食べて、栄養をつけることです。同じように、豊かな心と考える力をつくる栄養が、読書です。
本を読めば、新しい世界へ飛んでいけます。たくさんの出会いがあり、ワクワクする発見があるのです。
三つめは「友情のつばさ」です。
一人ではできないことも、友だちと力をあわせれば、やりとげられます。くじけそうな時も、よき友だちとはげましあって、「明るい子」「思いやりのある子」「ねばり強い子」として成長していってください。

一、みんなと仲良くできる人は、平和な世界をつくっていけます。わが創価小学校に集った皆さんは、全員が将来、この地球のたくさんの人たちを平和の未来へと運んでいく「勝利のつばさ」なのです。
私は大好きな皆さんのことを、いつも見守っています。創価の王子王女よ、負けるな! 朗らかに育ちゆけ!

☆御書と未来へ 第12回 壮年部よ今日も挑戦の一歩を
〈御文〉
『心ざし人にすぐれておわする上、わずかの身命をささうるもまた御故なり。天もさだめてしろしめし、地もしらせ給いぬらん。』〈四条金吾殿御返事(智人弘法の事)、新1562・全1149〉

〈通解〉
(日蓮を助けようとする)志が人にすぐれておられるばかりか、日蓮がわずかの身命を、ここまで支えることができたのも、あなた(四条金吾)のおかげである。このことは、天も必ず知っておられるし、地もご存じであろう。

〈池田先生が贈る指針〉
我ら壮年部は黄金柱である。見えない要所で城を支える柱のごとく、喝采など求めず、学会を同志を眷属を、厳然と守り抜くのだ。
御本仏が"わが心ざし"を全て御照覧である。乱世なればこそ、いよいよ揺るがぬ師子王の心で勇気と確信を広げゆこう! 天も知り、地も知る誉れの凱歌の人生だ。今日も挑戦の一歩を!

☆みんなで学ぶ教学 第27回 立宗宣言
◇全民衆の幸福を開く
「南無妙法蓮華経」の題目は、世界中で唱えられています。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「立宗宣言」がテーマです。新入会者のリホさんは、「SOKAチャンネル モバイルSTB」で、同じ言葉で唱題するSGI(創価学会インタナショナル)メンバーの様子を視聴し、支部女性部長のユリコさんに驚きを伝えているようです。

リホ SGIのメンバーは、世界中で"ナンミョウホウレンゲキョウ"と唱えているんですね! とても驚きました。

ユリコ 私も、初めて知った時にはびっくりしたわ。「南無妙法蓮華経」の題目は、国境や人種、時代をも超えて唱えられているのよ。

リホ 時代をも超えて……。感動しました。

ユリコ 日蓮大聖人が「立宗宣言」の際に打ち立てられた題目には、"末法の全民衆の幸福を開く"との誓願が込められているの。だから未来にわたって"全人類共通"なのよ。

リホ 「立宗宣言」ですか。聞いたことはあるのですが、くわしく教えてください。

ユリコ 各地を遊学し、あらゆる教えの本質を把握された大聖人は、法華経こそが仏教のすべての経典の中で最も優れた経典であると結論されたの。そして御自身が覚った「南無妙法蓮華経」こそが法華経の肝要であり、万人の苦悩を根本から解決する法であることを確認されたのよ。
ついに、建長5年(1253年)4月28日の「午時(正午ごろ)」、大聖人が32歳の時に、清澄寺で、末法の人々が信じるべき成仏の根本法は、「南無妙法蓮華経」であると宣言された——これが「立宗宣言」なのよ。

リホ なるほど。

ユリコ 法華経の経文には、末法に妙法を弘めることがいかに困難であるか、そして、法華経の行者には必ず大難が競い起こることが説かれているの。
御書には、大聖人が立宗を決意されるに当たって、深い思索と熟慮を重ねられた御心情を「国の権力者による迫害などが起こってきた時に退転してしまうようであるなら、はじめから思いとどまるのがよいだろうと、しばらく思いをめぐらしていた」(新70・全200、通解)とつづられているわ。

