2021年11月15日月曜日

2021.11.15 わが友に贈る

新聞休刊日

撰時抄 P291
『若し爾らば法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ帝釈にもこえたり、修羅を随へば須弥山をもになひぬべし竜をせめつかはば大海をもくみほしぬべし』

【通解】
そうであれば、法華経を経のとおりに持つ人は、梵天にもすぐれ帝釈にもこえているのである。修羅を従えれば須弥山を荷い、竜を使えば大海も乾すことができるのである。

☆池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅 地涌の勇者を諸天は讃嘆 2021年11月8日
栄光の学会創立の11月、あらゆる試練の嵐を突き抜けて、晴れやかに凱歌の秋を飾ることができた。
御本仏・日蓮大聖人の御賞讃はいかばかりか。
牧口先生、戸田先生の会心の笑みが胸に迫る。
みんな、ありがとう! 本当にありがとう!
諸天も諸仏も最大に讃嘆し、皆が大福運に包まれゆくことは、御書に照らして絶対に間違いない。
ある門下に送られた「異体同心事」の一節に、「あなたは、長年にわたって法華経への奉公を厚くされてきた上、この度は誠に勝れた御志が見られると、人々も彼らも讃えています。一つ一つ、私(大聖人)が承って、日天にも天照太神にも申し上げています」(1463ページ、通解)と仰せである。
この御聖訓さながら、皆が互いに褒め讃える連帯こそ、創価の麗しき世界だ。
今月の座談会では、広宣流布と立正安国に生き抜いてこられた多宝の父母をはじめ気高き地涌の勇者を一人一人、サーチライトを当てるように、心から労い、宣揚していただきたい。
そこに、大歓喜が躍動し、福徳が倍増するからだ。
戸田先生が言われていた通り、「慈愛に満ちあふれた、この世で一番楽しい会合」としていこう!
◇ ◆ ◇
1957年(昭和32年)の11月8日、私は男女青年部のリーダーの会合に出席し、喜びを日記に留めた。
「皆の元気、天をつく。頼もし。色心共に、飛躍しゆく、この青年たちが、未来を創造するのは当然の理。刻々と見事な成長」とある。
今、その幾千万倍ものスケールで、日本全国、全世界の青年たちの成長と飛躍をつぶさに見守れることは、何よりの幸福である。
大聖人は、騒然たる世相の中、時間をやりくりして、懸命に戦う若き南条時光を「十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし、尊しとも申す計りなし」(御書1512ページ)と励ましておられる。
わが創価の若人が一人また一人と仏縁を結び、新たな友を大切に糾合しゆくことは、全人類の仏知見を開く聖業に通じているのだ。
◇ ◆ ◇
この57年の11月といえば、恩師が願業とされた75万世帯の大法弘通を成就する直前であった。
当時、私が仏法対話を重ねても、批判を繰り返していた友人・知人が、少しずつ理解を深め、好意を示すように変わってきた。
その感慨を、私は綴った。
「幾十万の人、過去、敵なれど、今、味方となる。未来も、また幾百万の批判の人、必ず、味方に変わり、広布の陣列に連なりゆくことよ。大宇宙の法則——」と。
時は巡り、日本のみならず世界中の各界の識者の方々も、「創立の日」を心から祝賀してくださる時代となった。感謝に堪えない。
その陰には、今月に記念日を飾る文化本部、社会本部、地域部、儀典部など、誠実に忍耐強く貢献を貫き通してくれた、模範の友の労苦があることを、決して忘れまい。
◇ ◆ ◇
音楽隊の創価グロリア吹奏楽団と関西吹奏楽団が、全日本吹奏楽コンクールで共に金賞を勝ち取った。創価大学のパイオニア吹奏楽団も銀賞を獲得している。コロナ禍の逆境を皆で突破し、つかんだ栄冠である。
艱難を越えて鍛え上げた創価の負けじ魂の本領を、それぞれの誓願の天地で、いよいよ発揮する時だ。
我らの平和・文化・教育の大行進で、地域にも地球にも、希望と勇気を送りゆこうではないか!

☆11月18日「創価学会創立記念日」
◇『創価教育学体系』の発刊
11月18日は、創価学会創立記念日です。1930(昭和5)年のこの日、初代会長牧口常三郎先生の著書『創価教育学体系』の第1巻が発刊されました。
牧口先生は、1871(明治4)年6月6日、現在の新潟県柏崎市に生まれ、北海道で教員となり、以後、教育者の道を歩みました。
1928(昭和3)年、57歳のとき大きな転機が訪れます。日蓮大聖人の仏法との出会いでした。長年求め続けた、全民衆の幸福を目指す人間主義の哲学に触れた牧口先生は、自分がこれまで書きためてきた教育理論を、今こそ体系化しようと決意します。

◇師と弟子ふたりだけの出発
牧口先生が自らの決意を真っ先に語ったのは、愛弟子である後の第二代会長戸田城聖先生に対してでした。
1930(昭和5)年2月のある夜、思いを聞かされた弟子は、師の教育学説は自分が出版しようと決意します。「先生の教育学は何が目的ですか」「価値を創造することだ」「では先生、創価教育と決めましょう」
こうして、牧口先生の教育学説は「創価教育学」と名づけられました。弟子は、牧口先生が書きためた膨大なメモを整理する作業と、出版資金の捻出を、一手に引き受けました。
同年に発刊された『創価教育学体系』第1巻の奥付には「著作者・牧口常三郎 発行兼印刷者・戸田城外※注 発行所 創価教育学会」とあります。
1930(昭和5)年11月18日。『創価教育学体系』第1巻の出版の日が、師と弟子たったふたりの「創価教育学会」の出発でした。これが現在の創価学会が創立された歴史的な日となったのです。

◇コラム:初代会長牧口先生、殉教の日
11月18日は、初代会長牧口先生の命日でもあります。
戦争に突き進む日本の軍部政府は、昭和10年代後半から、本格的に思想の統制に乗り出し、やがて、国家神道を全国民に強制するという暴挙に出ます。
牧口先生は、これに真っ向から抵抗。各地で活発に座談会を開催し、軍国思想を堂々と批判し、仏法の正義を説き続けたのです。迫害は必至でした。特高警察は、1943(昭和18)年7月6日、牧口先生・戸田先生をはじめとする創価教育学会の幹部21人を治安維持法違反・不敬罪の容疑で逮捕、投獄したのです。
真冬に暖房もない極寒の独房、栄養失調になるほどのわずかな食事、連日の厳しい取調べ--それでも牧口先生は、信念を曲げることなく、不屈の闘争を貫きます。しかし、牢獄での過酷な日々は、70歳を超えていた牧口先生の体を確実にむしばんでいきました。
1944(昭和19)年10月13日付で獄中から家族にあてた手紙。「三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです」との、信仰への確信にあふれた言葉が、牧口先生の絶筆となりました。1月後の、11月18日。牧口先生は獄中で亡くなります。73歳でした。
多くの宗教者や思想家が、迫害に屈して軍国主義を賛美した暗い時代にあって、牧口先生が貫いた不屈の"精神"は、いまなお、不滅の光を放っています。