◇今週のことば
一人一人の凱歌が轟く
金秋の創立の月、万歳!
御本仏の讃嘆は絶大なり。
「大果報は又来るべし」
立正安国の宝光を更に!
2021年11月01日
弥三郎殿御返事 P1451
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』
【通解】
ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、(弥三郎が)今まで生きながらえてきたのは、このことにあうためなのである。
名字の言 秋植えの花々に共通すること 2021年11月1日
この時季に思い出す花がある。小学生の時、学校の花壇の土を掘り、チューリップの球根をそっと置いた。「紅葉の見頃が植え頃」という。やがて来る春の彩りを、胸に楽しく描いたものである▼秋に植えて春に咲く花は、他にもアネモネやスイセンなどがある。共通するのは開花のために「寒さ」を必要とすること。冬を経なければ花を結ぶことはない。咲くべき時を迎えるために、植えるべき「時」がある▼日蓮大聖人は「春は花さき秋は菓なる春種子を下して秋菓を取るべし」(御書503ページ)と仰せだ。米作りの場合、春に田植えをしなければ実りの秋は来ない。仏法者にとっても、時に適った実践こそが仏の境涯を開く直道なのである▼学会は本年を、創立100周年へと向かう「勝負の10年」の初陣と位置付けた。この千載一遇の対話の秋に、同志は"友情の種"をあの友この友の心に蒔き続けてきた。御聖訓に照らして、一人一人に"功徳満開の春"が訪れ、友の胸中に根を下ろした仏種がいつか芽吹くことは間違いない▼学会創立の月を迎えた。「創」は「はじめる」とも読む。秋植えの花々は、春を確信して開花の準備を始めている。我らも心に新たな決意の芽を育み、新たな歴史を創めよう。
寸鉄 2021年11月1日
11・18へ皆で戦い、皆で壁破った!全同志の奮闘に感謝。日本の柱は厳たり
社会変革に進む学会の草の根運動は希望—教授。築いた友情は未来の礎と
誠実は人が持つ最も高尚なもの—詩人。まずは友に御礼を。反応は素早く
年賀はがきの販売開始。一葉の便りは旧交を温め絆結ぶ契機。活用上手に
公明党よ支持者の献身を絶対に忘れるな。大衆に尽くす政治を断じて貫け
☆大白蓮華巻頭言2021年11月号 「桜梅桃李」の人華の連帯を
創立の月に当たり、広宣流布の太陽と輝き光る世界中の創価の女性へ、みんなで改めて感謝を捧げたい。
御本仏・日蓮大聖人が、法華経の「第一の肝心」として日眼女に送られた薬王品の一節が胸に追ってくる。
「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如く、一切衆生の中に於いて、亦為れ第一なり」。
大聖人は、この一切衆生の「第一」の人とは、妙法を持つ「女人」である貴女・なのですよ、と讃嘆されている。
薬王品では、妙法の力用について、一切衆生を「よく救い」、「よく諸の苦悩から離れさせる」。そして「よく大いに利益して、その願いを満たす」と説かれる。
この妙法の大良薬を携えて、仏に代わり、仏の仕事を、日々懸命に果たしているのが、地涌の女性たちだ。
人間として本当に偉い人とは一体、誰か。地位や名声、権勢や富などに惑わされる時代は、もはや過ぎ去った。
どのような哲学を抱き、人々のため、社会のため、いかに苦労し行動しているか。その実像が心を打つ。
なかんずく生命尊厳の法理を掲げ、喝采のない舞台で、苦しむ友に寄り添い、地道に誠実に不退の信心で人道の貢献への連帯を築きゆく広布の女性が、どれほど偉人か。
虚栄も威張りもなく、朗らかにして笑顔さわやかな無冠のヒロインこそを、大聖人が御照覧の通りに「第一の鑑の人」と仰ぎ、いよいよ大切に敬い学ぶのだ。いやまして誇り高く宣揚し、幸福勝利の華冠を贈るのだ。
地味でありながら、ここに民衆の心の大地を耕す人間性の指標があり、地球民族を結ぶ平和の要がある。
とりわけ、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」(P781)、多彩な人華を咲かせ合う女性部の異体同心のスクラムは、世界が希求する多様性の共生のモデルである。
とともに、「大悲とは母の子を思う慈悲の如し」(P721)と仰せのように、一段と慈悲から発する智慧の光を、華陽姉妹をはじめ若き世代と未来へ広げていきたい。
創立百周年へ、一閻浮提第一の希望の陣列、楽しく!