リホ "必ず大難が競う"と分かっていたら、私だったら思いとどまってしまうかもしれません……。

ユリコ 大聖人は経文に照らして、競い起こる魔性との戦いが、生易しいものではないことをご存じであったの。それでも、「今度強盛の菩提心をおこして退転せじと願じぬ」(同)と誓願を立てられ、一切衆生の成仏の道を開く御闘争を貫かれたのよ。

リホ すごいことですね。

ユリコ "なんとしても末法の全民衆を幸せにしてみせる"との大慈悲が"立宗の心"であったのね。
世界的な音楽家のメニューイン氏は、池田先生との語らいの中で、「南無妙法蓮華経」の七文字のリズムについて「口ずさみやすく、心地よい」と、感嘆していたの。題目の音律にまで、大聖人の御精神が脈打っているのね。
大聖人は、人々から生きる力を奪う「念仏の哀音」(新931・全96)をはじめ、人間を不幸にする宗教に対しては、徹底的に破折されたのよ。

リホ そうだったんですね。

ユリコ 大聖人が、たったお一人から説き始められた"太陽の仏法"は、創価三代の会長の死身弘法の闘争によって受け継がれ、世界中を照らすようになったのよ。今や"題目の音声"は、24時間、途切れることなく地球を包んでいるわ。

リホ 広宣流布は、とても壮大なスケールで進んでいるんですね。

ユリコ そうなのよ。先生は「立宗宣言」の意義について「日蓮仏法は、一宗一派の小さな次元を超えて、あらゆる人々、あらゆる国々に開かれたものです。いわば『人類宗教』の開幕と拝すべきでしょう」とつづられているの。
「勤行要典」の御祈念文の最後には、「世界の平和と一切衆生の幸福」とあるわ。"立宗の心"に連なる創価学会では、一人一人が自身の人間革命に挑戦しながら、世界の人々の幸せを真剣に祈っているのよ。

リホ 改めて、題目の偉大さと創価学会員の使命の深さを感じました。私も、世界中の同志と同じ思いで祈っていきます。

2022年4月10日日曜日

2022.04.10 わが友に贈る

◇今週のことば
壮年・男子が団結して
活力みなぎる座談会を!
一人一人が尊き主役だ。
太陽の女性部と共々に
五月三日へ賢者の前進!
2022年4月10日

最蓮房御返事 P1342
『何れの辺に付いても予が如く諸宗の謗法を責め彼等をして捨邪帰正せしめ給いて順次に三仏座を並べたもう常寂光土に詣りて釈迦多宝の御宝前に於て我等無始より已来師弟の契約有りけるか無かりけるか又釈尊の御使として来つて化し給へるかさぞと仰せを蒙つてこそ我が心にも知られ候はんずれ、何様にもはげませ給へはげませ給へ。』

【通解】
いずれにしても、日蓮と同じように、諸宗の謗法を責め、彼らを、邪法を捨てて正法に帰依させて、順次に三仏が座を並べられているように常寂光土に詣でて、釈迦・多宝の御前で「私達は無始以来、師弟の約束があったのでしょうか。なかったのでしょうか。また、釈尊のお使いとして来て、化導してくださったのでしょうか」と尋ねたときに、「そのとおりである」との仰せを受けてこそ、自身の心も納得されるであろう。なんとしても励まれるがよい、励まれるがよい。

名字の言 胸が熱くなる旋律——「希望の絆」コンサート 2022年4月10日
昭和40年代、テレビでは昔懐かしいメロディーでつづる歌番組が数多く放送された。その楽曲がはやった当時の世相を伝える映像とともに紹介する内容で、どれも高視聴率だったという▼流行歌でなくとも、旋律を聴くと、大切な思い出がよみがえり、胸が熱くなる——。一人一人に、そうした"懐メロ"ともいえる音楽があるのではないだろうか▼昨日、大船渡文化会館で行われた「『希望の絆』コンサート」で、東北の歌「青葉の誓い」が力強く鳴り響いた。東日本大震災以降、とりわけ東北の同志が口ずさんでは勇気を湧かせ、前進の力にしてきた歌である。この日は2年ぶりの東北訪問となった音楽隊「創価グロリア吹奏楽団」が演奏した▼同コンサートの開催は、3月16日付の本紙で発表された。ところがその晩、大きな地震が東北を襲った。その影響で新幹線などの交通網が寸断された。翌日、音楽隊から東北の同志に連絡が。「何としても行きます!」——"希望の絆"が一段と強まった。そして関係者の努力が実り、開催が実現した▼あすで大震災から11年1カ月。学会歌は来し方を懐かしむだけでなく、今に燃え、未来への活力とする調べである。決意の歌声と共に、同志は復興を目指し、前へ進む。

