一人一人の青年には
無限の希望と未来がある。
「若き力」の成長を
皆で心から祈り支え
共に前進の節を刻もう!
佐渡御勘気抄 P891
『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめとをしはからる、既に経文のごとく悪口罵詈刀杖瓦礫数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候、死して候はば必ず各各をもたすけたてまつるべし』
【通解】
仏になる道は、かならず命を捨てるほどのことがあってこそ仏になるであろう、と思われる。すでに法華経の経文に「この経を弘める者は悪口され、ののしられ、刀で斬られ、杖で打たれ、瓦や小石を投げられ、たびたび所を追われる」と説かれている通りの難にあってきたことこそ法華経を身読したことになると、いよいよ信心も起こり、後生もたのもしく思われる。死んでいったとしても、かならず一人一人の弟子を助けてさしあげましょう。
名字の言 津軽三味線の奏法「かまし」 2021年11月5日
津軽三味線奏者である男子部員の演奏を音楽ホールで聴いたことがある。曲の途中、テンポの速いフレーズを繰り返してはじくと、聴衆から"もっとやって!"と言わんばかりの喝采が湧いた。すると彼は"もっとできるぞ!"という勢いで、さらに激しくかき鳴らした▼それは見せ場の一つ「かまし」という奏法。「かき回す」を意味する地元の方言だという。弦を押さえる指を高速で次々と動かす様子がかき回すように見えた▼彼から「かまし」の別の意味も教わった。「楽しみや苦しみが入り交じったような人生でも、力強く生きよう、との思いを込めた言葉でもあります」。容赦ない豪雪と寒風の冬を知る地ならではの発想だろう▼彼の人生もまた「苦楽ともに思い合せて」(御書1143ページ)との御聖訓を映すようだった。実力者ゆえの周囲からの嫉妬、奏者には致命的な手の病、そこからの再起、そして世界大会3連覇の実証……。時に繊細、時に激情の演奏が人生の風雪に耐え抜いた雄姿と重なった▼三味線や民謡を聴いた際の最高の賛辞として、拍手とともに「寿命が延びた!」と声が上がることがあると聞く。他者に「生きる力」を届けるために自身を磨く。そこには芸と人間性の極みがある。
寸鉄 2021年11月5日
「男子部の日」60周年。後継の君よ「山本伸一」の如く正義の旗持ち進め!
人間に生を受けて是れ程の悦びは何事か候—御書 誰にも願兼於業の大使命
広布の人を大事に。これが大聖人の弟子だ—恩師 励ましのサーチライトを
他者への献身は幸福度を向上させる—研究。学会活動こそ幸福人生の王道
世界津波の日。教訓は実践に移してこそ。命守る術を再度確認する機会に
〈社説〉 2021・11・5 きょう「男子部の日」
◇偉大な目標へ挑み抜け!
