信心即生活だ。
家庭や近隣や職場こそ
人間革命の舞台なり!
自らの姿を通して
信仰の輝きを放とう!
法華行者逢難事 P965
『かかる濁世には互につねにいゐあわせてひまもなく後生ねがわせ給い候へ』
【通解】
このような濁世には互いにつねに話し合って、ひまなく後世を願うようにしなさい。
名字の言 「池田先生」の四文字に込められた壮年の志 2021年11月9日
池田先生が第3代会長を辞任した後、初めて学会歌の指揮を執ったのは、1979年(昭和54年)11月16日。東京戸田記念講堂で開催された学会創立49周年を記念する本部幹部会である▼終了後、先生は、体験発表を行った北海道・天売島の壮年と記念のカメラに納まった。当時、師弟分断の画策を謀った宗門は、学会員に池田先生を「先生と呼んではいけない」と強いた。だが壮年は席上、堂々と「池田先生」と語ったのだ▼この体験を紹介した本紙の記事にも、「池田先生の指導のなかに、青年は年ではない、とあります」と掲載された。「池田先生」の四文字に、壮年の志が凝縮されていた。宗門の圧迫が激しさを増そうとも、誰はばかることのない、壮年の「池田先生」との叫びは、全国の同志の勇気を鼓舞した▼壮年のように、ただ一途に師を求め抜き、師と共に戦うことを誉れとして行動する友が至る所にいる。池田先生と一人一人との絆は固く、強い。熱い血が流れ通う。だからこそ、学会はあらゆる試練の烈風を雄々しく乗り越えてきた▼師弟とは、師の闘争に学び、それに続こうとする弟子の志と行動の中にある。学会創立の11月とは、そのゴールであり、新たな誓願へのスタートの時でもある。
寸鉄 2021年11月9日
今まで以上の努力と誠意で戦おう!—戸田先生。日々向上が人生勝利の道
広布の要、地区部長・女性部長の奮闘に拍手。地域の幸福責任者に福徳厳然
親友が側にいると困難を軽く感じるように—研究 寄り添う心が希望の光源
きょうから秋の火災予防運動。火の元を総点検。"油断"の火種を絶とう
「第6波」の山を小さくするには感染対策の徹底必要—医師。ぬかりなく
☆勝ちゆく君へ 第22回 希望そして勝利の走破を
◇大目的に生きる青春は明朗
創立の先師・牧口先生は、「大目的が確立してこそ中目的、小目的が明確になり、その方法もうまれる」と語られました。
広宣流布・立正安国という大目的に挑みながら、自他共の人間革命を遂げゆく青春が、どれほど偉大な価値を創造するか。
民衆の幸と安穏、世界の平和を祈り、一人一人と誠実に忍耐強く対話を重ねる努力から、未来を照らす英知が輝きます。結んだ友情と信頼こそ、人生と社会の宝の活力となるのです。
「我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)とは、苦難と戦う若き南条時光への御聖訓です。
君よ、地涌大願の旗高く、希望そして勝利の走破を頼みます。
◇「壁を破る」と一念を定めよ
青春にも、広布の戦いにも、「ここが勝負どころ」という険路があります。
日蓮大聖人は、「一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(同504ページ)と仰せになられました。
まず「壁を破る」と一念を定めて祈り、勇気を奮い起こして全力でぶつかるのです。
戸田先生は、よく言われた。
"「必ず勝つ」と決めるかどうかで、勝敗は決まる。これが勝負の哲学である"と。
さあ、試練に断固と打ち勝ち、「男子部の日」「女子部の日」、そして凱歌の「創立記念日」を、全世界の宝友と祝賀しよう!
(創価新報2021年10月20日付より)
☆励まし御書—人間革命の光で 自分らしく語り抜く—縁する友の心に幸福の種を
身近なテーマに即して、御書の一節と池田先生の指導を学ぶ「励まし御書」。今回のテーマは「自分らしく語り抜く」です。私たちは日々、友の幸福を願う真心と祈りを根本に、仏縁を結び広げる対話に励んでいます。自らの悩みや宿命と格闘しながらも、誓いを胸に、一歩また一歩と、勇気を奮い起こして語り抜くことが、どれほど尊く偉大な実践であるか——そのことを確信し、どんな時も、自分らしく朗らかに信念を語り抜いていく対話の精神を、御書と池田先生の指導を通し、心に刻んでいきたいと思います。(創価新報2021年10月20日付から)
◇御 文
『然どもいまだこりず候法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり』(曾谷殿御返事、1056ページ)
◇通 解
(日蓮はこの法門を申すゆえに、「忠言は耳に逆らう」との道理で流罪され、命の危険にも及んだのである。)しかしながら、いまだ懲りてはいない。譬えて言えば、法華経は種であり、仏は植え手であり、衆生は田である。
◇解 説
「曾谷殿御返事」は、建治2年(1276年)8月、日蓮大聖人が身延で著され、門下の曾谷教信、または、その一族の誰かに送られたと考えられています。
掲げた御文の直前、大聖人は、民衆の幸福のため、万人成仏の妙法を説き、諸宗の謗法を厳しく責め抜いたことにより、流罪や命に及ぶ大難に遭われたことを述べられます。