寸鉄 2022年4月10日
会長の思想継ぐ青年部が築く連帯は平和の原動力—教授。対話の渦、今こそ
悩んではじめて信心が分かる。偉大な人になる—恩師。若人よ題目で勝て
奈良女性部の日。万葉の都照らす太陽のスクラム 友の心に励ましの春光を
関西創価小学校開校から40年。宝の王子王女達よ勇気の翼を広げ羽ばたけ
昨年、ネット中傷で検挙353件—警察。言葉の暴力は社会悪。皆で根絶

☆桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進� 第6回 神奈川の友へ
◇勝利の栄冠は我らに!
神奈川には
品格がある。
そして
皆に好かれ
庶民の大声と
笑い声が聞こえる街!

わが神奈川の友は
順風が嵐になろうとも
その巨大な信念は
絶望することを知らない。

常に心が崩れ果てていく
窒息しそうな時代に入っても
わが友は力強い。
そして
信念の深い叫びをもって
生き生きと
道を拓いていく。

卑しき計り知れぬ
人間性のなき畜生のような
唾棄すべき茨の道があっても
我らの希望と勇気の胸は
さらに膨らむ。

ある同志は
海外の友がいる彼方を目指し
また ある同志は
寒さも暑さも忘れ
来る日も来る日も
烈風が吹くような速さで
わが愛する
神奈川広布の天地に
舞い降りる。

一日の戦いが終わって
すべてのものが眠っても
我らの眠りは
豪奢と静けさを
呼吸しながら
楽しく休む。

辛抱強い我が友!
苦悩に打ち勝つ
精神の王者の我が友!
暗黒を引き裂く
無限の力を持つ我が友!
不吉で陰険な策略を
辛抱強く打ち破る我が友!

この無窮に通ずる
信念の道は
意義深き
荘厳な生命の躍動として
今日一日も
また快く飾る。
そこには
悔いのなき幸福の静寂が
結びついている。

◆◇◆

時は来た!
花は咲いた!
強く明るい
日差しに照らされながら
我々は
美しい香りの花々に囲まれ
完璧な勝利の響きと共に
凱旋の歌を歌っていくのだ。

私たちは勝ったのだ!
我らのこの勝利は
いかなる冷たい
烈風が吹き荒れても
微動だにもしない。
安楽にして
無限の魂を癒してくれる
大城なのである。

勝利の栄冠!
それは
我らであり
我が友である。

神奈川は強い!
常に高みに立ちて
険悪な情勢を
見下ろしながら
戦わんかな! という
躍動しゆく
強き信念は光る。

さあ 行こう!
さあ 行け!
さあ 軽やかな足どりで
連戦連勝の人生と
無数の花吹雪を浴びながら
今日も
青年 神奈川は勝つのだ!

我らには
一時の退屈の日もない。
この一生を
悔恨の暗夜を通りぬけて
真実の人生の
栄光の日々を飾るのだ。

願わくは 君よ
賢明なる権利を持ち
光輝ある人生の勝利者として
神奈川の天地に
その歴史を残し給え!

神奈川 万歳!
広宣流布の歴史輝く
神奈川 万歳!
わが偉大なる同志の
神奈川 万歳!