きょうは「男子部の日」。その淵源は、1961年(昭和36年)11月5日、第10回男子部総会が東京・国立競技場で開催され、10万人の男子部員が大結集したことにある。以来、60周年を迎えた。
この総会の7年前(54年)、第2代会長・戸田先生は「国士訓」(「青年よ国士たれ」)を発表。「国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」と呼び掛けた。
"国士"の二字には社会、民衆に貢献しゆく指導者たれ、との期待が込められている。
当時の男子部員の一人は後に振り返る。「あまりにも大きな戸田先生の構想に驚愕してしまいました。私には『国士10万』との数値は、天文学的数字に見えたのです」
皆が同じように感じていた中、青年部の室長だった池田先生は、「現実の目標」として、10万人の男子部員の結集を誓い、全力で弘教拡大の指揮を執っていった。
第3代会長に就任後も、先生は"10万人結集"を「青年部の室長としての最後の仕事」と位置付け、奔走。
初の海外指導や、国内各地の新支部結成大会への出席など、多忙を極める中、懸命に青年を励まし続けた。
そして会長就任の翌年11月、男子部員は35万人になり、総会での"10万人結集"が達成されたのである。
師に誓った「広布の目標」は必ずやり遂げる——この弟子の勇気と行動が、新たな未来を開く。
男子部では定期的に本部・部単位で「ビジョン会議」を開催。皆で学会活動の目的観を語り、明確な広布のビジョンを定めている。
ある男子部の部長は、対話拡大の大きな目標を定め、壁を破ろうと行動を開始。しかし真剣に挑むも達成は遠く、重荷に感じるように。
そんな中、先輩から「先生なら、どう行動されるだろうか」と問われ、彼は祈り考えた。
そして困難な目標を前に、迷いを抱いたことを恥じ、"先生のように師子となって戦おう"と心が定まった。
その後、彼の率先垂範の挑戦が波動を生み、部員たちと共に部として過去最高の拡大を果たした。
池田先生はつづっている。
「青年の魂とは何か。偉大な目標に挑む気概だ。自ら求めて、新たな戦いを起こす覇気と行動力だ」
「男子部の日」に際し、自らの誓いや、師弟に生きる喜びを再確認したい。そして新たな広布の山へ、さらなる前進を始めよう!
☆勇気の源泉——創立者が語った指針 最後まで走り抜いた人が勝つ——池田先生が語るガーナ初代大統領の信念の闘争
1993年7月、「大いなる理想への挑戦」とのテーマで創価大学の第22回「滝山祭」が行われた。記念の式典には、ガーナ共和国のアミサ駐日大使(当時)が来賓として出席。同国は、アフリカのサハラ以南地域で最初に、民衆の力によって独立を勝ち取り、アフリカ諸国独立への道を開いたといわれる国である。
●創価大学 1993年7月 第22回滝山祭
〈スピーチに立った創立者・池田先生は、「大いなる理想への挑戦」を貫いた先人の一人として、ガーナの"建国の父"エンクルマ初代大統領の人生を紹介した〉
1935年、ファシズムの嵐が猛威を振るおうとしていた。
若きエンクルマ青年は、留学の途中、立ち寄ったロンドンで、1枚の張り紙を目にした。
「ムッソリーニ、エチオピアへ侵入」(K・エンクルマ『わが祖国への自伝』野間寛二郎訳、理論社)と。イタリアの独裁者がアフリカへ——。たった1枚のビラであった。彼は驚いた。怒った。燃えた。そして決意した。
「植民地制度をたおすために私の働ける日のくることを祈った。その目的を達成するために、必要なら地獄へでも行こうと私は決心した」(同)
"地獄へ行こうが、どこへ行こうが、わが信念のためには、それも構わない"と。
環境ではない。一念が、誓いが、本当に定まっていれば、「地獄」即「寂光土」なのである。
それから10年間、彼はアメリカで真剣に学んだ。経済的には大変であった。食堂でアルバイトをしたり、靴磨きや船のボーイをするなど、働きながら勉強した。
◇大いなる理想への挑戦
〈先生は大統領の青年時代の生き方を通し、学生たちに呼び掛ける〉
労苦こそ大成への礎である。
大統領の若き日も、労苦の連続であった。しかし、後に彼は"この時代こそ人生のもっとも楽しい日々であった"と振り返っている。私も同じ気持ちである。