殉教の
師父が祈りし
母娘らの
幸の笑顔が
輝く人道世紀を
☆学ぼう 11月の学会史 2021
2021年10月14日
◎11・2「創価班の日」45周年
1976年(昭和51年)11月2日、それまでの「輸送班」を発展的に解消し、諸行事の運営・整理などを担う「創価班」が命名・結成された。本年で45周年。
※参考資料=小説『新・人間革命』第24巻「厳護」
◎11・3「創価文化の日」
人間文化の創造を目指し、学会では「文化の日」の11月3日を「創価文化の日」と定めている。
◎11・5「男子部の日」60周年
1961年(昭和36年)11月5日、東京・国立競技場で第10回男子部総会を開催。54年(同29年)に第2代会長・戸田城聖先生が「国士訓」で青年部に呼び掛けた"精鋭10万人"の結集を実現させた。本年で60周年。
※参考資料=『新・人間革命』第5巻「勝利」
◎11・6「四国の日」
1987年(昭和62年)11月6日、池田大作先生が長編詩「青き天地 四国讃歌」を四国の友に贈ったことを記念して定められた。
◎11・12「女子部の日」60周年
1961年(昭和36年)11月12日、横浜・三ツ沢の競技場に、各地から8万5000人が集い、第9回女子部総会を開催。本年で60周年。
※参考資料=『新・人間革命』第5巻「勝利」
◎11・14「紅の歌」誕生40周年
1981年(昭和56年)11月、池田先生は四国男子部の有志が作成した歌詞案に二十数回の推敲を重ね、同14日、「紅の歌」が誕生。本年で40周年。
※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「勝ち鬨」
◎11・15「地域部の日」
1987年(昭和62年)11月15日に行われた第1回総会が淵源。
◎11・18「創価学会創立記念日」
1930年(昭和5年)11月18日、初代会長の牧口常三郎先生は、戸田先生と共に『創価教育学体系』第1巻を発刊。発刊日の11月18日が、後に創価学会の創立記念日となった。
※参考資料=『新・人間革命』第23巻「敢闘」、第27巻「正義」
◎11・28「魂の独立記念日」30周年
創価の師弟を分断し、学会を破壊しようと陰謀を巡らせた宗門は、1991年(平成3年)11月28日付で、学会に「破門通告書」を送付。その日は、学会が世界宗教へ飛翔する「魂の独立記念日」となった。本年で30周年。
※参考資料=『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」、第30巻〈下〉「誓願」
☆輝きの瞬間 11月の広布史
広宣流布の歴史は、単なる過去の出来事ではない。そこに刻まれた精神を胸に、誓い新たに挑戦を開始する"魂の原点"である。ここでは「輝きの瞬間」と題して、11月の広布史を紹介する。
◇1975年11月8日 広島の原爆慰霊碑に献花
広島の平和記念公園に、池田先生の題目三唱の声が響いた。
1975年11月8日、先生は原爆死没者慰霊碑の前に立った。被爆2世の青年と共に慰霊碑に献花し、平和への祈りをささげた。先生は語った。
「私は、平和への闘争なくして、広島を訪ねることはできないと思っています。それが戸田先生に対する弟子の誓いなんです」
——「原水爆禁止宣言」の発表から2カ月後の57年11月20日、戸田先生は被爆地・広島へ出発する予定であった。だが、体の衰弱は激しく、前日の19日、池田先生は広島行きの中止を懇願した。
「ご無理をなされば、お体にさわり、命にもかかわります。おやめください」
戸田先生は語った。
「そんなことができるものか。……そうじゃないか。仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか。俺は、死んでも行くぞ」
しかし、出発の日の朝、戸田先生は自宅で倒れてしまう。やむなく、広島には代理の幹部が向かうことになった。命を賭しても、広島を訪れようとした恩師の気迫を、池田先生は平和行動の原点として、深く心にとどめた。
先生が慰霊碑に献花した75年当時、世界は東西冷戦、中ソ対立の渦中にあった。一触即発の状況下、先生は74年から75年にかけて中国、ソ連、アメリカを相次いで訪問。ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理、アメリカのキッシンジャー国務長官など、各国の要人と語り合い、「分断の溝」に「友好の橋」を架けていった。この「平和への闘争」をもって、広島を訪問したのである。
先生は献花の準備に当たった青年たちと握手を交わし、こう語った。
「人生は早いよ。だから私は、一瞬一瞬が真剣勝負だという思いで戦っているんです」
◇1979年11月16日 東京戸田記念講堂での指揮
1979年11月16日、創価学会創立49周年を記念する本部幹部会が、東京戸田記念講堂で行われた。
池田先生は幹部会で、「威風堂々の歌」の指揮を執った。第3代会長辞任後、初めての学会歌の指揮だった。
宗門僧らの師弟分断の画策によって、先生は会合で話すことができず、聖教新聞でも動向が報じられることが、ほとんどなくなった。だが、どれだけ行動を制約されようとも、先生の広宣流布の戦いがやむことは決してなかった。
個人指導に力を注いだ。揮毫を認め、和歌を詠み、ピアノを弾いて、同志を鼓舞した。幹部会での指揮も、"励ましの戦い"であった。
会場の「東京戸田記念講堂」。その名を提案したのは、池田先生である。講堂が立つ豊島区には、初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生が戦時中、軍部政府の弾圧によって投獄された東京拘置所があった。牧口先生は獄中で殉教の生涯を閉じた。講堂は先師、恩師の死身弘法の精神をとどめる法城として誕生した。
79年6月3日、講堂が開館。その前日、池田先生が初めて訪問した。この6月からの半年間で、先生は18回訪れ、全国各地から来館する同志に渾身の励ましを送った。会長辞任後、東京・立川文化会館、神奈川文化会館などと共に、"戸田講"から新たな歴史を開く戦いを起こした。
先生は幹部会で、扇を手に壇上の中央へ。「威風堂々の歌」の曲が流れ始める。会場には"誓いの手拍子"が響いた。
先生の入魂の舞は、皆に呼び掛けていた。
——大東京よ、立ち上がれ! 全同志よ、立ち上がれ!