☆質問BOX 「発心」とは、どういう意味ですか?
◇答え
「発心」とは、「発菩提心」のことです。仏の最高の覚りを得ようと求め、仏道修行を貫くことを誓う心を発すことをいいます。
しかし、経典に"法華経を持つ人は必ず難に遭う"とある通り、信心を貫くことは簡単ではありません。
本紙の長期連載「きょうの発心」には、広布のリーダーが掲載されています。そこには、一人一人が胸に刻んでいる御書の一節と共に、苦難や宿命の嵐を勝ち越えた体験などがつづられています。
多くの人に共通するのは、行き詰まった時に"池田先生との誓い"や、"信心の原点"に立ち返っていることです。
日々、祈りを根本に、"きょうも発心"を重ねていくならば、どんな困難にも負けることはない——。1万4千回を超える連載は物語っています。

☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第4回 「幹部の団結」を師は厳命
◇「幹部の団結」を師は厳命
戸田先生の折々のご指導から始めたい。
戸田先生のお話は、全部、私の胸に入っている。いつも厳しい先生であったが、「大作は、私の言うことを、よく覚えるな。忘れないな」と絶大な信頼を寄せてくださった。恩師の言葉は、今も光を放っている。
〈戸田先生の言葉〉
「どのような癖のある馬でも、また名馬でも、使う人によって変えられていくし、また変わってくるものである。ゆえに師は選ばなくてはならない」
師匠を選べ!——これが人生最重要の決断である。
「学会も強くなった。幹部も育った。今の学会は幹部の団結によってできたのだ。これからも心を合わせてやれ」
幹部の団結である。鮮やかな一筋の光のごとく、団結の足跡を刻んでいくのである。
派閥など断じてつくるな。それが恩師の厳命であった。
「現在の自分の環境に対して不平不満を抱く者は決して幸せにはなれない」
昔の学会は何もなかった。そこから、一人立ち上がっていったのだ。環境が悪ければ、自分が変えていけばよいのである。(2003年11月、神奈川・千葉合同協議会でのスピーチ、『池田大作全集』第95巻所収)

◇中心者は包容力で皆を生かせ
次に、乱世を勝ちゆくリーダーの姿勢を学びたい。
〈中国の三国時代、蜀の名宰相・諸葛孔明〉
「指導者には必ず、腹心(心から信頼できる者)、耳目(情報を知らせる者)、爪牙(身を守る者)がいる」
そして——腹心のいない指導者は、夜の闇をさ迷うようなものだ。情報のない指導者は、暗闇の中で身動きがとれない。勇敢に戦う者をもたない指導者は、亡んでしまう、と言うのである。(中略)
指導者は、孤独であっては戦えない。「君のためなら何だってするよ」と言われるような厚い信望を広げることだ。一人でいばって、包容力も、慈悲もない。苦楽をともにする友もいない。それでは指導者とは言えない。
指導者は、同志を大事にすべきだ。自分に意見を言ってくれる人を尊重することだ。
〈「四条金吾殿女房御返事」〉
「大将軍よはければ・したがうものも・かひなし、弓よはければ絃ゆるし・風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり」(全1135・新1543)
——大将軍の心が弱ければ、従卒もふがいない。弓が弱ければ、絃もゆるい。風がゆるければ、波も小さい。これは当然の道理である——。
戦いは中心者の一念で決まる。何としても勝つ。この「執念」である。
〈「守護国家論」〉
「兵者を打つ刻に弱兵を先んずれば強敵倍力を得る」(全37・新380)
——兵を打つときに、こちらが弱い兵を先に向かわせると、強い敵は、ますます力を得る——。
だから、幹部が率先するのである。先頭に立って戦うのである。
戸田先生は、いつも、最も大変なところへ、「大作、行ってこい!」と私を派遣された。行くところ行くところで、私は歴史をつくってきた。(同)

2022.04.09 わが友に贈る

創価の女性の集いには
温かな共感の励ましあり
幸福勝利への誓いあり!
桜梅桃李の花咲く総会を
皆で楽しく賑やかに!

