2021年11月11日木曜日

2021.11.11 わが友に贈る

誰もが深き使命の人。
一人一人に光を当て
活躍の場をつくろう!
このリーダーの一念が
皆の潜在力を引き出す。

法華経題目抄 P944
『六万九千三百八十四字一一の字の下に一の妙あり総じて六万九千三百八十四の妙あり、妙とは天竺には薩と云い漢土には妙と云う妙とは具の義なり具とは円満の義なり、法華経の一一の文字一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり、譬えば大海の一?の水に一切の河の水を納め一の如意宝珠の芥子計りなるが一切の如意宝珠の財を雨らすが如し』

【通解】
法華経の全文字・六万九千三百八十四字の一字一字の根下に各々一つの妙があり、総じて六万九千三百八十四の妙は、ことごとく妙の功徳、勝能を含んでいるのである。さて、妙とは天竺では薩といい、漢土では妙という。妙とは具足の義で、具足の具とは円満という意である。すなわち、法華経の一つ一つの文字に、六万九千三百八十四字の徳が欠けることなく納まっているのである。譬えば大海の一?の水にはいっさいの河の水が納まり、芥子ほどの大きさのたった一つの如意宝珠が、いっさいの如意宝珠の財を降らすようなものである。

名字の言 好評の「ラジオ SEIKYO LABO」 2021年11月11日
インターネット環境で聴くことができる、聖教新聞のポッドキャスト番組「ラジオ SEIKYO LABO(ラボ=研究室)」が好評だ。新聞制作の工夫やエピソードを、記者たち自身が語る。今年2月の開始以来、各種の聴取ランキングで上位に入ることも多い▼リスナーからもさまざまな反響が届いている。「映像と違い、運転中や、食器を洗いながらでも聴くことができる点がうれしい」「記者の熱い思いが感じられるのは、"声"ならではの魅力ですね」▼テレビが各家庭に普及し、さらに近年のインターネット動画の利用によって、ラジオの衰退を予想した人も少なくない。だがラジオには国内外で根強い需要があり、最近はコロナ禍もあって、愛好者が増加傾向にあるという。"人の声"には、映像とは異なる魅力がある▼「お疲れさま」「いつもありがとう」。ちょっとした一言でも、心は伝わる。あるメンバーが、学会の会合に参加したきっかけは、誘いに来た先輩のインターホン越しに聞いた声の響きにあるという。「"あなたと話せてうれしい"という思いを感じたんです」と▼日々、自他共の幸福を真剣に祈る、私たちの真心は必ず相手に伝わる。その真心を声に乗せて届けたい。

寸鉄 2021年11月11日
「仏の如く互に敬うべし」御書。団結こそ力。体験を語り励まし合う座談会に
愛媛の日。次の勝利の因刻むのは今!創価家族の麗しき連帯で対話を拡大
行き詰まった時こそ御書を開け—戸田先生。まず1行、1頁。求道心燃やし
介護・福祉に携わる友が奮闘。希望溢れる"幸齢社会"へ。きょう介護の日
中古の家電やガス器具の火災事故多し。リコール情報や使用法をよく確認

〈社説〉 2021・11・11 「国際寛容デー」制定から25年
◇共感力を育む精神闘争こそ
新型コロナウイルスに翻弄されたこの2年、あらわになったのは、未知の感染症への医療体制構築の困難さだけではないだろう。
ウイルスの感染拡大によって死の恐怖にかられ、社会も人々も混乱した。そこで私たちが目にした一つは、現代社会の中にある不寛容さではなかっただろうか。市中感染を防ぐための規制・対策は、時に人々の自由を排除するものになった。一般市民から「自粛警察」なるものも生まれた。
しかし、コロナ禍に現れた、こうした不寛容さは、決して突然に現れたものではないだろう。
『不寛容論』(新潮社)の著者・森本あんり氏は、自分が無関心でどうでもよいと思う状態を、寛容でも不寛容でもない「無寛容」と呼び、こうした無寛容は容易に「不寛容」へと変貌すると語る。
さらに社会や他者に対する無関心が前提の無寛容は「ひとたび嵐が来て自分の身に危険が迫れば、たちまち吹き飛んでしまう」と訴える。社会や他者に対する無関心が不寛容を生む土壌になる、との指摘は重要だ。
水俣の撮影でも知られる米国の写真家ユージン・スミスは第2次大戦の激戦地で撮影を行うなか、家族に宛てた手紙にこう記した。 「人種や肌の色、信条のせいで不寛容の感情を抱くことは、絶対にしないで欲しい。そして、彼らが君たちが享受しているのと同じ権利をすべて保持しているのだということを忘れないで欲しい」(石井妙子著『魂を撮ろう』文藝春秋社)
戦争の正義を高揚させ、敵対心をあおる写真を戦場から送る写真家がスター扱いされた時代に、他者への共感力、想像力を持ち続け抵抗した姿に深く感銘する。
池田先生は、欧州の知性ウンガー博士との対談で「寛容性を呼び覚ます努力を続けていかねばなりません。そうした、たゆみない精神闘争を怠れば、たちまち野蛮で非寛容な暴力性に自らが支配されてしまいます」と語っている。
寛容性とは、座して得られるものではない。恐怖や不安、偏見の渦にのみ込まれず、心を開いて社会や他者に自ら関わり続けていく。そのなかで相手への想像力、共感力が磨かれ、寛容の精神が生まれてくるのではないだろうか。
今月16日は「国際寛容デー」。国連総会で制定されてから25年を迎える。今いる場所から、自らの行動で、寛容の精神を広げたい。

