文化は人間性を耕す。
対話は友の生命を耕す。
ゆえに「対話の人」こそ
最高の「文化人」であり
平和の社会の建設者だ。
祈祷抄 P1345
『あやしの畜生なんども恩をば報ずる事に候ぞかし、かりと申す鳥あり必ず母の死なんとする時孝をなす、狐は塚を跡にせず畜生猶此くの如し況や人類をや』
【通解】
卑しい畜生であっても、恩を報ずるものである。かりという鳥は、母が死のうとする時は必ず孝行をする。狐は死ぬ時には塚に足を向けない。畜生でさえこのようである。まして人間は言うまでもないことである。
名字の言 本は「知恵の宝庫」 2021年11月3日
かつて「世界の絵本展」で紹介されていたブラジルのなぞなぞから。「言葉も話せず耳も聞こえないのに、何でも教えてくれるもの、なんだ?」。答えは「本」▼同じ答えになるが、モンゴルには「識者には知恵の宝庫、無知な者にはごちゃごちゃなもの、なんだ?」というなぞなぞもある。同じ本を読んでも、「知恵の宝庫」の扉を開けられる人と、そうでない人がいる。「書を読めば万倍の利あり」(『古文真宝』)と実感できるまでには、ある程度の読書量が必要なのだろう▼近年、中高生の読書量が増えたデータもあるが、依然として読書離れが指摘される。通勤電車では、本を広げる人よりもスマホを触る人の方が圧倒的に多い。哲学者キケロの「書物なき部屋は、魂なき肉体の如し」との箴言も、あまり耳にしなくなった気がする▼読書量が群を抜く中学校に赴任した教員が教えてくれた。他校と比べ、図書館の位置と生徒の読書量との関係に特徴があるという。「理由は単純でした。子どもたちが校舎に入ると、目の前に図書館があるのです。『本と出あう環境』をつくることが大事なのです」▼今月9日まで読書週間が続く。「知恵の宝庫」の扉を開くきっかけに、「本と出あう」チャンスにしたい。
寸鉄 2021年11月3日
「つねに伸びていくのだ」牧口先生。これ仏法の魂。清新な祈りで力強く出発
創価文化の日。文化・教育・国際本部の活躍は同志の希望。健康・勝利あれ
どんな変化があろうと今日を最良の一日に—作家 地道な前進こそ未来の礎
本を読む子が増加—調査 良書は心潤す力。親子で挑戦。9日まで読書週間
感染性胃腸炎が流行の兆し。加熱調理や手洗いが予防の基本。油断をせず
〈社説〉 2021・11・3 きょう「創価文化の日」
◇偉大な思想を明快に語ろう
「偉大な思想というものは、必ず小学生でもわかるように表現できるものなのです!」——本年8月に亡くなったみなもと太郎さん(名誉文芸部長)は、この信条で50年以上マンガを描き続けた。傑出したマンガ研究家でもあった。
創価大学の通信教育の授業では「小学二年生の自分なら理解できるかと想定して、考えます」「どうすれば子どもにわかるだろうかと、徹底して考え抜くほかありません」と熱く語った(『表現文化論入門』第三文明社)。
男子部時代、京都で発心したこと。関西の「雨の文化祭」(1966年)で人文字のデザインを担当し、その直後に「別冊りぼん」でデビューが決まったこと。笑いを交えて体験を語り、文芸部の若手の育成にも力を注いだ。
江戸時代から幕末までを描いた未完の大著『風雲児たち』はNHKでドラマ化され、新作歌舞伎にもなった。1979年(昭和54年)に潮出版社の雑誌で連載が始まった当初は、最終回を決めていた。夫婦して信心を貫いてきた静香夫人は「みなもとは『"牧口常三郎と戸田城聖の誕生"で完結させるんだ。そこから本当の日本の希望が生まれたんだ』『これは池田先生から学んだ歴史観なんだ』と語っていました」と述懐する。「みなもと作品の底には日蓮仏法の十界互具と、池田先生から教わった人間観が流れています」とも。
「文化」の価値について、池田大作先生は中学生に向けて語っている。「自由な創作活動や、生き生きした文化活動を展開することは、人々に、生命の充実を与えるだけでなく、それを阻もうとする戦争そのものを否定する、精神の大地をつくっていることでもあるのです。人々は、文化を通して政治や社会の動向を平和に導くよう、監視していくことができるのです」(『希望対話』)
「文化」は一部の人たちが独占するぜいたく品ではない。「文化とは知恵を知識化すること」——これは戸田先生の卓見である。最高の知恵が知識=目に見える形になり、最高の文化を生む。妙法の知恵によって「人類は多くの危機を避けて、やがて絢爛たる文化を開くことができるだろう」と。
ここに「広宣流布とは、最高の文化運動である」という大道が脈打つ。「創価文化」とは、偉大な思想を明快に語る、私たちの日々の努力にほかならない。
☆インド・創価池田女子大学入学式への池田先生ご夫妻のメッセージ
500人を超す誉れ高き新入生の皆さん、誠におめでとうございます。
喜びひとしおのご家族の方々にも、心よりお祝いを申し上げます。
このたび、新たに歴史学部と社会学部が設置され、19学部の一段と堂々たる陣容での出発となりました。
偉大な詩聖タゴールゆかりのラビンドラ・バラティ大学のムカジー元副総長が、私との対談集で語られていたことが思い起こされます。
——タゴールが思い描いていた新たな世紀とは、「文化の新時代であり、女性の可能性が、平和と精神の文明、そして『魂の文明』を築く舞台となる世紀です」と。
この新たな「魂の文明」創造の光源として、「女性教育・人間教育の世紀」「生命開花の世紀」に燦然と英知の旭光を放つ殿堂こそが、貴大学であります。
敬愛してやまないクマナン議長、サムシャット学長をはじめ、すべての教職員の方々のたゆまぬ献身に、私と妻は満腔の敬意と感謝を表します。
◇対話広げる虹の懸け橋たれ