諌暁八幡抄 P588
『法華経の第五に云く諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す、経文の如くんば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天帝釈日月四天等昼夜に守護すべしと見えたり』

【通解】
法華経の第五の巻、安楽行品第十四に「諸天は昼夜に常に法のためのゆえに、これを衛護する」と説かれている。この経文のとおりであれば、南無妙法蓮華経と唱える人を大梵天・帝釈天・日月・四天等が昼夜にこれを守護されるのである。

名字の言 新聞の在り方について読者の皆さまと考える 2022年4月9日
「新聞をヨム日」とした4月6日から12日までは「春の新聞週間」。就職や進学・進級といった機会を通し、新聞の購読を呼び掛けている▼ネット社会の今、ニュースはインターネット上で確認する人が多いが、情報操作やフェイクニュースが指摘される中、正確な情報を発信するメディアが求められている。新聞の在り方について、読者の皆さまと一緒に考える機会にしたい▼明治の思想家、田中正造はつづっている。「新聞をよむものハ徒らに見るべからず。新聞ハ面白きものニあらず。事実を早くしるの要のみ。新聞ハ安きを好むものニあらず。偽りを報告せぬ新聞をよむの必用あり」(由井正臣・小松裕編『田中正造文集』岩波文庫)▼一般紙の記者を長年務め、現在は大学の教壇に立つ文芸評論家が教えてくれた。「新聞の言葉は情報を載せる。文学の言葉は価値を載せる。価値とは生きる喜びです」と。一般紙と性格が異なる本紙は、新聞と文学の言葉を併せ持つのではないだろうか▼「風采がその人であるとすれば、言葉はその魂である」(佐藤全弘訳)とは、国際連盟事務次長を務めた新渡戸稲造の言葉。本紙は正しい情報に基づき、読者の皆さまに勇気と希望と活力を送る紙面を作り続ける。

寸鉄 2022年4月9日
「人は善根をなせば必ずさかう」御書。友に尽くす行動の中に福徳は燦然と(新1897・全1562)
勇気は最も役立つ人間の気質だ—哲人ヒルティ。勇敢な信心で進め!破れぬ壁なし
地道な訪問・激励が人材育成の要。幹部は軽やかに同志の元へ。共に成長
春の新聞週間。混迷の時に真実と価値創造の英知を発信。充実の紙面誓う
悪質投資勧誘の被害相談が若者で急増と。SNSの甘い文句は罠。冷静に

〈社説〉 2022・4・9 明年4月、こども家庭庁が発足へ
◇「人類の宝」を皆で育む社会に
政府は本年2月、子ども政策の司令塔となる「こども家庭庁」設置法案を閣議決定した。明年4月の発足を目指している。同庁は厚生労働省や内閣府などの関連部局を移管し、教育分野を担う文部科学省と連携。首相直属の機関として位置付けられる。
英オックスフォード大学のロジャー・グッドマン教授が、「福祉施設と、教育機関の両方が、同じ行政機関で調査・管轄されることが重要」(本紙昨年12月15日付)と述べていたように、行政の縦割りを打破し、子ども政策を一元的に担うことの意味は大きい。
日本は他の先進国と比べ、子育てがしにくい国といわれる。少子化に関する2020年の国際意識調査では、「子供を生み育てやすい国だと思うか」との設問に、日本は「そう思わない」が61・1%に上った。調査対象となったドイツ22・8%、フランス17・6%などを大きく上回っている。
子育て世代への政府支出が少ないなど、経済的な要因はもちろんだが、それ以外にも、都市化に伴い、従来は"親族"でサポートしていた育児が、"近所"のサポートにうまく移行できず、「孤立育児」が増えたことなど、地域的な要因を挙げる専門家も多い。
一方、社会的な要因として、子育てをする親世代に対し、職場でのキャリアの中断や昇進面の不平等など、"子育て罰"が存在すると指摘するのは日本大学の末冨芳教授だ。解決には制度の改善が求められるが、その上で「変わらなければならないのは、人びとの意識です」(『子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるには』光文社)と指摘する。
子どもを産み育てることを"個人の責任"と捉えるのではなく、それを社会全体で支え、応援することが地域や国の未来をも豊かにすることにつながる——こうした視点への転換が、ますます重要になっていると感じる。
創価学会では、これまで未来部の育成に力を注ぐとともに、教育本部の「未来部育成相談室」の設置など、子育てをする親のサポートに取り組んできた。何より、地区・支部など各地域の組織の中で、育児に奮闘する友を支える温かな励ましを送り続けてきた。
池田先生は「子どもは未来からの使者であり、人類の宝」と訴えている。今こそ「子ども第一」の理念の具現化が求められている。