第1次宗門事件の嵐が吹き荒れる中、この日、東京から凱歌の行進が始まったのである。
◇2001年11月12日 関西総会・北海道栄光総会
21世紀が開幕して、最初の創価学会創立記念日を祝賀する本部幹部会は、「関西総会」「北海道栄光総会」の意義を込めて開催された。
2001年は関西の友にとって、「大阪の戦い」から45周年の節目。また、1981年11月、反転攻勢の激励行の中、先生が関西で「嗚呼黎明は近づけり」の指揮を執ってから20周年であった。
さらに、前年の2000年12月に関西で行われた本部幹部会で、先生は「第2の七つの鐘」の構想に言及。広布の遠大な未来を展望した。
この「第2の七つの鐘」を打ち鳴らす21世紀の初陣を圧倒的な広布拡大で飾ろうと、2001年の上半期、関西の友は対話に奔走。全てに勝利して、関西総会に晴れ晴れと集った。
北海道の友にとって2001年は、池田先生が1991年に「難攻不落の三代城」との指針を示してから10周年の佳節を迎える年であった。
初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生が青春時代を過ごした北海道。小樽問答や夕張炭労事件など、池田先生が青年時代、三類の強敵と戦い、勝利した北海道。創価三代の有縁の天地である誇りを胸に、友は祈りに祈り、広大な北の大地を動きに動いた。
2001年の上半期を北海道の友も、壁を破る対話拡大で荘厳。さらに、下半期は聖教拡大に挑み、連続勝利で栄光総会に臨んだのである。
関西総会・北海道栄光総会で、先生は強調した。
「環境ではない。一念で決まる」「『人生、何があろうと"信心"で進め!』——これが仏法者の魂である」
師の渾身の叫びから20星霜——。学会創立100周年を目指す今、その初陣を総仕上げする"凱歌の秋"を痛快な勝利で飾ろうと、関西と北海道の友は使命の天地を駆け巡っている。
◇1981年11月 四国から始まった反転攻勢
池田先生と四国の友の絆は永遠——40年前の1981年11月9日から始まった四国での激励行は、その象徴である。
この日、徳島講堂の落成記念勤行会が昼と夜の2回、開催された。夜の勤行会で先生は、"どんなことがあっても、今日は一目でも一足でも、徳島に入って約束を果たしたかった"と語った。
2カ月前の聖教新聞には、落成を祝う記念行事に先生が出席する、との予告記事まで掲載になっていた。
前年の80年、宗門僧らが学会批判を繰り返す中、四国の同志は大型客船「さんふらわあ7」号に乗り、3回にわたって神奈川文化会館にいる先生のもとへ集った。四国の友の求道心に恩返しがしたい——それが、先生の四国訪問への並々ならぬ思いとなった。
81年10月、四国青年部が企画・推進し、四国研修道場で池田先生の平和行動展が開幕した。1カ月の開催期間で、来館者は6万人を超えた。四国の友は、創価の正義を語り抜いて、師を迎えたのである。
先生は徳島、香川、愛媛、高知それぞれの集いに全て出席した。同年11月10日、四国研修道場で行われた香川の記念幹部会で、烈々と宣言した。
「もう一度、指揮を執らせていただきます!」
「私の心を知ってくださる方は、一緒に戦ってください!」
14日には、先生が二十数回の推敲を重ね、学会歌「紅の歌」が誕生した。
15日までの7日間に及ぶ先生の激励行は、「反転攻勢」として広布史に刻まれる。それは、宗門の謀略の鉄鎖を断ち切り、学会が大きく飛翔する転機となった。
80年から81年にかけての、池田先生と四国の同志のドラマは、いついかなる時も、どの地にも先駆けて広布の突破口を開くという、四国の深き使命を物語っている。