しかし、続く御文で、毅然として「然どもいまだこりず候」と仰せです。
どんなに厳しい迫害にも、ひるむこともなく、あきらめることもなく、敢然と広宣流布の大闘争を貫き通していく——この烈々たる"不屈の誓願と勇気"こそ、大聖人の御精神であると拝されます。
それに続いて、大聖人は御自身の実践について「法華経は種であり、仏は植え手であり、衆生は田である」と譬えられ、仏法における「下種」の深い意義を示されました。
どんな人の生命にも、本来、仏性が具わっています。しかし、生命が無明に覆われているとき、仏性は働きません。ゆえに、仏性を触発する「縁」が重要となります。
「南無妙法蓮華経」は、"万人を仏にする根本の仏種"であり、妙法に縁することで、無明に覆われていた仏性は働き始めます。すなわち、私たちが仏法を語ることが、相手の仏性を薫発する「仏縁」となるのです。
創価の師弟は、「いまだこりず候」との不屈の精神を受け継ぎ、いかなる状況でも、一人また一人と、縁する友の心の大地に"妙法の種"を蒔き、世界広布を切り開いてきました。
今いる場所で、勇気と負けじ魂を光らせながら、朗らかに誠実の対話を広げていきましょう。
◇小説「新・人間革命」より
(聖教新聞社の編集室で、山本伸一が語ります)
日蓮大聖人は、何度も命を狙われ、流罪になっても、微動だにすることなく、『然どもいまだこりず候』(御書1056ページ)と、一歩も引かれることはなかった。その御言葉には、天をも焦がさんばかりの、燃え立つ執念の炎がある。それが、広宣流布の勝負を決する力なんだよ。
執念とは、決して、あきらめることなく突き進む忍耐力であり、粘り強さです。最後の最後まで、ますます闘魂を燃え上がらせて戦う敢闘精神です。何ものも恐れぬ勇気です。
戦おうよ。ぼくと一緒に。そして、歴史を創ろうよ。
時は、瞬く間に過ぎていってしまう。人生というのは、思いのほか、短いものだ。だから、今こそ、広宣流布の舞台に躍り出なければ、戦うべき時を逸してしまう。私は、いつも本気なんです。
今生の最高の思い出となり、財産となるのは、自分の生命に刻んできた行動の歴史だ。青年ならば、壮大な広宣流布のロマンに生き抜いていくんだよ。
(第24巻「灯台」の章)
◇御 文
『須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき』(持妙法華問答抄、467ページ)
◇通 解
ともかく全魂を傾けて、南無妙法蓮華経と自身も唱え、他の人にも勧めることこそが、人間として生まれてきたこの一生の思い出となるのである。
◇解 説
「持妙法華問答抄」は、題号に示される通り、妙法蓮華経を持つことが、すべての人の成仏の道であることを、五つの問答形式をもって教えられている御書です。御執筆の時期や宛先については、詳しく分かっていません。
掲げた御文は、本抄の結びの一節であり、日蓮大聖人はここで、妙法を"自らも唱え、周囲の人にも弘めていくこと"が、人生の最高の思い出となると仰せです。
この直前の箇所で、大聖人は法華経に説かれる「現世安穏・後生善処」(現世は安穏であり、来世は良いところに生まれる)との文を示され、妙法によって自らの胸中に仏界を涌現し、いかなる苦難にも負けない大境涯を築いていくことで、今世だけではなく、三世永遠にわたる生命の幸福勝利の道を開いていけることを教えられています。
だからこそ、偉大な妙法に巡りあうことができた"現在の人生"が、どれほど尊く、かけがえのない一生であるか——大事なことは、その深い自覚をもって、目の前の一瞬一瞬を大切に、自身の人間革命に挑み、広布に尽くしていくことです。
そのための実践とは、決して特別なことではなく、御文に仰せの「須く心を一にして」、すなわち、ともかく一生懸命に、妙法を唱え、語り弘めていくことに他なりません。しかし、この一歩一歩の勇気の挑戦こそ、生命に限りない大福運を積み、わが人生を、永遠にわたる幸福勝利を開きゆく"大歓喜の人生"と荘厳する、尊く偉大な実践なのです。
凱歌の秋を飾りゆく最重要の今、自分らしく仏縁を広げながら、立正安国の勝利を築いていきましょう。
◇小説「新・人間革命」より
信心、学会活動は何のためか——それは広宣流布、立正安国のためである。そして、その根本目的は、自分自身の幸福のためである。唱題とともに、広宣流布、立正安国の実現への実践があってこそ、自身の生命の躍動も、歓喜も、人間革命も、宿命の転換もある。(中略)
秋田県幹部会で伸一は、"人生の最も深い思い出とは何か"に言及していった。
「人それぞれに、さまざまな思い出がありますが、普通、それは、歳月とともに薄らいでいってしまうものです。しかし、信心修行の思い出は、意識するにせよ、無意識にせよ、未来永劫の最高の思い出として残っていきます。広宣流布の活動は、因果の理法のうえから、永遠の幸福への歩みであり、歓喜と躍動の思い出として、最も深く生命に刻印されていくからです」
まさに、「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書467ページ)と、御聖訓に仰せの通りである。
(第30巻<下>「勝ち鬨」の章)