☆創価大学・女子短期大学入学式への池田先生のメッセージ
◇地球民族を結び高める学究と創造の翼たれ
一、ある春、草創の創大の教職員と入学式を前に語り合ったことがあります。
——桜の花を愛でる時には、その木を植え、丹精込めて育て上げた桜守の方の労をしのびたい。それと同じように、最優秀の英才を送り出してくださったご家族方への感謝をゆめゆめ忘れず、そして宝の新入生が一人ももれなく幸福勝利の花を咲かせられるよう、我らは全身全霊で支え、守り、育んでいこう!と。
満開の桜に祝福されて入学された創大52期生、短大38期生、ならびに通信教育部の皆さん、また大学院生、そして留学生の皆さん、誠におめでとう! ご家族の方々にも、心からお喜び申し上げます。
建学の精神を深く分かち合う鈴木新学長をはじめ教職員の方々、どうか、よろしくお願いいたします。皆でさらに力を合わせて、人類の希望の柱たる「平和のフォートレス」を若き知性の人華で爛漫と飾りゆこうではありませんか!

一、晴れの出発に一言、「地球民族を結び高めゆく学究と創造の翼たれ!」と贈りたい。
きょう4月2日「開学の日」は、創価教育の師父である戸田城聖先生の祥月命日であります。
戸田先生は常々「この地上から悲惨の二字をなくしたい」と熱願し、そのために「地球民族の人格を最高の価値にまで引き上げるのだ」と訴えられました。この遠大なる夢の実現へ、私は対話の波を起こしてきました。
50年前、対談を開始したトインビー博士とは、「人生のさまざまな挑戦に応戦して打ち勝つ人間本性の力」を、いかに高めるか、また「人類の生存を脅かす諸悪と対決し克服する力」を、いかに結び合うかを巡り、縦横に論じ合いました。そして科学技術の急速な向上をもリードできる「人間の尊厳」「生命の尊厳」の確立を!と一致したのであります。
この大いなる希望を担い立つのが、「人間教育の最高学府」にして「新しき大文化建設の揺籃」たる、わが創大であり、わが短大なのであります。

◇艱難を飛翔の力に変え「王者の青春」を堂々と
一、歴史の転換点に立つ皆さんに、時代の烈風は一段と厳しいことでしょう。しかし、だからこそ、偉大な使命を自覚して勇敢に立ち向かうならば、艱難をも飛翔の力へ変えて、計り知れない高みへ上昇することができます。
世界中から集った良き学友と共に、この創価のキャンパスにみなぎる「負けじ魂」を呼吸しながら、第一級の学究と価値創造の翼を、たくましく朗らかに鍛え上げてください。そして空飛ぶ者の王たる大鷲のごとく堂々と、地球民族を結び高めゆく「王者の青春」を乱舞していただきたいのであります。
愛する皆さんの健康と友情と勝利を祈りつつ、一首を贈ります。

嵐にも
 挑み飛び征け
  恐れなく
 勇気と英知の
  翼光らせ

☆4月度座談会拝読御書 四菩薩造立抄
◇御文
『総じて、日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は、日蓮がごとくにし候え。さだにも候わば、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし。』(御書新版1341ページ3行目〜4行目、御書全集989ページ11行目〜12行目)