コロナ禍の試練にも屈せず、向学の情熱に燃え集われた最優秀の乙女たちに、一点、「希望の対話を広げゆく虹の懸け橋たれ」と、エールを送ります。
ノーベル平和賞を受賞された、貴国の児童人権活動家カイラシュ・サティヤルティ氏は、「一人一人が王者であり、変革者なのです」と述べ、世界を変えるための「三つのD」として、Dream(夢を持つこと)、Discover(自身の力を発見すること)、そして、Do(行動を起こすこと)の重要性を訴え続けておられます。
皆さんのキャンパスは、この「夢」と「発見」と「行動」を思う存分に追求し、会得し、発揮できる最良の環境と先生方と学友に恵まれています。
だからこそ、同じく「D」で始まるDialogue(対話すること)に開かれた心で挑みながら、「創価」すなわち「価値創造の力」を自他共に朗らかに育んでください。学問も森羅万象との対話であり、先人や歴史との対話といえましょう。その学びの中で、有意義な対話を自在に繰り広げられる知性と人格が磨かれます。
どうか、誇り高き人間主義の哲学と信頼で結ばれた皆さんの同窓のスクラムで、人類の未来を多彩な希望の虹で照らしゆく、創造的世界市民の連帯を力強く築き広げていただきたいのであります。
結びに、私と妻の命にいつも輝き光る皆さんへ、妻が若き日から心に刻んできた信条を、謹んでお伝えし、メッセージとさせていただきます。
「勝つことよりも負けないこと。それが、すべてに勝っていくことになる」と。
創価池田女子大学、万歳! 清らかな探究の乙女に健康あれ! 幸福あれ! 和楽あれ! 喜びの生命の讃歌よ、響きわたれ!
☆明日を照らす テーマ:強盛な祈り
苦境に立たされている門下や、病気と闘う弟子などに送られた御書をひもとけば、題目の偉大な功力が随所に示されている。そこには、"断じて救うのだ!"との日蓮大聖人の御確信と大慈悲が脈打っています。
池田先生は「題目の人は断じて負けない。日本中、世界中に、妙法の偉大な功力の証明者がいる。題目は無限の希望の力なり」「『不可能を可能にする』祈りで一切を勝ち越えてきた」とつづっています。
今回の「明日を照らす」は、「強盛な祈り」をテーマに学んでいきましょう。
◇祈祷抄
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』(御書1351ページ)
◇友の心に必ず届く
【通解】大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。
◇
"祈りはかなう"との、日蓮大聖人の烈々たる闘魂に触れ、多くの同志が信力を奮い起こしてきた一節です。
大聖人は"太陽が西から昇る"等の、"あり得ない出来事"を挙げられ、もしそれらが起きたとしても、「法華経の行者」の祈りがかなわないことは、絶対にないと断言されています。それは、菩薩をはじめ、あらゆる衆生が、法華経の恩に報いるため、「法華経の行者」を守護することを誓っているからです。諸天が動くのです。
「法華経の行者」とは、法華経に説かれる通りの、あらゆる大難を勝ち越え、末法の民衆救済の道を開いた大聖人にほかなりません。現代でいえば、大聖人の御遺命のままに、「立正安国」の実現に戦う創価三代の師弟であり、そこに連なる私たち一人一人のことです。
池田先生はつづっています。
「あの友を立ち上がらせずにはおくものか! この友に何としても正義と真実の声を!——祈りは必ず花開く。自分が太陽となって、希望の光を広げていただきたい」
現実社会の中で、灼熱の太陽が照りつける日も、嵐の日も、岩に爪を立てて崖を登るように一歩ずつ、私たちは広布の前進を続けています。その自他共の幸福を願う懸命な祈りは、陽光のように、必ず友の心に届きます。確信の祈りを貫いていきましょう。
◇日眼女造立釈迦仏供養事
『譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず・大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき』(御書1187ページ)
◇諸天をも動かす一念
【通解】たとえば、頭を振れば、髪が揺らぐ。心が働けば、身体が動く。大風が吹けば、草木も揺れる。大地が動けば、大海も騒ぐ。同じように、教主釈尊を動かせば、揺るがない草木があるだろうか。騒がない水があるだろうか。
◇
決定した一念で御本尊に向かうならば、いかなる状況や環境をも変革し、必ず人生を勝利していける——。本抄は、鎌倉の門下・四条金吾の妻である、日眼女に送られました。
掲げた御文の直前で、三世十方の諸仏・菩薩、諸天善神等は、全て「教主釈尊」という仏から現れ出たものであると述べられています。
ゆえに、大聖人は"大地が動けば、大海も騒ぐ"等の譬えを通して、「教主釈尊」という根本を大きく動かしていけば、諸天などの一切を動かしていくことができると教えられているのです。
ここでいう「教主釈尊」とは、宇宙と生命を貫く根源の一法である、南無妙法蓮華経と一体の仏のことです。"教主釈尊を動かす"とは、私たちの実践でいえば、御本尊を信受し、強盛な祈りで仏力・法力を顕現していくことです。
池田先生は、「激闘の時こそ、弾けるような師子吼の題目だ。断固と魔を打ち破り、諸天を揺り動かす不屈の祈りである。まことの信心の底力で真金の生命の凱歌を!」と呼び掛けています。
"かなうといいな"という、弱々しい祈りでは、諸天を動かすことも、広宣流布の大願をかなえることもできません。"絶対にかなえてみせる"という確信の祈りにまで深まってこそ、一切を根本から揺り動かしていけるのです。