「我日本の柱とならむ」
御本仏の精神を受け継ぎ
広布の大願に生きよう!
"私自身が創価学会"との
燃え上がる決意を胸に!
御講聞書 P825
『三類の強敵来る来るを以て現世安穏の記文顕れたり、法華の行者なる事疑無きなり、法華の行者はかかる大難に値うべしと見えたり、大難に値うを以て後生善処の成仏は決定せり是れ豈現世にして安穏なるに非ずや』
【通解】
三類の強敵が来ることをもって「現世安穏」の経文は現れる。(三類の強敵を呼び起こした人が)法華経の行者であることは疑いない。法華経の行者は、このような大難にあうと(経文に)書かれている。大難にあうことをもって「後生善処(未来の世に必ず幸せな処に生まれてくる)」の成仏が決定したのである。これこそ、まさに現世において安穏であることではないか。
名字の言 どんな時も「御書根本」で 2021年11月18日
1957年(昭和32年)夏、「大阪事件」の渦中の出来事である。何人かの青年部員が、勾留中の池田先生は無事かと胸を痛め、いたたまれない思いで警察署の周りで立ち尽くしていた▼一台の護送の車が出てきた。先生の姿があった。赤信号で止まった車めがけて青年部員が「先生!」と駆け寄った。そのメンバーが後々まで覚えていたのは、笑顔の先生から「明日、教学の試験だね」と声を掛けられたことである。さらに「しっかりがんばるんだよ」と。心配していたつもりが、逆に励まされた。信号が青に変わり、動きだした車に泣きながら手を振った▼冤罪に陥れられ、自由を奪われた身で、恩師・戸田先生と学会をどう守るか。この逆境においてなお、池田先生は「青年がどう御書を学ぶか」に心を砕いていたのである。居合わせた一人は「先生は学会の教学を、こんなにも大切にされ、生命を打ち込んでおられるのだ」と深く深く感じたと述懐している▼きょう発刊された御書新版には、日蓮大聖人が北条時頼に直接会い、立正安国の対話に臨んだことを示す一節(2141ページ)をはじめ32編の新収録の御文がある▼どんな時も「御書根本」で。この原点を忘れず、新しい一歩を踏み出す創立記念日にしたい。
寸鉄 2021年11月18日
民衆凱歌の創立記念日。創価の師弟の大城は世界に燦然。不二の道勇んで
太陽の女性部が新出発!更に輝く幸と希望の連帯颯爽と励ましの絆を拡大
信仰とは無限の向上だ—戸田先生。惰性は停滞。日々新生の心意気で挑戦
専門部の日。信心の剣で一騎当千の世雄と光れ。今こそ一人立つ闘魂で!
コロナ飲み薬160万回分を確保。公明のリードで。命守る政策実現を一段と
☆池田先生が全同志に和歌
創価学会はきょう18日、凱歌の創立記念日を迎えた。殉教の初代会長・牧口常三郎先生の祥月命日でもある。この日を期して『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊。「創価学会社会憲章」が制定され、女子部が一体となった新・女性部が始動する。池田大作先生は幾重にも意義深き「11・18」を記念し、全同志に和歌を詠み贈った。
御書に生き
戦い勝ちたる
師弟旅
宝光かがやく
地涌の笑顔よ
閻浮一
人華のスクラム
天使かな
幸の大地に
平和の文化を
行学の
翼は自在と
若鷲は
大歓喜の飛躍を
世紀の大空へ
☆1991年11月16日 千葉文化友好祭 "魂の独立宣言"30周年
池田先生が出席された「千葉文化友好祭」から今月16日で30周年を迎える。「創価ルネサンス」が開幕した当時を振り返るとともに、連載「法華経に勝る兵法なし」(別掲)では"魂の独立宣言"ともいうべき、文化友好祭での先生のスピーチを抜粋して紹介する。
◇広布破壊の大難の渦中で
池田先生は「大白蓮華」11月号の講義「世界を照らす太陽の仏法」につづった。
「創価の師弟の信心が、御本仏直結の『正しい信心』であったがゆえに、『僭聖増上慢』、そして『第六天の魔王』の働きが現実に、紛然と競い起こったのです。それが、あの第2次宗門事件であったといってよい」
「創価ルネサンス」とは、仏法の本義に立ち返り、「権威のための宗教」から「人間のための宗教」へと転換する宗教改革。その革命の、のろしを上げるにふさわしい地として、先生が選んだのが千葉の天地だった。