☆池田思想国際学術シンポジウムから(上) 池田先生のメッセージ
一、世界の教育・学術の眼目と光る先生方をつなぐ今回のシンポジウムには、各国・各地域からご出席いただき、活発な討議と探究が進められると伺っております。
尊い研究と啓発を営々と貫き通されている、心から敬愛してやまない先生方に、私は改めて最大の感謝を捧げます。
わが創価大学にとりましては、創立50周年を飾る誠に意義深い開催となり、創立者としてこの上ない喜びであります。
本シンポジウムに掲げられた「人類の共生と世界市民教育」との最重要のテーマに即して、3点にわたり、簡潔に所感を述べさせていただきます。

◇教育の"信ずる力"で人類の善性を開花
一、第一に、「教育の"信ずる力"で、人類の善性の開花を!」と申し上げたい。
昨年の3月に、WHO(世界保健機関)が新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)を宣言してから1年と7カ月が経過しました。感染拡大の勢いが低下しつつある国が見られる一方で、深刻な打撃に今も苦しんでいる国も多く、感染症という人類共通の課題を解決するために、いやまして国際協力が必要とされるのは論をまちません。

◇温暖化の進展は地球の厳戒警報
また本年8月、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が最新の報告書を発表し、人間活動の影響で地球温暖化が進んでいることについて「疑う余地がない」と断定しました。グテーレス国連事務総長は、報告書を「人類に対する厳戒警報」と強調し、今月末から始まるCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)の成功を呼び掛けております。
まさに国際社会は今、国益や自国のみの安全を最優先させる形で「分断」の溝を深めて、甚大な被害を拡大し続けてしまうのか、それとも「人類の共生」に向けて、「協力」という道を選び取るのか、大きな岐路に立たされていると思えてなりません。
そして、この共生への選択に立ちはだかる一凶こそ、「人間が持つ可能性への不信感」とは言えないでしょうか。この不信感は、自分に向かえば無力感や諦めをもたらし、他者に向かえば偏見や分断をもたらします。

一、翻って「教育」は本源的に、「人間生命への絶対的な信頼」から出発しております。
私自身、教育を生涯の事業と定めた一人として、人間の善性と青年の可能性への絶対的な信頼を、近くは創価教育の創始者・牧口常三郎先生から、遠くは"人類の教師"たる釈尊から受け継いできました。
釈尊は大乗仏典の精髄たる「法華経」において、仏の出現の因縁を「衆生をして仏知見(仏の智慧)を開かしめんと欲す」ゆえであると宣言しております。
この意義について、「もし衆生に仏知見無くんば、何ぞ開を論ずるところあらん」と展開したのは、天台智�でありました。
その思想を貫いているのは、誰人にも尊極の生命が具わっており、逆境や困難も乗り越える智慧と勇気を発揮する力が宿っているとの確信であります。
それを信じ抜いて一人一人に働き掛け、自覚せしめ、開き伸ばしていく。と同時に他者の尊厳にも目を開かせ、共に手を携えて、幸福へ平和へ生命を十全に開花させていく。ここに、教育という聖業の挑戦があると言えましょう。

◇青年に期待を寄せた大教育者デューイ
牧口先生も深く共鳴していたアメリカの大教育者デューイ博士が「五四運動」の最中に中国を訪れ、2年2カ月にわたり教壇に立った足跡が思い起こされます。
中国教育学会の会長を務められた、尊敬する顧明遠先生が指摘されていたように、デューイ博士は青年たちに満腔の希望を寄せられたのであります。
博士は、「人々がすべて自己の価値を知っていたらば、社会はきっと変化をもち進歩をもつ」(永野芳夫訳・大浦猛編『デューイ‥倫理・社会・教育 北京大学哲学講義』飯塚書房)と力説されました。
今こそ私たちは、教育の原点というべき"人間が持つ可能性を信ずる力"をいやまして強く深く発揮し、一人一人の若き生命をさらに伸びやかに、さらに豊かに開花させていきたいと思うのであります。そこにこそ、現代に蔓延する深刻な無力感から人々を解き放ち、社会の分断の分厚い壁を打ち破る希望が見いだせるからです。