彼は、理不尽な人種差別を、幾度となく経験した。彼はその悔しさを一つ一つ、心の鉄板に刻みながら、"必ずや、差別の深い霧を晴らしてみせる。平等の光の中へ民衆を必ず導いてみせる"という理想を深めていった。
絶対に忘れるものか! 勝ってみせるぞ! わが友、わが国民のために!——と。
「大いなる理想への挑戦」——口にするだけなら、だれにでもできる。生涯かけて、その理想に向かって行動し、挑戦しぬいてこそ、偉大なのである。
大統領は、何事にも一喜一憂することなく、神経質にならず、"今は自分の力を磨くときである"と決め、自分らしく、わが挑戦の道を歩んだ。
感情に流されては、道を誤る。縁に紛動されていては、大事をなせるはずがない。偉大なる建設には、時間がかかる。焦ってはならない。粘り強く、確実に、土台をつくらねばならない。
〈帰国したエンクルマ青年は、国中を回り、大勢と対話するなど、独立に向けて行動を開始する〉
彼の持ち歩いた全財産は、洋服2着、靴2足、下着数枚、これだけであった。あとは何もない。
しかし彼には「行動」という大いなる財産があった。
動きに動き、語りに語り、何百回もの演説を行ったという。
行動こそすべてである——これが彼の心情であった。
私も同じ信念で生きてきた。どういう行動をするのか、目的はどこにあるのか、その内容で人間の価値は決まる。
「民衆のために」「民衆とともに」——。激しい変化、変化の局面にあっても、「民衆の幸福」という一点に価値の基軸を定めていけば、必ず道は開ける。
みずからの人生も勝利していけるし、指導者としての使命も全うしていくことができる。
世界の民衆の力を結集しゆく柱となっていこう——こう決意して戦っているのが、創大出身の先輩であり、皆さんであると、私は信じている。
◇何があっても私は戦う
〈独立運動の広がりを恐れる権力者たちによって、エンクルマ青年は投獄された。その獄中闘争は14カ月にわたった〉
エンクルマ青年は、獄中にあって、なお戦った。どこにいようと、何があろうと、"闘争の炎"を燃やし続けた。
彼は語っている。
"自由は与えられるものではない"——「自由は、はげしい、力強い闘いののちに、はじめてかちとられる」(同)と。
ただ待っているだけでは、勝利は得られない。戦わなければならない、と。
どこにいても戦いである。
本当に偉い人は、死の瞬間まで戦いぬく。
"刑務所の外にいる同志にメッセージを送ろう"——。
彼は鉛筆の切れ端を探し、トイレット・ペーパーを集めた。
そして、夜、皆が寝静まったころ、かすかな光の中で、黙々と書き続け、獄吏に見つからないように、仲間へ手紙を送った。
こうして牢獄にいながら、戦いの指揮を執っていったのである。
さらに彼は、なんと獄中から選挙に立候補する。常識では考えられないことであった。多くの反対もあった。しかし彼は決然としていた。
"じっとしていては何も変わらない。ともかく挑戦だ!"——彼は、勇気ある名乗りをあげた。
党の宣言も、牢獄から書き送った。民衆はそれを読み、彼を支持した。
"囚われの身であっても、私は人間である""私には、戦う権利がある""何をされようとも、自分は戦う"。これが彼の気概であった。
場所ではない。
条件ではない。
格好ではない。
心一つで、大いなる戦いはできる。
さて、選挙の翌朝、獄中の彼に、開票結果が知らされた。見事、圧倒的な大勝利であった。
選挙に勝ち、晴ればれと出獄する彼を、おびただしく集まった民衆が、歓呼で迎えた。
刑務所の前を埋め尽くす人、人、人の波——。まさにガーナの夜明けを告げる光景であった。劇的な光景が、目に浮かぶようである。どうせ戦うならば、こうした劇的な勝利を迎えたい。
出獄から6年後、彼のリーダーシップのもと、ガーナは、ついに独立を勝ちとった。この独立を前にした苦しい時代、彼は国民に訴えている。
「夜明けまえがもっとも暗いように、闘いも、終末に近づいたときに、もっともはげしくなる」(K・エンクルマ『自由のための自由』野間寛二郎訳、理論社)——と。
"いかなる戦いも、最後まで走りぬいた人が勝つ。悔いなき戦いを、やりきった人が勝利の夜明けを見ることができる"——これが彼の叫びである。
〈創価教育100周年の2030年へ——。"最後まで走り抜いた人が勝つ"とのエールを胸に、日々、「大いなる理想への挑戦」を重ねていきたい〉