1990年(平成2年)12月、嫉妬に狂った日顕が、宗門発展の大功労者である先生の法華講総講頭を一方的に罷免。かねて謀議を巡らせてきたC作戦(創価学会分離作戦)を実行に移した。この暴挙に対し、学会は話し合いでの解決を求めたが、宗門は拒否。翌91年(同3年)に入ると、極悪の本性を一段とあらわにし、広布破壊の謀略を次々に打ち出してきた。
しかし、日顕宗と化した宗門の圧迫など歯牙にもかけず、先生は平和・文化・教育の潮流を世界に広げていく。その激闘のさなか、心を配り続けたのが「千葉文化友好祭」。開催の報告に対して、「皆さんのお題目と真心で世界一の文化祭に」「楽しくやりなさい」と伝言を寄せ、「万里の創価人材山脈」のテーマを提案。
また、文化友好祭の成功を祈り、多宝の友が作成したアルバムを見て、「多宝会の方々は/三世にわたる/幸福長者の/集りである」と揮毫をしたためた他、青年部が届けたアルバムには、「現実に/勝ちゆく人のみが/人生を三倍も/愉快にする」と記し、千葉広布の伸展を念じた。
◇創価ルネサンスの夜明け
文化友好祭を目前にした11月7日、宗門が学会に解散勧告書を突き付けてきた。内容は法主絶対論を振りかざした支離滅裂なもので、もちろん法的効力はない。その後の破門通告書を正当化するためのステップであった。
この理不尽極まりない仕打ちに千葉の同志は憤怒し、日顕の法主退座を要求する署名運動を勢いよく展開していった。
迎えた「11・16」当日。先生は文化友好祭に先立ち、千葉文化会館を訪れ、各地の友の作品を丹念に見学。会場の千葉ポートアリーナでは、施設の職員に礼を尽くし、世界の来賓を丁重に歓迎した。
約6500人の出演者が、永遠に崩れない「万里の創価人材山脈」の凱歌を歌い上げた"大文化祭"。その模様は衛星中継で全国に伝えられ、先生は約15分間にわたりスピーチした。当時、「学会は、どうなるのか」と世間は注目し、多くの報道機関も取材に訪れた。そこで先生は師子吼する。「魂の世界は、いかなる権力も侵すことができない」——迫害に微動だにしない"魂の独立宣言"に、マスコミは驚嘆した。
後年、先生は文化友好祭を振り返った。
「時は/一九九一年十一月であった。/邪僧から解散勧告書が/送りつけられて一週間余。/日本中が注目するなか/あの千葉文化友好祭が/晴ればれと/鉄鎖を解き放って/創価ルネサンスの/夜明けを告げたのである」(長編詩「人間主義の 歓喜の旭日」、『池田大作全集』第44巻所収)。
間もなく「11・16」から30年。先生が示した「日蓮仏法の魂」を再び胸に刻み、新たな広布前進を期したい。
☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第2回 時は今! 千葉は師弟で勝つ
◇"自分がやる"と動く人が勝利者
「一人」が、どれほど大事か。日蓮大聖人は「人数では決まらない。心で決まる」と何度も繰り返しておられる。大聖人の御言葉には深い意味がある。「日蓮は一人なれども」とも仰せである。
「日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあや(失)またんと・せしかども・今までか(斯)うて候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし」(御書一二二〇ページ)
——上は権力者から下は万人にいたるまで、だれもが日蓮をなきものにしようとした。しかし、今まで、こうして無事に生きぬいている。これは(敵が万軍であるのに対し)日蓮は、たった一人であっても、(法華経を信ずる)「心」が強かったからであると知りなさい——。
つまり、信心の「心」が強かったゆえに、万人を向こうに回しても殺されなかった、勝ったのだとの仰せである。
私には、この御文が深く胸に迫ってきてならない。
周りがどうかではない。たとえ敵は多くとも、一人、戦う。それでこそ、大聖人の弟子である。その人を、大聖人は必ず守られる。
大事なのは「強き心」である。「信心」である。「学会精神」である。
組織も、数に頼って「だれかが、やるだろう」という心があれば、もはや「心」が負けている。「心」が崩れている。そうではなく、たった一人であっても、「自分がやる!」と引き受ける人。その人こそ「勝利者」である。
「自分が動こう!」——この決心、この一念が「勝利に導く力」となる。それが「一念三千」の仏法である。(1998年1月、第6回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第88巻所収)