◇創造性は多様性から生まれる
一、第二に申し上げたいのは、「青年の"負けじ魂"で、価値創造の大連帯を!」という点であります。
私の恩師であり、希有の人間教育者であった戸田城聖先生は、70年前、青年であった私たちに、「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と指針を贈ってくださいました。恩師は青年を励まして、あえて人生と社会の厳しい試練に立ち向かわせる中で薫陶されるのが、常でした。それは、青年の「熱と力」、すなわち何ものにも屈しない"負けじ魂"を信ずるゆえであったに違いありません。
恩師自らが、若き日から苦学に苦学を重ねるとともに、戦時中は、師匠と仰ぐ牧口先生にお供して、日本の軍部政府の弾圧による2年間の投獄にも耐え抜き、戦後、新たな人間革命の民衆運動を起こした究極の負けじ魂の闘士でありました。
頼もしいことに、今、若き世界市民たちが各国・各地で、コロナ禍という緊急事態にも、力を合わせ、英知を出し合って、創意工夫し立ち向かってくれています。
わが創価大学でも、とりわけ留学生の友が賢くたくましく逆境をはね返しています。多くの国々の多彩な学友と励まし合い、支え合って、仲間や地域や社会に貢献しながら、一回りも二回りも見事な大成長を遂げてくれているのであります。
中国をはじめ世界のさまざまな文化に心を開いていた、かの文豪ゲーテは、「創造は多様性なくしては考えられない」(山崎章甫訳『詩と真実』岩波文庫)と語っておりました。思いも寄らぬ艱難からの挑戦に対し、まさしく多様性を生かし合って応戦する若き世界市民の連帯から、必ずや偉大な価値が創造されることでありましょう。
恩師から学んだ中国の英知の言葉に「異体同心」そして「変毒為薬」とあります。
感染症や気候変動をはじめとする人類共通の難題は、あらゆる差異を超えて、心を同じくして取り組む契機となります。教育の結合の力を軸として、それぞれの個性を尊重し合い、触発し合って、毒をも薬へと転ずる価値創造の大連帯により、21世紀の新たな地平が開かれゆくことを、私は信じ祈りたいのであります。

一、第三に申し上げたいことは、「生命の"調和の智慧"で、地球生態系と共生の文明を!」という点であります。
20世紀を代表する大歴史家のトインビー博士と私が対談をして半世紀になろうとしています。全人類の平和・共生を展望するとともに、大自然・大宇宙との調和・共生まで志向したことが懐かしく思い出されます。

◇偉大な人は万物を一体とみなす
トインビー博士は、人間は宇宙の一市民であるとするギリシャ哲学のストア学派の主張や中国の王陽明の「偉大なる人は、天地万物をみな一体とみなす」との世界観に共感を述べられておりました。こうした先哲の洞察も、また地球生態系への最先端の科学的知見なども、生命それ自体に調和・共生を織り成していく妙なる力が本然的に具わっていることを照らし出しております。
真実の喜びとは何か。私は、尊い現場で若人の命を慈しみ育んでいる世界の多くの教育者の方々と、それは「自他共に喜ぶこと」であり、「共々に智慧と慈悲を発揮することである」と語り合ってきました。
人類、地球生態系、そしてさらには大宇宙へと広がる壮大なる連関の中で、生命の歓喜の讃歌を謳い上げてゆく共生の文明を、世界市民教育の光明で照らし示していきたいと、私は願うのであります。

一、結びに言及したいのは、デューイ博士が、先に触れた北京大学での講義において青年たちを前に述べていた、気宇壮大な呼び掛けです。
博士はそこで、「二千年後の人類ははたしてどんなものなのか」(前掲書)との問題提起をしました。
その上で博士は、それは、もちろん知り得ない世界であるとしても、ただ暗中模索するのではなくして、我々の希望する目的へ、確固たる「教育哲学」で指揮しリードしていこうと呼び掛けたのであります。
尊き先人たちの魂の呼び掛けに真摯に誠実に応えつつ、はるかなる人類の未来を創り開かれゆく崇高なる「教育哲学」のシンポジウムに、今再び、心からの尊敬と感謝を捧げ、私のメッセージといたします。