◇[池田先生の指針から]大聖人がごとく大願に生き抜く
「日蓮が如く」との仰せを違えず、創価の三代は「不惜身命」「死身弘法」の決心で、「三類の強敵」「三障四魔」との大闘争を勝ち越え、「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の大難を乗り越えてきた。だからこそ、釈迦・多宝・十方の諸仏の守護も厳然と現れたのである。無量無辺の諸天善神も、じっとしてなどいられない、創価の師弟の如説修行の戦いであったのだ。(中略)
この崇高なる師弟に、学会の世界的発展の原点がある。「師弟不二」であれば、打ち破れない「壁」などない。「師弟不二」に徹しぬいていけば、今の何倍も、学会は発展していくことができる。(2006年10月、創立記念日祝賀協議会でのスピーチ)
◇ ◇ ◇ 
妙法弘通にあたって大聖人は、妙法を言葉や理論のみで"教えた"のではなく、妙法を確信し体現する御自身の姿、お振る舞いを通して"示された"のです。大聖人御自身の戦いの姿を離れて、仏法はありません。
したがって私たちが仏法を会得するためには、「日蓮がごとく」という実践が重要となります。
どこまでも、妙法をわが身に体現し、生き抜かれた師匠の姿を通し、今度は、師匠の戦いの通りに自ら戦い、自身に体していく以外にないのです。すなわち師弟の脈動の中にこそ、仏法の真実の継承があるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第9巻)
◇ ◇ ◇
「大聖人の如く、広宣流布の大願に生き抜く」——これが、五月三日を貫く我らの誓いである。(中略)
信心の根本は、どこまでいっても「自行化他」の行動である。慈悲の心をもって、折伏精神に燃え、友のもとへと足を運び、仏縁を結ぶことが、最も時に適った仏道修行なのである。
尊き同志が、生き生きと広宣流布のため、立正安国のため、東奔西走しゆくなかで、五月三日を祝賀してくださる。この姿こそ、戸田先生が何より喜んでおられるに違いない。(『随筆 希望の大道』)

◇諸天を動かす 師弟不二の信心
[キーワード�]求道の心を燃やす
本抄を与えられた富木常忍は、日蓮大聖人が建長5年(1253年)に立宗宣言をされて間もないころに入信したとされています。その後、門下の中核として活躍し、大聖人から、「観心本尊抄」をはじめ、30編以上の御書を頂きました。
本抄では、常忍が住む下総国(現在の千葉県北部などの地域)の門下の一部が、大聖人と異なる、自分勝手な教義を唱えていることを、厳しく戒められています。
慢心を起こし、大聖人の教えに背く己義を弘めれば、人々を惑わすことになります。それでは、自身も他人も、共に「無間大城に堕つ」(新1341・全989)ことになってしまうと仰せです。
だからこそ、拝読御文で大聖人は、「日蓮がごとくにし候え」と教えられています。長年にわたって師匠と共に広布に歩んで来た常忍に、あえて"師のごとく"と、信仰の根幹を教えられているのです。
"師弟不二の信心に立ち返れ"——。信頼を寄せる常忍だからこそ、誰よりも師匠の教えを貫き、周囲の門下の模範となるよう教えられていると拝されます。
私たちに即していえば、どれだけ広布に励んできたとしても、師匠を求める心を忘れてしまっては、正しい信仰は貫けません。また、"こういうことだろう""もうこれくらいでいいだろう"という慢心があれば、信心が破られてしまいます。
"師匠ならばどうされるか"と、常に求道心を燃やし続ける師弟不二の実践の中に、行き詰まることのない、人間革命の前進があるのです。

[キーワード�]味方に変える祈り
拝読御文の後半では、釈尊や多宝如来、十方の分身仏と並んで、諸天善神である十羅刹女までもが、日蓮門下を守るとつづられています。
諸天善神とは、正法を受持する人とその国土を守護する、種々の働きのことです。
十羅刹女は、法華経の陀羅尼品で、鬼子母神をはじめ、多くの鬼神たちと共に、法華経の行者を守護する誓いを立てています。ゆえに、真剣に広布に励む人は、必ず諸天に守護されます。
それは、強盛な信心の一念に諸天善神が感応し、人々を守護する働きとなって現れるからです。大切なことは、自分自身が広宣流布に戦っているかどうかです。
他の御書でも、「神の護ると申すも、人の心つよきによるとみえて候」(新1608・全1186)と仰せの通りです。
そのことを、日蓮大聖人は命にも及ぶ数々の大難を勝ち越えることで、厳然と示されたのです。
"我がごとく戦いゆけば、いかなる難に遭っても必ず諸天の加護がある"——。
本抄からは、門下への慈愛あふれる、日蓮大聖人の御確信が拝されます。
池田先生は記しています。
「師弟共戦の友は、『至誠天に通ず』の如く、あらゆる諸天を動かし、たとえ悪鬼魔民たりとも味方に付ける祈りで、見事な勝利劇を飾ってきた」
いよいよ春本番。一切を味方に変える強盛な題目を唱え抜きながら、自他共の幸福の花を咲かせゆく、立正安国の対話に、心軽やかに打って出ましょう。