◇相手の心動かす誠実・確信の声
声です。声が大事です。最近の青年は、おしゃべりは長いが、「正しいことを言いきる」強さがない——とも言われる。堂々と正義を、「いい声で」「人の胸の中に」入れなくてはいけない。
仏法では、「声仏事(=仏の仕事)を為す」(御書七〇八ページ)と説く。また、「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(御書五六三ページ)と説いています。
わが「生命」それ自体が、妙なる音声を、朗々と、またりんりんと発しゆく尊貴な「楽器」であり、敵を打ち破る「大砲」なのであります。
誠実にして真剣なる「声の響き」が、人間の魂を、どれだけ揺り動かしていくか。ゆえに、「いい声」で明快に語ることである。
何を言っているのか、さっぱりわからない——そういう幹部であってはならない。
とくに末法は、いちばん乱れた時代であり、経文には「闘諍言訟」と説かれている。争いや論争が絶えない時代である。ゆえに強く、恐れなく、正義を叫び、真実を訴えきっていったほうが勝つ。おとなしく黙っていては敗北であります。
語りに語ることである。悪を打ち破ることである。人権弾圧の悪書を追放することである。
断じて軍国主義にさせない、平和主義へと変えていく戦いである。正義の声を出しきって、戦いましょう!(2000年1月、第7回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第91巻所収)
◇「私は創価学会だ」と強気で前進
どうせ生きるなら、大目的に向かって、大確信をもって、自分自身の「栄光の山」を、悠然と、楽しみながら登りきることだ。
人生、弱くては、つまらない。「私は創価学会だ。だれが何と言おうが、偉大な創価学会の代表だ」。そのくらいの決心で、胸を張っていくべきだ。
自分は自分である。自分の人生である。だれがどうとか、どう見られるとか、そんな臆病な、畜生根性は捨てて、堂々と生きて生きて生きぬいていくことだ。
悪意の声には、厳然と、「信心して何が悪いんだ。憲法に書いてあるのか!」。(爆笑)
また「創価学会は、これだけ大勢の人を救いました。あなたは、どれだけのことをしたのですか」と聞いてみればよい。
強く、強く生きるべきである。人生、強くなければ損である。戸田先生も「強気でいけ」と、よくおっしゃられた。
これが信心である。もうこれ以上、強いものはない——「最強の力」が、信心なのである。(2001年3月、第1回千葉県総会でのスピーチ、『池田大作全集』第92巻所収)
◇最も戦いが大変な場所へ勇んで
「貧乏人と病人の集まり」——学会は、過去、どれだけこうした冷笑を浴びせられ続けたことか。しかし、我らは、その悪口罵詈をも笑い飛ばした。
苦悩の人を救うのが宗教の使命ではないか。最も不幸な人を幸福にしてこそ、力ある宗教ではないか! 学会の代名詞となった悪口さえも、我らは名誉の勲章として、叩かれれば叩かれるほど、いよいよ闘魂を燃やし、民衆の海の真っただ中へ飛び込んでいったのだ。
この誇りが学会魂だ! 我らは、常に誇り高く戦い、前進また前進してきたのだ。
戸田先生は言われた。
「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。簡単なことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と。
その通りである。信心の炎は、自分のことだけで汲々とした小さな境涯を打ち破る。友の勝利が、わが勝利であり、わが勝利が友の勝利である。
どこそこで、あの友が苦しんでいる。かの地域で仲間が奮闘している。そう聞けば、わが事のように祈る! 自他共の完勝のため、そこへ駆けつけ、共に戦う!
この熱烈な同志愛があればこそ、あらゆる大難を乗り越え、学会は勝利し、また勝利してきたのだ。
私は知っている。
千葉の同志には、惜しみなく世界に光を送る、あの赫々たる太陽が燃えている。
最も戦いが大変な場所に、常に、勇んで駆けつけては、勝利の突破口を開いてこられたのが、千葉の皆様方であったからだ!(「随筆 新・人間革命」〈旭日の千葉の船出〉、『池田大作全集』第134巻所収)